ナオのゴスペル   作:抱き猫

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36 耐え忍ぶ人々

 

 

 その日の夕刻。ピアソン一家での用事を終えた私とクレムは、酒場へと戻ってきていた。

 

「あ、お帰りなさいナオ姉さま!」

 

 中に入ると、ロレッタちゃんの眩い笑顔に出迎えられる。

 

 と同時に注がれる多数の視線。

 酒場は避難所になっていて、一階には数十人の人々が仮住まいをしている。彼ら避難民も、私たちに挨拶をしてくれた。

 

「ごめんねロレッタちゃん。受け入れは上手くいった?」

「大丈夫だったぜ。ピアソンのおっちゃんたちが仕切ってくれたし」

 

 質問に答えたのはメル君だ。私たちが不在の間、呼び売りの子たちが避難した人たちのお世話をしてくれてる。

 

 今日のお昼には、別の避難所から十人ほど人が移ってくることになっていて、その立会いまで任せてしまった。

 

「……ここほど熱心に対応してくれる場所は無いわ。本当にありがとう」

 

 私たちの後ろでそう呟くのは、シーラさんだ。

 彼女は激務の合間を縫って、避難所の視察に来てくれたのだ。

 

「あ、ど、どうも……」

 

 と、いつもは生意気なメル君もぺこりと頭を下げる。

 

 シーラさんは毎日のように酒場に来てくれるし、彼とも顔なじみだけど、やっぱりピアソン一家のお嬢様には緊張するみたい。

 

「で、どうかしら。何か不足の品はある?」

 

 避難民の人たちの様子を窺いながら、私たちは厨房奥の食糧庫(パントリー)へ。人目を避けて話せる場所がそこしかないからだ。

 

「言い出しちゃうときりがないですけど、なにもかもですね。食べ物なら用意できますけど、衣類も足りてませんし、皆さん床に雑魚寝だし。最低限、プライバシーくらいは確保してあげたいんですけど……」

 

 と、私はシーラさんに避難所の状況を伝える。

 

 この酒場で受け入れているのは百人ちょっとだけど、それでもキャパシティは一杯だ。

 大勢がすし詰め状態だから空気も澱んでしまうし、衛生面だって気になる。

 

 もとより貧しい人たちだから不満は溢さないけど、介護が必要な老人、病人も多いし、人手は全然足りていない。

 

 今の所はなんとか運営できているけど、避難生活が長引けば、どんどんストレスも溜まってしまうだろう。

 

「なるべく早期に解消したいけれど……確約は難しいかもしれないわ」

 

 答えるシーラさんの面持ちも暗い。そりゃあそうだ。いくらピアソン一家だからって、二千を数える人間の生活なんて面倒見切れないだろう。

 

 どう考えても民間でできる規模じゃない。国の助けを借りないと。

 

「ああ、いやいや! ここはまだ大丈夫ですから! 私たち、意地でも皆さんにご不便はかけさせませんよ!」

 

 と、私はクレムと一緒に強がってみせる。

 

 他の避難所だってここと大差無い、それどころかもっと状況は悪いと聞く。現に、キャパオーバーでこっちに移ってきた人もいるんだ。

 

 その点、私の所は食事に限れば無限に用意できる。

 聖示物(ミュステリオン)のスプーンがあるから、幾らでも食べ物は増やせるのだ。

 

「あなたたちには何から何まで世話になって、感謝の言葉もないわ。……かかった費用は、後でちゃんと請求してね?」

 

 そう微笑むシーラさん。

 

 避難民の食事に関しては、私はそれなりに貢献できていると思う。夜中にこっそりスプーンで食料を増やして、それを各避難所に提供しているのだ。

 まあお金は全然かかっていないから、請求書を送れと言われても困るんだけど。

 

「それと、内職も納めてくれた分だけ賃金は出すから、皆さんに配ってあげて。手元に現金があれば、多少は安心感につながるでしょうし……」

 

 シーラさんが言うのは、避難した人たちに紹介しているお仕事についてだ。

 

 いくら大変な時期だからって、狭い場所に大勢で座り込んでたら気分も塞いじゃう。なので、出来る人にはお針子やつまみ細工の内職をお願いしているのだ。

 

 職人さんに技術指導してもらったり、内々でコンペなんかしたりして、実利と気分転換を兼ねたお仕事としてけっこう好評だ。

 

 そんなこんなで、なるべく皆さんが避難生活にストレスを感じないよう、手を尽くしているのだ。ただ、

 

「他の避難所では、早々に問題が起き始めてるわ。……あと何日もつことやら」

 

 シーラさんが憂い顔で呟く。

 

 やはり、他の場所では既にトラブルが噴出しているそうだ。

 避難民も不安に苛まれているし、受け入れ先の人たちだって、予想していた以上の負担を感じているみたい。

 

 全てが急だったから仕方ないとはいえ、このまま事態がこう着すれば、いずれは破綻してしまうだろう。

 

 そうして何か事件が起きれば、世間の同情も裏返り、貧民排斥に向かうかもしれない。シーラさんはそのことを案じているのだ。

 

「…………」

「あら、ごめんなさい。――それを何とかするのが、私の仕事だもの。愚痴なんて聞かせちゃダメよね」

 

 黙り込んでしまった私とクレムに、シーラさんが優しく励ましてくれる。

 この人、責任感が強くて、頑張り屋で、優しくて、ホントに素晴らしい人だと思う。

 

「そんなことないです! いっぱい愚痴って、相談して、頼ってください。――私たち、友達じゃないですか!」

 

 私は思わず、シーラさんの手をとってそう訴える。

 

 彼女は金色の瞳を見開いてびっくりしていたようだけど、ふと大人の笑みを浮かべて、

 

「――クレムさん。あなたもこの子にこうやって落とされたの?」

 

 なんて悪戯っぽく尋ねる。ちょ、私、真剣に心配しているのに。

 

「ふふ。――はい。仰る通りです」

 

 と、クレムまで微笑を浮かべてそんなことを言う。

 私はぶーぶーと不満を訴えようとするも、

 

「ああ、ここに居たかシーラ。少々状況が動いた。耳に入れておきたい話がある」

 

 可愛らしく、それでいて冷静な声に遮られる。

 

 食糧庫(パントリー)の壁をすり抜けて現れたのはミリーだ。

 真剣な面持ちの彼女に、私たちは思わず背筋を伸ばす。そして、

 

「テオドラから酒場(こちら)に向ったと聞いてな。二人も同席しているなら都合がいい」

 

 食材が所狭しと並べられた食糧庫(パントリー)で、純白の幽霊少女が口を切る。

 

 ミリーにはずっと、市警の動向や貴族たちの思惑を調べてもらっていた。

 朝も夜も無く市内各所を探り、有益な情報を持ち帰ってくれる彼女が居なければ、私たちの作戦は早々に頓挫してしまったことだろう。

 

「何か変事が起きたの?」

 

 突如として現われた幽霊少女に、シーラさんが緊迫した面持ちで尋ねる。

 

「一応は朗報だ。――ゲインズ家が王への上申に賛意を示した。今、傘下の貴族たちに書状を送り、(ばつ)内の意見を固めているところだ」

 

 と、ミリーが答える。

 

「え、じゃ、じゃあ避難生活ももう終わるの!?」

 

 勢い込んで尋ねてしまう私。

 

 状況がこう着しているのは、王様へ執り成してもらおうという申し立てを、ゲインズ家が阻んでいるからだ。

 

 彼が妨害を止めてくれるなら、事はスムーズに運ぶはず。ピアソン一家の目論見通り、事態は収拾に向かうだろう。

 

「上手くいけばだがな。――ただ残念ながら、ゲインズ家の思惑はまだ探れていない。というより、市警とは没交渉だ。使者の行き来すらない」

「どういうこと? ジェフリー・アランは梯子を外されたのかしら?」

「無理からぬ話だ。教会が貧民の支援を表明した以上、警備隊との関わりが明らかになれば面目を失いかねない」

 

 意見を交換するミリーとシーラさん。

 

 よくわかんないけど、どうやらいい方向に話が転がったみたい。

 後どれくらい日にちが掛かるか不明だけど、終わりが見えれば避難民も安心する筈。生活に希望が見えれば、みんな落ち着きを取り戻すだろう。

 

「ただ、そうなると警備隊の動きが怖いわね。暴発しても不思議じゃないわよ」

「確かに、彼らは現状一人負けだ。……ゲインズらに掛かりきりで、ここ数日は内偵も疎かになっている。十分に注意するべきだな」

 

 シーラさんとミリーはまだまだ難しい相談をしている。けれど、私とクレムはほっと息を付き、どちらともなく顔を見合わせて微笑む。

 

 会議を済ませた私たちは、食糧庫(パントリー)から厨房へと戻った。――酒場から男たちの怒声が聞こえてきたのはその時だ。

 

 

 

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