オストバーグの中心部から、やや南東に位置するハーミル区。
お隣のタルマラ区と似て、お店屋さんが多い商業区画だけど、ハーミル区はどちらかといえば歓楽街の趣が強く、飲み屋さんが立ち並ぶ王都でも一番の繁華街らしい。
でも、昼下がりの大通りには行き交う人の姿も多くはなく、夜の街の雰囲気はそれほど感じられない。
その繁華街から通りを三つ隔てたところに、石造りの大きな建物がある。
「ここ……で、あってるよね?」
「ああ。間違いない。ピアソン一家の拠点の一つ、不動産事務所だ」
その前で、私たちは呆けたように立ち尽くしていた。
「う~ん。ぱっと見は、ちゃんとしてる所っぽいんだけど……」
四階建ての石造りの建物は、外観もとても立派だし、窓もガラス窓で開放的な印象。周りの通りも綺麗に掃き清められていて、いかにも真面目に商売してます。って感じ。けど、
「いきなり訪ねるのは危なくありませんか? もう少し事情を調べてからでも……」
と、小声でそう述べるのはクレムだ。
メル君に手紙をもらった私たちは、とりあえず差出人のピアソン不動産に行ってみることにした。なにせ、手紙にはあのデニス・ラーナーが私へ不動産の譲渡を申し出たと書いてあったのだ。無視するには不気味過ぎる。
でも、ここだって裏社会の組織の一つだ。それも規模で言えばラーナー一家より大きく、実質このオストバーグの裏社会の元締めらしい。ただ、
「聞き及んだ限りでは、そこまで無法な連中ではないらしい。むしろ下層民からは絶大な信頼を置かれているそうだ。居留民には仕事を紹介し、貧民の扶助にも精力的だ。悪い話はほとんど聞いたことがない。……まあ、だからと言って気を許すべきではないが」
そう説明してくれるのはミリーだ。
詳しく聞けば、ピアソン一家というのは古くからオストバーグを根城にする一家で、この街の下層民(居留民とか、貧民とか、周辺民って言うらしい)を取りまとめて、彼らの生活が成り立つよう尽力しているそうな。
もちろん、清廉潔白な訳ではなくて、もめごとを起こしたりすると怖い人が飛んでくるらしい。でも、それは秩序を維持する為で、どちらかと言えば行政の介入を避けるための未然の処置だとか。
「う~ん? つまりは良い人? 悪い人?」
「怖がられ、頼られている人だ」
理解が追い付かない私に、ミリーが端的に答えてくれる。
ラーナー一家は如何にも力と金でのし上がった新興のギャングだけど、このピアソン一家は昔ながらの任侠集団らしい。
「ですが、私たちには事情があります。相手の思惑も分かりませんし、素直に頼っていいのでしょうか」
と、クレムはあくまで慎重意見。
もちろん彼女の言う通りだ。私とこの子は
「う~ん……でも、手紙を宙ぶらりんにしておく訳にもなぁ」
心配は私も同じだけど、それでも事情を確認しない訳にはいかない。
知らぬ存ぜぬを決め込んで、何時の間にやらトラブルに巻き込まれたりしたら目も当てられない。慎重に立ち回るとしても、時には決断も必要だ。その時、
「あなたたち、そんな所でどうしたの? うちの店に何か用かしら?」
建物の側で密談していた私たちに、背後から女の人が声を掛けてきた。
× × ×
「は、はい!」
私とクレムは驚いて振り返る。するとそこには褐色肌の若い女性が立っていた。
ウェーブ掛かった黒髪を肩口で切りそろえ、金色に輝く猫のような瞳をした人。
目鼻立ちはオストバーグには珍しい異国風だけど、それだけに美人さが際立つ。服装も男性っぽくて、凛とした立ち姿に良く似合っている。
「賃貸かしら。相談だけでも歓迎よ。さ、中へどうぞ」
褐色肌の女性はそういって微笑み、洗練された所作で私たちを事務所へと招く。
すごく格好いいんだけど、体格は小柄だから、どこか可愛らしい印象を受ける。とにかく、存在感のある人だ。
「あ、えっと……はい」
逃げ出す訳にもいかないので、私たちは覚悟を決めて不動産屋さんへ入る。
中には整然とテーブルや椅子が並べられていて、如何にも事務所っぽい。
出入りする人たちも小ざっぱりして、仕事が出来そう。ただ、妙に体格の良い人がちらほらいるのが気にかかるけど。
「あなたたち二人で借りるのかしら。希望する予算や条件はある?」
褐色肌の女性は商談ブースの一つに私たちを案内し、爽やかにほほ笑みかける。
勧められるままに席に座る私。となりのクレムは不安そう。
「あの、私たち、シーラ・ピアソンさんに会いに来たんですけど」
場の勢いに流されまいと、私は来意を明確に告げる。
シーラというのは、手紙に書いてあった担当者の名前だ。
ホントはもっと慎重になるべきなんだろうけど、なんだか変に覚悟が固まってしまった。開き直りの気分だなコレ。
「私がシーラだけれど。……ごめんなさい。どこかで会ったかしら?」
と、褐色肌の女性――シーラさんは困ったように小首を傾げる。
「いえ、初めてお会いします。私、あなたからこの手紙を受け取って……」
私は懐から手紙を取り出す。それを見た途端、シーラさんが微かに眉を寄せた。
「――そう。あなたがナオさんね」
それだけで全てを察したのか、低い声で彼女がそう呟く。
朗らかな女性に一転して鋭い眼差しを向けられ、私はびくりと背筋を伸ばす。
「……別室で話しましょうか。ここは人の出入りが多いし」
明らかに気配の変わったシーラさん。見れば、周囲で働く男の人たちもじっとこちらを窺っている。剣呑な空気に、私は胃が縮むような思い。すると、
「奥まった場所でなければ話せないような内容なのですか? 私たちはそちらの要望に応じて出向いたのですが」
あくまでも平静な声で尋ねるのはクレムだ。
さっきまであんなに不安そうだったのに、訝しげな視線を向けるシーラさんを堂々と見返している。
クレムが凛然とした雰囲気を纏うのは、何時だって私を護ろうとするときだ。その証拠に、彼女はテーブルの下でそっと私の手を握ってくれている。
「……」
挑むようなクレムの視線を、けれどシーラさんは興味深そうに受け止めるばかり。そして数秒の沈黙を挟むと、
「込み入った事情があるから、私たちも詳しく話を聞きたいだけよ。……ふふ。そう構えないでちょうだい。獲って食べたりしないから」
と、彼女は金色の瞳を愉快そうに細め、冗談めかして笑いかける。そして、
「ごめんなさいね。怖がらせてしまったかしら。最近は立て込んでいて、みんな神経質になっているの。……でもそうね。あなたたちは、私たちが忙しい理由を知っていると考えていいのよね?」
そう確認を取るかのように口を開いた。
「……はい。たぶん、少しは」
私たちは目だけで意思を確認し、そう答える。ミリーも今の所、何も言ってこない。彼女が意見しないということは、現状のままで進んでも大丈夫。な筈だ。
「トッドさん。奥の部屋を借りますね」
シーラさんは事務所の人に断りを入れ、私たちを個室へと案内する。
通されたのは、上品な家具が設えられた部屋だ。たぶん、VIPと商談をするときに使うのだろう。
シーラさんに促され、私たちはお尻が沈みそうなほど柔らかいソファに腰掛ける。
一旦退出した彼女は、しばらくすると紙束を抱えて戻ってきた。同時に女中さんがカートを押してきて、ローテーブルに紅茶のセットを並べてくれる。
「あ、どうぞお構いなく……」
「さて、では確認したいのだけれど」
紅茶やら焼き菓子やらティーセットらに目を奪われていると、シーラさんが真面目な面持ちでそう尋ねてくる。
「ナオさん。あなたはデニス・ラーナーという男性を知ってるわね?」
「……知ってます。会ったのは一度きりですけど」
私は正直にそう答える。
「どんな経緯でか、教えて貰っても?」
続けられるシーラさんの質問に、私はなるべく正直に答える。
改めて自己紹介をして、来歴を話す。
軽々しく名字を名乗れないクレムに合わせ、私も名前だけを教える。
そして二人してマトヤ村からオストバーグに出てきたこと。そこで商売を始めようとしたら、ラーナー一家に目を付けられたこと。
事務所に連れていかれ、脅されたが、最終的には許してもらえて解放されたこと。
私とクレムの詳しい身の上と、
「みかじめ料の話だけでラーナー氏が直接呼び付けるとは思えないのだけれど。……意図的に伏せている話があるわね?」
シーラさんが探るような眼差しを向ける。
「ぅ……」
上手いごまかしがとっさに思い浮かばず、私は口ごもる。
クレムも難しい顔で押し黙ってしまう。目線でミリーに助けを求めると、彼女はなぜか興味深そうな表情でシーラさんを見詰めてる。
重たい沈黙が部屋に立ち込める。けど、
「……まぁ、別にいいわ」
と、シーラさんは肩を竦めて可愛らしく微笑む。
「へ!? え、いいんですか?」
「あら? 話したいのなら喜んで聞くわよ」
思わず問いかけてしまう私に、褐色肌の女性はからかうようにそう告げる。そして、
「話自体に嘘はなさそうだし、喋りたくないことを聞くのも、ね?」
彼女は大人の余裕を湛えて、優しく言葉を続ける。
「ただ、これだけは偽らずに教えてほしいの。……あなたがラーナー一家に狙われた理由は、街の人間に害をもたらすこと?」
「な――違います!」
「そうです。ありえません!」
シーラさんの真剣な問いかけに、私とクレムが揃って否定の言葉を述べる。
私たちの剣幕に、彼女はやや面食らっていたみたいだけど、
「そう。分かったわ。信じます」
穏やかな笑みを浮かべてそう答える。そして、
「じゃあ、話を先に進めましょうか。お茶のおかわりはいる? 飲んだら一緒に出かけてもらいますからね」
書類を纏めて鞄に納めながらそう告げる。
「え、出かけるって、どこにですか?」
急な話に私が困惑声を上げると、
「あなたたち、何しに来たか忘れたの? 内見よ。実際に物件を見て貰わないと。……詳しい話は、そこでさせてもらうわ」
シーラさんはそう言って、さも愉快そうに微笑んだ。