街に暮色が迫る頃、私たちはようやくアングストさんの邸宅を探し出すことができた。
――いや、正しくは
「ひどい、なんでこんな……」
オストバーグは南西に位置するサレス区。雑然とした住宅街の一角に、その建物はあった。
お世辞にも綺麗とは言いにくい街並みに比べ、その邸宅は周囲から浮くほど立派だった。
敷地は小さな公園ほどはあろうか。質素ながらも風格を漂わせた、石造りの御屋敷だ。
けれど、敷地を囲う鉄柵には固く錠が下ろされている。それだけじゃない。御屋敷の扉や窓は無惨にも焼け焦げていて、中が丸見えになっている。
「……確認してきたぞ。中にはいないようだ」
街路に立ち尽くす私に、御屋敷から抜け出してきたミリーさんがそう語りかける。
いろんな人に尋ねてまわって、ようやく見つけ出したアングストさんの家。
しかし、そこは見るも無残な廃墟となっていた。
前当主――つまりはクレムさんのお父さんが亡くなった後、誰かが屋敷に火を掛けたらしいのだ。そして相続人の娘が街を出て行ったから、焼け跡のまま放置されている。
とても人が寝泊まりできるような環境じゃなくて、案の定、クレムさんも居なかったみたい。けれど、私の胸に芽生えたのは落胆ではなく、もっと深い怒りと悲しみだった。
「こんなことして、何のためになるっていうの?」
会ったことはないけれど、クレムさんのご両親が残酷な人だったなんて考えられない。それはあの子と少し話しただけで、確信を持ってそう言える。
罪人に刑罰を与える仕事だって、誰かがやらなくちゃいけない。真面目に仕事をしただけの人が、何故こんな仕打ちを受けなければならないのか。
「……もとより、刑吏は忌み嫌われる仕事だ」
「他者の命を奪い、教会の教えに背き、権力者の
「っ、でも!」
「今朝の市門での騒動を覚えているか? 私たちは暴虐な兵士に憤った。だが、権力とは多かれ少なかれああしたものだ。あれが首を斬られた者の身内なら、どれだけ理由を付けようと納得はするまいよ」
「ッ……」
「それに、どの仕事であっても清廉な人物の方が少ない。余所の街では処刑を楽しむような刑吏も見たことがある。人の悪意は、そう簡単に拭えはしない」
「…………」
何か反論しようとして、結局言葉は出てこなかった。
誰も頼ることができず、ただ人々に畏れられ、蔑まれ、恨まれる日々。それが地獄でなくて、何なんだろう。
私はうなだれたまま、夕日の差し染める石畳の上に立ち尽くす。すると、
「すまない。言葉が過ぎた。人間とはそうしたものだと、つい頭から決めてかかってしまう。……君やクレムのような、違った人間もいるのにな」
ミリーさんが優しくそう微笑む。
「――ありがとう。そうだよね。今一番辛いのはクレムさんだもんね。こんな所でへこたれてられない」
幽霊少女に励まされ、私は気合を入れなおす。
けれど、唯一の当てだった実家が空振りとなると、いったいどこを探せばいいのか。
もうじき日も暮れる。そうなれば、人探しもできなくなってしまう。すると、
「……心当たりと言う程ではないが、少し思いついた場所がある。行ってみないか。なに、此処からはそう遠くない」
ミリーさんがそんな事を言い出した。
× × ×
太陽が市壁の向こうに沈もうという頃。私たちはようやく探し求めていた人を見つけることができた。
サレス区の外縁、市壁の近くにあるその一画は、薄暗くて、土と草の匂いが混じった、湿っぽい空気が漂っていた。
住宅地から離れた場所に、
けれど、行き交う人の姿は無く、話声はおろか、鳥や虫の鳴き声すら聞こえない。
全てが時を止めてしまったかのような、静寂の世界。
周囲に植えられたイトスギが、地面に濃い影を落とす。
そこは、王都オストバーグに設けられた外国人用の墓地だった。
「……刑吏は市民と同じ墓には入れない。どれほど街に尽くそうとも、余所者や流れ者と同じように扱われ、この場所に葬られる」
ミリーさんが、寂しそうにそう呟く。
私たちの視線の先には、墓石の前に
「ッ――」
喜びか、それとも安堵か、ひょっとしたら同情の想いもあったかもしれない。
ほんの数時間離れただけなのに、彼女を見ただけで、私は湧き上がった感情で胸が押し潰されそうになる。
「平気か?」
そんな私の様子を心配そうに見つめ、幽霊少女が声を掛ける。そして、
「……私とてクレムに声を掛けてやりたい。だが、私ではあの子に必要な言葉を与えることはできないだろう。……ナオ。頼めるか」
灰色の瞳を不安気に伏せ、そう呟く。
「大丈夫だよ。やっと会えた――ううん、やっと、やっとあの子のことが分かったんだもん。ちゃんと、お話して来るよ」
私は深呼吸を二つして、歩き出した。
あの子の話をいっぱい聞こう。そして、あの子に思いを伝えよう。
× × ×
夜のとばりが、王都に降りる。
静寂と薄闇に包まれた墓地を、私はいつもと変わらない足取りで進む。
「ねえ、私もご挨拶していい?」
どんな風に彼女に話しかけようか悩んだけれど、結局、出てきたのは素直な言葉だった。
「ッ!?」
クレムさんが慌てて振り返り、驚愕の形相で私を見詰める。
普段あれだけ気配に敏感なのに、よっぽど思いつめてたんだなぁと、私は開き直って落ち着いてきた。
「な、なぜ!?」
「探すの大変だったんだよ。もう足ぱんぱん。――あ、逃げるの無しね。逃げたらミリーさんに何処までも追いかけてもらうから」
私は墓石の前にしゃがむと、静かに両手を合わせる。その後、クレムさんがしていたように隣のお墓にも。胸の中で、彼女の家族に自己紹介をする。
「~~~~っ!」
クレムさんは中腰のままで何か言いたそうだったけど、祈りを妨げるようなことはしなかった。そして、
「なんで、なんでこんなところに来たんですかッ!」
私が祈りを終えて立ち上がると、クレムさんは紛れもない憤怒と共にそう言い放つ。
「今なら誰も見ていません! はやくこの場から立ち去ってください! 教会に戻って、猊下をお頼りになるんです。さあ早く!」
何時もお淑やかで、凛として、優しかった彼女が、綺麗な顔を怒りに歪めてそう叫ぶ。
今まで一度も見たことのない、鬼気迫る表情。
でも、私は少しも怯まない。真正面から彼女に向き合うって決めたから。
「ごめん。折角紹介してもらったんだけど、教会の件は断っちゃった」
悪びれることなくのたまう私に、クレムさんはしばし絶句する。そして、
「――ふざけないでくださいッ!」
今度こそ激昂してそう怒鳴った。
「じゃあ何のためにここまで来たんですか! 何のために私があなたを――ッ、とにかく、あなたは故郷に帰らないといけないんです!!」
青い瞳を輝かせ、クレムさんが噛みつかんばかりの形相で叫ぶ。
けど、そんな彼女を前にしても私は至極冷静。いや、ちょっと違う。胸の内にふつふつとわき上がってきたこの感情は――怒りだ。
「なんであなたにそんなこと決められないといけないの?」
喉から出た言葉は、自分でも信じられない程に冷たかった。
「ッ――」
氷のような一刺しに、クレムさんが一瞬怯む。けれど、
「なにを――最初にあなたが言ったんじゃないですか! 故郷に帰りたいって! だからこうしてこの街まで来たのに、それを今更になって翻(ひるがえ)すなんて!」
すぐに烈火の如き怒りをぶちまける。
「ああ、そんな話もしたっけ」
ぞんざいに言葉を返しながら、私はいったい何を怒っているのだろうと、冷静に頭を巡らせる。原因はすぐに明らかになった。この子、
「どういうおつもりですか……」
冷笑するような私の返答に、クレムさんの怒りのステージが一段上がる。
「なら、あなたはこの地に永住するおつもりですか? それもいいでしょう。
もう怒鳴ったりしない。低い声でそう
その視線には、あるいは憎しみすら込められているかもしれない。
「あれ? あんな安物のスプーンのこと、まだそんなに気にしてたんだ?」
私は売られた喧嘩を真っ向から買おうと、彼女をせせら笑う。
「ごめんね。そう言えば元はあなたのだっけ。……返そうか?」
わざとらしく肩を竦める私に、クレムさんがぐっと歯を噛みしめ、
「無用です。私はそのような事の為に、あなたに施した訳ではありません」
侮蔑も露わに、そう吐き捨てる。
その言いざまに、私の怒りはさらに昂ぶる。そして、
「そうだよね。別に私の為じゃないもん。――あなたが私にしてくれたことは、全部自分の為だったんでしょ?」
――ついに、私は彼女の胸を刺し貫く一言を放った。
「あなたの過去はだいたい聞いた。……ねえ、何も知らない私と話ができて、楽しかった? 怯えて頼ってくる私の世話を焼くの、嬉しかった? 右も左も分からない私の手を引いて、満足だった?」
怒るでも嘲るでもなく、淡々とそう尋ねる。
私に詰問され、クレムさんの表情が見る間に蒼白になっていく。
「でも、あなたは偉いよ。ちゃんと自分を
ここまで残酷な言葉がでるなんて、思いもしなかった。
けれど、私は彼女を責め続ける。――この怒りは、喜びの裏返しだからだ。
「あ……」
クレムさんは何か言い返そうとして口を開き、そして言葉を喉に詰まらせる。
墓地を吹き抜ける冷たい風が、容赦なく私たちの服をはためかせる。
私は辛抱強く、彼女の返答を待った。やがて、
「……私は……いえ。おっしゃる、とおりです」
観念したように、力なくそう呟く。
「私は、あなたを……身勝手な希望にしました。何も知らないあなたを、
そして、彼女は刑場に引き立てられた罪人のように、自分の罪を語り始める。
「あなたが、
綺麗な顔を絶望の苦痛に歪めて、彼女は語る。
「それだけじゃない。……私はずっと、あなたとの旅が続けばいいと思ってたんです。何か事件が起きて、あなたが故郷に帰れなくなって、それで、それで、そうしたら、私と、ずっと、一緒に……」
最後の方は言葉にならず、代わりに涙の色が混じる。その独白を聞き終えた私は、
「あなたは、全然、何も分かってない」
そう語り始める。――ああ、駄目だ、気持ちを伝えたいのに、声が震える。
「あなた一人で、全部悪いことを被った気になって、それで、あなたは満足しちゃう。……本当に悪いのは、友達の痛みを知ってて無視した、馬鹿な私なのに」
「え?」
「私ね、あなたが辛い事情を抱えてるの、とっくに気付いてたんだよ? でも、私は知らない振りして誤魔化した。……言いたくないなら聞かないでおこう。仲良くなればいつか話してくれるだろうって。……あなたが傷ついて、苦しんでるのに、私は自分が可愛くて目を逸らし続けた」
私の声が、涙に染まっていく。
「ち、違います……そんなこと――」
「違くないッ!! あなたに罪があるなら、私にだってあるもん! あなたは私に伝えなかった。私はあなたに尋ねなかった!
……だから、だからこうして、二人で罰を受けてるんだ」
私は腕で目元を擦り、涙で滲む視界を拭う。
「クレムさん言ったよね? 私を勝手に希望にしたって。でもそれ、逆なんだ」
昂ぶる心を、なんとか抑えて。
私は思いを言葉にする。この気持ちを、彼女に伝える。
「いきなり水の中に落とされて、何も着てなくて、全然知らない林の中をさまよって、……私がどれだけ心細かったと思う? ずーっと混乱しっぱなしで、藪から音がするたびに怖がって、お腹も空いて、喉も渇いて。寒い林の中で、ひとりぼっちで死ぬのを覚悟した時、どんな気持ちだったと思う?」
震える膝を懸命に動かして、私は一歩一歩、前へ進む。
「真っ暗闇の中で意識が遠のいて、それで、暖かなベッドで目が覚めた時、私がどれだけ驚いたと思う? ――あなたに会えて、私がどんなに嬉しかったと思う?」
もう、私もクレムさんも、涙を止める事なんてできなかった。
「――あなたが、あなたが……私の希望だったんだよ」
私は涙をぬぐい、鼻を啜りながら、震える声でそう伝える。
クレムさんはもう、大粒の涙を止めどなくこぼして、子供みたいに声を上げて泣きじゃくる。
私はようやく彼女の側まで辿り着くと、倒れ込むようにしてその身体に抱きついた。
「――だから、お願い。勝手に居なくならないで
……さよならなんて、言わないで」
後はもう、言葉に何てできなかった。
私とクレムさんは抱き合ったまま座り込み、そのままいつまでもいつまでも泣き続けた。
夜の風が私たちを撫でる。でも、少しも寒くは無かった。