人の欲望は尽きることのない底なし沼のように深く業深いモノだとつくづくそう思えて仕方がなかった。
竜人の目の前で広がる立食パーティー、もといスラグホーンのサロンはこのような状況下であろうとも憚り知らずといった様子であった。
大勢のホグワーツ生徒に紛れて、竜人とスキャマンダ―夫人が、テントの端で突っ立って警備に当たっていた。本来ならば竜人も警備の人間としてではなく、この場の浮かれた若者たちと同じように食事を楽しんでいた事だろうが、それでも今のヴァルプルギスの状況で、この様な集団で行うサロンなど言語道断であろうと心裡に思う。
ここの警備も本来ならば竜人が当たる筈ではなかったのだが、スラグホーンが運営員会にしつこく問い合わせて配置をここにするようにと言ったようで、竜人がそれに当たる事なりこうして警備に当たっていた。
捜査もろくすっぽ出来ない者の厄介払いと言わんばかりの配置換えに少しだがへそを曲げている事は言わないでおこう。
「竜人様! マテ茶ですわ。お飲みにならない事?」
「いや、仕事中だ。やめておくよ」
連れ添いを連れてきていいというスラグホーンの強い願いに、石槌撫子を連れてこようと考えたが、行方が分からず、仕方なしに連れてきた薫に苦笑いで応じる竜人。
こいつの事だ。どのような状況であろうともその行動力は遠慮知らずに飲み物食べ物に惚れ薬をぶち込んできてもおかしくはないと思っていた為に、警備とはまた違った、自らの自己防衛という緊張感の中で警備をすることとなっていた。
残念そうにそこから離れていく薫の姿に、隣に立っていたスキャマンダ―夫人が肘で竜人を突き、その顔には『色男め』とどこか嬉し気に現れていた。
「止めてくださいよ。ただのクラスメイトだ」
「その割には彼女、あなたの事が好きそうね」
「一方的な恋愛感情で人を傷つけたくない。俺は恋愛とは程遠い位置にいる筈ですので」
「そうなの? 若いのに、恋愛の楽しさを手放すなんて早すぎじゃない?」
勿体ないとと言った様子に唇を尖らせる夫人に、竜人はため息を付いた。
恋など、正しき目線を失わせる病だ。そのせいで去年はえらい目にあった。
思い出してズキリと痛んだ指の爪先に生々しく痛みの感覚が蘇る。
冷静たれ、冷血たれ、冷酷たれ、我々は六波羅局。同胞を売り渡すことでその一生を捧げる日本民族のはぐれ者。
本来ならば竜人も薫と共に陰陽寮で下積みを積んでいる頃合だろうが、安部家の過去に依然残る、陰陽寮総領『蘆屋家』との遺恨の歴史は数百年と引き継がれ竜人の足を引っ張り続けている。
──
血筋とは如何様にも薄くなろうとも、その怨念思念はまるで決して癒えぬ傷の如くその年月も忘れ去り残り続ける。
陰陽寮総領の座を十代目、安部愁全が手放したときより陰陽寮は安部家の物ではなくなった。
竜人は忌まわしき呪いの妖狐の血筋として日本の魔法界より腫物として扱われ続け、その無駄に尖った魔法の才だけが己に圧し掛かる。
兼ねてより両親より陰陽寮の座に戻ることを願われたが、その願いも『過去の遺恨』で竜人は弱冠十歳で六波羅局への出向、もとい左遷を言い渡されその才能を惜しげもなく同胞を売り渡す技能に割かれてしまっていた。
まともな伴侶は得られないだろう。薫のような由緒正しい『藤原家』との婚姻などあり得ず、そしてこの頸筋の御方と結ばれるなど──。
「ハッ! 恋愛なんて余裕のある連中がする事でしょう? 俺には今後永遠にそんな余裕は訪れませんよ」
「達観してるの? それとも自分に自信がない?」
「見てくれは俺自身は良い方だと思うんですけどね。家系的問題ですよ」
「ふぅん……確かに見た目はいいんだけどねぇ。でも子供っぽく無さ過ぎて可愛げがないわ」
大人になるしかないのだ。アメリカの浅き歴史の中で生まれた魔法一家に日本の深くそしてしつこい迄の思念を解するだけの理解力があるとは思っていない。
大体日本人の感性と外人の感性が同じものだとはほとほと思っていない。素朴でいて清廉、そして根深く業深い日本民族は他の民族とも一線を画す特性を秘めた者たちだ。馬鹿にしている訳でも、選民思想とも違う、ただ単純に考え方が違い過ぎるのだ。
家系の根深さも、その歴史の深さもだ。
「子供でなくて結構。俺は今の自分で満足してますよ」
「いつかそれがはち切れないといいけどね」
何とも引っかかる言い方に深い息遣いで応じる竜人はスラグホーンのサロンに向き直った。
「俺のガキっぽさより死人が出ないようにするのが先決でしょう? 夫人?」
「そうそう、そういう風に捻てくれた方が私もやりやすいわ」
かなりの年を召しているにも拘らずその破顔の顔は大変子供っぽい表情で、表情筋を投げ捨てた竜人にとって素直に笑える人は素敵に思える。
しかしながら緩急は必要だろう。仕事の切り替えはしっかりとしなければならない。
竜人は遅く来場した観客がテントに入ろうとしたところで呼び止めた。
「すいません。身分証を……と、スネイプか。遅い来場だな」
「安部君か。済まない、少し厄介者に絡まれてね」
襟を正す様にピンと乱れたローブを整え憂いある笑顔で応じたスネイプのネクタイが少し乱れているところを見つけた竜人が代わりに整えた。
「俺は役所の仕事でまともに楽しめない。藤原の面倒を代わりに見てやってくれないか? 俺の名前を出してもいいから」
「藤原……ああ、着物の。分かったよ、すまないね、お勤めご苦労様」
そう言って軽く竜人たちは握手とハグを交わして、スネイプはテントの中へ向かって行った。
ぎこちない笑顔で見送った竜人の背後にスススッと夫人は近寄ってきた。
「人間関係を築くのには不自由ないのね。余計に勿体ない」
「あなたの趣味は人間測定ですか? 俺の感情を測定するより先に仕事に戻りますよ」
夫人のこのテントに入場しようとする者たちの身分証になりえるものを確認して回る。
何故にこのような厳重な警備が必要なのか。たかだか一教師が主催する学生サロン如きに魔法省役員が出張ってまで警備に当たらなければならないのか。
その理由は至極単純な理由で──。
「すまないすまない。委員会がうるさくてね。いやー、時間を取られてしまったよ!」
身分証を確認するまでもなく、竜人とスキャマンダ―夫人はその人物を通した。
その人物は12人の司祭の一人。アルフレート・タイニーだった。
純白の司祭服。その胸に輝くMの字が付き太陽を象ったような緑のマーリン勲章。
その勲章の意味するところは『傑出した勇気や優れた功績』を積んだ者に送られる物、即ちマーリン勲一等の証だ。
「お招きに預かり大変光栄だよ。スラグホーン教授!」
「いいえ、こちらこそお越しいただいて生徒共々光栄ですよ。タイニー司祭」
スラグホーンとタイニーが親し気にハグを交わしていた。
アルフレート・タイニー。男性、御年45歳。アフリカ大陸ウガンダ出身のワガドゥー卒業。
20歳で魔法省魔法運輸部の魔法植物密輸規制局の一職員であったが、ある時、南アメリカから持ち込まれた食人木ヤ=テ=ベオの違法栽培の取り締まりに向かったところ想定し得ない程の栽培規模で、栽培者も既にヤ=テ=ベオに食べられ手に負えない事態のなか、悪霊の火を扱いすべてを焼き払った事で彼はその栄誉に賜り、マーリン勲章一等を授与され、魔法界界隈でついた渾名は『火炙りの魔法使い』だった。
どんなことでも悪霊の炎によって切り開き、進んでいく栄光ある魔法使い。それ故に彼の渾名はまさにぴったりと言え、このヴァルプルギス、炎の夜宴には最適な人物だろう。
気取ったような笑い方で生徒たちに囲まれるタイニー司祭は、これ見よがしの魔法を披露して見せた。
両手を広げて、手の平で踊る動物の形になった炎が空中で踊り狂う。何とも危なっかしい事この上ない、その上、タイニー司祭は杖を使っていない。
かなり高等な魔法技術だ。
魔法使いはある程度は杖や箒などに魔法の行使を依存しているが、その行使者の力量によってはそれらは必要ではなくなるのだ。
とある学院では箒を使用せずに空を飛ぶ術の開発が出来たという話があり、そしてタイニー司祭が今目の前で行っている杖なし魔法は、出身校の特色だろう。
ワガドゥー。ウガンダのどこかにあると言われている「月の山脈」に位置している魔法学校で、低学年層が非常に優秀な事で有名な学校だ。入学してすぐに学ぶのは動物もどき、日本で言う『獣憑き』の技だそうで、最もおもきを置くのは杖無くして魔法を行使するその技である。
ワガドゥー、いや、アフリカ大陸の魔法族に言えるの事だが、彼らは杖を使わない。
杖という文化が広く普及したのは中世からというのもあるが、人類誕生の母なる土地では魔法の行使は杖ではなく、その両手、即ち
非常に難易度の高い術だ。杖は魔法族の魔法力を最大限に引き出す道具であると同時に、現実的にその形を作る道具である。
故に杖無くして魔法を使おうとすると、魔法の行使は愚か、使えたとしてもろくでもない結果が待っている。竜人も小さき頃幼心に両手で魔法を使おうとして、生家の納屋を吹き飛ばしかけた事がある。
それをいとも容易くやってのけるタイニー司祭は本当に凄いのだろう。
「気取っていると思わない?」
「気取っている? タイニー司祭が、ですか?」
目を細め、タイニーに冷ややかな目で見ていた夫人の顔は冷徹に笑顔の仮面を張り付けて、蔑んだような雰囲気だった。
「相当恨まれているのよ。あの方」
「タイニー司祭が?」
「ええ、人種差別的と言った方がいいわね。魔法族の中でも、特に選民意識が強い人なのよ」
その話はよく聞くものだった。
タイニー司祭はその輝かしい栄誉にも拘らず、その醜聞は海を越えた日本の地にまで聞こえてくる程の物だった。
曰く、スクイブ、亜種族の者たちは魔法の恩恵を享受するに能わず、と。
通常の魔法族だけが魔法の知識を得るべきだと主張しているのだ。特に人狼、吸血鬼への当たりは頗る凄まじく、その活動ときたら度を越したヘイトスピーチをしていることで有名だ。
「俺よりも人間味があるじゃないですか。タイニー司祭は、差別だなんて人間以外どの動物もしませんよ」
「人間味というより、彼の場合は人間の悪い部分が強調され過ぎてる。恨みは買わないことに越したことはないわ」
「確かに」
今回、ゾディアックの狙いが司祭の殺害であるのなら、彼こそ殺されて然るべきとは思っている者は数多いいだろう。
人狼、亜種族たち──特に吸血鬼。
不意に石槌に付きまとう思い人の顔が思い浮かんで、彼が被害者の口にその牙を突き立てる姿が不思議と当てはまり、自然とその考えがまとまってくる。
吸血鬼は絶えず人の血を欲している。
そしてあいつの出身地、出身校のカステロブルーショはブラジルにあり、そして地理的距離の近さからアメリカの内情も知っていてもやもしれない。
これだけの大勢な新鮮な血液袋が闊歩している会場ならば、その衝動を抑えきれずに噛みついても可笑しくはない。
最初に殺された司祭、その者の口には歯型も残る噛傷が残されている。
血を吸った──血を吸う理由を持った魔法族など、吸血鬼しかありえないではないか。
いや待て、発想が飛躍し過ぎだ。
確かに現場の証拠とその犯行の理由に関しては揃っているが、それを行ったと言う立証がどこか欠けている気がする。
殺すまでの理由があるのか。新鮮な血を求めるのならばもっと金銭的で合理的な方法もある。
ホロ衣カフェであいつは血を呑んでいたではないか。直接その牙を首筋に立てずとも衝動を抑えていたではないか。
殺すまでの理由ではない? いや、種が違うのだ。衝動面に関しては確証が得られない。
ならば、アイツが殺したとしてどういった理由で殺害までに至った理由があったのか、血を吸うまでなら人はしなない。単なる傷害事件だ。
ならばなぜ殺すまでに至った? 。
「……仲間を、増やさない為……まさかな」
血を吸われた被害者は否応なしに吸血鬼になる筈だ。
あの刃物でめった刺しにされた被害者の体、もしや殺すまでに時間が掛かった? 吸血鬼は心臓を一突きにすれば即死だ。
吸血鬼で無くとも即死であろうが、この真実だけは確かな学術的見地から導き出されている。
となれば殺すのに躊躇、もしくは心臓の位置が分からなかった? そう考えられないだろうか。
眉間を押さえて、考えを整理する。加熱し過ぎは良くない、煮詰まり過ぎだ。
まず、犯人を吸血鬼だと言う断定でこの推理は始まっている。犯人が吸血鬼でなければその立証そのものが崩れ去るではないか。
初めの一歩が何よりも大事だ。脆い砂上の土台では立つものも建たない。
そう思い、己の脳内会議を退けようとした時だった。
「──っ!?」
竜人とスキャマンダ―夫人の警備の隙間を抜けて何やら黒々とした影がすり抜けたではないか。
その影はまっすぐ人混みに揉まれながら壇上に立つタイニー司祭へと向かい。
「ギャアアアアアアアッ!」
タイニー司祭の口から悲鳴が轟いた。
彼に飛び掛かった者は擦り切れてボロボロのローブを纏った者がタイニー司祭の頸筋を齧りついているではないか。
恍惚とした表情でその血を啜っているがその目に宿った恨みの色は隠しきれていない。
竜人は杖よりも先に呪符袋に手を伸ばしたが、隣の夫人の方が先に動いていた。
持ち手に飾り気の少ない杖がまっすぐ噛みつくものに向いて──。
「
その者に向かい麻痺の魔法が炸裂して、タイニー司祭の体から引き剥がされテントの布に向かって勢いよく突っ込んだ。
タイニー司祭も確かに凄かったが、スキャマンダー夫人の魔法の力も凄まじい。
たかだか麻痺の魔法。竜人が使ったところで失神しするならいい所だが、彼女の場合は衝撃にすらなりえる力を秘めていた。
テントの布に絡まったそいつを取り押さえようと竜人たちは生徒たちを押しのけて取り押さえようとするが、しかしながらその者も頑丈であった。
テントの布に包まった状態で起き上がったそいつは何も持っていないその体で、浮き上がり空へと舞った。
ローブと同じような黒々とした霞を纏い、その夜闇へと消えて。