「エイコン」というのは、この大陸で広く遊ばれている卓上遊戯で、ようは将棋やチェスみたいなゲームだ。ちょくちょく、おじさんたちが遊んでいるのを見かけたことがある。
駒もチェスみたいに立体的で、兵隊さんみたいなデザイン。でも白黒とかには塗り分けられてない。
「終盤か。……やや難しい局面だな」
おじさんたちの間を覗きこんで、そう呟くのはミリーだ。
そうなのか。解説されてもまったくわからないや。頭使うゲームには全然縁が無かったし、そもそも駒の動きすら知らないし。
「…………」
でも、おじさんたちは真剣そのもので、私たちが観戦しているのにも気付いていない。ユニスさんも、紫の瞳を鋭く輝かせて盤上を凝視している。……こうしていると、ほわほわした雰囲気が消えて、格好いい美人さんだ。
「双方、エイコンは使い終えたか。ふむ。手前に座る男性が劣勢だな」
ただぼんやりと盤面を見ている私に、ミリーが親切に説明してくれる。
エイコンってなんぞや。ゲームの名前じゃないの? と目顔で尋ねると、
「この遊戯の最大の特徴、醍醐味といってもいいだろう。互いに
と、ミリーが指し示す。そこには、丁度駒の上に乗っけられるような、小さな手袋やら王冠やらが置いてある。
これらがエイコン。ゲームの名称にもなったルールだ。
その特徴は、
例えば、一度だけ動かした駒をもう一度動かす。(ただし、元の駒の動きはできないらしい)。例えば、特定の条件下で一度だけ相手の次の手を指定できる。例えば、一度だけ盤上の好きな場所に自分の駒を動かすことができる。などなど。
対局に当たって、自分がどのエイコンを選ぶか、そしてどの駒にその能力を持たせるか。というのが重要な戦略になってくるそうな。
これは
とはいえこのゲーム、
ミリーも一時期熱心に研究したことがあるそうで、なかなか好きみたい。ただ、仕方ないことだけど、人と対戦したことはまったくないそうな。
「……なるほど、騎士を右辺に動かせば活路が開けるな」
「へぇ、騎士を右に」
ミリーの説明を聞きながら、私はぼんやりと盤面を眺める。うん。やっぱり全然わからん。けど、
「ッ――」
「え?」
何やら、周囲の空気が変わった。
ユニスさんが私を驚いたように見つめ、おじさんたちが鬱陶しそうな視線を向けてくる。――あ、しまった。声に出てた。横から口出しなんてマナー違反だ。
「あはは、いやー、別によく分かんないんですけど……」
何とか笑ってごまかして、事なきを得る。ふう。やらかしてしまった。ミリーもちょっとばつが悪そう。
っていうか、ユニスさん動かないな。別れるタイミングを完全に逃してしまった。
その後しばらくして、おじさんたちの対局は終了。結局勝敗は変わらず、手前の人が負けてしまった。まあ、私には王様が詰んだかどうかなんて分からないんだけど。
そしてようやく帰れると思った矢先、
「ああ、あの、すみません。少しだけ盤と駒をお借りできませんか?」
と、ユニスさんがおどおどした様子でそんな事を言い出した。
彼女は緊張した様子で、それでも熱心におじさんたちに頼み込み、エイコンの一式を借り受ける。
「え、どうしたんですか?」
私がそう尋ねると、
「ナオさん。あなた相当できますよね? 一局だけ、一局だけ私と勝負してくれませんか?」
ユニスさんはベンチに腰掛け、興奮した様子で話しかけてきた。
「いっ――」
思いもよらなかった成り行きに、私は言葉に詰まる。
あれか、さっきのミリーの指摘が、よっぽど上手い手だったのか。それでユニスさん、私がエイコンを得意だと勘違いしてしまったのかも。
「ね、ね! いいじゃないですかぁ! 好きなんでしょ?」
と、ユニスさんはちょっと必死ささえ漂う熱心さで誘ってくる。なんか、マイナー趣味で同好の士を見つけて舞い上がってるみたいな感じ?
いや、でも女性でこのゲームしてる人は見たことないし、女流棋士は少数なのかも。
「……すまない。私の所為で面倒なことになったようだ」
と、ミリーが申し訳なさそうに呟く。
私はどうしたものかと少しだけ迷ったけど、
「それじゃあ一局だけ」
気楽にベンチへと腰掛け、ユニスさんにそう告げる。
「な、おい……」
「クレムもいいかな。少しだけ待っててくれる?」
「はい。構いませんよ」
抗議するミリーを余所にクレムを見れば、彼女は私の意図を察してか、くすりと嬉しそうにほほ笑む。
「じゃあ、一つ、お手柔らかにお願いしますね」
そう言って、私は膝の上をぽんぽんと叩く。
私は駒の動かし方も知らないのだ。ミリーに指してもらわないとどうしようもない。
それに、この子だってきっと、ホントはゲームを楽しみたいはず。
何百年も世界をさまよい続けて、でも、誰とも関わることができなかった幽霊少女。
ゲームだってなんだって、たとえ仮初にでも世界と触れ合うことができるなら、きっとそれは素晴らしいことだ。
私の手足ぐらい、好きなだけ貸してあげる。
「……では、好意に甘えるとしよう」
ミリーは呆れたような、それでもどこか嬉しそうな声でそう呟くと、ふわりと私の膝の上へ座る。
そして彼女の指示に従い、私は駒を並べ始めた。
× × ×
でも、正直私は舐めていた。上級者同士の知的遊戯の熾烈さを。
「…………」
「…………」
盤上を凝視したまま、微動だにしないミリーとユニスさん。軽い気持ちで対局を受けたけど、もう二時間ぐらいは過ぎていると思う。
「ほぉ……」
「むぅ」
で、往来の多い広場で美女と美少女が対局なんてしているものだから、知らない間にギャラリーも集まってきた。
入れ代わり立ち代わり、今では十人ぐらいのおじさんたちが、固唾をのんで対局を見守っている。クレムは人混みが苦手だから、遠くに離れて待ってもらってる。ちらりと窺えば、やっぱりちょっと時間を持て余しているみたい。
「三の七に大臣を」
長考の末、ミリーが粛然とした面持ちでそう告げる。
私は言われるがままに手を伸ばし、駒を掴んで動かす。流石に動き方ぐらいは覚えたけど、どっちが有利かなんて全然わかんない。
「…………」
手番が移ると、対面のユニスさんがさらに鋭い視線で盤面を睨む。食い入るように見つめる様は格好いいけど、ちょっと真剣過ぎて怖い。
「……」
対するミリーは、私の膝の上に座ったまま、顎に手を当てて黙考している。
ちっちゃい子がすると可愛らしい仕草だけど、表情は真面目そのもので、二人がどれだけ苛烈に戦っているかをまざまざと感じさせられる。
「……」
で、私はといえば、完全に置いてきぼりを喰らっている感じ。
いやだって、こんなに時間かかると思わなかったし! しかも真剣勝負だから、雑談なんて出来る雰囲気じゃないし、せめて自分でも考えてみようかと思ったけど、ハイレベル過ぎて全然理解できないし。
別に嫌な訳じゃないんだけど、ギャラリーのおじさんたちも含めて熱中しているのに、私だけ浮いてるのも変じゃない?
「……騎士の靴を使用します」
すると、盤面に変化が。
ユニスさんが一言そう呟いて、騎士を移動させる。
ただ、そこは本来その駒が行けない場所だ。ミリーの陣営の奥深く、丁度他の駒が効いていない升目に、突如として騎士の駒が現れる。う、しかもそんなところに置かれたら、こっちの王様が危なくない?
騎士の駒を動かすと、ユニスさんはその上に乗っかっていた靴を外し、番外に置く。これがエイコン。
「詰めろがかかったか……」
と、ミリーが静かに溢す。え、やっぱりこっちが不利なの?
「…………」
幽霊少女は変わらず思考を続けている。すごい緊迫感だ。私にしか見えていない筈なのに、ピリピリした緊張感が観客のおじさんたちにまで伝播したみたい。
「……王の手袋を使用する。将軍を六の七へ置いてくれ」
そうして熟考の末、ミリーが次の手を告げる。
えっと、手袋は確か、取られた駒を盤上に戻す能力だっけ。
私はユニスさんにエイコンの使用を宣言し、盤外から自陣に将軍の駒を戻す。あ、これでひょっとして守りが固まったのかな?
「…………」
すると、ユニスさんが驚いたように目を見開く。おじさんたちも何やらざわついているみたい。ん、あれ? そんなに凄い手なの? 防いだだけじゃん。
「……さて、これでどうだ」
と、ミリーが小さく呟く。いつも通り淡々とした声だけど、なんだか高揚してる?
それから数手進み、盤面はさらに混沌模様に。私にはもうどっちが攻めてるのかさえわからない。そうしてさらに数手後、
「……ありません」
ユニスさんが自分の王様をことりと倒した。投了したのだ。
わっと、おじさんたちが歓声を上げる。むしろ緊張が解けてほっとしたように息を吐く人までいる始末。
けれど、私は場の空気に馴染めず呆然としてしまう。すると、
「やった、勝ったぞ!」
膝の上にいた女の子が、小さな手を握りしめて凱歌を上げる。
どんなときも冷静で、とっても大人な彼女が見せた、すごく嬉しそうな笑顔。その輝く姿を一目見ただけで、私は胸が熱くなってしまう。
「――っ、いや、いい試合だった」
けど、ミリーはすぐに元のすまし顔に戻ってしまう。もう、もっと笑ってる顔を見たかったのに。
「う~、負けましたぁ……」
と、ユニスさんが悔しそうに呻く。でもなんだか彼女も楽しそう。
私には分からないけど、実力伯仲の人たちが真剣勝負をすれば、伝わる思いがあるんだろう。きっと素敵なことだよね。
「あの四、五の司教がまさかここまで効いてくるとは……」
と、ユニスさんが溢す。ん? それって何時の手だ?
「引いて受ける形になるが、その後の形勢は悪くないと見た。と伝えてくれ」
何時の間にやら感想戦が始まった。もちろん私は盤面の推移なんて全然覚えてないから、とりあえずミリーの言葉をそのまま伝える。
どうやら、勝敗を決したのは中盤に動かした司教らしい。これが攻防一体の妙手で、エイコンで盤上に呼び戻した将軍と合わさって、一気に盤面をミリー優位に持って行ったらしい。――なるほど、全然分からん。
「読み切れなかったとは、う~、悔しいです。……でも、楽しかったぁ」
ユニスさんは銀髪をわしゃわしゃ掻き上げ、それでも可愛らしく笑ってくれる。
女流棋士の見事な対局に、観客のおじさんたちも大満足。口々に褒めてくれた。
そうして私たちは、お礼を言って駒と盤を返し、ベンチから立ち上がる。
「って、ええぇ! もう夕方じゃないですかぁ!?」
すると、ユニスさんが悲鳴を上げる。あ、やっぱり気付いてなかった感じですか。
太陽は随分傾き、石造りの街が黄金色に輝いている。対局に入り込みすぎて、ミリーもユニスさんも時間を忘れていたのだ。
「すみません。あんまり夢中でしたから。……声、かけた方がよかったですか?」
私がそう尋ねると、ユニスさんは首をぶんぶん横に振って、
「そんなそんな! 私が対局をお願いしたんですよぅ。ナオさんは悪くありません!」
そう言ってくれる。でも、
「う~、今日中に済ませたい用事があったのに~」
学者先生は大ポカに頭を抱える。
これ以上引き留める訳にも行かないので、ユニスさんとはその場で分かれることに。
「じゃあ、
「はい。よろしくお願いします」
私は頭を下げ、改めて相談事を頼む。そうしてユニスさんが立ち去ろうとしかけて、はたと足を止める。
「あの……さっきの対局、すごく面白かったです。……私、その、あんまり友人がいなくて、エイコンを出来る人も、その……」
そして、おずおずとそう切り出す。
夕日に照らされ、輝くユニスさんはとても綺麗で、なんだかとっても可愛らしくて。
「もちろん! リターンマッチはいつでも受け付けてますよ!」
私はつい、そう大見得を切ってしまったのだ。
× × ×
「ごめん、だいぶ時間かかっちゃった!」
そうして私たちは、広場の隅で待ちぼうけを食わせていたクレムの元へと走り寄る。
「すまない。待たせたのは私だ」
と、ミリーも流石にちょっと申し訳なさそう。けど、
「いいえ。私は大丈夫ですよ。……お二人とも楽しそうでしたし、ユニス様とも仲良くなれたのでしょう? 何よりです」
朗らかな微笑みと共に、クレムはそう言ってくれる。
あれだけ待たせたらちょっとは気分を害しそうなものなのに、私たちのことを思って喜んでくれるなんて、この子はどこまでも優しいんだから。
「さて、それじゃあ私たちも帰ろっか。今日はもう、出来合いのおかずで済ませちゃおう。何か食べたいのある?」
すっかり遅くなってしまった。酒場に帰る頃には夜になっているだろう。
私は苦笑を浮かべ、クレムとミリーと一緒に黄金色に輝く石畳を歩き出す。
考えてみれば、今日は一日大変だった。
色んな出来事が目まぐるしく押し寄せてきて、たくさんの人と出会って。
「どうしました? ナオ、なんだか嬉しそうですね」
「ふふ、うん。とっても!」
でも、この出会いはきっと、掛け替えのないものだと思う。
私は浮かれた気持ちを隠しもせずに、夕焼け空に笑いかけた。