ナオのゴスペル   作:抱き猫

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41 月下の脱出劇

 

 

「どこまでも舐め腐りおって……ただで済むと思うなよ」

 

 怒りに目を輝かせ、獰猛にそう脅しつけるジェフリー・アラン。

 

 剣を提げた大男に道を塞がれ、私は恐怖に身を竦ませてしまう。けれど、脳裏に浮かんだのはある疑念だった。

 

 どうして、この男がここにいるの?

 ジェフリー・アランは現在、クレイグさんと秘密会談を行っていた筈だ。だって市警から持ちかけてきた交渉に、ピアソン一家が応じたんだもん。

 

 だから、比較的警備も手薄になるだろうって、シーラさんの救出作戦を決行したのだ。それが、よりにもよってこんなタイミングで鉢合わせするなんて。

 

「その顔、屑どもを引き連れていた女か。……ふん、やはりごろつき連中が約定など守る筈もないか」

 

 私の顔を見とがめたジェフリーが、侮蔑も露わに吐き捨てる。やっぱりこの男、どうにかして救出作戦を察知したんだ。

 

「――下がって」

 

 敵意に満ちたジェフリーの視線から庇うように、クレムが一歩前へ踏み出す。そして、

 

「あなたたちの蛮行は、いずれ白日の下に曝されるわ。これ以上汚名を塗り重ねれば、警備隊はもうおしまいよ」

 

 心身の疲労をおして、シーラさんもジェフリーに立ち向かう。

 

「蛮行だと? ――ふん、ピアソン一家(貴様ら)の犯した大逆無道に比べれば、我々の活動など問題にもなるまいよ」

 

 けれど、大男はせせら笑いと共にそう答える。

 

「大逆無道? 随分な良い草ね。私たちがいったい何をしたというの?」

 

 意味の取れない彼の発言に、シーラさんが眉を(ひそ)めてそう呟く。すると、

 

「そこな娘が紐の聖示物(ミュステリオン)を使ったのを見たぞ。貴様らが聖示物(ミュステリオン)を所有しているとの届けは受けておらん。――隠匿は重罪だ。それが国運を左右するような代物なら尚更な」

 

 ジェフリーが得意げにそう語る。そして、

 

「貴様らは他にも隠し持っているだろう。「食料を増やす聖示物(ミュステリオン)」のことはとっくに調べが付いている。……国家に奉ずべき至宝を、三下共が私利私欲の為に使う。これを大逆無道と言わずに何と呼ぶ?」

 

 勝利を確信したように、そう告げる。

 

「ッ――」

 

 その言葉に()()を突かれたのは私だ。

 

 ジェフリーは私の持つスプーンを知っている。最初から、彼らの目的は私だったんだ。

 

 きっと、一連の騒動もその所為で起きたに違いない。市警が何を勘違いしたのかしらないけれど、スプーンをピアソン一家が管理してると思い込んで、それであの手この手で揺さぶりをかけたんだ。

 

「ぅ、ぁ…………」

「――とんでもない言いがかりだわ。誰に入れ知恵されたか知らないけれど、思い込みでよくもこれだけ暴れられたものね」

「あくまで白を切るか。骨の髄まで卑しい連中だ。まったくもって度し難い」

 

 狼狽に言葉も出ない私をよそに、シーラさんとジェフリーが問答を続ける。

 

 でも、彼は言葉で解決する気なんてさらさらなくて、剣を携えたままじりじりと距離を詰めてくる。

 歩廊は一本道で、他に逃げ場なんてない。毛糸を使って逃げようとしても、三人一度には無理だ。背中を向ければ、きっと捕まってしまう。

 

 私は事態の真相を知ったショックと、眼前に迫る大男を前に、恐怖で頭が真っ白になってしまう。けれどその時、

 

「神の恩寵たる聖示物(ミュステリオン)を、どうして託宣者(アクシオス)でもない余人が欲するのですか。――いくら建前を並べようとも、貴方は他者の富貴を妬み、盗心を起こした奸賊に過ぎません」

 

 清冽な声が、私の胸の暗雲を吹き飛ばす。

 

「なんだと、貴様ッ!」

 

 ジェフリーの怒号を真正面から受け止めて、フード姿の少女が毅然と対峙する。

 

 そして彼女は自らの胸元に手を当てると、虚空に向けて細い腕を薙ぎ払う。

 

 闇夜に描かれるのは、蒼の輝線。

 

 いつの間にか少女の手には、切っ先から柄頭まですべてが蒼い石で出来た、世にも美しい大剣が握られていた。

 

 これぞ「蒼の剣」。斬った人間の悪しき心を祓い清める、クレムの聖示物(ミュステリオン)だ。

 

「な――」

「え――」

 

 突如として虚空から大剣を抜き放ったクレムに、ジェフリーとシーラさんが揃って困惑の声を漏らす。けれど、

 

「――くく、ふはははっ!」

 

 歓声を上げたのは眼前の大男だ。彼はさも愉快そうに、そして獰猛な笑みを浮かべると、

 

「貴様らいったい幾つ聖示物(ミュステリオン)を隠し持っているのだ! いいだろう。それら全て、俺がしかと王宮に納めてやる。――まったく運が向いてきたな。これで廷臣共も、俺の功績は無視できまい」

 

 夜天に向け、高らかにそう嘯く。

 

 ――そんな彼の姿を見て、私を苛んでいた恐怖が急速に薄れていく。

 

 この人、ジェフリー・アランが聖示物(ミュステリオン)を求めていたのは、結局自分がのし上がるためだったんだ。

 

 彼にどんな過去があって、なぜそう考えるようになったかは知らない。きっと他にも難しい事情が絡んでいるんだろうとも思う。

 

 けれど、彼が一連の事件を起こしたのは、突き詰めてしまえば己の栄耀栄華のためだ。

 

 脳裏に甦るのは、この騒動で被害をこうむった大勢の人たちの姿。

 彼の手前勝手な欲望の為に、いったいどれほどの人が涙を流し、恐怖に怯え、辛い思いをしただろう。

 

 恐怖の去った私の胸に、今度は勃然と怒りが湧いてくる。その時、

 

「どうしますか。――あなたは彼に、従いますか?」

 

 親友が背を向けたままで、静かにそう問うてきた。

 

「……私は、嫌だ」

 

 考えるまでもなく、口から言葉が零れた。

 

「この人たちの言い分は、正しいのかもしれない。――神様がくれた奇跡なら、本当はもっと大勢の人に分け与えなきゃいけないのかもしれない」

 

 だんだんと、私の声から怯えが消える。

 

「でも、この人たちにだけは渡せない。――自分のことしか考えない人に、奇跡の力なんてあげていいはずないもの!」

 

 私は固い拒絶の意思を込めて、ジェフリーに向けてそう吼える。

 

「――黙って聞いていれば、いい気になるなよ雌犬がッ!!」

 

 当然の反応だろうけど、大男は激怒して、怒号と共に抜き身の刃を上段に構えた。

 

「抵抗しなければ投降を認めてやろうと思ったが……後々のためにも、立場を分からせてやるべきだな。……なに、心配するな。直ぐに手当てすれば、手足の一本程度、無くしたところで死にはせん」

 

 陰惨な笑みを浮かべて、そう脅しつけるジェフリー。けれど、

 

「――判決は下された」

 

 響き渡る玲瓏な声に、彼の表情は凍りつく。

 

「ジェフリー・アラン。職権濫用、虚偽告訴の罪によりて、汝の名誉と権利を剥奪する」

 

 冴えかえる月光の下、「蒼の剣」を提げたクレムが、朗々と罪科を読み上げる。

 

 彼女のスカイブルーの瞳からは一切の感情が抜け落ち、清楚な立ち姿は言い知れない威圧感を放っている。

 まるで人ならざるモノが乗り移ったかのような、神々しくもおそろしい気配。

 

 無謬(むびゅう)の裁定者、厳格なる執行者へと変じたクレムが、悠然と歩廊を進む。

 

「ぬぅ、貴様ッ!」

 

 その気迫に押され、ジェフリーが半歩下がる。

 二人の姿は罪人と刑吏そのものだった。この場は、何時しか刑場へと変わってしまったのだ。そして、

 

「汝、父母の接吻を受くることあたわじ。ただ伏して祈り、神の慈悲を乞うべし。

 

 ――罪は償われる」

 

 許されざる咎人の、その罪を祓い清めようと、少女は刑の執行を宣言した。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「蒼の剣」の切っ先を、夜天に高々と掲げたクレム。

 

 人ならざるモノが乗り移ったかのような彼女は、月明りに照らされて神々しいまでの威風を纏っている。

 

「舐めるなよ小娘がッ!」

 

 大抵の人間ならば萎縮してしまう少女の姿に、けれどジェフリーは大喝と共に剣を構え直す。

 

 流石に市警の隊長だけあって、威圧感が凄い。武術のことは何もわからないけど、きっと彼もとても強いんだと思う。

 

 蒼い剣と鋼の剣を携えた二人の間合いは、もう数メートルもない。お互いが数歩踏み込めば刃が届く距離だ。

 

「――」

 

 極限まで張りつめた緊張感に、私は息も忘れてしまう。だから、毛糸の聖示物(ミュステリオン)で援護をするのが遅れた。

 

「ぁ――」

 

 そのことに気付いた時には、すべては終わっていた。

 

 一瞬の静寂の後、二人の影が錯綜する。

 月光を反射して、空間に輝線を描く蒼と鋼の光。

 

 私はその光景を、瞬きすらせず目の当たりにした。

 

 ――それなのに、私は親友の動きを目で追うことさえできなくて。

 

「な――」

 

 ジェフリーの喉から、唖然とした声が漏れる。

 

 私たちだって驚愕に目を見開いたのだ。当人からすれば、言葉すら出ないほどの異常事態だろう。

 

 ジェフリーはまったく容赦なく、素早い踏み込みと共に鋼の剣を振り払った。

 クレムの身体を斜めに切り裂く袈裟切り。その膂力から繰り出される一撃は、クレムの華奢な身体など、受けた剣ごと吹き飛ばしてしまうだろう。

 

 けれど、その渾身の一太刀は、何者にも触れることはなかった。

 ある筈の手ごたえが返ってこず、虚しく空を切った己の剣に、ジェフリーは瞠目する。

 

 そして件の少女は、いったいどこをどのように動いたものか、位置を入れ替えるようにして、大男と背中合わせに立っていた。

 

 のみならず、彼女の蒼い剣、その根元の部分が、ぴたりとジェフリーの延髄に押し当てられている。

 

「ひッ――」

 

 首筋に触れた冷感の正体に気付き、大男が喉から引き絞った悲鳴を溢す。

 

 そして次の瞬間――ひゅんと、一抹の風切音が聞こえる。

 

 密着するような体勢でジェフリーに剣を押し当てていたクレムが、バレエダンサーのように軽やかに回転したのだ。

 

 体の回転は腕へと伝わり、手にした剣を軽やかに動かす。

 

 ジェフリーの首筋に押し当てられた刃は、根元から切っ先まで滑らかに走り――「蒼の剣」は、夜闇に美しい円を描いた。

 

 まるで映画の殺陣のシーンを思わせる、現実離れした光景。

 

 けれど気付いた。私は今まさに、処刑の現場に立ち会ったのだと。

 

「――――」

 

 首を斬られたジェフリーは、悲鳴すら上げずにその場に膝から崩れ落ちる。

 彼が取り落とした剣が石畳を跳ね、鈍い金属音を立てる。

 

 斬首刑は、ここに滞りなく執行された。

 しかし、彼の首は地に落ちることもなく――

 

「……し、死んでないの?」

 

 只一人、「蒼の剣」のことを知らないシーラさんが困惑してそう呟く。平静を装おうとしているけど、目の前の光景が余りにも衝撃的過ぎて、声が微かに震えている。

 

「クレムの聖示物(ミュステリオン)は形こそ剣だが、人の命は取らない」

 

 と、ミリーが静かに教える。彼女も先ほどの一幕を目の当たりにして、神妙な面持ちを浮かべている。

 

「皆様、早く逃げましょう」

 

 と、歩廊にくずおれたジェフリーの向こうで、クレムが凛然とそう告げる。

 

 声音こそ緊迫しているけど、その表情、眼差しには、溢れんばかりの情感が籠っている。――ああ、人のクレムが戻ってきたと、私はつい安堵する。

 

「え、ちょ、これ大丈夫なの?」

 

 気絶したジェフリーを放置していいのかと尋ねるシーラさん。クレムの聖示物(ミュステリオン)の効果をどう説明したものかと私が頭を悩ませると、

 

「おい、いたぞ! くそ、誰かやられてるッ!」

 

 闇の奥から男の怒声がする。

 見れば、ランプの明かりが近づいてくるではないか。歩廊に続く階段を駆け登り、新たな兵士がやってきたのだ。

 

「後ろからも来ているぞ!」

 

 ミリーが叫ぶ。塔の捜索を終えた兵隊たちが、扉の閂を打ち壊して歩廊へと駆け込んできたのだ。

 

「え、ちょ、わわ!」

 

 やっとの思い出で警備隊の隊長をやっつけたのに、前後から兵隊に挟み込まれ、私はパニックになる。

 

 クレムは剣を油断なく構え、シーラさんも咄嗟に庇ってくれる。私は慌てて毛糸の聖示物(ミュステリオン)を取り出すけれど、

 

「下の方いっぱい兵隊いるよッ!?」

 

 眼下にはたくさんの明かりが灯っているではないか。しかも異変に気付いたらしく、怒鳴り声がひっきりなしに聞こえてくる。

 

 テオドラさんに、ピアソン一家の若衆たちはどうしただろう。まだ私たちの帰還を信じて、兵士たちを押し留めているのかもしれない。

 

「中は駄目だ、外へ降りろ!」

 

 混乱した私に語りかけたのはミリーだ。

 

 幽霊少女は市壁の外、オストバーグの外部を指差し、そちらにロープを降ろすよう指示している。

 市壁の外は街明かりも無く、月の光さえ届かない真っ暗闇が広がっている。

 降り立つ足場さえ見えない闇に躊躇していると、

 

「時間が無い、急ぐのだ!」

 

 ミリーがそう叱咤する。

 

「わ、わかった!」

 

 前後から殺到する兵士の足音にも脅されて、私はとにかくストール引っ掴む。

 途端にストールは自らをロープに編み上げて、胸壁にくるくると巻き付いた。

 

「お願い! 私たちを逃がして!」

 

 そう命じるや否や、毛糸のロープは私たちを巻き上げると、まるでお手玉を放り投げるかのようにポイと空中へ投げ飛ばした。

 

「わ! きゃああぁぁぁっ!」

 

 急いでほしいとは思ったけど、まさかこんな雑に扱われるとは。

 内臓が浮き上がるような感覚に悲鳴を上げながら、私たちは闇の中に落ちていく。

 

 悲鳴に負けじと響く笛の音は、私と一緒に毛糸に巻かれたクレムだ。

 彼女はこんな時でも冷静に、ピアソン一家に撤退の合図を送ってくれている。

 

 ちらりと頭上を見遣れば、市壁の上の兵隊たちが乗り出してこちらを見ている。でも彼らの掲げた明かりはどんどん小さくなっていき、

 

「――ふふっ」

 

 浮遊感に肝を冷やしながらも、思わず私は笑みをこぼしてしまう。

 

 隣にはクレムが居て、シーラさんもしっかり紐で私と縛りつけられている。

 

 ――もう、この人を渡したりするもんか。

 

 冷たい夜風に吹かれながら、私は胸の内で快哉(かいさい)を叫んだ。

 

 

 

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