翌日、深夜から降り出した小雨は、止むことなく朝まで振り続けていた。
どんよりと黒い空の下、オストバーグの街並みが雨にけぶっている。
時刻はお昼過ぎ。濡れた石畳を踏みしめ、私とクレムは行き交う人も少ない街路を懸命に駆けていた。
「ヤバい、予定よりかなり遅れてない?」
「はい。ですが多少の遅延は織り込み済みのはずです」
息せき切らせて話す私に、クレムはいつもと変わらない調子で答える。
明日に迫る警備隊の一斉摘発に備え、ピアソン一家はとにかく貧民たちを避難させることにした。
まだ全ての受け入れ先が決まった訳でもないのに、人々の誘導、物資の手配、市内各所との交渉を、すべて同時進行で始めたのだ。
普通ならまず成立しえない暴挙。でも、避難は今の所順調に進んでいた。
夜を徹して有力者との交渉に当たってくれたクレイグさんはもちろん、ピアソン一家の人たちも我が身を惜しまず懸命に働いてくれている。
でも、この計画を成立させている最大の要因は、指揮を執る三人の女傑だ。
人の心を正確に読み取り、絶妙な計画を立てるテオドラさん。
その計画を即座に数字に置き換え、最適に整えるユニスさん。
そして部下を的確に差配し、計画を円滑に進めるシーラさん。
避難誘導が問題なく行えているのは、信じられないほど優秀なお姉さんたちがそろい踏みしたお蔭だ。
で、私とクレムはといえば、
「次はどこに行けばいいの?」
「マレトワ区の貴族街です。つい先ほどオーリン侯ゴドウィン・キルナー様が受け入れを表明してくださいました」
実動員として、深夜からずっと人々の避難を手伝っている。
「やった! よかった~」
「トッド様が先行し、避難民を纏められている筈です。おそらく今回で皆様を収容しきれるでしょう。あと一息です」
真夜中から始まった避難誘導は、当然ながら困難を極めた。
事前にほとんど通達してなかったから、貧民街の人にとっては寝耳に水の話。
しかも夜中に叩き起こすようにして避難を強いるのだから、下手をしたら猛反発を喰らうおそれだってあった。
けど、ピアソン一家の名前は絶大で、それに呼び売りの子たちも協力して説得にあたってくれた。フレーザーさんが上手く纏めてくれたのだ。
他にはお医者さんのサーマン先生にも協力して貰ったり。
先生は無償で貧民街の人を診察してくれるから、あの辺りでは聖人のように崇められている。名前を使わせてもらえば、多くの人が話を聞いてくれた。そして、
「――どうしました?」
「ううん、何も」
人々を一番安心させたのは、きっとクレムだ。
この子が先頭に立って説得してくれたから、みんな恐怖を抑えて指示に従ってくれたんだと思う。そんなに長い間ではないけど、献身的に人々を支えたクレムの姿は、皆さんの心に焼き付いているのだろう。
「――雨具の用意が出来たようだ。いったん酒場に立ち寄れ。荷馬車も待機している」
「ミリー!」
雨の中先を急いでいると、優しい声がかけられる。
何時しか私の背には、純白の幽霊少女が覆いかぶさっていた。
「警備隊の巡回は上手く避けられているが、油断するな。身の安全を優先するのだぞ」
私たちの戦いに最も貢献してくれているのは、間違いなくミリーだ。
彼女は市警に潜入しての情報収集のみならず、こうしてメッセンジャーとして本部と現場を繋いでくれる。
ピアソン一家の人たちに紹介することはできなかったけど、私たちは基本的に彼らと一緒に動くから、私を介してテオドラさんたちの指示を伝えられるのだ。
基本的に、避難誘導は数十人から百人くらいまでの規模で行っている。受け入れ先のキャパシティーがそれぐらいだし、あまり大人数だとトラブルも起きやすいし、警備隊にも目を付けられやすい。
なので、必然ピストン輸送という形になる。受け入れ先と貧民街を行ったり来たりする。丁度、今も避難所から貧民街にとんぼ返りしているところだ。
だから時間もかかってしまって、夜半から始めたのにもう翌日の昼になっている。正直みんな疲労困憊だけど、終わりが見えてきたなら頑張れる。
最後の目的地はオストバーグ北方の貴族街だ。すこし距離があるけれど、荷車もあればいくらか負担も軽減できる。
私たちはとにかくミリーの指示通り、避難場所の一つになっている酒場へと急いだ。
× × ×
「ナオ姉さま、お疲れ様です! 荷物は奥に入れてもらいましたから」
「色々押し付けてごめんねロレッタちゃん。皆さん、大丈夫かな」
もはや我が家のように住みなれてしまった酒場だけど、今日は様相が全然違っている。
テーブルと椅子は全て積み上げられ、酒場には巨大なスペースが設けられている。二階、三階の宿屋の部分も、なるべく大勢が座れるように片付けてある。
そして広くとった床には、大勢の人たちが身を寄せ合って座っている。私たちの酒場は、最初に避難民たちを受け入れたからだ。
動線以外は全て居住スペースに当てたけど、それでも収容できるのは百人ちょっとで名一杯。ロレッタちゃんには避難民のお世話をお願いしたのだ。
「いちおう皆さんには体を拭いてもらって、温かいスープも飲んでもらいました。体調の悪い人はいないみたいです」
ロレッタちゃんの報告を聞きながら、厨房に入って物資の確認。ここは避難場所の他にも拠点の一つとしても位置付けられている。他の避難場所にも運ぶ食糧や衣類を、一先ずここに集めておくのだ。
「
「はい。ナオ姉さまの代わりに頑張ります!」
ロレッタちゃんにあれこれ指示をしていると、
「姉ちゃんこっち来てたのかよ! 市警の連中がぼちぼち嗅ぎ付けてきやがったから、早いとこ出ないと面倒だぜ」
と、外から元気よく呼びかけてくる男の子の声。呼び売り少年のメル君だ。
呼び売りの子たちは、その身軽さと土地勘を生かして避難所間のメッセンジャーを務めてもらっている。親方のフレーザーさんが取りまとめて、組織的に動いてくれているからとても心強い。
「わかった。ありがとう。直ぐに出るよ」
それで、各避難所にはピアソン一家の男の人たちが護衛で付いている。警備隊が脅しをかけてきた時、間に立ってもらうためだ。
けど、警備隊に監視されれば、うかつには避難所に出入りできなくなる
私は酒場の視察を切り上げて、とにかく表へ。物資搬入を終えたピアソン一家の人たちと合流して、再度貧民街へと向かう。
空になった荷馬車に唯一積み込まれているのは、木タールを塗り込んだ防水マントだ。用立てるのに時間が掛かったけど、これで避難する人たちを少しでも雨風から守ることができる。
「お待たせしてすみません。さ、行きましょう!」
私はピアソン一家の若衆に声をかけ、出発を促す。
シーラさんと仲がいいのが知れ渡っているからか、年下の小娘に号令をかけられても嫌な顔一つせず、皆さん威勢のいい掛け声で応じてくれる。
そうして一路、サレス区の貧民街へ。
その途上、私は若衆から防水マントを勧められる。もうずぶ濡れだけど、少しでも身体を冷やさないほうがいいと気遣ってもらったのだ。
避難民に配る物だけど、まあ一枚ぐらいなら、とご厚意に甘えて雨具を羽織る。マントを胸の前でしっかり止めて、フードを目深に被る。
「あ、これ――」
足早に道を進みながら、私はポツリとそう呟く。
「どうされましたか?」
心配そうに顔を向けるクレム。ううん、そんなんじゃないの。
「いやぁ、お揃いだなって思っただけ」
と、私はフードを指で摘まんで、クレムに笑いかける。彼女は一瞬呆気にとられて、
「もう。ナオったら、こんな時まで……」
それから困ったように微笑みを返してくれる。
雨は小降りだけど、一向に止む気配はなかった。