「遅くなってごめんなさいナオ姉さま。まだ売り物残ってる?」
空のバスケットを提げた頭巾の女の子が、眩しい笑顔でそう尋ねてくる。
「二人とも大丈夫だった? 聞いたよ。警備隊の人がめっちゃ出張ってるって。姿が見えないから心配してたの!」
売り場に出てきた私は二人に駆け寄って、安否を気遣う。
「全然なんでもないです。だから、メルと仕事に行こうと思って……」
そう両手を振って元気そうに振舞うロレッタちゃん。けど、
「ッ――」
私は一目で、少女の嘘に感付いた。
「目抜き通りとかに近付かないと、案外平気なんですよ。だから、こっそりお得意さんを回れば普通にお仕事できますし。あ、今なんて結構ねらい目かもですよ。他の子休んでるから、いつもより沢山売れるかも!」
笑顔を張り付けたまま、早口でまくしたてるロレッタちゃん。
私は馬鹿だし、勘も鈍いけど、それでも、子供が悲しんでいることぐらいは分かる。この子、きっとずっと泣いている。怖がっている。
「ロレッタ、様……」
クレムも少女の異常な振る舞いにはすぐに気付いたみたい。
だって、ばればれだもん。隣に立つメル君だって、ずっと深刻そうな、悔しそうな顔してるし。
「で、今日はグレイン区の方に行こうかと思ってるんです。あそこ、職人さんが多いから、この間のパンだって売れ行きよかったし――」
「ロレッタちゃん!」
滝のように紡がれる少女の言葉を遮って、私は力強く彼女の名を呼ぶ。
「何か、あったのね?」
「ッ――」
確信を持って問いかけると、頭巾姿の少女がびくりと体を強張らせた。
「べ、別に何にもありませんよ。ね、ねぇメル?」
「…………」
少女は狼狽も露わに隣の少年に助けを乞う。けど、メル君は何かを耐えるような表情でうつむく。そんな二人の様子が見ていられなくて、
「ロレッタちゃん。――私のこと、お姉ちゃんのこと、信じられない?」
私は腰をかがめ、彼女の両肩にそっと手を添え、真剣に問いかける。
「ぅ……」
私に真正面から見詰められ、少女がたじろぐ。心を守ろうとする笑顔の仮面は、あっけなく剥がれ落ちた。すると、
「…………ロレッタの家族が、警備隊の連中に家から追い出されたんだ」
屈辱と憤りを滲ませ、メル君がそう教えてくれる。
「ちょ、ちょっとメル!」
「ナオ姉ちゃんに嘘なんてつけないだろ!」
ロレッタちゃんが抗議するも、少年は説明を続けてくれる。
何でも、ロレッタちゃんは五人家族で、お父さんはおらず、お母さんと四人の子供とで暮らしているそうだ。子供の中ではロレッタちゃんが一番年長。一番下の子は、まだハイハイが出来るようになったばかり。
お父さんは一年ほど前に亡くなって、お母さんはお腹が大きくなっても働き続けたらしい。それで、無事に男の子を産んだんだけど、産後の
その後、まだ体調は回復せず、子供の世話もあるのでロレッタちゃんが呼び売りをして家計を支えていたらしい。
そんな彼女の家は、サレス区の貧民街にある。
「今日の朝、警備隊の糞野郎どもが貧民街に乗り込んできて、ロレッタが住んでる辺りの人を引きずり出したんだ」
メル君が怒りもあらわにそう吐き捨てる。
貧民街に住んでいるのは、自活すら難しい境遇の人々だ。
彼らが住居としているのは打ち捨てられた家々で、当然、誰かに許可なんて取った訳じゃない。いわば不法占拠しているのだ。
だから、警備隊としてはそんな彼らを追い立てるのは当然の仕事なのだろう。
「……それで、ご家族は何処に?」
冷静に、落ち着いて、取り乱さないようにと自分に言い聞かせ、私はそう尋ねる。
「今は親方の事務所に移ってもらってる。ただ、あんまり広くないから、ずっと暮らすのは無理だと思う」
「……」
歯切れよく答えるメル君。代わりに、ロレッタちゃんの顔はどんどん曇ってしまう。
よかった。一先ず、怪我とかは無かったみたい。
それに寒天に放り出された訳でもないそうだ。フレーザーさん、ちゃんと子供を守ってるじゃん。
「貧民街の、他の方々はどうなりましたか?」
すると、クレムが質問を差し挟んだ。あの近辺には、彼女が介護に訪れている家も多い。歩くこともできないお爺さんだっているのだ。心配だろう。
「何人かは救貧院に連れてかれたみたいだけど、他の人はどうなったかわかんない。手入れがあったのも貧民街の一画だけだから、多分そこまで大勢が追いだされた訳じゃないと思うけど……」
「そうですか……ありがとうございます」
メル君の説明に、クレムは憂い顔で頷く。
それで、二人が酒場にやってきたのは、とにかくお金を稼ごうと思ったからだ。今のところはフレーザーさんの所に泊まってるけど、何時かは出て行かなきゃならない。それまでの間に当面の宿代を稼ごうと、危険を冒してまで仕事をしようとしたらしい。
「…………」
メル君が事情をすっかり語り終える頃には、もうロレッタちゃんは一言も発することできなくなって、ただ悲しそうに俯いてしまった。そんな少女に、
「そっか。ロレッタちゃん頑張ったんだ。偉かったね」
心の底から敬意を込めて、私は優しく語りかける。
「えっ――」
まさか褒められるとは思っていなかったのか、少女は驚いた様子で顔を上げる。
「だって、みんなの為に働こうと思ったんでしょ? あなたが一番お姉ちゃんだから、辛いのに、大変なのに、病気のお母さんの代わりに家族を守るんだって、そう決めたんでしょ? それって凄いことだよ。きっとご家族も、ロレッタちゃんを誇りに思ってるよ」
私は少女を見詰め、一言一言、丁寧に思いを伝える。
すると、少女の茶色の瞳に、みるみる涙が溢れる。
「う、う……ふぇ…うぅぅ」
「大丈夫だよ。ロレッタちゃん頑張ったもの。――でも、ちょっとぐらいは甘えても、頼ってくれてもいいんだよ?」
私は泣きじゃくるロレッタちゃんを抱きしめ、フードの上から頭を撫でる。純白のつまみ細工が、変わらぬ美しさで咲いている。
「…………」
「はい。ご随意に」
少女を慰めながら、私はクレムに視線で問いかける。すると彼女はノータイムで頷く。最近、お互いの考えが普通に読めるようになってきた。
「ねえ、ロレッタちゃん」
「……ぅ?」
しばらくして、少女の気が落ち着くと、私は優しく声をかける。
「あなたさえよかったら、ご家族と一緒にここに住まない? 二階の部屋、空いてるし」
「ふぇ――」
私の提案に、ロレッタちゃんは目を鈴のように見開く。
「で、でも私、こんな立派な宿なんて……」
けれど、少女は俯いて首を振る。きっと宿泊費のことを心配してるんだ。この子は小さくても商売人だし、お金の話を曖昧にしたくは無いのだろう。
「ほら、この建物おっきいから、掃除とか行き届かなくて困ってるの。それに最近メニューも増えたから、厨房も手が足りなくて。……お仕事の合間にでもいいの。ロレッタちゃん、手伝ってくれないかな?」
「姉さまに、迷惑なんてかけられないし……」
気になるなら、対価に労働を。そう頼んでみるも、ロレッタちゃんは渋い顔。
露骨な施しは、かえって彼女の矜持を傷つけてしまうかもしれない。私はどんな言葉を掛ければいいのか考えあぐねてしまう。すると、
「意地張ってないで世話になれよ。この街でナオ姉ちゃん以上のお人好しなんていねぇの知ってんだろ。他に誰頼るつもりだよ」
さっきまで心配顔をしていたメル君が、一転生意気にそう告げた。
「ちょ、ちょっとメルっ! なんてこと言うのこの馬鹿ッ」
「んだよ!? さっきまでピーピー泣いてた癖にさ、格好つけてんじゃねえよ!」
「な、なんですってぇ! もう一回言ってみなさいよっ!」
「わー! ちょっとちょっと、喧嘩しない!!」
いかにも小馬鹿にした少年の態度に、ロレッタちゃんが怒りを爆発させる。
取っ組み合いを始め合いかねないほどヒートアップした二人を、私は慌てて仲裁。
「――もう! 二人ともそこに座るッ!」
私は二人を無理矢理引き離し、酒場の椅子に座らせる。
「だってよ……」
「コイツが……」
「言い訳しない!」
お互いを恨めしそうに睨むメル君とロレッタちゃんに、私は腰に手を当て、怒ってますのポーズで一喝。――あ、こらクレム。二人からは見えないからってほんわか笑わないで。私まで釣られる。
「メル君! 言葉遣いが悪い! ロレッタちゃんが心配ならはっきり伝える!」
「な――」
「ロレッタちゃん! 素直になりなさい! メル君の思いやりには気付いてるでしょ!」
「う――」
私がズバリと指摘すると、二人は揃って言葉に詰まり、
「なな、何言ってんだよ。誰がこんなブス心配するかよ!」
「ちょ、ちょっと、このバカが勘違いしちゃうじゃないですか!」
顔を真っ赤にして抗議する。そして、
「は? 誰がブスって?」
「今バカって言ったか?」
顔を見合わせ凄む二人。ここまで息ぴったりで、まだ認めないのか。
「はいはーい、そこまでそこまで」
どっちが折れるか恋愛チキンレースしてる二人はほっといて、私は話を元に戻す。
「ね、ロレッタちゃん。もし嫌なら、すぐに出て行ってくれてもいいの。次のお家が決まるまででも構わない。……私のお節介、受け取ってくれないかな」
「姉さま……」
あらためてそう頼み込む私に、ロレッタちゃんは感に堪えないといった風。うん。あれだけ大騒ぎしたから、意固地になった気持ちもだいぶ解けたみたい。
「あのなぁ。素直に姉ちゃんたちから借りとけよ。……どうしても気になるんなら、俺も借りを返すの手伝うしさ」
と、メル君も説得してくれる。普段からそれぐらい当たりが柔らかければいいのに。
「じゃ、じゃあ、少しの間だけ、お世話かけちゃっていいですか?」
「もちろん!」
ようやく心を開いてくれた少女に、私は笑顔で頷く。
そうしてロレッタちゃんと今後の話をしていると、
「あ、そういえばメル君は大丈夫なの? ちゃんと寝る場所ある?」
ふと疑問が浮かび、私はそう尋ねた。メル君の方は、暮らしは平気なのだろうか。彼はご両親を亡くして、ひとりぼっちだと聞いている。
「別に俺は何ともねぇよ」
すると、メル君はふてぶてしい顔でそう呟く。呼び売り暦の長い少年は、オストバーグ中に幾つか寝床を確保していると自慢げに教えてくれる。
きっとちゃんとした家ではないんだろうけど、本人はさも誇らしそうだから、私も返答に困ってしまう。
「ひとりだと寂しくない? 部屋はあるし、ここに泊まったら? 警備隊の人に見付かったら大変だろうし」
それでもそう勧めると、
「へん! 市警のアホがなんだってんだ。あんな連中怖くもないね。心配して貰わなくたって平気だよ」
と、少年は憎まれ口を叩く。もう。メル君すぐ言葉が悪くなる。
「違う違う、心配なんてしてないよ!」
そんな彼を懲らしめてやろうと、私は素知らぬ顔でそう呟く。
「だってメル君に何かあったら、私やロレッタちゃんが危ない時に誰が助けてくれるの?」
「な――」
次いで放たれた私の台詞に、少年の顔がみるみる赤くなった。
「だ、誰が助けるって……」
「え? メル君私たちを見捨てちゃうの?」
効果覿面と見た私は、にやにやと底意地の悪い笑みを浮かべて追撃。ロレッタちゃんも嬉しそうだ。
「ぐっ……」
「ふふ、ごめんごめん。でも気を付けてね!」
窮地に陥った少年に、私はようやく助け船を出す。その様子に、ロレッタちゃんは堪えきれずに笑い出す。賑やかな声が、店内に長く響いた。