感情を剥奪された部下たちが、私の手足の縛めを解く。
ミリーさんの姿が見えている筈だけど、何の反応も無い所を見ると、本当に操り人形にされてるみたい。……クレムのことが改めて心配だ。
「部下が失礼をした。さ、顔を拭うといい」
立ち上がった私に、デニスは真っ白なハンカチを差し出す。
そこで、私は服の襟もとが赤く染まっているのに気付いた。フレーザーに殴られ、鼻血が出ていたのだ。
「……ありがとう、ございます」
礼を言うべきか迷ったけれど、私はそのハンカチ――たぶんシルクだ――を受け取り、遠慮なく顔を拭く。
正直、少しでも気持ちと頭を整理する時間が欲しい。
あの呼び売り親方はホントに酷い奴だったけど、このデニスという人はきっとそれ以上に危険だ。なまじ紳士的に振る舞っている分、異常性が際立つ。
「ちゃんと礼を言えるのは素晴らしいな。しつけが行き届いている」
と、デニスが人好きのする笑みを浮かべる。随分と好青年ぶっているけど、直感で擬態だと分かる。この人は多分、他人という存在を頭から認めていない。
「さ、座りなさい」
「……」
彼に促されるまま、私は品の良い応接席に腰掛ける。ミリーさんが不安そうな表情で、私の側についていてくれる。
「おい。アレを出せ」
デニスが手下たちに何やら命じると、男の一人が布包みをテーブルの上に置く。
「俺たちじゃあ分からなくてね。結局全部持ってきたんだ」
そしてテーブルの上に並べられたのは、私たちの家にあった全ての食器類だ。
「さて。教えてくれないか。どれが
デニスがにこやかにそう尋ねてくる。
「ッ……」
完全に向こうのペースのまま話を進められ、私は困惑に視線を泳がせる。
「今は彼らに協力する他ない。……ナオ。君が心配なのだ。くれぐれも、短慮は起こさないでくれ」
隣に立つミリーさんが、哀願するようにそう告げる。
確かに彼女の言う通りだ。部屋には屈強な部下が五人もいるし、独力ではどう頑張っても切り抜けられそうにない。
先ほどあれだけの暴力を見せられた後だ。心情的な面でも、反抗的な態度は怖くて取れない。
「……これ、です」
観念した私は手を伸ばし、木製のスプーンを手に取る。
途端に、
「――素晴らしい! 新たな
その仕草は妙に芝居じみていて、本当に喜んでいるかさえ疑わしい。
「で、それはどんな力を持つんだ?」
調子づいたデニスが質問を続ける。
私が食料品を増やすことができると説明すると、
「ああ、なるほど。……それであんな商売を思いついたんだな」
と、訳知り顔でにやりと笑う。
「さっそく目の前で見たいものだ。――おい、紅茶を淹れて持って来い。砂糖壺もな」
そう手下の一人に命じる。次いで、
「茶の味には期待しないでくれよ? ご覧の通りの粗暴な連中でね。おまけに今は――ほら、頭の具合がしゃんとしてない」
そう笑って見せる。
茶目っ気を覗かせたつもりだろうけど、正直恐ろしさしかない。この人、私たちをどうするつもりだろう。
「そういえば、まだ名前も聞いてなかったね」
「……ナオ、です」
「ナオ。素敵な名前だ。――けど、ここいらではあまり聞かない響きだな。顔立ちも不思議な……いや、とても魅力的だよ? 良ければ君の話を聞かせてくれないかな」
紅茶がやってくるまで、デニスは私を尋問することにしたようだ。
私はしどろもどろになりながら、この街に来るまでの経緯を話す。
幸い、オストバーグで暮らすにあたって、カバーストーリーは作ってあったから、地球や転移の話は伏せても筋は通る。しかし、
「おいおい。隠し事はよくないなぁ」
デニスが目を鋭く光らせてそう言う。
「俺が聞きたいのは、君が
「ッ――」
緊張に喉がごくりと鳴る。この人、クレムの来歴まで知っている。いったいどうして、いや、何の目的があって……
「落ち着けナオ。教会の前であれだけ騒いだのだ。君とクレムの関係を知られていても不思議ではない。……まずは彼の狙いを探るんだ。ひとまず当たりさわりのないよう話を取り繕え」
混乱する私の側で、ミリーさんが必死にそう訴える。
それから私は、幽霊少女が指示する通りに、クレムとの関係を説明する。
マトヤの村で偶然
しかし、観光するうちに
情報を最小限に絞り、破たんの無いよう話を纏める。
「ふ~ん。そうか」
が、それを耳にするデニスは気のない返事。ただ私に向けられる眼差しは、刺すように鋭い。
「君はあの子がアングストの娘と知っていたのかね?」
「ッ――」
そして、値踏みするかのようにそう尋ねる。
「……ありのまま、街に来て初めて知ったと答えろ」
「ああそうか。そりゃあ災難だったなぁ」
と、デニスは心底同情したように肩を竦める。
「――抑えろナオ! 落ち着くんだ!」
瞬時に逆上しかかった私を、幽霊少女が必死に宥める。
――災難だった? あの子が私に出自を隠していたのが?
コイツ、いったい何様のつもりだ。あの子がどれだけ辛い目に遭って、私がどれだけ苦しんだか。それを災難の一言で済まそうというのか?
クレムとの友情を土足で汚され、私は怒りで頭が煮え爆ぜそうになる。
テーブルの下で握り拳が震える。顔を伏せ、凶相に歪んだ顔を懸命に見られまいとする。ミリーさんが宥めてくれなければ、男に食って掛かるところだった。
「でもまあ、それでもアレと付き合おうっていうんだから、大した子だよ君」
私の怒りに気付いた様子も無く、デニスが話を続ける。
「社会的な信用よりも友情を取ったんだろう? 若い子にはありがちな話さ。けど、君が思う程、相手が君を思っているとは限らない」
陰惨にそう嘯く。
「……どういうことですか」
クレムからの信頼を嘲笑われたにも関わらず、私は思いのほか平静に喋ることができた。怒りも度を越すと、思考がクリアになることを初めて知った。
「何もあんなあばら家で商売を始めなくとも、幾らでも設備は賄えただろうに。……アングスト家が首塚を築いて大金を稼いだのは有名だ。銀行には預金が唸っているのに、友達に開業資金も援助しないなんて――あの娘、案外ケチなんじゃないかね?」
そう言って笑うデニスを見て、私はもはや怒りすら湧かなかった。
ああ――理性ではなく心で理解した。私はこの男とは決して相容れない。
この街に来て、色な人たちと出会って、一つ気付いたことがある。
善い人とは悪い人の違いは、心に他人を置くかどうかだ。
賄賂を要求してきた警備兵も、子供を殴って働かせる呼び売り親方も、そしてこのデニスという男も、きっと自分が悪いことをしているなんて微塵も思っていない。
少なくとも、罪の意識に苛まれているようにはみえない。
それはきっと、他人の立場で物事を見ないからだ。
自分の為に、他者を踏みつけにすることを何とも思ってない。その認識が誤りなんだ。
――彼らはただ
彼らの世界は、自分の中だけで完結しているんだ。彼らにとって、他人は敵か、あるいは利用対象でしかない。
そう気付くと、私の中で沸き立っていた怒りが急速に冷めていく。代わりに胸を埋める感情は――嫌悪か、同情か、ひょっとしたら憐憫なのかもしれない。
「知らない街で渡世を始めるのは大変だ。いくら
私の沈黙をどう受け取ったのか、デニスは得意そうに舌を回す。
「なにせ王のお膝元だ。かび臭い貴族連中はいまだに幅を利かせているし、市民と組合が街を牛耳っている」
男は自分の言葉に酔いしれているかのように
「だが知っての通り、何時の世も貧乏人の方が多いのさ。街には貧民、宿無し、流れ者たちが溢れてる。……ろくでなしのごろつきだが、それだけに哀れな連中だ。誰かが奴らを纏め、束ね、導いてやらねばならない。そう思わないか?」
デニスが私に水を向ける。
「私に、あなたたちに協力しろと?」
昂然と顔を上げ、私は彼に質問する。
ミリーさんが不安そうにのぞき込む。心配させてごめん。でも、私は大丈夫。
「理解が早くて助かるよ。同じ法の外に生きる者同士、協力していかないとな」
と、デニスは朗らかに笑う。そして、
「俺なら君の商売を強力に後押ししてやれる。飲み物で小銭を稼ぐなんて馬鹿らしい。砂糖、胡椒、サフラン。金になるような商品は幾らでもある。――もちろん、君が
と、並べられる限りの飴玉を転がす。
「…………」
私は返答に迷っているかのように、しばし沈黙。すると、
「丁度いい。少し休憩にしようか。俺も喋りすぎて喉が渇いた」
部下の一人がようやくティーセットを持ってきた。
操り人形の男はぎこちない手つきで応接テーブルにカップを配膳し、見ただけで煮出し過ぎと分かる紅茶を注ぐ。
「さて……」
「砂糖は、何杯入れますか」
私は
このお茶は只のもてなしじゃない。私の話に嘘が無いかの最終確認なのだ。
「一先ず、一杯でいい」
神妙な面持ちのデニスの前で、私は見せつけるように粉砂糖をスプーンで掬う。
「ほう――」
彼は掬い上げられた砂糖ではなく、テーブルの上の砂糖壺の方を見て感嘆する。
均一に均された雪原のような表面には、一切の変化が起きていない。
大匙一杯分の砂糖が、まったくの無から湧きだしたのだ。
「素晴らしいな。いや見事だ」
無限に食べ物を増殖させる、神の御業と呼ぶほかない奇跡を目の当たりにして、然しものデニスからも薄笑いが消える。
私は彼の紅茶に砂糖を滑り落とし――そして引き戻したスプーンを両手で握りしめた。
「――おい。どういうつもりだ?」
予想外の行動に出た私に、デニスが一瞬目を見開き、そしてすぐさま恫喝する。
その声音は呼び売り親方を暴行した時とまったく同じ、氷のような冷気を纏っている。
「このスプーンは差し上げます。だから、私とクレムを開放してください。そしてこれ以上干渉しないでください。――願いが聞き入れられなければ、このスプーンは壊します」
けれど、私は総身の勇気を振り絞って、決然とそう告げる。
どれだけ脅されようと、報酬を並べられようと、この人たちには協力しない。
友達に比べれば、
私は決死の覚悟で、裏社会の悪党と取引を始めた。