王都オストバーグのど真ん中に位置するユクレスト区。
王宮があり、大聖堂があり、議場に役所、裁判所などが立ち並ぶ行政の中心地で、正にイシダール王国の心臓部だ。
街並みは整然と整えられており、石造りの風格ある建造物がいたる所に見える。
ただ、官庁街なので大聖堂の近く以外に人通りは少ない。
真昼の太陽に照らされた石畳を、私たちを乗せた馬車が軽快に進んでいく。
「で、対策なんだけど。早い話が不動産をナオさんの名前で登記してしまうの。今はまだ、ラーナー氏の持ち物だから、それで警備隊も目を付けたのね。……正規の手続きを踏まえて書類を作れば、彼らだって簡単に手出しはできない筈よ。
馬車の中で、シーラさんがこれからの作業について説明してくれる。
不動産を所有するかどうか決めかねていた私だけど、今後の面倒を避けるため、とにかく形だけでも権利者になりなさいと勧められたのだ。
税金など諸々の経費は掛かるけど、住むにせよ貸すにせよ、ピアソン不動産がちゃんと管理してくれるとのこと。
もし手に余るようなら、相場で買い上げてもいいと言ってくれた。
「でも、それってシーラさんたちの迷惑になりませんか?」
そこまで世話を掛けてしまって、私は恐縮してしまう。けれど、
「相続人不在で国に取られるよりはずっとマシよ。どんな形でも利益はちゃんと貰うから、あまり気にしないでちょうだい」
彼女は笑ってそう告げる。
出来る女の格好いい仕草だけど、背が小さいからか、どこかチャーミングだ。
「ありがとうございます」
と、私は改めて礼を述べる。
お金周りの話は事実なんだろうけど、多分私たちを安心させる為にそんな話をしてくれたんだと思う。
ホントにこの人、気遣いが細やかで優しい人だ。
「……それで、えっと」
けど、私はいまいち晴れやかな気分ではない。不動産の話とは別に、新たな問題が発生したからだ。
「…………」
私は横目で隣に座るクレムを見遣る。
彼女はフードをいつもより目深に被り、青い瞳で爪先を見詰めるように俯いている。役所に行くことになってから、彼女は急にこんな調子だ。
「アングスト家は高等法院に務める役人だ。官庁街には知人がいるかもしれないのだろう。……注意してやってくれ」
そう教えてくれるのはミリーだ。
脳裏によみがえるのは、大聖堂前での一件。
流石に仕事関係の知り合いなら大騒ぎはしないだろうけど、それでも彼女は自分の身元がばれるのを極端に恐れている。……私だって、クレムが傷つくなんて嫌だ。
「えっと……体調が悪いなら、先に帰る?」
私は意を決してそう切り出す。
シーラさんも居るし、手続きぐらいならなんとか出来る。役所の中にまで同行してもらわなくても大丈夫だ。すると、
「あら、それなら酒場まで送らせましょうか」
と、シーラさんが提案してくれる。
目端の利く彼女の事だ。クレムの変化はとっくに気付いていたのだろう。
「いえ、そこまでしていただかなくとも……」
けど、クレムはそう言って遠慮する。ただ、付いて行くとは言わないあたり、葛藤が見える。
「……なら、馬車で待っていたら? もし具合が悪くなったら、何時でも言ってくれればいいから」
シーラさんが優しい声音でそう告げる。
「……はい。ご迷惑をおかけします」
結局、クレムは大事を取って馬車で待つことにした。万が一を考えたら、私もそうした方がいいと思う。……けど、彼女の置かれた立場を考えると、自分の事のように胸が痛む。彼女が何の気遣いも無く街を歩ける日は、果たして来るのだろうか。
× × ×
そうして、ピアソン不動産の馬車は石造りの巨大な建物の前で停まった。
ここはオストバーグ市庁舎。この大都市を管理、運営する施設だ。
「おお……」
質実剛健な佇まいながら、どこか
石材が豊富で地震がないから、大掛かりな建築もしやすいのかな。
「さ、行きましょうか」
たじろぐ私を尻目に、シーラさんはすたすたと役所に入っていく。勝手知ったる風だけど、実際に何度も足を運んだことがあるんだろう。
私もシーラさんの背中に付いて行く。そうして中に入れば、外観以上にしっかりとした建物だった。
お役所ということで過剰な装飾はないけど、それでもホールは広々とした吹き抜けになっていて、壁や天井には優麗な飾り細工が施してある。
そして奥に進めば、市民からの届け出を処理するための窓口が並んでいる。
「う~ん。緊張してきた……」
「別に何も難しいことはないわよ。名前を書いてもらうだけだから。……ええと、字は書けるのよね? 代筆でも構わないけれど……」
「一応、名前ぐらいなら」
あれこれ雑談していると、すぐに窓口に案内された。
中年の職員さんが出て来て、愛想よく応対してくれる。
なんだろ。待ち時間に他の窓口を見てたら、割と木で鼻をくくったような態度だったのに、この人はえらく丁寧だな。
「はい。はい。すべて書類は整っております。いや、ピアソン様は仕事が丁寧でいつも助かります」
シーラさんが提出した書類にざっと目を通して、職員さんが頷く。そして向こうから出された何枚かの書類に、私がサインする。
「それではすぐに処理してきますので、どうぞお待ちください」
「ええ。よろしくね」
「――ッ!?」
そして職員さんが紙束を持って奥に行くとき、私はとんでもない光景を見てしまった。
「え、いま、お金……」
シーラさんがさりげない素振りで、書類の下に何枚かの銀貨を滑りこませたのだ。職員さんは器用にそれを紙ではさみ、嬉しそうに持って行く。
「ああ、気にしないで。ラーナー氏から相応の額は戴いているから。ちょっとした手数料よ」
「いや、えっと……」
どう見ても賄賂だけど、職員さんもシーラさんも気にした様子がない。精々、仕事が円滑に進むようにチップを渡した。って感じだ。
いや、その感覚は分からなくもないけど、ぱっとみそれなりの額に見えたし、そもそも公務員に袖の下を渡すなんて……
「なるほど。ピアソン一家は大したものだな」
私が困惑していると、不意に落ち着いた声がする。幽霊少女のミリーが話しかけてきたのだ。
「――?」
声は出せないので、私は視線だけで応じる。するとミリーは、
「上手く役人らを懐柔している。シーラへの扱いも至極丁重だ。話に聞いていた通り、オストバーグの表と裏の双方に影響を及ぼしているらしい」
と、大真面目な面持ちで感心している。
あ、そうか。私の感覚からすると褒められたことじゃないけど、これってある種の営業活動なのか。
「ピアソン家は
と、ミリーは何故か感心した模様。うん。これ、賄賂そのものが駄目という感覚がそもそも場違いなんだな。
「……君は気にするやもしれないが、彼らはこのようにして人脈を広げ、貧しい人々を庇護しているのだ。その努力は汲んでやらないか」
私が複雑な気分でいるのを見抜いてか、ミリーがそう付け加える。
うん。確かに、世の中は綺麗ごとだけじゃ回らないし、同じ裏技を使うなら、スマートな方がいいとは思う。
「……あなた、どうしたの?」
「へ!? あ、なんでもないです!」
私が虚空に向けてふんふん唸っていたからか、シーラさんが気遣わしげに話しかけてくる。いけない、見られてた。
私が慌てて誤魔化すと、シーラさんは穏やかにほほ笑む。その仕草が如何にもお姉さんぽくて、なんだか照れてしまう。すると、
「そういえば、あなた、あのクレメントさんとは仲がいいの?」
と、彼女は暖かな笑みを湛えたまま、そう尋ねてきた。