ナオのゴスペル   作:抱き猫

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4 月下の出会い

 

 

 夜の川原で、星空の下で子守唄を歌う少女。

 どう考えても山歩きには不釣り合いな服装。人間とは思えない程真っ白な体。

 

 そんな浮世離れした姿でありながら、不思議と恐怖はまったく感じず、むしろ名画や絶景を目の当たりにしたときのような、形容しがたい感動が湧き上がる。

 

 これほどまでに存在感を放つ少女を、しかし隣に立つクレムさんはまったく認知できないでいるらしい。

 

「私も自分がヤバいこと言ってるのは理解してる。けどごめん。もうちょっとだけ付き合ってくれる?」

 

 私はクレムさんに自分が見えている光景を掻い摘んで説明する。

 彼女は怪訝な表情を浮かべながら、それでも頭ごなしに否定はしないでくれた。

 

 クレムさんの見えてるほうが現実だとすれば、私は何もない空間に向けて独り芝居をしていることになる。不気味だろうし、正気を失っていると判断されても仕方がない。むしろこうして付き合ってくれているだけ、十分優しい対応だ。

 

「ねえ君! こんな時間にどうしたの!? そんなとこにいると危ないよ!」

 

 私は林から川原に降りると、意を決してそう声を上げた。

 

「――?」

 

 と、白い少女が歌を止め、こちらへと振り向いた。

 明確な反応。ただ、彼女はそのまま首を右へ左へ、なぜか周囲を見回す。

 

「君だよ君! そこの岩の上の、白いドレスのあなた!」

 

 あらためてそう言い直すと、少女はこちらに向き直り灰色の目で私を凝視した。

 

 その表情を目の当たりにして、私の背筋に悪寒が走る。

 誰もが見惚れるほどに綺麗な顔なのに、そこには一切の感情がない。

 冷徹で無機質な、誰かが作った人形ではないかと思わせる無表情。

 

「う……」

 

 怯えて足を止めてしまいそうになるが、それでも私は川原を進む。

 この子がどんな子なのか分からない。ひょっとしたら、とんでもなく悪くて怖い存在なのかもしれない。

 

 けど、私には確信があった。きっとこの子は怪物なんかじゃない。

 さっきまで聞こえていた彼女の歌。そこには明らかに感情がこもっていた。暖かで優しい、誰かを思う心。それに、冷たく儚い寂しげな気持ち。

 

「初めまして! ねえ、こんな夜中にどうしたの? 君一人? お父さんお母さんは?」

 

 初対面は笑顔が一番。私は夜空の星に負けない明るさで、彼女に語りかける。だが、

 

「…………」

 

 白い少女は瞼を閉じ、胸元に手を当てて固まってしまった。

 

「あ、あれ~」

 

 まさかのガン無視。まさか初手で(つまづ)くとは。警戒されてしまったか。いや、ひょっとして言葉が通じていないのかも。いやいやそれよりどうやってフォローしよう。そう私が考えていると、

 

「……そうか。これは驚駭(きょうがい)の念か」

 

 鈴を転がすような、小鳥がさえずるような、可愛らしい声が夜闇に響く。

 

「――えっ!?」

 

 そして次の瞬間、白い少女は私の視界から忽然(こつぜん)と姿を消した。

 

「な、え、なに――わひゃあ!」

 

 消失した少女を探して辺りを見回し、私は間抜けな悲鳴を上げてしまう。

 少女がいつの間にか、背後数メートルの所に立っていたのだ。

 

「ナオ様!」

 

 悲鳴を聞きつけてクレムさんまでやってくる。

 いや、夜の川原で尻餅つくのはホントに危ないので、全面的に私が悪いんだけど。

 

「ああ大変! お怪我などなされていませんか?」

「確認するが、君は私のことが見えているのだな?」

「わ、ごめん。二人いっぺんに話しかけられると困る!」

 

 クレムさんと白い女の子に挟まれ、私は話を聞き損じそうになってそう叫ぶ。すると、

 

「ッ――」

 

 クレムさんが小さく息を呑み、面食らったように立ち止まった。

 あ、しまった。これはいよいよ誤解されてしまう。

 

「ちょ、ちょっと待ってクレムさん! 私、平気だから。ドン引きしてるだろうけど、まずこの子と話させてね」

 

 慌てて立ちながら弁解の言葉を並べる。

 

 クレムさんはかなり深刻そうな表情を浮かべていて、正直居た堪れなさが半端ないんだけど、まずは女の子の方から話を聞かないと。

 

「こちらの娘は()()()のようだな。おかしいのは君だけか」

 

 私と目が合うと、ドレスの少女は割と辛辣な調子で尋ねてくる。見た目は可愛いのに、喋り方は随分と冷淡だ。

 

「あー、えーと、そうです。見えてます。歌も聞こえました」

「……そうか」

 

 素直にそう答えると、少女はふむと小さく頷いた。思慮深そうで落ち着いた雰囲気に、つい敬語で話してしまう。

 

「あなたはひょっとして……幽霊さん?」

 

 近くで見れば、間違いない。この子、体が微かに透けている。凝視すればぼんやりと、衣服や顔の向こうに夜の川原が見えるのだ。

 

「……私自身にも断言はできないが、通俗的な概念でいえば、それが最も妥当な表現だろうな」

 

 真っ白な少女はそう言うと、私のすぐそばまで顔を寄せてくる。関係ないけど、まつ毛長いなぁ。

 

「それより君は何者だ? 私を知覚できた人間など今まで一人もいなかった」

「う~ん、ただの地球人なんだけど、それが原因なのかなぁ」

「チキュウ? 聞いたことがないな。何処にある国だ」

「話せば長くなるので……ていうか話せるほど事情が掴めてないんだけど」

 

 と、女の子は興味津々で私を観察してくる。その仕草が、妙に子供子供して可愛い。言葉遣いや雰囲気はすごく年長者っぽいのに、なんだか小動物みたいだ。すると、

 

「……あの、ナオ様?」

 

 それまで待っていたクレムさんが、おずおずと口を開いた。

 

「ああ、ごめんね。えーと、ここに女の子の幽霊さんが居るの。――いや、待って。訳わかんないこと言ってるのは百も承知だけど、もうちょっとだけ我慢して!」

 

 これ以上誤解を招くような真似はゴメンだ。私は幽霊さんに顔を寄せ、

 

「ねえ。何かあなたのことを納得してもらうような方法ない? こう、その辺の小石を投げてみせるとか」

 

 と、小声で相談する。だが、

 

「……生憎だが、期待には添えないだろう。私はこの物質世界には何一つ干渉することができないからな」

 

 そういって、彼女は私へと手を伸ばす。

 細く小さな手は、するりと私のお腹に突き刺さった。

 

 視覚的にはドキッとしたが、実際には何の痛みも無い。幽霊なら冷たいのかと思いきや、そんな感覚すらないのだ。目を瞑ってみれば、お腹に手を突っ込まれているなんて想像もできない。

 

「この有様だ」

「なるほど。いやでも困ったな……」

 

 事情は納得できた。でもそうなると、どうすればこの子の存在をクレムさんに信じてもらえるのか。

 

「……ナオ様。それに幽霊様も。ここは寒いので、家でお話をなされてはいかがですか」

 

 クレムさんがもう完全にいたわりモードに入っている。ヤバい。こう、頑張って話を合わせようと演技してるんだろうけど、痛ましいほどぎこちない。

 

「――クレムさん。ごめん、聞いてくれる?」

 

 私は彼女の誤解を解くために、深呼吸して気合を入れる。

 折角仲良くなれたのに、こんなことで距離を置かれるなんてまっぴらだ。

 

 幽霊が見えた。なんて自分でもまだ信じられないけど、実際に話してみて確信した。――この子は絶対に実在する。

 たとえ他の誰にも見えなくても、何にも触れることができなくても、私はこの子を無視なんてできない。

 

「ぁ……」

 

 私はクレムさんの両手を取り、心の底から訴える。

 

「信じて欲しいの。私が正気かどうかじゃない。ここに小さな女の子が居るって。見えなくても、ここに人が居るんだって!」

「…………」

 

 けれど、返ってきたのは長い沈黙。

 

「ッ……」

 

 私は胸の内に芽生える落胆と悲しみを、懸命に抑え込もうとする。

 クレムさんを無理解と責めるのはお門違いだ。彼女の側に立てば、おかしいのは間違いなく私なんだから。

 

 それでも私はどうしようもなく悲しい。信じてもらえなかったことより、この小さな女の子の存在を、誰も気付いてあげられないことが。

 

「ん……あれ?」

 

 だが、目を開けてみれば、何か様子がおかしい。クレムさん、どっち向いてるの?

 

「あ、あの……この方は、い、いったい何時から、そこに……」

 

 視線を追ってみれば、その先には幽霊の女の子が。

 

「え、見えるようになったの!?」

 

 なんだなんだ、やっぱり見えるんじゃない。ばっちり目が合っている二人に、私は歓声と共に両手を打ち鳴らす。と、

 

「――き、消えた!?」

 

 クレムさんが緊迫した声でそう叫ぶ。

 

「え、えええ! さっき見えてたじゃん!」

 

 なぜか、彼女はまた少女の姿が見えなくなってしまったらしい。

 私は驚きのあまり、狼狽しているクレムさんの両肩を掴んで揺する。すると、

 

「ひっ――また出た!」

 

 と、クレムさんが悲鳴を上げて身を竦める。

 

「…………あれ?」

 

 何か気付いた。法則あるぞこれ。

 

「また消え――ひゃあ!」

 

 私が触れる度に、クレムさんが可愛らしい悲鳴を上げる。

 ああ。間違いなく私が原因だ。私が触れている間は、彼女にも幽霊少女が見えるんだ。

 

「ね、落ち着いて! ほら、よく見て。幽霊だけど全然怖くないよ。この子」

 

 何やら楽しくなって、私はクレムさんの肩に腕を回し、幽霊少女へと詰め寄る。

 

「……なるほど。君が触れると見えるようになるのか」

「しゃ、喋った……」

「やった! 声も聞こえてる! ね、ちゃーんと居たでしょ?」

 

 私は満面の笑みを浮かべて、クレムさんを抱きしめる。女の子にも手を伸ばしたが、残念ながら体に触れることはできない。でも、感じ感じ。

 

「……随分と変わった人間のようだな」

 

 ハイテンションな私を見て、女の子が呆れたように息を付く。

 

「ただ、もう少し周りを見た方がいい。そちらの娘、そろそろ限界のようだ」

「――へ?」

 

 その子の唐突な発言に横を向いてみれば、

 

「うーん……」

「え、どしたの大丈夫!?」

 

 苦悶の表情で呻き声を発し、クレムさんがその場に座り込んでしまった。

 声を掛けても返事が無い。幽霊を目の当たりにしたショックで気を失ってしまったのだ。

 

「うわ、ちょっと、え、ヤバい! どーしよこれ!!」

 

 くずおれるクレムさんを支えながら悲鳴を上げる。それに驚いたのか、鳥がばさばさと木から飛び立っていく。

 変わらず静かなのは、空に輝く星と月だけだった。

 

 

 

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