ナオのゴスペル   作:抱き猫

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35 平穏は遠く

 

 

 どれだけ大変なことが起きても、時間は止まらないし、お日様はまた昇る。

 

 貧民の避難が完了して早三日。私たちは馬車に揺られて、ピアソン不動産を訪れていた。

 もう恒例になってしまった食事の配達だ。

 

 まだまだ事態は落ち着いておらず、ピアソン一家は多忙を極めている。私たちも出来る範囲で、彼らに協力しているのだ。

 

「でも、毎回送ってもらうのも悪いよね。これぐらいの距離なら歩くのに」

「きっと警護も兼ねているんだと思います。私はともかく、ナオは警備隊に顔を覚えられてしまったでしょうし。……事態が終息するまで、素直にご好意に甘えましょう」

「――マジですか」

 

 クレムの指摘に、うっと呻く私。

 

 ひとまず落ち着く場所を得た貧民たちだけど、彼らを取り巻く環境に変化はない。

 

 警備隊は前にも増して熱心に市内を巡回していて、呼び売りの子たちは商売ができないし、避難先には兵隊が張り付いて、虎視眈々と異変が起きないか見張っている。

 

 事態終息のためには、やっぱり行政規模で話が纏まらないとダメみたい。ピアソン一家は貴族や有力市民たちと手を組んで、政治活動を行っているそうだ。

 

 ただ、そこまで話が大きくなっちゃうと、私たちに手伝えることなんて何もない。皆さんが全力で取り組めるよう、お世話をするだけだ。

 

「皆さんいつもすみません!」

 

 ピアソン不動産に着くと、待ち構えていた若衆たちが手際よく食料を降ろしてくれる。皆さんとも随分仲良くなった。がっしりしてて強面な人も多いけど、さわやかで頼もしくて、気の良い人ばかり。

 

「な~に、早く食べたいだけでさぁ。ナオさんの料理は美味しいですからな」

 

 そう気さくに話しかけてくれるのはトッドさんだ。

 

 警備隊を抑えるために身を挺してくれて、危うく捕まる寸前だったのに、今もこうして人々の為に尽くしてくれている。

 

 彼だけじゃない。ご当主のクレイグさんも、シーラさんも、若衆さんたちも、ピアソン一家の義侠心にはホントに頭が下がる。彼らが居なければ、オストバーグの下層民の多くは暮らしが成り立たないだろう。

 

「シーラさんたちは居ます?」

「ええ、お嬢もリンドさんも奥ですよ。さっき、マクローリン先生もお見えになられました」

 

 中で食事の支度を終えると、いつものように執務室にお邪魔する。と、

 

「おやおや、聖女様たちがお見えだよ」

 

 今日はもう一人の姿が。

 

 剽軽に声を掛けてくるのは、初老の小柄な男性。シルバーグレーの髪が素敵なこの人は、シーラさんのお父さんでピアソン一家の総長、クレイグさんだ。

 

「もう。聖女様は勘弁してくださいっていってるじゃないですか。恥ずかしいですし、クレムなんて恐縮して半泣きになっちゃったんですよ!」

「おお、すまんすまん。じゃあどう褒め称えたものか考えないとなぁ」

「反省してないじゃないですか!」

 

 街でも指折りの有力者に、私は何の気負いも無く話しかける。

 

 この人とも、騒動をきっかけに随分と親しくなった。

 オストバーグの表と裏に絶大な影響を及ぼす人物で、能力も風格もそれに相応しい凄い人だけど、話してみるととっても気さくで楽しくて、私もついつい、砕けた調子なってしまう。

 

 アングスト家のことも知っていて、クレムとも気兼ねなく接してくれるし、ホントに素敵なおじ様だ。

 

「でも、この時間に事務所にいらっしゃるなんて珍しいですね」

 

 と、私は食事を配膳しながらクレイグさんにそう問う。

 彼は偉い人と会談に出向くことが多く、帰りはいつも遅いからだ。

 

「ちょいと予想が外れてね。みんなの知恵を借りてたんだよ」

 

 と、クレイグさんは気楽な調子で、それでも眼差しだけは真剣にそう呟く。

 

「な、何かあったんですか?」

 

 私は身を乗り出して尋ねる。ようやく騒動が落ち着くかと思ったのに、また何か問題が起きてしまったのだろうか。

 

「事後処理が上手くいかないのよ。各方面に根回しは済んだのだけど、最後の一押しに手間取っていて……」

 

 そう説明してくれるのはシーラさんだ。

 

 なんでも、ピアソン一家は事態の収拾にあたって、貴族や有力市民と入念な作戦を練っていたらしい。

 騒動がここまで大きくなってしまった以上、自然鎮火を待つのは下策だ。

 そもそも市警はまだ諦めていないし、避難民だってあまり長期間は収容できない。

 

 なので、ひとつ政府に働きかけてお裁きを受けようという計画になった。

 王命によって、この事件に決着を付けてもらうのだ。

 

 もちろん、王様に直接訴える訳じゃない。

 ハンコを押してもらう書類は宮廷貴族が作成するのだから、彼らに働きかければいい。

 

 ピアソン一家と気脈を通じた貴族に書類を調えてもらい、王様によって命じてもらう。そうすれば、流石の警備隊も鉾を収めざるを得ない。騒動は完全に解決だ。

 

 で、クレイグさんは主にそちらの方面の作戦を受け持ってくれていた。

 貧民の避難誘導と並行して事態の解決策まで進めるんだから、シーラさんやテオドラさんの半端ない優秀さが良く分かる。

 

 ちなみに、布告内容も詳細に詰めてあって、警備隊の名誉を守りつつも、実利は貧民に与えるという絶妙な塩梅らしい。

 

 で、他の宮廷貴族にも同意を取り、さて王様に上申するぞというところまで話が進んだのだけれど、急に待ったがかかったらしい。

 

「ゲインズ家があれこれと理由を付けて同意せず、話が止まってしまったのよ」

 

 苦々しい面持ちで溢すシーラさん。

 

 ゲインズ家といえば、オストバーグを取り囲む城壁を作った、イシダール王国でも有数の大貴族だ。そして、ひそかに警備隊を操っているとみられる黒幕候補でもある。

 

 だから、布告に反対するのも無理はないそうだ。ただ、

 

「いまいち、ゲインズ家の思惑が見えないのよね」

 

 悩ましげな吐息を吐くのは、金髪美女のテオドラさん。

 

 この人、シーラさんの手伝いと称してピアソン一家に入り込み、今では当たり前のように指揮を執っている。その能力と辣腕ぶりは私も知ってたけど、凄いのはすんなりと皆さんに受け入れられた手練手管だ。

 

「正直、ここで強情を張る意味が無いのよ。ナオちゃんが枢機卿猊下を味方に付けてくれたから、大勢は決したようなものだし……」

 

 ともかく、テオドラさんはゲインズ家の不審な動きについて説明してくれる。

 

 現在宮廷では、市警の横暴に批判的な意見が多数派を占めている。

 もとより政府に断りなく、半ば独断で取り締まりを強化したこともあり、大方の貴族は市警に猜疑の目を向けていた。

 

 また教会が貧民を庇う立場を表明したことで、日和見をしていた貴族たちも挙って市警批判に回った。だからピアソン一家の政治活動も順調に進んだのだ。

 

 そんな中、ゲインズ家とその派閥の貴族だけが、布告に慎重な姿勢を示しているらしい。

 

「そうまでして、何が目的なんでしょう……」

 

 ぽつりとそう呟くのは、ユニスさんだ。

 

 学校の先生という肩書があるにも関わらず、こうして私たちの活動に協力してくれる。現場が破綻せずに回っているのは、数字に抜群に強い彼女のお蔭だ。

 

「政治的な対立かと思ったんだけど、足を引っ張る相手がいないのよね」

 

 と、テオドラさん。

 

 彼女たちが困惑しているのは、ゲインズ家に計画を妨害されたからではない。その目的が分からないからだ。

 

「市警を動かして貧民を排除しても、貴族としては利する所がないのよ。彼らだって人気商売だから、市民に悪評が立つような真似は避けるでしょうし」

 

 シーラさんも困惑顔。

 

「商会や組合とか、中産階級の弱体化を狙ったとかはどうですかぁ? 貴族って、言う程お金持ってないところも多いですし……」

 

 ユニスさんが意見を述べる。

 

 商人や職工人には、非市民と取引している人も多い。取り締まりを強めれば、彼らの事業にも間違いなく影響は出る。

 

「妥当そうなんだけど、市警を動かす理由は見当たらないのよねぇ……締め付けるだけならもっと効率的な手段は幾らでもあるでしょうし、特に貧民を狙う意味は皆無よ」

 

 と、テオドラさんが否定する。すると、

 

「……貧民街の土地を接収するため。という線はどうでしょう」

 

 それまで聞き役に徹していたクレムが、控え目に意見を述べる。

 

 私なんて話に付いて行くのに精いっぱいだったのに、自分の考えを出せるなんて偉い。いいぞ、私の代わりに頑張って。

 

「貧民街はかなりの広さがありますし、現状権利者が曖昧な土地です。オストバーグの地価は高騰していますし、うまく接収できれば相当な利益になるのではないでしょうか」

 

 そう告げるクレムに、みんなが感心の眼差しを向ける。

 

「確かに、私たちも最初はそれを疑ったのよ。けれど、そこまで大掛かりな仕掛けを打つにしては計画がずさん過ぎる。……他の貴族たちを抱き込んだ様子が全くないのよ? 段取りも整えていないのに、貧民を急いで追い出すのは流石に不自然なのよ」

 

 首を振って答えるテオドラさん。

 

 そっか、シーラさんだって不動産屋さんだし、その辺の話はまず考えるか。でも、クレムが自力でそこまで見抜いたのは凄い。やっぱりこの子、賢いなぁ。

 

「とまあ、こんな感じで相手さんの考えが読めんでなぁ。困っとるんだよ」

 

 と、クレイグさんが話を纏める。

 要はゲインズ家の目的が分からないから、警備隊も止められない。ということらしい。

 

「う~ん……」

 

 私も頭を捻ってみるも、推測なんて出来る筈も無く。

 

 仕方ないので、みんな揃って食事をすることに。お腹がふくれれば、憂鬱な気分も少しはマシになるだろうから。

 

 はやく事件が収まってくれるよう心から願う私。

 ――けれど、本当の危機はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

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