その日の夕刻。ピアソン一家での用事を終えた私とクレムは、酒場へと戻ってきていた。
「あ、お帰りなさいナオ姉さま!」
中に入ると、ロレッタちゃんの眩い笑顔に出迎えられる。
と同時に注がれる多数の視線。
酒場は避難所になっていて、一階には数十人の人々が仮住まいをしている。彼ら避難民も、私たちに挨拶をしてくれた。
「ごめんねロレッタちゃん。受け入れは上手くいった?」
「大丈夫だったぜ。ピアソンのおっちゃんたちが仕切ってくれたし」
質問に答えたのはメル君だ。私たちが不在の間、呼び売りの子たちが避難した人たちのお世話をしてくれてる。
今日のお昼には、別の避難所から十人ほど人が移ってくることになっていて、その立会いまで任せてしまった。
「……ここほど熱心に対応してくれる場所は無いわ。本当にありがとう」
私たちの後ろでそう呟くのは、シーラさんだ。
彼女は激務の合間を縫って、避難所の視察に来てくれたのだ。
「あ、ど、どうも……」
と、いつもは生意気なメル君もぺこりと頭を下げる。
シーラさんは毎日のように酒場に来てくれるし、彼とも顔なじみだけど、やっぱりピアソン一家のお嬢様には緊張するみたい。
「で、どうかしら。何か不足の品はある?」
避難民の人たちの様子を窺いながら、私たちは厨房奥の
「言い出しちゃうときりがないですけど、なにもかもですね。食べ物なら用意できますけど、衣類も足りてませんし、皆さん床に雑魚寝だし。最低限、プライバシーくらいは確保してあげたいんですけど……」
と、私はシーラさんに避難所の状況を伝える。
この酒場で受け入れているのは百人ちょっとだけど、それでもキャパシティは一杯だ。
大勢がすし詰め状態だから空気も澱んでしまうし、衛生面だって気になる。
もとより貧しい人たちだから不満は溢さないけど、介護が必要な老人、病人も多いし、人手は全然足りていない。
今の所はなんとか運営できているけど、避難生活が長引けば、どんどんストレスも溜まってしまうだろう。
「なるべく早期に解消したいけれど……確約は難しいかもしれないわ」
答えるシーラさんの面持ちも暗い。そりゃあそうだ。いくらピアソン一家だからって、二千を数える人間の生活なんて面倒見切れないだろう。
どう考えても民間でできる規模じゃない。国の助けを借りないと。
「ああ、いやいや! ここはまだ大丈夫ですから! 私たち、意地でも皆さんにご不便はかけさせませんよ!」
と、私はクレムと一緒に強がってみせる。
他の避難所だってここと大差無い、それどころかもっと状況は悪いと聞く。現に、キャパオーバーでこっちに移ってきた人もいるんだ。
その点、私の所は食事に限れば無限に用意できる。
「あなたたちには何から何まで世話になって、感謝の言葉もないわ。……かかった費用は、後でちゃんと請求してね?」
そう微笑むシーラさん。
避難民の食事に関しては、私はそれなりに貢献できていると思う。夜中にこっそりスプーンで食料を増やして、それを各避難所に提供しているのだ。
まあお金は全然かかっていないから、請求書を送れと言われても困るんだけど。
「それと、内職も納めてくれた分だけ賃金は出すから、皆さんに配ってあげて。手元に現金があれば、多少は安心感につながるでしょうし……」
シーラさんが言うのは、避難した人たちに紹介しているお仕事についてだ。
いくら大変な時期だからって、狭い場所に大勢で座り込んでたら気分も塞いじゃう。なので、出来る人にはお針子やつまみ細工の内職をお願いしているのだ。
職人さんに技術指導してもらったり、内々でコンペなんかしたりして、実利と気分転換を兼ねたお仕事としてけっこう好評だ。
そんなこんなで、なるべく皆さんが避難生活にストレスを感じないよう、手を尽くしているのだ。ただ、
「他の避難所では、早々に問題が起き始めてるわ。……あと何日もつことやら」
シーラさんが憂い顔で呟く。
やはり、他の場所では既にトラブルが噴出しているそうだ。
避難民も不安に苛まれているし、受け入れ先の人たちだって、予想していた以上の負担を感じているみたい。
全てが急だったから仕方ないとはいえ、このまま事態がこう着すれば、いずれは破綻してしまうだろう。
そうして何か事件が起きれば、世間の同情も裏返り、貧民排斥に向かうかもしれない。シーラさんはそのことを案じているのだ。
「…………」
「あら、ごめんなさい。――それを何とかするのが、私の仕事だもの。愚痴なんて聞かせちゃダメよね」
黙り込んでしまった私とクレムに、シーラさんが優しく励ましてくれる。
この人、責任感が強くて、頑張り屋で、優しくて、ホントに素晴らしい人だと思う。
「そんなことないです! いっぱい愚痴って、相談して、頼ってください。――私たち、友達じゃないですか!」
私は思わず、シーラさんの手をとってそう訴える。
彼女は金色の瞳を見開いてびっくりしていたようだけど、ふと大人の笑みを浮かべて、
「――クレムさん。あなたもこの子にこうやって落とされたの?」
なんて悪戯っぽく尋ねる。ちょ、私、真剣に心配しているのに。
「ふふ。――はい。仰る通りです」
と、クレムまで微笑を浮かべてそんなことを言う。
私はぶーぶーと不満を訴えようとするも、
「ああ、ここに居たかシーラ。少々状況が動いた。耳に入れておきたい話がある」
可愛らしく、それでいて冷静な声に遮られる。
真剣な面持ちの彼女に、私たちは思わず背筋を伸ばす。そして、
「テオドラから
食材が所狭しと並べられた
ミリーにはずっと、市警の動向や貴族たちの思惑を調べてもらっていた。
朝も夜も無く市内各所を探り、有益な情報を持ち帰ってくれる彼女が居なければ、私たちの作戦は早々に頓挫してしまったことだろう。
「何か変事が起きたの?」
突如として現われた幽霊少女に、シーラさんが緊迫した面持ちで尋ねる。
「一応は朗報だ。――ゲインズ家が王への上申に賛意を示した。今、傘下の貴族たちに書状を送り、
と、ミリーが答える。
「え、じゃ、じゃあ避難生活ももう終わるの!?」
勢い込んで尋ねてしまう私。
状況がこう着しているのは、王様へ執り成してもらおうという申し立てを、ゲインズ家が阻んでいるからだ。
彼が妨害を止めてくれるなら、事はスムーズに運ぶはず。ピアソン一家の目論見通り、事態は収拾に向かうだろう。
「上手くいけばだがな。――ただ残念ながら、ゲインズ家の思惑はまだ探れていない。というより、市警とは没交渉だ。使者の行き来すらない」
「どういうこと? ジェフリー・アランは梯子を外されたのかしら?」
「無理からぬ話だ。教会が貧民の支援を表明した以上、警備隊との関わりが明らかになれば面目を失いかねない」
意見を交換するミリーとシーラさん。
よくわかんないけど、どうやらいい方向に話が転がったみたい。
後どれくらい日にちが掛かるか不明だけど、終わりが見えれば避難民も安心する筈。生活に希望が見えれば、みんな落ち着きを取り戻すだろう。
「ただ、そうなると警備隊の動きが怖いわね。暴発しても不思議じゃないわよ」
「確かに、彼らは現状一人負けだ。……ゲインズらに掛かりきりで、ここ数日は内偵も疎かになっている。十分に注意するべきだな」
シーラさんとミリーはまだまだ難しい相談をしている。けれど、私とクレムはほっと息を付き、どちらともなく顔を見合わせて微笑む。
会議を済ませた私たちは、