「――へ!?」
張りつめていたところを急に横から話しかけられ、私は間抜けな声を上げる。
振り向いてみれば、そこには僧衣を纏い、豊かな白髭を蓄えた背の高いお爺さんが。そして、
「君たち、こんなところで何をしている? 奥は立ち入り禁止だぞ」
その後ろにいる若い男性が怪訝な声で尋ねてくる。こちらも簡素な僧服を着ていて、間違いなく教会の人だ。
「え、す、すみません!」
私たちが密談の為に居た路地裏は、教会が管理する建物のすぐ側だったらしい。
「いやいや。こんな場所でどうなされたのです」
詰問するような語調の男性に対して、お爺さんはあくまでも柔和に語りかけてくる。
「えーっと、折角だし、教会の周りも探検してみよう、って思いまして」
と、私は弁解する。するとお爺さんは穏やかにほほ笑み、
「すると、余所の街からおいでに? お若いのに巡礼とは感心だ」
そう褒めてくれる。その上で、
「ですが、あまり敷地の奥に入り込むのはよろしくありませんな。お気を付けなさい」
優しく私たちを
「……はい。ごめんなさい」
若い男性はなおも不審そうな眼差しを向けてくるが、このお爺さんが偉い人なのか、言葉には出さない。
「もうお祈りは済まされたのですか?」
「いえ、まだです。綺麗な教会なので、周りをうろちょろしてたんです」
「それはいけませんな。まずはその家の主人に挨拶を済ませて、それから見て回るのが作法ですよ」
「なるほど、確かに!」
お爺さんと連れだって話しながら、私たちは教会前の広場に出る。
最初は怒られる! って思ったけど、このお爺さんすごく優しい。それに話も上手で、いかにも司祭様って感じ。
「あなた方はどちらからいらっしゃったので?」
「えーっと、タングル地方? のマトヤ村です」
お爺さんに案内されるようにして、教会まで歩いていく。
丁度いい機会とばかりに、私は積極的にお爺さんに話しかける。取り入ろう、って気はないけど、見るからに学識豊かそうな人だし、仲良くなれば
「ナオ――ナオ!」
楽しく雑談していた私に、ミリーさんが緊迫した様子で話しかけてきた。
「――?」
反射で出かかった声を呑み込み、不自然にならないよう背後を見る。
ミリーさんは私が妙な振る舞いをしないよう、話しかける時は細心の注意を払ってくれる。なのに、急に人との会話を遮るなんて、どうしたんだろう?
「……クレムの様子がおかしい。気を付けてやってくれ」
「え?」
その理由は、すぐに明らかとなった。
私の後方を遅れて歩いてくる彼女。その雰囲気が、明らかに一変していた。
首が落ちたのではというほど背中を丸め、足取りはふらふらと覚束ない。いつもの楚々として凛とした立ち姿の彼女からは、信じられない姿だ。
そして、フードの奥に垣間見える彼女の顔。
青い瞳は空を泳ぎ、桜色の唇を噛みしめ、白い肌には脂汗が滲んでいる。
何か、途轍もない苦痛に耐えるかのような表情。
「クレムさん!?」
異常事態に気付いた私は、慌てて彼女に駆け寄る。
だが、クレムさんは私が近寄ると、ビクリと肩を震わせ後ろへ下がった。
「ちょ、どうしたの!?」
始めて彼女が見せた拒絶。困惑した私は、それ以上近付くこともできずに二の足を踏む。
「具合悪いの? 大丈夫?」
それでも声を掛け続ける。ついさっきまで元気だったのに、急にどうしてしまったのか。
不安と恐怖と混乱が、酸のように私の感情を焼く。
「そちらの方がどうかなされたのですか?」
お爺さんも異常事態に気付いて、心配気に声を掛けてくれる。だが、
「…………」
クレムさんは無言を貫く。いや、わざと無視したんじゃない。答えられないんだ。
苦痛を押し殺すような、荒い息遣いが聞こえる。
「ねぇ! どうしちゃったのよ! とにかく休もう!? ね!?」
余りの異常事態に、私は半ばパニックになってそう叫ぶ。広場に居た人々が何事かと視線を向けるが、気にしてられない。
「これはいかん! おい」
「は、はい!」
お爺さんがそう言うと、御付の男性がクレムさんに駆け寄る。そっか、大きな教会なら、医務室的な場所もあるだろう。体調が悪いなら見てもらえる。だが、
「――こ、来ないでください!」
引き絞った悲痛な叫びが、広場に響く。
「え……」
彼女が放った、明確な拒絶の意思。
私は何が起きているか理解できず。頭が真っ白になる。
「ね、ねえ……どうしたの、クレムさん? 気分が悪いなら、安静にしないとだよ……」
呼びかける声が、震えてしまう。
根拠はない。それでも悪い予感が、私の背筋を総毛立たせる。そして、
「……私は、あ、あなたなんて知りません! 馴れ馴れしく話しかけないでください!」
今度こそ、彼女は私に向けて決定的な一言を告げる。
「え……」
――言葉の意味が、理解できない。
何を言われたのか分からず、私は茫然自失と立ち尽くす。
「……な、なに言ってる、の?」
辛うじて呟いた言葉は、無様に
「ここが、あなたの行きたがっていた教会です。後は勝手にしてください」
そう一方的にまくしたてるクレムさん。
ねえ、なんでそんなこと言うの?
嘘だなんてことは、分かってる。
だってあなた、今にも泣き出しそうな顔してる。
でも、悲痛にそう告げる彼女の瞳には、確かに決意の光が宿っていて。
「君は、いや、まさか……」
私が事態を呑み込めないでいると、背後から硬く強張った声が。
白髭の司祭様が、私の前へと歩み出る。そして、
「……やはりそうか。アングスト家の娘が、街に戻ったのか」
クレムさんの顔を見るや、困惑も露わにそう告げた。
× × ×
その後に起きた出来事を、私は生涯忘れることはできないだろう。
変化は劇的だった。まず、
「ひっ――」
クレムさんを介抱しようと近付いていた僧衣の男性が、悲鳴と共に飛び下がった。そして、
「……アングスト家?」
あれだけ喧騒に満ちていた広場が、水を打ったように静まる。
のどかな午後の一時を楽しんでいた筈の人々が、何か途轍もない異常を感じ取ったかのように、一斉にこちらを注視する。
それから一拍の間を置いて、彼らは再び動き出した。
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
悲鳴を上げ、或いは声すら立てず、群衆が弾かれたように広場から逃げ去る。
露天商は商品を置き去りに、人々は押し合いへし合いしながら駆けていく。
石畳を踏み鳴らす靴音と、言葉にならない叫び声が神の家の前庭をかき乱す。
「え――え?」
パニックに陥った広場の様相を、私はあっけに取られて眺めることしかできない。
大事件でも起きたかのような光景。いったい、何が起きたと言うのか。
もちろん、私は気付いていた。それが、一人の少女に起因するだろうことを。
人々が逃げ去り、そして幾人か残った者が、遠巻きにこちらを見詰める。
その視線に曝されたクレムさんは、もう落ち着きを取り戻していた。
「…………」
フードの奥に見える彼女の顔は、別人のように変わっていた。
夜の闇のように艶やかな髪。雪のように白い肌。桜色の綺麗な唇。そして、スカイブルーの澄み切った瞳。
顔のパーツは同じ筈なのに、目の前の彼女が、私の友達が、何か違うモノに変質してしまったかのようだ。
「クレメント・アングスト。オストバーグを離れた筈の君が、なぜここにいる?」
威厳に満ちた声でそう尋ねるのは、白髭の司祭様。
さっきまでの優しそうな印象は違う、明らかに問い詰める声音。
「お許しください猊下。子細ありて、この地にまかり越しました。……所要が済めば、すぐにでも立ち去ります」
よどみなく答えるその声は可憐で、まさに私の知っている彼女のままで、でも、氷のように冷たくて。
「……この娘は?」
「この場で偶然声を掛けられただけの、
「な、なんでそんな――」
「ナオ!」
平然と嘘を並べ立てるクレムさんに、私が抗議しようとする。けれど、それをミリーさんが鋭い声音で遮った。
「~~~~ッ!?」
問い返すこともできない苛立たしさに、私は幽霊少女を睨みつけてしまう。けれど、彼女は悲しげな表情で首を振る。すると、
「……そうか。信じよう」
「――え?」
クレムさんがついたあからさまな嘘を、司祭様は首肯して受け入れる。そして、
「……感謝いたします」
そう、クレムさんは無表情のまま首を垂れた。
「教会の門は全ての者に開かれている。それは君も例外ではない。ただ……」
「はい。許可なく敷地に立ち入った事。裁きを受ける覚悟はできています」
「君は何も法を侵してはいない。謝罪は無用だ。……ただ、今はこの場から立ち去ってもらいたい。……この娘のことは、確かに取り計ろう」
「……お心配りに、重ねてお礼を申し上げます」
お爺さんとそう言葉を交わすと、何事もなかったかのように踵を返して、広場から立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
去り行く背中を追いかけようとして、
「来ないでッ!」
クレムさんが、悲痛にひび割れた声でそう叫ぶ。
「ッ……」
あまりの剣幕に、私の足が止まる。彼女は肩越しに視線を送ると、
「――さよなら」
別れを告げ、走り去った。
「…………」
急変する事態に、理性も感情もまったく付いて行かない。
私の頭の中はもうぐちゃぐちゃで、何が何だか一つもわからない。
「……さて、次は君にも話を聞かせてもらいたい。安心なさい。私たちは君たちの関係を口外しない」
そう、白髭のお爺さんが私に語りかける。
その声音と表情があまりにも優しくて、私の胸で
「――なんで、なんであんな酷い事言ったんですかッ!」
怒りで頭が真っ白になった私は、訳も分からずお爺さんにそう叫ぶ。
さっきの出来事が何故起きたかなんて知らない。けれど、このお爺さんがクレムさんに話しかけなければ、きっとこんな事にはならなかったんだ。
「おい貴様っ!」
御付の男性が凄い形相で怒鳴る。でも、
「なんでクレムさんがあんな目に遭うんですか! あの子が何したって言うんですか! ――私の友達なんですよ!?」
私は感情の高ぶるままに、そう叫ぶ。すると、
「……そうか。彼女は君に伝えなかったのか。致し方なかろうが、咎められるべき行いだ」
お爺さんは深々とため息をついて、頭を振る。その仕草に精神を逆撫でにされた私は、
「――仕方ないって何がですか!」
力の限りそう叫ぶ。だがその時、
「落ち着くんだナオ! クレムの心遣いを台無しにするつもりか!?」
私にしか聞こえない、私にしか見えない存在が、必死にそう訴えかける。
「~~~~ッ!」
端正な美貌を確かに翳(かげ)らせ、幽霊少女が私の身体に取り縋る。
掴めない手で服を握りしめ、切実な眼差しで私を見詰める。
「――っ!」
ミリーさんの声に、私は辛うじて怒気を鎮める。
確かに私は、憤怒に我を忘れかけていた。彼女が止めてくれなければ、怒りにまかせてもっと酷い事を口走ったかもしれない。
「……」
多少は落ち着いた様子の私に、お爺さんも御付の男性も緊張を解く。そして何か躊躇うように視線をさまよわせると、
「彼女、クレメント・アングストは君に己の事情を伝えなかったのか?」
お爺さんは厳粛な面持ちで問うてきた。
「……言いたくないことを言わなくて、聞きたくないことを聞かなくて、それの何が問題なんですか?」
私は激情を必死に抑え込みながら、震える声でそう尋ねる。すると、お爺さんは悲しそうに目を伏せ、
「それがあの子の罪だ。……彼女は他人と関わるべき人間ではない」
痛ましげにそう呟く。
「他人と仲良くなっちゃいけない人間が、いったいどこに居るんですか!」
その取り澄ました物言いに、私の中で再び怒りが燃え上がる。だが、
「彼女と関わった人間は社会との繋がりを剥奪される。それは他者に不幸を強いる行いだ。――彼女はアングスト家の娘。千人の首を刎ねた、処刑人の子なのだから」
続いて告げられた言葉に、私の思考は再び真っ白になった。