ナオのゴスペル   作:抱き猫

27 / 77
27 悪夢の旋律

 

 

 メル君の誘導に従い、私たちは貧民街の片隅にある小屋に逃げ込むことができた。

 

「……付近に人影はない。だが、連中はまだ執拗に捜索を続けている。しばらくは動かない方がいいだろう。もう少し周囲を見てくる」

「わかりました」

「うん? どうしたの?」

 

 呼び売り少年が案内してくれたのは、街路を清掃するための掃除用具が納められた物置小屋だ。

 ただし、誰かが管理している訳でも無さそうで、狭い小屋には、粗大ごみのような物が雑然と押し込まれており、私たち三人は座ることもできない。

 

 メル君は貧民街で寝泊まりしていたこともあり、隠れ家としてこの小屋を使っていたらしい。滅多に人が通らないし、そもそも意識から抜け落ちる建物だから、今まで誰にも見つかったことはないらしい。

 

「ありがとうございます。お蔭で助かりました」

 

 と、クレムが一切の警戒を解かないまま、硬い声で礼を述べる。

 私はまだ精神が昂ぶっていて、まともに言葉も喋れない。

 

「……うん。間に合ってよかったよ」

 

 メル君も事態の深刻さを(おもんばか)ってか、緊張した面持ちだ。

 

「そのお顔は、どうなされたのですか」

 

 クレムがそう尋ねる。本人にその気はないのだろうけど、真剣過ぎて威圧するような雰囲気になっている。普段の私なら執り成しているところだけど、まだ頭がちゃんと働かない。

 

「…………ごめん。姉ちゃんたちが追われてるの、たぶん俺の所為かもしんない」

 

 すると、メル君が罪悪感を滲ませてそう呟く。

 そうして、彼は知り得る限りの事情を説明してくれた。

 

 ――ことの起こりは、昼過ぎにまでさかのぼる。

 いつも通り街で商品を売りさばいていた彼は、同僚のロレッタちゃんと遭遇したそうだ。

 彼女は全然荷が捌けておらず、このままでは大損になってしまうと、二人して方々を売り歩いたのだが、その折に不思議な話を聞かされる。

 

 ――曰く、ナオ姉さまが光るスプーンを持っていた。と。

 

「~~~~ッ!!」

 

 その話を耳にした瞬間、私の顔から音を立てて血の気が引いた。

 

 私だ。この騒動を引き起こしたのは私の自業自得だ。

 ロレッタちゃんにレモネードを淹れた時、私はいつもの癖でシロップ壺に挿したスプーンをそのまま使った。

 

 なんて馬鹿な事をしてしまったんだろう。あれだけミリーさんに気を付けるよう言われていたのに、私は他人の前で聖示物(ミュステリオン)を使ってしまったのだ。

 

「それで、事務所に帰ってもその話をしてたら、偶然居合わせた親方が血相を変えて……」

 

 少年たちとは異なり、親方はその現象の意味を正しく理解したに違いない。

 そして、上司や朋輩(ほうばい)たちとはかり、聖示物(ミュステリオン)を奪うために私たちを襲ったのだ。

 

「ごめん、ごめんよう姉ちゃん。でも俺、絶対喋らなかったんだぜ。……けど、親方にぶん殴られて気を失って、目が覚めたら周りに誰もいなくて、それで慌てて姉ちゃんたちに報せようと思って……」

 

 語り続けるメル君の声が、涙で掠れる。

 

「違う、違うよ……」

 

 私は喉から声を絞り出し、必死に少年の罪を否定する。

 

「私が悪いんだ。私の所為で、あなたも、ロレッタちゃんも酷い目に……」

「――姉ちゃん、ロレッタがどこ行ったか知ってるの!? 酷い目にあったって……くそ、あのデブ親父ッ!!」

 

 私の呟きに、メル君が反応する。

 あの呼び売り少女は今どうしているのだろうか。どうみてもあの子は自我を失っていた。暗示でも掛けられたのか、あるいは薬物でも使われたのだろうか。

 

 怪我をしていた様子はないけれど、下手をすればそれより酷い。後遺症とか残ったりしたらどうしよう。

 

「う――」

 

 鉛でも詰まったかのように頭が重い。ひっくり返りそうな程に胃が痛い。

 私はもう、自責の念に押し潰されそうだ。

 

「どういった経緯であれ、まず咎められるべきは略取を企てた者たちです」

 

 すると、クレムが凛然とそう告げる。

 

「確かに、みだりに富を見せびらかせば、誰かに悪心を抱かせるやもしれません。ですが、それを奪おうとした人間より罪深いことがありえましょうか」

 

 真っ暗闇を通して、彼女の気遣いが伝わる。

 

「今は、目の前の事だけを考えてください。全ては危局を脱してからです」

 

 クレムが力強い語気で、私をそう励ます。すると、

 

「実際問題、状況は加速度的に悪くなっている。早急に手を打つべきだろう」

 

 小屋に新たな声が。偵察に出ていたミリーさんが戻ってきたのだ。

 

「追っ手はラーナー一家の手の者だ。呼び売り親方が構成員だったらしい」

 

 ミリーさんは小屋の外を見張りながら、声だけで会話に参加する。

 

「連中、諦めるつもりは毛頭ないようだ。貧民街の出口を抑え、民家を片端から調べて回っている。ここはしばらく安全だろうが、夜明けまではもたないだろう」

 

「包囲の詳細は?」

「貧民街の東と南を封鎖し、東から虱潰しだ。人数も続々と増えている。……流石に警備隊も動いているが、まだ押し問答をしている段階だ。どちらにせよ、彼らにラーナー一家と事を構える気があるかは疑問だが」

「西には市壁がありますし、逃げるとすれば北ですね。橋は見張られているでしょうが、いざとなればエネト川を泳いで渡りましょう」

「え? さっきから誰と話してんの?」

 

 クレムとミリーさんが小声で作戦会議をする。メル君が困惑しているが、流石に説明している余裕はない。

 

「機会を窺い、一気に北上します。サレス区さえ抜けることができれば、当座の危機は脱せる筈です」

「妥当だな。その後はどうする?」

 

 すっかり萎縮してしまった私は、二人の会話に耳を傾けることしかできない。

 

「……やはり、教会をお頼りするしかないでしょう」

「そうなるか。……やむを得ないな」

 

 二人は街からの脱出方法、延いてはその後の身の振り方まで話を詰める。

 

 聖示物(ミュステリオン)を所有していることがばれた私たちは、暴力団のラーナー一家に追われている。

 なら、まず頼るべきは治安組織なのだろうけど、市の警備隊は評判が悪いことで有名だ。私たちは流れ者だし、暴力団との軋轢をおそれて、下手をすれば身柄を売られかねないとのこと。

 

 直接、王宮や貴族の家に助けを求めるという手段もあるけど、手元に聖示物(ミュステリオン)がない以上、取り合ってもらえない可能性が高い。

 

 この街の有力者で、個人的な繋がりがあるのは大聖堂のケンプ様だけだ。

 世間的な建前はともかく、あのお爺さんは私やクレムに同情的だったし、事情を話せば保護してもらえるかもしれない。

 

「でも……そうしたら」

 

 私はおずおずと口を開く。

 頑なに教会を頼ろうとしなかったのは、クレムと離れ離れになりたくなかったからだ。

 

 仮に教会に助けてもらっても、処刑人の娘の彼女と、聖示物(ミュステリオン)に選ばれた私とでは、きっと同じ場所には居させてもらえない。……それが嫌で、他の手段は無いか探そうって、この街で暮らすことにしたんだ。

 

「致し方ありません。……私はナオが、友達が無事でいてくれるなら、それだけで心から幸せです」

 クレムが私の手をそっと握る。ほのかな温もりが、恐怖に凍えた体に染み入る。

「……でも、でも、ホントにそれでいいのかな」

 

 けれど、私はその話を承服できず、子供のように嫌々をする。

 

「え?」

「だって、それじゃあ私、何にも返せてない。――メル君に、ロレッタちゃんに迷惑かけて、クレムやミリーさんに全部おっ被せて、それで私だけ助かるなんて……」

 

 言葉をつかえさせながら、私は胸の内を語る。

 

 異世界にやってきた私は、たくさんの人に迷惑を掛けた。

 食べる物も着る物もなくて、ぜんぶ人から恵んでもらってばかりで。

 

 でも、それだけの善意を受けたのに、誰にもお返しする事もなく、面倒を押し付けて逃げるなんて、そんな真似をして、ホントにいいんだろうか。

 

 そんなことを考えられるような状況じゃないし、現実的な手段なんて限られてるのも理解している。

 けれど、私の胸の奥底で、他ならぬ私自身が問いかけるのだ。

 

 ――ここで逃げて、いいのか。

 

 何もかも捨てて、ただ安寧を買って、それで私は、自分を許せるのだろうか。

 脳裏に響く、鈴の音。逃れられぬ過去が、私の心を締め付ける。

 

 私はもう二度と、後悔したくないのに。

 

「ナオ……」

 

 クレムが心配気な吐息を漏らす。手を握る力が、ほんの少しだけ強くなる。

 

「それもこれも、追っ手を撒いてからだ。彼らに捕まってしまえば、一切の自由は奪われてしまう」

 

 心情を吐露する私を、ミリーさんが冷静に諭す。

 確かに彼女の言う通りだ。まずは逃げ延びないと、思い悩むこともできない。

 

「うん。ごめん。……ちょっと変になっちゃってた。今はとにかく、頑張って逃げよう」

 

 私は何とか勇気を奮い立たせ、気力を取り戻す。

 奇妙な笛の音が聞こえてきたのは、その時だった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「いったい何の合図だ。……気を付けろ。連中が動きを変えるやもしれん」

「う、うん――」

 

 ミリーさんの警告に、私は緊張に唾を呑み込む。

 深閑とした夜の貧民街に響く、笛の音。

 それだけでも十分気味が悪いのに、さらに奇妙なのは、旋律が嫌に陽気なことだ。

 

「なんでこんな楽しそうな……これ、行進曲?」

 

 私は石壁の向こうから聞こえてくる笛の音に、思わず顔を(しか)める。

 

 奏でられているのは、運動会でよく流れるような明るく楽しげなマーチだ。笛の音色だけだから賑やかさにはどうしても欠けるけど、旋律はことさら愉快で、思わず聞き入ってしまう程上手で、それがかえって異常さを際立たせている。

 

「分からない。普通に考えれば仲間への符丁だろうが、こちらを威圧する意図でもあるのだろうか」

 

 ミリーさんが苦々しげに呟く。

 確かに、屈強な男性たちに追い回されている私からすれば、嫌味を通り越して恐怖を感じるような選曲だ。

 

「やはり気になるな。今一度連中の動きを見てこよう。クレム。ナオたちを頼む」

「…………」

 

 ラーナー一家の出方を探ろうとするミリーさんに、しかしクレムは無言。

 あれ、そう言えば、いつの間にか彼女は私の手を放している。

 

「クレム?」

「え、ちょ、ちょっとどうしたの!?」

 

 彼女の様子を(いぶか)しむ間もなく、私は驚愕に声を漏らす。

 

「な、なにを考えている!?」

 

 冷静沈着な幽霊少女も思わず叫ぶ。

 何と、クレムは私たちが隠れている小屋の戸を開け放ち、路地へと身を晒したのだ。

 

「隠れてないと危ないよ! いきなりどうし――」

 

 私は慌てて彼女を引きとめようとして、その顔貌を目の当たりにして絶句する。

 

「…………」

 

 クレムの青い瞳には、何も映っていなかった。

 

 あれほど美人で、凛々しく、そして優しいあの子の顔から、一切の感情が抜け落ちている。その顔はまるでマネキンのようで――そこで私は既視感に囚われた。

 

「め、メル君までっ!」

 

 クレムに続くように、呼び売り少年も路地へと出てくる。

 生意気盛りの少年の腫れあがった顔からも、意思の光が消えている。

 

「こ、これって……」

 

 生気を失った彼女たちの姿を、私は知っている。

 我が家を訪ねてきたロレッタちゃんが、正に同じような状態ではなかったか。

 

「止まってクレム! どこ行こうって言うの!?」

 

 夢遊病患者のように歩を進める親友を止めようと、私は必死に声を掛ける。

 けれど、無視されるどころか聞こえているような気配すらない。

 

「っ――」

 

 たまらず私はクレムにしがみ付くが、彼女は私を軽々と引きずって歩き続ける。駄目だ。力が違い過ぎる。

 

「ナオ、周りを見ろ!」

 

 ミリーさんが叫ぶ。

 私は言われるままに首を巡らし、そして今度こそ息を呑んだ。

 

「な――」

 

 夜の貧民街に、次々と人影が現れる。

 私たちを追いかけていた裏社会の人じゃない。老若男女を問わない人の群れは、この貧民街の住人だ。

 彼らは一様に生気の失せた顔で、石畳を踏みしめてどこかへ向かう。

 

 いや、どこかじゃない。彼らは明らかに笛の音色に引き寄せられている。

 

「――聖示物(ミュステリオン)だ」

「うそ……」

 

 端正な顔に焦燥の色を浮かべ、ミリーさんが呟く。

 私はもう、呆然と呟くしかなかった。

 

 路地に溢れだす人の群れ。まるでゾンビ映画の中にでも入り込んだようなその光景が、魔法のアイテムによって引き起こされたなんて。

 

「そんな! じゃ、じゃあどうすればッ」

「とにかくクレムに声を掛け続けろ! 叩いても構わない。正気を取り戻させるんだ!」

 

 ミリーさんは私にそう告げ、ぱっと目の前から姿を消す。

 きっと人々の向かう先、笛の持ち主を確認しに行ったのだろう。

 

「クレム! ねえクレム! 目を覚ましてっ! そっちに行っちゃ駄目だよ!」

 

 私は声の限り叫び、彼女の身体を力いっぱい揺さぶる。

 けれど、フード姿の少女は私を無視して歩み続ける。

 

「ッ……」

 

 叩こうか、或いは足にしがみ付いてでも引き留めようかと考えたけど、それでもし彼女が怪我をしてしまったらと思うと、躊躇してしまう。

 

「あ、メル君待って!」

 

 私に足止めされなかったメル君は、もう先行く人波に紛れてしまった。

 

「お願いだから目を覚ましてッ!」

 

 私は親友の耳元で、悲鳴にも似た絶叫を上げる。

 ――笛の音がピタリと止まったのは、次の瞬間だった。

 

「不味い! ここから離れろナオ!」

 

 転瞬(てんしゅん)、私の側に現れた幽霊少女が、悲痛な声でそう指示する。

 けれど、私は彫刻のように立ち尽くすクレムに取り縋り、身動きすることができない。

 路地の向こうから、複数の明かりが近づいてくる。

 

「あ――う――」

 

 路地に立つ貧民街の人々を、まるで荷物でも扱うかのように乱雑に押しのけ、男の人たちが現れた。

 屈強な男性たちは、ラーナー一家の手の者だ。しかし、彼らの顔からも、理性の光は消え失せている。

 

「「魔笛」を耳にしてなお正気を保っている。間違いない、お前が託宣者(アクシオス)だ」

 

 そして男たちの群れから姿を現したのは、横笛を手にした不気味な男だった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 鬼火のようなランタンの群れに照らされた男の姿は、あからさまに異様だった。

 

 星明りさえ拒むかのような漆黒の広つば帽を被り、身に纏うのは同じく闇のような外套。無精ひげの浮いた口元には皺が寄り、年齢はそれなりに髙そうに見えるが、目元を襤褸(ぼろ)切れのようなマスクで覆っているため、実際のところは分からない。

 

 枯れ木のような長身痩躯に、手入れの行き届いていない長髪。

 まるで絵本の中から出てきた悪魔のような見た目なのに、手にした笛だけが美しく輝いている。

 

 超常現象を引き起こす、光る物品。

 間違いない。あの笛がクレムたちを操った聖示物(ミュステリオン)。そしてこの男が、担い手の託宣者(アクシオス)だ。

 

「ぁ……」

 

 でも、それが分かったところで、私にはどうすることもできなかった。

 クレムは相変わらず目を覚まさない。ミリーさんが必死に逃げるよう促しているが、この子を置いていくなんてできない。

 

 そして恐怖に恐れおののく私を尻目に、黒衣の男がゆっくりと手を伸ばす。

 

託宣者(アクシオス)の身柄を抑えろ。そこの娘。貴様は我々と共に来い」

「あ、ちょ、クレム!」

 

 黒衣の男がそう告げると、クレムは縋り付く私を振り払うように歩き始めた。

 彼女の背中を追いかけようとすると、それを阻むかのように、屈強な男たちが近づいてくる。

 

「やめ、離して、離せッ!」

 

 男たちは虚ろな表情で、それでも丸太のような腕を伸ばして私を掴む。

 必死に身を捩り、叫び、力の限り抵抗するも、私は手足を縛りあげられてしまう。

 

「クレ――むぐぅ!」

 

 のみならず、男たちは私に猿轡を噛ませ、厳重に目隠しまで施す。

 私はそれでも諦めずに暴れ続け、担ぎ上げようとする手から逃れる。

 

 無様に石畳の上に転がり、芋虫のような姿になっても、彼らには絶対屈しない。けれど、

 

「げ――」

 

 私のお腹に、突如として鈍器で殴られたような激痛が走る。

 込み上げる嘔吐感。せり上がった胃酸が喉を焼く。

 

 猿轡の隙間から反吐を吐き、私は訳も分からないまま意識を失った。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。