Sword Art Online -Project Salvation-   作:青き勇者

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第一章 アウトサイダー -Outsider- 06

 人界暦三七八年三月一九日

 

 早朝、五時半を知らせる鐘が鳴る前。いつものように井戸で顔を洗う。冷たい井戸水が顔に触れる度にキュッと目を強く瞑る。そして、手ぬぐいで顔を拭き終り、桶を元の場所に戻すと周囲を見渡す。誰かを探すように。

 いつものように会っていた存在は突然いなくなった。

 

「……四十九……五十」

 

 天気な空に一際いい音が響くも気は晴れない。疲れて座り込むと昼食の時間であることを思い出す。固いパン、それが僕の昼食。

 おいしい弁当を引っ提げて元気よくここまで来てくれた存在はとうの昔に連れ去られた。

 

「どうして僕は……」

 

 生きているのだろう。

 口には出すことなく言葉を飲み込む。僕の着ている服は大切な人がくれた大切な物。僕はこれを頼りに生きている。

 違う、弱い僕は天職を言い訳に逃げることすらできない。

 

「アリス……」

 

 長い金髪に青い瞳。いつもしっかりしていて、仕事の日はいつも弁当を届けてくれた。

 

「テオ……」

 

 短い金髪に青い瞳。いつも笑顔で僕を元気づけてくれた、いつも僕を優しく包んでくれた。

 大切な存在を失って、いつまでも続くと信じて疑わなかった日常が消えて無くなって、僕はどうして、生きているのだろう……

 

「……? もしかして!」

 

 悩む毎日。顔を(ひざ)の間に埋めていたが覆いきれなかった耳が、微かに人の気配を感じ取る。

 どこかで僕はテオが死んでいないと思っていた。どこにもテオの遺体は無かったと聞いていた。だから、テオはきっと生きていると、ちょっと遠くまで行ってしまったけど帰って来ると。

 僕は「どこにもいかないよ。例えちょっと離れるようなことがあっても必ずユージオの傍に戻って来るから」というテオの言葉を今でも信じてる。例え村の皆が死んだと言っても僕だけは……。

 だから、この人の気配はきっとテオなのだと、そう思って勢いよく振り向く。しかし、目があったのは黒髪に黒目をしたこの辺りでは珍しい少年。

 落胆の色を巧妙に隠して、僕と同じ年くらいの少年に近づくと警戒されているのか少し後退りされた。まずは話を聞いてみようと思い尋ねる。

 

「君は誰? どこから来たの?」

 

 何に驚いているのか目を丸くする少年の返事を気長に待つ。どこかぎこちない笑顔を浮かべながら彼は口を開いた。

 

「……ええと、俺の名前は……」

 

 少し口籠った彼は、しっかりと僕の目を見て名乗った。

 

「……キリト。あっちの方から来たんだけど、ちょっと、道に迷ってしまって……」

 

 彼、キリト君はそういうと来た方角という背後を示して見せた。それに僕は驚いて、僕も同じ方を指さして確かめる。

 

「あっちって……南の森? ザッカリアの街から来たのかい?」

「い、いや、そうじゃないんだ」

 

 どういうことだろうと首を傾げる。南にはザッカリアくらいしかないはずだけど。

 

「それが、その……俺も、自分がどこから来たかよくわからないんだ……気付いたら、森の中に倒れてて……」

 

 キリト君の言葉に僕は驚くが、同時に先ほどからどこかぎこちない彼の態度に得心がいった。全く身に覚えのない地で突然起きて、自分自身のことすらわからなくて、きっと混乱していたんだ。

 キリト君は話にしか聞いたことはないが『ベクタの迷子』だろう。

 

「ええっ……どこから来たかわからないって……今まで住んでいた町とかも?」

「あ、ああ……憶えてない。わかるのは名前だけで……」

 

 その返事に確信した。

 

「そうか……驚いたなあ。ベクタの迷子か、話には聞いていたけど……本当に見るのは初めてだよ」

「べ、べくたのまいご……?」

「あれ、君の故郷じゃそう言わないの? ある日突然いなくなったり、逆に森や野原に突然現れる人を、僕の村じゃそう呼ぶんだよ。闇の神ベクタが、悪戯で人間を(さら)って、生まれの記憶を引っこ抜いてすごく遠い土地に……放り出すんだ。……ずっと昔、お婆さんが、ひとり消えた……って……」

「ど、どうした?」

 

 ベクタの迷子を説明している内に、僕は一つの可能性に思い至ってどんどん声が小さくなっていく。

 そうだ、テオの遺体が見つかってないなら、きっとどこかに飛ばされちゃったんだ。だったら探しに行かないと。きっと、キリト君みたいに知らない所へ飛ばされて、僕のことも忘れてしまって、不安にしているはずだ。

 

「……い、……おい!」

「あ、ご、ごめん。それで……困ってるよね?」

 

 つい考え込んでしまってキリト君の声が聞こえてなかった。

 そうだ、キリト君をまずは安心させてあげよう。きっと、僕がキリト君に優しくしてあげれば、どこかにいるはずのテオも誰かに優しくしてもらえるはずだ。

 

「……うん。どうにも困ってるんで、一度ここを出たいんだ。でも、方法がわからなくて……」

 

 近くに人がいなくて不安だったのかもしれない。確かにこの森は深いから早く出たかっただろう。

 

「うん、この森は深いからね。道を知らなきゃ迷って当然だよ。でも大丈夫、ここからは北に抜ける道があるから」

「い、いや、その……」

 

 何か違ったのだろうかと左に首を傾げる。

 

「……ログアウトしたいんだ」

 

 次いで出たキリト君の言葉にこれまたわからず、今度は右へ首を傾げる。

 

「ろぐ……なんだって? 今、なんて言ったんだい?」

「ご、ごめん。土地の言い回しがでちゃったみたいだ。ええと……どこかの村や街で、泊まれる場所を見つけたいって言う意味なんだ」

 

 なるほどと頷く。そう言えばいつも誤魔化されてたけどテオも時折変なこと言っていたような。

 

「へぇ……、初めて聞くなあ、そんな言葉。黒い髪もこの辺じゃ珍しいし……もしかしたら南方の生まれなのかもしれないね」

「そ、そうかもしれない」

 

 まだどこか固い笑いを浮かべるキリト君に向かって、安心させるように微笑む。でも、キリト君の要望を満たせるような場所は村にはないと気付いて眉をひそめた。

 

「うーん、泊まれるところか。僕の村はこのすぐ北だけど、旅人なんて全く来ないから、宿屋がないんだよ。でも……事情を話せば、もしかしたら教会のシスター・アザリヤが助けてくれるかもしれない」

「そ、そうか……よかった」

 

 僕の言葉に安堵したのか、ほっと息を吐くキリト君にこちらも安堵する。

 

「それじゃあ、俺は村に行ってみるよ。ここから真っ直ぐ北でいいの?」

「あ、ちょっと待って。村には衛士がいるから、いきなり君が一人で入っていったら説明するのが大変かもしれない。僕が一緒に行って、事情を説明してあげるよ」

 

 早速ルーリッドへ向かおうとしたキリト君を僕は止めた。せっかく行動に移そうとしていたところで申し訳ないのだけど、衛士のことを思い出したのだ。

 

「それは助かるな。ありがとう」

 

 笑顔で礼を言ってくれるキリト君に、どうやら気にしていないようだとわかったけど、次いでまたもや肝心なことを忘れていたことに顔を俯かせる。

 

「ああ……でも、すぐには無理かな……。まだ仕事があるから……」

「仕事?」

「うん。今は昼休みなんだ」

 

 キリト君は僕が食べようとしていたパンを見つけたのか申し訳なさそうにする。

 

「あ、食事の邪魔しちゃったのか」

 

 気にしないでいいよという意味を込めて笑顔を作る。むしろ気落ちして食欲のなかったさっきまでと違って僅かながら空腹を訴えてきているお腹に、キリト君と会話をして少しでも気が晴れたんだと思うと感謝したくなる。

 

「仕事が終わるまで待ってくれれば、一緒に教会まで行ってシスター・アザリヤに君を泊めてくれるよう頼んであげられるけど……まだあと四時間くらいかかるんだ」

「大丈夫、待ってるよ。済まないけど、よろしく頼む」

 

 特に気にしていないのか頷くキリト君に微笑む。もうあれ以来笑ったりできなかったのにどうしてだろう。自然と笑顔が浮かんでくる。

 

「そうか、じゃあ、しばらくその辺に座ってて。あ……まだ、僕の名前を言ってなかったね」

 

 まだ名前を言っていなかったことに気付いて、右手を差し出すと名乗る。

 

「僕はユージオ。よろしく、キリト君」

 

 握手をした瞬間、どこか懐かしい気持ちを一瞬感じるが、気のせいだと思い手を離す。

 せっかくだからと、二つある硬い丸パンの内ひとつをおすそ分けする。といってもこれを貰ったところであまり嬉しくないだろうけどお腹は空いているはずだ。

 

「い、いいよ、そんな」

 

 慌てて手を振るキリト君だが、遠慮しているだけなはずだ。

 

「キリト君だってお腹空いてるんじゃないの? 何も食べてないんでしょ」

 

 そう僕が言った途端、空腹を意識したのかお腹を押さえて気まずそうにこちらを見てきた。

 

「いや、でも……」

 

 明らかお腹が空いているのに遠慮するキリト君へ無理やり押し付けると、ようやくパンを受け取ってくれた。

 パンを掌で転がして、少しでもキリト君の気が楽になるように微笑む。

 

「いいんだ。あげておいてこういうのもなんだけど、僕、あんまり好きじゃないんだこれ」

「……じゃあ、ありがたくいただくよ。ほんとは腹減って倒れそうなんだ」

「そうだと思った」

 

 正直に白状したキリト君に僕は笑ってしまう。

 

「それと、キリトでいいよ」

「そう? じゃあ、僕もユージオって呼んで……あ、ちょっと待った」

 

 寸でのところでキリトがパンを口に運ぶのを制止する。いつもアリスにされていたことだ。

 

「……?」

「いや、長持ちするしか取り得のないパンなんだけど、まあ一応ね」

 

 そう言って僕はパンの天命を確認するためにステイシアの窓を開いた。表示されていた数字は七だったから、まだまだ天命は持ちそうだった。

 パンからキリトに視線を移すと、驚いたようにこちらを見ていて、僕の真似をするように恐る恐るステイシアの窓を開いていた。

 まさかとは思いつつも、ステイシアの窓をじっと初めて見るかのように凝視しているキリトに尋ねる。

 

「ねえ、キリト。まさか、ステイシアの窓の神聖術を見るのまで初めてだなんて言わないよね?」

 

 首を傾げている僕にキリトは微笑んで、ステイシアの窓を閉じていた。どうやら僕の思い過ごしだったみたいだ。

 

「まだ天命はたっぷりとあるから、急いで食べなくてもいいよ。これが夏だと、とてもこんなに残ってないけどね」

 

 夏は天命が減るのが早い。だったら遅くしようだなんて考えなければよかったと、今更後悔してしまう。もう何度も後悔しているが未だに僕は抜け出せそうになかった。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 僕が思考に耽っている間に、キリトは大きく口を開けてパンに噛みついた。そこでどうやらパンの堅さに気が付いたみたいだけど、力を入れてそのまま噛み千切って見せた。

 僕もおいしくないパンに噛みつく。

 

「おいしくないでしょ、これ」

「そ、そんなことないって」

 

 僕が苦笑混じりに同意を求めると、悪いと思ったのか遠慮して本当のことを言わない。

 

「無理しなくてもいいよ。出がけに村のパン屋で買って来るんだけど、朝が早いから前の日の残り物しか売ってくれないんだ。でき立てのパンは、ほっかほっかで、おいしいんだけどね……」

「へ、へぇ……でも、頼めば焼きたても作ってくれるんじゃ……」

 

 テオに作って貰った焼きたてのほっかほっかしたおいしいパンを思い出して、僕は泣きそうになる。ただパンがおいしいだけじゃない。テオと一緒に食べるからもっとおいしかったんだと、今ではよくわかる。

 

「無理だよ。始まる時間が決まっているんだ。とも……恋人にわざわざ安息日に作って貰って焼き立てパンの味を知ったんだ……」

「それじゃあ、その恋人に作って貰ったらいいじゃないか」

 

 テオのことを友達というには、僕は好きすぎた。あの口づけを思い出して僕はテオのことを咄嗟に恋人と言ってしまった。たぶんテオもそうだったに違いないから。

 そんな恋人と言う言葉にキリトは少しにやけて話しかけてくるが、もういないんだ。

 

「……死んだ、ことになってる……」

「……ご、ごめん」

 

 僕の言葉に俯くキリトに、今まで思っていた事を聞いて欲しくて勝手に僕は喋り出す。

 

「……僕は生きてるって信じてる。例え村の皆が死んだと言っても、僕は、僕は死体が見つかってないのは、熊に食べられてなくなったんじゃない。逃げ伸びてどこかで、それこそベクタの迷子になってしまって、どこかで生きているって、そう信じてる」

 

 今まで心の中で思っていたことを口に出したことで少しは気が楽になった気がした。会って間もないのに、どうして僕はこんなことをキリトに話しているんだろう。

 あの日、僕は捜索隊に加わって夜が明けても帰ってこないテオを探していた。川でボロボロになった、血の付いた服が発見されたと聞いて、いてもたってもいられなくなったんだ。

 テオが危険な目にあったんだと、早く助けないとって気持ちばかりが急いて、唯一の情報であるシルベの葉がとれる木を目指して川を北上した。

 その先で見たのは木に大きくつけられた三本の爪痕と、シルベの葉を詰めた小さな巾着だった。捜索隊の誰かが長爪(ながつめ)(くま)だと言ったのを、僕はどこか遠い事の様に聞いていた。

 それから色んな方向に手分けをして探すことになったが、長爪(ながつめ)(くま)がいる可能性が高くなったので、遅々として進まなかった。結局、シルベの木で爪痕を見つけた二時間後にその場所を見つけた。

 大きく木につけられた爪痕、千切れた右袖、そしてそれらに染みついた赤黒い血。僕は最初、何も受け入れる事ができずに、あの光景を拒絶した。

 

「そうか……なぁ、そうだ。家から弁当を持ってくればいいんだよ。お母さんに作って貰ったら」

「……無理かな。母さんは……家族は僕の事が嫌いなんだよ。農夫の天職を与えられてる家族とは違って、木こりなんてやっている僕が。それに、ずっと昔は弁当を持ってきてくれてた人がいたんだけどね……今はもう……」

「……その人は……」

 

 テオと同じ結末を予想しているのだろうキリトは顔を俯かせて、僕に聞くと言うよりはただ呟いたように聞こえた。

 

「幼馴染だったんだ。同い年の、女の子で……小さい頃は、朝から夕方までいつまでも一緒に遊んでた。天職を与えられてからも、毎日お弁当を持ってきてくれて……。でも、六年前……僕が十一の夏に、村に整合騎士がやって来て……王都に、連れて、いかれちゃったんだ……」

 

 顔を上げて僕の話を聞こうとしてくれるキリトとは反対に、僕は何でもない地面を見つめて話を続ける。

 

「僕の……せいなんだ。安息日に、三人で北の洞窟を探検しに出かけて……帰る途中、獣が吠える声が聞こえて別の通路から逃げようとした。その通路が果ての山脈の向こう側に繋がっていたんだ。知ってるだろ? 禁忌目録に、決して足を踏み入れる事ならず、って書いてあるあの闇の国だよ。僕が(つまず)いて洞窟から出そうになったところを恋人は助けてくれたんだ。でも、その時に大けがをして恋人は気を失ってた。だから、彼女を止められたのは僕だけだったのに、僕は……助けられなかったんだ。(つまず)いた彼女が掌を地面についてしまって……。でも、たったそれだけのことで整合騎士が村にやって来て、皆の前で彼女を鎖で縛り上げた」

 

 無意識の内に手に込められた力が固いパンを潰した。

 

「……助けようとしたんだ。僕も一緒に捕まってもいいから、騎士に斧で打ちかかろうと……でも、手も、脚も、動かなかった。僕はただ、あの子が連れて行かれるのを黙って見てた」

 

 テオとは違って僕は弱かった。ただそれだけのこと。だからテオに責めて欲しかったのに、そんなことはしなかった。優しく抱きしめてくれた。

 僕は潰れたパンを口に押し込んで、噛みつける。

 

「……その子がどうなったか、知っているのか?」

 

 頭を横に振って応える。

 

「整合騎士は、審問ののち処刑する、って言ってた……。でも、どんな刑に処せられたのか、全然わからないんだ。一度、お父さんのガスフト村長に聞いてみたんだけど……死んだものと思えって……。でもね、キリト、僕は信じてるよ。きっと生きてるって」

 

 キリトの目を見て、強く言った。

 

「僕の恋人のテオも、連れ去られたアリスも、どこかで必ず生きてる……」

 

 キリトは僕から目をそらすことなく聞きとめてくれた。少し逡巡した後、パンの最後のひとかけらを飲み込んでからキリトは口を開いた。

 

「なら……探しに行ってみたらどうなんだ?」

 

 その言葉に呆然として、首を横に振る。その気持ちがないわけじゃない。と言うよりも今すぐにでも探しに、会いに行きたい。それでも、僕には天職がある。禁忌目録を破る事はできない。

 

「このルーリッドの村は、ノーランガルス北帝国のさらに北の端にあるんだよ。アリスを探しに南の端にある央都まで行くとして、早馬を使っても一週間もかかるんだ。どこにいるのかわからないテオを探すとなると、どれだけ時間がかかるか……とても安息日だけじゃ無理だよ」

「なら……ちゃんとした旅の用意をしていけば……」

「あのねえキリト。君だって僕と同じくらいの歳なんだから、住んでた村では天職を与えられてたんでしょ? 天職を放り出して旅に出るなんてこと、できる訳ないじゃないか」

「そ、それもそうだな……」

 

 頭を掻きながら失念していたという表情を浮かべて黙りこくってしまった。

 僕は喉を潤すために水筒を口に付けて、シラル水を喉に流し込む。さわやかな香りが喉をシラル水が通るたびに鼻へ抜けてくる。

 

「ええと、ユージオの村には、禁忌……目録を破って央都に連れていかれた人が、アリスさんの他にもいるの?」

 

 僕は再びキリトの言葉に驚いて、口許を拭いながら首を横に大きく振る。

 

「まさか。ルーリッドの三百年の歴史の中で、整合騎士が来たのは六年前の一回きりだ、ってガリッタ爺さんが言ってた」

 

 水筒をキリトに放り投げると、受け取ってシラル水を飲み始めた。

 

「うっ……?」

「どうかした?」

「いや、さ、寒気が」

「大丈夫?」

 

 周囲をキョロキョロと見回し始めたキリトに首を傾げて様子を窺っていると、気のせいかと呟いて何でもないと首を横に振る。

 シラル水を飲み終えると、しばらく思案した後に笑みを作って水筒を返してきた。

 

「ごちそうさま。悪かったな、昼飯を半分取っちゃって」

「気にしないで。あのパンにはもう飽き飽きしてたんだ」

 

 さっとパンを包んでいた布を纏める。焼きたてのパンが、テオと一緒に食べるパンが恋しい。

 

「じゃあ、悪いけど、しばらく待っててね。午後の仕事を済ませちゃうから」

 

 そう言いながら立ち上がり、斧を取りに行こうとする。

 

「そういえば、ユージオの仕事……天職ってきこり、だっけ?」

「うん。ああ……そこからじゃ見えないよね」

 

 僕は笑顔でキリトをこちらへと、ギガスシダーにつけた切り込みを見せるように手招きした。

 ギガスシダーの太い幹に付けられた切り込みを見て、キリトは驚きからか口をあんぐりと開ける。

 切り込みの下へ立てかけてあった竜骨の斧を肩に担ぎ、幹に刻んだ切り込みの左端、斧を振るときの定位置に立つ。足を開いて腰を落とし、斧をしっかりと両手で握りしめる。

 斧を大きく後ろに引き絞って、一瞬ためると空気を裂くようにして振り降ろす。余計な力を入れることなく切り込みの中心に命中した斧は、カァン、と澄んだ金属音を響かせる。

 この体に染みついた動作を何度も繰り返すと、その度に綺麗な音が何度も響く。今は調子がいいみたいだ。

 五十回の打ち込みが終わると、ふうっと息を吐く。斧を幹に立てかけて、休憩の為に幹から延びる大きな根へと腰掛けた。

 息が整ってきた頃、キリトが話しかけてきた。

 

「今はこのでかい木を切っているのか?」

 

 肩にかけていた手ぬぐいで汗を拭いて、少し考えた後に質問へ答える。

 

「うーん、今は、というよりずっと、この木を切っているんだよ。天職についてからの七年間で切り倒した木は一本もないんだ」

「ええ?」

 

 驚いているキリトに、僕は笑いながらこの大きなギガスシダーの幹に触れると、遥か高くの枝葉を見上げて答える。

 

「このでかい木の名前は、神聖語でギガスシダーって言うんだ。でも村の人は大抵、悪魔の樹って呼んでる。そんなふうに呼ばれる理由は、この木が周りの土地から、テラリアの恵みをみんな吸い取っちゃうからなんだ。だから、この木の枝の下にはこんな風に苔しか生えないし、影が届く範囲の樹はどれもあまり高くならない」

 

 キリトが頷いているのをみて先を続ける。

 

「村の大人たちは、この森を拓いて麦畑を広げたいと思っているんだ。でも、ここにこの木が立っている限り、良い麦は実らない。だから切り倒してしまいたいんだけど、流石に悪魔の樹と言われるだけあって、恐ろしく硬いんだよ。普通の鉄の斧じゃあ一発で刃こぼれして使い物にならなくなっちゃう。そこでこの、古代竜の骨から削りだした竜骨の斧を、大変なお金を使って央都から取り寄せて、専任の刻み手に毎日叩かせることにしたのさ。それが僕」

 

 キリトは僕の顔とギガスシダーの切り込みを交互に見て聞いてきた。

 

「……じゃあ、ユージオは七年間、毎日ずーっとこの木を切ってるのか? 七年やって、ようやくこれだけ?」

「まさか。たった七年でこんなに刻めるもんなら、僕ももう少しやりがいがあるんだけどね。いいかい、僕は七代目の刻み手なんだ。ルーリッドの村がこの土地にできてから三百年、代々の刻み手が毎日叩いてやっとここまで来たんだよ。たぶん、僕がお爺さんになって、八代目に斧を譲るときまでに刻み進められるのは……」

 

 両手で大体二十センくらいの幅をつくってキリトに見せる。

 

「これくらいかな」

 

 声も出ないくらいに驚いているのか、キリトは休憩中なにも言わなかった。僕もこの途方もない天職を初めてガリッタじいに聞かされた時は驚いたかな。

 休憩を終えて、斧を手に取ろうと立ち上がると、キリトに意外な事を提案された。

 

「なあ、ユージオ……ちょっと俺にもやらせてくれない?」

「ええ?」

「ほら、弁当を半分貰っちゃったからさ。仕事も半分手伝うのが筋だろう?」

 

 初めて言われたことにポカンとしていると、気を取り直して躊躇(ためら)いがちに口を開く。

 

「うん……まあ、天職を誰かに手伝ってもらっちゃいけないなんて(おきて)はないけど……でも、案外難しいんだよ、これ。僕も始めたばっかりの頃は、まともに当てる事さえできなかったんだから」

「やってみなきゃわからないだろ」

 

 キリトは不敵に笑って見せ右手を突きだしたので、僕は不安になりながらも竜骨の斧を渡す。

 重さを確かめているのか両手で握って、軽く斧を振っている。キリトは僕をまねるように切り込みの左に立って、両足を広げて腰を落とす。

 少し不安だけど同時に面白くもなり、肩にも腰にも力が入っているキリトを見守る。

 斧を振り上げ、全力で振り切った。しかし、キリトの振った斧が当たったのは切り込みより五センも上。鈍い音が響いて、キリトは斧を取り落とすと痛かったのか両手首を脚で挟んで(うめ)いてる。

 

「い、いてて」

 

 そんなキリトに笑いが込み上げて来て、吹き出してしまう。恨みがましい目線を右手で遮るも、笑いはとまりそうにない。

 

「そんなに笑わなくても……」

「あははは……いや、ごめん、ごめん。肩にも腰にも力が入り過ぎだよ、キリト。もっと全身の力を抜いて……うーん、何て言うかなあ……」

 

 身振り手振りで伝えようとするが、説明が少しへたな僕は言葉が出てこない。痛みは引いたのか諦め悪くもう一度斧を握ったキリトの好きにさせてやることにした。

 

「見てろよ、今度こそ命中させるからな……」

 

 今度も気合十分に斧を構えた。しかし、今回は先ほどと違って適度に力が抜けている。これは期待できるかもしれないなと思った矢先、キリトは斧を振り切った。

 樹皮にあたった鈍い音が響く。前回と同じく切り込みへ当てることはできなかったが、かなり筋のいい打ち込みだった。

 

「お……キリト、今のはけっこういいよ。でも、途中から斧を見てたのがよくなかったね。視線は切り込みの真ん中から動かさないで。忘れないうちにもう一度!」

「う、うん」

 

 その後もキリトに助言をしながら何十回目だか打ち込んだ頃に、ようやく切り込みの中心へ斧が命中し甲高い金属音を響かせた。

 そして、僕は五十回振り、キリトに変わって五十回を見届ける。そんな風に繰り返し、気付けばソルスはすっかり傾いて、オレンジ色の光がギガスシダーを照らす。

 

「よし……これで千回、っと」

「あれ、もうそんなにやったのか」

「うん。僕が五百回、キリトが五百回。午前と合わせて一日二千回ギガスシダーを叩く、それが僕の天職なんだ」

「二千回……」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で呟くキリトはギガスシダーを見上げて愕然としていた。そんなキリトの背中に声をかける。

 

「キリトは筋がいいよ。最後の方は、五十回のうち二、三回は良い音させてたしね。お蔭で僕も今日はずいぶん楽だったよ」

「いや……でも、ユージオが一人でやればもっと早く終わっただろうな。悪かったな、手伝うつもりが足を引っ張っちゃって」

 

 申し訳なさそうにするキリトに笑いかけながら首を左右に振る。

 

「この木は僕が一生かかっても倒せないって言ったろ。何せ、一日がかりで刻んだ深さの半分を、こいつは夜の間に埋め戻しちゃうんだからさ……。そうだ、いい物を見せてあげるよ。ほんとは、あんまり開いちゃいけないんだけど」

 

 毎回見る度に溜息を吐きたくなるギガスシダーのステイシアの窓を開いてキリトに見せる。232316と表示されている数字を見て先月の数字から引く。

 

「うえ……」

 

 計算し終えた僕は横でげんなりしているキリトに追い打ちをかけるように言った。

 

「うーん、先月見た時から五十くらいしか減ってないな……」

 

 自分で言っててうんざりしてきたよ。

 

「つまりさ、キリト……僕が丸一年斧を振っても、ギガスシダーの天命はたったの六百しか減らせないって事だよ。引退するまでに、残り二十万を切れるかどうか、ってとこだね。これで解ったろ……たった半日、仕事が少しばかりはかどらなくても、そんなの全然大したことじゃないんだ。何せ相手はただの樹じゃない、巨神の大杉なんだから」

 

 何故かまた思考の海に浸かりだしたキリトに声をかけた。

 

「キリト、お待たせ。村に帰ろう」

 

 村への帰り道、キリトには色々話をした。村での生活の事、ガリッタじいの事や日々の不満も少しだけ漏れてしまった。

 それをキリトはただ頷いて聞いてくれた。テオがいなくなってから、こんなに誰かと話したのは初めてだった。こんなに気分が晴れやかになっているのも初めてだった。

 斧を置いている小屋に着くと戸を開ける。一瞬ほそ長い革包みに目が行くが、すぐにそらして斧を置くと戸を閉めた。

 

「え、鍵とかかけなくていいのか? 大事な斧なんだろ?」

「鍵? なんで?」

「なんで、って……盗まれたりとか……」

 

 おかしなことをいうキリトに僕は何を言っているのかわからないと言う風に返す。

 まさか、キリトは人の物をとってはならないという禁忌目録さえも忘れてしまっているのだろうか。

 

「そんなこと、あるわけないよ。この小屋を開けていいのは僕だけなんだから」

「あれ、でも……ユージオは、村に衛士がいるって言ったよな? 盗賊が来たりしないなら、なんでそんな職業があるんだ?」

「決まってるじゃないか。闇の軍勢から村を守るためだよ」

「闇の……軍勢……」

「ほら、見えるだろう。あそこ」

 

 まだ青く背丈の低い麦が育つ畑、その奥にあるルーリッド。そして、それらのさらに奥にある果ての山脈を指さす。

 

「あれが、果ての山脈。あの向こう側に、ソルスの光も届かない闇の国があるんだ。空は昼でも黒雲に覆われていて、天の光は血のように赤かった。地面も、木も、炭みたいに黒くて……」

 

 アリスの白い手に触れた土は真っ黒に塗られていた。

 知らず、声が震えていた事に気付く。

 

「……闇の国には、ゴブリンとかオークみたいな呪われた亜人や、色々な恐ろしい怪物……それに、黒い竜に乗った暗黒騎士たちが住んでる。もちろん、山脈を守る整合騎士がそいつらの侵入を防いでるけど、ごくたまに地下の洞窟を抜けて忍び込んでくる奴がいるらしい。僕は見た事はないけどね。それに、公理教会の言い伝えによれば……千年に一度、ソルスの光が弱まった時、暗黒騎士や、少し大きい街の衛兵隊、それに央都の帝国軍までが整合騎士に率いられて怪物たちと戦うんだ」

 

 ほとんど全てを一気に話したが、キリトは心当たりがないのか首を傾げている。

 

「村じゃ、どんな小さい子どもでも知っている話だよ。キリトはそんな事も忘れちゃったのかい?」

「う……うん、聞いた事はあるような気がするけど……ちょっと、細部が違うかな」

 

 その言葉にいよいよもって、僕はキリトがこの北帝国以外の国から来たのではないかと思う様になった。

 

「そうか……もしかしたらキリトは本当に、このノーランガルス以外の三帝国のどこかから来たのかもしれないね」

「そ、そうかもな」

 

 でも、仮にそうならテオは国を越えたどこかにいる可能性が高くなる。そうなってしまうと僕には探す手立てがまるで思いつかない。

 この村から出る事すら天職があるからできないのに、ましてや国を越えて探すなんてこと……。

 それでも、僕はテオを探したい。この貰った服に刻まれた名前は今でも僕を守ってくれている。だから、異国の地で心細いであろうテオを探して、抱きしめてあげたい。たとえ僕のことを忘れてしまっていたとしても、また一から、今度は僕がたくさんのものを与えてあげたい。

 

「あれがルーリッドの村だよな。ユージオの家はどのへんなんだ?」

 

 キリトの言葉に顔を上げると僕の家を探すが、この位置からは見えそうにない。

 

「正面に見えるのが南門で、僕の家は西門の近くだから、ここからは見えないなあ」

「ふうん。てっぺんの塔がその、シスター……アザリヤさんの教会?」

「なんか……思ったより、立派な建物だな。ほんとに、俺みたいなのを止めてくれるかな?」

「平気さ。シスター・アザリヤはいい人だから」

 

 話をしながら歩いていると、水路に架かる小さな石橋を渡り終えて村の入り口に着いた。

 そこで、朽ち葉色の短髪に強気な顔立ちの衛士であるジンクが話しかけてきた。どこか僕を馬鹿にするような態度で見ているのがありありと感じ取れるが、いつものことなので気にしないようにする。

 

「おい、ユージオ。……そいつは誰だ」

 

 僕のとなりにいるキリトに気が付いたのか、視線を移して誰何(すいか)する。

 

「ジンク……彼はキリト。どうやら……ベクタの迷子みたいで」

「お前、本当に記憶がないのか?」

 

 ジンクもベクタの迷子には初めて会うはずなので、純粋に疑問に思ったのだろう。

 

「あ、ああ……」

 

 戸惑いながらも答えるキリトにジンクはなおも詰め寄る。

 

「天職も忘れちまったのか?」

「そうなんだ……」

 

 ただ純粋に質問をしているだけで余計な事は言わないから、僕としても安心していたのだが、次の言葉で僕はやっぱりと思ってしまった。

 

「ふん。どうせ大した天職じゃなかったんだろ。そこのユージオと同じで。何の意味もない無駄な仕事をしてたんだろうぜ」

 

 僕は言われ慣れているからいいけど、キリトは今知らない土地で自分の事すらわからずに混乱しているのに、こんなことを言われたら傷つくに決まっている。

 横目でキリトを見ると、顔を俯かせてしまっていた。ここは僕がちゃんとジンクを止めないと。

 

「その点、俺の衛士と言う天職は……」

「剣士。俺の天職は剣士かな」

 

 僕が止めるタイミングを見計らっている間に、キリトはジンクの言葉を遮って天職は剣士だと言い切った。それに僕は驚いてキリトを見ると自身に満ちた顔をしているもんだから、僕は一瞬記憶が戻ったのかと思った。

 

「剣士? お前みたいに細くて弱そうなのに、剣が扱えるのか?」

 

 挑発するようにジンクがキリトの体を見て馬鹿にする。

 

「ふん。だったら、見せてもらおうか」

 

 鼻で笑ってジンクが簡素な長剣を差し出すと、キリトは挑戦的な笑みを浮かべてそれを受け取った。僕はそんな二人にハラハラしながらも、すぐ近くの空き地へと移動した。

 キリトは渡された剣の(さや)を抜き取り、設置された丸太の前で何度か剣を振って感覚を確かめている。その様子からは初めて剣を握ったようには思えなかったが、まだ僕の不安は拭えない。僕の方が緊張していて、少し手に汗を握っていた。

 キリトは足を開き、剣の(きっさき)を後ろに向けると、左足を踏み込み、大きく振りかぶる。そして、青い光を発した剣を横に一閃。丸太は見事に真っ二つになった。

 僕は驚きに目を見開いて、すぐに嬉しさが込み上げてくる。キリトの剣は凄かった。青い光を剣が纏うところなんて初めて見た。

 僕は急いで剣をじっと見つめているキリトに駆け寄る。

 

「すごいよ、キリト! あんな技が使えるなんて! もしかして大きな街の衛兵だったんじゃないか?」

「そ、そうかもな」

 

 僕は嬉しさから声が弾んでしまっているの自覚した。あれだけ凄い剣技を見られたんだ、興奮してしまうのも仕方ない。

 曖昧に返事をするキリトに、剣を振る感覚は覚えていても記憶までは憶えていなかったんだと少し落ち込む。

 キリトの剣に圧倒されたのか、突っ立ったままのジンクに話しかける。

 

「ジンク……いいだろ? もうキリトを村に入れるよ」

 

 何も返事をしなかったので、剣を返してキリトを教会へ案内する。案内している間、僕はさっきの興奮がまだ冷めていなくてキリトに剣のことを一杯聞いてしまったけど、少し困っていたのに後から気付いて反省した。

 教会へ案内すると僕はキリトと別れて自宅へ帰った。久しぶりに誰かといっぱい話したからなのか気持ちが軽く感じる。

 今日キリトと話すのが楽しくて、改めて二人の大切さを思い出した。待っててね、テオ、アリス。まだどうすればいいのかわからないけど、二人を探しに行くから。

 

 

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