アメイジング・ナデシコ   作:我楽娯兵

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音楽魔術の申し子

 闇祓いに囲まれていることにご満悦と言った様子のアーレント司祭の蕩け顔に私たち魔法処生徒は、なぜこのような大物が自分たちのテントに現れたのかと疑問と興奮の狭間を漂っていた。

 ヨハネス・アーレント。マーリン勲章三等を今年初めに授与され天狗となっているのだろう。その顔は赤らみ、呼気は酒気を帯びて片手にワインボトルを我が子の様に抱きかかえている。

 相当飲んでいるのだろう。火を近づければ自ずと吐く息が発火しそうなほど酒を飲んでいる。

 

「ひっく……日本の子たちが音楽を披露するって言うから来てみたんだけど。どうしたんだい、音楽は奏でないのかい? 子守唄にちょうどいいと思ったのに……」

 

 失礼な事を言う彼女であるが、その千鳥足を見れば酔っ払いの放言と捉えていいのだろうか。

 悪意のない表情の眠たげな眼でよちよちとピアノを演奏していた生徒に近寄って弦を指でピンと弾いて楽し気だった。

 あまりにも危うい足取りは今にもひっくり返って寝息を立てそうなほどフラフラとしている為に、闇祓いだけでなく生徒たちですらその動きに合わせてあっちにゆらゆら、こっちにゆらゆらと皆がその動きに合わせて動く。

 まるでアーレント司祭の動きはひと時も目を離せない赤ん坊の様で皆が彼女に合わせるしかなかった。

 

「あの……司祭。演奏がご要望で」

 

 部長が恐る恐るアーレント司祭に寄って聞く。彼女の目はトロンと蕩けて兎に角笑顔で言った。

 

「ノー! 練習が聞きたかったんだよーん。でも今は──」

 

 いきなり部長にハグして強烈な接吻を交わしてくるではないか。

 突拍子もない行動に皆が驚いて、目を逸らしたり口を手で覆い驚いていたりと様々な反応に反して、部長は見事な接吻攻撃に呆け、アーレント司祭は近くにいる生徒たちに手当たり次第に接吻して回るではないか。

 私は闇祓いの顔を見ると、その顔にはべったりと唇の形の口紅の跡が残っており、この光景を見てやはりかといった様子であった。

 かなり前から飲んだくれているのだろう。彼女の取り巻きの疲れ具合を見ればそれは明白だった。

 

「君にもブチュ──―!」

 

「断るのだ!」

 

 私はテントの屋根柱に飛んで捕まり、猿が木に登っているが如く柱にしがみ付いて威嚇する。

 他人に、しかも同性に唇を許すなどあってなるものか。私は清廉潔白であることを求められている。

 石槌山を継げなくなったならどうしてくれようかと考えるが、その方法も思い浮かばないのが私である。

 アーレント司祭は別に他意があって接吻百人抜きをやっているとは思わないが、こうもふしだらなのは私は受け付けなかった。

 

「つんつんした子だねぇ。さあ降りておいでよ!」

 

 しつこく私に接吻を交わそうとその場でぴょんぴょん跳ねて回るアーレント司祭は、あまりにも激しく動き過ぎたのか赤らんだ顔が真っ青な顔になって口を手で押さえた。

 もう誰もの予想がついて急いで部長がバケツを投げて渡すと、滝の如くそこへゲーゲー吐き上げるのだからもうこの者が何がしたいのか分からなかった。

 酸っぱい匂いがテントの臭気を塗り替えて私たちも釣られゲロを吐きそうである。

 

「あ、あの。アーレント司祭? 一体どういったご用件でこちらまで?」

 

 綾瀬が魔法で水を出して司祭の口元にそれを宛がって聞いた。

 たしかにそこは気になるところである。何も冷やかしにこのようなところに来るほど暇な御仁ではなかろうに、こうして現れたのは興味がある。

 真っ青な顔でアーレント司祭は顔を上げて答えた。

 

「ここ数年、日本の魔法使いはヴァルプルギスに参加してなかったからね。気になったんだよ」

 

 そう言い、またバケツに顔を突っ込んでジャージャーと壊れた蛇口の様に吐瀉物を噴出する姿はどこか笑いと吐き気を誘う居姿だった。

 

「しかも今回のライブに日本の学生が立つって言うじゃないか。気にならない方が無理な話だよ。私はヨハネス・アーレントだ。音楽について取り逃がすことは出来ないさ」

 

「そうだったんですか。でも学生の遊戯程度の見世物です」

 

 綾瀬が謙遜して見せたが、しかしながらアーレントは綾瀬に縋りつくようにして必死に熱弁した。

 

「遊戯でも何でも歌は唄だ。それを語る者、奏でる者、鳴らす者は須らく私の同胞であるのだからそれを蔑ろにするものは肥溜めにでも叩き落してやるといい」

 

 自身を持ってそう言うアーレント司祭は大きな手を広げて真っ青な顔で立ち上がって熱弁する。

 

「音を奏でる者は皆私の腹からであり、家族同然! それを馬鹿にするやつらは本質から目を背ける愚か者だ! 音は美しい、音は真実を語り、音楽は人をも支配する魔法なんだ!」

 

 相当な自信で語る司祭の姿は確かな確信を持って話しているのだろうと思われた。

 たしかに音楽は人の心を大きく揺るがす。かの状の様に魔法にも等しい力を持っている。

 しかし音楽を奏でる者が家族同然なのなら彼女は言いたいどれだけの家族を持っているのかと思い少し馬鹿馬鹿しくなって私は鼻笑いをしてしまう。

 

「あ、今君変に思ったな! 降りてこーい。私がぎゅーってしてやるぞー!」

 

「いやなのだ! 今の貴様はゲロ臭くてかなわないのだ!」

 

 人間的距離間の近い司祭の人懐っこい青ざめた笑顔に私はギュッとテントの支え柱に必死にないなってしがみ付いて離れない。

 今の司祭はゲロ臭過ぎてかなわない。あんな状態で抱き着かれたのなら酸っぱい匂いを全身に浴びるようなものだ。

 私は頑なにそれを拒否し続けていると、テントの外が騒がしくなり始めたではないか。

 それはヴァルプルギスに訪れた魔法使い魔女たちが物珍しさに魔法処のテントを覗き込んでいた。

 その視線が集まる先には、猫のようにゴロゴロ言っているアーレント司祭。

 彼女だって只の司祭ではない。名のあるモノなのだ。

 マーリン勲章三等。魔法界の知識や娯楽に貢献した人物に贈られる勲章を手にしている彼女は少なからず有名人なのだ。

 一等二等に比べパッとしない功績だが、しかしながら娯楽など“えんたーていめんと”の提供は人目に付きやすく尚且つ彼女はこのように酒乱の御仁であるが故に、皆から親しみを込められ好かれているのだ。

 少し人が集まり過ぎだ。闇祓いがアーレント司祭に耳打ちして、彼女はハッと我に返ったような顔になった。

 

「みんな済まないね。私は私自身のリハの事を忘れていた。さてさて急いで戻らないと」

 

 そそくさと急ぎ足で出て行った魔法処テントに、彼女がいた痕跡が大いに残り、まだまだ残っている未開封のワインボトルと一杯に溜められたゲロバケツ、そしてそれが発する酸っぱい匂いで私たちの鼻は曲がりそうだった。

 部長はワインボトルを拾い上げてラベルを見ると青ざめた顔をして言った。

 

「済まないが、誰かこのワインを司祭に届けてくれないか」

 

「どうしたんですか?」

 

「このワインは貴重なものだ。急いで返さないと」

 

 そう言うので綾瀬と私が名乗り出てテントを出た。

 私たち二人は物珍しくその酒のラベルをしげしげと眺める。

 

「モンラッシェ1800年。なんだろこれ」

 

「さぞや味のよろしい物なのだろうな。一口相伴に預かりたいものだ」

 

 洋酒というモノは私は飲んだことがない。

 御神酒と称し天狗総会では浴びるように日本酒をかっ喰らう天狗共々であるが、日本の酒ばかりを口にしている為に、酒の舌は米の酒に限ると皆が口々に言っている。

 私としてはあのような苦いモノ何がいいのかと聞きたいが、それを言うのは御法度である。

 その為に果実を主原料とした酒は珍しくて仕方がなかった。

 私たちは人混みを掻き分けながら進む中でドンと何もない所でぶつかった。

 何かと思い振り返るがそこには何もおらず、狐に摘ままれたような感覚で綾瀬と二人で首を捻っていた所に。

 

「石槌さん!」

 

 声を掛けられそちらを見た。

 ホグワーツ組の五人組と一人。リリー、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター。それに混じり何故か薫がいるではないか。

 何やら楽し気に雑談していたようだが、私たちが目に入り声を掛けてきたようだ。

 

「おお、皆揃ってどうしたのだ?」

 

「今からセレスティナ・ワーベックの演奏があるので見に来たんですよ。一緒にどうでしょうか」

 

「ぬぅ、済まぬな。少々届け物をせねばならないのだ」

 

 綾瀬がこれだと言う様にワインボトルを見せる。

 皆それは仕方ないといった様子であったが私の一言に意識がこちらに全て向いた。

 

「アーレント司祭も困りものよ。あれだけ酔ってこれを忘れるのなら呑まねば良いのだ」

 

「待ってよ。それの届け先って、ヨハネス・アーレント?」

 

「うむ。そうなのだ」

 

 シリウスの質問に皆が浮足立たように騒いだ。

 

「俺達も行かせてくれ!」

 

「それは構わないですけど。どうしてですか?」

 

 綾瀬が不思議そうに聞くと、ジェームズが答えた。

 

「だってヨハネス・アーレント司祭だぞ! 音楽魔術の申し子、その歌声は神の声(ディーヴァ)とまで呼ばれてるんだ。一度は生で聞きたい!」

 

「ええ、その歌を聞いた死に掛けの老人が翌日には庭で走り回ったなんて逸話があるくらいです」

 

「いいなあ、僕も聞きたいよ」

 

 ジェームズ、リーマス、ピーターが口々にそう言うので、アーレント司祭がどれだけ凄いのかが少しだけ理解できた。

 知名度だけのものかと思うが、皆の反応を見るに嘘でもないようであった。

 頑として一緒に行くと言う皆を引き連れ私たちはアーレント司祭のリハーサルテントに向かった。

 入口付近には闇祓いが数多く警備していて蟻の子一匹、子鼠ですら入り込めない厳重な警戒態勢だった。

 私たちは闇祓いにアーレント司祭がワインを忘れたと事情を説明して中へと通してもらった。

 そこにいたのは先ほどのへべれけの阿保女とは懸け離れた姿のアーレント司祭が椅子に座っていた。

 

「────♪」

 

 静かに楽譜に向かい。羽根ペンに譜を書き留めて真剣そのものといった様子で、鼻歌を歌っていた。

 テントの中では奏者のいない楽器たちが一人でに音を鳴らして音楽を奏でている。

 幾つものバイオリンは宙に浮いて弓で弦を弾き、ピアノは誰も座っていないのに音を鳴らし、オルガンが美しい音色を響かせていた。

 一人オーケストラ。そう評するに値する孤独で静謐な歌姫、ヨハネス・アーレント司祭がいた。

 ふと顔を上げ、人懐っこい優し気な笑顔を投げかけてきた。

 

「どうしたんだい? 私の曲に釣られてて来ちゃったのかな?」

 

「あ、あの、これ忘れものです」

 

 前に出た綾瀬がワインボトルを渡そうと前に出た。

 私たち魔法処組は何とも直向きに音楽に向き合っていると感心した次第であったが、ホグワーツ組はそれとは裏腹に彼女の御前に緊張のしてガチガチの様子であった。

 

「済まないね。そこらに置いておいてくれ、作曲中は飲まないことにしているんだ……ん?」

 

 先ほどのテントに居なかったホグワーツ組に気が向いたのかそちらを向いて微笑みかけた。

 

「おやおや、もう観客が押し寄せちゃった」

 

「あ、あの俺達、あなたの歌を一度聞きたくて」

 

 シリウスが震えた声で言うのでアーレントは笑った。

 

「ははっ、気の早い子たちだ。三日待てば嫌でも私の歌は聞けるのに」

 

 そう言う彼女は羽根ペンを置いて私たちの前へ立った。

 少し酒臭いが、先ほどとは打って変わって理性的で知的なその様子に驚かされてしまう。

 あのおチャラけへべれけの姿はどこへやら、まっすぐと歩いて私たちに頼み事をしてくる。

 

「少し声を出してくれないかな」

 

 みんな何の事やらと言った様子で言われた通りに思い思いに声を出した。

 私はあー、と一言だけい抑揚のない声で言い。皆も似たような様子であった

 そんな声の旋律を深く聞き入る様に頷く司祭は一人一人の声を評価して回った。

 

「そこのホグワーツの女の子。君の声はまるで小鳥の囀りの様で聞いていて飽きない。魔法処のテントにいた君はまるで烏の嘶きの様で野心的な声だね」

 

 皆の声を動物に例えて評価する。

 ジェームズの声は雄鹿の様に可愛らしい声、シリウスは黒い犬の様に雄々しい声、リーマスの声は狼の様に頼もしい声、ピーターは鼠のように利巧な声だと。

 綾瀬は家犬の様に楽し気な声で、薫は狙いを澄ました鷹のように鋭い声だと言った。

 声に関して評価されたのは初めてだ。

 私の声は烏の様で野心的、何とも的を獲てるようで獲ていないようで、玉虫色の回答だが。

 まるで私たちの声で人心を呼んでいるかのようなそんな様子だった。

 

「ああっと。私はモンラッシェ1800を忘れていたんだね。これはすごっく高かったんだ、ああよかった」

 

 そう言ってボトルを一瞥した司祭はみんなに笑顔で応じた。

 

「これを届けてくれた君たちにはお礼が必要だね」

 

 そう言うと歌を唄った。

 心を震わす様な美しい歌声だった。

 杖を喉に当てすべての音程、全ての音を同時に歌い上げ、それに合わせてテントの楽器たちが音を奏でた。

 それは讃美歌だった。ラテン語で歌い上げるその歌は聖母を讃えた素晴らしい歌であり、緊張に固まっていたホグワーツ組の硬直を解し、私たち魔法処組の人心を一心に掴んだ。

 白百合のその歌詞。慈悲深い神の子を讃えるその歌声はまさしくまだ見ぬ神を賛美するに能うだけの美しさがあり、それに私たちは聞き入った。

 男性の低い声も、女性の高い声も緻密に制御された魔法で歌い上げ、まさしくそれは福音のそれであった。

 歌い終わった時私たちは拍手で応じる事でしか彼女を讃えられなかった。

 驚きである、衝撃である、素晴らしい事この上ない(アメイジング)

 歌声にはここまで人の心を虜にする魔力が内包されているとは思いもよらなんだ、その歌声に想起させる感情は千差万別であったが、しかしながら彼女の声は一つの感情に集約されていた。

 素晴らしい。この一言に尽きた。

 悪戯っぽい笑顔で、この歌を聞いたことは内緒であると言われ私たちはテントから出た。

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