地平の彼方から、日がまた昇る。
まばゆい光が石造りの街に色彩を与え、人々が夢の世界から目を覚ます。
王都オストバーグは南西にある貧民街。
苔生した古い家屋で、私たちもまた、新たな一日を始めようとしていた。
「はい。それじゃあ確認です」
朝起きて、身支度を済ませた私たちは、これからの生活について話し合っていた。
この街に来たのは、私が地球に帰る方法を探すため。
でも私はわがままで、クレムやミリーさんと離れ離れになりたくない。
なので、性急な手段は取らずに、じっくり情報を集めることになったのだ。けれど、それには大きな問題が。
「まず私! 今日はお仕事を探してきます!」
――お金がないのだ。
いや、そこまで苦しいわけじゃないんだけど、長期間の滞在になるなら節約して、ちゃんと収入も得ないと。
アングスト家はかなり裕福だったらしく、没落した後でもクレムには相当な額の遺産が相続されていて、銀行に行けばお金も下ろせるらしいんだけど、流石に何時までも友達の懐をあてにするのは格好が悪い。
自分で食べる分くらいは、何とか自分で稼がないと。
実際問題、オストバーグは都会らしく物価が高い。収入も無しに居座り続けるとお金がどんどん目減りしていく。先行きが不透明だからこそ、生活基盤はしっかり安定させたいと思う。そして、
「次、クレム!」
「は、はい。私は家の掃除をします!」
変なテンションの私に合わせて、彼女が背筋を正して答える。
節約生活を始めるにあたって、問題になるのは衣食住だ。
それらのうち、衣服はまあ、そんなに優先しなくて大丈夫。ある物でしばらく平気。
食べ物は一番大事なところだけど、私たちには食べ物を増やせる
ただ、住居に関してはどうしようもない。それに家賃は一番お金が出ていくところだ。
なので、まだしばらくこの家に住もうかという話になった。
空き家を不法占拠していることには変わりがないので、暮らしむきが軌道に乗れば引き払うけど、それまではここを仮住まいにする。
問題なのは、この家が御世辞にも綺麗ではないことだ。
窓から差し込む朝日に、埃がキラキラと舞う。
昨日は寝床の所を掃除しただけで、家の中はまだまだ雑然としている。
床には埃や泥が堆積し、壁はぼろぼろ、天井には蜘蛛の巣がかかっていて、不衛生極まりない。
なので、快適に暮らしていけるようクレムに掃除をお願いしたのだ。……生活用品も揃えていきたいけど、それは追々考えよう。
「よし! じゃあ次ミリーさん!」
「朝から元気だなぁ君は……」
私の問いかけに、幽霊少女が呆れたように息をつく。
いや、こういうのはある程度勢い任せでやらないと、スイッチが入らないので。
「先ほど話したように、私は街を見て回りたいと思う。……ああ、君の言葉に倣えば、情報収集班だ」
そしてミリーさんはというと、オストバーグ中を訪ね歩いてもらい、私の帰還方法に繋がる情報を探してもらうことになっていた。
なんでも、彼女が最後に王都に来たのは十年程前で、街の様子が記憶と随分変わっているらしい。
有力者や街の勢力図も様変わりしただろうし、それらも調べておきたいとの事。
実際問題、帰還方法を探すために教えを乞おうとしても、誰に聞けばいいのか分からなければ手の施しようがない。
といった次第で、ミリーさんには市中の散策をお願いした。
……まあ、彼女は幽霊なので、どうしたって盗み聞きになっちゃうんだけど、悪用しないし、関係ないことは聞かないので、何とかそれで容赦してもらうということで。
「ところで、君は本当に大丈夫か? 信用していない訳ではないが、ひとりで職探しとなると……」
話が纏まったと思いきや、ミリーさんが心配気にそう言う。
考えてみれば、私たちが完全に別行動をするのは今日が初めてだ。
「私はナオさ――ナオを信じています。……けれど、あまりご無理はなさらないでくださいね?」
と、クレムも不安そう。
「だーいじょうぶだって。地球じゃバイトもしてたし、別に危ない事しようって訳でもないんだから」
大船に乗ったつもりで安心なさい。と私は胸を叩く。
実際、割のいい仕事がそんな簡単に見つかるとは思えないけど、そこは頑張り次第だ。
「私も働ければいいのですが……」
クレムが憂いを帯びてそう呟く。
最初は彼女も働きに出るつもりだったのだが、市民のアングスト家への恐怖を考えれば、それもちょっと難しい。出自がばれてしまえば、雇ってくれたお店は間違いなく潰れてしまうだろう。なにか、在宅ワークでも見つけられればいいんだけど。
「クレムだってこれ全部片付けるの大変だよ? 別に一日でしようとしなくていいからね」
自虐モードに入る前に、そう笑いかける。
どんな用事でも、日々を生きるのは大変だ。だから手分けしたり、力を合わせたりするんだから。
「何か面倒に巻き込まれれば、とにかくその場から逃げることだ。巡回する警備兵は頼りにはならないだろうし、ならず者も追いかけてまで小銭を拾おうとは考えない」
と、ミリーさんが忠告してくる。
過保護だなぁと思うけど、やっぱり大事にされてるのは嬉しい。
「オーケー任せて。それじゃあ皆さん、今日も一日、頑張っていきましょー!!」
方針が定まったところで、私は掛け声と共に手を上げる。
クレムは恥ずかしそうに、ミリーさんは無表情だけど案外乗り気で腕を突き上げる。
さあ、新生活のスタートだ。
× × ×
「ふーん、なかなか詳しいね」
「はいそりゃもう! 作るのも食べるのも大好きですから!」
室内に漂うのは、食欲をそそる香ばしいパンの香り。
王都を流れるエネト川の南岸、タルマラ区は、多数の商店がひしめく繁華街となっている。現在私は、そこで見つけたパン屋さんに飛び込み営業をしていた。
「こらこら、売り物食べてもらっちゃ困るよ」
「あはは、すみません。でもここのパンどれも美味しそうですもんね。外歩いてて匂いでピーンと来ましたもん!」
求人も出していないお店に押しかけた割に、店長さんは快く応対してくれた。丁度、朝の分のパンが売り切れた時間帯だったのがよかったのかも。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……でも君、読み書きできないんだろ?」
「あ~、はい。でも商品はすぐ覚えますし、計算だったら得意ですよ! 足す引く掛ける割る、全部ばっちりです!」
私はいつもの二割増し元気に明るく、ハキハキ答える。私には何の武器も無いんだから、とにかく愛嬌で勝負だ。
そうして面接は順調に進んでいる、かに見えたのだが、
「う~ん……ナオさんねぇ。君、どこに住んでるの?」
「えっと、サレス区のミーバー通りです。けっこう距離ありますけど、ちゃんと通えますよ!」
「ミーバー通り?」
通勤時間を答えると、店主さんが訝しげに目を細める。
「あの辺りは貧民街だ。君、ひょっとして外の人かい?」
「えっ」
貧民街に暮らしていると知ると、店主さんの声音が露骨に変わる。そして、
「やっぱりそうか。悪いんだけど、余所者は雇えないんだ」
やれやれと言わんばかりにそう首を振る。
「え、え、そんな! 私ちゃんと働きますよ! 悪い事なんてしません!」
そう食い下がるも、店主さんはもう面接を続ける気もなさそうに、
「そんな話じゃないんだ。うちは代々ここで商売してる真っ当なパン屋だよ。ちゃんと組合にだって入ってるんだ。市民以外を雇ったら、信用に傷がつく」
そう言い切った。
「うっ、それは……」
私は返す言葉も無く押し黙る。ミリーさんが朝言っていた通りだ。
この街のおもだった仕事には、それぞれの組合があって、就業するには厳しい審査をパスする必要がある。
その中でも、このオストバーグで生まれ育った市民であることは、多くの組合が定めている必須条件だ。
私にはちょっと分かりにくかったけど、この世界で「市民」というのは、それだけである種の社会的ステータスになるそうだ。
よく「名も無き市民」なんて言うけれど、何処の誰かがはっきりと分かるのが「市民」なのであって、何処で生まれて何時やってきたかもしれない流れ者とは、天と地ほどに信用が違う。それに、
「はあ……アンタもオストバーグなら働き口があると思って出てきたんだろうけど、うちらとしても困るんだよね」
市民とそれ以外、つまり余所者や貧民とは、根深い確執があるらしい。
市民にすれば、勝手にやってきて低賃金、低技能で仕事を取ろうとする余所者は目障りな存在で、余所者の不法就労を取り締まってくれと、政府に嘆願書を送ることもしばしばだという。
「アンタまだ若いんだし、地元に帰って真面目にやりなよ」
そうして私は面接を打ち切られ、半ば放り出されるようにパン屋を後にする。
「……地元に帰るためにやってんだっての」
思わずそう毒づいてしまう。そりゃあ向こうの言い分も分かるけど、あんなに頭ごなしに否定しなくてもいいのに。
「まあ、最初からそう上手くはいかないよね」
もともと断られるのは覚悟していた。それにオストバーグはめちゃくちゃ広いのだ。仕事なんて山ほどある筈。焦らず探していこう。
私は弱気の虫を追い払い、決意も新たに石畳を歩き出した。
× × ×
で、駄目だった。
「ちくしょう。……こんなに可愛い女子高生が働いてやるって言ってるんだぞ」
日もだいぶ傾いてきた午後。私はタルマラ区のとある広場の隅っこで、バゲットを齧りながら恨み言を呟いていた。
「そんなに、そんなに私は要らない子なのか……」
あれから酒場や雑貨屋など、いろんな店舗に雇ってくれと頼んでみたのだが、成果は散々なものだった。
「だいたい何よ、女は要らないって……」
そもそも求人してないお店はともかく、やっぱりネックになったのは私が市民でないことと、女であるという点だ。
まあ地球とは考え方が違うのは仕方ないけど、そもそも女性を職場に入れない業種も多い。それに扱いだって、どう頑張っても男性のおまけみたいなものだ。
「はぁ~」
思わずため息がこぼれる。
流石の私も、パワハラ気味の面接を連続で喰らうと心が荒む。
クレムとミリーさんに大口叩いて出てきた手前、成果なしというのも恥ずかしいし。
「どうしよっかなぁ」
味もそっけもないパンを口に運びながら、私は唸る。
まともなお店で働けないとなると、あとは、ちょっとアングラっぽい仕事が選択肢に上がってくる。さっきの話、余所者や貧民が営む仕事だ。
「う~ん、やっぱり怯むなぁ……」
実入りが悪いのはしょうがないとしても、たぶん労働環境はかなり悪い。そもそも、法に触れるような仕事もあるっぽいし。
かといって、お金を稼ぐ他の手段も思いつかない。
地球でそれなりの教育を受けたとはいえ、所詮私は世間知らずの子供だ。知らない土地で商売を始めるなんて無謀すぎる。
特技と言えるのは料理ぐらいだけど、それにしたって素人芸の域は出ないし。
ていうか。この世界の料理も普通にレベルが高い。
得られる食材に限りがあっても、料理人はその中で試行錯誤するものだ。お店を切り盛りしているプロに、アマチュアが勝てる道理もない。
「はぁ……」
何度目とも知れないため息がこぼれる。
何かこう、否定され続けるとへこむなぁ。自分が必要とされていない人間になった気がする。いや、友達もいるし、そんなこと言ったら罰が当たるんだけど。
「……節約もしていかないと駄目だし」
人から見られないように、皮袋の財布を取り出して残金を確認する。
中には銅貨と大銅貨、それに銀貨が数枚。それなりに豪勢な食事もできるけど、とてもそんな気分にはならない。
クレムはなんやかんやでお金持ちの子なので、割とどんぶり勘定なところがある。ミリーさんはそもそもお金を扱わないので、生活に関する話は実感が伴わないらしい。まあその分、冷静な意見もくれるんだけど。
とにかく、実質的に財布を管理しているのは私なので、責任もそれだけ重い。
生活費にはまだ当面余裕があるので、切羽詰ってないのだけが救いだけど。
「……とりあえず、調べてみるだけ調べてみようか」
市民のお店で働くのは無理かもしれない。こうなればちょっとヤバい仕事も視野に入れるべきだ。実際に働くかはともかくとして、調べるだけなら損は無い。
「喉渇いてきちゃった……」
硬いパンを呑み込むと、口の中がパサパサだ。
オストバーグは食文化の豊かな街だけど、飲み物に関してはバリエーションが少ない。というかアルコールばっかりだ。お茶やコーヒーもあるっぽいけど、まだ一般庶民までは広まってないみたい。
幸い井戸水はそのまま飲めるみたいで、広場には公共の水飲み場がある。
しっかり水分補給して、もうひと頑張りしようと私は気力を奮い立たせた。
――広場に男の怒声が轟いたのは、その時だった。