ナオのゴスペル   作:抱き猫

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14 路地裏の聖女

 

 

 それから、私は貧民街の井戸端で洗濯をしていた。

 

 桶に水をくみ、洗濯板でごしごし。石鹸はもってきたけど、手洗いだと結構大変。

 洗濯物の数は少ないけど、そこそこ汚れているし、生地が弱っているから洗うのにも気を使う。実際、ほつれや穴が広がらないよう、洗う前に縫ったりもするし。

 

「よっと。これで全部かな?」

 

 そして洗濯が済むと、かごを抱えて貧民街をてくてく歩く。

 

 貧民街はしばらく住んでいたけど、道が細くて入り組んでいるから今でも迷いやすい。ミリーがガイドしてくれるから安心だけど。

 

「あ、ども……」

 

 そうして荒れた石畳を歩いていると、僧衣に身を包んだ男女数人のグループとすれ違った。奉仕活動をしている教会の人たちだ。

 

 そういえば、私たちも住むところが決まったんだし、大聖堂のケンプ枢機卿にお手紙を出してもいいかもしれない。クレムが楽しく暮らしていることを知ったら、きっとお爺さんも安心するだろうし。

 

「あの人たち、ああやって家々を回ってくれてるのかな?」

「弱者への奉仕、いたわりは信徒の務めだ。彼らの活動がなければ、貧民街の住民の多くは暮らしていけないだろう」

 

 教会の人たちを見送りながらぽつりとそう呟くと、ミリーが答えてくれる。

 

「ふーん。良い人たちだ。でも、そういうのって国のお役目じゃないの?」

「どこまでを国の責務と考えるかだな。実際問題、豊かなオストバーグには国中から人が集まる。食べていけないからといって、それらの人々全てを救済するのは並大抵のことではないだろう。彼らに予算を回せば、その分市民たちにもしわ寄せがくるしな」

「むぅ……」

 

 いちいちもっともな理屈を教えられ、私は口ごもる。

 

「まあ、救貧院での保護や定期的な援助なども行われているが、それだけでは如何ともしがたいのが実情だ。だからこそ、教会やピアソン一家のような者たちが活動している」

「うんうん。助け合いの精神だ。尊いことだよね」

 

「売名や権力基盤を安定させる意味合いもあるのだろうがな。……参政権を持たない非市民とはいえ、数が揃えばそれなりの勢力にはなるし、弱者の救済を行っている組織なら道義的にも強い立場を得られる」

「うっ……そういうのは、聞きたくないです」

 

 淡々と語られる政治的なお話に、私はなんとも言えずため息をつく。いや、さっきの人たちは純粋に貧しい人たちの為に働いているんだろうけど、やっぱり打算で動いている人もいるだろうし、でも、別にそれだって悪い事じゃないんだろうけど……

 

「……案ずるな。誰も彼もが、デニスのように欲得尽くで生きている訳ではない」

「え?」

 

 そんな私の胸中を察したのか、ミリーが優しくそう語りかける。

 

 私はこの世界に来て、沢山素晴らしいモノを見たけど、同じくらい嫌なモノも見た。

 人間の心の、美しさと醜さ。誰だって両方持ち合わせているけど、それでも、醜い心が勝っている人だって多い。

 

 特に、この世界は人々の感情はとても力強い。

 社会や技術が地球程は洗練されてなくて、でもだからだろうか。この世界の人々が生きる姿は、とても眩いのだ。

 

 だから、良い人は飛び切り美しくて、悪い人はどこまでも恐ろしい。

 

「さて、着いたぞ。……クレムの手伝いをしてやらないとな」

 

 そうこう話しているうちに、私たちは目的の家まで戻ってきた。この洗濯物の持ち主のお宅だ。軒先には干せる場所がないから、部屋干ししないと。

 

「少なくとも、君やクレムは、人を思いやる心を持っているだろう?」

 

 扉を開けようとすると、ミリーが微笑を浮かべてそう問いかけてくる。

 ああまったく、この子には全然かなわないなぁ。私は気恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

「うん。気配り上手のミリーもいるし、私は幸せ者だよ」

「むっ……」

 

 せめて、この恥ずかしさをおすそ分けしてやろうと、私は悪戯っぽく幽霊少女にそう告げる。そして返答に困った彼女を横目に、ぼろぼろの木戸を開けた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「ゆっくりと息を吐いてください。痛みがあれば、すぐに教えてくださいね」

 

 家に入ると、奥のベッドではクレムがお爺さんに施術を行っていた。

 

「洗濯してきました。中に干してもいいですか?」

 

 私は小声で、椅子に座るお婆さんに話しかける。

 

 私たちが訪れていたのは、貧民街に住むある老夫婦の家だ。

 

 長らくオストバーグで屋台をしていたこのご夫婦は、けれど加齢によって仕事を続けることができず、また市民権を得ることができなかったため、貧民街に住むことになった。子供や親戚も居なくて、身を寄せられる人が居なかったからだ。

 

 それでも、二人は呼び売り行やお針子などをして暮らしていたけど、昨年の冬にお爺さんが腰を壊して動けなくなった。お婆さん一人で介護と労働をしなければいけなくなって、暮らしぶりはどんどん悪くなっていったそうだ。

 

「次はゆっくりと息を吸ってください。少し、痛みますよ」

「っ――」

 

 洗濯物を吊るしながら、奥の部屋を見る。ベッドでうつぶせになったお爺さんの背中を、クレムが懸命に按摩している。

 

 医学に通じた彼女のマッサージは、本当によく効く。私もしてもらったことがあるけど、ただのストレッチとは思えないぐらい劇的な変化があった。

 

 彼女曰く、人体にはしるツボを刺激することで、肉体を活性化させ、回復力を増強させるそうだ。筋肉や骨格の不具合はもちろん、神経系や内臓疾患にまで効果があると言うから、ちょっとマッサージの域を超えている。

 

「今日はもう少しだけ続けましょう。頑張ってくださいね」

 

 励ますような、寄り添うような、クレムの優しい囁きが聞こえる。

 

 実際に彼女のマッサージのお蔭で、お爺さんの体調は随分回復に向かったらしい。冬には寝たきりだったのが、今では上体を起こして座ることもできるようになった。

 

「…………」

 

 私は親友の姿を横目で見ながら、家事をてきぱきと片付けていく。お爺さんも大変だけど、旦那さんを支え続けているお婆さんだって大変だ。今日くらいは、ゆっくりしてもらわないと。

 

 部屋を掃除して、テーブルの上に持ってきたパンをこっそり置く。聖示物(ミュステリオン)で増やせるから籠一杯分。これでしばらくは食べ物に困らないだろう。

 

 そうして治療を終えると、老夫婦のお宅を後にする。

 クレムに聞けば、他にも様子を窺いたい家が数件あるそうだ。私たちは足早に貧民街を歩く。けど、

 

「あ、しまった。布巾忘れた!」

 

 私はうっかりして、先ほどの家に掃除道具を置きっぱなしにしたことを思い出した。

 

「ごめん、すぐとって来るね」

「私も行きましょうか?」

「ううん、平気。すぐだから。広場の所で待ってて」

 

 別に布巾の一枚ぐらい寄付してもいいけど、次のお宅でも使うつもりなので回収しなければ。私はクレムをその場に残し、老夫婦の家に戻る。そして、

 

「すみませ~ん。忘れ物しちゃいました……あれ?」

 

 扉を叩いて入室を乞うも、反応がない。

 

「えっと、入りますよ~」

 

 気になったけど、ついさっきまでお爺さんたちは居たし、木戸を押して中へと入る。すると奥のベッドルームでは、お爺さんとお婆さんが並んで座り、懸命にお祈りをしている最中だった。

 

「…………」

 

 良くないタイミングで入ってしまったので、私は戸口でじっとお祈りが済むのを待つ。そうして数分後、お祈りを終えたお婆さんは、訪問者の存在に気が付いた。

 

「あ、ごめんなさい。お騒がせしちゃいました。布巾を忘れちゃったので、取りに来たんです」

 

 そう来意を告げる私に、お婆さんは嬉しそうに微笑んでくれる。そして、

 

「あなたは、聖女様のお友達なのかい?」

 

 どこか躊躇いがちに、そんな事を尋ねてきた。

 

「え――聖女って、クレムのことですか?」

 

 驚いた私がそう問い返すと、

 

「ああ、クレム様と仰るのかい、あの方は……」

 

 と、お婆さんは感激したようにそう溢す。

 

「……はい。私はあの子の、クレメントの親友です」

 

 私は恥じることも怖じることもなくそう告げて、それからお婆さんに話を聞く。

 

 すると、なんとあの子は今まで名前すら名乗らず、ただ直向きに貧しい人々の治療や食料の配布を行っていたらしい。

 

 なんの見返りも求めず、名前すら告げず、病人、貧民に治療と施しをして回る少女は、貧民街では知らぬ者の居ない有名人だそうな。

 

 高貴な出自を思わせる立ち居振る舞いに、誰もが目を引かれる美貌。にも関わらず、ただ弱者を案じ、寄り添い、直向きに支え続けてきた不思議な少女は、何時しか聖女と呼ばれるようになったらしい。

 

「どうか、あの方に感謝を伝えておくれ」

 

 お婆さんが懇願するように私に縋りつく。首を動かせば、お爺さんもベッドの上から私に礼を述べている。

 

 誇らしいような、嬉しいような、悲しいような、怖いような。言葉にはしがたい複雑な感情が湧き上がってきた私は、それでもお婆さんたちに、

 

「……分かりました。必ず伝えます」

 

 誠実に約束する。そして、

 

「けど、あの子が一番喜ぶのは、お婆さんたちがお元気に過ごされることですよ」

 

 私は笑顔でそう告げて、老夫婦宅を後にする。

 

「う~ん……」

 

 急ぎ足で来た道を戻りながら、私は吾知れず唸り声を漏らす。

 知らないところで聖女様になっちゃったクレムに、ちょっぴり複雑な気分。

 

 けどまあ、あの子がいろんな人に認められているのは、きっと悪い事じゃない。

 

「お待たせ!」

 

 待ち合わせ場所の広場に戻ると、そこには変わらずフード姿の少女が立っていた。

 ハイテンションで声を掛ける私に、クレムはきょとんと不思議そうな表情。

 

「どうかなさったのですか?」

 

 釣られて微笑みを浮かべる彼女に、

 

「いやあ、聖女様の話で盛り上がっちゃって」

「へ?」

 

 私は意地の悪い顔で、先ほどの出来事を伝えたのだった。

 

 

 

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