ナオのゴスペル   作:抱き猫

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9 シーラの思惑

 

「え、はい。……あの子のことは、親友だと思ってます」

 

 いきなりクレムの話を振られて戸惑ったけど、私はとりあえずそう答える。嘘や偽りなんて欠片もない。私の本心だ。

 

 でも、いきなりあの子のことを聞いてくるだなんて、どうしたんだろう。時間つぶしの世間話にしても、唐突な感じだし。

 

 私は漠然とした違和感を懐く。すると

 

「ふうん。……彼女の御実家のことは知っているの?」

「ッ――」

 

 その疑念は、もっとも嫌な形で明らかにされた。

 

「……その反応だと、承知の上で付き合ってるみたいね」

 

 威嚇する猫みたいに全身を硬直させた私に、シーラさんが淡々と話しかける。

 彼女は大人の余裕を少しも損なわないまま、値踏みするような視線を私に向ける。

 

「……なんですか。そのことが、あなたに何か関係あるんですか」

 

 緊張で喉が渇く。絞り出した声は、自分でも驚くほどに冷ややかだった。

 

「いいえ。そんなに大したことじゃないのよ」

 

 職員さんは奥に引っ込んでしまったけど、近くの窓口には人が居る。それを憚ってか、シーラさんは声を落として話しかける。

 

 その態度に、言いようのない不快の念を覚える。

 格好良くて、チャーミングで、あれだけ素敵な女性だと思ったのに、今の彼女の金色の瞳は、感情を窺わせない蛇のよう。

 

「……それで、あの子が多額の遺産を相続したことも、知ってるのかしら?」

「――!!」

 

 次いで投げかけられた言葉に、私の感情は一気に昂ぶった。

 

「クレムに何させようって言うんですかッ!!」

 

 大声でそう怒鳴りつけ、私は反射的に席を立つ。

 周りの人たちが何事かと目を向けてくるが、頭が沸騰した私は全然収まらない。

 

「――建物の話、ありがとうございましたッ! でももう要りませんから! シーラさんの方で好きにしてください! だから、もう私たちに構わないで!!」

 

 私は激情の赴くままに言葉を吐き捨てる。

 

 まさか、まさか、シーラさんがそんな人だなんて思わなかった。

 クレムの境遇を知っていて、その上彼女の資産まで把握してるだなんて。

 

 ――騙された。良識ある風を装ってたけど、この人たちだって、ラーナー一家と同じならず者だったんだ。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 私の剣幕には然しものシーラさんもたじろいだようで、困惑して立ち上がる。けど、

 

「どうもお世話になりました。さよなら!」

 

 私はそう言い捨てて、早足でその場から立ち去る。

 

 焦燥が胸を焦がす。はやくクレムを連れて、何処か遠くに逃げないと。……いや、そもそもこのオストバーグの何処に、私たちが安心できる場所があるんだろう。

 

「ッ……」

 

 怒りと不安と情けなさで、泣きそうになってしまう。――いや、駄目だ。私は何があっても、クレムを支えてやるんだ。

 

「ま、待ってナオさん!」

 

 尚も追い縋ってくるシーラさんの声を聞き流し、私は役所の玄関ホールへ。しかしその時、

 

「待つんだナオ。彼女の話を聞いてやれ」

 

 私の目の前で、白いドレスがふわりと宙を舞う。ミリーが私の進路を塞いだのだ。

 

「どうやら、君の思い違いのようだ。頭を冷やせ」

 

 幽霊少女はそう言って、私の背後を指差す。

 

「――え?」

 

 驚いて振り返ると、そこには狼狽した様子のシーラさんが。

 

 苦渋に歪んだ綺麗な顔からは、明らかな心痛が見て取れる。彼女は私が立ち止まったのを見ると、

 

「ごめんなさい。酷いことを言ってしまったわね……」

 

 心の底から悔やんだ様子で、謝罪の言葉を口にした。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 市庁舎玄関ホールの二階は吹き抜けになっていて、回廊が巡らせてある。

 繋がっている部屋は会議室や倉庫らしく、あまり人は通らない。

 

 その一画で、私とシーラさんは壁に背を預けて立っていた。

 

「アングスト家が、慈善事業に熱心だったのは知ってる?」

 

 役所で大騒ぎをしてしまった私たちは、とにかく人気のない場所に移動。少しは冷静さを取り戻した私に、シーラさんがそう話しかける。

 

「……はい。詳しくは知りませんけど」

 

 周りには誰も居ないけど、声を落として会話する。

 

 気持ちはだいぶ落ち着いてきたけど、私はまだ不信感をぬぐえない。シーラさん、いったいクレムにどんな思惑があるんだろう。すると、

 

「その関係でね。ピアソン一家(うち)とアングスト家は親交があったのよ」

 

 彼女はそんなことを口にした。

 

「え――で、でも、そんな話、クレムからは聞いてませんよ」

 

 慌ててそう問いかけると、

 

「あまり表立っての行き来はなかったから、娘さんが知らなくても無理はないかもね。……あら? 困ったわ。これだと何の証明にもならないわね」

 

 シーラさんはくすりと笑う。そして、

 

「アングスト家は多額の寄付だけでなく、医業でも人々に尽くしてくれたの。……いいえ、それだけじゃない。司法に携わる者として、不当な扱いを受けやすい人々にも心を砕いて、寄り添ってくれた」

 

 どこか遠い眼差しと共に、そう呟く。

 

「大粛清の時代にあっても、その志は変わらなかった。……法の保護を受けられない人々は、本当に些細なことで捕まって、ろくな調べも受けられずに処罰された。ただ、先代のウェイドリィ氏だけが、裁判の公平性を訴え、正義を求めて活動してくれたの」

 

 尊い何かを前にしたような、穏やかで厳粛な表情。シーラさんは述懐を続ける。

 

「……こんな話もあるのよ? 執行を明日に控えた死刑囚が、ただウェイドリィ氏にだけは感謝し、彼の手に掛かることを喜んだって。……なぜなら、処刑人の彼だけが、死刑囚を人間として扱い、尊厳を持って接してくれたからだって」

「…………」

 

 シーラさんの話を、私はいつの間にか聞き入っていた。

 

 漠然としか知らなかった事柄が、急に実感を帯びてくる。この世界にどんな出来事があったかが、想像ではなく、ある種の体感として感じられる。

 

「かく言うピアソン一家(うち)も、あの時期には危ない目にも遭ってね。……窮地を救ってくれたウェイドリィ氏には、並々ならぬ恩義があるのよ」

 

 そう話を纏めるシーラさん。つまり……

 

「さっきの話って、私を試すつもりだったんですか?」

「ごめんなさいね。確かに無礼だったけど、まさかあんなに怒るなんて思わなかったものだから……」

 

 なんてことはない。シーラさんはクレムの事を気に掛けていて、彼女に引っ付いている私の思惑を推し量ろうとしたのだ。

 

 ――うう、完全に私の過剰反応だ。ラーナー一家と揉めた時と同じような話をされたから、反射的に頭に来ちゃったんだ。

 

「私はクレメントさんに会った事は無かったのだけれど、父は一目で気付いたみたい。……アングスト家の人間がオストバーグに戻ったという噂はしばらく前から耳にしていたけど、なかなか見つけることができなくて。……恨みを懐いている人も多いから、何とか保護できないか探していたのよ」

 

 シーラさんは再度私に謝罪して、それから胸の内を包み隠さず教えてくれる。

 

「そんな、私こそ、事情も知らずに短気を起こしてすみませんでした」

 

 すっかり疑いが解けた私は、人前で怒鳴ったことを謝る。

 するとシーラさんは人好きのする笑みを浮かべ、

 

「いえいえ。……でも、他人の為にあそこまで怒るなんて、なかなか出来る事じゃないわ。()()()()のある人で、クレメントさんもさぞ嬉しいでしょうね」

 

 そう褒めてくれる。

 その笑顔が心の底から喜ばしそうで――私は急に胸が込み上げてくる。

 

「え、ちょ、ちょっとナオさん!? いったいどうしたの?」

「――へ?」

 

 気付いた時には、熱い感情は外へとあふれてしまった。

 

 視界が滲む。私は悲しくも無いのに、両目から涙を溢してしまったのだ。

 

「ご、ごめんなさい。あなたを傷つける気はなかったのよ。――い、いえ。謝って許してもらえることじゃないかもしれないけど……」

 

 ぽろぽろと涙を溢す私に、シーラさんが取り乱した様子で話しかけてくる。

 キャリアウーマン然とした、格好いい姿からは想像できない狼狽ぶりだ。

 

「ち、ちが、違うんです……」

 

 私は慌てて涙を袖で拭い、弁解する。

 

「ただ……ただ、嬉しかったんです。……クレムは、あの子はずっとひとりぼっちで、この街にも受け入れてくれる人なんていないと思ってて……でも、シーラさんみたいな人が居て、あの子の家族のことを、褒めてくれる人がいて……」

 

 私はつっかえつっかえ、感情を言葉にする。

 駄目だ。喋ってるうちに、どんどん熱が込み上げてきちゃう。

 

「……もう。早く泣き止んで。私が虐めてるみたいじゃない」

 

 でも、シーラさんはそんな私を見つめると、優しく微笑み、そっとハンカチを差し出してくれた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 その後、私はシーラさんとすっかり打ち解けて、しばしお喋りを楽しんだ。 

 

 そうこうしているうちに、階下から職員の人の呼び声が聞こえてくる。書類手続きが完了したのだ。

 思ったよりずっと早かったけど、これもピアソン一家のお蔭かな? とにかく、窓口で証明書を貰い、大事に鞄に納める。

 

 今後何かあれば、この書類を出せばいい。お役所が正規に発行した書類なので、効き目はまさしく折り紙つきだ。

 

 そして馬車で待っていたクレムと合流すると、

 

「本当に歩いて帰るの? よかったら送るわよ」

「ありがとうございます。でも、夕飯の材料を買って帰りたいので」

 

 私たちはシーラさんに別れの挨拶を述べる。

 

 酒場まで送ってくれると申し出てくれたけど、聞けば彼女にはまだ他の仕事があるらしく、それならここで別れようとの話になったのだ。

 

「そう。なら気を付けてね。……また何か困ったことがあったら、いつでも来てくれていいからね」

 

 褐色肌の女性がそう告げる。

 大人の余裕があって、懐が深くて、ホントに頼りになるお姉さんだ。

 

「あの、用事が無くても遊びに行っていいですか?」

 

 そんな彼女だからか、私はつい軽口を叩いてしまう。

 シーラさんはちょっとだけ驚いたようだけど、

 

「ええもちろん。二人とも歓迎するわよ」

 

 すぐに微笑みを浮かべ、そう応じてくれた。

 

「お世話になりましたー」

 

 石畳を蹴立てて離れていく馬車を、私たちは見送る。そして、

 

「じゃあ帰ろっか。晩御飯、何か食べたいものある? ――あ、テオドラさんの好み聞くの忘れた!」

 

 私はクレムとミリーに笑顔でそう問いかける。

 

「……何かいい事でもあったのですか?」

 

 妙に昂ぶった私を見て、クレムが不思議そうに問いかける。

 

「やっぱり分かる? 最近では一番のグッドニュースがあったの!」

「それはよかったです。教えていただいても?」

 

 上機嫌な私につられて、クレムの顔もほころぶ。

 

「うん。教えたげるね! あ、でも歩きながら話そうよ」

「っ――」

 

 その反応が嬉しくて、私はついクレムの手を取ってしまう。

 いきなり手を引かれて驚くも、彼女はそのまま一緒に歩いてくれた。

 

 

 

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