1 その後の話
子供の声が聞こえる。胸から絞り出したかのような、悲痛なすすり泣き。
いつかにも聞いた声。私は今度こそその子を探そうとして、暗闇の中を懸命に走る。
なぜか手足は自由に動かなくて、もどかしいほど前に進めない。
それでも距離は近づいたのか、徐々に泣き声が大きくなる。悲しみに暮れる子供に、もう少しで会える。
そう思った時、私の意識はふわりと宙に浮きあがった。
× × ×
「むぁ……また、あの夢?」
目を開けると、そこには簡素な天井板が広がっていた。
私、
「いったい何なんだろ……あの子、誰?」
寝床でもぞもぞ体を動かし、毛布の暖かさに包まりながらそう呟く。
夢にはいつも同じ子が出てくる。私はその姿を探し求めるんだけど、毎回見つけることができずに目が覚める。
「きっと、私に関係あるんだよね」
ただの夢じゃないのは確信している。
すすり泣く子供は、私をこの世界に導いた張本人なのだから。
――そう。私は異世界にいる。遥か地球から、時空を超えて。
「う~ん」
私はどんどん曖昧になっていく夢を思い返しながら、ベッドの上で寝返りをする。すると、さらりと絹のような感触が手に触れる。
「ううん……」
私の隣に寝ていたのは、艶やかな黒髪をした絶世の美少女だ。
彼女はクレメント・アングスト。クレムって呼んでる。この世界で出会った、私の一人目の親友だ。
「いまです……まぶたを、にかわで固めましょう……」
「なんか怖い事言いだしたな」
夢に遊ぶ友達を起こさないよう、私はベッドからのそのそと這い降りる。靴を履き、部屋の中で伸びをする。
オストバーグの裏社会の大物、デニス・ラーナーの魔の手から逃れて、早くも十日余り。
私たちは今、サレス区の外れにある安宿で暮らしていた。
「今日もいい天気になりそう」
小さなガラス窓を開け、朝
殺風景で狭い部屋だけど、道路に面して見晴らしが良いのは気に入っている。見下ろす通りには、まだ教会の鐘も鳴っていないのに、早くも人々が日々の暮らしを始めている。
することも無いので、ぼんやりと行き交う人々を眺める。その時、室内に新たな気配が。
「おはようナオ。相変わらず早起きだな」
扉をすり抜けて入室したのは、豪奢なドレスを纏った小さな女の子。幻想的なまでに美しい少女は、幼い顔立ちに似合わない威厳のある声でそう告げる。
髪の毛から靴の先まで真っ白なその子は、幽霊少女のミリー。
私がこの世界で出会った、二人目の親友だ。
「おはようミリー。昨日はどこかに行ってたの?」
クレムを起こさないよう、声を落として話をする。
ミリーは何時も、私たちを見守るように側に居てくれる。起きた時に姿が見えないから不思議に思っていたのだ。すると、
「ああ。昨夜も色々あった。ラーナー一家の混乱はようやく収まりそうだ」
幽霊少女はそう語り出す。
魔法のアイテム「
ただ、問題はそれで終わりではなかった。
なんと、私たちが解放された数日後、デニスが突如として一家を解散させ、当人は街の外へと出て行ったのだ。
もちろん、トップが行方を晦ました組織は大混乱。
色々書置きはあったみたいだけど、それで治まる筈もなく、配下の人々は一家の跡目やら権益の確保やらで大騒ぎ。
私たちも安全とは言えなくなったので、貧民街の住居を引き払い、街の宿屋に潜んで事の成り行きを見守っていたのだ。
「おおよその収拾はついたようだ。結局一家は解散し、配下の多くは別の組織に吸収された。……どうやら、デニスは街を去る前に方々に打診していたらしい」
と、毎夜騒動を調べて回ってくれたミリーがそう報告する。
裏社会の組織の一つが潰れたにしては、大した混乱も起きなかったらしい。精々、跡目を争って小競り合いが起きて、警備隊と揉めたぐらいだそうな。
「我々についても、ほぼ忘れられている。まあ、あの夜の騒動が聖示物(ミュステリオン)を巡ってのものだと知る者はほとんどいない。幸いだったな」
「なんでいきなり解散なんてしたんだろ」
経緯を説明してくれるミリーに、私が小首を傾げる。
「……おそらく、クレムの
考えられる理由は、それしかない。
私たちが絶体絶命の窮地に陥った時、クレムの祈りが神様に届いたのか、新たな
デニスが私たちを見逃したのも、街を去ったのも、きっとその剣で斬られた所為だ。
「でも、実際どんな風になるんだろ。いや、悪い事しなくなるならいいんだろうけど、あんまり変な性格に変わっちゃうと、クレムが気にするだろうし……」
と、私は思案顔。
あれだけ残忍冷酷で、己の利益しか興味がないような人だったデニスが、急に全てを捨てて街を去るなんて。
もう二度と会いたいとは思わないけど、心境の変化は聞いてみたい。すると、
「まあ、そこまで深刻に考えずともいいだろう。心変わりをさせたのはその子だ。……決して酷い人格にはなるまいよ」
ミリーはベッドで寝息を立てるクレムを眺め、そう呟く。
「……うん。ふふ、そうだよね」
その説明に、思わず笑み溢してしまう私。
すると、会話がうるさかったのか、クレムがもぞもぞと起き出した。
「うゅ……おふたりとも、おはようございます」
ベッドの上にちょこんと座り、宝石のような青い目を眠そうに擦りながらクレムが告げる。
まるで寝ぼけた子猫のような愛らしい姿に、私とミリーは顔を見合わせて微笑む。まったくこの子、朝はホントに弱いんだから。
「おはようクレム! さ、起きた起きた!」
私はクレムに声をかけながら、パタパタと部屋の入口へ向かう。盥(たらい)で水をもらってきて、朝の身支度だ。朝寝は楽しいけど、何時までものんびりしてらんない。
今日も、私たちの暮らしは始まるんだから。
× × ×
お昼前。私たちは揃って街に繰り出し、タルマラ区の商店街を歩いていた。
「さてさて、ほほう?」
大通りに軒を連ねる商店は、食料品から衣料品、その他にもいろんな商品を取り扱うお店があって、眺めているだけで時間がどんどん過ぎていく。
「う~ん、どうもなぁ……」
私はあっちを見て、次にこっちを覗いてと、いささかせわしなく大通りを歩き回る。
別に遊んでいる訳じゃない。仕事に繋がる情報がどこかに無いか探しているのだ。
ラーナー一家と揉めたせいで、レモネード売りは廃業を余儀なくされてしまった。宿屋で暮らす私たちには、まったく収入がない。
多少の貯えがあるので当面は大丈夫だけど、あまり健全な状況とは言い難いので、早急に生活を安定させたいのだ。
クレムは貯金を使ってくれと言ってるし、実際にお金は相当持ってるみたいなんだけど、友達の財布を頼るのは、なんというか私の気持ちがおさまらない。
いや、別にプライドとかそんなんじゃなくて、彼女との友情にお金が絡むのが嫌なのだ。
「少し落ち着いたらどうだ?」
「今日は良いお天気ですから、街歩きを楽しみましょう?」
「へ? え、な、何が?」
でも、私の焦りは二人にはお見通しだったらしい。
ミリーとクレムが、苦笑して私に話しかける。
ラーナー一家のごたごたが落ち着いたと知れるや、すぐに街へ出たがった私を見て、胸中を察したようだ。
「あれだけ大変なことがあったんですし、少しくらい羽を伸ばされてはいかがですか」
「勤勉は美徳だが、
「いやぁ、あはは……」
二人は優しく私にそう語りかける。まいった。全部ばれている。
「何とかしなきゃって、どうも気が
と、私は胸のわだかまりを包み隠さず話す。すると、
「お金に関しては、本当にお気になさらないでください。むしろ、私は気を使われる方が嫌です」
クレムは一転して真剣な面持ちになり、硬い声でそう告げた。
「ナオが道義を重んじることは知っていますし、好ましく思っています。ですが、いざとなれば頼ってください。遠慮されると、かえって悲しくなります。……それとも、ナオは私が困窮に陥れば、距離を置いてしまうのですか?」
悲しそうに眼を伏せて、クレムがそう問いかける。
「……ごめん。私が間違えてた」
独り善がりな考えに恥ずかしくなる。私たちが育んだ友情は、金銭で揺らぐようなものじゃないのに。
もちろん、実生活としてちゃんと取り組まなきゃいけない問題だけど、このことで変な気遣いなんてしちゃいけなかった。
「いえ。私こそ世間知らずなもので、ナオに心配ばかりさせてしまって……」
と、クレムは恥ずかしそうに笑う。
花が咲くような微笑みを見ると、私の胸の焦りは雪のように消えてしまう。
「じゃあ、みんなで相談しよっか! これからどうする?」
そして、私は二人に向けてそう提案する。
「どうでしょう。もう一度ミーバー通りの家に戻ってみますか」
路地裏で今後について話していると、ふとクレムがそう呟いた。
ラーナー一家のごたごたに巻き込まれないよう、仮宿にしていた貧民街にはしばらく戻っていない。着替えとか必要最低限の荷物だけ持って避難したから、あの家は荒れ果てたままのはず。
「う~ん。それも考えたんだけど……」
立地も環境も良いとは言いにくい場所だけど、それでも思い出深い家だ。住むには手直ししないといけないけど、勝手はもう分かるし、再出発には丁度いい。でも、
「ほら、あの時めちゃくちゃ周りに迷惑かけちゃったじゃん。だからその、申し訳ないって言うか、戻りにくいって言うか……」
ラーナー一家に追われた際、貧民街の人々も私たちの巻き添えを食ってしまった。
別に戻ったからといって石を投げられる訳でもないだろうけど、心情的にはちょっと心苦しい。
「そうですか。……いえ、わかりました」
と、クレムはどこか寂しそう。あ、そうだ。この子は貧民街で暮らす人たちの訪問介護もしていた。最近は宿にこもりきりだったので心配なんだろう。
「でも、近いうちに行こうよ。お詫びの品でも持って」
「――は、はい!」
私がそう言うと、クレムは花が咲くように微笑む。
うん。この子の優しさに触れると、元気が湧いてくる。
「ともあれ、当座の危険は去ったのだ。身辺に気を付けるのは当然として、また商売を始めてもいいのではないか?」
そう意見をくれるのはミリーだ。ラーナー一家にめちゃくちゃにされてしまったけど、清涼飲料水の販売はけっこう上手く行っていた。設備さえ揃えれば、すぐにでも仕事を再開できる。
「確かに、それが一番間違いないんだけど……」
けど、私はちょっと渋い顔。
今日街に出てきたのも、どこか雇ってくれるところはないか探すためだ。
「まあ、違う職を探すのも手だ。選択肢は多いに如(し)くはない」
「そうですよ。ゆっくり考えましょう?」
「うう、ごめん……」
折角友達が色々意見を出してくれるのに、私は嫌々してばかりで申し訳ない。とにかく、これからの生活に繋がる情報を集めようとのことで結論が出た。
そうして再び街を歩き出すと、
「あ~!! ようやく見つけた! どこ行ってたんだよ姉ちゃんたち!」
私たちは元気な男の子の声に呼び止められた。
× × ×
人で賑わう広場を横切って、少年が走り寄って来る。
焦げ茶色の短髪に茶色の瞳。胸の前に大きな籠を提げて、快活な笑顔を浮かべるのは呼び売り少年のメル・カーター君だ。
「家に行っても空だったし、心配して探し回ったんだぜ!?」
気さくに話しかけてくる少年に、私とクレムは笑顔で応じる。
この子はオストバーグに来て初めてできた友人だ。レモネードの商売を始めた時に手助けしてもらった恩人でもある。
「ごめんね。しばらく街に出られなくて。メル君たちも、変わりは無かった?」
挨拶もそこそこに、私はメル君と近況を報告し合う。
彼ら呼び売り業の人々は多くが非市民で、商業組合には所属しておらず、大通りに並んでいるような店を構えることができない。
行政や組合に守ってもらえない彼らは、代わりに裏社会の元締めの庇護を受け生活している。ラーナー一家の解散は、メル君にとっても大きな影響があっただろう。すると、
「別に? 俺らの暮らしはそんな変わんねえよ」
と、少年がつまらなさそうに呟く。
「デブ親父が直ぐに別のケツ持ち見っけてさ。五日ぐらいでいつも通りさ。あ、新しい所はあがりがそんなきつくないらしくて、俺たちもちょっとは楽になったかな」
話を聞くに、子供たちを纏める呼び売り親方は、上手く次の元締めを見つけられたらしい。それにしても、呼び売り親方――フレーザーさんはすごいな。彼はデニスに折檻されて大怪我してたのに、もう復帰してるなんて。
「ああ、違う違う。おっさんはまだベッドで寝込んでるぜ? いい様だよまったく。スープしか飲めねえみたいだから、これでちょっとは痩せるだろ」
辛辣なセリフを吐くメル君に、私たちは曖昧な表情。
お医者さんに連れて行ったりもしたし、心配ではあるんだけど、私たちもフレーザーさんにはあんまりいい印象が無いし。まあ、機会があればお見舞いぐらいは行ってもいいかな。
「なんか、ピアソン一家ってのが来て、向こうから俺たちの面倒見てくれるって話になったみたい」
「ほう?」
メル君の説明に、興味を惹かれたのはミリーだ。
なんでもラーナー一家が解散してすぐに、その組織の人たちがフレーザーさんを訪ねたらしい。
「っていうか、姉ちゃんいつレモネード売り出すんだよ~! アレがあるのとないのとじゃ、他の商品の売れ行きまで変わるんだぜ?」
「あはは」
と、メル君は可愛らしく頼み込まれ、私は曖昧に笑う。
商売を再開するか悩んでいたけど、こうして面と向かって褒められると、やっぱり嬉しくなっちゃう。
そうしてしばらくメル君と雑談を楽しんでいると、
「あ、そうだそうだ! 姉ちゃんに預かりものがあったんだ!」
と、少年は慌てて腰に下げた鞄を探り始めた。
「なんか親方に頼まれてさ。ナオ姉に直接渡せって」
メル君が取り出したのは、蝋で封をされた手紙だ。
「え? あ、ありがとう。でも誰から?」
「さあ? そこに書いてないの? 俺、字はあんまり読めないし」
「え~っと、これは……」
「ピアソン不動産。と書いてありますね」
差出人の署名が読めないでいると、横からクレムが助け船を出してくれる。
「え、ピアソンって……」
「件の一家の名前だな。不動産は表家業の一つだったはずだ」
そう説明してくれるのはミリーだ。
ピアソン一家は、古くからオストバーグの非市民たちを束ねる街の顔役であるらしい。そんな組織が、いったい私に何の用事があるのだろう。
「お手紙ありがとう。じゃあまたね!」
「うん! 大体この時間はここらへんで売ってるから、また来てよ!」
私たちはメル君と別れて、とにかく人気のない場所に移動する。
そして封蝋を解き、中の手紙を取り出す。けど、
「うぐ……ごめん。読めない」
字が達筆な上に知らない単語が多くて、とても読めない。
クレムに手渡し、手紙を読んでもらう。すると、
「……土地家屋の譲渡について話があり、ナオに来店を願いたいと書いてあります」
「――へ?」
土地家屋の譲渡? 何処の? 誰から? 何で?
思いもよらない内容に、私は目を丸くする。
でも、一つだけ分かったことがある。
これからどうしようかなんて悩む必要なんてなかったんだ。問題が向こうからやってくるんだもの。