酒場に居たのは、クレイグさんにトッドさんらピアソン一家の人々に、メル君にロレッタちゃんら呼び売りの子たちだ。
避難所として開放していた酒場は綺麗に掃除されていて、すっかり以前の店構えを取り戻している。壁やテーブルの燭台には皓々と明かりが灯り、長テーブルの上には豪勢な料理が所狭しと並んでいて、花瓶には花まで活けてある。
「お帰りなさいお姉さま!」
「ほら、早くこっち来てよ!」
呆然と立ち尽くしていた私を、小さな手が引っ張る。
ロレッタちゃんとメル君が、喜色を満面にして駆け寄って来たのだ。
「みんな。聖女様たちのお帰りだぞ」
そうはやし立てるのはクレイグさん。
ピアソン一家の若衆たちや子供たちが歓声を上げて、口々に私たちの名を呼んでくれる。
「ほらほら。主賓がぼんやりしてると、始められないわ」
と、背後から茶目っ気たっぷりにテオドラさんが囁いてくる。
「君らは十分すぎるほどに働いた。皆、労をねぎらうために集まったのだ」
と、ミリーがどこか嬉しそうにそう教えてくれる。
「えへへぇ。ナオさんの料理には敵わないかもですけど、お料理もお酒もいっぱい用意したんですよ?」
と、ユニスさんも微笑みながら背を押してくる。
くそう、みんなしてサプライズパーティーを企画してたなんて、すっかりしてやられてしまった。
「皆様……」
クレムも息を呑んでびっくりしている。呟く声は、歓喜に満ちていて。そして、
「……シーラも、よく戻ってくれた」
「お父様……」
ようやく直接の再開を果たしたクレイグさんとシーラさん。人前を憚ってかあまり大仰ではないけど、二人の喜びはみんなに伝わる。
――ああ、ようやく事件は終わったんだ。
急に実感が湧いてきて、私はなんだか気が抜けてしまう。でも、
「早く乾杯してくれよナオ姉ちゃん! 御馳走食べれないじゃん!」
「こらメル! はしたないわよ!」
はしゃぐ子供たちに釣られて、なんだか気分が高揚してくる。
「えーっと、……色々大変で、危ないこともあったけど、こうしてまた皆さんの顔が見れて、とっても嬉しく思います。――お疲れ様でした!」
私は酒場の中央へと進み、クレイグさんからグラスを受け取ると、乾杯の音頭を取る。
宵の酒場に、賑々しい声が響いた。
× × ×
楽しい時間は、あっという間に過ぎて。
美味しい料理に舌鼓を打ち、あれやこれやと苦労話に花を咲かせ、子供たちや若衆さんたちの座興を大いに楽しんで、気が付いたら夜も遅い時間だった。
「それじゃあみんな、気を付けて。――皆さん、よろしくお願いします」
パーティーが御開きになって、子供たちも家に帰らなきゃいけない。夜道は危ないので、若衆さんたちが送って行ってくれることに。
人が居なくなると、酒場はなんだかがらんとしちゃって。
「ホントに楽しかったです。こんなパーティーまで開いてもらっちゃって、ありがとうございます」
私はクレイグさんに改めて礼を述べる。
これだけ盛大な催しなら、きっと手間もお金もかかっただろう。
事後処理で忙しいのに、時間まで作ってくれて、彼らの真心が嬉しい。
「いやいや、礼をせねばならんのは我々の方だよ」
と、クレイグさんは微笑を浮かべてそう返す。
「君たちが居なければ、オストバーグは途轍もない混乱に見舞われていたことだろう。下層民だけじゃあない、街そのものが、大きく道を踏み外してしまうところだった。――君たちは、街を救ってくれたんだよ」
街を代表する偉いおじさまにそう褒められて、けれど私は素直に喜ぶことができない。
あらためて事の重大性を示されると、かえって表情が硬くなる。
「ん? どうしたんだい。そう怖がることはないよ。君らは私たちがずっと守る。――娘まで助けてもらっては、私が生きてる間に恩を返しきれるか分からんなぁ」
私の困惑を見て取ったのか、クレイグさんが笑いながらそう茶化す。
でも、私の憂色はますます濃くなって、
「ナオ。あなたの憂いを、私たちにも背負わせてはくれませんか?」
傍らのクレムが、優しくそう告げる。
見れば、ミリーも心配そうな顔をしている。やっぱり、いつも通り振る舞おうとしても、この子たちは誤魔化せない。
「……あの、私、やっぱり皆さんに祝われるようなこと、してないと思うんです」
私は観念したように、ぽつりとそう呟く。
先ほどまで無理してはしゃいでいたからか、絞り出した声は硬く、掠れていた。
「……トッド。先に出ていてくれないか」
「はい。表を見てますよ」
すると、クレイグさんが若衆さんたちにそう指示する。
気を使ってくれたのだろう。彼らはすぐに酒場の外へと出てくれて、中にはテオドラさん、シーラさん、ユニスさん、そしてクレイグさんだけが残った。
「……私も、席を外した方がいいかね?」
優しくそう尋ねるクレイグさん。
私はしばし迷って、首を横に振った。私の悩みは、街の人々にも関わり合いのあることだ。彼には聞いてもらわないといけない。
残った人たちの手首には、私の髪を編み込んだ組紐のミサンガが付けられている。潜伏生活をしている間に作ったモノで、これを付けている人は、ミリーの存在を知り、彼女と会話することができる。
「案ずるな。私たちは何があっても君の側に居る。――だからナオ。君の想いを教えてくれないか」
幽霊少女が慈愛に満ちた眼差しでそう問いかける。
私は意を決して、胸に蟠る暗い感情を言葉にする。
× × ×
「みんなが騒動に巻き込まれたのって、本ををただせば私の所為なんです」
恐怖に声を震わせながら、私は自らの罪を告白する。
「私、みんなに隠し事ばっかりしてて、それで、こんなことになっちゃって……」
市警の隊長ジェフリー・アランは、はっきりと騒動を引き起こした目的を話していた。
彼が狙ったのは、食物を増やす
「どこで聞きつけたのか知りません。けど、あの人たちが貧民街をひっくり返そうとしたのは、私を探そうとしたからなんです」
ジェフリーは言った。多くの人を救える
あの時は彼に反発したけれど、言葉そのものはずっと胸に引っ掛かっている。
――私は、間違えたのかもしれない。
ずっとその思いが、胸から消えない。自由を無くすのが嫌で、親友とずっと一緒に居たくて、私は奇跡の力を秘蔵した。
その所為で、こんな大事件が起きてしまった。
何の関係も無い大勢の人に迷惑をかけて、悲しませて。
結果的に丸く収まったからよかったものの、クレイグさんの言う通り、一つ間違えれば街全体にまで騒動は波及したんだ。軽く済ませていい事じゃない。
私は訥々と、自らの罪を告白する。
ここまでくれば、もう隠し立てすることなんてできない。
私は改めてこれまでのこと、地球からこの世界にやってきた経緯を詳しく説明する。
長い長い話になって、しかも時系列はてんでバラバラで、分かりにくいことこの上ない。けれど、みんなは全てを黙って聞いてくれて。
「だから、みんなに迷惑をかけたのは、私なんです」
そして、私は長い独白をようやく語り終えた。
酒場には沈黙がたれこめる。荒唐無稽な、それでいて現実を大きく動かしてしまった私の話を、みんなすぐには消化しかねているのだろう。
私は判決を待つ被告のように、その場に立ち尽くす。すると、
「――私からも、テオドラ様とユニス様にお話があります」
傍らで私を支え続けてくれたクレムが、凛然とそう切り出した。
「私の名はクレメント・アングストと申します。……オストバーグの刑吏を務めた、ウェイドリィ・アングストの娘です」
と、彼女は自らの家名を高々と名乗る。
「え、ちょ、ちょっとクレム!」
彼女は御両親と自分の家を誇りに思っているけど、身元を明かせば酷い差別を受けかねないから、家名はずっと伏せてきた。
シーラさんとクレイグさんは知っているけど、テオドラさんとユニスさんには今まで明かさなかったのに。
「私も皆様に隠し事をしていました。授かった
隣に立つ親友は、切々と自らの過去を語る。
堂々とした立ち姿、誠実な弁舌。彼女の言葉を、みんなが聞き入る。そして、
「さて、こうなると私も語らねばならぬのだろうが、来歴全てとなると、何日かかるかわからんな」
クレムが自らの過去を語り終えると、ミリーが珍しくも冗談めかしてそう告げる。
「まあ、私の過去はこの場には関係ない。割愛するとしよう。――我々の物語は、今の所これで全てだ」
幽霊少女はそう言うと、ふわりとドレスの裾を持ちあげ、
「
みんなに向けて、そう頼み込む。
「――み、ミリーっ!?」
思わぬ成り行きに、驚愕が漏れる。
私の罪をみんなに聞いてもらおうと思ったのに、なんでこの子は協力をお願いしているのか。
「このような娘たちなのだ。私も常々気に掛けているのだが、この体では如何ともしがたいのでな」
そう語るミリーに、テオドラさんたちが忍び笑いを溢す。
え、ちょ、なんか空気がまったりしてる? 私真剣に悩んでるのに。
「もちろんよ。お願いされるまでもないわ。私たち、もうナオちゃんたちの友達だもの」
「はい。何でも頼ってくださいねぇ」
「とはいえ、改めて聞くと凄い話よね」
お姉さんたちは目配せを交わしてから、笑声と共にそう頷く。
「君らにどんな事情があろうと、私たちの恩人に変わりはないよ。……是非、これからも娘と仲良くしてほしい」
と、クレイグさんも破顔してそう告げる。
「で、でも、この騒動って、私が起こしたようなものですし……」
あまりにあっさり受け入れられて、私は困惑してしまう。こっちは一世一代の覚悟で告白したと言うのに。
「さてクレム。君から話してやったほうが、ナオも受け入れやすいのではないか?」
すると、ミリーが訳知り顔でそんなことを呟く。うう、やっぱりこの子、保護者みたいなこと言うんだから。
「ナオ。あなたは思い違いをされています。騒動を起こしたのは警備隊の方々です」
と、その意を得たクレムが静かに語りかける。
「で、でも、あの人たちが動いたのは、私のスプーンを欲しがったからだし……」
「他人の物を欲しがり、奪おうとするのは盗人の所業です。彼らは正しい手順を踏むこともできた。相手がそうしなかったのは、あなたの咎ではありません」
「そう言われても……」
優しく道理を説かれても、私は素直には頷けない。
だって、騒動を引き起こしてしまった原因には変わりないもの。
「あなたは自分が皆に迷惑をかけたと仰いますが――皆を救ったのも、あなたが成し遂げたことなのですよ?」
と、心を頑なにしてしまった私に、親友がそう告げる。
「そ、そんなことないよ。私なんて、あんまり役に立ってないし……そりゃあ、
項垂れた私がしどろもどろにそう答えると、クレムは堪えかねたようにくすりと笑みを溢す。
彼女の青い瞳が、嬉しそうにキラキラと輝いて。
「そうかもしれませんね。確かに、騒動を終結に導いたのは皆の努力です。ですが、それらの人々を結びつけたのは――他ならぬナオ。あなたなんですよ」
「――へ?」
親友の言葉に、私は驚いて顔を上げる。
すると、みんなの視線が一身に集まっていて。
「あなたが居てくれたから、皆が出会うことができた。あなたが居てくれたから、皆が諦めないで立ち向かえた。
――あなたが居てくれたから、皆が救われたんです」
歓喜に満ちた声で、クレムがそう褒めてくれる。
「な、な――」
とんでもない持ち上げられ方をして、顔が一気に熱くなる。
けれど、羞恥に身悶えする私を眺めるみんなは、楽しそうに肯定の言葉を並べる。
「ナオ。自身が授かった力に、あなたが戸惑っていることはよく知っています。――ですが、以前仰ってくれましたよね。神を信じることはできずとも、友ならば信じることができる。と」
そして、クレムは胸に手を当てると、
「だから、私たちを信じてくれませんか? あなたの成した奇跡に、救われた私たちを」
一言一言に心を込めて、そう訴える。
「…………うん」
清らかで、切なる願いを耳にしてしまえば、私はもう強情を張ることはできなくなってしまった。
やばい、胸が熱くなる。悲しくも無いのに、目がうるんでしまう。
私は懸命に涙を溢すまいと、精一杯の元気を振り絞り、
「わかった。私もう迷わない。――違った。迷ってもみんなに聞くことにする。友達のことなら、絶対信じられるもん!」
心からの笑顔でそう告げる。
私がこの世界に来た理由は、まだ分からない。
神様が何を求めてるかなんて、知る由も無い。
けれど、私がここで紡いだ縁は、疑いようも無く本物だ。
だから、私は友の為に祈ろう。彼女たちとの絆と、歩む道を祝福しよう。
――だって私は、こんなにも恵まれているんだから。
いろんな感情が胸に溢れて、そのすべてが溶け合って幸せになる。
私がこの世界で歩む日々は、まだまだ続いていく。――掛け替えのない人々と共に。
× × ×
峻厳な神の御家は、墓所のような静寂に包まれていた。
人々を導く聖女の立像は深い闇に包まれ、柔らかな面差しを窺うことはできない。
オストバーグ大聖堂をも上回る広壮な堂内は、しかし聖域には相応しくない凝った空気に満たされている。
そして、夜の堂内に響く乱雑な足音。
聖女の御前で不遜な振る舞いに及ぶのは、古びたブーツを履いた若い男だ。
「いやー、見事に失敗したみたいです。もう直接身柄押さえちゃった方が早いんじゃないですか?」
軽薄な男の声が、暗黒に溶け消える。かと思いきや、
「貴様にその裁量は委ねられていない」
低くしわがれた声が、堂内に響く。
闇の奥から現れたのは、黒衣を纏った枯れ木のような男だ。
長身痩躯の男は室内と言うのに漆黒のつば広帽を被っており、その表情は窺えない。
「仔細を報告せよ」
男は底響きするような声で、ブーツの若者に告げる。
「なかなか興味深いモノが見られましたよ」
若者は薄笑いを絶やさぬまま、遠く離れたオストバーグの騒動を語り始めた。
「公爵殿に指図したり、警備隊にそれとなく情報を流したり、いやいや、けっこう大変だったんですよ? 結局警備隊の連中は暴走するし、影から操るってのも難しいですね」
そう若者が告げると、堂内からため息や
闇に包まれた信徒席には、まだ複数の人間が潜んでいるのだ。
「で、確認なんですけど、スプーンの
「そうだ。騒がしい小娘だ」
若者がそう告げると、黒衣の男は静かに首肯する。
「いやぁ、どうもその子、別の
「ッ――」
そして若者の次なる発言に、堂内に潜む者たちは一斉に押し黙った。
「……複数の
「それも、どうやら天然物っぽいですね」
極北の冷気を纏った黒衣の男の言葉に、あくまで世間話のように答える若者。
堂内に立ち込める重い沈黙。
それを破ったのは、第三者の声だった。
「実に興味深いな、少々本腰を入れて探ってみるとしようか」
高く澄んだ、麗しい少女の声が静寂を打ち破る。
しかし、その語調には侵し難い威厳と、幾星霜を経た老人のような狡猾さが匂っている。
「これはこれは、もうお休みになられたかと……」
と、それまでの浮ついた態度を引っ込めた若者が、祭壇前の人影に向って頭を下げる。
黒衣の男も寸時の間を置き、礼を執った。
「もう一仕事頼まれてくれぬか。その娘に興味が湧いた」
「かしこまりました」
聖堂の最奥から呼びかける少女の声に、若者は凛然とそう答える。
そして彼は踵を返すと、堂内を一歩進む。
――若者の姿が霞のように消え去ったのは、次の瞬間だ。
彼の履く古びたブーツが光り輝いたのを、堂内の全ての者が見届けた。
「メードローナの七里靴」の
「諸君らにも、まだまだ働いて貰わねばならない。全ては、世の安寧のために」
闇夜に包まれた聖堂に、少女の声が響く。
黒衣の男は懐の笛を握りしめ、恭しく
堂内に潜む練達の
神の奇跡を授かった者たちの会合は、誰にも知られることなく続けられた。
次章に続く
三章はただいま執筆中です。気長にお待ちください。