商品開発のための材料を色々買いこむと、私はミリーさんと二人で貧民街の家にまで戻ってきた。
もう日は西に傾いている。あれこれ見て回ったから時間がかかってしまった。
この世界での照明器具、ランプにオイルは貴重品なので、生活サイクルはお日様を基準に回っている。どんな仕事でも、明るいうちに片付けるのが基本だ。
「しまった。今日は遅刻してばっかりだ」
私は買い物籠をぶら下げながら、荒れた石畳をたったか走る。すると、
「あら。ナオ、ミリー様。お帰りなさい」
小道を曲がったところで、偶然にもクレムに出くわした。
「うわごめん! ひとりでやらなくていいのに!」
私が罪悪感に苛まれたのは、彼女が日課の水汲みを行っていたからだ。
「私も持つよ。――っていうかよくそれだけ持てるね」
呼び売りの子が返してくれた皮袋を持って井戸へ行き、洗浄してから、翌日分の水を詰めて持ち帰る。
私たちの仕事で、一番体力を使う所だ。
なにせ、中身入りの水筒は一つ七、八キロぐらいある。それを三十個ばかり持って運んでするのだから大変だ。
手押し車でもあれば楽なんだろうけど、結構高くてまだ買えてない。
「平気ですよ。私、これでも力持ちなんです」
と、クレムは朗らかに笑う。いや、それは知ってるけど、四つも抱えてケロッとしてるのは流石に凄すぎる。男の人でもキツイんじゃないかな?
「やはり暖かかったので、今日は売れ行きがよかったみたいですよ。皆様早くに戻られました」
道々雑談を交わしながら、クレムと我が家へ。
買い物籠を置いて、私も仕事へと戻る。
海綿を括り付けた細い棒と、空っぽの水筒を持ち、再び井戸へ。
貧民街といえども、共同井戸はけっこう綺麗に整えられている。幸いこの街は水資源が潤沢なので、大量に使っても怒られることはない。
ただ、朝の慌ただしい時間に井戸を占拠すると白い目で見られるので、余り人の来ない時間を狙って作業する。
「よっと、ふう」
井戸から釣瓶を引き上げ、皮袋に水を容れ、自作の柄付きスポンジで中を洗う。
「色々と素材を組み合わせてみて、夏向けの商品作ろうと思うの。クレムも味見してね」
「はい。――ふふ、ナオの作る料理はどれも美味しいので、楽しみです」
「ぎゃー、あんまりプレッシャーかけないで」
もう日課になった作業なので、お喋りをしながらでも手は澱みなく動く。
「ふんぬ!」
そうして綺麗になった水筒に水を詰めて、また家まで運ぶ。私は流石に二つで限界。いや、持つだけならもうちょっといけるけど、家まで歩いてる途中で力尽きかねない。
そうして家まで水筒を運ぶと、中身を大きな鍋に移す。
かまどに火を入れて、お湯を沸かすのだ。
「あれ? 水筒の数足りてなくない?」
貸し出した数と返ってきた数が一致していないので、私は小首を傾げる。
あんまり疑いたくはないけど、呼び売りの子に商品を持ち逃げされたこともあるので、一応は警戒する。すると、
「そういえば、メル様とロレッタ様がまだお見えになっていませんね」
と、クレムが教えてくれる。
「あ、ひょっとして私が引きとめちゃったから、まだ街で売ってるのかな」
あの二人に限っては、不義理をされる心配はしていない。ただ、昼の出来事があるので、それで残業を強いているなら恐縮だ。
まあ、その日に売り切ることができなくて、翌日返しにくることもままあるから、そこまで気にしなくてもいいだろう。
「よいしょっと」
お湯が沸くと、中身を一旦大きな盥に移す。すぐに水瓶に入れると割れちゃうおそれがあるので。
そうして空になった鍋にまた水を入れて、再び火に掛ける。なんだかんだで量があるし、この作業で薪代がかかってしまうのだ。
「ちょっと早いけど、先に体洗っちゃう?」
待ち時間が長いので、私はクレムにそう提案する。
この世界でのお風呂は、もっぱら行水だ。
ちゃんと湯船につかる入浴法もあるけど、まずバスタブを用意しなければならないし、お湯はりも大変なので、よっぽどのお金持ちしかできない。
日本人の私としてはかなりのストレス要因だったんだけど、なんだかんだで慣れてしまった。でも、脳内の欲しいものリストにちゃんとバスタブは書き留めてある。
「そうですね。では……」
クレムは室内に物干し用のロープを渡すと、そこに寝床用のシーツを掛ける。別に女同士見られて困るものでもないけど、育ちがいい彼女はちゃんと目隠しをする。
「お湯、先に頂きますね」
「はいどうぞ~」
私は台所で鍋を見張りながら、夕食の準備に取り掛かる。かまどは塞がってしまっているけど、下ごしらえだけ先に済ませてしまう。
「あ、洗濯物も取り込まないと」
と、私は軒先に吊るしていた衣類を取り込む。洗ったのが昼だったし、分厚い羊毛製なので、まだまだ生乾きだ。
クレムに断って、洗濯紐に吊るしていく。色気も何もあったもんじゃないデザインだけど、貧民街だと服はそれなりに貴重品なので、目を離すと盗まれかねないらしい。それにしても、お金目当てとは失礼な連中だ。美少女二人の服なのに。
「あ、そういえば石鹸まだあったっけ?」
「はい。もうしばらくは持ちますよ」
石鹸は高級品だけど、我が家では常備している。現代人として、女子高生として、流石にそこは譲れない。
石鹸の品質は結構良くて、泡立ちが細かくて洗い上がりもしっとりしている。
ただ、めちゃくちゃ髪がごわつくのでケアが大変だ。
ちゃんと櫛を通して、髪油で保湿する。クレムは艶やかで綺麗な黒髪だけど、やっぱり毎晩の手入れは欠かさない。
「もういけるかな」
私は沸騰した鍋を火から外すと、作業を中断して夕食の支度に掛かる。
食事用のお鍋をかまどへ乗せ、漬け置きした野菜くずの出汁を注ぐ。あ、水で漬け置きする時はちょっとだけお酢を加えるのがポイントだ。コクが出るし殺菌にもなる。
一口大に切り分けたかぶ、玉ねぎ、きゃべつ、ソーセージを順々に投入。ローリエも入れて、具材が柔らかくなるまで煮込む。塩で味を調えれば、ポトフの出来上がり。
テーブルに鍋ごと持っていく。もちろん、マスタードの小瓶も準備してある。あとはちょっと硬くなっちゃったけど、朝に焼いたパンを並べて準備完了だ。
「すみません。代わりますね」
すると、湯あみを終えたクレムが出てくる。湯上りで美人度が跳ね上がってるけど、残念ながら服はそのままだ。まあ、洗濯物が乾くまでしばらく着たきり雀なんだけど。
「あ、どうしよっか。もうご飯出来ちゃったし」
タイミングを間違えてしまった。ご飯を食べるとお風呂が冷めちゃうし、お風呂に入るとご飯が冷めちゃう。
「どうぞ、先に身体を清めてください。台所は見ていますので」
と、クレム。彼女もミリーさんも、食卓はみんなで囲むものだと思ってくれている。
「ごめんね。ささっと入っちゃうから!」
「どうぞお気になさらず、ごゆっくりなさってくださいね」
まだ沸かさなきゃいけないお湯もあるし、ほかの作業はクレムに任せて、私も湯あみを先に済ませる。
そうしてさっぱりすると、三人そろって夕食だ。
「ほう、これは……薬味の有る無しでここまで印象が変わるのか」
私は隣に座るミリーさんにスプーンを差し出し、さっそくポトフを味見してもらう。そうして、
「それで、あれから何人か来た?」
「はい。六名様がお見えになって。追加でレモネードをお渡ししました」
と、正面に座るクレムと仕事の話を共有。
それからは、お互いに今日あったことを報告し合い、和やかに食事を楽しむ。
食事が済むと、手早く後片付け。
明日の準備を仕上げてしまうと、歯を磨いて寝る準備を始める。
日が暮れてしまうとホントに外は真っ暗で、街は一気にお休みモードになる。室内で作業するにもランプの薄明かりだけが頼りだし、油代ももったいないので(食用油だから増やせるけど)早く寝ちゃうに限るのだ。
「クレム、髪触らせて~」
「は、はい。どうぞ……」
ベッドメイキングを済ませて、寝る前に軽くお喋り。
私は割とウェービーな髪質なので、クレムのさらさらヘアがうらやましい。この子、いつもきっちり結い上げてフードで隠しちゃうからもったいないと思う。
まあ、寝る前なのであまり凝ったのはできないけど。櫛でよく梳いて、ゆったりした三つ編みにする。
「何回見ても、その石綺麗だよね」
髪を触りながら、私はクレムが首から下げているペンダントに視線を向ける。
優美な細い鎖に繋がれているのは、ランプの光を受けて輝く青い石だ。
まるで黎明の空のような、あるいは深い深い海のような、何処までも引きこまれそうなほどに美しい、混じり気無しの
一分の狂いも無い楕円系に磨き上げられ、内側から輝きを放つかのような宝石は、クレムが肌身離さず身に着けている、アングスト家の家宝だ。
「ありがとうございます」
蒼い宝石を手に乗せ、どこか切なそうに彼女は微笑む。
アングスト家が難に遭った時、銀行に預けていた資産はともかく、クレムは家の品物をあまり持ち出すことができなかったそうだ。
いずれ混乱が収まってから屋敷共々相続するはずだったんだけど、火事で全部焼けてしまった。
幾らかの品々は、お父さんの遺言で知り合いの人たちに預けられたそうなんだけど、今更出向いて返してくれとも言いにくいみたい。
クレムの胸に輝く宝石は、家族の形見なのだ。
「いやーでも、ホント綺麗だよね。私そこまで貴金属には興味ないけど、この宝石は欲しい。手の届く値段なら絶対買うよ」
湿っぽい雰囲気になるのを嫌って、私は明るくそう話しかける。
今はまだ生活が大変だけど、やっぱりおしゃれだってしてみたいもの。
クレムも私も、着飾って街を歩いたらきっと楽しい。
「そうですね。そんなことが叶うなら、さぞかし素敵でしょうね」
「そうそう。だから頑張ってお金稼がないと! この世界って服が高いんだよねぇ」
と、私はぶーたれつつもクレムの髪を仕上げる。
そうして他愛ない雑談に興じつつ。楽しいひとときを過ごした。
「今日も一日お疲れ様でした」
「はい」
「うむ」
夜も更けて来ると、私がみんなにそう挨拶する。これで消灯の時間だ。
こうして、私たちのなんてことのない、それでいて素晴らしい一日は終わるを迎える。――筈だった。
× × ×
「――な、何!?」
今まさにランプを消そうとしていた矢先、とんとん、と木戸を叩く音がする。
こんな時間に訪問客なんて、今まであった試しがない。
私とクレムは驚いて寝床から飛び起き、靴を履いて立ち上がる。
「……私が見てこよう。君らは声を立てるな」
と、ミリーさんがいち早く反応する。
この街では、繁華街を除いて夜間の外出者はかなり少ない。
単純に危ないし、警備隊の人も目を光らせて巡回しているから、よっぽどの事情が無い限りは誰も出歩かないのだ。
それにそもそも、この家に私たちが住んでいることを知っている人はほとんどいない。
警戒心は嫌でも高まる。――しかし、
「ナオ姉さま。私です」
と、戸口の向こうからは聞き覚えのある声。
可愛らしいその響きは、呼び売り少女のロレッタちゃんのものだ。
「え! どうしたのこんな時間に!」
私は驚いて玄関に駆け寄る。
昼のことがあったし、夕方にも姿を見せなかったし、ずっと気にはなっていたのだ。
それがこんな夜更けにやって来るなんて、何か問題でもあったのだろうか。
「ッ、待てナオ!」
「――へ?」
なぜか、背後からミリーさんが鋭い声でそう叫ぶ。
私は何事かと振り返りつつ、すでに閂を引いたドアを開けてしまった。そして――
「え……」
私の目の前、四角く切り取られた闇の中に、頭巾姿の少女が居た。
だが、彼女を見た途端、私は強烈な違和感に襲われる。
お転婆でおしゃまで、それでも優しいロレッタちゃんが、まるでマネキンのように無表情なのだ。
少女の余りの変貌ぶりに、私は慌ててどうしたのか尋ねようとする。けれど、
「な――」
その言葉を遮るかのように、少女が新たな動きを見せた。
糸で引かれたように右腕を持ち上げ、人差し指で私を指し示す。
あまりに無機質で不気味なその所作に、私は思わず後ずさる――ことができなかった。
闇の中から唐突に伸びた男の手が、私の腕を掴んだからだ。