Sword Art Online -Project Salvation- 作:青き勇者
「な、なんなんだよ!」
「知るか! 反対側の通路にいくぞ!」
「あっ、待って!」
そっちは行っちゃダメだ。そっちはダークテリトリーへと続く道なんだ、だからそれ以上行かないでくれ。そんな切実な思いとは裏腹に、ユージオが先頭を切って走っていく。全力で走りながらの僕の声は掠れていて、混乱の境地に立たされ、死ぬかもしれないと言う恐怖に追われる三人には全く届いていなかった。
邪魔なリュックも放り出してなんとかついて行くが、徐々に徐々にアリスがキリトとユージオから離されはじめ、僕も二人について行くのがやっとだった。ここに来て身体能力の差を実感するなんてと思いながら四メルほどの距離を詰めるべく足を必死に動かす。このままでは走る勢いのまま全員がダークテリトリーに踏み入ってしまう事も有りうる。
「とまれっ……とまって!」
声を出そうとすると走りが
「で、出口だ!」
「よ、よかった!」
アリスはもう僕の隣にまで落ちてきていた。よく頑張った方だ。でも、僕はまだ頑張らなければならない。出口が見えた安堵からか少しスピードの落ちた二人に再度呼びかける。
「とまれっ! ダークテリトリーだっ!!」
走る勢いを落としてでも叫んだ僕の大声は、やっと届いた。ユージオは急に減速し、ダークテリトリーと人界との境をくっきりと分ける赤黒い土の手前三メルで止まった。しかし、キリトには届いていなかった。急に止まったユージオに反応しきれずかなりの勢いでぶつかる。
「えっ」
そんな声にもならないような小さな声が僕の耳に入ってくる。ユージオはキリトに勢いよくぶつかられた反動で体が前に押し出される。三メルほどしかない余地で踏みとどまることのできる勢いなどではなかった。
僕とユージオの距離残り三十セン。ユージオと境界までの距離は残り二メル。
思考が加速し、周囲がスローモーションになるなか、スライディングへと移行し右手をユージオのコットンパンツまで伸ばして、がっしりと掴み勢いよく引き寄せる。爪が剥がれる事も、肉が擦り切れる事も
体中から悲鳴が上がる中、僕は言葉にならないような雄叫びをあげながら制動距離を最小限にするための努力をした。
こんなところでユージオを失いたくない。ユージオを守ると決めたその日から、僕は努力をしてきた。でもそれはまだ先の話だと思っていた、今失ったら僕はどうしたらいいのかわからない。
ただ止まってくれと願う。もう一センも一ミルも進みたくないと願う。それでも体は直ぐには止まってくれない。
やがて、慣性を感じなくなった。止まったのだ。果たして僕はユージオを救えたのか、僕自身も救われたのか、またいつもの様に笑い合えるのか。
おそるおそる目を開けると、不気味なほどにクッキリと別たれた境界の間近に見える自身の足は、ユージオの体は、一センの距離を黒土から離していた。
「はっ、はっ……」
短い呼気を僕は発しながら、ぐたりと頭を地面へと倒した。いち早く気味の悪い地面から離れるために、一メルほどユージオを抱えながら地面を這った。抱き抱えるユージオの体は熱い。肩は激しく上下していて脈動が前に回した右腕から伝わってくる。たぶん、僕も同じような状態だろう。
「だ、じょうぶ、ユージオ」
「う、うん。テオ、ありが……とう……。テオ! 大丈夫!?」
ユージオが僕の腕から抜け出し向き直ると、わかり易いくらいに顔から血の気が引いて行った。なりふり構わずにしたから、僕は相当ひどい有様なんだろうなとユージオの表情を見ればわかる。
「あぁ……」
「えっ、えっと、アリス! 神聖術で治せない!?」
「わ、私は掠り傷くらいしかまだやったことないわ……こんな、傷、できるか……」
「お願い! 助けて!」
アリスの絶句している顔と悲痛なユージオの嘆願に、そんなに酷いのかと
我ながらによく頑張ったと思うよ。コットンパンツが破れた左足は骨が露出しそうなくらいに肉が削げ、指は五本すべての爪が剥がれたり割れたりしていて出血が酷かった。おそらく指の先も肉が幾らかもっていかれているだろう。
動脈が動くたびに心臓から送られてくる血液は足で行き場をなくして血を吐き出す。これは不味いと思ったところで声は上手く出ない。動脈が傷ついているとなると死ぬかもしれない。この世界でそこまで再現されているのかはわからないけれど。
地面は出口が近いから割と土や砂利が多めにあるけど、それでもほとんどは岩場である。全力疾走の勢いを乗せたまま岩場に指を突きたてれば、岩場に肌を擦りつければ、これだけ酷くなるのも納得だった。
それでもユージオには代えがたい。ユージオを守ることができたならこれくらいの代償は安い物だ。
出血の所為で軽く貧血気味の中、アリスの神聖術を聞いていた。完治したわけではないけれど、出血は止まったみたいだ。命の危機は脱したので礼を言う為に立ち上がろうとするが、力が上手く入らなかったので寝たまま礼を言った。
「ごめん。ごめんなさい、テオ。僕……」
「気にしないで。禁忌目録を破ってユージオが処刑なんて事になるのに比べたら、これくらいどうってことないよ」
泣きながら謝るユージオに無い元気を振り絞って笑顔を作る。まだ辛うじて動いてくれる右手で頬を伝ってる涙を拭ってやる。それでも止まること無くまた頬を濡らす。
「お、俺がちゃんと止まらなかったのが悪いんだ。責めるなら俺を責めろよ!」
「そんなことはしないよ……」
一番の罪悪感を抱いているのか、キリトは大粒の涙を落としながら声を上げる。泣きじゃくる二人にほとほと困り果てて、赤黒い大地を一瞥すればそこには誰もいないし、剣戟の音も聞こえてこない。どうやらここでのイベントは起きないようだと安堵すると、貧血気味なのもあってか意識が遠のいていく。ユージオの泣き顔を見納めに、深い眠りへと落ちた。
心地よい眠りを妨げる泣き声が聞こえた。その泣き声は眠りにつく前に聞いた物よりも少し小さい気がする。ふわりと意識が覚醒していく中で、淀みなく左手を泣き声のする方へ持って行く。そうすれば左手は両手で握られ、次に聞こえてきたのは優しい声だった。
「テオ、テオ」
「ん……。ユージオ?」
「テオ!」
罪悪感に押しつぶされそうだったのだろう、寂しかったのだろう、心細かったのだろう。僕に抱きついて、ただただ僕の名前を呼ぶ。それに応えるように僕も腕を回して優しく抱擁する。
目を開ければ、亜麻色の髪が僕の胸の上で揺れている。どうやら僕は自分の家の狭い寝室で寝かされていたようだ。西日が入り込んで室内を明るくしている。
たしか、洞窟に氷を取りに行って、帰ろうとしたときに獣の
「そうだ、アリスは? 僕を助けてくれたお礼をちゃんと言わないと」
そう言うと、ユージオは僕の胸の上で肩を跳ねさせた。涙も引っ込んだのか鼻をすする音も聞こえなくなる。どれくらいだろうか、五分ほどの沈黙が狭い寝室を支配していた。流石に僕もこれだけ言いにくそうにしているユージオを見ていると勘付く。
震えた声でユージオは
「……アリスは、アリスはね……。禁忌目録を、破った罪で……」
顔を上げてはくれない。目を見て話してはくれない。それだけ、言葉を紡ぐのに今は精一杯なんだ。
「整合騎士に連れて行かれて、審問の後……」
最後まで言わせることはしなかった。強く抱きしめて、また零れはじめた涙を流れるに任せ、僕は今にも血が滲みだしそうなくらい強く握りしめられたユージオの両手を優しく解いた。
「ユージオのせいじゃない」
「僕のせいだよ。テオは僕を助けてくれたのに。僕はアリスをっ、助けられなかった! あそこには僕しかいなかったのに。僕が止めるべきだったのに!」
そこまで聞いて思い出す。そうだ、物語通りならキリトがいるはずだ。しかし、僕の記憶の中にもユージオの記憶の中にもキリトは存在していない。という事はもうログアウトしているのか。
優しく僕は亜麻色の髪を撫でた。どんな言葉もユージオには重しになりそうで、言葉を発するのを
「僕はユージオの味方だよ」
ユージオ自身が自分を許せないのだとしても僕はユージオを許している。それを伝えたかった。伝わったのかどうかは本人にしかわからないが、一層大きくなった泣き声に僕は大丈夫だと判断した。
こんなことをユージオに言っておきながら、僕はこの物語を変えることができなかったことに歯を噛みしめた。
事の
母さんは森で遊んでいる時に怪我をしたと聞いているらしく、しばらく村の中で遊ぶように言われてしまった。
シスター・アザリヤによって傷は完治し、今では大怪我が嘘の様に跡形もなく消えている。これは何か買ってお礼を言いに行かなければな、と見た目のおっかなさに反して優しいシスターのことを思い浮かべる。
アリスのことについてだが、母さんはただ整合騎士に連れて行かれたとしか言わなかった。やはり村の人々にとって触れてはいけない話題のようになっているらしく、母さんに口にするなと言い含められた。
「もう寝るよ。ちょっと、疲れた。おやすみなさい」
「おやすみなさい。明日は仕事を休むんだよ。起きてから一日は安静にするように言われてるからね」
「はい」
「にいに……だいじょうぶ?」
「大丈夫。直ぐ元気になるよ」
夕飯は半分しか喉を通らず、申し訳なく思いながらベッドに寝転んだ。
これから僕はどうすればいいんだろうか。神聖術の練習は続ける。体力作りも筋力作りも続ける。でも、天職がある限り僕はこの地に縛り付けられる。農夫にとって天職をやり遂げるなんてことは畑が壊滅し、今後の復興も叶わないような状態にならない限り終わらない。それでも終わるのかどうかわからない。どうにかして天職を放棄する方法を探さないと、これから先へは進むことができない。
今は取り敢えず休息をとる事が第一だと言い聞かせて目を瞑る。いつもの様にユージオの笑顔を思い浮かべようとするが、浮かび上がってくるのはユージオの泣き顔ばかりである。当分はユージオの笑顔を取り戻すことが課題だなと睡魔に誘われながら思った。
いつもより少し早い時間、五時半の鐘が鳴る二十分前。目が覚めた僕は体に染みついた動きをなぞる様に、寝間着から着替えて井戸へと向かう。
早すぎたのかユージオはまだいなかったので、先に顔を洗って待つことにした。冷たい井戸水を汲み上げると、手に掬う。暫くの間小さく波打つ水を見つめて覚悟を決めると顔へと叩き付ける。その冷たさに身震いしながら三度顔へ水を叩き付けると、手ぬぐいで水分を拭って朝の澄んだ空を仰ぐ。
アリスがいない。それはユージオさえいればいいと思っていた僕にも重くのしかかってくる現実だった。楽しいことはいっぱいしたし、命も助けてくれたのだ、もうユージオの願いを叶えると言うためだけでなく、僕自身の願いを叶えるためにも央都を目指す。アリスを助けるという願いを。
「おはよう」
「おはよー!」
ユージオの声が聞こえて振り返ると、誰が見てもわかる元気のなさに僕は元気よく挨拶を返す。ユージオは僅かに微笑んで手を広げると、僕に抱きついてきた。
僕が驚いているのも数瞬で、たまにあることじゃないかと腕を背中に回した。ただ、いつもとは雰囲気が違ったので数度、ぽんぽんと優しく背中を撫でるように叩いてやった。
「最初の頃、不思議でしかたなかったし、少し距離を取ろうとしたこともあったけど……」
最初から笑顔で抱き留めてくれていたユージオの衝撃発言に少々
「本当に不思議だよ。こうしてると元気が湧いてくる。今はテオがいてくれることに安心してる僕がいるんだ」
「どこにもいかないよ。例えちょっと離れるようなことがあっても必ずユージオの傍に戻って来るから」
「ありがとう」
ほぼ告白みたいな内容になってしまってるけど、純粋な気持ちであって他意はない。ユージオもそれをわかってくれているのかそれ以上は何も言わなかった。なんだか久しぶりにこれだけ触れ合った気がして、どちらも離れようとせずに時間が経つ。
やがて、五時半を知らせる鐘が鳴ったことで慌てて離れると、お互いに照れ笑いを浮かべた。
それからは日常の再開である。変わらずに天職をこなし、変わらずに鍛錬を続け、変わらずにユージオと安息日を過ごした。ちょっと変わった事と言えば、ユージオが甘えてくるようになったことだろうか。それが僕に対する心象の変化によるものであったなら嬉しかったのだが、心の弱さを共有する者同士としての信頼というか、安堵が先に来ているようだった。
それが更に強まった一件もあった。僕が農夫としてユージオ一家に助力する事で家族とユージオの仲を少しでも取り持てていたと思っていたのだが、それは僕の勘違いだったようで、僕の働きぶりと知りもしないくせにユージオの仕事を比べて役立たずと言っていたことがあった。それを聞いてしまったことを、ユージオには正直に話してユージオ一家に「カチコミをかけてやる!」と意気込んだところで「それは良いから」と
それ以来、「テオくらいしか味方はいないのかな」的なことを吐露され、甘えが加速した。
ユージオは人としてお手本といっていい。それくらい皆に優しいし、意地悪をするジンクにだって、遠ざけられる家族にだって優しくしようとする。でもその度に与えた優しさの対価として帰って来るのは無視や軽蔑といった反応である。もちろん、他の村人にもユージオのことを気に掛けてくれる人はいるが、一番優しくしてほしい家族があんなんじゃ、周囲との関係が希薄になってしまうのも道理だった。
だからもう、アリスがいない今は僕しかユージオを支えてあげられる人間はいない。それは僕の妄想でもなんでもなく事実だった。それが少し心配でもある。
「ん~、おいしい。ほっかほっかの焼き立てパンは、あんまり食べられないからね」
「うん、おいしいね」
安息日に天職で稼いだ給料を使ってでき立てパンを作って食べていた。安息日にはパン屋も閉まるので、作り方をおばさんに教えて貰いながら僕手ずからパンを作ってユージオに御馳走している。幸せそうに頬張るユージオは最近凛々しさが増してきた。まだまだその仕草はかわいいものだけど、アリスがいなくなってからもう三年が経過している。
この歳のユージオは小説の挿絵でもアニメでも描かれなかったから僕だけが知る特別なユージオとして何回も脳裏に焼き付けてある。この成長途中の格好よさとあどけなさの混在した期間は特別に愛おしい。
この三年間は特段何かいい案を思いつくこともないまま、ユージオとの村生活をそれなりに謳歌していた。しかし、もう残り時間もあと三年と折り返し地点まで来てしまった。
アリスが連れ去られてから、キリトが現れるまでのこの空白の六年を、ユージオはあの物語では一人で過ごしたわけだ。それに比べたら僕が傍にいる状況はマシなのかもしれない。僕としてもユージオを未だに無視し続け厄介者扱いしている家族を敵視しているくらいだ。にもかかわらず、家族でない僕の方を立ててくるのだから何度はらわたが煮えくり返ったのかわからない。
「どうかした?」
「ううん。そう言えばさ、ユージオのお給料、何か少なくない?」
「あ、うん。それは……家族が僕の知らない所で……使ってるんだ……」
「はぁ!? あ、あいつら、もう我慢ならない!」
服も靴も天命ギリギリになるまで買い換えようとしないし、パンを作るための材料を買うだけでも、切り詰めていそうなくらい少ないお金に気付いて尋ねてみれば衝撃の答えが帰って来る。これには流石に堪忍袋の緒が切れた。ユージオのお金を無断で使うなんて一体、どんな神経をしてやがるんだ。
「ま、待って! いいんだ。僕はこうやってテオと一緒にほっかほっかのパンを食べられるだけのお金があれば、それでいいんだよ……」
「ユ、ユージオ……」
力なく微笑むユージオに怒りは心配へと変わる。
ユージオは優しすぎる。その優しさに付け込まれて良いようにされて、結局ユージオが傷ついてしまってる。優しい人ほど早死にするってのはあながち間違いじゃないんだろうなとユージオを見ていると思う。害意を向けてくる相手にまで優しく接しようとして、相手はそれが気に入らなくて強くあたり、結果優しくしようとしたユージオだけが傷つく。そんなやりきれない場面を見たのは一度や二度じゃない。
「欲しいのがあったら言って。僕が買ってあげる」
「だ、ダメだよ。テオのお金はテオのために使わないと」
「だからこそさ」
ユージオは僕の一見脈絡ない言葉に首を傾げる。
「僕はかわいいユージオが見たいし、笑ってるユージオが見たいし、幸せそうなユージオが見たい。だからそのためにお金を使うんだよ。これは僕自身の為に使うってことと同じだよね。何か間違ってる?」
「え、えっと……」
困惑したように僕の強引な理論を飲み込もうと必死になって咀嚼してくれている。視線があっちこっち泳いでいるのをみると照れてもいるのだろうか。
「もちろん自分のためにお金を使うのは大切だよ。でも僕はね、自分のために使うお金が、誰かのためにもなるものだったなら、それってすごく素敵なことだと思うんだ」
「そんなこと、考えたことも無かったよ」
前世のばあちゃんからの受け売りをもっともらしく、優しい声色でゆっくりと話した。
数度目を瞬かせて感心したように頷くユージオをみて納得してくれたんだと安堵した。これで、ユージオ公認で貢……プレゼントを一杯できるよ。
「さてと、じゃあまずは、その擦り切れた服と靴を買い換えようか」
残りのパンを口に放り込むと、笑顔で手を差し出した。それにユージオは慌ててパンを食べきり僕の手を取った。
こうして今まで貯金していた給料もどんどんユージオのために使っていくのだった。でもそれでユージオが幸せそうにしてくれるなら僕にとっては一番のお金の使い道である。
凍えるような木枯らしが吹き荒れ、窓をがたがた揺らす。リビングにある暖炉の温もりを求めて母さんも父さんも、そして僕とエイトも集まっている。何かを話すわけでもないが、それぞれが自分の事をしていた。
母さんの天職は服飾職人であり、仕事道具である針や糸なんかの手入れや整理をしている。父さんは北域では珍しい狩人で、狩りに使うための弓矢の点検作業をしていた。エイトは母さんと同じ天職になりたいらしく隣で手入れを見ている。僕はと言えば今後どうするかを考えながら最近買い換えた農具を整備していた。
パチパチという暖炉の火が弾ける音をBGMに、穏やかな時間が流れていく。それぞれが仕事道具を手入れするために立てる僅かな物音だけが生活音で、それもどこか心地よい。しかし、そんな穏やかな空気を父さんは険しい顔で断った。
「もう五人目だそうだ。こんなのは百年に一度あるかないかの規模らしい。おそらく、十人単位はいくだろうと……」
「怖いわよね。カミラさんも体調を崩しているらしいし……」
「大丈夫かな……ユージオ……」
「兄さん……みんな大丈夫かな?」
「さあ……兄さんが病をやっつけてあげられたらいいんだけどな」
「かからないように祈るしかあるまい」
僕とエイトと母さんが不安げに漏らす中、父さんは毅然と言う。
十二月に入ってから体調を崩す者が増え始め、既に五人亡くなっていた。流行病とは名ばかりの負荷実験であるとわかっているから尚更たちが悪い。僕は祈る様に毎日を過ごしている。
もう物語の大筋は変わらないだろうからユージオが無事であろうことは確信している。しかし、僕自身は物語に不要なキャラだ。この流行病に掛かって命を亡くしたとしてもおかしくはない。流石にそれだけは嫌なので、なるべく人との接触は避けて過ごしていた。
「早く、収束しないかな」
最近は接触を避けるという事を伝えた上でユージオに抱きつくことも、長時間遊んだり話したりすることもできていない。顔を合わせて挨拶をするくらいはしているが、日に日にユージオの元気がなくなっているような印象を受ける。
また強くなってきた木枯らしに行く末を憂う。
結局、流行病で亡くなったのは二十三人。三百人程度の村であるこのルーリッドで二十三人もなくなるなんて相当な衝撃である。
感染症とは名ばかりである事は、両親を亡くした子どもたちが生きていたり、子どもが亡くなっているのに両親が生きている事を見れば明らかだ。感染症に知識のないこの世界の人達が隔離なんてしたりせずに付きっ切りで看病をしていたことを知っている。
だから、この流行病は感染するなんてことは無い。ただ無作為に抽出されてかかり、そして死ぬ。こんな防ぎようのない死を前に怒りとも諦めともつかぬ思いが沸き上がる。
流行病が収束したと村長が判断した今日、死体は村の墓地に埋められて村人総出で弔った。子どもの泣きじゃくる声、親のすすり泣く声。そのどれもが悲痛に満ちていた。
「ぐすっ、シェンナ……」
「エイト……」
エイトは泣いていた。幼馴染である女の子のシェンナが亡くなったんだ。まだ九歳だから、身近な者の死を受け入れるには時間がかかるだろう。
そっと背中をさする。そうすれば一際声は大きくなって、思わず抱きしめてしまった。前に回した腕を何度も濡らす涙に、声を掛けることもできず離れることもできず、ただ抱きしめていた。
しばらくして、村長が新しい二十三基の墓を前にして立った。
「ここ、ルーリッドに
村長の震えた声を聞いていた僕は衝撃と共に歓喜を覚えた。
村長は各々の墓の前で名を呼び、天職を全うしたことを宣言していく。これで亡くなった人たちは天職から解放される訳だ。死んでしまった者たちが天職から解放される。これは当然であり、僕は以前から死んだら自動的に解放されるものだと思っていた。しかし、実際は上位権限を持つ村長の宣言があって初めて解放されるのだ。
これはチャンスである。もし、もしも死人の天職を解放する宣言をしたとして、仮にその人物が生きていたとしたなら。それは絶対的な法の僅かな抜け道である。生きていたとしても天職を全うしたと宣言されれば天職から解放され晴れて無職になる。そう、無職だ。無職はこの世界に於いて、ユージオの次くらいに代えがたい自由という名の代物である。
陰鬱とした空気の中、僕だけは
「テオ……」
僕が悲しみに震えているのだと勘違いしたのか、ユージオはそっと肩に手を置いてきた。
死を偽装して無職になる。そして、ユージオを守るための力を手に入れる。険しい道であることは想像に難くない。しかし、これをやり遂げなければ先へ進む事はできない。ユージオを守ることも、アリスを助けることもできないのだ。
そこまで考えてまだ腕の中で震えるエイトに気付いた。
「ユージオ……」
隣を見れば優しいユージオは村長の宣言を涙目で見守っていた。悲しんでいるのはユージオも同じだ。今はただ弔う事に意識を向けよう。例え、誰かを守るためであっても人の死を前にして喜ぶようなことは慎まないといけない、と戒めの言葉を心の中で
僕は死を演じることでユージオを助ける道を選択する。エイト、ユージオ、そして両親には今と同じような悲しみを背負わせてしまうことになる。それを考えただけで気は重い。
年が明けて四月。衝撃的な事実が発覚してから、死を偽装するための準備は進めていたが、なにぶん時間が足りなかった。そして金銭面でも問題は発生し、準備を進めるうえで必要な物を買いそろえるための額を用意できず、今年中の偽装計画は破綻した。流石にユージオへみつ……貢いだ額が給料の殆どだったので貯金なんて大してなかった。
別に後悔をしている訳じゃないし、まだ一年は猶予があるからと開き直っている。それに焦って計画を実行しても、ユージオと離れ離れになる時間が長くなるだけで、僕としては精神的ダメージが大きいし、ユージオにとっては僕以上のダメージを被るだろう。
なんせ、五歳の頃から仲良くしてきて、アリスがいなくなってからは僕に依存していると言っても過言ではない程に密な付き合いをしてきたのだ。というか僕もユージオに依存している。そんな親しい人間が死んだなんて聞かされればいかほどの衝撃になるのか見当もつかない。僕なら身を投げ出すであろうことは容易に想像できる。
それでも、ユージオなら耐えてくれると信じている。生来の真面目な性格で、天職を続けるということにだけでも生きる意味を見出して待っていて欲しい。勝手な願いであるのは承知しているが、これもユージオのための行動である。今と未来を天秤にかけようとした時、ユージオの死という未来は天秤にかけるまでもなく重かった。
「どうしたの。難しい顔して」
「ううん。何でもない。それよりも、ちょっと僕にも欲しい物ができてね。ユージオに買ってあげられるものは少なくなりそう」
「いいんだよ。というかそれが普通なんだよ」
でも、今日くらいは散財してもいいよね。リュックの中から、貯金の全てをはたいて買った、
これら一式は母さんに頼んで作って貰った物で、それはもう値段交渉に労を要した。なんせ貯金の全てをはたいてもその半額にしか辿り着かないのである。必死に頼み込んで頼み込んで、貯金すべてをさらけ出して、もう泣くくらい必死になってようやく母さんが折れてくれ、次の給料を半額渡すという条件で手を打ってくれた。
そんな苦労して手に入れた一式をユージオに渡して笑顔で祝福する。
「誕生日おめでとう。ユージオ」
「あ、ありがとう。こ、これ、凄い
嬉しさよりも驚きが優っているのか目を丸めて渡された衣服を凝視している。この村でも一、二を争う腕前の母さんが作った物であるから当然高いし、ユージオをイメージした青薔薇の
アリスは金木犀にしようかとも思ったけど、整合騎士としてのアリスと僕たちの助けたいアリスは別だからマリーゴールドにした。
「これで、しばらくは勘弁してほしいな。自分の欲しい物を買うために、これからはあんまり買ってあげられないから」
「ありがとう。ありがとう。大事にするよ。大好きだよ、テオ」
「おっと……」
勢いよく僕に抱きついてくるユージオを受け止めると、微かに鼻をすする音が耳元で聞こえた。泣くほど嬉しかったならこちらとしてもプレゼントした甲斐がある。
それに大好きって、大好きだなんて、言われると嬉し過ぎて死にそうだ。恐る恐る、僕もそれに応える。拒絶されるようなことはないとわかっていても、言うのは勇気が要るもんだ。
「僕も……僕も、大好きだよ、ユージオ」
何年越しかにようやく伝えられた気持ちに、ユージオは抱きつく力を少し強める事で返してくれた。春先のまだ涼しい風が体を冷やそうとして来るけど、僕とユージオの触れている箇所は今まで以上に熱を持って体全体を、心を温めていってくれる。
抱き合ったまま、ユージオは震える声でゆっくりと内心を漏らし始めた。
「僕、アリスが連れ去られて、どうしたらいいのかわからなかったんだ。そんな時に、テオも悲しいはずなのに、僕のことを気遣っていっぱい元気をくれた。本当は、僕もテオに何かしてあげたい。けど、僕はどうしようもなく弱くて、テオに与えてあげられるような物、何も持ってなくて……」
こんな風に悩みを吐露するのは初めてのことじゃない。けど、今までアリスのことには触れてこなかった。だから、僕相手でも勇気を振り絞って話してくれていることは伝わってくる。
「そんなことないよ。こうやって、僕にあ、あ、愛を、その、与えてくれてる、じゃないか」
だから、僕も精一杯の勇気を振り絞って、恥ずかしがろうが何だろうが、ちゃんとユージオに思ってることを伝えないと。
「僕も、テオから沢山の愛を貰ったよ。でも、このままじゃいけないんだ。このままだと僕は何にも自分でできなくなっちゃう。だから、もう少しだけ、もう少しだけ甘えていてもいいかな? そしたら僕、一人で立てるように頑張るから」
「うん。僕はユージオの決めたこと、応援する。だけど、僕ももう少し甘えさせて」
これはもう立派な共依存だなと思いながら、ユージオの決意を尊重するべく僕も少し心構えをしておかなければならない。
抱き合っていた姿勢から少し離れて向き合うと、僕からキスをした。キスと言っても禁忌目録で夫婦以外の者同士の口づけは禁止されている。だから、間に人差し指を一本挟んでのキス。
禁忌目録が邪魔で邪魔で仕方ないが、この時ばかりはまだ誤魔化しのきく行為で終わらせられるのでどこか安心している節があった。
ユージオは不意のキスに戸惑いを見せる。どこまでユージオが僕の気持ちに気付いていたかはわからないが、今ので正解に辿り着いただろう。
恥ずかしいことを言った自覚も、恥ずかしいことをした自覚もあったので、話題をユージオにプレゼントした衣服へと戻す。
「その服ね、内側にユージオと、ついでに僕の名前も
「……ほ、ほんとだ!」
僕の誤魔化しに、わざとらしさが残る返事で乗ってくれた。
本当はユージオの名前だけにしようとしたのだが、一年後を見据えて、僕が死を偽装してユージオの前からしばらく姿を消すことを見越して、僕を思い出せるように、僕が守っていると示すためにテオの名を入れた。
「これでいつでも僕はユージオの傍にいられるわけだ」
「せっかく独り立ちする決意をしたのに……」
「ぷっ、ふはっ」
僕の名前を