1話
突然だがあなたには前世の記憶があるだろうか。
何を急にファンタジーなことを思う人もいるだろうが、前世の記憶があるというのはそれほど珍しいことではない。
ちょっと目の前にある箱で調べてみれば、いくつもの実例が出てくるだろう。もちろんその中には嘘も多分に交じっているだろうが、中にはなるほど確かにこれが事実ならこの人は前世の記憶を持っているという話もでてくるはずだ。(残念ながら一から十まで創作である可能性は否定できない)
サブカルチャーに浸かった人であれば転生の方が馴染みがあるかもしれない。死んだと思ったら目の前に神様がいてなんやかんや理由をつけ、今の記憶を持ったまま次の人生に送ってくれるあれである。(残念ながらこちらは現実でそうであるという人は出てきていない)
ところで前世の記憶持ちと転生との違いを考えたことはあるだろうか。
私は自意識の連続性だと考える。明確に前世の自分が自身であると認識し、今の自分はその続きであると認識していれば転生であり、そうでなければただの前世の記憶持ちだ。
この定義にのっとれば私、仲保義明は転生者である。
しかも死因はトラックに轢かれたことによる轢死。
フィクションでよくある、そして現実にはまずありえない転生トラックによる転生者なのであった。
◆
転生した私が自己の認識に目覚めたのは生後1歳か2歳ぐらいのことであった。
ぐらいというのはその時の私がまともに目が見えておらず、声もうまく聞き取れなかったからであり、さらに言えば時間の感覚もあまりなかった。よくわからないふわふわとした感覚の中で、肉体の欲求に従うまま、眠くなれば眠り、お腹が空けば食べ、気づいた時には3歳の誕生日であった。
そうと気づけたのは目の前にろうそくが3本ささったケーキが置かれ、ハッピーバースデイを楽しそうに歌う男女がいたからである。
ぐるりとまわりを見渡して不思議そうにする私に「どうしたの、よーちゃん?」と女性が声をかけ、理解できない状況にいることに気づいた私は茫然として、手に持っていたフォークを落とした。
子供用のフォークは先っぽから落ちて甲高い音を鳴らした。
◆
転生といえばチートである。
転生するにあたり、神様ないしそれに類する存在より一切の説明がなく放り出された私はそういった何かすごいものが与えられていないか自分で確認をする必要があった。
といっても大した時間もかからずそれに気づくことができた。
私には前世の記憶がある。
いや、より正確に表現しよう。
『私には完全な前世の記憶があり、それを自由自在に思い出すことができる』
記憶というものは元来不安定なものであり、普通に生きているだけでもどんどん忘れていくし、思い出せなくなっていく。
しかし、私は前世の記憶であればどんなに些細な事でも完全に思い出すことができ、その時どんなことを考えていたか、どんな感情だったかまで完全な形で思い出すことができたのである。
幸いなことに転生した先は現代日本(それも前世の自分が生まれたのとそう変わらない時期)であったので、30年生きてきた人生経験だけでも相当なアドバンテージを得ることができたといえる。
このチート能力に私は『完全前世』と名づけることにした。発音は『前々前世』をイメージしてほしい。
なお、残念なことに完全な過去に転生したわけではなかったので、宝くじや株で大儲けすることはできなかった。(テレビで流れた総理大臣の名前が見たこともない名前であった。総理大臣の名前は歴史の教科書とクイズ番組で全て見たことがある)
◆
さて、齢3歳にして転生者として目覚めた私こと仲保義明が何をしていたかだが、端的に言えばキャリアアップに夢中になっていた。
前世の私は大したことのない一般人であった。もう少し細かく説明をすれば、特に夢も理想もなく、一応大学を出て、8年間会社員をして、アニメやライトノベル等のオタク趣味に傾倒した一般人である。オタク趣味の部分で言えば生産者ではなく、完全な消費者であった。
ツイッターやブログを書いたこともない。某掲示板風に言えば私は30年間ROMっていた。
といっても人生の中で一度もそういうことをしようと思ったことがないわけではない。好きなキャラクターのイラストを描きたくなり、その手の指南書を読んだことも一度や二度ではない。だが、実際には、それが実を結ぶ前に投げ出した。なぜかって? それより読みたい本があり、見たいアニメがあり、プレイしたいゲームがあったのである。
勉強や運動についても同じである。生まれ持った才能で無理なく行けるところまでいったら後はべた下り。努力するといったリソースは全て消費活動に注ぎこんでいた。
では、転生したことにより、それまでの人生を恥じ、何事にも全力で取り組むことなったということか。
答えは否である。
単純に『完全前世』によって下駄が履かされたことにより、努力せずできることのラインが高くなったのでそれが楽しかっただけだ。
例えば、私は前世では英語が苦手だったが、一応受験勉強というものをしていたので基本的な単語や文法は全て頭の中に入っている。そのおかげで今世においては常に検索性抜群の辞書を目の前にしているようなものであった。そしてできれば楽しくなってくる。往々にして、人間楽しければどんなことでも進んで行うようになるのである。
運動面についてもそれは同じである。前世においてはろくに運動をしていなかったので、30歳にして肉体は下り坂に向かい始めていたので、子供の体はずいぶん軽く、扱いやすかった。
これについては、前世の同時期と比べても明らかに運動性能が高かったので、丈夫に生んでくれた両親に感謝である。
前世において壊滅的だった芸術面についても、前世で読んだ指南書を常に思い出しながら行うことで人並み程度にはうまくできるようになっていた。
そんなこんなであれもこれもと手を出しているうちに気づけば中学2年生の夏になっていたのである。
なお、友達はろくにできなかった。元来コミュニケーション能力は高くなかったし、自分のやりたいことしかやっていなかったので当然の結果だった。