結局、テオドラさんが倒れたのは疲労と栄養不良のためだろうというのが、お医者さんのお話だった。
栄養を取ってゆっくり休みなさいと勧めるサーマン先生を、丁重にお見送りする。
テオドラさんには二階の客室をそのまま使ってもらい、私たちは一階の酒場へ移動。そこで、
「そんなことが……とにかく、あなたが無事でよかったです」
帰ってきたクレムに、私は先ほど起きた事件の説明をした。
「官憲の腐敗はそこまで酷いのですか」
警備隊の暴挙を耳にするや、彼女は端正な顔を曇らせる。やっぱり、お父さんが法曹関係の仕事をしていたからか、この手の事件には思う所があるみたい。
「あの……それで、テオドラ様とは、いったいどのようなお方なのでしょう?」
そして、話題は警備隊を口先一つで追い返した魔性の女性へと移る。
「いや、私は全然分かんないんだけど……」
「来歴は何も聞きだせていないが、おそらく堅気ではないだろう」
と、ミリーが当時の状況を事細かに説明する。
「なんと、まあ……」
テオドラさんのとんでもない手練手管に、クレムはほとんど絶句する。うん。私もその場に居合わせた時はそんな反応だったよ。
「危ない方、ではないのでしょうか」
「さて。確言はできないな」
女の武器を完全に使いこなし、社会の後ろ暗い事情にも精通しているらしいテオドラさんとは、はたしてどんな人物なのか。
私たちの誰もが、答えを出すだけのヒントを得られていない。
「でも、なんとなくなんだけど、悪い人じゃないと思うんだ」
けれども、私ははっきりとそう意見する。
テオドラさんとはほんの少し話しただけだし、事情なんて全然知らないけど、それでもあの人の眼差しや声音、態度の端々から感じられる雰囲気に、嫌な感じは全然しない。
「それは、私からはなんとも……」
「判断材料が何も無い状況で、よくもそこまで断言できるものだな」
「あはは……」
私の楽天的過ぎる発言に、クレムとミリーは揃って渋い顔。
意見を容れられなくても、全然不愉快な気持ちにはならない。当然の反応だと思うし、私の身を案じてのことだから、むしろ嬉しく思う。ただ、
「なんだろう。あの人見てると、ほっとけなくて。……行き倒れてたからじゃないの。何か、もっとずっと、深い所で引っ掛かる感じがして。……う~ん、上手く説明できないんだけど……」
それでも私は胸の内を言葉にしようとする。
誰もが羨むような美貌に、それに負けない聡明さを備えたテオドラさん。
でも、そんな彼女の表情には、何か拭い難いような翳(かげ)があるような気がする。
見ているこっちが悲しくなるような、思わず叫び出したくなるような、激しい感情。
印象を操作されたんじゃないと思う。だって彼女は、一度だって私に憐れみを乞おうなんてしなかったし。だから余計に気にかかるんだ。
「いえ、何となくですけれど、分かりました」
要領を得ない私の説明に、それでもクレムは頷いてくれる。
「あの娘が悪人ではなかったとして、面倒事を抱えていないという保証にはならないぞ」
ミリーはあくまでも慎重な意見。けれど、
「……まあ、ナオの人物眼が当てになるかどうかは、今後の成り行き次第か」
呆れたようにそう呟く。
これは、遠回しにテオドラさんのことを認めてくれたのかな。判断は保留って感じ?
「ともあれ、まずは喫緊の問題から対処せねばならん」
と、ミリーが話を先に続ける。
そうだ。さっきはテオドラさんのお蔭で警備隊を追い返せたけど、あの人たちがまた来ないとは限らないのだ。
「うん。もう今からでもピアソン不動産に行こうと思ってるの。シーラさんに会って、どうするか相談しなくちゃ」
私は外出用の鞄を持って、準備万端だ。すると、
「わかりました。それでは私は留守を預かります。ミリー。ナオをお願いしますね」
「心得た」
「え! クレム来てくれないの!?」
てっきりみんなで行く気だった私は、二人の反応に面食らう。
「
さも当然のことのように説明するミリー。
「いや、テオドラさんに留守番頼もうと思ってたんだけど……」
「は?」
私がそう溢すと、幽霊少女は信じられないモノを見るような顔をする。
「流石にそれは……」
クレムもちょっと引いている。
「だ、だってほら! 警備隊の人がもう一回来たら、どっちみちテオドラさんを頼んなきゃじゃん! だったら最初からお願いした方が丁寧でしょ!?」
私は慌てふためいて、二人にそう説明する。すると、
「ああ、確かに。そのような状況も想定できるか……」
と、ミリーも多少は納得してくれたようだ。いやよかった。完全にアホの子認定されるところだった。
「けれど、その……テオドラ様はそこまで信頼できる方なのですか?」
すると、クレムが如何にも言いにくそうにそう尋ねてくる。
「え、この場合大事なのは、向こうが私たちを信頼してくれるかじゃないの?」
その問いかけに、私はつい質問を投げ返してしまう。
「え?」
「うん?」
クレムとミリーが、揃って戸惑った表情を浮かべる。
「あれ? 私何か変なこと言った?」
怪訝な反応に焦っていると、ミリーが何やらクレムに目配せ。そして、
「なぜそうなるのか、話してみてくれ」
なにやら興味深そうに、そう問いかけてくる。
「だって、頼み事をするなら相手を信じるのは大前提じゃん。それで、応じてくれるかどうかは向こうの気持ち次第な訳でしょ? 気にしなきゃいけないのは、私たちが相手にとって信頼に値するかどうかじゃないの?」
私がそう説明すると、ミリーは灰色の瞳を微かに見開く。そして、
「……その考え方ですと、最初に人を信じるのは、賭けになりませんか?」
クレムも何やら神妙な面持ちで問いかけてくる。
「別に誰でも彼でも無条件で信じようって訳じゃないよ? でも、他人に信じて欲しいなら、先に自分が信じないと。……まあ、それでミスったら、私の見る目が無かったってことになるけど……」
私はそう答える。すると、
「……元からこんな娘だったな」
「はい」
クレムとミリーは、なにやら一言つぶやいて、意味深な表情で視線を交わす。え、なに、目だけで何の話してるの?
「いいだろう。どちらにせよ、まずは相手に話を通さねばならない。承諾してくれるとも限らないしな」
「そうですね。私も、テオドラ様とはきちんとお話してみたいですし」
どういった経緯で納得してくれたのかは不明だけど、二人はテオドラさんに留守番を頼もうという私の考えを認めてくれたようだ。
「ありがとう! 早速お願いしてみるね」
私は笑顔で二人に礼を述べる。うん。よかったよかった。……でも、なんか釈然としないような?
× × ×
結局、テオドラさんは二つ返事で留守番を引き受けてくれた。
出来る限りの事情を話して協力をお願いすると、美人のお姉さんは朗らかに笑って任せてほしいと言ってくれた。
そうして私たちは出支度を調えると、一路ピアソン不動産へ。
「うーん、まあまあ距離あるよね」
酒場から不動産屋さんまでは、区を跨ぐのでそれなりに遠い。
この世界に来てから結構経ったし、歩くのも随分慣れたけど、徒歩だとやっぱり時間がかかる。
ミリーは瞬間移動できるし、クレムは体力お化けだから、どうしても私のペースに合わさせてしまう。
「大通りで馬車を探しますか?」
「いやいや大丈夫!」
おっと、下手なことを言ったからクレムに心配させてしまった。
オストバーグは大きな街だけど、移動はやっぱり徒歩が基本だ。
大きな宿屋や官公庁、大学などには路線バスみたいに馬車が定期運行してるし、数は少ないけどタクシーみたいな辻馬車も街中を走ってる。
疲れないのは魅力的だけど、やっぱりそれなりにお金はかかるし、そこまで速くもないので、私は使ったことが無い。利用客も上流の紳士淑女が主みたいだし。
「疲れてないし、平気だよ。……ちょっと、気が急いちゃって」
石畳を踏みしめ、私はクレムにそう弁解する。
まだお昼を回ったぐらいだけど、朝の騒動が強烈過ぎて、つい焦ってしまう。
そうこうしているうちに、私たちはピアソン不動産までやってきた。
「あら、いらっしゃい。もう考えは纏まったのかしら?」
幸い、シーラさんは今日も出勤していて、私たちを快く出迎えてくれた。
「助けて下さい。大問題が起きたんです!」
「ちょ、え、な、何かしら!?」
私は安堵の余り、挨拶もすっ飛ばして助けを訴える。縋り付かんばかりの私の様子に、シーラさんは金色の瞳を見開いて驚く。
そして、奥の部屋に通された私たちは、今朝の出来事を報告する。
警備隊の人間が家宅捜索を行うと言って押しかけてきて、ピアソン不動産の名前を出してなんとか追い返したこと。
迷ったけど、テオドラさんのことは伏せた。放り出すよう指示されたら困っちゃうし。
「そう。あなたたちの所にも来たの。……完全に私の落ち度ね。昨日の内に忠告しておくべきだったわ」
私たちの話を聞き終えるや、シーラさんはこめかみを指で押さえながら、忌々しげにそう呟く。
「へ? 他の場所でもあるんですか?」
同様の事件が他でも起きているという話に、私は唖然としてしまう。
「ええ。手入れと称して建物に押し入るのは彼らの常とう手段よ。ラーナー一家が解散したから、その土地建物を狙っているらしいの。……怖かったでしょうに、ごめんなさいね」
と、シーラさんは私たちに真摯に謝罪してくれる。
「そ、そんな、謝らないでください!」
私は慌てて気にしてないと告げる。シーラさん、如何にも出来る女で格好良いのに、誠実で優しいのはホントに凄いと思う。
「でも、警備隊の人たちって、なんでそんな事するんですか? あの人たち、市民の味方なんですよね?」
「あなたは市民じゃないでしょう?」
私の疑問に、シーラさんはさも当然のようにそう答える。
査察の振りをして警備隊が家屋に入り込み、冤罪で住人を強請るのは、彼らがちょくちょくやる小銭稼ぎらしいのだ。
標的は下層民で、叩けば埃がでるような人たちばかり。そんな人たちだから、大抵は幾らかお金を掴ませて、見なかったことにしてもらうらしい。
ただ、今回はラーナー一家という巨大企業が解散し、権利の曖昧になった土地家屋が数多く出現。しかもラーナー一家はならず者だから、罪状は何でもこじつけ放題。警備隊が市内の各所に押し込みを仕掛けているらしい。
「私たちにも相談は相次いでいてね。……ただ、
と、シーラさんがひとりごちる。
「なっ――」
話が酷過ぎて、脳が理解を拒絶しそうになる。
横柄だったり、怖かったりしたけど、それでも警備隊は味方だと思ってたのに。
だって私、少なくとも彼らが家宅捜索に来たって話はまだ信じてたもん。それが、徹頭徹尾お金の為だったなんて。
「あら、彼らは味方よ? 市民階級以上のね。今回の手入れだって、金銭目的よりは市民や貴族たちへの点数稼ぎの意味合いが強いでしょうし」
呻く私に、シーラさんが詳しく説明をしてくれる。
「商会や手工業組合からにすれば、ラーナー一家のような手合いは目障りな存在よ。暴力沙汰も頻繁に起こすから、市民も怖がっているし。……以前は全面衝突を懸念して手を出しかねていたみたいだけど、一家が解散したから、喜び勇んで摘発に乗り出した。ってところでしょうね」
そう話を纏めると、シーラさんはため息をつく。
王都オストバーグでは、こうした組織間による勢力争いは日常茶飯事なのだそうな。
想像もしなかった世界の一端を垣間見て、私は頭がパンクしそう。すると、
「それで、私たちは今後どうするべきでしょうか」
それまで話を清聴していたクレムが、凛とした面持ちで尋ねた。
そうだ、呆けている暇なんてなかった。大事なのは対策だ。それを相談しに来たんだから。
「…………」
すると、シーラさんは何故かじっとクレムを見詰める。え、どうしたんだろう。
「何か?」
視線に気付いたのか、クレムも怪訝な表情を浮かべる。そりゃあこの子は美人だけど、昨日も会ったよね?
「ああ、ごめんなさい。なんでもないの」
と、シーラさんは軽く首を振る。そして重たい空気を吹き飛ばすかのように、
「そうね。やっぱり名義を変えてしまうのが一番早いかしら。ナオさん。今から役所に行きましょう」
晴れやかな声でそう告げた。