アメイジング・ナデシコ   作:我楽娯兵

57 / 58
魔の峠

 初春もとうに過ぎ僅かに熱さを感じる時期になり始めた頃であった。

 魔法処ばかりに閉じ籠って煮詰まっているのも研究の為にならないと、私はそう思い亢進倶楽部連中を広島市外へと連れ出し夜街を歩きまわっていた。

 少しでも研究の為の清涼剤となればと思い広島出身者の綾瀬に添乗員を任せて夜街を楽しみつくした。

 ネオン街の不夜城で名高い飲み屋街の八丁堀流川周辺は幾ら私たちが魔法使いであっても危険であると綾瀬は判断して、知り合いが経営しているという西広島駅近くの飲み屋兼歌声喫茶へと私たちを案内した。

 

「ララバイ♪ 一人で泣いてちゃ惨めよ♪」

 

 意気揚々と來未がマイクを握って『アザミ嬢のララバイ』を熱唱している所に私たちは夜の風に当てられて気分も上がってタンバリンやらマラカスやらで音頭を取っていた。

 酒が入っている訳ではないが、暗く夜の帳の降りた空気は覆い隠された奥底の感情を表しやすくするのだろう。

 

「綾瀬ちゃんが友達連れてくるって珍しいねえ」

 

 店主のおっちゃんはそう言ってグラスを磨いていた。

 この者もれっきとした魔法使いであるが只人市勢に迎合を決めてこうして店を構え誰彼構わず営業を行ってはいるが、店主の経歴もそうだが雰囲気から常人ばかりが寄り付いてくる珍妙な店構えだった。

 綾瀬は店主のおっちゃんの言葉に少し頬を赤らめて照れ笑いをしていた。

 

「綾瀬は優しいのだ。今世紀以来の私の数少ない親友の一人なのだ」

 

「もう撫子ちゃんったら」照れくさそうに私の肩を軽くたたく綾瀬。「それは言い過ぎじゃないの?」

 

「そんなことはないのだ。説明も懇切丁寧、人当たりもよく何処かの妖狐小僧のそれとは大違いなのだ」

 

「ふふふっ」

 

 こうも面と向かって言うのも少々私も照れくさいが、本心だ。

 そんな中で飲酒法の適応外にいるセウだけが店で提供されているブラッディ・マリーで赤らんだ顔でこちらに来た。

 

「レディたちは歌わないのかい?」

 

「うむ……」

 

「ええ、いいよ。私たちは」

 

「そんなこと言わずに歌えー!」

 

 マイクを握り締めてわんわん喚く來未に、酒の匂いにやられて突っ伏している大樹に娜や翔が甲斐甲斐しく介抱をしていたが妙な事になる前に來未からマイクを奪い取らねば大音量の熱唱にそろそろ苦情が来そうだ。

 セウや娜は国外の人間であるために日本国内の歌は知る由もなく、翔はまず喋らない為に話にならない。

 となれば歌馬鹿の來未の標的は必然的に私と綾瀬の二人になるのは須らく当然の事であった。

 

「二人でその機械は歌えなかろうが」

 

「一応デュエットで歌える機械だよこのマシーン」

 

 おっちゃんが気を利かせてもう一本マイクを持ってきて私に渡してくるのに少し困ってしてしまう。流行歌など知る由もなく、歌える曲も国歌がせいぜいの私に仕方ないといった様子で手を引いて綾瀬がお立ち台に引き釣り上げてくるではないか。

 

「おじちゃんFの1535番ね」

 

「お! 銀座の恋の物語か。どっちが男を唄うんだい?」

 

「撫子ちゃんかな、女性のパート後だから続いてお願いね」

 

「よく分からないのだぁ……」

 

 何の事かと頭を白黒させている間に歌がセットされていく。

 

「綾瀬、私は歌詞など分からぬのだ……」

 

「一応あの画面に歌詞が表示されるから、一緒に歌お、ね?」

 

「歌えー!」

 

 喉を潰さんばかりに叫び上げる來未に戦々恐々と私はマイクを握り締めて新たな『はじめて』に挑戦し始めた。

 少々ハイカラなこの店に決して安くはないカラオケマシーンを入れた店主の晴眼たるや凄まじい事か、子の後にカラオケは日本で広く普及することを予見してとにかく高価な機器を仕入れていて曲数も膨大にあると自慢していた。

 ジャズテイストの音楽が流れ始め、ゆったりとしたペースで音楽が店内に満ちていく。

 

「心の底まで 痺れるような♪」

 

 ポンと軽く綾瀬に肩を叩かれ、私はおっかなびっくり歌い始めた。

 

「吐息が切ない 囁きだから」

 

 綾瀬はニコッと笑って歌い続ける。「泪が思わず 湧いてきて♪」

 

「泣きたくなるのさ この俺も」

 

 そしてともに一緒に歌う歌詞の所まできて私は必死に綾瀬に追いすがるように歌った。

 

『東京で一つ 銀座で一つ 若い二人が 初めて逢った 真実の 恋の 物語り♪』

 

 皆がひとしきり騒いで、お開きにするにはいい時間帯だった。

 夜のちょうど十時当たりの頃だっただろうか。エンマ荘に戻ろうにもすでに門限は過ぎており戸は閉まり入っても荘長たる山姥が化けている時間帯だった。当然の如く魔法処に戻る大海燕の送迎もない。

 出来上がり始めているセウや酒の匂いでやられた大樹の事もあり店主が気を利かせて家を貸してくれるというので私たちはそれを天の助けとばかりに受け入れて、鍵を受け取った。

 電車もタクシーも市内ならまだしも僅かにしないより離れた西広島にはそう見なく、歩いてそこへ行くしかなかった。

 足取り儘ならない千鳥足のセウを翔が介抱し、酒の匂いでやられた大樹は私と來未で引き摺って歩いてそこへと向かった。

 少々距離があり、店主の家は己斐峠を越えたところにあるらしく私たちはぞろぞろと伴ってそこへと向かった。

 薄暗がりの帳の中生温い夜風に頬を撫でられ少し背筋に汗が伝って落ちた頃だっただろうか。不意に綾瀬が話し始めた。

 

「ねえ知ってる?」

 

「何がだ?」

 

 私は重くへたばる大樹の腕を担ぎ直し不思議に綾瀬に眼をやって聞いた。

 

「この峠の噂」

 

「知らぬのだ」

 

 何処か意地悪気に小悪魔的に笑った綾瀬が語り出す。

 

「この己斐峠って広島でも有名な出る場所なんだよ」

 

「出るとは何が出るのだ?」

 

「幽霊」

 

 恐ろし気にそう言って見せた綾瀬が続けた。

 

「昔ここの当たりの民家で惨殺事件があったんだって、一家全員包丁でめった刺し……それ以来この峠を通った人の中に幽霊を見たって聞くそうなの。一応県が霊を鎮めるために七体のお地蔵様を置いたそうなんだけど、七って数字と霊界が結びついちゃって全部のお地蔵様を見るとあっちに引き釣り込まれるだって」

 

「なんとも……まあ」

 

 只人ならばそれこそ冷や汗もの怪談話だろうが、しかしながら我々は魔法使い。

 幽霊など日常茶飯事だし、それ以上に実際この峠には浮遊霊が山のようにいる。綾瀬や他の者には見えていない程に霊力の弱い弱小霊ばかりであるが、確かにこの峠はそう言ったものを寄せ付ける土地なのかもしれない。

 

「忌地という訳でもあるまい。悪霊の類も今見えぬし気配もない」

 

「もう、こういう時って天狗さんは怖がらせ甲斐がないなぁ」

 

 霊長の長たる人類の中でも一際その完成度の違いが分かるほど天狗とは全てを知り尽くしているし、考えるまでもなく理解できる。

 ここは憑き物の類はそうでなかろう。私の見解だがそう思えた。

 峠の中腹の左曲がりの道を曲がっている最中だっただろうか。不意に背筋を這い上るような悪寒が伝った。

 

「っ……」

 

 ふと後ろを振り返ってみるが、特にと言って何がある訳でも居る訳でもない。

 あるのは虚空。街頭に照らされ橙色に光るアスファルト舗装の道ばかりであった。

 ゾクゾクと背筋を這い上る寒さ、心なしか気温も下がったような気がしてならない。いや、これは──実際に寒くなっている? 。

 

「綾瀬よ。少々肌寒くなかろうか」

 

「うん……季節外れの冷夏かな? 確かに寒く──」

 

 次の瞬間だった。漆黒の中からそれが現れた。

 二メートルを超すであろうその巨体。それを目にしたとき私たちの精気が吸い取られていくように肝の奥底が冷え込んでくる。

 冷たく凍てつくその漆黒を纏ったそれが腕を突き出して私たちを指さしてくる。

 その指先は筋張って骨ばかり浮きあがった血の通っていない灰白色の肌色をしている。もっと言うのであれば、あれは足が地面に設置していない、浮いている。

 

「──────」

 

 水の中に落とし込まれ押さえつけられているかのように息が出来ない。

 足先から凍えて氷の中に封じ込められたように体が上手く動けない。それを見ただけで、それがあるだけで死を実感できるほどの膨大な虚無が目の前にいた。

 

「な……撫子ちゃん……」

 

 何とか声を絞り出した綾瀬の震えた声に、即座に反応したのは私でもセウでも娜なかった。

 ネチョネチョ大好き魔法生物狂いの吉川來未だった。

 否応なしに杖をいきなり抜いて、呪文を唱えた。

 

護れ(プロテゴ)!」

 

 來未の杖先から薄白い幕が現れ私たち全員を包んだ。

 盾の呪文。ある程度の魔法技術を必要と高度な呪文だ。私たち三年生ではまだ教えられていない防衛術の類であるのは見て理解できた。

 しかしその漆黒の虚無が膨れ上がる気配がしてそして背後より押し寄せる悪意無き殺気の群れが突如として現れて襲い掛かってきた。

 見覚えのあるその黒色の布切れ。生ける死に装束──レシフォールドだ。

 一枚どころの話ではない。何枚も何枚も、数えだせばきりのない程の大量のレシフォールドが虚空を舞って私たちに襲い掛かってきたのだ。

 あの虚無の死神が呼び寄せたのか、悪霊どうこうではない。呪い殺されるなど憑き物が憑くなどと言った度合いの話ではない。

 確実な死が迫って来ていた。

 三年生の私と綾瀬はその場を動けずにいたが、高学年生の娜も翔も杖を抜いていた。

 朦朧としているだろう大樹であったが倶楽部部長としての矜持からか真っ青な顔色で即座に私たちに向かって叫んだ。

 

「逃げろ!」

 

 全身を縛る金縛りが不意に溶けたようにハッとする。

 何を呆けていたのか。あれは危険な魔法生物だ、撤退するに越したことはなかったが、しかしこのまま大樹達を見捨てて私と綾瀬は逃げていいのだろうか。

 躊躇いの呵責に苛まれそうになった時、私の手を引いたのはセウだった。

 もう片方の手で綾瀬の手を引いて、背中から私とは違った翼を広げてその場から逃げようとしていた。

 

「見捨てる気か! セウ!」

 

「あれには近づいちゃいけない! レディ。あれは悪魔の使いだ!」

 

「撫子ちゃんあれ!」

 

 綾瀬の劈くような叫び声に指さすそれを見た。

 盾の呪文を難なく障子紙よりも容易く破って大樹達を襲い掛かるレシフォールド。全身に巻き付いて身動きの取れなくなった翔に追い払い呪文を掛けて引き剥がそうとするもそれも空しく囲まれて杖を巻き上げられ、全身を黒い死に装束が皆の体を覆っていく。

 共に過ごした時間は少なくとも、少なくともあれらは私の裡では間違いなく友であった。

 その友を見捨てて逃げると、そんな事を許していいのだろうか。

 いやだ! 嫌に決まっている。まだあの混沌とした部室で私は楽しみたいだ。

 セウの手を振り解いて私は杖を抜いて構えて奴らを撃退せんと頭の中でレシフォールドを撃退する呪文を探すが、しかしながら高が三年生が覚えている実践に使用できる呪文など知れている。

 だが私は知っているレシフォールドを撃退する呪文を。

 

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)!」

 

 力強くそれを叫ぶと、杖がまるでその呪文を行使されることを嫌がるように大量の青い蛆が波の如く私の体を這い上ってくるではないか。

 全身を覆う嫌悪感と不快感。こんな時にまでこの杖は私に反抗してくるのか。

 聞いたことがある闇の魔法使いは幸福を糧にする呪文を行使すると今迄の『忌』に食い殺されると。

 杖もそれに属しているのだとすると、私は守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)に見限られたのか。

 絶望の淵に立たされた。

 杖を握る右手がチクチクと痛み始めた。青色の蛆が──私の腕を食べている。

 

「がっ──ああああああああっ!」

 

 小さな痛みが次第に大きな痛みに姿を変える。

 蛆が、蛆が私の体に潜ってくる。皮膚を食み、肉を食み、血を啜り、骨を齧ってくる。

 手の平から拳、前腕から上腕に内側から柔らかな私の体を蝕んで蠢いてのたくってくる。

 全身を覆うのも時間の問題、それほどにこの青色の蛆の浸食は途轍もなく素早い。

 死ぬ、死んでしまう。私も大樹も娜も翔も來未も。

 

「いやだ! 嫌だ嫌だ嫌だああああああっ!」

 

 幾らその蛆を払おうと杖から次々と溢れ出てくる。

 杖を放そうにももう杖を握っている右手は感覚がもうないのだ。おそらく握っているそう思われるが止まらない『忌』の蛆の奔流は止まらない。

 大樹たちの体をレシフォールドが次々と覆っていく。私の目の前で大切なものが失われていく。

 そして私自身も──失われる。

 視界が端から暗転していく。絶望もとうに過ぎこの瞬く間に最早諦めにも近い感情が芽生えた。

 輪廻があるのなら私はそれを呪いたかった。しかしその輪廻も捨てた者ではない。

 私たちが歩いてきた峠の先より白銀のそれがちらりと見えた。

 すると──光が満ちた。

 

「──禍祓い」

 

 綾瀬の囁くような声に応じるようにその光が私たちの目の前を覆った。

 よく見ればその光は形を持っていた。

 狼、鶴、猪に白虎──そして九尾の狐。

 

「レシフォールドを確認した。──撃退せよ」

 

 その声に呼応するように無数の呪符やら靄やら、木の葉の嵐が私たちを包んで現れた。

 深紅の半着に裁着袴、軽装の鎧を纏った術師たち。

 

「出動せよ。六波羅の名に懸けて」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。