ナオのゴスペル   作:抱き猫

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34 みんなと、ずっと

 

 

 近くにクレムが知っている町医者がいると聞き、呼び売り親方のフレーザーさんをそこまで連れていく。

 

 深夜の迷惑もかえりみずに戸を叩くと、老齢のお医者様は嫌な顔ひとつせず治療を請け負ってくれる。そうして彼を預けた時には、既に夜も明けようかという時間になっていた。

 

「それで、結局なんであの人は私たちを逃がしてくれたんだろう?」

 

 貧民街への道すがら、私はデニスの変貌について疑問を溢す。

 あれだけ残忍で、他人の事なんて何とも思わないような人が、別人になったみたいに私たちを許してくれた。

 

「……それはたぶん、この聖示物(ミュステリオン)の所為だと思います」

 

 と、クレムが蒼い宝石を眺めながら呟く。

 

「ただ人を気絶させるだけではない。ということか?」

 

 隣を歩くミリーさんが尋ねる。

 宝石が変じた蒼い剣は、肉体を傷つけることなく悪人たちを制した。ただ、

 

「刃が通ったとき、確かに感じました。私が斬ったのは肉体ではなく……」

「精神を斬った。あるいは浄化したのか」

「おそらくは。……子細なところまでは、分かりかねるのですが」

 

 それだけでなく、彼らの胸に巣食う悪心までをも消し去ったのではないか。と二人は話す。確かに、そうでもなければ説明のつかない変貌ぶりだった。

 

「……その、私は、人の心を弄んでしまったのでしょうか」

「へ?」

 

 聖示物(ミュステリオン)の効果に感心していると、クレムがぽつりとそう呟く。

 

「たとえ許されざる悪行を働いたとはいえ、人の心を意のままにしていい筈がありません」

 

 切実な訴え。彼女は、自分がデニスを洗脳したのではないかと苦悩しているのだ。

 

「えっと、それは……」

 

 違うと否定したくても、私にはパッと言葉が思い浮かばない。すると、

 

「……そうすると、君は刑吏の役割そのものを否定することになるな」

「「え?」」

 

 ミリーさんの呟きに、私とクレムは揃って声を上げる。

 

「罪人に罰を与えるのは何のためだ? 社会の秩序を保つため。それは確かだろう。だが、それでは誰が罪人を救ってやれる?」

 

 石畳を駆け、路地の先で幽霊少女が振り返る。

 灰色の瞳が、まっすぐにクレムを見詰める。

 

「罰を与えるのは、許す為ではないのか。罪深き人間が、それでも許しを得られるように、心を改めさせるのが刑罰の有り方ではないのか」

「――」

 

 ミリーさんが、切々と訴える。

 

「なるほど確かに、我らは個人の裁量で人を罰した。私刑が法に反すると言えば、まさにそうだろう。――しかし、悪人を諌め、罪と向き合わせることが、どうして新たな罪になる」

 

 夜明け前の、もっとも暗い世界。それでも白衣の少女は輝きを纏い、

 

「君は、許そうとした。――贖罪の機会を与えたのだ」

 

 真心を込めて、そう告げる。

 

「ッ……」

 

 クレムは()()を突かれたように立ち止まり、しばし沈黙する。

 

「……己の不明を恥じ入るばかりです。ありがとうございます。ミリー様」

 

 そして、彼女は今にも泣き出しそうな笑顔で礼を述べた。

 私には、二人の会話の深い所までは理解できなかったけど、それでも想いを伝えあったのは分かる。

 

「……なんだ、気味の悪い笑みを浮かべて」

「にっひひ。だってさ~」

「きゃ! どうなされたのですか、ナオ」

 

 クレムの背におぶさるように抱きつく。ウザ絡みする私にクレムは困惑して、ミリーさんは呆れ顔。

 

「もうこれで、万事解決でしょ?」

 

 私は清々しい気分で、そう語りかけた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 当然、現実はそう甘いものではなく。

 

「ひどい。あんまりだ。こんなことって、ちくしょう……」

 

 東の空が白み始める頃。

 貧民街の家に戻ってきた私は、変わり果てた室内の様子に膝から崩れ落ちていた。

 

「随分、好き放題にやられたらしいな」

 

 ミリーさんが苦々しく呟く。

 聖示物(ミュステリオン)を見つける為だろう、ラーナー一家によって、丹精込めて整理した我が家は、見るも無残に荒らされていた。

 

「かまどまで壊す事ないじゃない……ご飯どうしろっていうの?」

 

 探索はあまりに執拗だった。棚をひっくり返すどころではない。床板を剥ぎ、かまどを打ちこわし、仕事で使う水筒まで全部切り裂かれている。

 

 物が小さなスプーンで、しかもどこかに隠している可能性があったため、ここまで徹底的に家探しを行ったのだろう。

 現金は手付かずのまま放置されていたけど、レモネードの販売は当分できそうにない。

 

「姉ちゃん、その……大変だったな」

「わ、私たちもちょっとぐらいなら、お金貸せますよ」

「……うう、親切が身に沁みる」

 

 それでも幸いだったのは、メル君とロレッタちゃんが無事だったことだ。

 私がラーナー一家に拉致された後、程なくして貧民街の人々に掛けられた催眠は解けたらしい。彼ら二人は、私たちの家でずっと帰りを待っていてくれたのだ。

 

「でも、流石に酷いですね」

 

 クレムも気落ちしている。そりゃあ、家の手入れは彼女が一番頑張ってくれたのだ。ショックも大きいだろう。

 

「ごめんね二人とも。レモネード屋さんは、しばらく休業です」

「いや、仕方ねえよこんなの……みんなには上手く言っとくからさ」

「姉さま、なんでも頼ってくださいね」

「うん。ありがと。ちょっと元気出た」

 

 私は雑談ついでに、二人に今宵のいきさつを掻い摘んで説明する。

 

 嘘はつきたくないので、絶対に余所に漏らさないよう言い含めて聖示物(ミュステリオン)のことを明かす。その為にラーナー一家に目を付けられ、今夜の騒動が起きたこと。紆余曲折を経て見逃してもらえたけど、その途中で呼び売り親方のフレーザーさんが殴られて、入院してしまったこと。

 

 話を先に進める度、二人の顔がどんどん真っ赤になる。

 

「とまあ、こんな感じで。……ごめんね。二人が怖い目にあったの、私の所為なんだ」

 

 騒動に巻き込んでしまったことを詫びる。すると、

 

「やっぱあのデブ親父のせいか! そんなの、姉ちゃんは全然悪くないじゃん!」

「ナオ姉さまが、託宣者(アクシオス)だったなんて……素敵!」

 

 メル君は義憤に駆られ、ロレッタちゃんは何やら尊敬のまなざしを向けてくる。

 

「え、え?」

 

 てっきり責められるものと覚悟していた私は、ハイテンションで騒ぐ子供たちに振り回される。結局、二人は私の事を恨んでさえいなかったのだ。

 

「それじゃあまたね」

「姉ちゃんたちも気をつけてな」

 

 曙光が街をさし染める頃、呼び売り少年たちは日常へと戻っていった。彼らも当事者といえばそうなのだが、別に直接利益に繋がる立場ではないため、今後の危険は薄いだろうと判断したのだ。

 

 そして、私たちは改めて廃屋同然の我が家を見遣る。

 

「……さて、これからどうする?」

 

 厳粛な面持ちで尋ねるのはミリーさんだ。確かに、設備は全部壊されちゃったし、早急に何か手立てを考えなければ。というか、街に来た時より状況が悪くなったのはどういう訳だ。

 

「ひとまず、宿を探さねばなりませんね」

 

 そう提案するのはクレムだ。確かに、この家で暮らすのはちょっと無理がある。荒れ果てているし、ラーナー一家に場所もばれてるし。

 

「いや、そうではない。これからの身の振り方を問うている」

 

 すると、ミリーさんが改めて問いなおした。

 

「ラーナー一家はおそらく我々から手を引くだろう。だが、それもデニス・ラーナー個人の話だ。……我々の脅威は他にもいる。あの黒衣の男を、忘れたわけではあるまい」

「う……」

 

 確かにその通りだ。人を意のままに操る魔笛の持ち主に、私たちは顔を覚えられた。

 

「あの男が如何なる背景を持ち、どのような目的で動いているかは不明だ。だが、あれほど驚異的な聖示物(ミュステリオン)を持ち、暴力団にすら(はい)されるような人物が、まともな手合いである筈がない。……後ろ盾も無しにこの街に留まるのは危険だ。君たちは岐路に立たされているのではないか」

 

 切実な表情で、ミリーさんが問いかける。

 

 この一晩で、私たちを取り巻く情勢は大きく変わった。

 世界に奇跡を起こす、神の恩寵「聖示物(ミュステリオン)」。

 それを持つことが誰かに知られた以上、平々凡々には暮らせない。

 

「王宮や教会を頼るのもいいだろう。クレムにも聖示物(ミュステリオン)が授けられた今、君たちが分かたれることは無いはずだ」

「…………」

 

 クレムが胸元に手を添え、神妙に考える。

 

 私がずっと気にしていたのは、彼女と離れ離れになることだ。その危惧が無くなったのなら、素直に権力者に保護を求めればいい。

 

「気が進まないのなら、いっそこの街を出てもいい。新天地で、また一から始めるのだ。……世界は広いぞ。私が保証する。数百年さまよっていても、まだ新たな発見に溢れているのだから」

 

 幽霊少女は穏やかにほほ笑み、私たちに選択肢を提示する。

 

 その優しい心遣いに、胸がぐっと熱くなる。

 この子はずっと、私たちを見守り続けてくれた。

 私たちと一緒の世界を見て、一緒に悩み、一緒に道を歩んでくれた。

 

「君たちが決めたことなら、私に(いな)やはない。ゆっくりでいい。考えを聞かせてほしい」

 

 そう告げるミリーさん。

 

 丁度、朝日が貧民街にも差し込んできた。開け放たれた扉から光が溢れ、少女を背中から照らす。

 

 後光を背負った彼女は信じがたいほどに美しく、清らかで、神様がいるなら、きっとこんな風なのではないかと思ってしまう。

 

「あの、その……」

 

 ミリーさんに見惚れていると、クレムがぽつりと口を開いた。私がぼんやりしてる間にも、ちゃんと考えを纏めていたらしい。

 

「あまりに手前勝手な言い分とは存じ上げているのですが……」

 

 と、クレムは何時にも増して恐縮した風に言葉を濁す。

 その仕草だけで、私はピンときてしまった。たぶん、彼女は私と同じこと考えてる。

 

「あ、私も意見があるんですけど!」

「ほう? 何か嫌な予感がするが、とりあえず聞いておこう」

 

 クレムの発言に被していくと、ミリーさんもそろそろ私の突飛な考えに慣れたのか、胡乱な目を向けてくる。

 私は図星を突かれたのを照れ笑いでごまかし、

 

「やっぱり私、まだまだこの街で暮らしたいです。それも、できるなら自分たちの力で」

 

 はっきりとそう告げる。

 

「ナオ――」

 

 隣に立つクレムも、花が咲き誇るような笑みを浮かべる。――うん。やっぱり同じ考えだった。

 

「そう言いだしかねないとは思っていたが……あれで懲りないとは、君らは少しおかしいのではないか?」

 

 まさしく呆れ果てたと言わんばかりに、ミリーさんが首を振る。

 

「ごめんなさい! でもほら、まだどこのどなたを頼るかも決めてないし……」

 

 私は両手を合わせ、小さな女の子を伏して拝む。

 ずっと心配してくれた彼女に、この上更に心労を掛けようというのだ。怒られても仕方ない。けど、

 

「……とにかく、これからは今まで以上に身辺に気を付けることだ。我々はともかく、周りの人間まで巻き込んでしまうのは不本意だろう?」

 

 幽霊少女は微かな苦笑を浮かべ、そう答える。

 

「ありがとうミリーさん!」

「ミリー様、お世話をお掛けします」

 

 我儘を聞き容れて貰えて、私たちは快哉を叫ぶ。

 そうしてクレムと手を繋いではしゃいでいると、

 

「…………」

 

 不意に、ミリーさんがそっぽを向いてしまった。

 あれ、何か機嫌を損ねるようなことしちゃった?

 

「え、どうしたのミリーさん。やっぱり駄目だった?」

 

 慌ててそう尋ねるも、

 

「……いや、そういう訳ではない」

 

 彼女は目を合わそうともしない。

 

「す、すみませんミリー様。何か御無礼を働いてしまったのでしょうか」

 

 クレムが狼狽して問いかけても、

 

「……違うと言っている」

 

 彼女は否定し、何と背中まで向けてしまった。

 

 大人びた幽霊少女が初めて見せた、拗ねるような仕草。

 私たちは大慌てであれこれ話しかけ、なんとか機嫌を取ろうとするも、まるで取りつく島が無い。そして、

 

「もう、ごめんって! 何か気にさわったなら謝るから~」

 

 とうとう私は縋り付いて泣きを入れる。クレムなんてホントに泣きだしちゃいそう。いったい何をそんなに怒っているのか。すると、

 

「別に。…………ただ、私への敬称はいつ取れるのかと、そう思っただけだ」

 

 消え入りそうな声で、彼女がそう呟いた。

 

「「え?」」

 

 私とクレムの声が重なる。

 脳裏によみがえるのは、いつかの夜話。

 

 あの時、友達には敬称なんていらない。私は確かにそう言ったのではなかったか。

 

「「あ!」」

 

 私とクレムが、ぽかんと口を開けて互いを見つめる。

 この子、今の今まで、そのことをずっと気にして――

 

「失言だった。忘れてく――」

「ごめんねミリー!! そんなつもりじゃなかったの! あなたがあんまり大人っぽかったから!」

「そうです、ミリーさ、――ミリー! あなたとの友誼(ゆうぎ)を疑うなんてありえません!」

 

 私とクレムは幽霊少女を挟み込むように抱きしめ、声を限りに感謝を伝える。

 触れることはできないけど、もう顔をうずめ、頬ずりして、この愛らしい少女に気持ちを伝える。

 

「ッ――ええい、鬱陶しい! 離れよ!」

「やだー!!」

「お断りします!」

 

 照れ隠しに怒るミリーに、私とクレムは笑いながら嫌々をする。

 騒がしい声が、朝の爽気に溶けていく。

 

 ――そうして、今日も異世界に日が昇り、新しい一日が始まった。

 

 分からないことだらけで、自分がどこに向かうべきなのかも決められない。

 

 けど、私はここで生きている。掛け替えのない友達と一緒に。

 

 だから、何処に行きつくにしたって、この旅はきっと、一生の宝物になるに違いない。

 

 

 

                                  次章へ続く

 

 

 

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