「どこまでも舐め腐りおって……ただで済むと思うなよ」
怒りに目を輝かせ、獰猛にそう脅しつけるジェフリー・アラン。
剣を提げた大男に道を塞がれ、私は恐怖に身を竦ませてしまう。けれど、脳裏に浮かんだのはある疑念だった。
どうして、この男がここにいるの?
ジェフリー・アランは現在、クレイグさんと秘密会談を行っていた筈だ。だって市警から持ちかけてきた交渉に、ピアソン一家が応じたんだもん。
だから、比較的警備も手薄になるだろうって、シーラさんの救出作戦を決行したのだ。それが、よりにもよってこんなタイミングで鉢合わせするなんて。
「その顔、屑どもを引き連れていた女か。……ふん、やはりごろつき連中が約定など守る筈もないか」
私の顔を見とがめたジェフリーが、侮蔑も露わに吐き捨てる。やっぱりこの男、どうにかして救出作戦を察知したんだ。
「――下がって」
敵意に満ちたジェフリーの視線から庇うように、クレムが一歩前へ踏み出す。そして、
「あなたたちの蛮行は、いずれ白日の下に曝されるわ。これ以上汚名を塗り重ねれば、警備隊はもうおしまいよ」
心身の疲労をおして、シーラさんもジェフリーに立ち向かう。
「蛮行だと? ――ふん、
けれど、大男はせせら笑いと共にそう答える。
「大逆無道? 随分な良い草ね。私たちがいったい何をしたというの?」
意味の取れない彼の発言に、シーラさんが眉を
「そこな娘が紐の
ジェフリーが得意げにそう語る。そして、
「貴様らは他にも隠し持っているだろう。「食料を増やす
勝利を確信したように、そう告げる。
「ッ――」
その言葉に
ジェフリーは私の持つスプーンを知っている。最初から、彼らの目的は私だったんだ。
きっと、一連の騒動もその所為で起きたに違いない。市警が何を勘違いしたのかしらないけれど、スプーンをピアソン一家が管理してると思い込んで、それであの手この手で揺さぶりをかけたんだ。
「ぅ、ぁ…………」
「――とんでもない言いがかりだわ。誰に入れ知恵されたか知らないけれど、思い込みでよくもこれだけ暴れられたものね」
「あくまで白を切るか。骨の髄まで卑しい連中だ。まったくもって度し難い」
狼狽に言葉も出ない私をよそに、シーラさんとジェフリーが問答を続ける。
でも、彼は言葉で解決する気なんてさらさらなくて、剣を携えたままじりじりと距離を詰めてくる。
歩廊は一本道で、他に逃げ場なんてない。毛糸を使って逃げようとしても、三人一度には無理だ。背中を向ければ、きっと捕まってしまう。
私は事態の真相を知ったショックと、眼前に迫る大男を前に、恐怖で頭が真っ白になってしまう。けれどその時、
「神の恩寵たる
清冽な声が、私の胸の暗雲を吹き飛ばす。
「なんだと、貴様ッ!」
ジェフリーの怒号を真正面から受け止めて、フード姿の少女が毅然と対峙する。
そして彼女は自らの胸元に手を当てると、虚空に向けて細い腕を薙ぎ払う。
闇夜に描かれるのは、蒼の輝線。
いつの間にか少女の手には、切っ先から柄頭まですべてが蒼い石で出来た、世にも美しい大剣が握られていた。
これぞ「蒼の剣」。斬った人間の悪しき心を祓い清める、クレムの
「な――」
「え――」
突如として虚空から大剣を抜き放ったクレムに、ジェフリーとシーラさんが揃って困惑の声を漏らす。けれど、
「――くく、ふはははっ!」
歓声を上げたのは眼前の大男だ。彼はさも愉快そうに、そして獰猛な笑みを浮かべると、
「貴様らいったい幾つ
夜天に向け、高らかにそう嘯く。
――そんな彼の姿を見て、私を苛んでいた恐怖が急速に薄れていく。
この人、ジェフリー・アランが
彼にどんな過去があって、なぜそう考えるようになったかは知らない。きっと他にも難しい事情が絡んでいるんだろうとも思う。
けれど、彼が一連の事件を起こしたのは、突き詰めてしまえば己の栄耀栄華のためだ。
脳裏に甦るのは、この騒動で被害をこうむった大勢の人たちの姿。
彼の手前勝手な欲望の為に、いったいどれほどの人が涙を流し、恐怖に怯え、辛い思いをしただろう。
恐怖の去った私の胸に、今度は勃然と怒りが湧いてくる。その時、
「どうしますか。――あなたは彼に、従いますか?」
親友が背を向けたままで、静かにそう問うてきた。
「……私は、嫌だ」
考えるまでもなく、口から言葉が零れた。
「この人たちの言い分は、正しいのかもしれない。――神様がくれた奇跡なら、本当はもっと大勢の人に分け与えなきゃいけないのかもしれない」
だんだんと、私の声から怯えが消える。
「でも、この人たちにだけは渡せない。――自分のことしか考えない人に、奇跡の力なんてあげていいはずないもの!」
私は固い拒絶の意思を込めて、ジェフリーに向けてそう吼える。
「――黙って聞いていれば、いい気になるなよ雌犬がッ!!」
当然の反応だろうけど、大男は激怒して、怒号と共に抜き身の刃を上段に構えた。
「抵抗しなければ投降を認めてやろうと思ったが……後々のためにも、立場を分からせてやるべきだな。……なに、心配するな。直ぐに手当てすれば、手足の一本程度、無くしたところで死にはせん」
陰惨な笑みを浮かべて、そう脅しつけるジェフリー。けれど、
「――判決は下された」
響き渡る玲瓏な声に、彼の表情は凍りつく。
「ジェフリー・アラン。職権濫用、虚偽告訴の罪によりて、汝の名誉と権利を剥奪する」
冴えかえる月光の下、「蒼の剣」を提げたクレムが、朗々と罪科を読み上げる。
彼女のスカイブルーの瞳からは一切の感情が抜け落ち、清楚な立ち姿は言い知れない威圧感を放っている。
まるで人ならざるモノが乗り移ったかのような、神々しくもおそろしい気配。
「ぬぅ、貴様ッ!」
その気迫に押され、ジェフリーが半歩下がる。
二人の姿は罪人と刑吏そのものだった。この場は、何時しか刑場へと変わってしまったのだ。そして、
「汝、父母の接吻を受くることあたわじ。ただ伏して祈り、神の慈悲を乞うべし。
――罪は償われる」
許されざる咎人の、その罪を祓い清めようと、少女は刑の執行を宣言した。
× × ×
「蒼の剣」の切っ先を、夜天に高々と掲げたクレム。
人ならざるモノが乗り移ったかのような彼女は、月明りに照らされて神々しいまでの威風を纏っている。
「舐めるなよ小娘がッ!」
大抵の人間ならば萎縮してしまう少女の姿に、けれどジェフリーは大喝と共に剣を構え直す。
流石に市警の隊長だけあって、威圧感が凄い。武術のことは何もわからないけど、きっと彼もとても強いんだと思う。
蒼い剣と鋼の剣を携えた二人の間合いは、もう数メートルもない。お互いが数歩踏み込めば刃が届く距離だ。
「――」
極限まで張りつめた緊張感に、私は息も忘れてしまう。だから、毛糸の
「ぁ――」
そのことに気付いた時には、すべては終わっていた。
一瞬の静寂の後、二人の影が錯綜する。
月光を反射して、空間に輝線を描く蒼と鋼の光。
私はその光景を、瞬きすらせず目の当たりにした。
――それなのに、私は親友の動きを目で追うことさえできなくて。
「な――」
ジェフリーの喉から、唖然とした声が漏れる。
私たちだって驚愕に目を見開いたのだ。当人からすれば、言葉すら出ないほどの異常事態だろう。
ジェフリーはまったく容赦なく、素早い踏み込みと共に鋼の剣を振り払った。
クレムの身体を斜めに切り裂く袈裟切り。その膂力から繰り出される一撃は、クレムの華奢な身体など、受けた剣ごと吹き飛ばしてしまうだろう。
けれど、その渾身の一太刀は、何者にも触れることはなかった。
ある筈の手ごたえが返ってこず、虚しく空を切った己の剣に、ジェフリーは瞠目する。
そして件の少女は、いったいどこをどのように動いたものか、位置を入れ替えるようにして、大男と背中合わせに立っていた。
のみならず、彼女の蒼い剣、その根元の部分が、ぴたりとジェフリーの延髄に押し当てられている。
「ひッ――」
首筋に触れた冷感の正体に気付き、大男が喉から引き絞った悲鳴を溢す。
そして次の瞬間――ひゅんと、一抹の風切音が聞こえる。
密着するような体勢でジェフリーに剣を押し当てていたクレムが、バレエダンサーのように軽やかに回転したのだ。
体の回転は腕へと伝わり、手にした剣を軽やかに動かす。
ジェフリーの首筋に押し当てられた刃は、根元から切っ先まで滑らかに走り――「蒼の剣」は、夜闇に美しい円を描いた。
まるで映画の殺陣のシーンを思わせる、現実離れした光景。
けれど気付いた。私は今まさに、処刑の現場に立ち会ったのだと。
「――――」
首を斬られたジェフリーは、悲鳴すら上げずにその場に膝から崩れ落ちる。
彼が取り落とした剣が石畳を跳ね、鈍い金属音を立てる。
斬首刑は、ここに滞りなく執行された。
しかし、彼の首は地に落ちることもなく――
「……し、死んでないの?」
只一人、「蒼の剣」のことを知らないシーラさんが困惑してそう呟く。平静を装おうとしているけど、目の前の光景が余りにも衝撃的過ぎて、声が微かに震えている。
「クレムの
と、ミリーが静かに教える。彼女も先ほどの一幕を目の当たりにして、神妙な面持ちを浮かべている。
「皆様、早く逃げましょう」
と、歩廊にくずおれたジェフリーの向こうで、クレムが凛然とそう告げる。
声音こそ緊迫しているけど、その表情、眼差しには、溢れんばかりの情感が籠っている。――ああ、人のクレムが戻ってきたと、私はつい安堵する。
「え、ちょ、これ大丈夫なの?」
気絶したジェフリーを放置していいのかと尋ねるシーラさん。クレムの
「おい、いたぞ! くそ、誰かやられてるッ!」
闇の奥から男の怒声がする。
見れば、ランプの明かりが近づいてくるではないか。歩廊に続く階段を駆け登り、新たな兵士がやってきたのだ。
「後ろからも来ているぞ!」
ミリーが叫ぶ。塔の捜索を終えた兵隊たちが、扉の閂を打ち壊して歩廊へと駆け込んできたのだ。
「え、ちょ、わわ!」
やっとの思い出で警備隊の隊長をやっつけたのに、前後から兵隊に挟み込まれ、私はパニックになる。
クレムは剣を油断なく構え、シーラさんも咄嗟に庇ってくれる。私は慌てて毛糸の
「下の方いっぱい兵隊いるよッ!?」
眼下にはたくさんの明かりが灯っているではないか。しかも異変に気付いたらしく、怒鳴り声がひっきりなしに聞こえてくる。
テオドラさんに、ピアソン一家の若衆たちはどうしただろう。まだ私たちの帰還を信じて、兵士たちを押し留めているのかもしれない。
「中は駄目だ、外へ降りろ!」
混乱した私に語りかけたのはミリーだ。
幽霊少女は市壁の外、オストバーグの外部を指差し、そちらにロープを降ろすよう指示している。
市壁の外は街明かりも無く、月の光さえ届かない真っ暗闇が広がっている。
降り立つ足場さえ見えない闇に躊躇していると、
「時間が無い、急ぐのだ!」
ミリーがそう叱咤する。
「わ、わかった!」
前後から殺到する兵士の足音にも脅されて、私はとにかくストール引っ掴む。
途端にストールは自らをロープに編み上げて、胸壁にくるくると巻き付いた。
「お願い! 私たちを逃がして!」
そう命じるや否や、毛糸のロープは私たちを巻き上げると、まるでお手玉を放り投げるかのようにポイと空中へ投げ飛ばした。
「わ! きゃああぁぁぁっ!」
急いでほしいとは思ったけど、まさかこんな雑に扱われるとは。
内臓が浮き上がるような感覚に悲鳴を上げながら、私たちは闇の中に落ちていく。
悲鳴に負けじと響く笛の音は、私と一緒に毛糸に巻かれたクレムだ。
彼女はこんな時でも冷静に、ピアソン一家に撤退の合図を送ってくれている。
ちらりと頭上を見遣れば、市壁の上の兵隊たちが乗り出してこちらを見ている。でも彼らの掲げた明かりはどんどん小さくなっていき、
「――ふふっ」
浮遊感に肝を冷やしながらも、思わず私は笑みをこぼしてしまう。
隣にはクレムが居て、シーラさんもしっかり紐で私と縛りつけられている。
――もう、この人を渡したりするもんか。
冷たい夜風に吹かれながら、私は胸の内で