ナオのゴスペル   作:抱き猫

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22 私たちのお仕事

 

 

 雄鶏の鳴き声を目覚ましにする生活にも、もう慣れた。

 

 寝床からむくりと起き上がった私は、寝ぼけ(まなこ)を擦りながら部屋を横切り、窓の戸板を開ける。

 黎明の薄明かりが部屋をぼんやりと照らし出す。ふと、視線の端に真っ白なドレスが揺れる。

 

「おはよう。ナオ」

 

 椅子に腰かける幽霊少女が、私に優しく語りかけた。

 

「おはよう。ミリーさん」

 

 睡眠を必要としない彼女は、夜の時間をずっとひとりで過ごす。

 

 街へと出かけることもあるみたいだけど、だいたいはこうして、私たちが夢の世界で遊んでいるのを静かに見守ってくれている。

 

 彼女になら、寝顔を見られても恥ずかしいと思わないから不思議だ。それどころか安心感さえある。……うん、やっぱりお母さんみたい。

 

「うお、けっこう冷えるなぁ」

 

 窓から吹き込む冷気にさらされ、目が一気に覚める。

 そのまま台所に移動して、朝の身支度を行う。あまり時間は無いので、朝食の準備は後回しだ。

 

「う~ん……にゅ」

「起きて~クレム。朝だよ~」

 

 身だしなみを整えると、私は再び寝床へと戻って、布団を掻き抱いているクレムの肩を揺する。

 この子、普段の立ち居振る舞いは完璧なんだけど、ただ一つの欠点として、朝がめちゃくちゃ弱い。

 

 別に寝かしといてあげてもいいんだけど、そうすると寝坊したのを昼まで謝り倒すから、結局のところ起こした方が面倒がない。

 

「……ナオ? 壁を登るつもりなら、アリに付いて行けばいいんですよ?」

「うん。そうだねそうだね……って、また変な夢見てるな」

 

 とろんとした目で寝言を呟くクレムをほっといて、私は寝床をさっと掃除する。だいたい二、三分で覚醒するので、それまでの内に朝の準備をしておく。

 

「お、おはようございます!」

 

 やがて、しゃんとしたクレムが恥ずかしそうにやってくる。

 

「はいおはよー。髪、やったげよーか?」

「へ、平気です! すぐに手伝いますので」

 

 慌ただしく身支度をするクレムを横に、私は仕事道具の点検を始める。

 部屋の一画には、特大サイズの革製の水筒が三十余り干してある。私は薄明かりの中で、それらに穴が開いてたり、ごみが付いていないか確認する。そして、

 

「すみません。お待たせしました」

 

 と、クレムも合流。水筒の検品を任せて、私は台所へ移動する。

 

「さーて」

 

 取り出したのは、レモンシロップの入った壺だ。

 

 私は聖示物(ミュステリオン)のスプーンを取り出し、シロップを大きめの水差しに移していく。

 そして、水瓶からひしゃくで水を注ぎ、適当な濃さに希釈する。

 

「作った分から詰めてってー」

「はい」

 

 そうしてできたレモネードを、クレムが漏斗(じょうご)で皮袋へと注ぎ込んでいく。いっぱいになったら、厳重に栓をして、また新しい水筒へレモネードを注ぐ。

 

「今日は何人くらいいらっしゃるでしょうか」

「うーん、ひとまず三十有ればいいんじゃないかな。来たらまた作るし……っていうか、ぼちぼち水筒の方が足りなくなりそう。買い足した方がいいのかな?」

 

「そうですね。折角来ていただいたのに、売り物が無いと可哀想ですし」

「でも結構高いんだよなぁこれ」

 

 雑談をしながら作業に没頭していると、外から澄んだ音が聞こえる。教会が鳴らす朝の鐘だ。

 

「あ、もうそんな時間か。ヤバいヤバい」

 

 私は袋詰め作業が粗方済んでいるのを確認すると、ぱたぱたと玄関へ移動。

 閂を外して、木戸を開く。すると、

 

「あ、姉ちゃんたち、おはよう!」

 

 そう元気な声に出迎えられる。

 

「はーい。おはようみんな!」

 

 私たちの家の前には、既に三十人近くの子供たちの姿があった。

 貧民街の道は狭いので、通行の邪魔になるんじゃないかって混雑ぶりだ。

 

「もうできてるよー。はい、メル君、ロレッタちゃんも」

 

 私は家の中から水筒を持ってきて、呼び売りの子たちに渡していく。

 皆がわっと集まるので、クレムも出てきて二人で対応だ。

 

 中身の詰まった水筒を渡して、代金を受け取る。大銅貨ならいいけど、全部銅貨だと細かくなって確認が大変。まあ、最近は誤魔化す子もいなくなったからいいけど。

 

「いつものことだけど重くない?」

 

 呼び売りの子たちは、すでに仕入れてきた商品を籠に満載している。

 その上で、私たちの渡した水筒を背負うのだ。中身がいっぱいだと、たぶん七、八キロぐらいはある。子供の肩には酷すぎる重量だ。

 

 大人の呼び売り商人は手押し車を使ったり、ロバに荷車を引かせたりするけど、彼ら子供にはそんな資本はなく、己の体だけが頼りだ。けれど、

 

「平気だよ。今日は温かくなりそうだから、どうせすぐ空になっちゃうさ! 時間があれば、昼過ぎぐらいにもう一回くるよ」

 

 メル君は楽しそうにそう言う。他の呼び売りの子たちも、うんうんと頷いている。

 

 私たちが始めたレモネードの販売は、嬉しいことに快調な滑り出しを見せていた。

 業務としては、清涼飲料水を製造し、呼び売りの子たちに卸して代金をもらう。

 

 呼び売りの子たちは、水筒を抱えて道行く人々にレモネードを勧めて回る。持ち歩いているコップを差し出し、その場で飲んでもらうこともあれば、お客さんが用意した容器に移し替えたりもするそうだ。

 

 値段は一杯分で六テラ。銅貨六枚分と極めてお手頃だ。あ、もちろん小売価格で、私が子供たちに卸している値段はもっと安い。ハッキリ言って、価格破壊も同然の廉価だ。

 

「じゃあみんな、気を付けてね」

「ありがと姉ちゃん。またな!」

 

 無事に商品を配り終え、私たちは去っていく少年たちを見送る。

 水筒は貸出なので、夕方この家に返しに来る。売れ行きが良い時は、レモネードを補充に戻ってきたりもするので、すっかり子供たちとは顔なじみだ。

 

「ふふ、皆様元気で可愛らしいですね」

 

 と、クレムも目を細めて笑う。

 

 あまり人前には出られない彼女だけど、流石にあんなに小さな子供たちなら、彼女の出自を知っている筈も無く、安心して話ができる。

 心優しい彼女は、子供たちに懐かれてとても嬉しそう。

 

「さて、それじゃあ私たちもご飯にしようか」

 

 慌ただしい朝の時間が過ぎると、やっと一息つける。

 私たちは伸びをして朝の清浄な空気を吸い込むと、お腹の虫をやっつけるため家へと戻った。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「それでは、行って参りますね」

「は~い。皆さんによろしく伝えといて」

 

 朝の販売が終わり、朝食を取り終えると、クレムはフードを目深に被り、手にはバスケットを提げて外出する。

 

 彼女が持っているのは私が朝に焼いたパン。それを聖示物(ミュステリオン)のスプーンで増やしたものだ。

 行先は、この貧民街で暮らすお年寄りや病人の家。満足に食事ができないお宅に、パンを配って回るのだ。

 

 ――施しをしても構わないか。と私に頼んできたのはクレムだ。

 

 この家で過ごした最初の日。掃除を任された彼女は、何か使えるものがないか付近を調べて回り、そこで貧民街の人々の劣悪な暮らしぶりを目の当たりにしたと言う。

 

 元気に働く呼び売りの子だって大変な境遇だが、この街には、さらに悲惨な暮らしを強いられている人々もいる。

 老いで、病で、満足に身体を動かす事すらできず、頼れる親類も無く、路上で物乞いをすることさえ困難で、教会や市民の施しを受けて、何とか日々を過ごす人たち。

 

 街にはそんな人々を助ける救貧院もあるらしいけど、定員は常にいっぱいで、しかも環境は御世辞にもいいとは言えないらしい。

 クレムはそんな人たちの為に、家々を回って介護をしているのだ。

 

「ホント、良い子だよなぁ」

 

 食事を届けるだけでなく、彼女には医術の心得もあって、体調の優れない人をケアして回っているらしい。

 

 薬とかはないけれど、あの子、ツボ押しやら整体やら、東洋医学っぽい技能を納めているみたいで、しかも抜群に効く。

 

 なれない肉体労働で私が背中の筋を違えてしまった時、クレムがマッサージをしてくれたら、一晩で痛みが引いて元通りになってしまった。

 

 もうこれで食べていけるんじゃないかと思うんだけど、やっぱり彼女の出自から、マンツーマンでの接客業はけっこう難しい。訪問介護だって、なるべく顔を見せないようにしてるらしいし。

 

 クレムだって辛い立場なのに、それでも人々を助けようとするのだから、私は彼女を心の底から尊敬する。

 

「では、私もそろそろ出かけるとしよう」

「うん、いってらっしゃい」

 

 クレムが出かけて、ミリーさんも街の散策に出た。

 私が家に残った理由は、店番の為だ。

 一応、レモネード屋さんは夕方まで開けている。朝方出遅れた子や、商品が売り切れてしまった子たちが訪ねて来るので、誰かが店に居なければならない。

 

 別に明確な取り決めはないけど、クレムとはだいたい朝と昼で交代する形。夕方は明日の仕込みもあるので、二人で作業する。

 

「えーと……」

 

 店番をしている間に、昨日の売り上げを計算して帳簿を付ける。

 文字はクレムやミリーさんに教えて貰いながら勉強中だ。

 

 言葉は自然に話せるので、文法に関しては問題ない。単語も自然に頭に浮かぶので、やる事と言えばスペルを覚えるだけ。まあ、文語表現とか特殊な変化とかもあるみたいだけど、簡単な文章ならもう読み書きできる。

 

「……けっこう光熱費が重たいなあ」

 

 実際の所、レモネード屋はかなり儲かっている。

 

 このペースを維持できれば、月収換算で平均所得の三倍ぐらいの売り上げにはなるんじゃないかな。

 呼び売りの子たちには格安で卸しているけど、仕入れ値がほぼ只というのはやっぱり強い。ほとんど丸儲けだもん。

 

 初期投資として調理器具や水筒などの出費もあったけど、それも遠からずペイできる。

 ただ、一応井戸水を煮沸消毒してるから、薪代がかなり掛かるのだ。

 

 田舎じゃそこらの共同林から好きなだけ取ってこれたけど、都会だと薪炭(しんたん)もお店で買い求めなければならない。

 別に井戸水はそのまま飲んでも平気みたいだけど、やっぱり商品として出すなら食中毒は怖い。

 

 まあ、酒類が常飲されているのは生水のリスクを避ける意味もあるし、ソフトドリンクを売り物にする以上、避けては通れない課題なんだけど。

 

「ふ~む。次は何にしようかなぁ……」

 

 帳簿をつけ終わると、私は別のことで頭を悩ます。

 レモネードの次に売り出す商品についてだ。

 

 この世界には冷蔵技術なんてないので、基本は旬のものに合わせて商品を切り替えていかなければならない。レモンは割とギリギリで手に入れられたけど、これからどんどん暖かくなる。春から夏は、基本的に果物の端境期(はざかいき)だ。

 

「スポーツドリンクでも作ってみるか。フルーツビネガーとか、どこかに売ってないかな」

 

 ジャムとか果物の砂糖漬けとか、いろいろ作りたいものもあったけど、素材が手に入らなければ流石にどうしようもない。シーズン的に苺はどうかな。あ、野菜のジャムとかもいけるかも。

 

「ちゃんとしたパン焼き窯があればなぁ」

 

 別に飲み物や果物に限らなくても、砂糖をふんだんに使えるなら焼き菓子なんかも商品としては有望なんだけど、この家の小さなかまどだと上手く作れる自信がない。

 

 朝に作ったパンだって、発酵が上手くいかなかったのかフライパンで焼いたからか分からないけど、いまいちふっくらとは仕上がらなかった。ドライフルーツはたっぷり入れたけど、正直、味なら商店街のパン屋さんの方が間違いなく上だ。

 

「むむむ……」

 

 羽ペンをナイフで削りながら、私は思案する。

 

 ――でも、こうして悩むの、ちょっと楽しい。

 異世界に飛ばされてどうなることかと思ったけど、友達ができて、暮らしがそれなりに安定してきたら、毎日がとても充実している。

 

 朝起きて、元気一杯働いて、毎日いろんなことを考えて、心が躍るような体験にも出くわして、へとへとになったら家に戻って、友達と語り合って眠る。

 

 新鮮な活力に満ちた日々。地球に居た頃も楽しかったけど、あの頃はまあ、いろんなしがらみもあったし。

 

「…………」

 

 私はぼんやりと、誰も居ない室内を眺める。

 時間に隙間が空くと、ついいろんなことが頭に浮かぶ。たとえば、

 

「何で、私だったんだろ」

 

 私が、この世界に辿り着いた意味。

 そして私を導いた、子供の泣き声。

 きっと何かの理由が、誰かの事情があるのだろう。それを調べるために、ミリーさんにも骨を折ってもらっている。でも、

 

「まぁ、いっか」

 

 私はいつしか、その事をあまり気にしなくなっていた。

 きっと毎日が楽しいから。ここで出来た友達が、大好きだからだ。

 

「――姉さま、いらっしゃる?」

 

 私が物思いにふけっていると、とんとんと木戸を叩く音がする。

 次いで、可愛らしい女の子の声。呼び売り少女のロレッタちゃんが訪ねてきたのだ。

 

 

 

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