お昼過ぎ、貧民街での活動を終えた私たちは、タルマラ区の酒場へと戻ってきた。
「あら、お帰りなさい。もっとゆっくりしてきても良かったのに」
笑顔と共に出迎えてくれたのはテオドラさんだ。髪をざっくりと纏め、カウンターに立つ彼女の姿はとても格好良くて、高級店のバーテンダーみたい。正直、私なんかよりずっと酒場の女主人って感じがする。
「あのね。何度も言ってるでしょう?
すると、別の女の人の声がする。
咎めるような、呆れたような、それでも信愛に満ちた可愛い声の主は、カウンター席にちょこんと腰かけていた。
「あ、いらっしゃいませシーラさん。今日も来てくれたんですね!」
褐色金瞳の女性は、ピアソン一家のシーラさん。
この酒場の件で色々とお世話になった彼女とは、その後も交流が続き、今ではすっかり仲良しになった。
休憩やお昼ご飯にと、あれやこれやと理由を付けては、仕事の合間にこの酒場を覗いてくれるのだ。
「随分な言いぐさね。私、ナオちゃんに頼まれて一生懸命お仕事してるだけなのに」
「ちょっと、この子たちの人の良さに付け込まないでもらえるかしら?」
「ううう、因業女が虐めるわ。やっぱり体が小さいと心まで小さいのかしら」
「背の話は関係ないでしょ!」
で、店に来てくれる訳だから、当然同居人の紹介もしなきゃならない。
外国人で、それも経歴不明のテオドラさんに、シーラさんは当初から疑いの目を向けていたみたい。
それに、自由奔放でミステリアスなテオドラさんと、生真面目で情に篤いシーラさんは性格も真逆で、事あるごとにこうして口喧嘩をする。
「まあまあ、二人ともそれぐらいで……」
けど、私はあんまり気にしていない。最初は結構気を揉んだけど、よくよく観察してみれば、お互いなんだか明け透けに物を言い合って、仲が良さそうに見えるからだ。
喧嘩友達ってやつかな。実際には口ほどには嫌いあってないと思う。
だって、賢いテオドラさんなら面倒事なんて簡単に避けられるだろうし、シーラさんもホントに相手が嫌いなら、二日と空けず店に来るはずないもの。
「ああ、あの、おかえりなさいです」
仲良く喧嘩する二人の姿を背景に、もう一人のお客さんが私たちの前へとやってくる。
ふわふわの銀髪に眼鏡姿が印象的な女性は、オストバーグ大学の先生、ユニスさんだ。
「はい。ただいま戻りました」
えへへと笑いながら歩み寄ってくるユニスさんに、クレムが微笑を浮かべて応じる。
前にエイコンで勝負をして以来、彼女もよくお店に来てくれるようになった。大学は結構遠いし、先生なのに頻繁に来てくれていいのかとも思うが、非常勤だし別に講義を受け持ったりはしていないので大丈夫とのこと。
「これ、頼まれていたアルナリア年代記です」
「おぅ……あ、ありがとうございます」
どん、とテーブルに置かれたのは、見ただけで頭が痛くなりそうな分厚いハードカバーだ。先日ユニスさんと図書館の話をした時、私も利用したいなと呟いたら、彼女が代わりに借りて来てくれると申し出てくれたのだ。
あ、ちなみにこれはミリーのリクエスト。流石に歴史書なんて読める気がしないし、私はもうちょっと軽い本から始めたい。
「へえ、偉いじゃない。勉強熱心ね」
と、何時の間にやら口論を終えたシーラさんが覗きこんでくる。
「ですよねぇ。なかなか女の子で読みたいなんて言う子いませんよぅ」
「あ、あはは……」
そう褒めてくれるけど、私は作り笑いを浮かべて誤魔化すしかない。
ユニスさんも、テオドラさん、シーラさんとはずいぶん仲が良くなった。タイプの全然違う人たちだけど、だからだろうか、会話も弾むみたい。
今では三人が酒場に集まって談笑するのは、日常の一コマになってしまった。
「ああ、ナオちゃんたちが出ている間に、粉屋さんと薪屋さんが来たわよ。いつも通りに入れてもらって、粉屋さんには支払をしておいたから」
「あ、そうだ、今日集金だった! ありがとうございます」
「それと、呼び売りの子が七人来たわ。クッキーは全部売れちゃったわよ」
テオドラさんから午前中の売り上げを聞きながら、私も荷物を置いてカウンターへ。
あくまで彼女は臨時の店番だから、早い所代わってあげないと。
「すぐに何か作りますね」
それに、シーラさんとユニスさんにも軽食を作らないと。一応はお昼を食べに来ているという
「別に大丈夫よ。帰ってきたばかりなんでしょ?」
と、シーラさんが気遣わしげに言ってくれる。でもお昼時だし、折角来てくれたんだから、食事ぐらいしてもらいたい。すると、
「そうですよぅ。さっきテオドラさんに美味しいオープンサンドを作ってもらいましたから、お腹いっぱいです」
ユニスさんがにこやかにそう告げる。
「厨房にあった材料勝手に使っちゃったわよ。準備してあった分、この子たちに出すつもりだったんでしょう?」
と、テオドラさんが事も無げに言う。いや、その通りなんだけど、どこまで気が利くんだこの人……
「あ、そうなんです。そこまでしてもらっちゃって、なんだか悪いですね」
カウンターに入ったはいいものの、私は用事が無くなってしまう。まあ、だいたい後はお茶をしながらお喋りするんだけど。
「そうだ、それじゃあ新作を試してくださいな」
はたとそう思い出すと、私は厨房に引っ込み、ごそごそと新開発した商品を用意する。
数分後、私はお盆にガラスコップを並べて戻ってくる。
透明なグラスには、微かに気泡を立てる淡い琥珀色の液体が。
「ささ、どうぞ。クレムもまだだったよね。一緒に飲んでみて!」
私は四つのグラスをバーカウンターに並べる。皆さん興味をそそられた様子で手に取り、しばし立ち上る気泡を眺めた後、口を付ける。そして、
「っ、美味しい!」
上品に口に手を添え、そう溢すのはシーラさんだ。
「これ、炭酸? アルコールでもないのに珍しいわね……」
テオドラさんも興味深そうにグラスを眺めている。ただ、
「けほ、えほ……お、おいしいです……けど、ちょ、ちょっと辛いですね」
思ったより炭酸がきつかったのか、ユニスさんがむせてしまう。
「わ、すみません。最初に炭酸だって言っておけばよかったんですけど……」
「い、いいえぇ。とっても美味しいですよぅ」
けど、二口目にはユニスさんも笑顔に。
「……この味は、ジンジャーですか?」
と、クレムが静かに尋ねてくる。
リアクションは静かだけど、青い目を見開いて、新たな味覚に驚いている様子。
「うん。新商品のジンジャーエール! どう、いける?」
私が作ったのは、みんな大好きノンアルコールの大定番、ジンジャーエールだ。
生姜は
大変なのは炭酸水で、イーストと砂糖で出来るのは知っていたんだけど、上手く発酵させるのには四苦八苦。そもそもドライイーストもどきを作るのが大変で、あれやこれやと試してみて、ようやく炭酸水を作ることができた。
イーストの匂いを消すのにも生姜は適任だったし、まあ、地球で飲んでいた味とはだいぶ違うけど、それでも完成にはこぎ着けた。
「……間違いなく売れるわよ。それも高値で」
そう言ってくれるのはテオドラさんだ。みんなもうんうんと頷いてくれる。上々の反応が返ってきて嬉しい。
「でも炭酸がすぐに抜けちゃって。呼び売りの子に卸すかどうかは悩んでるんです」
けど、炭酸飲料という性質上、商品化には多少の難がある。どうにか上手くできないかとまだ試行錯誤中なのだ。すると、
「一杯いくらで売っていいものじゃないわよ、これ」
シーラさんが大真面目でそんなことを口にする。
曰く、瓶に詰めてラベルを張れば、結構な値段が付くだろうとのこと。市民はもちろん、珍しい物に目が無い貴族だって買うかもしれないそうだ。
それに、ピアソン一家は商工会とも繋がりが深く、その気になれば生産から流通まで手配できると、大真面目に商談まで持ちかけられる。ただ、
「えっと、う~ん。……今のところ、そういう気は無くてですね……」
私は曖昧にそう答える。
私が作っている商品は、どれこれも砂糖がセールスポイントになっている。貴重な材料をふんだんに使った商品を、通常ならあり得ない廉価で売ることで、他のお店より優位に立つことができるのだ。
そんな真似が出来るのは、私が食べ物を増やせる
つまり、私はズルをしてお金を稼いでいる。
だから、生活に必要な分と、呼び売りの子たちに楽をさせられる以上のことまでは、手を広げないと決めているのだ。
今だって、普通に買える材料はお金を出しているし、なるべく他のお店に迷惑をかけないようには努めている。……それでズルした分がチャラになるとは思わないけど。
とすると、しまったな。シーラさんたちは頭もいいし勘も鋭そうだし、私の商売のおかしな点にはもう気付いているかも。
「……まあ、無理にとは言わないわ。呼び売りの子たちも困るでしょうし」
けど、彼女はすぐに商談を収めてくれた。
ああそうだ。ピアソン一家は貧しい人たちの生活にも心を砕いている。私たちの活動も、きっと好意的に受け止めてくれているのだろう。
「ゆっくりやっていこうと思ってます。あんまり急いでも、手が回らなくなっちゃいそうですし」
そう告げると、皆さんも納得してくれたみたい。
それから、私たちはお菓子を摘まみながら、他愛ないお喋りを楽しんだ。
「実際の所、ナオさんたちには助けられているのよ。子供にできる仕事なんて限られてるでしょ? 呼び売りの子たちが食べていけるようになれば、他の活動にも人手を回せられるし」
雑談が一段落すると、シーラさんが真面目な調子でそう話しかける。
オストバーグの非市民たちの元締めをしているピアソン一家だけど、最近は色々と大変みたい。
「最近、市警の連中が嫌に活発でね。取り締まりが厳しくて、失職した人も多いのよ」
と、彼女は憂いと憤りの混ざったため息をつく。
「その人たちを周旋するのも大変なのに、貧民街でも手入れが多くて。……ただでさえ、あそこに住んでる人たちは生活が苦しいのに、酷いわよね」
シーラさんは苦々しくそう呟いて、ジンジャーエールを飲み干す。
最近どこか深刻そうな気配があるように感じていたけど、まさかそんなことになっていたとは。シーラさんもピアソン一家の一員として、大変なんだろう。
「あら、ごめんなさい。愚痴なんて聞かせちゃって……」
一様に暗い顔をするみんなに気付いたのか、シーラさんが慌ててそう執り成す。けど、
「貧民街にも手入れって、そんなことになってたんですか?」
と、私は憂い顔でそう尋ねる。
あの場所には、経済的にも身体的にも問題を抱えている人が多いのだ。そんな人たちを駆り立て、追い立てるなんて……
「市警にすれば街区を不法に占拠しているのは貧民の方だから、道理は向こうにあるのよね。市民だって良い印象なんて抱いていないでしょうし。……はあ、せめてあそこの人たちが少しでも働ければいいんだけど」
シーラさんはまたしても暗い顔でそう溢す。
貧民や余所者は只でさえ生活が大変で、しかも一度でも暮らし向きが悪くなれば立て直すのは難しい。
私だって立場は同じだ。元気だけが取り柄だけど、これから先、大きな怪我や病気をしないとも限らないのだ。社会保障を受けられないのが、ここまでキツイだなんて思いもしなかった。
「貧民の人にも出来る仕事、ですか……」
「ああ、いいのよナオさん。あなたにまで迷惑をかけられないわ」
大真面目に考え込む私に、シーラさんが手を振ってそう告げる。けど、
「う~ん、でも何か、アイデアが浮かびそうなんですけど……」
答えに近付いている気がするのに、出てこないのが何とももどかしい。
頭を抱えてうんうん唸る私を、テオドラさんやユニスさんまで微笑ましげに眺めてくる。いや、ホントに何か思いつきそうなんですって。
「……良い考えが浮かびましたら、改めてシーラ様にお伝えしましょう?」
と、クレムが優しく言いながら、空になったグラスを片付け始める。あ、お昼休みもぼちぼち終わりの時間か。
私は仕方なしに、クレムと一緒に後片付けを始める。
ふと、彼女の白い手首が目に留まる。そこに巻かれているのは、麻ひもで作ったミサンガだ。私の髪を混ぜ込んで、ミリーの姿が見えるようにした奴だ。
そう言えば、結構ボロだし、綺麗なのに作り変えたいと前から思ってたなぁ。
「――あっ!!」
その時、私に電流が流れる。頭の上に電球が付いたぞコレ。
「クレム、テオドラさん! もうちょっと留守番お願いして良いですか」
私は勢い込んでそう告げて、酒場の隅に置きっぱなしだった鞄を引っ掴む。
「シーラさんにユニスさんも、明日時間があったら覗いてくれませんか?」
二人にもそう頼むと、私は酒場を飛び出した。
アイデアが出たら、とにかくまずは形にしてみよう。失敗したら、その時は次を考えればいいんだから。っていうか、ふふ。こういうのって楽しいよね。
私は高揚感に導かれるまま、材料を買い揃えようと商店街へ向かった。