ナオのゴスペル   作:抱き猫

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第二章は全43話を予定しています。


第二章 麗しき三賢者
1 その後の話


 

 

 子供の声が聞こえる。胸から絞り出したかのような、悲痛なすすり泣き。

 いつかにも聞いた声。私は今度こそその子を探そうとして、暗闇の中を懸命に走る。

 

 なぜか手足は自由に動かなくて、もどかしいほど前に進めない。

 それでも距離は近づいたのか、徐々に泣き声が大きくなる。悲しみに暮れる子供に、もう少しで会える。

 

 そう思った時、私の意識はふわりと宙に浮きあがった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「むぁ……また、あの夢?」

 

 目を開けると、そこには簡素な天井板が広がっていた。

 

 私、綾坂(あやさか)奈緒(なお)は二度三度と瞬きをして、霞かかった頭をしゃんとさせる。

 

「いったい何なんだろ……あの子、誰?」

 

 寝床でもぞもぞ体を動かし、毛布の暖かさに包まりながらそう呟く。

 夢にはいつも同じ子が出てくる。私はその姿を探し求めるんだけど、毎回見つけることができずに目が覚める。

 

「きっと、私に関係あるんだよね」

 

 ただの夢じゃないのは確信している。

 すすり泣く子供は、私をこの世界に導いた張本人なのだから。

 

 ――そう。私は異世界にいる。遥か地球から、時空を超えて。

 

「う~ん」

 

 私はどんどん曖昧になっていく夢を思い返しながら、ベッドの上で寝返りをする。すると、さらりと絹のような感触が手に触れる。

 

「ううん……」

 

 私の隣に寝ていたのは、艶やかな黒髪をした絶世の美少女だ。

 彼女はクレメント・アングスト。クレムって呼んでる。この世界で出会った、私の一人目の親友だ。

 

「いまです……まぶたを、にかわで固めましょう……」

「なんか怖い事言いだしたな」

 

 夢に遊ぶ友達を起こさないよう、私はベッドからのそのそと這い降りる。靴を履き、部屋の中で伸びをする。

 

 オストバーグの裏社会の大物、デニス・ラーナーの魔の手から逃れて、早くも十日余り。

 私たちは今、サレス区の外れにある安宿で暮らしていた。

 

「今日もいい天気になりそう」

 

 小さなガラス窓を開け、朝(もや)にけぶる街並みを眺める。

 殺風景で狭い部屋だけど、道路に面して見晴らしが良いのは気に入っている。見下ろす通りには、まだ教会の鐘も鳴っていないのに、早くも人々が日々の暮らしを始めている。

 

 することも無いので、ぼんやりと行き交う人々を眺める。その時、室内に新たな気配が。

 

「おはようナオ。相変わらず早起きだな」

 

 扉をすり抜けて入室したのは、豪奢なドレスを纏った小さな女の子。幻想的なまでに美しい少女は、幼い顔立ちに似合わない威厳のある声でそう告げる。

 

 髪の毛から靴の先まで真っ白なその子は、幽霊少女のミリー。

 私がこの世界で出会った、二人目の親友だ。

 

「おはようミリー。昨日はどこかに行ってたの?」

 

 クレムを起こさないよう、声を落として話をする。

 ミリーは何時も、私たちを見守るように側に居てくれる。起きた時に姿が見えないから不思議に思っていたのだ。すると、

 

「ああ。昨夜も色々あった。ラーナー一家の混乱はようやく収まりそうだ」

 

 幽霊少女はそう語り出す。

 

 魔法のアイテム「聖示物(ミュステリオン)」を巡って、私たちはラーナー一家に目を付けられた。そして大騒動に巻き込まれ、紆余曲折を経たうえで、私たちは親玉のデニスに見逃してもらうことができた。

 

 ただ、問題はそれで終わりではなかった。

 なんと、私たちが解放された数日後、デニスが突如として一家を解散させ、当人は街の外へと出て行ったのだ。

 

 もちろん、トップが行方を晦ました組織は大混乱。

 色々書置きはあったみたいだけど、それで治まる筈もなく、配下の人々は一家の跡目やら権益の確保やらで大騒ぎ。

 

 私たちも安全とは言えなくなったので、貧民街の住居を引き払い、街の宿屋に潜んで事の成り行きを見守っていたのだ。

 

「おおよその収拾はついたようだ。結局一家は解散し、配下の多くは別の組織に吸収された。……どうやら、デニスは街を去る前に方々に打診していたらしい」

 

 と、毎夜騒動を調べて回ってくれたミリーがそう報告する。

 

 裏社会の組織の一つが潰れたにしては、大した混乱も起きなかったらしい。精々、跡目を争って小競り合いが起きて、警備隊と揉めたぐらいだそうな。

 

「我々についても、ほぼ忘れられている。まあ、あの夜の騒動が聖示物(ミュステリオン)を巡ってのものだと知る者はほとんどいない。幸いだったな」

「なんでいきなり解散なんてしたんだろ」

 

 経緯を説明してくれるミリーに、私が小首を傾げる。

 

「……おそらく、クレムの聖示物(ミュステリオン)の影響だろうな」

 

 考えられる理由は、それしかない。

 私たちが絶体絶命の窮地に陥った時、クレムの祈りが神様に届いたのか、新たな聖示物(ミュステリオン)――人の心を改める剣が生まれた。

 

 デニスが私たちを見逃したのも、街を去ったのも、きっとその剣で斬られた所為だ。

 

「でも、実際どんな風になるんだろ。いや、悪い事しなくなるならいいんだろうけど、あんまり変な性格に変わっちゃうと、クレムが気にするだろうし……」

 

 と、私は思案顔。

 

 あれだけ残忍冷酷で、己の利益しか興味がないような人だったデニスが、急に全てを捨てて街を去るなんて。

 もう二度と会いたいとは思わないけど、心境の変化は聞いてみたい。すると、

 

「まあ、そこまで深刻に考えずともいいだろう。心変わりをさせたのはその子だ。……決して酷い人格にはなるまいよ」

 

 ミリーはベッドで寝息を立てるクレムを眺め、そう呟く。

 

「……うん。ふふ、そうだよね」

 

 その説明に、思わず笑み溢してしまう私。

 すると、会話がうるさかったのか、クレムがもぞもぞと起き出した。

 

「うゅ……おふたりとも、おはようございます」

 

 ベッドの上にちょこんと座り、宝石のような青い目を眠そうに擦りながらクレムが告げる。

 まるで寝ぼけた子猫のような愛らしい姿に、私とミリーは顔を見合わせて微笑む。まったくこの子、朝はホントに弱いんだから。

 

「おはようクレム! さ、起きた起きた!」

 

 私はクレムに声をかけながら、パタパタと部屋の入口へ向かう。盥(たらい)で水をもらってきて、朝の身支度だ。朝寝は楽しいけど、何時までものんびりしてらんない。

 

 今日も、私たちの暮らしは始まるんだから。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 お昼前。私たちは揃って街に繰り出し、タルマラ区の商店街を歩いていた。

 

「さてさて、ほほう?」

 

 大通りに軒を連ねる商店は、食料品から衣料品、その他にもいろんな商品を取り扱うお店があって、眺めているだけで時間がどんどん過ぎていく。

 

「う~ん、どうもなぁ……」

 

 私はあっちを見て、次にこっちを覗いてと、いささかせわしなく大通りを歩き回る。

 別に遊んでいる訳じゃない。仕事に繋がる情報がどこかに無いか探しているのだ。

 

 ラーナー一家と揉めたせいで、レモネード売りは廃業を余儀なくされてしまった。宿屋で暮らす私たちには、まったく収入がない。

 

 多少の貯えがあるので当面は大丈夫だけど、あまり健全な状況とは言い難いので、早急に生活を安定させたいのだ。

 

 クレムは貯金を使ってくれと言ってるし、実際にお金は相当持ってるみたいなんだけど、友達の財布を頼るのは、なんというか私の気持ちがおさまらない。

 いや、別にプライドとかそんなんじゃなくて、彼女との友情にお金が絡むのが嫌なのだ。

 

「少し落ち着いたらどうだ?」

「今日は良いお天気ですから、街歩きを楽しみましょう?」

「へ? え、な、何が?」

 

 でも、私の焦りは二人にはお見通しだったらしい。

 

 ミリーとクレムが、苦笑して私に話しかける。

 ラーナー一家のごたごたが落ち着いたと知れるや、すぐに街へ出たがった私を見て、胸中を察したようだ。

 

「あれだけ大変なことがあったんですし、少しくらい羽を伸ばされてはいかがですか」

「勤勉は美徳だが、焦慮(しょうりょ)はかえって判断を鈍らせるぞ」

「いやぁ、あはは……」

 

 二人は優しく私にそう語りかける。まいった。全部ばれている。

 

「何とかしなきゃって、どうも気が()いちゃって……お金も心配だし」

 

 と、私は胸のわだかまりを包み隠さず話す。すると、

 

「お金に関しては、本当にお気になさらないでください。むしろ、私は気を使われる方が嫌です」

 

 クレムは一転して真剣な面持ちになり、硬い声でそう告げた。

 

「ナオが道義を重んじることは知っていますし、好ましく思っています。ですが、いざとなれば頼ってください。遠慮されると、かえって悲しくなります。……それとも、ナオは私が困窮に陥れば、距離を置いてしまうのですか?」

 

 悲しそうに眼を伏せて、クレムがそう問いかける。

 

「……ごめん。私が間違えてた」

 

 独り善がりな考えに恥ずかしくなる。私たちが育んだ友情は、金銭で揺らぐようなものじゃないのに。

 もちろん、実生活としてちゃんと取り組まなきゃいけない問題だけど、このことで変な気遣いなんてしちゃいけなかった。

 

「いえ。私こそ世間知らずなもので、ナオに心配ばかりさせてしまって……」

 

 と、クレムは恥ずかしそうに笑う。

 花が咲くような微笑みを見ると、私の胸の焦りは雪のように消えてしまう。

 

「じゃあ、みんなで相談しよっか! これからどうする?」

 

 そして、私は二人に向けてそう提案する。

 

「どうでしょう。もう一度ミーバー通りの家に戻ってみますか」

 

 路地裏で今後について話していると、ふとクレムがそう呟いた。

 

 ラーナー一家のごたごたに巻き込まれないよう、仮宿にしていた貧民街にはしばらく戻っていない。着替えとか必要最低限の荷物だけ持って避難したから、あの家は荒れ果てたままのはず。

 

「う~ん。それも考えたんだけど……」

 

 立地も環境も良いとは言いにくい場所だけど、それでも思い出深い家だ。住むには手直ししないといけないけど、勝手はもう分かるし、再出発には丁度いい。でも、

 

「ほら、あの時めちゃくちゃ周りに迷惑かけちゃったじゃん。だからその、申し訳ないって言うか、戻りにくいって言うか……」

 

 ラーナー一家に追われた際、貧民街の人々も私たちの巻き添えを食ってしまった。

 別に戻ったからといって石を投げられる訳でもないだろうけど、心情的にはちょっと心苦しい。

 

「そうですか。……いえ、わかりました」

 

 と、クレムはどこか寂しそう。あ、そうだ。この子は貧民街で暮らす人たちの訪問介護もしていた。最近は宿にこもりきりだったので心配なんだろう。

 

「でも、近いうちに行こうよ。お詫びの品でも持って」

「――は、はい!」

 

 私がそう言うと、クレムは花が咲くように微笑む。

 うん。この子の優しさに触れると、元気が湧いてくる。

 

「ともあれ、当座の危険は去ったのだ。身辺に気を付けるのは当然として、また商売を始めてもいいのではないか?」

 

 そう意見をくれるのはミリーだ。ラーナー一家にめちゃくちゃにされてしまったけど、清涼飲料水の販売はけっこう上手く行っていた。設備さえ揃えれば、すぐにでも仕事を再開できる。

 

「確かに、それが一番間違いないんだけど……」

 

 けど、私はちょっと渋い顔。

 

 聖示物(ミュステリオン)に頼ったためにやらかしてしまったのだ。同じ(てつ)は踏みたくないし、どうしても気後れしちゃう。

 今日街に出てきたのも、どこか雇ってくれるところはないか探すためだ。

 

「まあ、違う職を探すのも手だ。選択肢は多いに如(し)くはない」

「そうですよ。ゆっくり考えましょう?」

「うう、ごめん……」

 

 折角友達が色々意見を出してくれるのに、私は嫌々してばかりで申し訳ない。とにかく、これからの生活に繋がる情報を集めようとのことで結論が出た。

 そうして再び街を歩き出すと、

 

「あ~!! ようやく見つけた! どこ行ってたんだよ姉ちゃんたち!」

 

 私たちは元気な男の子の声に呼び止められた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 人で賑わう広場を横切って、少年が走り寄って来る。

 焦げ茶色の短髪に茶色の瞳。胸の前に大きな籠を提げて、快活な笑顔を浮かべるのは呼び売り少年のメル・カーター君だ。

 

「家に行っても空だったし、心配して探し回ったんだぜ!?」

 

 気さくに話しかけてくる少年に、私とクレムは笑顔で応じる。

 この子はオストバーグに来て初めてできた友人だ。レモネードの商売を始めた時に手助けしてもらった恩人でもある。

 

「ごめんね。しばらく街に出られなくて。メル君たちも、変わりは無かった?」

 

 挨拶もそこそこに、私はメル君と近況を報告し合う。

 

 彼ら呼び売り業の人々は多くが非市民で、商業組合には所属しておらず、大通りに並んでいるような店を構えることができない。

 

 行政や組合に守ってもらえない彼らは、代わりに裏社会の元締めの庇護を受け生活している。ラーナー一家の解散は、メル君にとっても大きな影響があっただろう。すると、

 

「別に? 俺らの暮らしはそんな変わんねえよ」

 

 と、少年がつまらなさそうに呟く。

 

「デブ親父が直ぐに別のケツ持ち見っけてさ。五日ぐらいでいつも通りさ。あ、新しい所はあがりがそんなきつくないらしくて、俺たちもちょっとは楽になったかな」

 

 話を聞くに、子供たちを纏める呼び売り親方は、上手く次の元締めを見つけられたらしい。それにしても、呼び売り親方――フレーザーさんはすごいな。彼はデニスに折檻されて大怪我してたのに、もう復帰してるなんて。

 

「ああ、違う違う。おっさんはまだベッドで寝込んでるぜ? いい様だよまったく。スープしか飲めねえみたいだから、これでちょっとは痩せるだろ」

 

 辛辣なセリフを吐くメル君に、私たちは曖昧な表情。

 

 お医者さんに連れて行ったりもしたし、心配ではあるんだけど、私たちもフレーザーさんにはあんまりいい印象が無いし。まあ、機会があればお見舞いぐらいは行ってもいいかな。

 

「なんか、ピアソン一家ってのが来て、向こうから俺たちの面倒見てくれるって話になったみたい」

「ほう?」

 

 メル君の説明に、興味を惹かれたのはミリーだ。

 なんでもラーナー一家が解散してすぐに、その組織の人たちがフレーザーさんを訪ねたらしい。

 

「っていうか、姉ちゃんいつレモネード売り出すんだよ~! アレがあるのとないのとじゃ、他の商品の売れ行きまで変わるんだぜ?」

「あはは」

 

 と、メル君は可愛らしく頼み込まれ、私は曖昧に笑う。

 商売を再開するか悩んでいたけど、こうして面と向かって褒められると、やっぱり嬉しくなっちゃう。

 

 そうしてしばらくメル君と雑談を楽しんでいると、

 

「あ、そうだそうだ! 姉ちゃんに預かりものがあったんだ!」

 

 と、少年は慌てて腰に下げた鞄を探り始めた。

 

「なんか親方に頼まれてさ。ナオ姉に直接渡せって」

 

 メル君が取り出したのは、蝋で封をされた手紙だ。

 

「え? あ、ありがとう。でも誰から?」

「さあ? そこに書いてないの? 俺、字はあんまり読めないし」

「え~っと、これは……」

「ピアソン不動産。と書いてありますね」

 

 差出人の署名が読めないでいると、横からクレムが助け船を出してくれる。

 

「え、ピアソンって……」

「件の一家の名前だな。不動産は表家業の一つだったはずだ」

 

 そう説明してくれるのはミリーだ。

 ピアソン一家は、古くからオストバーグの非市民たちを束ねる街の顔役であるらしい。そんな組織が、いったい私に何の用事があるのだろう。

 

「お手紙ありがとう。じゃあまたね!」

「うん! 大体この時間はここらへんで売ってるから、また来てよ!」

 

 私たちはメル君と別れて、とにかく人気のない場所に移動する。

 

 そして封蝋を解き、中の手紙を取り出す。けど、

 

「うぐ……ごめん。読めない」

 

 字が達筆な上に知らない単語が多くて、とても読めない。

 クレムに手渡し、手紙を読んでもらう。すると、

 

「……土地家屋の譲渡について話があり、ナオに来店を願いたいと書いてあります」

「――へ?」

 

 土地家屋の譲渡? 何処の? 誰から? 何で? 

 思いもよらない内容に、私は目を丸くする。

 

 でも、一つだけ分かったことがある。

 これからどうしようかなんて悩む必要なんてなかったんだ。問題が向こうからやってくるんだもの。

 

 

 

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