近くにクレムが知っている町医者がいると聞き、呼び売り親方のフレーザーさんをそこまで連れていく。
深夜の迷惑もかえりみずに戸を叩くと、老齢のお医者様は嫌な顔ひとつせず治療を請け負ってくれる。そうして彼を預けた時には、既に夜も明けようかという時間になっていた。
「それで、結局なんであの人は私たちを逃がしてくれたんだろう?」
貧民街への道すがら、私はデニスの変貌について疑問を溢す。
あれだけ残忍で、他人の事なんて何とも思わないような人が、別人になったみたいに私たちを許してくれた。
「……それはたぶん、この
と、クレムが蒼い宝石を眺めながら呟く。
「ただ人を気絶させるだけではない。ということか?」
隣を歩くミリーさんが尋ねる。
宝石が変じた蒼い剣は、肉体を傷つけることなく悪人たちを制した。ただ、
「刃が通ったとき、確かに感じました。私が斬ったのは肉体ではなく……」
「精神を斬った。あるいは浄化したのか」
「おそらくは。……子細なところまでは、分かりかねるのですが」
それだけでなく、彼らの胸に巣食う悪心までをも消し去ったのではないか。と二人は話す。確かに、そうでもなければ説明のつかない変貌ぶりだった。
「……その、私は、人の心を弄んでしまったのでしょうか」
「へ?」
「たとえ許されざる悪行を働いたとはいえ、人の心を意のままにしていい筈がありません」
切実な訴え。彼女は、自分がデニスを洗脳したのではないかと苦悩しているのだ。
「えっと、それは……」
違うと否定したくても、私にはパッと言葉が思い浮かばない。すると、
「……そうすると、君は刑吏の役割そのものを否定することになるな」
「「え?」」
ミリーさんの呟きに、私とクレムは揃って声を上げる。
「罪人に罰を与えるのは何のためだ? 社会の秩序を保つため。それは確かだろう。だが、それでは誰が罪人を救ってやれる?」
石畳を駆け、路地の先で幽霊少女が振り返る。
灰色の瞳が、まっすぐにクレムを見詰める。
「罰を与えるのは、許す為ではないのか。罪深き人間が、それでも許しを得られるように、心を改めさせるのが刑罰の有り方ではないのか」
「――」
ミリーさんが、切々と訴える。
「なるほど確かに、我らは個人の裁量で人を罰した。私刑が法に反すると言えば、まさにそうだろう。――しかし、悪人を諌め、罪と向き合わせることが、どうして新たな罪になる」
夜明け前の、もっとも暗い世界。それでも白衣の少女は輝きを纏い、
「君は、許そうとした。――贖罪の機会を与えたのだ」
真心を込めて、そう告げる。
「ッ……」
クレムは
「……己の不明を恥じ入るばかりです。ありがとうございます。ミリー様」
そして、彼女は今にも泣き出しそうな笑顔で礼を述べた。
私には、二人の会話の深い所までは理解できなかったけど、それでも想いを伝えあったのは分かる。
「……なんだ、気味の悪い笑みを浮かべて」
「にっひひ。だってさ~」
「きゃ! どうなされたのですか、ナオ」
クレムの背におぶさるように抱きつく。ウザ絡みする私にクレムは困惑して、ミリーさんは呆れ顔。
「もうこれで、万事解決でしょ?」
私は清々しい気分で、そう語りかけた。
× × ×
当然、現実はそう甘いものではなく。
「ひどい。あんまりだ。こんなことって、ちくしょう……」
東の空が白み始める頃。
貧民街の家に戻ってきた私は、変わり果てた室内の様子に膝から崩れ落ちていた。
「随分、好き放題にやられたらしいな」
ミリーさんが苦々しく呟く。
「かまどまで壊す事ないじゃない……ご飯どうしろっていうの?」
探索はあまりに執拗だった。棚をひっくり返すどころではない。床板を剥ぎ、かまどを打ちこわし、仕事で使う水筒まで全部切り裂かれている。
物が小さなスプーンで、しかもどこかに隠している可能性があったため、ここまで徹底的に家探しを行ったのだろう。
現金は手付かずのまま放置されていたけど、レモネードの販売は当分できそうにない。
「姉ちゃん、その……大変だったな」
「わ、私たちもちょっとぐらいなら、お金貸せますよ」
「……うう、親切が身に沁みる」
それでも幸いだったのは、メル君とロレッタちゃんが無事だったことだ。
私がラーナー一家に拉致された後、程なくして貧民街の人々に掛けられた催眠は解けたらしい。彼ら二人は、私たちの家でずっと帰りを待っていてくれたのだ。
「でも、流石に酷いですね」
クレムも気落ちしている。そりゃあ、家の手入れは彼女が一番頑張ってくれたのだ。ショックも大きいだろう。
「ごめんね二人とも。レモネード屋さんは、しばらく休業です」
「いや、仕方ねえよこんなの……みんなには上手く言っとくからさ」
「姉さま、なんでも頼ってくださいね」
「うん。ありがと。ちょっと元気出た」
私は雑談ついでに、二人に今宵のいきさつを掻い摘んで説明する。
嘘はつきたくないので、絶対に余所に漏らさないよう言い含めて
話を先に進める度、二人の顔がどんどん真っ赤になる。
「とまあ、こんな感じで。……ごめんね。二人が怖い目にあったの、私の所為なんだ」
騒動に巻き込んでしまったことを詫びる。すると、
「やっぱあのデブ親父のせいか! そんなの、姉ちゃんは全然悪くないじゃん!」
「ナオ姉さまが、
メル君は義憤に駆られ、ロレッタちゃんは何やら尊敬のまなざしを向けてくる。
「え、え?」
てっきり責められるものと覚悟していた私は、ハイテンションで騒ぐ子供たちに振り回される。結局、二人は私の事を恨んでさえいなかったのだ。
「それじゃあまたね」
「姉ちゃんたちも気をつけてな」
曙光が街をさし染める頃、呼び売り少年たちは日常へと戻っていった。彼らも当事者といえばそうなのだが、別に直接利益に繋がる立場ではないため、今後の危険は薄いだろうと判断したのだ。
そして、私たちは改めて廃屋同然の我が家を見遣る。
「……さて、これからどうする?」
厳粛な面持ちで尋ねるのはミリーさんだ。確かに、設備は全部壊されちゃったし、早急に何か手立てを考えなければ。というか、街に来た時より状況が悪くなったのはどういう訳だ。
「ひとまず、宿を探さねばなりませんね」
そう提案するのはクレムだ。確かに、この家で暮らすのはちょっと無理がある。荒れ果てているし、ラーナー一家に場所もばれてるし。
「いや、そうではない。これからの身の振り方を問うている」
すると、ミリーさんが改めて問いなおした。
「ラーナー一家はおそらく我々から手を引くだろう。だが、それもデニス・ラーナー個人の話だ。……我々の脅威は他にもいる。あの黒衣の男を、忘れたわけではあるまい」
「う……」
確かにその通りだ。人を意のままに操る魔笛の持ち主に、私たちは顔を覚えられた。
「あの男が如何なる背景を持ち、どのような目的で動いているかは不明だ。だが、あれほど驚異的な
切実な表情で、ミリーさんが問いかける。
この一晩で、私たちを取り巻く情勢は大きく変わった。
世界に奇跡を起こす、神の恩寵「
それを持つことが誰かに知られた以上、平々凡々には暮らせない。
「王宮や教会を頼るのもいいだろう。クレムにも
「…………」
クレムが胸元に手を添え、神妙に考える。
私がずっと気にしていたのは、彼女と離れ離れになることだ。その危惧が無くなったのなら、素直に権力者に保護を求めればいい。
「気が進まないのなら、いっそこの街を出てもいい。新天地で、また一から始めるのだ。……世界は広いぞ。私が保証する。数百年さまよっていても、まだ新たな発見に溢れているのだから」
幽霊少女は穏やかにほほ笑み、私たちに選択肢を提示する。
その優しい心遣いに、胸がぐっと熱くなる。
この子はずっと、私たちを見守り続けてくれた。
私たちと一緒の世界を見て、一緒に悩み、一緒に道を歩んでくれた。
「君たちが決めたことなら、私に
そう告げるミリーさん。
丁度、朝日が貧民街にも差し込んできた。開け放たれた扉から光が溢れ、少女を背中から照らす。
後光を背負った彼女は信じがたいほどに美しく、清らかで、神様がいるなら、きっとこんな風なのではないかと思ってしまう。
「あの、その……」
ミリーさんに見惚れていると、クレムがぽつりと口を開いた。私がぼんやりしてる間にも、ちゃんと考えを纏めていたらしい。
「あまりに手前勝手な言い分とは存じ上げているのですが……」
と、クレムは何時にも増して恐縮した風に言葉を濁す。
その仕草だけで、私はピンときてしまった。たぶん、彼女は私と同じこと考えてる。
「あ、私も意見があるんですけど!」
「ほう? 何か嫌な予感がするが、とりあえず聞いておこう」
クレムの発言に被していくと、ミリーさんもそろそろ私の突飛な考えに慣れたのか、胡乱な目を向けてくる。
私は図星を突かれたのを照れ笑いでごまかし、
「やっぱり私、まだまだこの街で暮らしたいです。それも、できるなら自分たちの力で」
はっきりとそう告げる。
「ナオ――」
隣に立つクレムも、花が咲き誇るような笑みを浮かべる。――うん。やっぱり同じ考えだった。
「そう言いだしかねないとは思っていたが……あれで懲りないとは、君らは少しおかしいのではないか?」
まさしく呆れ果てたと言わんばかりに、ミリーさんが首を振る。
「ごめんなさい! でもほら、まだどこのどなたを頼るかも決めてないし……」
私は両手を合わせ、小さな女の子を伏して拝む。
ずっと心配してくれた彼女に、この上更に心労を掛けようというのだ。怒られても仕方ない。けど、
「……とにかく、これからは今まで以上に身辺に気を付けることだ。我々はともかく、周りの人間まで巻き込んでしまうのは不本意だろう?」
幽霊少女は微かな苦笑を浮かべ、そう答える。
「ありがとうミリーさん!」
「ミリー様、お世話をお掛けします」
我儘を聞き容れて貰えて、私たちは快哉を叫ぶ。
そうしてクレムと手を繋いではしゃいでいると、
「…………」
不意に、ミリーさんがそっぽを向いてしまった。
あれ、何か機嫌を損ねるようなことしちゃった?
「え、どうしたのミリーさん。やっぱり駄目だった?」
慌ててそう尋ねるも、
「……いや、そういう訳ではない」
彼女は目を合わそうともしない。
「す、すみませんミリー様。何か御無礼を働いてしまったのでしょうか」
クレムが狼狽して問いかけても、
「……違うと言っている」
彼女は否定し、何と背中まで向けてしまった。
大人びた幽霊少女が初めて見せた、拗ねるような仕草。
私たちは大慌てであれこれ話しかけ、なんとか機嫌を取ろうとするも、まるで取りつく島が無い。そして、
「もう、ごめんって! 何か気にさわったなら謝るから~」
とうとう私は縋り付いて泣きを入れる。クレムなんてホントに泣きだしちゃいそう。いったい何をそんなに怒っているのか。すると、
「別に。…………ただ、私への敬称はいつ取れるのかと、そう思っただけだ」
消え入りそうな声で、彼女がそう呟いた。
「「え?」」
私とクレムの声が重なる。
脳裏によみがえるのは、いつかの夜話。
あの時、友達には敬称なんていらない。私は確かにそう言ったのではなかったか。
「「あ!」」
私とクレムが、ぽかんと口を開けて互いを見つめる。
この子、今の今まで、そのことをずっと気にして――
「失言だった。忘れてく――」
「ごめんねミリー!! そんなつもりじゃなかったの! あなたがあんまり大人っぽかったから!」
「そうです、ミリーさ、――ミリー! あなたとの
私とクレムは幽霊少女を挟み込むように抱きしめ、声を限りに感謝を伝える。
触れることはできないけど、もう顔をうずめ、頬ずりして、この愛らしい少女に気持ちを伝える。
「ッ――ええい、鬱陶しい! 離れよ!」
「やだー!!」
「お断りします!」
照れ隠しに怒るミリーに、私とクレムは笑いながら嫌々をする。
騒がしい声が、朝の爽気に溶けていく。
――そうして、今日も異世界に日が昇り、新しい一日が始まった。
分からないことだらけで、自分がどこに向かうべきなのかも決められない。
けど、私はここで生きている。掛け替えのない友達と一緒に。
だから、何処に行きつくにしたって、この旅はきっと、一生の宝物になるに違いない。
次章へ続く