Sword Art Online -Project Salvation-   作:青き勇者

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第二章 モディファイアー -Modifier- 03

 央都セントリアその中心地に(そび)え立つセントラル・カセドラル。スカイツリーと東京タワーの中間くらいの高さという、この世界には明らか不釣り合いな白亜の塔。

 総大理石でできているこれは公理教会の中枢にして象徴。圧倒的なまでの威容を湛えているこれを目にしては、その揺るぎないまでの力の前に無意識の内ひれ伏してしまっているだろう。それほどまでの物なのだ、この世界の住人にとっては。

 そしてその白亜の巨塔を見たのは数時間前。今では闇の中で月に照らされて僅かに影を確認できるばかりである。

 ザルな警備を潜り抜け……というよりも警備と言う言葉を知らないであろう貴族の屋敷や皇帝の居城が並ぶ区画を抜けて、カセドラルと居住区を隔てる壁まで来ていた。

 

「頼んだよ」

 

 そう呟くと、すぐそばでその生物は体を大きくしていく。黒いボディに八本の足、体毛はフサフサしている様で風が吹くと(なび)き、この闇夜で怪しげに光る六つの赤い単眼は僕を映している様だった。

 そう、このタランチュラみたいな蜘蛛こそシャーロットである。若干顔を引き()らせながら彼女の背中に乗る。人を乗せられるほどの大きさ、全長二メートル超えとなったシャーロットは僕が背中に乗ったのを確認すると壁に向かった。

 

「しっかりと捕まりなさい」

 

 これから壁を登るのだ。僕の心の準備を待たずして見た目からは想像できない流麗な女性の声で忠告された。

 虫が苦手なことをこれほど憎んだことはない。手から伝わる体毛のフサフサ感とその先にある独特の堅い外殻の感触。なんとも言えずに心の中で悲鳴をあげながら振り落とされることの無いよう更に密着した。

 それを感じたのか、シャーロットは壁に手、というか足を掛けるとそのまま蜘蛛お得意のウォールクライミングですいすいと五十メルほどの壁を垂直に登って行く。

 手だけでは振り落とされそうになったので足でも彼女の体を挟むように何とか固定して耐え凌いだ。時間にしては一分くらいだが、虫の背に乗っているという恐怖と安全装置が何もない状態で宙ぶらりんとなっている恐怖に、脚がガクガクと震えてしばらく動けなかった。

 

「今度は降りますよ。しっかりと捕まりなさい」

 

 二十秒くらいの休憩を挟んで無慈悲にも降下宣言がなされる。眼下を覗いてみると少し壁から離れた場所に暗くて見えにくいが薔薇園が広がっていた。あそこが例の場所か。

 あまり時間を掛けてはくれないようなので、再度体を密着させて捕まる。

 

「……あぁ、ユージオぉ……」

 

 臓物が僅かに浮くようなそんな浮遊感を一瞬味わうと登りよりもかなり速いスピードで降りていく。リュックが落ちないように支えることと、悲鳴も漏らせずにユージオの名前を掠れた声で発することにより恐怖を抑えることしか頭にはなかった。

 二十秒ほどで五十メルの壁を降りきり、シャーロットは僕を乗せたまま迷路のような薔薇園へとかなりのスピードで移動し始めた。僕が今暫く足腰を立たせるまでに時間がかかると思ってのことだろう。それか情けなさに呆れられたのかもしれない。

 

「降りなさい。この先にバックドアがあります」

 

 薔薇園の入り口近くで降ろされ、シャーロットは掌サイズにまでなって僕の掌に乗って案内しようとしてくれたが、流石に精神が持たないのでもっと小さくなって頭の上に載ってもらった。

 シャーロットの言う通り薔薇園には入らずに外側を進んでいくと、目の前にバックドアが現れた。そこにさっさと入ると後ろで扉が閉まる音と虫の蠢くカサカサとした音がして背筋が凍る。

 振り返ると鍵輪を先端に付けた杖を持ち、腰まである長い栗色の巻き毛を一つに結った少女が扉を消していた。黒のローブに同じ色の大きな帽子、学者のような佇まいに極めつけは丸メガネ。

 一瞬目が会ったのだが、すぐに逸らされて僕の横を素通りしていった。

 

「こっちへ着いてこい」

 

 多少尊大な態度に目を瞑って全て木でできた幅三メルくらいの通路を歩いて行くと、一枚の扉を開けて少女は先に進んだ。遅れることなくその扉を潜ると、天井は真上を見上げないと見えない程高く、そんな天井までぎっしりと本が整然と並べられており階層わけもされている。

 これが大図書室か。

 

「……凄いですね」

 

 僕の嘆声に頷いて少女はこちらを真っ直ぐに見た。杖を床に着いて堂々と立っている様は妙な貫禄があった。

 

「わしはカーディナルじゃ。もっとも、お主はどういう訳かわしのことをすでに知っておる様じゃがの」

「ええ、初めまして、テオです」

 

 目を(すが)めてこちらを(うかが)うカーディナルに僕はただ名乗るだけにとどめた。どこからどこまでを話すべきかと言うのを決めかねていたからだ。じっくりとカーディナルと話を詰めて、その中で開示する情報を慎重に決めて行こうと思っている。

 しかし、最終的には全て話す覚悟でここには来ているのだから、出し惜しみをするつもりはない。

 

「お主にまず聞いておこうかの。味方か敵か」

「はて、どちらでもないですよ」

「なに?」

 

 僕の答えが気に入らなかったのか杖を構えて警戒されたが、笑顔を努めて話を進める。

 

「僕はユージオの味方です。ユージオの敵は僕の敵だ」

「ユージオとはあの亜麻色の髪の子か。お主の恋人だと」

「ええ、そうです。あなたが危害を加えないと、味方になると言って下さるなら僕はあなたの味方です」

「なるほどな。わしはお主にもユージオにも敵対はしない。味方になろう。だが、それは公理教会へ味方をしないと言う条件が付くがな」

 

 納得してくれたのか、杖は降ろして警戒を解いてくれた。敵対はしないという言質は取った。公理教会への味方をしないという条件もクリアしている。

 

「公理教会は敵ですよ」

 

 不敵な笑みを浮かべて見せるとカーディナルは少し驚いた後に笑った。問答無用に敵扱いされた公理教会が滑稽だったのか、僕があっさりと公理教会への敵対を口にしたからか、いずれにせよカーディナルは僕を認めてくれたらしい。

 カーディナルは一階の真ん中にあった丸テーブルのそばで杖を一振りして対面するように椅子を出すと、着席するよう促してきたのでリュックと剣帯から外した竜仙剣を横に置いて腰掛けた。

 杖を更に二振りすると、おいしそうなサンドイッチと温かい紅茶がテーブルの上に出現し、カーディナルは紅茶を一口飲んで本題を切り出す。

 

「ふぅ……お主はこの世界の民でありながら、教会を敵とみなすか。その右眼は封印を破ったということか?」

「いえ、これは破ったんじゃなくて抉ったんですよ。いざという時邪魔されたらたまらないので」

「それは……なんとも勇気があるの」

 

 僕の白い眼帯をみてカーディナルは少し顔を(しか)めた。我ながら抉ったという表現は直接的過ぎたと反省して、さっき気になったことを質問してみる。

 

「一つ気になったんですけど、ここってやはり禁忌目録を破っても問題ないんですね」

「ああそうじゃ、ここは元老どもの管理は届かないからの」

 

 公理教会への敵対宣言は明らかな禁忌目録違反なのだが、不気味な元老は現れない。こともなげにカーディナルは僕の言葉を肯定した。

 ここは確か毎秒アドレスが切り替わっているとか言う話だったから、アドミニストレータですら特定できないんだ。なら、元老がそんなところを管理できるはずも無く、禁忌目録をここで破りまくったとしても元老は現れないし、整合騎士もすっ飛んできたりはしない。

 それが分かれば僕は十分だ。ここで一つやりたいことが、楽しみが増えた。

 

「些か抽象的だが、お主は何者なのじゃ?」

「そうですね。ルーリッドで生まれ育ったテオです」

 

 そんなことは聞かなくても分かっておるわ、とでも言いたげな表情のカーディナルを見て苦笑すると先を続ける。

 

「そして、前世の記憶を持っているんですよ」

「前世……じゃと?」

「ええ、それも前世と言っても、この世界を生み出した人間達の世界を生み出した人間達の世界のです」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、外の更に外じゃと?」

 

 今まで威厳を保って話していたカーディナルが初めて困惑を露わにした。そりゃそうだろう、自分の認知している世界の外に世界があって、その世界の人間に生み出された存在であるということすら衝撃的なのに、また更にその外があるとは思うまい。

 もしかしたらその更に外側も世界があって連鎖しているかもしれないな。

 

「はい、この世界は外の世界の人間が技術的に生み出した物です。ですが、その外の世界を生み出した更に外の人間は物語として生み出しています」

「……つまり神話を作った人間がいて、その神話の神が外の人間で、その神によって生み出されたのがこの世界の民ということかの?」

「概ねそんな感じです」

 

 理解の速いカーディナルに驚いて、彼女が理解するのに要するであろう時間を使って飲もうとしていた紅茶へ伸ばす手を止める。仕方なく話を続けることにした。

 

「そしてこの世界の物語も当然ながらある訳で、結末も僕は知っています」

「……いや、よそう。それは毒じゃ。猛毒じゃ」

 

 知りたいのだろうけど知ってはならない。そんな葛藤(かっとう)の中、知らないことをカーディナルは選択したようだ。僕はその選択に口出しするつもりはないが、公理教会攻略に必要だと思う情報は、ユージオを助けるために必要だと思う情報は全て話すつもりだ。

 

「それで、儂に何をして欲しいのじゃ」

「まずはこれですね。僕の名前でこれと同じものを作って欲しいんです」

 

 ユージオから預かった天職を完遂したことを証明する羊皮紙を丸めて赤いリボンで結んである書状を、リュックから取り出してテーブルの上に置く。村長直筆で書かれているそれは、既に死んだこととなっている僕はどう頑張っても手に入れられない代物だった。

 

「よかろう。これなら複写することも問題ない」

「本当ですか? ありがとうございます」

 

 テーブルの上に出した書状のリボンを解いて内容をちらりと確認すると、すぐに快諾してくれた。

 

「羊皮紙はあるかの? なるべくここの物を使いたくないんじゃ。ここの物を外に持ち出すのはリスクがあるのでな」

「ありますよ」

 

 頷いてリュックから羊皮紙を取り出すと手渡す。

 そして次の要件を言うために、僕は横に立てかけて置いていた竜仙剣の柄頭を右掌で包み込んで直立に立てた。床と掌に支えられている竜仙剣はほぼその全容を対面に座るカーディナルへと現している。

 

「もう一つのお願いは、武装完全支配術の術式です」

「その剣は?」

(めい)を竜仙の剣、僕は竜仙剣って呼んでます。もうそろそろ一年経ちますね、出会ってから」

「……よかろう」

 

 カーディナルは剣をじっと見つめた後に頷き、テーブルの端を杖でコンと叩いた。するとテーブルの上にあった紅茶やサンドイッチは容器ごとテーブルに吸い込まれ、カーディナルは上に竜仙剣を置くようにと指差した。

 言われた通りに剣を横たえて置くと、カーディナルは僕の対面に座ったまま告げた。

 

「一つ忠告しておく。お主は薄々感じておるかもしれんが呑まれるんじゃないぞ」

 

 漠然とした忠告に目を瞬かせると、顔を(しか)めたカーディナルはそんな僕を気にすることなく先を促す。

 何も説明はなかった。ただ、僕が心で剣を見ることを待っている。分かっているなら説明などしなくてもよいだろうということか。

 僕は目を一度長く瞑り(まぶた)の裏に竜仙剣を描く。オレンジを基調に白のラインが入った鞘。白を基調にオレンジ色で機械的な線が描かれている柄。そして赤い梢が幾重にも重なって、白を基調とした地が殆ど見えなくなっている鍔。

 そして目を開くと思い描いた竜仙剣と眼前の竜仙剣を重ね合わせて、自分の中で剣自体の存在を大きくしていく。

 ユージオを助けるためにした旅で出会った一振りの剣。暑い洞窟に竜の骸と眠っていた剣。君を手に入れるために僕はオークを殺して力を得た。君に初めて語り掛けた時、認められた気がした。

 今まで君から感じるものは微かに有った。実体はない、だが確かに感じていた。それを今度は深く、鮮明に見せてはくれないか。

 君の過去を打ち明けるに相応しい主になるよう努力をしてきた。手入れは欠かさずやった。旅の帰り道でまともに手入れするための道具がない中でも欠かさなかった。剣術の鍛錬も頑張った。ユージオを助けるために我流で振り続け、キリトの師事を受けて二連撃技まで使える様になった。

 そこまで考えて剣から微かな揺らぎを感じた。記憶を封じる扉が開いたように、僕に語り掛けるように。

 その揺らぎに気を取られた一瞬の後に、僕は青空と森の広がる場所で周囲に生える樹木たちと何ら変わりない姿で立っていた。青く澄んだ空、照りつけるソルス、山脈の中腹から麓にかけて青々と生い茂る松に似たシラビソの木である仲間たち。竜仙とも呼ばれる僕たちはこの長閑(のどか)で仲間たちに囲まれる満ち足りた日々が永遠に続くものと疑いはしなかった。しかし、それは唐突にも崩れ去る。

 大きく連続的な爆発音が周囲へ轟き、山から煙がもくもくと上がっていく。煙の根元には赤く光る物、煙の中には青白く光る物があった。爆発音が響いてからわずかな時間で周囲に岩石が降り注ぎ始める。

 あれだけ元気だった仲間が、のんびりと日向ぼっこをしていた仲間たちが潰されていく。痛い、助けて、嫌だ、声が聞こえる。感情が伝わってくる。でも、それを聞いたところで僕はただの木であるから何もできない。

 仲間たちの悲鳴は何もできない間に忽ち大きくなっていく。

 

「やめてよ。殺さないでよ。みんなを、奪わないでよ!」

 

 心の中で叫んだ言葉を聞き届ける者は誰もいない。やがて灼熱の水がみんなを焼き始めた。熱い、熱い、熱い、水、ただ単語のみで叫ばれる声は徐々に徐々に山側から迫ってくる。

 もうやめてと何度願っても止まらない。終わることはない。助けたい、助けられない、助けたいのに、何もできない。

 青空を埋め尽くす噴煙は仲間たちの上まで到達し、青白い稲妻を轟かせて落ちた。何十もの雷が落ちる度にそこからも熱いと悲鳴が上がる。

 仲間たちが死んでいく恐怖。仲間たちの悲鳴が終わらない恐怖。自分に迫る死への恐怖。そして、何もできないことへの恐怖。

 一際強い叫びが聞こえた頃には溶岩が隣の仲間を飲み込んだところだった。

 

「やめて、やめて、ヤメテヤメテヤメテ」

 

 意識はそこで途切れ、また目を覚ました時には焼けた山肌に一人、葉を枯らして立っていた。

 足元には黒くなった仲間たちが折り重なるようにして倒れ、溶岩の通り道は僕だけを避けるように痕が残っている。

 何も聞こえないはずなのに、仲間の叫びが繰り返される。怖い、恐い、コワイ。

 僕は仲間の亡骸に手を伸ばすように根を張り枝を垂らした。少しでも皆の近くに居たかった、少しでも皆に触れたかった。でも、こわい。皆は独り生き残った僕を恨んでいるんじゃないか。助けなかった僕を恨んでいるんじゃないか。

 また恐怖が刻まれていく……

 

「うっ……やめ……こわ……」

「しっかりせい!」

 

 カーディナルの声に意識が覚醒すると、僕は力が抜けた様に床へ倒れ込んだ。息は荒く肌が粟立(あわだ)ち、涙が溢れて視界は霞んで思考も呂律(ろれつ)もまともに回らない。

 恐怖、それが竜仙剣に刻まれた記憶。竜仙剣が見せようとしなかった記憶。僕が頼りないからとか剣を上手く扱えてないからとかじゃない。僕がこの恐怖を受け止めるだけの強い精神を持っているかが剣は不安だったんだろう。

 結局、剣の不安は的中したわけだ。最後まで記憶は見ることができなかった。剣へと生まれ変わった時の記憶が抜けている。

 

「よく、頑張った。よく、耐えた」

 

 未だ息の荒い僕に向かってカーディナルは万感の思いを込めて褒めてくれた。でも床で(うずくま)って心を閉ざした僕はそれに応えることができなかった。

 どれだけそうしていただろうか、カーディナルは何も言ってこないし、僕は(うずくま)ったままだ。でも、さっきの記憶で感じた恐怖は少し薄まった気がする。

 徐々に戻る視界と思考にどこか安堵を感じて、椅子を支えに起き上がると着席し、テーブルの上に上体を投げ出すようにして力を抜いた。

 

「……記憶、最後まで見れなかった……」

「安心せい。術式は問題なくできておる」

「そっか……」

 

 カーディナルの姿も見ずにぼんやりと図書室の本棚を見ながら呟く。完成した術式を写した紙であろう物を広げる音が聞こえたけど、その時には眠っていた。いや、気を失っていたという方が正しいかも知れない。

 

 

 

 

 三十分くらい寝ていたらしい僕はカーディナルに小突かれて起こされた。術式を書いた紙を見せてもらい、暗記していく。時間はたっぷりとあるから、一言一句間違えないようにちゃんと記憶していく。十二行、三十語にも及ぶ術式を二十分くらいで一旦暗記すると気前よく用意してくれていた紅茶とサンドイッチに手を付けて一息吐く。

 そこでお風呂があることを思い出して、記憶を覗いた時の疲れやらカーディナルと話す時に緊張していたことも有ってゆっくりしたいと思い尋ねる。

 

「ああそうだ、お風呂有ります? ここ四日ほど入ってなくて」

「わざわざ訊かんでもあるのを知っておるのじゃろう?」

「礼儀ですから」

 

 恭しく頭を下げるとカーディナルは面倒そうに通路の一つを指さした。

 

「あっちじゃ。狭いが文句はいうな」

「ありがとうございます」

 

 礼を言って教えられた通路までリュックと竜仙剣を持って来るとかなり薄暗かった。どこかに明かりはないかと通路に一歩踏み出して中を覗くと、自動的に壁へと掛けられていた蝋燭に火が着いて温かい色で通路を照らしてくれる。

 まるで魔法使いの屋敷だなと驚いていると、通路を少し進んだところの正面にある扉を開けた。中は十分に広かった。少なくとも村やウォルデ農場で入った五右衛門風呂のような風呂に比べたら、足を延ばせて肩まで浸かれるのだから十分だ。流石に途中の街で入った宿屋の共同風呂に比べたら狭いが。

 脱衣所で服を脱いで、そのまま仕切りも何もない並々にお湯が張られた風呂へと入る。扉を開けられたら一巻の終わりだなと呑気なことを考えながら四日ぶりの風呂を堪能する。

 

「ふぅ……気持ちいい……」

 

 十時頃にここへ侵入したから今は十二時かな。夜が明ける前だから三時くらいにはここを出るつもりだ。

 湯船からお湯を(すく)って顔を洗うと、さっき暗記した術式を(そら)んじてみる。覚えたとは思ったものの完全ではなかったのか抜け落ちている語もあり、風呂から上がったらまた覚えなおさないとなと思って低い天井を見上げる。

 視線はそのままに今度は何を話すべきか整理する。正体を明かしただけでこれからの未来に関することは殆ど話せていない。

 話すべきはアドミニストレータに金属質の武器は防がれるということか。確かカーディナルはあの短剣を自身の髪の毛から作ったと言っていたから金属でない素材にすることはできるだろう。

 あとは何があっても戦いを諦めないことは取りつけないとな。

 思考が徐々に鈍くなると同時に体は芯まで温まってくる。何を話すのが正解で何を話さないのが正解なのかはよく分からないが、少なくともユージオを守るために必要な情報は渡そう。

 ああ、忘れていたけどコマンドリストの呼び出し方も聞いておかないと。インなんとかから先がどうにも思い出せないんだ。

 上せる前に湯船から上がって体を洗うと、再び浴槽に少し浸かってから脱衣所に向かった。滴る水滴を用意されていたタオルでふき取り、リュックの中から着替えの服を出して着ていく。着て来た服は畳んでリュックに入れると扉を開け、まだ火照(ほて)る体を()団扇(うちわ)(あお)いだり、服をパタパタして風を送り込んだりしながら図書室への通路を歩く。

 

「ありがとうございました。気持ちよかったです」

「そうかい。ほれ、書状ならお主の名前も込みで作ってやったぞ」

「仕事が早いですね。ありがとうございます」

 

 カーディナルはテーブルの上を指すと紅茶の入ったカップを持ち上げる。僕がテーブルの上にある書状をユージオの分と自分の分とで見比べ、原本と遜色(そんしょく)のない複写体を見て満足げに頷くと、丸めて赤いリボンで結んでリュックに入れた。

 改めて席へと座り直し、紅茶を口に含んで楽しむとカーディナルの目を見て話を切り出す。

 

「コマンドリストってあるじゃないですか、あれの呼び出し方教えて貰えませんか? どうにも思い出せなくて」

「……構わんが、悪用は厳禁じゃぞ」

「分かってます。それに、僕の権限じゃ使えるのは限られますからね」

 

 システム権限は小さい時から神聖術を使っていたこととダークテリトリーの住人を殺したことでかなり高い数値である三十二にはなっているが、それでも素因を十個作ることがギリギリできるくらいで、アドミニストレータが使うようなチートじみた術は使うことができない。それでも、工夫次第では低い権限レベルでも使える神聖術を有効活用できるのではないかと思って、一応コマンドリストの呼び出しを教えて貰うのだ。

 

「ああ、そうじゃ、お主の権限レベルは三十二じゃったな。忘れておったがコマンドリストは五十以上じゃないと開けん」

「え、えぇ、そんな……」

 

 まさかの事実に溜め息を吐いて肩を落とす。もっと早くからコマンドリストを使えていたら無双できたかもなんて思っていたのに、結局は権限レベルがものを言うのか。

 

「気を落とすな。見せてやることはできる。システム・コール・インスペクト・エンタイア・コマンドリスト」

 

 カーディナルが式句を唱えて杖を一振りすると、コマンドが書かれている紫色のパネルのような物が出現する。

 見慣れた術から珍しい術まで、コマンドとしてリストに載っている。

 

「少し時間を貰っても?」

「ああ、好きなだけ見ればよい」

 

 お許しを貰った僕は食い入るようにコマンドリストを見ていく。時間にして一時間ほどだろうか、一通り見終えると目星を付けたコマンドを持参した羊皮紙に忘れないようメモをしていき、カーディナルに礼を言った。

 紅茶を飲むことで一旦気持ちを落ち着かせると、前置きを添えて本題を切り出す。

 

「結末を知りたくないと言う気持ちは尊重したいですが……生憎と僕はユージオのためなら手段を選ばないような奴でしてね」

 

 偉そうなことを言ってはいるが、自分の中での倫理観を捨てきれていないことは否めないから、手段を選ばずになんてことはできず迷うことは多々あるだろうな。

 

「ほう、では残酷にも結末をすべて教えると? しかし、それをしては結末が変わってしまうのではないか?」

「ええ、結末を変えることが僕の目的ですからそうなってもらわなければ困ります。ただ、ある一点までの過程は余り変えたくない。過程を変えてしまうと僕が未来を知っていると言う優位が消えてしまいますから」

「そうか。結末を変えるとは……この世界のことか?」

「いえ、ユージオのことです」

 

 躊躇(ためら)うような様子で聞いてきたのでキッパリとこちらが否定するとどこか安堵したように表情を緩めた。

 この世界がどうなっても構わないとは言わないが、例え世界が消えようが続こうが僕とユージオの進む道が、過ごす場所があればそれでいいというのが願いだ。多くを望んではユージオと歩む道もきっと消えてしまう。だけど、これも僕の独り善がりだよね。

 

「ユージオはセントラル・カセドラル最上階、アドミニストレータの居室にて生涯を終えます」

「……そうか、わしは……」

「あなたは有る兵器の前に屈した。戦うことを放棄した。その結果です。もちろん、貴方だけを責めるつもりは毛頭ないですし、今こんなこと言われても困惑するでしょうが、戦うことを諦めないで欲しい」

「その、兵器とやらは一体なんなのじゃ」

 

 唾を飲み込んでカーディナルは意を決したのか聞いてきた。これを伝えてよいのかどうか、判断に時間を少し要した。何せあの兵器を見てあそこまで激情に駆られるのだ、今話して話が続けられるのだろうか。

 

「それは……」

 

 決意の籠った眼差しに根負けして、酷な事実を告げるために口を開く。

 

「人を剣に変えた姿。それを三十近くも組み合わせて作り上げる剣の自動人形」

「なっ……」

「その剣の所有者は整合騎士の記憶の欠片であり、剣に変えられた人は記憶が求める大切な人……その人へ触れることは、想いは、敵を排除することで届くと信じて殺戮(さつりく)を行う」

「……そんなっ! そんな(むご)いことをしておるというのか!」

 

 椅子を蹴とばして勢いよく立ち上がったカーディナルは悲鳴を上げるように叫ぶと僕へ詰め寄ろうとしたが、思いとどまって両手をテーブルの上に突くと怒りに戦慄(わなな)く口許を引き絞って椅子を元に戻すと席に着いた。

 

「そいつは正直強いです。あなたなら抑えられるだろうし、その間にアドミニストレータを追い詰めることもできるでしょう。だが、その兵器が人間だと知ったあなたは戦いを諦め、自分の命と引き換えにユージオたちを逃がすように言いました。そして(なぶ)られ瀕死になったあなたは、戦う覚悟を決めたユージオに同じ術式、いや、似て非なる物を施して剣へと変えます」

 

 唇を噛みしめて話を聞くカーディナルは口を挟もうとはせずに、ただ聞きに徹していた。少しでも口を開いてしまえば制御できなくなってしまうと思ったのだろうか。

 

「剣になったユージオはその兵器を打ち破ります。しかし、その後にアドミニストレータへも攻撃しようとしてあいつの左腕と引き換えに砕かれて……」

 

 僕自身もこんな話をしたくはない。だが、この結末を変える為には話さなければならない。

 

「あなたが戦いを諦めなければ、万全の状態で挑めばまた結末は変わると思います」

「……肝に……命じよう……」

 

 俯くと掠れた声でカーディナルは返答をくれた。

 

「しかし、大切な者を亡くすと知っておきながら何故教会に弓を引く」

「ユージオの命は大切ですよ、もちろん。でも、他にも大切な物は有るでしょう」

「なるほどな、確かにそうじゃな」

 

 そう、ユージオの命は大切だ。この世界が崩壊して消え去ってしまったとしても守りたいとさえ思う。しかし、命を守ってもこの世界をなくしたユージオは果たしてユージオと言えるのだろうか。抜け殻の様になってしまうのではないか。

 そう考えた時、アリスを助けることはユージオの命と同じくらい重大なことだと思う。だからこそユージオの心も命も、どちらも守る為に僕は剣を振るい頭を使う。

 

「あと、短剣ですけど、アドミニストレータには金属オブジェクトによる攻撃を防ぐ術を常時展開しているので、金属属性は止めた方がいいですよ」

「そ、そうか、分かった」

「なに、短剣さえあいつに刺せれば剣の人形を動かされずに済みます。それまでに倒す方法も僕は既に五パターン用意しているので、さっきの話は最悪の場合と考えてください」

「お主は意地が悪いな。最悪の場合を最初に教えてわしを試すなど」

 

 力なく笑うカーディナルに頭を下げると溜息が聞こえた。それに苦笑すると頭をあげてもう少しここで休息する許可を貰う。

 

「この紙は持って帰れないですか?」

「もちろん」

 

 武装完全支配術の術式が書かれた紙を見せると、首を横に振られた。仕方ないかともう一度記憶を始めた。今度は三十分間みっちりと記憶し直し、詰まること無く詠唱もできるようになった。

 

「時間はあるんじゃろ? なら、毎日練習して速く言えるようになるんじゃな」

「はい」

 

 一通り言えるようになったので紙を返却すると助言を貰った。武装完全支配術の練習は詠唱を練習するだけになるのかな、実際に発動させて練習するのはどうだろう。天命は減ってしまうしあまりやらない方がいいのかな。

 気になったので最後の質問をしてみる。

 

「武装完全支配術は詠唱の練習だけがいいんですかね? 実際に発動させたりはしない方がいいですか?」

「お主の術は練習してもよさそうだが、基本はしない方がよい。見つかりでもしたら大問題じゃからな」

「そうですか。今日はありがとうございました」

 

 椅子から立って頭を下げると、カーディナルは頷き来た時とは別の通路へと歩いて行く。ここに来てから大体四時間くらいは経っただろうか。今は夜中の二時ごろといったところか。

 壁を越えて央都に戻ったら、夜が明けて門が開くと同時にすぐ出発しよう。早くユージオの顔が見たい。

 

「そう言えば聞き忘れておったが、ザッカリアの剣術大会から選ばれる衛兵隊への入隊者は二人じゃぞ? どうするのだ?」

「まぁ、そこは見ていてください」

 

 はぐらかして答えるとそれ以上は聞かずに通路を歩いて行く。三人で衛兵隊に入って修剣学院への推薦を貰うってのは中々難しくはあるが、できなくはないと思っている。

 この第一の難関がユージオとの初の共同作業になりそうだ。

 

「達者でな。次会うのがいつかは知らんが……お主は知っておるかもしれんが、気長に待っておる」

「はい、今度は恋人と師匠を紹介しますよ」

 

 扉の前まで来ると、カーディナルと向かい合って別れの挨拶をする。今度は切羽詰まった状況での再会とはなりそうだが、ユージオとキリトをちゃんと紹介しようと思う。

 

「楽しみにしておる。ほれ、いけ。シャーロットのことも頼んだぞ」

「はい」

 

 笑顔で別れると、扉を開いて外に出ると芝の感触を足に感じる。後ろを振り向けば扉はさっぱりと消えて無くなっていた。急いで正面に見える壁まで移動し、シャーロットに行きと同じように壁を越えてもらう。

 夜空に浮かぶ月は雲に隠れて、白い壁を登る僕たちを隠してくれていた。

 

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