その後の事は、思い出したくも無い。
もう祝宴どころではなくて、酔いも一発で冷めたお姉さん方は、大慌てで事態を確認しようとする。ユニスさんなんて興奮しすぎて転んじゃったし。
ただ、私が必死になって落ち着いてもらうよう呼びかけ、なんとか場は収拾に向かった。
私が
それからあれこれと話し合ったものの、一先ずの所、専門家のユニスさんに
「…………」
酒場の二階、普段クレムと寝起きしているツインルームにて、私は椅子に腰かけ項垂れていた。
「下の片付けは私がしておくから、今日はゆっくり休んで?」
ランプの薄明かりを受けて、テオドラさんの金髪が美しく輝く。
「あ、なら私も……」
「いいのよ。クレムちゃんは一緒にいてあげて。きっと混乱してると思うから、友達が居てくれた方が心強いわ」
そう言いさしたクレムを、テオドラさんがやんわりと制する。そして、
「ねえナオちゃん。私はあなたに恩義があるの。シーラとユニスも同じよ。絶対に不利益になるようなことはしないから、安心してね」
彼女はそう告げると、静かに退室した。
「…………はぁ」
「ナオ……」
部屋に残された私は、改めて深くため息をつく。クレムが心配そうに覗きこむけど、ごめん、直ぐには気持ちが落ち着かない。
なんで、なんでこんなことになってしまったんだろう。
――私は別に、特別な力なんて欲しくないのに。
さっきの騒ぎを思い出して、胃が痛くなる。みんな突然現れた
ううん、それはいいの。別に、毛糸が伸びようがスプーンが光ろうが構わない。
けど、その所為であの人たちとの関係が変わるのが嫌だ。
これだけ大きな街で、奇跡みたいな偶然で巡り合って、いろんな出来事を通じて仲良くなったのに、望んでもいない
「……テオドラの言は信じていいだろう。ナオを教会に引き渡す理由はないしな。それにシーラは義理堅く、ユニスは研究以外にはあまり関心がなさそうだ。そう怯えなくとも大丈夫だろう」
子供をあやすように、優しく語りかけてくるのは幽霊少女のミリーだ。
彼女は混乱の渦中にあっても常に冷静で、私のことをずっと案じてくれていた。
「表沙汰にしたくないと頼めば口をつぐんでくれるだろうし、
平坦な声で、でも心からの思いやりを込めて、ミリーがそう尋ねる。
この子はいつも、自分は世界に爪弾きされているなんて自嘲するけど、人の心の機微を察するのは誰よりも上手なんだ。
「…………私、怖いの」
白い少女に促されて、私は訥々と胸の内を明かす。
「あの人たちとの関係が変わっちゃうのもそうだけど、
善良で敬虔な信徒に、神様が授ける奇跡のしるし、
その説明に偽りがないのなら、きっと私は選ばれるはずなんてないんだ。
「私、私……こんなの欲しいって思ったことない! 神様に祈ったこともないし、聖典だって読んだことないんだよ? なのに、私にばっかり
力を与えるなら、そこには何か理由がある筈。
それも、遠く離れた地球から、わざわざ私を連れて来るだけの理由が。
――今になってようやく思い至る。きっと、私をこの世界に連れてきたのは神様だ。
「私、ホントに凡人なんだよ? ミリーみたいに賢くもないし、クレムみたいに直向きでもない。それに、もし神様が私を地球から連れてきたんだとしても、向こうにだって私より立派な人は幾らでもいるもん! ……もう、訳わかんない。奇跡の力なんて貰っても、送り主が何考えてるか分からないなら怖いだけだよ!」
最後の方は、ほとんど叫び声に近かった。
人間なんか及びもつかない超常の存在に目を付けられ、見ず知らずの世界に連れてこられたのだ。恐怖を感じて当然だ。
私は胸に
「……恐れずともよい。あなたが
ぽつりと、澄んだ声が室内に響く。
恐怖と困惑に打ち震える私にそう語りかけてきたのは、それまで静かに告白を聞いてくれたクレムだ。
「ノーラの伝道か」
「はい。一章の九節です」
ミリーの指摘に、淡々と答えるクレム。たぶん、聖典の中の一節なんだろう。けど、
「…………」
私は彼女の意図が分からず、沈黙する。
だって、私が混乱しているのは神様の所為だもん。一緒にいるとか言われても、じゃあちゃんと教えてよとしか思えない。すると、
「ナオの仰るとおりです。神の意は遠大に過ぎ、余人にはかれるものではありません」
クレムは諭すような口調で語り出す。
「あなたがこの地にやってきたのも、何らかの思し召しがあってのことでしょう。不安を懐くのも無理からぬことです。……ですが、きっと悪しき理由からではないと思います」
彼女は穏やかな、それでも凛呼とした威風を纏ってそう告げる。
「……そりゃあ、クレムは神様を信じてるからそんなふうに思えるんだよ」
断定的な言葉につい反発して、そんな憎まれ口が出てしまう。
でも、偽らざる本音だ。この子は敬虔なオーリオラの信徒だ。朝夕お祈りは欠かさないし、聖典だってそらんじるほど読み込んでいる。
教会の教えが彼女の人格形成に深くかかわっているのは間違いないだろうし、そうして創り上げた人柄が、世にも素晴らしいモノなのは間違いない。
敬虔で慈悲深く、公平で思慮深く、温和で忍耐強く、勇敢で慎み深く、そして気高い。
きっと神様が愛するなら、こんな子に違いない。
だから、クレムが神様に選ばれるなら納得もできる。
現に、彼女にも
「けど、私は違うもん。クレムは怒るかもだけど、私は神様なんて信頼できないし、頼ろうと思ったこともないし……」
そもそも、私は神様なんて嫌いなんだ。もしそんな存在が実在したとしても、きっと私たちとは考え方が違うのか、それとも人間には興味がないかに決まってる。……じゃないと、この世界には辛いことが多すぎるもの。
私は拗ねたようにそう溢す。すると、
「大事なのは、相手が自分を信頼しているか。ではありませんでしたか?」
クレムはどこまでも優しい声で、そう尋ねてきた。
「え?」
「お忘れですか? ナオが仰ったんですよ。大切なのは、相手にとって自分が信頼に値するかどうかだと」
それは何時かに、私が口にした言葉。
その情景を思い出し、はっとする私を見るや、クレムは嬉しそうに微笑みながら、話を続ける。
「ナオが神を信じられないのも無理はないでしょう。ですが、あなたは神に信じられる価値のある人間です。その事だけは、私は微塵も疑っていません」
青い瞳に揺るぎない力を込めて、クレムがそう断言する。
――私が神様を信じなくても、神様は私を信じている。
誠実に、真剣に、真正面からそう告げられて、何やら顔が熱くなってくる。――ヤバい、なんか猛烈に恥ずかしくなってきた。
「そ、そそそんなことないよ! 私なんて、馬鹿だし、ちゃらんぽらんだし、怖がりだし、お調子者の癖にけっこう打たれ弱いし……と、とにかく、神様から褒められるような御大層な人間じゃないって!」
私は大慌てで否定するも、
「ナオ? いくらあなたでも、私の友人を悪しざまに言うのはいただけませんよ」
と、クレムは珍しくもそう混ぜっ返す。
彼女の見せた茶目っ気に、私はもう耳まで熱くして俯いてしまう。
「うう~。私、結構本気で悩んでるんだよ?」
「はい。ですから私も、至極真面目にお答えしています」
私の恨み言を涼しい顔で受け流し、クレムはさらりとそう返す。
「大体、クレムはなんでそんなに神様を信じてるのさ。そりゃあ、あなたみたいな人なら向こうも放っておかないだろうけど、別に直接話したり、会った訳でもないんでしょ?」
「それは、その……確かにその通りなのですが……」
私が拗ね声でそう尋ねると、クレムは打って変わって言い淀む。あれ、なんだか照れてる?
「お話するのも、恥ずかしいことなのですが……」
「何よー、理由があるなら隠さず教えてよー」
頬を薄ら上気させて言葉を濁すクレムに、私はぶーぶーと不平をぶつける。すると、
「だって、私はナオと、ミリーと出会えましたから」
クレムはさも恥ずかしそうに、でもはっきりとそう口にした。
「ぅ…………」
思いがけなかった告白に、私もつい言葉を詰まらせてしまう。
「ナオ。私はあなたに出会えて、本当に救われたんです。あなたにはどれだけ感謝してもしきれません。……そしてもちろん、あなたと導き合わせてくれた神様にも、私は心からの感謝と、信仰を捧げます。……これが理由では、足りませんか?」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、それでも真剣に問いかけてくるクレム。
確かに、彼女の言う通りだ。
私がこの世界にやってきて、初めて出会ったのがクレムとミリー、二人の親友だ。こんなにも善良な人たちは、きっと世界中探したって見つかりやしない。
もしもこれがデニスみたいな悪党なら、たぶん私は考えたくもないほど悲惨な目に遭っていただろう。
それを思えば、確かに神様にも良いところはあるのかも。少なくとも、考え無しではないのだろう。けれど、
「……ごめん。でもやっぱり、まだ神様は信じられないや」
私は胸の内を正直に告げる。友達に、嘘は付けないから。
「……」
クレムは責めたりしないけど、それでもどこか悲しそう。
「だけど、私はクレムとミリーの、友達のことなら信じられるよ。……それじゃ、駄目かな?」
と、私は言葉を続ける。
神様の思惑は分からないけど、友達なら、クレムとミリーなら、私の全てを掛けてでも信じられる。
「ナオ――いいえ、いいえ。嬉しいです。心から」
すると、クレムは感極まったようにそう溢し、花が咲くような笑みを浮かべる。
「……ともあれ、気を落ち着けてくれたようでなによりだ」
そうして、私とクレムが二人して言葉も無しにうんうん頷き合っていると、ミリーが穏やな表情で口を開く。
「だが、起きてしまった出来事は覆らない。これからを考えねばな」
と、優しくそう諭す。
「……はい」
「……仰る通りです」
何やら一件落着になった気がしていた私とクレムは、ばつが悪そうに頷いた。