「それで、もう昨日から全然寝てなくて。クレムなんてめっちゃ頑張ってくれてるんですよ。あの子、割と寝ないとダメなタイプなのに、五人分くらい働いてます。……アレ、次に寝たら一日起きませんよ」
「ほうほう、それは大変だ。……苦労をしたのだな」
「そんな! 私たちなんて、どうってことないです。周りに頼れる人がいっぱいいて、ホント、助けられてばっかりですよ」
神の御家に響く、楽しげな囁き声。
信徒席に腰掛け、私とケンプ枢機卿猊下は取り留めのない雑談を楽しんでいた。
外の騒動の原因を説明する。って話だったんだけど、結局私は自分のことばかり話してしまう。
オストバーグに来た経緯。教会前での騒動を経て、クレムと親友になったこと。それから商売を始めたり、裏社会の怖い人に目を付けられたり、そして素敵な出会いに恵まれたり……つまり喋っていい話は全部だ。
要点だけ説明しなさい。って怒られそうだけど、ケンプ様は飽きもせずに私の話を聞いてくれる。おおらかで、気品があって、厳しそうだけど、優しくて。白髭のおじいちゃんを前にすると、なんだか私も肩肘張らずに喋れてしまう。
「そうか。あの子は、頼れる人々と巡り合えたのだな」
それに、枢機卿様はクレムのことを随分心配なさっていたみたい。
どうも、昔はアングスト家と付き合いがあったようなことも仰るし、いちどクレムともちゃんと会って話ができたらな、と思う。
「それで、君らが貧民たちを連れていたという訳か」
「はい。そうなんです。で、皆さんと一緒に教会まで来て、そこで……」
と、私の長話はようやく核心に迫る。非市民と市警隊の軋轢についてだ。
私に込み入った事情を説明できる頭脳はないので、シーラさんたちから聞いた話を受け売りで伝える。
とはいえ、なるべく市警隊への恨み節が出ないよう気を付ける。思う所もあるけれど、向こうにも言い分だってあるだろうし。
私のたどたどしい説明に、ケンプ様は真剣に耳を傾ける。
そうしてようやく事の次第を語り終えようかという時、
「た、大変です猊下!」
若い司祭様が、血相を変えて堂内へと入ってきた。
狼狽した男性は私たちの居る信徒席に近付くと、ケンプ様に小声で何かを伝える。
「……そうか。わかった」
白髭のお爺さんは微かに表情を強張らせると、報告に来た男性を下がらせる。そして、
「どうやら、話をしている時間はなくなったようだ。……君も来なさい」
私を誘い、大聖堂の外へと赴く。
しばらく目を話していた内に、広場は凄まじいことになっていた。
「ちょ、マジでヤバいじゃん……」
まず驚いたのは、人の多さだ。
大聖堂前広場には、多くの市民が押し寄せていた。彼らは騒動を遠巻きに眺めながら、あれやこれやと雑談している。
雨も止んだし、広場で起きた騒動を聞きつけてやってきたのだろう。完全な野次馬だ。
で、問題なのは広場の中央、避難民と警備隊の様子だ。
増援が来たのか、警備隊は百人規模にまで膨れ上がっている。彼らは避難民を取り囲み、大声で威圧している。
そしてその外側に居るのは、ピアソン一家の若衆たちだ。
およそ警備隊と同数の屈強な男たちが、避難民を解放するよう要求している。ミリーに頼んだ応援が来たんだろうけど、最悪のタイミングでかち合っちゃったみたい。
中年の司祭様がなんとか間に立って仲裁してるけど、両者ともかなり気が立っていて、いつ衝突してもおかしくない感じ。
「クレムはっ!?」
親友の姿を探すも、容易には見つからない。人が多すぎて一体どこにいるのか。すると、
「落ち着けナオ。彼女は避難民の中に身を隠している」
そう落ち着き払った少女の声。
私のすぐ側に、ミリーが姿を現したのだ。
「み――」
ついその名を呼ぼうとして、私は慌てて口を閉じる。隣にはケンプ様がいるから、迂闊な真似はできない。
「シーラが来ている。ピアソン一家の方から手は出すまい。見かけよりは膠着した状況だ」
と、幽霊少女は冷静に教えてくれる。シーラさん、私たちのために直接人を連れて来てくれたんだ。
「だが、危うい状況には変わりない。何らかの一手が欲しい。……枢機卿と会談できたのだろう。何か成果はあったのか?」
「えっと……」
そう尋ねてくるミリーに、私は何も答えられない。
一応、ケンプ様には事の次第を伝えたけど、はっきりと助けを求めた訳じゃない。そこまで話が進む前に、二人して外に出てしまったのだ。
「…………」
白髭のお爺さんは、広場の騒動を険しい面持ちで眺めている。
警備隊とピアソン一家の怒声だけでなく、周りの市民からも無責任にはやし立てるような声がする。警備隊の横暴を非難したり、貧民を揶揄したり、てんで勝手なことを言っている。
「あ、ちょ――」
ケンプ様は力強い歩みで広場の中央へと歩いていく。御付の人が慌てて追いかけ、私も仕方なしに付いて行く。
「往来の自由は王陛下の名において認められています。何故彼らを拘束するのでしょうか。納得のいく根拠をお示しください!」
すると、聞き覚えのある凛呼とした声がする。
避難民を取り囲む警備隊を糾問しているのは、褐色金瞳の美女、シーラさんだ。彼女は小さな体で兵隊たちに怯むことなく立ち向かっている。
「ふん、貴様らが権利を声高に主張できる立場か! 薄汚いエルベの雌犬が調子に乗りおって……それに尻尾を振る連中も、およそまともな市民とはみなしがたいな!」
向かい合うのは、獅子のような風貌の大男、ジェフリー・アランだ。
彼はピアソン一家を真っ向から睨みつけ、聞くに堪えない罵声を浴びせる。
「ッ――」
シーラさんへの侮蔑に、ピアソン一家の若衆が顔色を変える。けれど、当の彼女がひとつ目配せをしただけで動揺は収まった。ホントに統制が取れている。
対して警備隊の方は露骨に苛立ってるみたい。避難民に怒鳴りつけたり、剣の柄に手を添えている人までいる始末。もう何時爆発しても不思議じゃない。
一触即発の事態。その直中に、僧服を纏った長身が威風堂々と踏み込んでいく。
「双方、ここが神の御前と知っての行状か」
低く、静かで、それでいて良く通る声で、枢機卿猊下が語りかける。
「――ッ!」
その姿を認めるや、広場が水を打ったように静まり返った。あれだけ喧しかった野次馬の市民さえ、しわぶきひとつ溢さない。
「アラン警備隊長と……そこもとは確か、クレイグ氏の御息女であったか」
ケンプ様の呼びかけに、ジェフリーとシーラさんが群衆の前へと進み出る。あ、シーラさん私に気付いたみたいで、一瞬ほっとした顔になった。
「これは如何なる騒動か。説明を願いたい」
威厳に満ちた姿で、枢機卿様がそう問いかける。
そうしてジェフリーとシーラさんによる説明が行われる。もちろん、双方都合の良い事しか言わないけど、ケンプ様はただ清聴するのみ。
話を聞いた野次馬は、どちらかといえば市警の方に批判的な目を向ける。そりゃあ、言いがかりも同然の理屈だもの。
けれど、そんな理屈も市警が捏ねるなら真実になる。不審と思ったから取り締まる訳で、別に彼らの行状は法には反していない。
「…………」
お互いの事情を聞いた枢機卿様は、瞑目して何かお考えの様子。オストバーグで最も偉い聖職者がどんな判決を下すのか、群衆は固唾をのんで見守っている。そして、
「ピアソン殿。……話を聞けば、そこもとが大勢を率いこの場に駆けつけたること、実に大仰な振る舞いのように思う。無用な騒動をもたらしかねない所業だ。即刻、引き上げるがよかろう」
冷酷にも聞こえる声で、そう告げる。
「な――」
後ろで聞いていた私は、思わず息を呑む。ピアソン一家に立ち去れって、それじゃあ避難民を見捨てろっていうんですか?
ジェフリーがにやりと勝ち誇った笑みを浮かべる。
悲痛なのはシーラさんだ。彼女は金色の瞳を驚愕に見開き、それでも何か訴えようと口を開きかける。するとそれを遮るように、
「アラン殿。そして市警諸君。君らの謹厳な働きぶりには、まことに頭が下がる思いだ」
ケンプ様が市警隊に語りかける。
有力者に褒められて、ジェフリーの奴嬉しそう。
さっきまで底意地悪く笑っていたのに、急に真面目そうな顔をして「当然のことです」なんて返してる。
「ただ、今回の件に関しては、どうも諸君らは思い違いをしているようだ」
けれど、枢機卿猊下の御裁きは、これからが本番だった。
「は――今何と、仰せになられましたか?」
ジェフリーが一転して、怪訝な表情を浮かべる。
白髭のお爺さんはつんと澄ました真面目な表情のままで、
「そこな人々は、病身をおしてまで教会に礼拝に参った、まこと心清きオーリオラの
そう断言する。
「ッ――」
避難民を庇うケンプ様のお言葉に、ジェフリーが血相を変える。
そして彼は声高に避難民たちの行状をあげつらい、逮捕の正当性を訴えようとするが、
「そこもとはオーリオラの同胞が信じられぬと仰せか?」
「ぬぅ……」
枢機卿様の鋭い一瞥を受け、押し黙ってしまう。
「そこな人々は衣食にも困る生活ぶりだそうだが、幸いにも、奇特な方が援助を申し出ているらしい。まっこと、全ての信徒の鑑となる振る舞いだ。――とはいえ、彼らは歩くのもままならぬ身のようだ。警備隊の諸君らには、彼らが道々難に遭わぬよう、是非とも助けてやってほしい」
そして、ケンプ様は、市警たちにはっきりとそう申し告げた。
避難民たちは敬虔な信徒であり、その行状に不審が無い事を、枢機卿猊下が自ら保証してくださったのだ。
そして、貴族の邸宅に身を寄せるまで、警備隊には手出し無用、それどころか守ってやれとまで要望なさった。
市警隊でもピアソン一家でもない、ただ貧しき友の為の処置。
ケンプ様が下されたお裁きに、広場に押し寄せた野次馬からも感嘆が漏れる。そして、
「委細承知いたしました。――
シーラさんが雅やかな所作で枢機卿様に謝罪する。若衆たちも揃って
そして、彼女の号令でピアソン一家は整然と広場から引き揚げて行った。
彼女は去り際に、私へこっそりと労いと励ましのウィンクを送る。うん。やっぱりあの人、格好良くて可愛らしい。
「ッ……」
ひとり怒り心頭に発しているのはジェフリーだ。
ピアソン一家が立ち去った以上、彼らも避難民を捕まえるのは不可能だ。
市警にとっては教会の指示に従う義理なんて一つも無いんだけど、そこは権威の差。
この大陸の人々はほぼ全員がオーリオラの信徒で、教会の言葉は、たとえ依頼の形をとったとしても絶対的な命令に近い。
大聖堂の前で、衆人環視の中で下された要望だ。
これを拒めば、警備隊の権威はどん底にまで落ちるだろう。履行するしかない。
「おいお前っ!」
ジェフリーはほとんど怒鳴りつけるようにして部下の一人を呼びつける。
その途轍もない剣幕に、群衆はまた騒動が起きるのではと身構えたほど。けど、
「……彼らを護送しろ。いいな、くれぐれも丁重にだ」
吐き捨てるようにそう命じると、自身は馬に跨り、さっさと広場を駆け去ってしまった。
そして全てが終わると、広場には拍手喝さいが起こる。
枢機卿猊下の見事なお裁きと、ピアソン一家の男らしい撤収、警備隊の悔しげな姿に、野次馬は大盛り上がり。そんな中、
「――クレムっ!」
私は避難民の中をかき分け、親友の姿を見つける。
あのプレッシャーの中、この子は人々が恐怖に挫けないよう支え続けてくれたのだ。
「ナオ……きゃ!」
私は彼女の姿を見つけるや、飛びつくようにして抱きしめる。
「……ありがとうございます。あなたのお蔭で、皆が救われました」
「そんなことない。クレムが頑張ってくれたからだよ」
囁くクレムに、私はそう告げて無事を喜ぶ。
そうして、避難民の一団は再び移動を始める。警備隊の人は数人がおまけ程度にくっついてくるみたい。で、
「ありがとうございましたっ!」
私は立ち去ろうとするケンプ様に、大声でお礼を述べる。避難民も立ち止まって一礼。穏やかに応じてくれる白髭のお爺さんに、私は身振り手振りで隣に立つクレムを指し示す。
身バレが怖くてフードは外せないけど、枢機卿様はそれで気付いてくれたみたいで、軽く手を振って答えてくれた。
「よくやったな二人とも。これで避難は滞りなく済むだろう」
と、成り行きを見守っていたミリーがそう褒めてくれる。
私たちは微笑みを交わし合い、それから最後の使命を果たすべく、避難民と一緒になって薄日の差す街を歩き始めた。