不動産屋さんから馬車を出してもらって、私たちはシーラさんと一緒にオストバーグを西へ進む。
ハーミル区を抜け、商店が建ち並ぶタルマラ区へ。
馬車が停まったのは、さらに西。サレス区との境目に位置する辺りだった。
「さて、タルマラ区、ウィネカー通りの五十二番。間違いないわね」
「ここって……」
シーラさんの説明も耳に入らず、私は茫然と馬車からその建物を眺める。隣に座るクレムも、まさかといった表情を浮かべている。
だってそうだろう。二度と来たいなんて思わなかった場所だもの。
目の前にあるのは、木と漆喰、石材で作られた三階建ての大きな建物。
忘れる筈もない。あの夜に拉致された私たちが連れてこられた、ラーナー一家の事務所なのだ。
「さ、中に入りましょうか」
「って、え、ええ、待ってください。なんでここが……」
「困惑も分かるけど、順々に説明させてちょうだいね」
まだ事態が呑み込めない私たちを、シーラさんは急き立てるようにして馬車から下ろす。
私たちは言われるがままに彼女に付いて行く。
少し強引だけど、嫌な感じが全然しないのは人柄のお蔭かな。如何にもキャリアウーマン風なんだけど、態度や言葉はすごく丁重で優しく、親しみやすい。格好いいんだけど、私よりもかなり小柄だし、なんだか見ていて可愛らしいし。
「もとは酒場兼宿屋だったのだけれど、二年前にラーナー一家が買い上げたの。築年数は五年だから、まだまだ綺麗よ」
「はあ……」
シーラさんに先導されて、私たちは建物の中へ。
一階は広い酒場になっている。ラーナー一家に事務所として使われるようになってからも、レイアウトはほとんど変わってないみたい。たぶん、手下の人たちがここでたむろできるようになってたんだろう。
奥にはバーカウンターがあって、その裏に広い厨房。隣接するように
二階は客室が並んでいて、三階はスイートルームだったみたいだけど、そこだけは大規模な改修がされていて、デニスの執務室兼寝室になっているそうな。
私とクレムは、酒場の椅子に腰掛ける。
シーラさんも向かいに座り、長テーブルに書類を広げ始めた。
「この家屋と土地の権利を、デニス・ラーナー氏はあなたに譲渡したいと当社に申し出られました。……書類はすべて整っていますし、あとはナオさん。あなたが承諾し、役所で手続きを済ませるだけです」
「ちょ、ちょっと待ってください。最初のところから意味分かんないんですけど!」
お仕事モードで説明するシーラさんに、私は待ったを掛ける。
まず、あのデニスが私に贈り物をしようっていうのが分かんない。っていうか怖い。
どう考えても私たちとあの人の関係は良好とは言い難い。何かくれるっていうなら、毒や刃物のほうが自然な間柄だ。すると、
「ええ。そうでしょうね。……正直、私たちもラーナー氏の動向には混乱させられているのよ」
と、シーラさん。
「それはそうだろうな」
すると、私たちの隣に座っていたミリーがそう補足する。
シーラさんは言葉を濁していたけど、ミリーの説明で大分あちらの事情も見えてきた。
ピアソン一家とラーナー一家は、いわば商売敵だ。それも、ラーナー一家は近年急速に勢力を伸ばし、暴力的な手段を平気で取るから、両家には摩擦があった。最近では全面衝突も危ぶまれるほど緊張が高まっていたらしい。
それが、この十数日でがらりと事情が変わった。
あの狂犬のようなデニス・ラーナーが突如として一家を解散させて、街から出て行ったのだ。
しかも、デニスは己の事業の後始末まで行った。部下に任せたり他の人に預けたりと、配下の人間の暮らしが立つように取り計らったのだ。対立するピアソン一家にまで、事業権を譲渡したらしい。(呼び売り業もその一つみたい)
彼の奇行はそれだけではない。貯めこんだ財産まで処分し、部下や貧民に惜しげも無く配ったと言うのだ。
「あなたにこの店が譲られたのも、その一環でしょうね」
と、シーラさんが呟く。
「な――」
あまりの話に、言葉が上手く出てこない。
でも、彼が豹変した理由は分かる。――間違いなく、クレムの
ちらりと横目で窺うと、彼女の青い瞳と視線があった。めちゃくちゃ困った顔してる。そりゃそうだよね。
「まあ、ここまで大きな資産が譲られるのは直属の部下ばかりだから。……それで、あなたの事を疑ったのよ。聞いたことのない名前だったし、女性なら、ひょっとして情婦かとも思ったんだけど……」
「ち、違います! そんな関係じゃありません!」
「分かってるわ。忘れてちょうだい」
シーラさんの呟きを慌てて否定すると、彼女は苦笑して謝罪する。
結局、デニスが方々に財産を譲り渡しているのは事実で、ピアソン一家も対応に苦慮しているらしい。まあ、オストバーグに大きな混乱が起きなかったのはいいことなんだろうけど。
「そう言う訳で、この土地家屋はあなたのものよ。どうかしら。今日の内に手続きを済ませてしまう?」
と、シーラさんが書類の説明をしながらそう尋ねてくる。
「えっと、これ、前の持ち主さんに返さなくてもいいんですか?」
私が控え目にそう尋ねると、
「……前の所有者は亡くなって、相続人がいなかったから競売に掛けられたの。それをラーナー一家が競り落とした。全て適法よ。あなたが心配するようなことは何もないわ」
一拍の間を置いて、シーラさんがそう答えてくれる。
私を見詰める金色の瞳が、なぜか嬉しそうに輝いている。
「……そうよね。急に話を進められても困るわよね。でも、この話に不利益はないのよ。法的には何の問題もないし、
と、シーラさんの弁舌が熱を帯びる。
なんでも、このオストバーグで土地を手に入れるというのは、資産以上の価値があるとか。
それは市民権の取得に土地の所有が明記されているからだ。一年以上土地を所有し、税金を納めれば、私のような異邦人であっても権利を認められた市民になれるらしい。
「なんなら名義登録だけでもいいのよ? この立地と建物なら、借り手はすぐにつくわ。管理は
シーラさんが身振り手振りを交えて教えてくれる。関係ないけど、やっぱりこの人、仕草が妙に可愛らしい。
「ありがとうございます。ホントにいいお話なのは、わかってるんですけど……」
でも、そんな彼女の熱弁も、私には今一つ響かない。胸の内に蟠(わだかま)る感情をどう言葉にしたものかと悩んでいると、
「ナオ。あなたの考えを聞かせてくれませんか?」
話を清聴していたクレムが、穏やかにそう語りかけてきた。
「うん。ありがとクレム。……あの、私、正直怖いんです。この建物がラーナー一家の物だったり、譲られた経緯が分かんないのもそうなんですけど……それ以前に、手に余る物を持つのが不安なんです。大きな価値のある物は、それだけ何かを呼び寄せそうで……」
親友に促され、ようやく私は不安の正体に気付いた。
私は望まずして生み出した
「代価も無しに、得られる物なんてありません。だから、この話を受けていいのか、迷ってるんです」
優柔不断とも取れる私の言葉に、でもクレムもミリーも何も言わない。
「…………なるほど。いえ、そういう考え方もあるでしょうね」
対面に座るシーラさんは、何やら神妙な表情。あれ、ひょっとして呆れられてるのかも。
私が慌てて言葉を継ごうとする。とその時、
「まあ、そんなに
と、
「えっ?」
驚いて酒場の入り口を見れば、そこには初老の男性が立っていた。
「お、お父様!? どうしてここに」
シーラさんが慌てて立ち上がる。え、お父様?
「いや、近くを通ったら、うちの馬車が停まってたからね。トッドに聞いたら、お前がお客さんを案内してるっていうもんだから、ちょっと覗きにきたのさ」
皺の浮いた顔に人好きのする笑みを浮かべ、男性が酒場に入ってくる。
着衣は市民風で平凡だけど、仕立ては見るからに良さそう。立ち居振る舞いも洗練されていて、洒脱なナイスミドルって感じ。でも、見るからに子供っぽい雰囲気があって、落差がなんだか不思議な印象。
お父様とは言ったけど、顔立ちはあんまり似てない。肌の色もイシダールの人と同じだし。あ、小柄なのは似てるかな。
「っ、今は商談中です。困りますよ社長!」
と、シーラさんが真面目モードになって抗議する。さっきまでの大人な態度が一気に崩れ去って、なんだかとっても可愛らしい。
「ままま、そう言わんでおくれ。……おや、こちらのお嬢さん方が例のお客様かね」
いつの間にやら、男の人はシーラさんの隣に座って私たちに挨拶する。
その気さくさ、距離感の測り方、纏う雰囲気の圧が凄い。なんていうか、あっと言う間に場の空気を支配してしまった感じ。
「あ、どうも。私、ナオって言います。それでこっちが――」
「……クレメント、と申します」
私たちも慌てて立ち上がって自己紹介。すると、
「……彼がピアソン家の当主、クレイグ・ピアソンだろう。筋の通った男だと聞くが、オストバーグの裏社会を束ねる
と、ミリーがこの男性について教えてくれる。
「えっ……」
いきなり裏社会のボスと対面することになって、私もちょっと緊張する。朗らかそうなおじ様だけど、この人、デニスとご同業ってことでしょ?
「ふむふむ」
私が緊張している間にも、クレイグさんはくりくりと良く動くとび色の瞳で私たちを眺める。露骨な視線なのに、不快にならないのは凄い。
「ほう……」
すると、クレイグさんがクレムを見て一瞬だけ驚いた表情をする。でもすぐに元のにこやかな顔に戻って、
「いきなり決めろと言われても困るだろうし、そうだ。しばらくここに住んでみたらどうだね」
唐突にそんなことを言い出した。
「へ?」
「ちょ、ちょっとお父――社長!?」
クレイグさんの提案に、私はおろかシーラさんまで頓狂な声を上げる。
「家の話なんて即断即決できるもんじゃないだろう。得心するまで、じっくり考えてもらえばいい」
名案を思い付いたとばかりに、からから笑うクレイグさん。シーラさんはこれまでの段取りが全部狂って頭を抱えている。
結局それから、私たちはピアソンさん親子と雑談を楽しんだ。
真面目で格好良くて、それでいてどこか可愛らしいシーラさんと、剽軽で懐が深くて、でも雰囲気のあるクレイグさん。
最初は緊張していたけど、なんだかんだで会話は弾み、途中からは私も結構遠慮なくあれこれ話すことができた。
で、気が付いたらいい時間になっていて。
「さて、それじゃあ、私らはこれで失礼させてもらうよ。ほれシーラ。鍵を預けておきなさい」
「……はい。社長」
そう言って、クレイグさんとシーラさんは席を立つ。ぼちぼち日も傾いてきたし、引き留めてしまったみたいでちょっと心苦しい。
「ここにあるものは、別に何を使ってくれてもかまわんよ。ほとんど君の持ち物みたいなものだからね」
シーラさんから鍵束の説明を受けていると、クレイグさんがそう語りかけてくる。
この土地家屋の処遇に決心が着くまで、私たちはここに住むことになってしまった。何が何やらわからないけど、時間を貰えたのはとてもありがたい。
「それじゃあ、今日はこれで。……何か分からないことがあったら、いつでも相談してくれていいからね」
「はい。色々とありがとうございました」
別れ際に、シーラさんが優しく微笑む。
会ってからほんの数時間しか経っていないのに、なんだかすっかり仲良くなってしまった。裏社会の組織、だなんて聞いてたから怖かったけど、話してみたらホントに良い人たちみたいで安心した。
「はー。なんだか大変なことになっちゃったね」
「そうですね。まさかこんなことになるなんて」
ピアソンさんたちを見送ると、私とクレムは顔を見合わせて苦笑する。
「まあ、猶予が得られたのは結構なことだ。ここ最近は宿で息を潜めていたからな。気晴らしも兼ねてゆっくりするといい」
ミリーもそう言って励ましてくれる。
「うん。ちょっとは頭を整理しないと。混乱しっぱなしで熱でも出ちゃいそう」
冗談めかして答える私。
でも、この時は予想もできなかった。ゆっくりできる時間なんて、当分は来ないことを。