その日はどうも、朝から不穏な気配があった。
毛糸の
「え、あれ? 少なくない?」
思わずそう呟いてしまう。いつもならお店の外に人だかりができているのに、今朝は両手で数えられるくらいの人数しかいないのだ。
メル君もロレッタちゃんも来ていないし、他の子たちもなんだか精彩に欠けた表情。いつもはご近所に
「ねえ、どうしたのかな。何かあった?」
とにかく来てくれた子にはいつも通り商品を卸し、常連の子の一人にそう尋ねる。
まさか急にうちの商品が飽きられた訳でもないだろうし、きっと何か事情があるに違いない。すると、
「え、マジで!?」
子供の語るところに、私は目を剥いて驚く。
なんでもここ数日、オストバーグ市警備隊が随分と熱心に警邏活動を行っており、呼び売りの子たちにも深刻な影響が出ているそうな。
――実の所、呼び売り業というのはそもそも法律で認められていない。
そりゃあそうだ。路上を練り歩いて好き勝手に品物を売るなんて、認めてしまえばちゃんとした商店の立つ瀬がない。しかも食料品とか、絶対に許可がいる品物だし。
かく言う私も、まだ役所から許可は貰っていない。シーラさんと相談して、もっと大々的に、継続的に事業をするなら申請しましょう。って話になってる。
ただ、それらの法律も有名無実化していて、守っている人は少ない。
オストバーグの人口は多すぎるから、ちゃんと許可を貰ったお店だけだと、食料が賄えないのだ。
そんな経緯だから、市内には無許可で商売をしている人が業種問わず山ほどいる。呼び売りの子たちもそう。
で、そんな立場だから、基本的に警備隊は怖い相手で、見つかると追い散らされたりする。彼らもそこら辺は弁えているから、巡回ルートを避けて上手に商売をしているのだ。
「……そんなに厳しいの?」
けど、ここ数日、警備隊の取り締まりがめちゃくちゃ厳しくなったらしい。
普通は追い散らされるだけの呼び売りの子が、商品を取り上げられたり、最悪捕まったりもするらしい。
「みんな大丈夫なの!?」
勢い込んで尋ねる私。子供とはいえ、捕まればどんな目に遭うことか。
でも、彼らの知り合いにほとんど被害はなかったらしい。何人か市警の詰所に連れていかれた子もいたけど、親方が掛け合って釈放してもらったそうだ。
「よ、よかったぁ……フレーザーさん、ちゃんと仕事してんじゃん」
と、私は安堵に胸をなでおろす。呼び売り親方のフレーザーさん、復帰早々大変みたいだけど、ここは頑張ってもらいたい。
そんな訳で、呼び売りの子も多くが仕事を休業しているそうだ。今日来た子たちも、得意先から頼まれた分を売れば休むとの事。
「それなら仕方ないか。でも、みんなもホントに気を付けてね?」
心配だし、来てくれた子たちには何度も注意を促す。
「じゃあ、お友達にもよろしくね!」
余った焼き菓子をみんなで食べるように持たせて、子供たちを見送る。
ふぅ。まさかそんな事態になっていたなんて、全然気付かなかった。
「……気がかりですね」
と、クレムも端正な顔を曇らせて呟く。うん。まったく同感。
「ここ数日、外出をしなかったから気付かなかったな」
そう言うのはミリーだ。
街歩きを趣味にしている彼女だけど、最近はお店のことや、私の身の上のことで心を砕いてくれていたから、外に出る機会が無かった。
「となると、シーラが顔を見せないのも、取り締まりの強化が理由だろうか」
「あ、きっとそうだ!」
幽霊少女の指摘に、私ははっとなる。
実は、ここ三日ほどシーラさんとは会っていない。最近は毎日来てくれるのに、どうしたんだろうとみんなで首を傾げていたのだ。不動産屋さんに行ってみようかと思ったけど、用事が立て込んだり天気が悪かったりで、結局伸ばし延ばしになっていた。
ピアソン一家はオストバーグの非市民の取りまとめ役だから、騒動の影響はもろに受けているに違いない。
「あら、何がそうなの?」
すると、背後から麗しい女性の声。
厨房で作業をしていたテオドラさんが、玄関口まで出てきたのだ。
「あ、えっと、今さっきですね……」
と、私は子供たちから聞いた話をそのまま伝える。そして、
「だからシーラさんも忙しくしてるんじゃないかって。……よかったら、今日にでも陣中見舞に行きません?」
そう提案する。
きっとピアソン一家の人たちは多忙を極めているのだろう。私もお世話になってる身だし、少しでもお手伝いがしたい。
「……そうね。良い考えだと思うわ。みんなで摘まめる物でも持って行きましょうか」
と、テオドラさんも賛同してくれる。シーラさんとは喧嘩友達みたいなものだし、なんだかんだで彼女も心配していたんだろう。
どうせ今日はお客さんも来ないだろうし、なら仕入れた分を全部差し入れにしてやろう。
意気込んで厨房に向かった私だけど、
「しかし、取り締まりの活発化か。……何故今になって? 市警がそこまで職務に励む理由はなさそうだが」
呟き声につい振り返る。
見れば、白い少女は顎に手を当て、何やら怪訝な表情を浮かべていた。
――そう、私はこの時、事態をまったく軽く考えていた。その浅はかさを、直ぐに思い知らされることになる。
× × ×
その日のお昼過ぎ。
やっぱりお客さんは全然来ないし、シーラさんの姿も見えなかった。ユニスさんは大学でお仕事なので、今日はたぶん夕方に来ると思う。
「やーでも、長引いちゃったら困るよね……」
「まったくです。それに貧民街の人々への影響も気になりますし……」
厨房にて差し入れ用の軽食をあれこれ作りながら、私はクレムにそう話しかける。
市警のキャンペーンが何時まで続くか知らないけど、このままだと確実に売り上げに影響が出る。
日々の生活費もあるし、酒場を登記しちゃったから税金も納めなければならない。あんまり長引くと干上がっちゃうぞと、流石の私も気が重い。
「市警の狙いが今一つわからない。点数稼ぎにしても、少々やり口が荒すぎるようだ」
さっきから深刻そうに思案しているのはミリーだ。
なんでも、今回の騒動には不可解な点があるとか。
オストバーグには大別して「権利を持つ民」と「権利を持たぬ民」が暮らしている。
前者がお貴族様や市民で、後者が余所者とか貧民とかが代表。あとその間に市民の子供とか職人の弟子とか中間層があるみたいだけど、大まかな認識はそんな感じ。
で、市の警備隊は当然「権利を持つ民」の味方なので、今回「権利を持たぬ民」に圧力を加えている。これ自体は、別に珍しくもないそうだ。ただ、
「非市民を過度に抑圧したところで、益が薄いように思えるのだが……」
ミリーが首を傾げるのは、市警の意図が分からないためだ。
例えば、ちゃんとしたパン屋さんは非市民のパン屋さんを目の仇にしている。これは当然。組合に入ってまっとうに商売をしている店屋さんが、誰とも知れぬ人間が作った格安パンなんて認められる訳ない。っていうか何が入ってるかも分からないし。
ただ、水運や建築関係の人たちからすれば、日雇いできる非市民の労働者は非常にありがたく、商売には欠かせない存在だそうな。
何が言いたいかって、結局市民と非市民の人たちは
そもそも、非市民の方が人数多いんだから、本気で取り締まろうったって無理な話だ。そんなことしたら、市の経済そのものが回らなくなっちゃう。
「社会の構造上当然の話だな。下支えする人間を痛めつければ、結局は都市の基盤を揺るがすことになる」
だから、ポーズとして非市民を取り締まることはあっても、本気で彼らをどうこうしようというのは考えにくい。とミリーは語る。
「なら、ちょっとやり過ごせばまた元通り。ってこと?」
「だといいのだが……」
私が期待を込めてそう尋ねると、白い少女は首を傾げる。
それからしばらく、私たちは答えの出ない政治談議をあれこれと続ける。
メル君とロレッタちゃんが店を訪れたのは、差し入れが完成した頃だった。
「ナオちゃん。お客さん来たわよ」
と、カウンターで店番をしてくれていたテオドラさんが声をかけてくる。
厨房から出てくれば、そこには馴染みの二人がいた。――明らかに、憔悴した姿で。