Sword Art Online -Project Salvation-   作:青き勇者

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第一章 アウトサイダー -Outsider- 04

 人界暦三七七年三月二八日

 

 母さんの具合が悪くなった。と言ってもただの風邪であろうことはわかっている。しかし、僕はこれを口実として利用することにした。遂にこの日が来たのだ、僕の死ぬ日が。

 ベッドに横たわり、僅かに上気した頬と少し苦しげに上下する胸。母さんの額に井戸から汲んできた水で濡らした手ぬぐいを置いてやり、少しでも楽になるよう看病をする。

 安息日である今日は付っきりで介護できるのと、自由に動けることも有って絶好の死に日和だ。

 今日、成功すれば僕の思い人であるユージオは勿論のこと、エイトに両親や村の人々は悲しむだろう。それに痛む気持ちがない訳じゃない。むしろ今でも精神は罪悪感に苛まれて行動することを阻害しようとして来る。

 

「ごめんね」

「いいんだよ。そうだ、シルベの葉を取って来るよ。だから寝ててね。明日には元気になる様にいっぱいとってくるから」

「あぶないわよ」

「もうそんな心配されるような歳でもないよ。じゃあ、ちゃんと寝ててね。いってきます」

 

 心配そうな母さんをよそに、元気に笑ってみせると今まで準備してきたものすべてを詰め込んだ、頑丈なリュックを背負ってリビングに出る。

 

「兄さん、どこに行くの?」

 

 天職で使う針子の道具を手入れしていたエイトに呼び止められて僕は顔が少し強張るのを自覚した。

 

「ちょっとシルベの葉を取りに行ってくるよ。母さんの事、頼んだよ、エイト」

「うん、任せて。いってらっしゃい」

「いってきます」

 

 努めて平静を装ってエイトの前から立ち去る。この先、またエイトの前に立つことができるのかはわからない。準備はする、覚悟も決めた、でも生きるか死ぬかはわからない。

 今年でもう僕は一六歳になる。だが、誕生日を迎える五月にはもう僕はいないだろう。心残りと言えば、今年のユージオとエイトの誕生日を祝ってやれないことだ。

 北へ村を出てルール川沿いを更に北上していく。今朝いつもの様に抱き合ったユージオの体温を思い出しながら、笑顔を思い出しながら、あの笑顔を守るためだと決意を胸に一歩ずつ踏み出していく。

 これから向かう場所はシルベの葉が採れる木だ。シルベの葉はひんやりとしていて、よく傷口なんかを防いだりするのに使われたりする。しかし、北の一部にしか木は生えていないので珍しいものでもある。

 ちょうど双子池の手前辺りでシルベの木を見つけ、手に汗を握りながら近づく。十枚ほど枝から葉をむしり取って、巾着袋のような物に入れる。そして、それを地面に放り捨てた。

 状況はこうだ。シルベの葉を取り終え、帰ろうとしたところへ長爪(ながつめ)(くま)が現れる。間一髪で攻撃を躱すも母さんの為に摘んだシルベの葉を取り落としてしまう。

 長爪(ながつめ)(くま)はここ十何年も目撃情報はないが、いることにはいるだろう。その熊の攻撃を再現するために今まで練習を重ねてきた神聖術で木の幹を傷つける。

 

「システム・コール・ジェネレート・エアリアル・エレメント」

 

 起句に続いて風の素因(エレメント)を右手の人差し指、中指、薬指に呼び出す。

 

「フォーム・エレメント・スラッシング・シェイプ」

 

 イメージは斬撃のような鋭い攻撃。熊の爪撃のような体重が乗った高威力な攻撃。右腕を振りかぶり、熊の一撃必殺を真似するように構える。

 

「ディスチャージ!」

 

 (れっ)(こう)の気合で振り降ろした右手、三本の指先から風の斬撃は目前の木へと飛翔していき、堅い木の幹を穿った。見事なまでに綺麗についた三本の爪痕はその威力を存分に物語っている。

 

「練習した甲斐があったよ。さて、どちらへ逃げようか」

 

 神聖術の完成度に手応えを感じて右手を軽く握っては直ぐに開く。

 三六〇度見渡してどこへ逃げる事にするか考える。ルール川に出る案は却下。熊は恐らく人間よりも早いから、開けた場所に出るのは止めた方がいい。となると森の方か。

 攻撃を回避したとして、背面は木の幹、前面は熊という状況で逃げ道は左右どちらか。左手にルール川があるから右に逃げるしかない。そして、村へ向かって逃げたくなるだろうから、南西へ五十メル進むか。

 穏やかな風と枝葉が擦れあうざわめき、鳥のかわいらしい鳴き声。どこまでも平穏という言葉が似合う情景だった。

 

「この木でいいか」

 

 適当な広葉樹を選んで準備を開始していく。リュックの中から顔がギリギリ収まるかどうかくらいの大きさで、深さはもみあげの手前くらいある皿を取り出す。それを近くに置いて、今度は替えの服を取り出す。今来ている服を脱ぎ、替えのチュニックとコットンパンツに着替えると、着ていたチュニックを木の節くれだった肌に繊維を引っかけてハンガー代わりにする。

 数歩木から離れて見ては戻って微調整を行い、右袖に当たる部分をしっかりと見えるように固定した。後は上手いこと袖を巻き込んだ上で、先程のように木へと傷をつけるだけだ。同じように神聖術を放ち、見事に袖は切り裂かれ先程と同じ爪痕が木に刻まれた。

 これで追い詰められた僕が腕ごと切り裂かれたという状況のでき上がりである。ただ、こんなので騙されるわけないので、ここから本命の仕掛けへ入る。

 

「システム・コール・ジェネレート・ルミナス・エレメント・フォーム・エレメント・リキッド・シェイプ」

 

 先程の皿の中へ回復作用のある神聖術を液体として貯めていく。イメージを膨らませてできるだけ一度で大量の液体を作ろうとするが、そう上手くはいかない。周囲の神聖力が尽きはじめると、用意していた四大聖花の内の一つであるカトレアから採取したガラス球を指先で砕く。すると緑色の光が指先で舞い、神聖力を振りまく。二つしか用意できなかった貴重なガラス球を一つ消費して、十三回目の神聖術でようやく並々になった皿を視界に入れると、疲労がどっと押し寄せる。

 空は夕日に赤く染められ、光が届きにくくなった森は(くら)くなりはじめ、不気味な雰囲気を(かも)し出し始めた。

 完全に暗くなる前に終わらせようと意を決した僕は、着て来たチュニックとパンツの上に裂かれて落ちている右袖を乗せ、その上で唾を一つ飲み込んだ。

 

「やる、やれる、僕なら、できる」

 

 ここまで来てやらなければ準備をしてきた意味がなくなる。ここでやめてしまえば多分もう決心はつかない。だから、できると自己暗示を何度も何度も暗くなっていくなか、呟き続けた。

 皿の中に並々に貯めていた回復用の神聖術はその水位をどんどん下げていく。周りはもう空の夕焼けが僅かばかりの明かりとなるばかりで鬱蒼と茂る森はその殆どを暗闇に埋もれさせていた。

 右手を伸ばす。それは忌まわしき禁忌目録を破ろうとすると現れるアラートを表示する場所。右眼へと。

 これから先、アラートのせいで身動きが取れなくなるなんてのはご免だ。今ここで最大の障害は取り除いておかなければならない。

 呼気はどんどん早くなり、心臓は早鐘を打ち明瞭に鼓動が聞こえてくる。過呼吸の一歩手前で落ち着きを取り戻した僕は、気合を入れるために叫んだ。

 

「うおおおおっ、ギヤァアアアアア!」

 

 しかし、雄叫びは指の先が目玉を抉り出し始めると同時に獣のような悲鳴へと音色を変える。

 痛い、焼けるように痛い。目を焼かれている様で、指が一ミル進む度にその痛みは鋭さを増して脳髄へ直接警告を発する。それでも止めない。左手を血が滲むほど握りしめ、足の指には骨折してしまいそうなほど力を入れて踏ん張る。

 ユージオを思い出せ。ユージオの笑顔を、ユージオと過ごした日々を、これはユージオを守るために越えなければならない壁だ。それに手を掛けた今、少しでも躊躇(ためら)えば底の見えない奈落へ落ちてしまい、一生這い上がれなくなる。

 僅か数秒足らずであったが、それは今までで一番長く感じる時間だった。痛みは経験したことのない激痛が全身を走り抜けるような(おぞ)ましさでもって、吐き気も催してくる。それでも眼窩(がんか)から眼球を引き摺りだすことは止めない。既にもう右眼はその機能を失っている。あとは引き摺りだすだけだ。

 悲鳴はなおも闇に包まれた森へ響き渡るが、僕には自分の声なんて聞こえていなかった。ただ、眼球に繋がっていた血管が引き摺りだす時に奏でるプチッと切れる音が直接脳に響き渡っている。何度響いたかわからない頃、ようやく眼球は大量の血液と共に着て来た衣服と裂けた右袖の上へ転がり落ちた。

 激痛で何も考えられないなか、本能に従って回復用の神聖術を貯めた皿に顔を近付ける。これ以上時間をかけると焼けつくような、突き刺すような、形容しがたい激痛を抑えたくて再び眼窩(がんか)に指を突っ込んで掻き毟りたくなってしまう。

 勢いよく皿の中へ顔を突っ込むと、眼球のあった場所へ癒しの水が染み渡り、消毒液の様に沁みる痛さもなく激痛は引いて行った。

 

「はっ、はっ」

 

 短い呼気を発しながら気を失わなかった事に安堵して、怠い体に鞭打ち立ち上がる。右袖の上に転がる眼球を見て吐きそうになりながらも、木の爪痕めがけて右手に持った眼球を、真っ赤に染まったボールを叩き付けた。すると見事なまでに叩き付けた場所を中心として血飛沫が舞い散り、綺麗な血痕を残した。

 ここまですればもう捜索隊に見つけてもらうだけである。シルベの葉を取りに行くと言う大ヒントは残してあるし、そのヒントがあればもうここを見つけるのも容易いだろう。

 

「も、少し……もってくれよ……」

 

 体力はまだあるが気力の尽きかけている自分自身を鼓舞してリュックを背負うと、草穂に光を灯して一直線にルール川を目指す。右手や右手に持った血塗れの服から血が滴るに任せて向かう。これで獲物を捕食した熊がその後川へ向かったという状況もでき上がる。

 川へ着くと、今背負っているものと全く同じ形のリュックを神聖術で切り裂いて流す。右袖のないチュニックとコットンパンツには食い破られた後に見せかけるため、矢の形をした風の神聖術で穴をあけてリュックと同じように流した。

 清流の一部を赤く染めながら流れていく服を確認すると、血でべとべとの右手や顔を綺麗に洗っていく。ある程度綺麗になったと思い、確認のため草穂の光が反射して僕の表情を映す川へと顔を近付ける。

 日本人と西洋人を割った、いわゆるハーフの様な顔立ちに青い左の瞳、そして綺麗な短い金髪が映し出される。ドイツ人の容姿に似ている僕は正直いって相当、顔面偏差値は高い方だと思う。けど今はそんな顔も疲労の色が濃く出ていて病人のようだ。

 そして、右眼は眼球の膨らみを失った(まぶた)が垂れている。

 

「よしっと」

 

 あらかじめ自分で縫って用意していた眼帯を右目に着けると、川に沿って北上を開始した。ここからはもう村には帰れない。川幅が狭くなるあの洞窟付近で川を渡って東を目指すのだ。

 暗闇に浮かぶ小さな草穂の光は村から徐々に遠くなっていき、やがて果ての山脈付近で姿を消した。

 

 

 

 

 僕の命日から約一ヶ月が経過した。あれから僕は果ての山脈に沿ってずっと東へ歩き続けている。

 食糧は狩人だった父さんから教えて貰った動物たちの解体の仕方だとか、食べられる木の実や山菜の見分け方を頼りに食い繋いでいた。動物がいれば神聖術で狩りをして焼き肉が作れるし、山菜や木の実は銅製の小さな鍋に入れて炒め物にしたりして凌いでいる。

 冬へは程遠い季節。命が芽吹く春だからこそ、食糧調達に困ったことは今のところなかった。水も、山脈の雪解け水が小川となっているところや湧き出ているところがあって大して困らない。つまり、順調に旅路は進んでいるということだ。

 ある一点を除いて。

 

「ユージオ……」

 

 ユージオに会えないことがダメージとして毎日蓄積されていくのが問題だった。しかし、僕以上に寂しい思いをしている筈のユージオを思えばこそ、前へ進む活力も湧いてくるのだった。

 気を紛らわせるために、少し疑問に思っていた事を考えてみる。

 それはなぜ僕という前世の記憶を持ったイレギュラーな存在がこの世界に誕生したのかということだ。まぁ、そもそも世界を飛び越えてしまっているのでどこに生まれ落ちようが些細なことなのだろうが、一応仮説みたいなものは考えてみてもいいのではないだろうか。

 前世の記憶を保持していることについて、このことを考える上で二つの事項を思いついた。

 先ず一つ目は前世の記憶という存在について。これは、バラエティ番組でも見たことがある〈前世の記憶を持った幼児〉が一番近いのではないだろうか。

 あの現象をどう解釈するかになるが、SAOに出てくる言葉を借りるならば、フラクトライト、つまり記憶領域の最小単位、光の量子場、だっけか? まぁなんと言うかそんなものが関係していると考えてみよう。

 それがヒト個人だけに収まらず、死んだ時に空間へ放出されるような場合があると仮定すればどうだろうか。空気中を死んだ人物のフラクトライトが漂い、それを感受性の強い幼児が読み取るようなことがあればどうだろう。

 空気中を漂うフラクトライトは〈ゴースト〉と言おう。幼児がゴーストを読み取る現象を〈()かれた〉と言い換えればわかり易いだろうか。つまり幽霊に憑かれた状態を〈前世の記憶を持っている〉とすれば、少しは論理的になっただろうか。

 ともかく、僕はその理論でいくと、死んだ時に自身のフラクトライトが空中に放出されゴーストとなり、それがどういう訳か世界を越えてしまった訳だ。

 まったくもってなんの根拠もなければ、なんの証明もできていない気がするが、このSAO世界の技術すら僕の前世にとってはファンタジーなのであまり気にしないようにしよう。

 それで話を戻すと、僕のゴーストはどういう訳かこのフラクトライトに()いた。そしてそのゴーストにあった僕の記憶は消去されることなくこの世界へと誕生した。

 たしか、生まれたばかりの赤ん坊から、ほぼ純粋なフラクトライトをコピーし、胎内や生まれたばかりの環境によって生じた僅かな差すら消去して、完全な量産型のフラクトライトとしていた筈。となると、僕のゴーストが()いたのは消去作業が完了して、この世界へ入るまでのわずかな間という事になる。

 一体どれだけの奇跡が重なればこんなことが起こりうるのかはわからないが、前世とこの事象で関連性がありそうなのは東京に住んでいたということくらいだ。どこにラースがあったのか覚えていないが、近くに住んでいたのなら世界を越えた後すぐに()いたとしてもおかしくはない。

 奇跡といえば、ルーリッドという人界においては規模の小さな村へ生まれ、ユージオと同じ年齢なのはもう奇跡としか言えないだろう。何せこの世界はリアルの千倍という速度で時間が経過しているのだから、同じ時を過ごせるなどいったいどれくらいの確立の上に成り立つのかわからない。

 そして二つ目、記憶の定着について。これは恐らく簡単な話だ。幼児が()かれた状態になったとしてもやがて成長と共に忘れている人が殆どだ。

 つまり、()かれた状態というのはゴーストの記憶をダウンロードし保存するのではなく、ゴーストの記憶をある種のインターネット的なものにより接続されている状態で、ストリーミングのように記憶を見ていると考えた方がよさそうだ。そしてゴーストとの接続が断たれると記憶を閲覧することもできなくなる。

 とすると、僕の場合は接続され続けていると考えられる。どうしてその状態に陥っているのかを考えた時、僕のフラクトライトはキューブに閉じ込められている筈だ。そのキューブからゴーストは抜け出すことができない、だから常に接続された状態になり前世の記憶を引き出し続けることができているということだろうか。

 そして、まっさらにされたフラクトライトという絶好の獲物を前に閉じ込められたゴーストが何もしないわけがない。恐らく完全に同化してしまっているに違いない。

 

「つまり僕は幽霊みたいな存在なわけか」

 

 そこまで考えて、前世で死んだことと、一月前に僕の存在を認知していた人たちは僕が死んだと思っていることを思い出して、実際に比喩ではなく幽霊となってしまっている現状に自嘲した。

  誰か新しい人間に僕の存在を認知してもらわない限り、果ての山脈沿いを徘徊する幽霊でしかない。

 

「はぁ、また面倒な……」

 

 暇つぶしに思考へ耽っている間で随分と進んでいたようだ。周囲は人っ子ひとりもいない大自然だというのに、目の前へ高さ五十メルほどの巨大な人工物が、白亜の壁が出現した。こんな存在は記憶の彼方に追いやられてすっかり忘れていたが『不朽の壁』と呼ばれる四帝国を央都から果ての山脈まで、約七百五十キロルという途方もない距離を隔てる万里の長城みたいな奴である。直線距離で千五百キロルを二枚、央都で交差するように配置されている。

 ここを越えれば、そこにある大地はイスタバリエス東帝国の領土となる。この壁を越えるには特別に発行される手形を関所の様な場所で提示しなければならない。当然この世界では死人とされている僕がそんなものを手に入れられる訳もないので物理的に越えるしかない。

 

「どうしたものか……」

 

 周囲を見渡すがこの問題を解決する方法は左方の断崖絶壁、果ての山脈をクライムするか穴を掘ってトンネルを作り、下を潜り抜けるかのどちらかくらいしか手段はなさそうだ。

 流石に五十メルほどある壁の分、断崖絶壁を上る気にはなれず、手始めに地面を掘るための道具として手近な木の枝をむしり取る。ちまちまと四時間、スコップの偉大さを思い知りながら掘り進めるが、二メル掘っても出てくるのは壁である。

 

「一体、どんだけ掘らないといけないんだ……」

 

 マントルまで伸びていそうな勢いに、あの司祭ならやりかねないなと溜息をついて山脈を仰ぐ。こうなったらクライムするしかあるまい。

 暗くなってきたので壁を越えるのは明日にするとして、薪になりそうな枝を幾らか収集し燃やす。その上に小さな銅製の鍋を置いて、歩きながら採集した山菜を入れ、余っていた鳥肉を入れ、後一月持つかどうかというところの塩を少量ケチって入れ、水を底から五センの場所くらいまで入れる。蓋を皿でして沸騰するまでちょくちょく蒸気を逃がしてやりながら煮込む。

 

「完成っと」

 

 なんとも味気ないスープのでき上がりである。一応肉も野菜も入っているので栄養的には大丈夫なのだろうが、如何せん一日二十キロルほど歩く身には量が少ない。かと言って食糧調達に時間を掛ければそれだけ時間が伸びてしまう。仕方なくこれだけの量で我慢しているのだ。

 余計なエネルギーを使いたくないので、料理の後片付けを済ませたら直ぐに寝るに限る。リュックを枕にして比較的柔らかい草地を探して寝転がる。虫にたかられた事や動物に吠えられたことはあったが、今のところは危険な害獣に出くわしたりはしてないので、割とゆっくり寝る事はできていた。念のため、周囲五メルほどの場所へ僕を中心として円状に枝葉を撒いて、大型獣が踏んだら音が鳴るようにはしてある。

 今日もたっぷり歩いた分と穴を掘った分の疲れが目を瞑ると押し寄せ、直ぐに眠りについた。

 

 

 

 

 小鳥の鳴き声が聞こえて目を開ければ朝である。リュックの中からさくらんぼくらいの赤い果実を一つ取り出して食べると甘味が広がる。四つ食べると朝ごはんは終了である。(かん)(ぼく)に生っているこの果実は一つの木に結構な数がなるので、大量にリュックへ詰め込んでいたが、暫くは果実の生る木を見ていないので残り十個しかない。

 さて、早めに壁を越して食糧を調達したい。肉はもうないし山菜も後二食分だけだ。

 改めて切り立った崖を仰ぎ、早々に覚悟を決めると掴めそうな岩を探して登って行く。身体能力はかなり高い方だし、岩場は案外凹凸が激しく掴む場所も足を掛ける場所も多いからすいすい登れる。なにより、反りたった箇所が無いと言うのは幸運だった。傾斜角九十度以上の場所なんてあった日には壁に神聖術を放ってたね。

 案外時間は掛からずに果ての山脈へめり込む壁の頂上から更に一メルほど上の場所まで辿り着いた。時間にして一時間くらいだろうか。

 

「さて、降り……待てよ、嫌な予感がする」

 

 強烈な悪寒がしたので不朽の壁には降りずに、山脈の山肌を伝って行く事とした。

 壁に降りるとどうなるのか想像を巡らせてみるが、整合騎士がすっとんでくるならまだいい方で、迎撃システム的なのが発動して死ぬなんてことまで考え着いて、余計な事をせずリスクは回避しようということに落ち着いた。

 大体、こんなに綺麗にまるで機械で造られたような壁が人界を横断しているだけでも恐ろしいのに、実は地下にも何メルか埋め込まれているとなるといよいよもって正気度を疑う。だからセンサーが張り巡らされていて、脚を踏み入れた瞬間ミサイルが飛んで来ようが驚かない。

 横移動で幅十メルほどの壁を越えると、時折足を踏み外したりしながらも、ゆっくりと降りて行く。地面が徐々に徐々に近づき、遂に残り一メルとなった。

 

「やっと、着いたー。イスタバリエス東帝国へとうちゃーく」

 

 最後の一メルを飛び降りて伸びをする。恐らくこの世界初の密入国者だ。

 空気も地面も壁を越えたところで大した違いはないが、達成感だけはあった。さっそく、今日の昼食と夕食、そして何日分かの食料を貯めるべく森の方へと向かって歩く。

 

 

 

 

 人界暦三七七年五月一八日

 

 目の前で切株に腰を掛けて快活に物語を話してくれる爺さんの一言一句を聞き逃すまいと僕は耳を傾けていた。

 

「そしてじゃ、竜は一本の剣を報酬にして挑戦者を待ったのじゃ。ところが、何人くれども骨のない奴ばかり。落胆した竜はそれ以来洞窟の穴を塞いでしまった、という訳じゃ」

 

 僕が拍手をすると好々爺(こうこうや)は朗らかに微笑んだ。

 今僕がいるのはヒノガハシ村。ルーリッドが北帝国の最北端の村なら、ヒノガハシ村は東帝国の最東端の村というわけだ。

 東帝国に入ってから約一ヶ月、ルーリッドを出発してから約二ヶ月が経っていた。八日前に一人さびしく自分の誕生日を祝ったばかりだ。もう一六歳になった。

 

「はい! 東の洞窟は塞がってるの?」

「さぁのう、村の(おきて)であそこまで行ってはならないようになってしまったからのう。竜が自ら閉ざしたという事も有って、誰も確認しに行くものはおらなんだ」

 

 元気のいい少年を演じるために元気よく手を挙げて、興味津々といった風に質問をしてみる。

 それに返って来るのは申し訳なさそうな声だった。やはりこちらの村でも洞窟より流れ出るアニシズ川から分岐したニクラ川という川を目印としてそれ以上進んではならないという村の(おきて)があるそうだ。

 

「そっか。ありがとう爺さん」

「気にせんでええわい。そうじゃ、家によっておいで。婆さんが昼飯を作っておろうて」

「ほんと!? ありがとう!」

 

 爺さんの言葉に甘えて家に厄介になることとした。僕の嬉しそうな反応を見て笑みを深くしている爺さんを見るに相当な世話焼きらしい。

 さっそくとても見覚えのある和風な爺さんの家に連れてこられて、婆さんの手料理をご馳走になっていた。爺さんも婆さんも後継者に天職を継いだらしく今は隠居生活を謳歌しているとのことだった。

 老い先短い人生、自由にできる時間を使って村の子どもたちにおとぎ話を聞かせたり、遊び相手をしたりと世話をよく焼いているそうだ。そんな爺さんを最初に見つけられたのは幸運だった。

 

「おいしそうに沢山食べてくれて、私は嬉しいですよ」

「儂もじゃ。この歳の子の世話を焼くなんて考えておらんかったからの。新鮮じゃわい」

 

 心底嬉しそうにそう言われては食べないわけにはいかないなと、囲炉裏で温められた久しぶりのちゃんとした料理にがっつく。

 一応、僕が爺さんに話したこの村へ辿り着く経緯はこうだ。

 記憶が一部欠けてしまっている(キリトと過ごしたであろう記憶が無くなっているから嘘ではない)とまず話した。そうするとそれを爺さんはベクタの迷子と解釈した訳だ。それには首を傾げつつも、爺さんは確信しているのか意見は変わらなかったし、僕も否定も肯定もしなかった。

 次にここから西に進んだ街の近くから来たと言った(生活様式が違う可能性があったのでよそ者がいても怪しまれにくい大きな街の壁門近くで観察していたから嘘ではない)。その際に街へは入れなかったとも言った。これを聞いた爺さんは街の名前を言って確認してきたが、首を傾げつつもニッポランという街の名前をゲットした。

 更に、ここへ来るまでの途中に川で水浴びをしていた際に着ていた服が流されたと話した(二ヶ月前に死を偽装するため川へ服を流したから嘘は言っていない)。だから今着ているのは下着一枚である。その上に念の為と用意していたフードつきの麻でできたマントを被っている。念のため言っておくがスーパーマンが付けている様なマントじゃない。全身を覆い隠せるタイプだ。パンツ一枚でスーパーマンが付けている様なマントを(なび)かせて歩いている奴とか変態でしかない。

 何故服が無いような話をするのかというと、明らかに服の色と様式が違ったからだ。北帝国に比べると湿気の多いこの地域に合った、風通しのいい浴衣みたいな服装だった。

 北帝国は基本的に寒いため(さく)()型の服だが、湿気が多くどちらかといえば温暖な東帝国は(かん)()型が基本だ。

 色は街では青、この村では淡い緑色が多かった。もちろん他の色もあるが服の形から違うのでそこは誤魔化しがきかないと判断した。

 以上の様に、嘘をつくこと無く事情を説明したので禁忌目録を破ってはいないが、爺さんと僕とでは相当思っていることは食い違っているだろう。

 爺さんは恐らく、ベクタの迷子が街に入れず仕方なく彷徨(さまよ)っていたところ、この村へ辿り着いたと思っているに違いない。

 真相は全く違うけれどこう解釈してもらった方が、都合がいい。

 

「そうだ、これを着なさいな。息子のお古だけど、大きさは合うはずよ」

「ありがとう、婆さん。ちょっとこの羽織だけじゃ心許なかったんだよ」

「あちらで着替えておいで」

 

 箪笥(たんす)から息子のお古だという淡い緑色の浴衣を取り出して、僕に貸してくれた。

 奥の懐かしさを覚える畳の部屋へ通されるとそこでマントを外す。外気が下着一枚しかつけてない肌を撫でて謎の開放感を(もたら)すが、すぐさま浴衣に袖を通し、前を閉じたところで帯を自分で結べない事に気が付いた。

 

「ごめん、婆さん。帯の結び方がわからないよ」

「ああ、こちらにおいで」

 

 婆さんの前でくるりと半回転し、背中を向けると帯を結んでもらう。キュッと締まった帯にどこかちゃんと服を着ているという安心感が生まれてくる。マントは被っているだけだったからどこか不安だったのだ。

 

「似合ってるわ」

「ありがとう」

 

 微笑む婆さんに僕も嬉しくなって微笑む。あったかくて優しいこの時間が前世のばあちゃんとの記憶をどこか蘇らせてくれる。

 この村でやる事はそんなにない。もう洞窟に竜がいたという話は聞けたし、そこに剣があるのも確実だ。後はこの村で塩を二ヶ月分、ルーリッドへの帰りの分だけ購入できれば要は済む。

 しかし、助けてくれた爺さんと婆さんに何もしないのは良心が許さないので、あと二日ほど滞在して色々手伝おう。

 

「そう言えばあなたのその右眼、どうしたの?」

「……えっ、えと、ちょっと怪我をして……あまり触れないでもらえると助かるよ……」

 

 誤魔化しきれずに曖昧に笑うと目をそらす。今まで触れられなかったから忘れていたが、やはり眼帯をしているのは奇異に映るのだろう。

 

「シスター・エミリアに治せるか頼んでみるかの?」

「いや、大丈夫。これは、治したくないんだ」

 

 軽く眼帯を撫でながらハッキリと拒絶した僕にそれ以上聞いてくることは無かった。

 

 

 

 

 二日間の滞在を終えて、僕は村の西側へとやって来ていた。

 朝日が照らすニッポランの街へと続く街道を眺め、次いで振り返って穏やかな表情の婆さんと爺さんに笑い掛ける。

 失った物を取り戻すと言う理由(アリスを助けるということなので嘘ではない)で、僕は央都を目指すことにしたと話してある。爺さんと婆さんは記憶のことだと思っているだろう。

 

「ありがとう。楽しかったよ」

「こちらこそ、楽しかったわ。また、困ったことがあったらおいでなさい」

「そうじゃな、生きとる限り、お前さんを歓迎するわい」

 

 別れの挨拶をしている内に目頭が熱くなってきたのを感じて、二人の言葉に頷くともう一度街道へ振り返った。街まで伸びているこの踏み固められた道を、僕は直ぐに外れて進むことになるだろうが、今だけは央都へ旅立つ気持ちで踏みしめる。

 

「爺さん、婆さん、元気でね!」

「テオも達者での!」

「気を付けなさいな!」

 

 真っ直ぐに伸びる街道を歩きはじめ、顔だけ振り向くと手を振って最後の言葉を交わす。そして、街道をもう一度見据えた僕は手を振り続けてくれているであろう二人には振り返ること無く、力強く歩みを進めた。

 

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