ナオのゴスペル   作:抱き猫

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32 教会にて

 

 

 雨にけぶる石造りの街を、人々は歩く。

 不安と焦燥に顔を強張らせ、不自由な体を引きずりながらも、懸命に。

 

 私とクレムはそんな人々を励まし、勇気づけ、共に歩を進める。

 工房街のグレイン区を東へ抜け、官庁街のユクレスト区へ。このまま北に進路を取れば、貴族街のマレトワ区に辿り着く。

 

 幸い、市警の兵隊たちは追ってこない。トッドさんたちが上手くあしらってくれているのだろう。

 私たちは整然と舗装された大通りを行く。すると、

 

「わかった。すぐにシーラたちに人数を手配させる」

 

 避難民たちの歩調に合わせ、白いドレスが石畳を進む。

 本部と現場を繋いでくれるメッセンジャーのミリーが、再び私たちの元へとやってきてくれたのだ。

 

「うん。お願い。できたら急いでくれると嬉しい」

 

 市警と接触してしまい、護衛の男性たちと離れてしまったことを伝えると、ミリーは即座に代わりの人々を派遣するようシーラさんに掛け合うと約束してくれた。

 

 幽霊少女はクレムとこれからの順路を話し合い、合流地点を確認する。

 

「大聖堂の前を通るのか?」

 

 と、ミリーが微かに渋い顔をする。

 

「はい。通り道ですし、皆様も安心なさるかと」

 

 そうクレムが答えれば、

 

「そこがかえって問題だ。民衆が安堵に足を止めてしまうおそれがある。なるべく長居は避けるべきだろう」

 

 彼女は問題点を教えてくれる。

 

 人目をはばかって小声でだけど、私たちは小さな友人に思いつく限り相談を持ちかける。弱みは見せられないけど、正直私たちだって辛いもの。ミリーが来てくれてホントに嬉しい。

 

「どちらにせよ、可能な限り急ぐよう伝える。君たちなら成し遂げられると信じているが……気を付けて、な」

 

 幽霊少女は激励の言葉を残すと、目の前から忽然と消え去った。ピアソン不動産に向ったのだろう。

 

 私とクレムは視線を交わすと、再び避難民たちを励まして回る。

 そうして、一団はオストバーグの中心地、大聖堂前広場へと行きついた。

 

「おぉ……」

 

 群衆からため息が漏れる。

 

 雲を突く尖塔、優麗な装飾、荘厳な佇まい。曇天の下、霧雨に霞む大聖堂は、それでもなお神々しい威容を誇っていた。

 

 貧民街の人々は、以外にも信仰に篤い人が多い。

 教会が熱心に援助活動を行っていることもあるだろうけど、やはり辛い日々を送る人々には、聖女マルヴィナが説いた愛と祈りの教えが心の支えになるのだろう。前にクレムがそう話していた。

 

「ああ、マルヴィナ様……」

「共にお祈り下さいまし……」

 

 民衆が足を止め、思わず教会に頭を下げる。

 手を合わせ、跪き、伏して祈りの言葉を捧げる。

 

「ッ……」

 

 本来なら美しい光景なんだろうけど、私は焦燥に歯を噛みしめる。

 

 危惧していた通り、皆さんの足が止まってしまった。

 いつ市警の兵隊が来るかも分からないし、雨だってまだ降っている。ここに留まってもいいことはひとつもない。

 

 けれど、熱心に祈りを捧げる人々に、どんな言葉を掛けるべきかわからない。

 

 この人たちは、確かに心の安らぎを得ている。老いや病で満足に動けなくなり、頼れる親類もいない人たちが、恐怖に追い立てられて長い道のりを歩いてきたんだ。どうして責めることができるだろう。

 

 私は取るべき手立てを見失い、群衆の側で立ち尽くしてしまう。すると、

 

「なぜ、あなたたちは歩みを止めるのか」

 

 凛とした声が、雨の広場に響く。

 

 その声の主は、私のすぐ近くに居た。暗褐色のフードを纏った少女クレムは、数歩先へと進み、跪く群衆へと向き直る。

 

「たとえ行く先に万丈(ばんじょう)の山が聳えようとも、千尋(せんじん)の谷が広がろうとも、怯える必要があろうか」

 

 朗々と、切々と、まごうことなき真心を込めて、クレムが言葉を続ける。

 

茫漠(ぼうばく)たる荒れ野を行こうとも、殷賑(いんしん)極むる街に暮らそうとも、あなたの祈りが届かぬことがあろうか」

 

 侵し難い威厳を身に纏い、けれど告げる声は小鳥のように軽やかで。

 人々を見詰める青い瞳は、揺るがぬ愛と信念に輝いていて。

 

「……恐れずともよい。あなたが何処(いずこ)に在ろうとも、神はあなたの心と共に在る」

 

 聖典に記された言葉を、クレムは群衆へと伝える。

 

「…………」

 

 人々に語りかける姿があまりにも綺麗で、なんだか物語の中に出てくるみたいに眩くて、私は茫然と親友を見詰めるしかできない。

 

 それはきっと、皆さんも同じ気持ちだったろう。

 神の御家を背に、クレムは照れたように微笑みを浮かべる。そして、

 

「皆様、先を急ぎましょう。神様はきっと、私たちを見ておいでですから」

 

 その言葉に、人々は目に見えて分かるほど活力を取り戻す。

 膝を折ってしまった人たちが、再び立ち上がったのだ。

 

「それでは、今日はここからで御無礼をして……」

 

 そうして、クレムは避難民たちと一緒に、教会に向って今一度祈りを捧げる。

 

 私も真似っこして両手を組む。ちらりと横目で窺うと、皆さん生まれ変わったように表情から憂いが消えている。

 

 正直、信仰心なんてあまり意識したことなかったし、どちらかと言えば胡散臭いとすら感じてたんだけど、こうして人々の心を支え、正しい道を歩む(しるべ)になるなら、きっと大切な気持ちなんだろう。

 

「――ん?」

 

 視線を転じて教会の方を眺めてみると、何やら気になる物を見つけた。

 

 大聖堂の隣に立つ大きな建物の窓が開いている。そこから広場を眺めているのは、白髭のお爺さんだ。――あの人、ひょっとしてケンプ枢機卿様では?

 

 見れば、他にも教会の関係者らしき人が広場に出て来ている。通行人もそれなりに居るし、群衆はどうしても人目を集めちゃう。

 

「さ、さあ皆さん! あとちょっとです、頑張りましょー!!」

 

 私は慌てて大声を上げ、出発を促す。と同時にクレムの側へ近付き、彼女を人の群れの中に押し戻す。――前みたいに、この子の出自がばれたら大変。あんな思い、二度とクレムにさせたくないもの。

 

 そうして私たちは、再び避難所に向けて歩きはじめる。

 皆さんの足取りも軽い。結果的に、教会を経由したのは大正解だったかも。

 

「お、雨も上がった?」

 

 しとしとと降り続いた小雨も、お祈りしているうちに止んだみたい。少しは行進も楽になるかも。

 

 もう道のりも半分以上過ぎたし、これからピアソン一家の人も駆けつけてくれるだろうし、多少は気が楽になる。

 けれど、私の甘い見通しは、轟く馬蹄によって粉々に打ち砕かれた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 鎧兜を身にまとい、剣を提げた十騎余りの騎馬隊が、教会前広場に乱入する。

 

 人通りの多い場所で早駆けなんて見たことない。人にぶつかったらどうする気だ。けど、誰も非難の声を上げることはできない。

 

 彼らこそが、オストバーグの治安を司る警備隊だからだ。

 

「貴様ら、これは一体何の集まりだ!?」

 

 騎馬隊はまっすぐ私たちの元へとやってくると、散会して避難民を取り囲む。

 そして一際立派な体格をした男性が、雷鳴のような声でそう叫んだ。

 

「畏れ多くも大聖堂の御前で何を企んでいた!」

 

 大男の年齢は三十代中ほど。ひとりだけ兜をかぶっていなくて、逆立つような金髪に、もみあげから顎まで伸びた髭が、まるでライオンの鬣のよう。

 

 顔立ちはごついけどまあ整っている。けど獣のようにぎらつく瞳と、吠えかかるような表情は、明らかに他人を脅しつけることに慣れた人間だ。

 

 それらの特徴には聞き覚えがあった。この人、きっと警備隊の隊長、ジェフリー・アランに間違いない。

 

「何も企んではいません。我々はただ通りがかっただけです」

 

 大男の咆哮にたじろぐこともなく、クレムが群衆の前に歩み出てそう弁解する。

 堂々たる威風、凛然たる立ち姿。この子はホントに、どんな相手でも怯まない。

 

「通りがかるだと? 乞食を山のように引き連れて、いったいどこへ行こうというのだ!」

 

 ジェフリーが吼える。他の兵士たちは群衆を威圧するように馬をゆっくりと進ませる。

 

「オーリン侯キルナー様のご邸宅へ、施しを賜りに参ります」

 

 涼風のように答えるクレム。狂猛なジェフリーを前に、青い瞳は微塵の動揺もない。

 

「はっ! この人数でか? 貴様ら、大人数で押しかけ、ゆすりたかりを行おうとは不届き千万! 見過ごすわけにはいかんぞ!!」

 

 けれど、大男はクレムの説明を曲解し、難癖を付けてくる。

 当然だ。彼らはどうにかして貧民たちを捕まえたいんだもの。弁解なんてまともに取り合うはずない。

 

「そのような意図はありません。侯爵様にお問い合わせいただければ明らかになります」

 

 根気強く、丁寧に、正論をもって応じるクレム。

 情けない話だけど、私はあんまり力に慣れず、彼女の隣でそうだそうだと頷くだけだ。でも、

 

「…………」

 

 私たちの背後から、力強いエネルギーを感じる。

 それは避難民たちの想いだ。彼らは何かを訴えるような眼差しと態度で、じっと押し黙っている。

 

「ええいッ、薄気味悪い連中だ!」

 

 その視線に気が付いたのだろうか。ジェフリーが忌々しげに怒鳴る。

 

 どうしたことか、避難民たちは強固な纏まりを見せていた。先ほど市警に道を塞がれたときはみんな狼狽していたのに、兵隊に直接威圧された今、彼らは明らかに強い意思を抱き、市警の横暴に抗っている。

 

「お望みとあらば、直ぐにこの場から立ち去ります」

 

 人々の心を支えているのは、きっとクレムだ。

 彼女の強靭で高潔な意思を目の当たりにして、みんなが彼女を支えようと心を決めたんだ。

 

「動くなっ! 貴様ら手向かうつもりかっ!」

 

 集団から抵抗の気配を感じ取り、ジェフリーが鬼の形相で叫ぶ。手下の騎兵たちの様相も変わった。実力行使に出るつもりだ。

 

「そこの娘。お前がこやつらを先導しているようだな。本部まで来てもらうぞ」

 

 ジェフリーが酷薄にクレムへと告げる。

 私は驚いて親友を見るが、彼女は無言の眼差しで私に訴える。「後を頼む」って。

 

「そ、そんなっ!」

 

 クレムは抵抗せず、市警隊に連れて行かれるつもりだ。トッドさんたちがしたように、その身を挺して人々を救うつもりなんだ。

 

「ま、待ってくださいっ!」

 

 反射的にそう叫んでしまう。ジェフリーの鋭い視線が私を射抜いた。

 

「なんだ貴様は」

「なんで、なんでこんな酷い事するんですか?」

 

 誰何(すいか)されるも、私はつい胸の内の疑問を投げかけてしまう。

 

 そう、何故こんなことをするのか。

 市警の言い分は、シーラさんやテオドラさんから何度も聞いた。けれど、それでも疑問を抱かずにはいられない。

 

 襤褸(ぼろ)を纏って、ガリガリに痩せこけて、歩くことさえできない老人や病人。

 彼らを馬上の高みから怒鳴りつけ、首にひもを掛けて引きずろうとする理由は何?

 剣で脅しつけ、怖がる様を嘲るのはどうして?

 

 前にシーラさんに聞いた。クレムのお父さんは、どんな死刑囚にも敬意と真心をもって接し、彼らの尊厳を護り抜いたと。

 

 法律が人を縛るのは、人々の助けとなるためだ。法が人を罰するとしても、そこには踏み越えてはいけない一線が、侵してはならない尊厳がある。

 

 なのに、市警は法を利用し、捻じ曲げ、こじ付け、自分たちのために使おうとしている。

 

「酷いだと? とんでもない言いがかりだ。――貴様らのような社会の屑を、我々は献身的に取り除こうとしているのだぞ」

 

 けれど、ジェフリーから返って来たのは、侮蔑も露わな嘲笑だった。

 

「オストバーグに山積する問題の多くが、過密な人口によってもたらされているのだ。にもかかわらず、余所者や自活もできない人間が街に蔓延(はびこ)り、市民の暮らしを圧迫している。――まあ所詮、穀物庫で暮らすネズミに、家主の人間の悩みは分からんだろうがな」

「ッ――」

 

 あまりの言い草に、私は怒るのも忘れて言葉を失ってしまう。避難民を囲む兵隊たちも、隊長のたとえ話に下劣な笑い声を上げる。

 

 馬上で悪意に満ちた笑みを浮かべるジェフリー・アラン。

 

 その時、私は唐突に気付いた。

 

 ――この人、デニス・ラーナーと同じタイプの人間だ。

 

 人の痛みが分からない、ううん、そうじゃない。

 彼らは自分だけで世界が完結している人間だ。

 

 事の判断基準は、自分の利益になるかどうか、自分がどんな気持ちになったかだけ。

 能力もあるし、教養も、知性もある。でも、関心事は自分だけ。他者を損得でしか判断できない人なんだ。

 

 そんな人が、警備隊の隊長をしてるなんて。

 私の胸に、メラメラと怒りが湧いてくる。けど、

 

「クレム……」

 

 親友は鋭い眼差しで、私に自制するよう求めてくる。やっぱりこの子、自分が犠牲になってでも時間を稼ぐつもりだ。

 

 そんなの認められない。けど、他に手立ても浮かばない。

 追い詰められた私たちに、救いの手を差し伸べたのは、全く予想外の人たちだった。

 

 

 

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