ナオのゴスペル   作:抱き猫

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37 卑劣な策謀

 

 

 遠くから聞こえる男性の声。避難民たちのくぐもった悲鳴がそこに混じる。そして、

 

「ナオ姉ちゃん! 大変だ、市警の連中がいちゃもんつけてきやがった!」

 

 厨房に駆け込んでくるのはメル君とロレッタちゃんだ。

 

 興奮した二人から事情を聞くと、どうやら警備隊が調査を名目に酒場へ押し入ろうとして、門前でピアソン一家の若衆と揉めているらしい。

 

「――あなたたちは奥に居なさい。いいわね?」

 

 有無を言わさぬ口調でそう告げると、シーラさんは緊迫した面持ちで玄関へと向かう。

 

 でも、私たちも急いでその背を追い掛ける。その場に居ても足を引っ張るだけだけど、せめて近くで支えたいからだ。

 

 酒場へと戻れば、門前での会話はもうはっきりと聞こえてくる。避難民たちは身を寄せ合って壁際で震えている。シーラさんは何の躊躇も無く外へ。

 

「いったい何の騒ぎですか。ここには病人もいるのですよ!」

 

 小さな体に凛とした威風を纏い、シーラさんが一喝する。

 

「多ッ……」

 

 背後から覗き見た私は、酒場を取り囲む警備隊の人数に唖然とする。二、三十人は居る。何時の間にこんなに集まったんだ。

 

「話なら私たちが伺います。何も大人数を集める必要などないでしょう。どうぞ、ピアソン不動産までご同行願います」

 

 シーラさんは市警の圧力にも負けず、弁舌滑らかに彼らを誘導しようとする。しかし、

 

「貴様らには関係のない話だ。近隣住民から苦情の申し立てが来ているのだ。昼夜問わず騒ぎ立て、しかもゴミを当たり構わず不法に投棄しているとな。中を検め、責任者と話をせねばならん」

 

 と、市警の一人が大声を張り上げる。

 

「なっ――」

 

 絶句するのは私だ。何それ、とんでもない言いがかりだ。

 

 近隣から苦情が来てるって? 隣近所とお向かいさんとは越してきてすぐに仲良くなったし、避難民の件では一軒一軒直接尋ねて事情を説明し、クレムと一緒に迷惑をかけると頭を下げて回ったんだ。

 

 皆さん貧民の境遇には同情してくれたし、市警に売り渡すなんてありえない。

 

 そんなご近所さんだから、ゴミ出しやトイレなどの衛生関係には特に気を使っている。ロレッタちゃんたちにも徹底するよう指導してるし、私が責任もって管理してるんだ。

 

 それに騒音被害? 市警に怯えて暮らしている病人と老人が、夜通しどんちゃん騒ぎをするとでも思ってるの?

 

「何を出鱈目――」

「ナオッ!」

 

 思わず抗議の声を上げそうになる私を、クレムが引き留める。

 けれど遅かった、市警の連中の視線が私に注がれる。しまった、でしゃばっちゃった。

 

「……ふん。我々は貴様らのような連中が、どれほどこすっからい手を使うか熟知している。教会の時と同じように、同情を惹けるとは思わんことだ」

 

 警備隊の男が侮蔑も露わに吐き捨てる。

 

 すると、ピアソン一家の若衆が前に出て私を庇ってくれる。頼もしいけど、数が違い過ぎる。これ、もめごとになったら少しの抵抗もできないぞ。

 

「だいたい、ピアソン一家がどれほどのモノか。宿無しに余所者、ろくでなしどもの口入(くちいれ)で成り上がった家が、いっぱしの名士気取りとは笑わせる。――あの当主も大物ぶっているが、チビだと女は寄りつかなかったらしいな。引っ掛かったのは、精々エルベの雌犬ぐらいか」

 

 信じがたい暴言を吐く警備隊の男。

 彼の嘲笑う声を受けて、市警の連中が哄笑を上げる。彼らは口々に、耳障りな侮蔑を投げかける。

 

 ピアソン一家の若衆たちが、目に見えて激昂する。

 自分たちの仕事はもちろん、クレイグさんやその奥さん? まで面罵されたのだから当然だ。けれど、

 

「戯言はそれでおしまいですか?」

 

 只一人、悠然と悪意を受け流し、シーラさんがそう微笑む。

 

「ッ――」

 

 あれだけの暴言を受けて顔色一つ変えず、清冽な美貌に凄みすら覗かせるシーラさんに、警備隊の連中は逆に気圧される始末だ。

 

 議論を許さぬ凄まじい威圧感。やっぱりこの人、クレイグさんの娘さんだ。

 彼女の頼もしい立ち姿を見て、若衆たちも怒りを収める。よかった。今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気だったもん。

 

「この建物は有徳の方から我々ピアソン一家が一時的に借り受けたものです。管理に不備があると仰せになるなら、やはり我々が話を伺うべきでしょう」

 

 と、シーラさんが説明を続ける。……これは嘘だ。きっと所有者の私を庇うためについたに違いない。でも、彼女なら資料をでっちあげるくらい簡単だ。警備隊が私を連行するのは不可能だろう。

 

「…………」

 

 シーラさんの理路整然とした説明に、警備隊の男は言葉に詰まる。

 元々無理筋の難癖だもん。こっちが付き合ってやる義理なんてない。すると、

 

「ならば、視察も兼ねて中で話を聞くとするか。疚しいことがないなら、無論断りはしないだろうな」

 

 警備隊はあくまで建物内に入れろとごねだした。

 それどころか、人数を頼みに早々に扉へと押しかけてくる。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 私はとっさに抵抗しかけてしまうも、ピアソン一家の若衆によって脇へと押しのけられてしまう。

 

 あ、そうだ。警備隊には徹底的に非暴力を貫くと決まってたんだ。

 

 くやしいけど、彼らは法の執行者だ。面と向かって刃向えば、どんな罪状を着せられるかわからない。

 

 どれだけ理不尽な要求でも、その場では唯々諾々(いいだくだく)と従うようにと、ピアソン一家の人々はもちろん、避難民にもくどいほど説明している。

 

「~~ッ!」

 

 私は怒りと焦燥に歯を噛みしめながら、酒場へと押し入る兵隊を見送る。中の人たちに彼らが何をしでかすか、ホントに気が気じゃない。すると、

 

「おいお前ら! いったい何しにきやがった!」

 

 酒場から男の声が。

 

「なっ!」

 

 私もシーラさんも驚いて中を覗き込む。

 すると、避難民の男性の一人が、警備隊へと食って掛かっているではないか。

 

「俺はお前らなんざ怖くねぇぞ! 叩きだされる前にとっとと出てけ!」

 

 男性は狂ったように喚きながら、兵隊の胸ぐらを掴んでいる。ちょ、ちょっと! 反抗しないように皆さんにはちゃんと説明してるのに、いったい何で?

 

「ふん、これだから薄汚い屑どもは。まったく身の程を弁えんな」

 

 兵隊たちはもちろん、男の抗議なんてそよ風ほども効いていない。むしろ願ったり叶ったりの状況と、薄笑いを浮かべる始末。

 

「ちょ、ちょっとあなた、落ち着きなさい!」

 

 慌ててシーラさんが仲裁に入る。ここで逮捕者なんて出たら、他の避難所にまで動揺が伝わってしまう。もう少し耐え忍べば王様のお裁きが出るんだ。ここはなんとしてもトラブルを食い止めないと。

 

 私たちの誰もが抱く切実な願い。けど、目の前で起きたのは予想もしない展開だった。

 

「うるさい! 俺に指図するなッ!」

「――きゃっ!」

「な――」

 

 ヒステリックな男の叫び声と、鈍い音。

 なんと兵隊に食って掛かっていた男が、止めに入ったシーラさんを拳で殴りつけたのだ。

 

「ちょ、シーラさんッ!」

「貴様ッ! 何をしている!!」

 

 驚愕と共に駆け寄ろうとする私を、兵隊の群れが邪魔する。

 彼らは大声で怒鳴り散らしながら、シーラさんに手を上げた男を床に組み伏せ、ロープで身柄を拘束し始める。のみならず、

 

「な、何でシーラさんまでッ!」

 

 彼らは殴られた方のシーラさんを引き起こし、彼女にまで縄を掛けているのだ。

 

「おいふざけるな! 何のつもりだ!!」

 

 この暴挙に、ピアソン一家の若衆たちも流石に切れた。大声を張り上げ、警備隊の壁を押し通ろうとする。

 

「貴様らも抵抗するかッ!」

 

 待ってましたとばかりに怒鳴る警備隊。彼らは即座に若衆と取っ組み合いを始め、中には剣を抜く兵隊まで現れる。

 

 当然、酒場には避難民の悲鳴が響き渡る。

 

 怒声と悲鳴、警備隊と若衆が取っ組み合う音と、避難民が逃げ惑う音が木霊し、辺りは一瞬にして地獄絵図に。私は余りの出来事に、咄嗟には動くことができない。けれど、

 

「皆落ち着きなさいッ!! 抵抗は止めて、警備隊に協力するのよ!!」

 

 凛然とした一声が、大混乱を一瞬で鎮めてしまう。

 

「皆さん、怖がらなくても平気よ。少し揉めてしまっただけだもの。市警の方々には、ご迷惑をかけてしまって申し訳ないわ」

 

 後ろ手に縛りあげられ、兵隊に拘束されたシーラさんが、いつもと変わらぬ穏やかな調子でそう告げる。

 彼女の落ち着き払った言葉は、不思議と酒場中に響き、人々の心を急速に落ち着けていく。

 

「あなたたちも下がりなさい。馬鹿な真似をして、一家の名に泥を塗るつもり?」

 

 黄金の一瞥を受けると、ピアソン一家の若衆たちがたちまち身を引く。

 

 すると、警備隊の中から忌々しげな舌打ちが漏れる。

 

 ん、あれ? 何か変だぞ。

 私は急転する状況に混乱しながらも、胸に芽生えた疑念に首を傾げる。

 

 ――あの男、何で急に静かになったんだ?

 不思議なのは、兵隊に食って掛かり、シーラさんを殴り飛ばした男が、拘束されるやすぐに無抵抗になったことだ。しかも、

 

 ――そもそも、あんな人この酒場に居たか?

 四六時中付きっきりだった訳じゃないけど、問題を起こした男に見覚えが無い。たぶん最初から居た人じゃない。今日の昼に余所の避難所から移ってきた人だ。でも、

 

 ――あの人、何か雰囲気がおかしい。

 身なりは襤褸(ぼろ)を纏って垢じみているけど、年は若いし、体格だって立派だ。とても貧民街で暮らしているようには見えない。

 

 しかも何よりおかしいのは、あの人兵隊に拘束されているのに、暴れていた時より落ち着いていることだ。

 混乱している訳じゃない。明らかに状況を推し量ろうとしている顔つきだ。

 そこまで考えが及んだ時、私は唐突に事件の真相を理解する。

 

 ――この人、警備隊の仲間だ! 何時の間にか避難所に潜りこんで、わざと騒ぎを起こしたんだ。きっと私たちの誰か、ううん、シーラさんを捕まえる為に。

 

「ッ――」

 

 同じ考えに至ったのか、クレムもミリーも忌々しげに警備隊を睨みつける。クレムなんて青い瞳を爛々と輝かせ、完全に頭に来てる。

 

 しかし、彼らは自分らの悪行などどこ吹く風と、偉そうに避難民たちに説教を垂れる始末だ。そして、

 

「市中で暴力沙汰を引き起こした件、看過は出来ぬ。詰所で話を聞かせてもらうぞ」

 

 彼らは内通者の男とシーラさんを引き立て、悠々と街路を去っていく。

 

 若衆たちは今にも追いかけて行きそうな気配だけど、何度も何度もシーラさんが非暴力を訴えたから、寸でのところで怒りを押し留めている。

 

 誰も彼もが、怒りと悔しさに言葉も出ない。それでも、

 

「私は連中の後を追う。すぐにテオドラとクレイグに報せよ」

 

 幽霊少女のミリーだけが、冷静に事後の指示をしてくれる。

 

 私とクレムは頷いて、そのことを若衆さんたちに提案する。

 

 動揺した避難民も落ち着かせないといけないし、他の避難場所にも変な人が紛れていないか調べないと。

 私たちは怒ることも悲しむこともできず、胸を焦がす屈辱を押さえつけ、ただ懸命に動き始めた。

 

 

 

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