夜空には
シーラさんを助けることが決まってから早数時間。私たちはオストバーグの南東、エトリッジ区へと移動し、彼女が囚われている市壁を物陰から窺っていた。
「き、緊張してきた……」
テオドラさんの立てた作戦通りに進めば、危ないことは殆ど無いはずなんだけど、私は流石に体が強張ってしまう。
「安心してください。あなたは必ず、私が守りますから」
すると、闇の中から優しい声が。
隣に潜むクレムが、力強くそう励ましてくれる。
シーラさんの救出に当たって、私はテオドラさん、ユニスさん、クレイグさんに自分たちのことを洗いざらい白状した。
地球から来たことも、私たちが手にした
皆さん驚いていたみたいだけど、直ぐに事態を受け入れ、知恵を出し合ってくれた。そうして今、私たちは倉庫の陰から市壁の塔を見張っている。
テオドラさんの立てた作戦は単純明瞭だ。警備隊の目を逸らしているうちに、シーラさんを攫って逃げる。ただそれだけ。
クレイグさんには、市警の隊長ジェフリー・アランとの会談に応じてもらう。場所と時間を合わせ、ピアソン一家の若衆を多数連れていくことで、アランと警備隊の人数を引き付けてもらうのだ。
幸い、監禁場所の塔に詰めている兵隊はそれほど多くない。たぶんシーラさんの居場所を悟られないように、警備の人数を絞っているみたい。
移送には細心の注意を払ったみたいだけど、流石に幽霊の追跡者なんて想定していなかっただろう。彼らの用心が、私たちにとっては利した形だ。
テオドラさんはトッドさんらと一緒に別働部隊を率いている。救出に先駆けて、塔と市壁を守る兵隊を誘導するのだ。
そしてユニスさんは後方から全体の進行を調整してくれている。後、首尾よくシーラさんを助け出した後のセーフハウスも彼女が用意してくれた。
「よし。頑張ろう」
「はい」
で、塔に侵入するのは私とクレムだ。
市壁は指が掛からないほど滑らかな石積みで、高さは二十メートル以上ある。塔の部分はさらに高い。
出入り口は塔の基部と、横に繋がる城壁部分にしかない。
でも、私には自在に伸縮し、念じるだけで対象物を掴むことができる毛糸の
そして、自由自在に変形する毛糸なら、どんな鍵穴にだって潜りこめる。シーラさんの縛めを解くこともできるだろう。
そして万が一兵隊と遭遇すれば、まことに遺憾だけどクレムに対処してもらう。彼女の持つ
ただ、原則として私たちは敵を避けるように言い含められている。その為に、ミリーには斥候として常に付いてもらい、道中の安全を確保する。
潜入班は最小限にしないといけないから、最初は私とミリーだけで行くつもりだったんだけど、流石にそれだと危ないから、テオドラさんがクレムを護衛に付けてくれた。
華奢だけど、彼女の強さは本物だ。それにアングスト家の武名はクレイグさんも知っていて、心配しつつも任せてくれることに。
私たちに救出任務を割り当てることに、ピアソン一家の皆さんは強い自責の念を感じていたみたいだけど、適材適所だからと納得してもらった。
その分、彼らには危険な役割を担ってもらう。全員が一丸となって、シーラさんを助けるんだ。
「間取りは把握した。兵は牢屋の前に一人と、
その時、闇の中を白いドレスが翻る。偵察に出ていたミリーが戻ったのだ。
「上手く兵隊を誘引し、窓から侵入できれば接触は最小限に抑えられるだろう。――ただ、牢の見張りはそう簡単には動かないだろうが……」
「一人ならば問題ありません。不意を打って眠らせます」
ミリーの報告に、頼もしく答えるクレム。
私たちは彼女の情報を元に、侵入ルートを再確認する。
「シーラさん、どうだった?」
その間、私はどうしても囚われの彼女が気になって、そうミリーに尋ねる。すると、
「相当怒っていたな。救助は不要だ、即刻引き返せと何度も言われたよ」
と、幽霊少女は薄く笑みを浮かべてそう告げる。よかった。元気そうだ。
ただ、私たちが救助を急ぐのには理由がある。
市警の隊長ジェフリー・アランが、どうやら相当ヤバいみたいだからだ。
ピアソン一家の活躍で、警備隊の立ち位置は非常に危うい物となっている。市民からは非難を浴び、貴族や教会からは叱責され、明日にでも王様からお触れが出そうな状況だ。
シーラさんを卑劣な罠にかけたことや、直接ピアソン一家に取引を持ちかけたことなど、正直まともな理性が残っているとは考え難い。
シーラさんは市警にとっては憎い敵だし、綺麗な女の人だ。
交渉が物別れに終わったり、警備隊の立場がさらに悪くなったりすれば、どんな目に遭わされるか分かったものじゃないんだ。
彼女を無事に助けるには、今しかない。
「再度確認するが、シーラを連れて逃げるのは東側の路地だ。隠してある馬車に潜りこめ。もし追っ手が掛かっているようなら――」
ミリーの説明に耳を傾けていると、不意に闇夜をつんざく女性の叫び声がする。――作戦が始まったのだ。
× × ×
「助けてッ! 誰か!」
夜のしじまをかき乱す女性の悲鳴。
けれど、悲痛な叫びに応えようとする人は現れない。
この近辺は倉庫街で人がほとんど住んでないし、よしんば誰かが聞きつけたとしても、市壁の陰になって真っ暗な街路では、声の主を探すこともできない。
必然、悲鳴を上げた女性は明かりの灯った市壁を目指し、
「ああ、お願いします! お助け下さいまし!」
塔の入り口を守る兵隊を見つけるや、縋り付くように駆け寄った。
「な、なんだお前はっ! どうしたんだ!」
二人組の守衛は、真夜中に突如として現われた人影に驚くも、それが金髪を靡かせた美女だと気付くや、一転して心配そうな表情になった。
「暴漢に追われてるんです。兵隊様、どうかお助けを……」
髪を振り乱し、涙を浮かべ、切々と訴える美女に、兵隊たちは瞬時戸惑いを浮かべたが、すぐに真剣な面持ちで武器を構え直した。
着衣は乱れ、息せき切らして怯えた美女に頼られれば、どんな男であっても勇気を振り絞るのだろう。――テオドラさんの名演技が光る。
「落ち着きなさい! 何故、誰に追われてるんだ?」
「わ、わかりません、いきなり私を馬車に押し込もうとして……」
体をぴたりと寄せ、震えながら訴える金髪美女を、兵隊たちはもう微塵も疑っておらず、優しく落ち着かせようとしている。
「おい、上に行って応援呼んで来い!」
「あ、ああ。でもいいのか? 今俺たちは……」
兵隊たちが小声で何事か相談を交わす。とその時、
「くそ! 市壁にまで逃げやがったか!」
「おおい! 居たぞ、女はこっちだ!」
粗暴な男たちの声が闇夜に響く。
街路の陰から現れたのは、そろいもそろって覆面を付け、手には棍棒を握りしめた凶漢たちだ。
見る間に五人の男たちが塔の近くに現れる。金髪美女は悲鳴さえ上げられず、兵隊の後ろに縋りつく。
「そろそろ頃合いだ。動くぞ」
「へ? あ、うん」
緊迫した光景に目を奪われていた私は、ミリーの一言で急に現実に引き戻された。
そうだ、これは計画の一部なんだ。私が釣られてどうする。
今、目の前で起きているのは、シーラさん救出のためのお芝居だ。
半端ない演技力で兵隊を手玉に取ってしまったのはテオドラさん。彼女はずっと本部で指揮をとっており、市警に顔を見られていないからと、ここ一番で自ら救出作戦に参加してくれたのだ。
で、覆面を付けた暴漢たちはピアソン一家の若衆たち。
シーラさんを捕らえている兵隊を、塔から引き離すのは並大抵のことじゃない。なので、暴力事件を目の前で起こし、しかも兵隊たちを無理矢理巻き込むことで強引に隙を作るのだ。正直手荒な作戦だけど、時間も無いし確実性もいるし、強行することになった。
「よし、歩廊の兵隊も下へ向かった。登るなら今だ」
市壁の側へと移動した私たちに、偵察から戻ったミリーがそう告げる。市壁の上に陣取る見張りも、騒動を聞きつけて応援に降りたらしい。
「お願い。私たちを壁の上に連れてって」
私は小さく頷くと、腰に巻いたストールに軽く手を触れる。するとストールは淡い輝きを放つと、端からほどけていって、見る間に一本の綱になる。そして、
「よし、掛かった」
毛糸のロープは打ち上げ花火のように空中を登ると、遥か上方の胸壁に自らを括りつけた。
私とクレムは鉛筆ほどの太さのロープを掴むと、何重にも腰に巻きつけ、手でもしっかりと掴む。そして、
「引き上げて!」
私が小声でそう命じるや、毛糸の
「わわ!」
即座に二十メートル余りの距離を飛び上がり、歩廊の上に降り立った私。クレムは綺麗に着地したけど、私はちょっと尻餅を付いちゃった。
「誰もいませんね。急ぎましょう」
クレムがそう呟く。確かに、見える限りで兵隊の姿は無い。歩廊には身を隠す場所なんてないし、月明りでそれなりに視界は利くから、誰かいれば一発でアウトだ。
下から夜風に乗って喧騒が聞こえてくる。きっとピアソン一家が上手く兵隊たちを引き付けてくれているのだろう。
「皆さん気を付けて……」
武装した兵隊を相手にする若衆に、私は祈りの言葉を口にする。
そして毛糸の
あの上に、シーラさんが監禁されてるんだ。私たちは一層気を引き締めて、歩廊を静かに駆けだした。