造太に杖の外装を頼んで翌日。
早々できるモノではないようで朝早く造太の元に赴くと五月蠅いの一言で一掃され瑪瑙観音堂から追い出された。
何もああもひどい剣幕で喚いて追い出さなくてもよいではないか。剣呑剣呑、生活に余裕がないのだろうか。食うにひもじくなれば人の心は小さな器とすげ変わってしまう。正しく剣呑狭量だ。
さてそんな訳で私は渋々という風に瑠璃講堂の教室に着き、一時間目の授業を受講していた。
楽しい楽しい魔法生物飼育学の選択授業を選んで受けてみた。
野外で魔法生物飼育学の授業をやるというので私は指示された瑠璃講堂の裏の飼育小屋へと向かったが──。
「授業じゃあ!」
私たち生徒は平伏いて首を垂れ、片時もその教師と顔を合わせようとはしなかった。
チラチラと私は視線を上げてその頓智気なその尊顔を覗いてやろうとしたが綾瀬に肘で小突かれ渋々頭を下げ続けた。
「良くぞ吾輩の授業を受講した事、誇るがいい」
「ヴルルルッヒィッ!」
「……はァ」
人馬一体とはこの事だろう。馬上から投げかけられる偉そうな口調の教師にそれに便乗するかのように嘶く
生徒全員土下座姿勢の平伏体勢でそのような不届きをやる者など知れている。竜人であろうとも。
あの不敬者は誰がどうであろうとも立場関係なく人を食った態度を崩さない。
世の中舐め切っているとしか言いようがないが、あれにいったい美徳というモノは存在するのだろうか。愚者一徳ともいうが、一徳あればあれには十分な御釣りが付きそうなものだ。
と言ってもまずこの状況について一つ二つほどツッコみを入れねば気が治まらない。
大名行列を前にした小市民でもあるまいし、誰が好き好んでこんな飼育小屋の小便だが大便だがの匂いが染みついた地面に膝を付けて平伏せねばならぬのか。
偏にこの学校の教師陣がひとしきり悉く頭の螺子が少なくとも二本は外れた人物が多すぎるためだ。
この魔法生物飼育学兼薬草学教諭の
曰く幼き頃にどこぞの大名の亡霊に憑依されそれ以来自分を藩主か何かと勘違いしてここまで生きて来たそうな。当然、そんな大層な地位の人間が亡霊になって人様に憑りつくなど聞いたことはないし、第一にそこまでの地位の人間が亡霊になると言う事はまずありえな。
日本人の特性としてきちんと葬儀された人間は化けて出ないし、化けて出たとしても人に憑りつくのは生霊なり念の強い者たちばかりだ。
佐馬の言葉をそのまま受け取り、生徒たちの噂話を真実のならば恐らく佐馬に憑りついているのは浅野長矩との話だ。それならばいつ腹を召しても致し方なかろうか、自死が美しいと思われていたころの人間だ、目の前で死なれても困るが。
「皆の者、今日の授業はこの生き物についてだ」
バサリとカーテンを開ける音が聞こえるが頑なに皆頭を上げずに平伏し続ける。
「この生き物を知っている者はいるのか? おらんのか?」
「はい」
誰かが声を上げて手を上げ頭を上げると──。
「頭が高い!」
佐馬の怒声に一蹴された。
いったいこれのどこが授業なのか、我々全員が馬鹿馬鹿しくなり皆頭を上げてその生物を目にした。
檻にも柵にも囲まれず、自然の姿のまま止まり木にいたのは優雅で優美、そして憂いの含んだくりくりとした丸い瞳を持った真っ白い猿が何匹かこちらを見ていた。
中国の神話「西遊記」に登場する黄金の毛を持っていた孫悟空とはまるで対を成すかのように穏やかでそして優し気なその猿は私たちの近くまで寄って来た。
フワフワとした柔らかな白い毛にしわがれた老人のようなカサカサの掌。
優しくクルクルと喉を鳴らして鳩の鳴き声のような声のその猿の名前は『デミガイズ』。
その毛は透明マントなどの材料にされ珍重されている魔法生物だ。
「温和で非常にやさしい魔法生物だ。手荒に扱う出ないぞ、驚かせると、見つけ出すにこの授業どころか今日一日を費やすことになる故に」
佐馬はそう言う。
皆がその事は重々承知している。何せこのデミガイズ、驚かせたり怒らせたりすると透明になり噛みついてくる生き物なのだ。
そして佐馬の言う通りその姿を隠せさせればその日一日を、デミガイズを追い回す事になるだろう。姿の見えない獣を一日中追い回すのは誠に骨であり一日で捕まえる事が出来たのならそれこそ御の字だ。
皆慎重にそのデミガイズを扱った。
と言ってももとよりデミガイズは温和で優しく、しかもここで飼われているデミガイズは人になれている。大変人懐っこく早々に何匹かは生徒の腕に収まって抱かれていた。
綾瀬の近くにヨチヨチと小さな子デミガイズが近寄って手を伸ばしてくるのに優し気に綾瀬はその子を抱き上げた。
「なんだか赤ん坊みたい」
嬉し気にその子デミガイズを抱いて撫でる綾瀬。私も少しうずうずしてその背を撫でてみた。
何とも滑らかで良い毛並みをしている。このような触り心地の良い生き物なかなかいなかろうと思う。野良猫脛こすりとてこうも手触りのよくはないだろう。
「わ、私にも抱かせてくれ」
「はいはい。撫子ちゃんゆっくりね」
ホンモノの赤ん坊を扱うように渡してくる綾瀬。
私は恐る恐るその子デミガイズを受け取って腕に抱いた。少し震えているように思うデミガイズは私を見上げて不思議そうな顔でこちらを見た。
その純粋無垢な顔に毒気を抜かれてしまうようで、心の奥にしまい込まれた母性と思われる感覚を激しく刺激して、それこそ食べてしまいたいほど可愛らしいではないか。
嬉しさやら愛らしさやら、何やら心が満たされていくようでしっかりとその体を抱いた。
そんな中で一人はぐれたモノが物欲しげにこちらに来たではないか。
ヌッと手を伸ばした時、ビックっと体を振るわせた子デミガイズの姿が薄れて消えた。
「あっ! 何用だ竜人!」
「俺にこの猿ども寄り付かねえんだよ。これじゃ授業受けた意味がなくなる、少し触らせろ」
「断るのだ。あっちへ行け、シッシッ!」
「クソガラスが……食い殺してやろうか」
生来、鳥、狐、猿は対極に位置している。
鳥は猿を突いて困らせ、狐は鳥を食べ、猿は狐を手玉に取って遊ぶ。故にデミガイズは竜人を軽んじて近寄らず、私の手の中で恐れて震えて収まり、竜人の漏れ出る妖狐の気配を察していない。
私とて狐如き何の事かと思うが、ふとした時に遺伝子に刻まれているとでもいうのかふと恐ろしく感じてしまう時もなくもない。
しかしながら神代ならいざ知らず今は人の世、竜人も私を食おうなど思はずなかろう。
「猿は狐を弄ぶ、主に猿は似合わぬのだ」
機嫌悪そうに目を細めてどこぞへ消えた竜人に私と綾瀬はいたずら小僧のバツの悪い拗ねた様子を見たように苦笑いで応じた。
「デミガイズは古来より信仰されていたことがある。表には『三猿』と呼ばれているが我々の世にはもう一匹いるのを知っておるか」
佐馬が得意気にそう言うので生徒たちは各々おしゃべりを始めた。
三猿。言わざる、聞かざる、見ざるの三つの『猿』と『ざる』の語呂を掛けた言葉遊びだがこれにはしっかりと魔法的な力が秘められている。
三種の神器というモノが存在するように『三』という数字は非常に縁起がいい。
それは三人寄れば文殊の知恵というように、三つ子の魂百までと言うように、三とは魔法の黄金比を秘めている。
三位一体、トリニティ、その中に更なる一匹を足すなど蛇足という他ないが、これまた卑怯と言えるが、三角錐にしてしまえば多角的に見れば三角形になる。
言わざる、聞かざる、見ざるに更なる一匹は──それは見えざる。
意図して見ないのではない無意識に見ないのだ。あっても気づかない、気づいても見ない、言わない、聞かない。その工程を経て完璧な完結を迎える。
破滅も成功も全ての工程には最初の気づきすらも与えない兆候が存在すると魔法哲学には考えられている。
それこそ即ち三角錐、四つの頂点を持つ図形の形を表している。
「『見えざる』なのだ」
「その通り! 気づかれないこと即ち我々魔法族にとって途轍もなく大切なことを示している。デミガイズはそれに措いて名だたる魔法一族の象徴とされている。因みに吾輩の家紋にも三つ括り猿で猿が象られている」
古来より動物等々は神格化されやすく生命として根源的な位置にいるために魔法の影響を大いに受けやすい。蛇、狼、猫、そして猿も。
魔法生物学者の中には魔法生物は最古の生き物たちの生き残りであり、既存の生命体は前者の生き残りより進化して魔法と呼べる力を捨てた者たちであると言う話もあるくらいだ。
デミガイズがニホンザルの近縁種とと考えるのはい些か無理のある見た目であるが熱帯に住む猿、オランウータンと似ていなくもない見た目だ。
日本の魔法生物猿と言えばやはり狒々や猩々の類だろう。
双方とも赤い毛並みで怪力、人語を理解しているが礼儀のわからない連中だ。ここ最近めっきりと姿を見ないが、やはり只人の生活圏が山に近づいてきているせいなのかもしれない。
魔法生物たちの生活圏は日に日に狭くなってきている。
電気の力を手にした人間たちの無策無謀の果て無き生活圏を獲得せんと他の蝕む黴の如く何の遠慮も配慮も考慮もなく開拓の手を広げ続けている。
我々常人は言うなれば古きにしがみ付きその古き仕来りなり儀式なり実態を現代に伝える事無く、細々と息絶える種と我々常人その声が上がる始末。
もう魔法族は息の続かない種族なのかもしれない。
只人の言う遺伝子、血の濃さも影響しているが近しき者たちと縁組をすればいずれ生まれるは奇形に他ならない。
魔法生物だけを尊ぶべからず、真に我々の危機が差し迫ればこの生き物だっていじましく根性で捨て去り見捨てる事だろう。
そうならない為にもより良きを学び古きを繋がねばならない。
と言ってもそうすぐに動く事も出来にない。我々は所詮一介の学生、私は少し尊い天狗の血を持っているだけだ。
石槌山の座を受け取ったとしても一体いつになるか、魔法族の寿命は馬鹿にならず、天狗は更に長命だ。
「クルクル……」
私の腕の中で唸る姿の見えないデミガイズを優しく撫でて私はこの愛らしい猿を愛でよう。
そして考えよう、少しでも長く我々を陰に隠す方法を。