「え、はい。……あの子のことは、親友だと思ってます」
いきなりクレムの話を振られて戸惑ったけど、私はとりあえずそう答える。嘘や偽りなんて欠片もない。私の本心だ。
でも、いきなりあの子のことを聞いてくるだなんて、どうしたんだろう。時間つぶしの世間話にしても、唐突な感じだし。
私は漠然とした違和感を懐く。すると
「ふうん。……彼女の御実家のことは知っているの?」
「ッ――」
その疑念は、もっとも嫌な形で明らかにされた。
「……その反応だと、承知の上で付き合ってるみたいね」
威嚇する猫みたいに全身を硬直させた私に、シーラさんが淡々と話しかける。
彼女は大人の余裕を少しも損なわないまま、値踏みするような視線を私に向ける。
「……なんですか。そのことが、あなたに何か関係あるんですか」
緊張で喉が渇く。絞り出した声は、自分でも驚くほどに冷ややかだった。
「いいえ。そんなに大したことじゃないのよ」
職員さんは奥に引っ込んでしまったけど、近くの窓口には人が居る。それを憚ってか、シーラさんは声を落として話しかける。
その態度に、言いようのない不快の念を覚える。
格好良くて、チャーミングで、あれだけ素敵な女性だと思ったのに、今の彼女の金色の瞳は、感情を窺わせない蛇のよう。
「……それで、あの子が多額の遺産を相続したことも、知ってるのかしら?」
「――!!」
次いで投げかけられた言葉に、私の感情は一気に昂ぶった。
「クレムに何させようって言うんですかッ!!」
大声でそう怒鳴りつけ、私は反射的に席を立つ。
周りの人たちが何事かと目を向けてくるが、頭が沸騰した私は全然収まらない。
「――建物の話、ありがとうございましたッ! でももう要りませんから! シーラさんの方で好きにしてください! だから、もう私たちに構わないで!!」
私は激情の赴くままに言葉を吐き捨てる。
まさか、まさか、シーラさんがそんな人だなんて思わなかった。
クレムの境遇を知っていて、その上彼女の資産まで把握してるだなんて。
――騙された。良識ある風を装ってたけど、この人たちだって、ラーナー一家と同じならず者だったんだ。
「ちょ、ちょっと……」
私の剣幕には然しものシーラさんもたじろいだようで、困惑して立ち上がる。けど、
「どうもお世話になりました。さよなら!」
私はそう言い捨てて、早足でその場から立ち去る。
焦燥が胸を焦がす。はやくクレムを連れて、何処か遠くに逃げないと。……いや、そもそもこのオストバーグの何処に、私たちが安心できる場所があるんだろう。
「ッ……」
怒りと不安と情けなさで、泣きそうになってしまう。――いや、駄目だ。私は何があっても、クレムを支えてやるんだ。
「ま、待ってナオさん!」
尚も追い縋ってくるシーラさんの声を聞き流し、私は役所の玄関ホールへ。しかしその時、
「待つんだナオ。彼女の話を聞いてやれ」
私の目の前で、白いドレスがふわりと宙を舞う。ミリーが私の進路を塞いだのだ。
「どうやら、君の思い違いのようだ。頭を冷やせ」
幽霊少女はそう言って、私の背後を指差す。
「――え?」
驚いて振り返ると、そこには狼狽した様子のシーラさんが。
苦渋に歪んだ綺麗な顔からは、明らかな心痛が見て取れる。彼女は私が立ち止まったのを見ると、
「ごめんなさい。酷いことを言ってしまったわね……」
心の底から悔やんだ様子で、謝罪の言葉を口にした。
× × ×
市庁舎玄関ホールの二階は吹き抜けになっていて、回廊が巡らせてある。
繋がっている部屋は会議室や倉庫らしく、あまり人は通らない。
その一画で、私とシーラさんは壁に背を預けて立っていた。
「アングスト家が、慈善事業に熱心だったのは知ってる?」
役所で大騒ぎをしてしまった私たちは、とにかく人気のない場所に移動。少しは冷静さを取り戻した私に、シーラさんがそう話しかける。
「……はい。詳しくは知りませんけど」
周りには誰も居ないけど、声を落として会話する。
気持ちはだいぶ落ち着いてきたけど、私はまだ不信感をぬぐえない。シーラさん、いったいクレムにどんな思惑があるんだろう。すると、
「その関係でね。
彼女はそんなことを口にした。
「え――で、でも、そんな話、クレムからは聞いてませんよ」
慌ててそう問いかけると、
「あまり表立っての行き来はなかったから、娘さんが知らなくても無理はないかもね。……あら? 困ったわ。これだと何の証明にもならないわね」
シーラさんはくすりと笑う。そして、
「アングスト家は多額の寄付だけでなく、医業でも人々に尽くしてくれたの。……いいえ、それだけじゃない。司法に携わる者として、不当な扱いを受けやすい人々にも心を砕いて、寄り添ってくれた」
どこか遠い眼差しと共に、そう呟く。
「大粛清の時代にあっても、その志は変わらなかった。……法の保護を受けられない人々は、本当に些細なことで捕まって、ろくな調べも受けられずに処罰された。ただ、先代のウェイドリィ氏だけが、裁判の公平性を訴え、正義を求めて活動してくれたの」
尊い何かを前にしたような、穏やかで厳粛な表情。シーラさんは述懐を続ける。
「……こんな話もあるのよ? 執行を明日に控えた死刑囚が、ただウェイドリィ氏にだけは感謝し、彼の手に掛かることを喜んだって。……なぜなら、処刑人の彼だけが、死刑囚を人間として扱い、尊厳を持って接してくれたからだって」
「…………」
シーラさんの話を、私はいつの間にか聞き入っていた。
漠然としか知らなかった事柄が、急に実感を帯びてくる。この世界にどんな出来事があったかが、想像ではなく、ある種の体感として感じられる。
「かく言う
そう話を纏めるシーラさん。つまり……
「さっきの話って、私を試すつもりだったんですか?」
「ごめんなさいね。確かに無礼だったけど、まさかあんなに怒るなんて思わなかったものだから……」
なんてことはない。シーラさんはクレムの事を気に掛けていて、彼女に引っ付いている私の思惑を推し量ろうとしたのだ。
――うう、完全に私の過剰反応だ。ラーナー一家と揉めた時と同じような話をされたから、反射的に頭に来ちゃったんだ。
「私はクレメントさんに会った事は無かったのだけれど、父は一目で気付いたみたい。……アングスト家の人間がオストバーグに戻ったという噂はしばらく前から耳にしていたけど、なかなか見つけることができなくて。……恨みを懐いている人も多いから、何とか保護できないか探していたのよ」
シーラさんは再度私に謝罪して、それから胸の内を包み隠さず教えてくれる。
「そんな、私こそ、事情も知らずに短気を起こしてすみませんでした」
すっかり疑いが解けた私は、人前で怒鳴ったことを謝る。
するとシーラさんは人好きのする笑みを浮かべ、
「いえいえ。……でも、他人の為にあそこまで怒るなんて、なかなか出来る事じゃないわ。
そう褒めてくれる。
その笑顔が心の底から喜ばしそうで――私は急に胸が込み上げてくる。
「え、ちょ、ちょっとナオさん!? いったいどうしたの?」
「――へ?」
気付いた時には、熱い感情は外へとあふれてしまった。
視界が滲む。私は悲しくも無いのに、両目から涙を溢してしまったのだ。
「ご、ごめんなさい。あなたを傷つける気はなかったのよ。――い、いえ。謝って許してもらえることじゃないかもしれないけど……」
ぽろぽろと涙を溢す私に、シーラさんが取り乱した様子で話しかけてくる。
キャリアウーマン然とした、格好いい姿からは想像できない狼狽ぶりだ。
「ち、ちが、違うんです……」
私は慌てて涙を袖で拭い、弁解する。
「ただ……ただ、嬉しかったんです。……クレムは、あの子はずっとひとりぼっちで、この街にも受け入れてくれる人なんていないと思ってて……でも、シーラさんみたいな人が居て、あの子の家族のことを、褒めてくれる人がいて……」
私はつっかえつっかえ、感情を言葉にする。
駄目だ。喋ってるうちに、どんどん熱が込み上げてきちゃう。
「……もう。早く泣き止んで。私が虐めてるみたいじゃない」
でも、シーラさんはそんな私を見つめると、優しく微笑み、そっとハンカチを差し出してくれた。
× × ×
その後、私はシーラさんとすっかり打ち解けて、しばしお喋りを楽しんだ。
そうこうしているうちに、階下から職員の人の呼び声が聞こえてくる。書類手続きが完了したのだ。
思ったよりずっと早かったけど、これもピアソン一家のお蔭かな? とにかく、窓口で証明書を貰い、大事に鞄に納める。
今後何かあれば、この書類を出せばいい。お役所が正規に発行した書類なので、効き目はまさしく折り紙つきだ。
そして馬車で待っていたクレムと合流すると、
「本当に歩いて帰るの? よかったら送るわよ」
「ありがとうございます。でも、夕飯の材料を買って帰りたいので」
私たちはシーラさんに別れの挨拶を述べる。
酒場まで送ってくれると申し出てくれたけど、聞けば彼女にはまだ他の仕事があるらしく、それならここで別れようとの話になったのだ。
「そう。なら気を付けてね。……また何か困ったことがあったら、いつでも来てくれていいからね」
褐色肌の女性がそう告げる。
大人の余裕があって、懐が深くて、ホントに頼りになるお姉さんだ。
「あの、用事が無くても遊びに行っていいですか?」
そんな彼女だからか、私はつい軽口を叩いてしまう。
シーラさんはちょっとだけ驚いたようだけど、
「ええもちろん。二人とも歓迎するわよ」
すぐに微笑みを浮かべ、そう応じてくれた。
「お世話になりましたー」
石畳を蹴立てて離れていく馬車を、私たちは見送る。そして、
「じゃあ帰ろっか。晩御飯、何か食べたいものある? ――あ、テオドラさんの好み聞くの忘れた!」
私はクレムとミリーに笑顔でそう問いかける。
「……何かいい事でもあったのですか?」
妙に昂ぶった私を見て、クレムが不思議そうに問いかける。
「やっぱり分かる? 最近では一番のグッドニュースがあったの!」
「それはよかったです。教えていただいても?」
上機嫌な私につられて、クレムの顔もほころぶ。
「うん。教えたげるね! あ、でも歩きながら話そうよ」
「っ――」
その反応が嬉しくて、私はついクレムの手を取ってしまう。
いきなり手を引かれて驚くも、彼女はそのまま一緒に歩いてくれた。