ナオのゴスペル   作:抱き猫

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29 気にしない人

 

 

 感情を剥奪された部下たちが、私の手足の縛めを解く。

 ミリーさんの姿が見えている筈だけど、何の反応も無い所を見ると、本当に操り人形にされてるみたい。……クレムのことが改めて心配だ。

 

「部下が失礼をした。さ、顔を拭うといい」

 

 立ち上がった私に、デニスは真っ白なハンカチを差し出す。

 そこで、私は服の襟もとが赤く染まっているのに気付いた。フレーザーに殴られ、鼻血が出ていたのだ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 礼を言うべきか迷ったけれど、私はそのハンカチ――たぶんシルクだ――を受け取り、遠慮なく顔を拭く。

 

 正直、少しでも気持ちと頭を整理する時間が欲しい。

 あの呼び売り親方はホントに酷い奴だったけど、このデニスという人はきっとそれ以上に危険だ。なまじ紳士的に振る舞っている分、異常性が際立つ。

 

「ちゃんと礼を言えるのは素晴らしいな。しつけが行き届いている」

 

 と、デニスが人好きのする笑みを浮かべる。随分と好青年ぶっているけど、直感で擬態だと分かる。この人は多分、他人という存在を頭から認めていない。

 

「さ、座りなさい」

「……」

 

 彼に促されるまま、私は品の良い応接席に腰掛ける。ミリーさんが不安そうな表情で、私の側についていてくれる。

 

「おい。アレを出せ」

 

 デニスが手下たちに何やら命じると、男の一人が布包みをテーブルの上に置く。

 

「俺たちじゃあ分からなくてね。結局全部持ってきたんだ」

 

 そしてテーブルの上に並べられたのは、私たちの家にあった全ての食器類だ。

 

「さて。教えてくれないか。どれが聖示物(ミュステリオン)なんだい?」

 

 デニスがにこやかにそう尋ねてくる。

 

「ッ……」

 

 完全に向こうのペースのまま話を進められ、私は困惑に視線を泳がせる。

 

「今は彼らに協力する他ない。……ナオ。君が心配なのだ。くれぐれも、短慮は起こさないでくれ」

 

 隣に立つミリーさんが、哀願するようにそう告げる。

 

 確かに彼女の言う通りだ。部屋には屈強な部下が五人もいるし、独力ではどう頑張っても切り抜けられそうにない。

 先ほどあれだけの暴力を見せられた後だ。心情的な面でも、反抗的な態度は怖くて取れない。

 

「……これ、です」

 

 観念した私は手を伸ばし、木製のスプーンを手に取る。

 途端に、聖示物(ミュステリオン)の象徴たる淡い光が室内を照らす。

 

「――素晴らしい! 新たな聖示物(ミュステリオン)に、可愛らしい託宣者(アクシオス)だ! 今日の出会いはマルヴィナ様にでも感謝しなければな!」

 

 聖示物(ミュステリオン)が本物だと知れるや、デニスは手を打って快哉を叫ぶ。

 その仕草は妙に芝居じみていて、本当に喜んでいるかさえ疑わしい。

 

「で、それはどんな力を持つんだ?」

 

 調子づいたデニスが質問を続ける。

 私が食料品を増やすことができると説明すると、

 

「ああ、なるほど。……それであんな商売を思いついたんだな」

 

 と、訳知り顔でにやりと笑う。

 

「さっそく目の前で見たいものだ。――おい、紅茶を淹れて持って来い。砂糖壺もな」

 

 そう手下の一人に命じる。次いで、

 

「茶の味には期待しないでくれよ? ご覧の通りの粗暴な連中でね。おまけに今は――ほら、頭の具合がしゃんとしてない」

 

 そう笑って見せる。

 茶目っ気を覗かせたつもりだろうけど、正直恐ろしさしかない。この人、私たちをどうするつもりだろう。

 

「そういえば、まだ名前も聞いてなかったね」

「……ナオ、です」

「ナオ。素敵な名前だ。――けど、ここいらではあまり聞かない響きだな。顔立ちも不思議な……いや、とても魅力的だよ? 良ければ君の話を聞かせてくれないかな」

 

 紅茶がやってくるまで、デニスは私を尋問することにしたようだ。婉曲(えんきょく)だけど有無を言わさぬ調子で話を求める。

 

 私はしどろもどろになりながら、この街に来るまでの経緯を話す。

 幸い、オストバーグで暮らすにあたって、カバーストーリーは作ってあったから、地球や転移の話は伏せても筋は通る。しかし、

 

「おいおい。隠し事はよくないなぁ」

 

 デニスが目を鋭く光らせてそう言う。

 

「俺が聞きたいのは、君が聖示物(ミュステリオン)を得た経緯と、なぜアングストの娘とつるんでいたかだ。大切なところを伏せられてしまうと、余計気になるだろう?」

「ッ――」

 

 緊張に喉がごくりと鳴る。この人、クレムの来歴まで知っている。いったいどうして、いや、何の目的があって……

 

「落ち着けナオ。教会の前であれだけ騒いだのだ。君とクレムの関係を知られていても不思議ではない。……まずは彼の狙いを探るんだ。ひとまず当たりさわりのないよう話を取り繕え」

 

 混乱する私の側で、ミリーさんが必死にそう訴える。

 

 それから私は、幽霊少女が指示する通りに、クレムとの関係を説明する。

 マトヤの村で偶然聖示物(ミュステリオン)を作り出した私は、教会にその事を届け出ようと思い、オストバーグに詳しいクレムと共に街までやってきた。

 しかし、観光するうちに聖示物(ミュステリオン)の活用法を思いつき、二人で商売を始めた。

 

 情報を最小限に絞り、破たんの無いよう話を纏める。

 

「ふ~ん。そうか」

 

 が、それを耳にするデニスは気のない返事。ただ私に向けられる眼差しは、刺すように鋭い。

 

「君はあの子がアングストの娘と知っていたのかね?」

「ッ――」

 

 そして、値踏みするかのようにそう尋ねる。

 

「……ありのまま、街に来て初めて知ったと答えろ」

 

 逡巡(しゅんじゅん)する私に、ミリーさんがそう指示する。私がその通りに答えると、

 

「ああそうか。そりゃあ災難だったなぁ」

 

 と、デニスは心底同情したように肩を竦める。

 

「――抑えろナオ! 落ち着くんだ!」

 

 瞬時に逆上しかかった私を、幽霊少女が必死に宥める。

 

 ――災難だった? あの子が私に出自を隠していたのが? 

 コイツ、いったい何様のつもりだ。あの子がどれだけ辛い目に遭って、私がどれだけ苦しんだか。それを災難の一言で済まそうというのか?

 

 クレムとの友情を土足で汚され、私は怒りで頭が煮え爆ぜそうになる。

 

 テーブルの下で握り拳が震える。顔を伏せ、凶相に歪んだ顔を懸命に見られまいとする。ミリーさんが宥めてくれなければ、男に食って掛かるところだった。

 

「でもまあ、それでもアレと付き合おうっていうんだから、大した子だよ君」

 

 私の怒りに気付いた様子も無く、デニスが話を続ける。

 

「社会的な信用よりも友情を取ったんだろう? 若い子にはありがちな話さ。けど、君が思う程、相手が君を思っているとは限らない」

 

 陰惨にそう嘯く。

 

「……どういうことですか」

 

 クレムからの信頼を嘲笑われたにも関わらず、私は思いのほか平静に喋ることができた。怒りも度を越すと、思考がクリアになることを初めて知った。

 

「何もあんなあばら家で商売を始めなくとも、幾らでも設備は賄えただろうに。……アングスト家が首塚を築いて大金を稼いだのは有名だ。銀行には預金が唸っているのに、友達に開業資金も援助しないなんて――あの娘、案外ケチなんじゃないかね?」

 

 そう言って笑うデニスを見て、私はもはや怒りすら湧かなかった。

 

 ああ――理性ではなく心で理解した。私はこの男とは決して相容れない。

 

 この街に来て、色な人たちと出会って、一つ気付いたことがある。

 善い人とは悪い人の違いは、心に他人を置くかどうかだ。

 

 賄賂を要求してきた警備兵も、子供を殴って働かせる呼び売り親方も、そしてこのデニスという男も、きっと自分が悪いことをしているなんて微塵も思っていない。

 

 少なくとも、罪の意識に苛まれているようにはみえない。

 それはきっと、他人の立場で物事を見ないからだ。

 自分の為に、他者を踏みつけにすることを何とも思ってない。その認識が誤りなんだ。

 

 ――彼らはただ()()に立っているだけ。地面も人も、区別していない。

 彼らの世界は、自分の中だけで完結しているんだ。彼らにとって、他人は敵か、あるいは利用対象でしかない。

 

 そう気付くと、私の中で沸き立っていた怒りが急速に冷めていく。代わりに胸を埋める感情は――嫌悪か、同情か、ひょっとしたら憐憫なのかもしれない。

 

「知らない街で渡世を始めるのは大変だ。いくら聖示物(ミュステリオン)があったって、万事うまくいくとは限らない」

 

 私の沈黙をどう受け取ったのか、デニスは得意そうに舌を回す。

 

「なにせ王のお膝元だ。かび臭い貴族連中はいまだに幅を利かせているし、市民と組合が街を牛耳っている」

 

 男は自分の言葉に酔いしれているかのように(さえず)り続ける。

 

「だが知っての通り、何時の世も貧乏人の方が多いのさ。街には貧民、宿無し、流れ者たちが溢れてる。……ろくでなしのごろつきだが、それだけに哀れな連中だ。誰かが奴らを纏め、束ね、導いてやらねばならない。そう思わないか?」

 

 デニスが私に水を向ける。

 

「私に、あなたたちに協力しろと?」

 

 昂然と顔を上げ、私は彼に質問する。

 ミリーさんが不安そうにのぞき込む。心配させてごめん。でも、私は大丈夫。

 

「理解が早くて助かるよ。同じ法の外に生きる者同士、協力していかないとな」

 

 と、デニスは朗らかに笑う。そして、

 

「俺なら君の商売を強力に後押ししてやれる。飲み物で小銭を稼ぐなんて馬鹿らしい。砂糖、胡椒、サフラン。金になるような商品は幾らでもある。――もちろん、君が聖示物(ミュステリオン)を持っているなんて誰にも明かさない。欲しい物は何だって用立ててやるし、住居だって手配してやろう。それになにより、俺たちの庇護下に入れば、ごろつきは勿論、市警の連中にだって手出しはさせない。絶対の安全が手に入るんだ」

 

 と、並べられる限りの飴玉を転がす。

 

「…………」

 

 私は返答に迷っているかのように、しばし沈黙。すると、

 

「丁度いい。少し休憩にしようか。俺も喋りすぎて喉が渇いた」

 

 部下の一人がようやくティーセットを持ってきた。

 操り人形の男はぎこちない手つきで応接テーブルにカップを配膳し、見ただけで煮出し過ぎと分かる紅茶を注ぐ。

 

「さて……」

「砂糖は、何杯入れますか」

 

 私は聖示物(ミュステリオン)のスプーンを掴むと、砂糖壺の蓋を開けてそう問う。

 このお茶は只のもてなしじゃない。私の話に嘘が無いかの最終確認なのだ。

 

「一先ず、一杯でいい」

 

 神妙な面持ちのデニスの前で、私は見せつけるように粉砂糖をスプーンで掬う。

 

「ほう――」

 

 彼は掬い上げられた砂糖ではなく、テーブルの上の砂糖壺の方を見て感嘆する。

 均一に均された雪原のような表面には、一切の変化が起きていない。

 大匙一杯分の砂糖が、まったくの無から湧きだしたのだ。

 

「素晴らしいな。いや見事だ」

 

 無限に食べ物を増殖させる、神の御業と呼ぶほかない奇跡を目の当たりにして、然しものデニスからも薄笑いが消える。

 私は彼の紅茶に砂糖を滑り落とし――そして引き戻したスプーンを両手で握りしめた。

 

「――おい。どういうつもりだ?」

 

 予想外の行動に出た私に、デニスが一瞬目を見開き、そしてすぐさま恫喝する。

 その声音は呼び売り親方を暴行した時とまったく同じ、氷のような冷気を纏っている。

 

「このスプーンは差し上げます。だから、私とクレムを開放してください。そしてこれ以上干渉しないでください。――願いが聞き入れられなければ、このスプーンは壊します」

 

 けれど、私は総身の勇気を振り絞って、決然とそう告げる。

 どれだけ脅されようと、報酬を並べられようと、この人たちには協力しない。

 

 友達に比べれば、聖示物(ミュステリオン)なんて惜しくも無いんだ。

 

 私は決死の覚悟で、裏社会の悪党と取引を始めた。

 

 

 

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