シルヴァリオ リポーゾ   作:一ノ原曲利

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アマテラスからの旅の果て / Departure

 

 

 銀河の彼方の最果ての。

 されど地球を望む地平線。

 暗雲立ちこむ暗闇の中の中。

 無数に輝く魂の光に囲まれた中で、二人の女が向き合う。

 荘厳な椅子に腰かけた女性は鋭利な瞳から知性を感じさせる。極めて自然体、優雅に足を組みで落ち着いた様子で、正面の女性と相対する。

 相対しているもう1人の女は、背凭れのない丸型の椅子に腰かけていた。ショートに切ろ揃えられた髪が肩口を撫でる。だが纏う雰囲気が異様だった。

 

 諦観と、停滞。

 

 腐りかけの肉が最後に旨味を絞り出そうと必死こいてるような、そんな比喩が似合う。

 いまにも頭からキノコが生えそうな女は、それでも何かを諦めてたくないと言うように、首をもたげ、面を上げる。

 

「やぁ、久しぶりだね須久那。どうだいここの生活は。もう何年経過したか外時間から換算するのは難しいかもしれないが……慣れたかい?」

 

「……なんというか、こう。まだふわふわしてる」

 

「ふわふわ」

 

 クスクスと、可笑しそうに笑う。

 あまり揶揄わないでくれと、睫毛を伏せた。 

 

「私は、死後の概念とかそういうものは一切考えなかった。ああ、一切というのは嘘だ。そりゃ医者として患者のターミナルケアについて考えない日はなかった。だが、こうも死後の生活を過ごしてしまっては、私も考えることがある」

 

「考えること? 何をだい?」

 

 女は問われると、すこし気まずそうに視線を泳がせ、やや抑え気味に溜息を吐く。

 

「……21世紀初頭辺りから、一時的に死後の概念が単一化し神の偶像化が進んだのは知ってるか?」

 

「概念の単一化……ああ、転生のことか、一時期流行ってたらしいね神様転生。あれでしょ? 死んだ主人公の目の前に霊験あらたかな神様が現れて、お前は手違いで死んでしまったから代わりに何らかの特典という名の特殊能力を与えて、ファンタジーやら別の物語に転生して大暴れする筆者の我欲バリバリの古めかしいジャンル。ファンタジー世界に教会ありきとは、作者はみんなキリスト教に毒されてたのかな? まぁ物語を生み出す心理的ハードルは子どもをつくるより低いものだから、そこまで考えたりしなかったんだろう。折角の異世界ファンタジーなんだから、23世紀に台頭した邪神転輪教とか、NEO拝火教とか、科学と叡智の祝福、みたいなぶっ飛んだ宗教を創作すればいいのに、教会教会と馬鹿の一つ覚え。現実の宗教の方がよほど創作染みていた。

 あの頃から文学作品の情緒は失われつつあったらしいね。少し前に悠也が過去のアーカイブを閲覧して熱心に調べていたよ。なんだい、キミもあの手のジャンル好きだったのかい?」

 

「いいや、私はどうもあの手のジャンルは好みでもなければ触れるのも憚られた」

 

「どうして?」

 

「死んだ後に何の罪も何の罰もなく別世界で生きる、という基本概念が、私には受け入れられなかったんだ。同時に、目の前で、生き続けていれば私よりも遥かに社会的貢献を果たせたであろう人間が亡くなっていく様を見届けた身としては、なんでもない人間が転生してまで生きる存在価値があるようには思えなかった。

 ……時には運命に従い、時には運命に抗い、悪行に手を染めて、生き恥晒して、他人に縋って、死ぬ最後の瞬間までありとあらゆる手を尽くして生きるのが人間という種族のライフサイクルだと思っていた。

 しかし、死後に都合よく新たな生を得て別の世界で生きるという考え方が普及してしまうなら、今を一生懸命生きようとする力が失われてしまうじゃないか。それは最早人間という種族が生きる生としては最底辺だ。折角与えられた思考を他の生物のように自動化してしまっては……それはもう、人間ではない。人間の形をした、ただ決められた行動を取るだけの獣だ。

 死んでも好きな世界に行ける、楽しめる、世界を思うがままにできる……そう考えてしまえば、それこそ今の人生が無味乾燥なものに感じられて仕方ない。事実、当時は自殺件数も多かったというじゃないか」

 

「ああ、それについては知ってる。40秒に1人の単位でバタバタ自殺してたんだって? 政治家や国政も相当愚図だったと聞くね、伝染病が流行ったというし、タイミングの悪い……ああ、違うか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──同調するように愚図の思考が有象無象に感染したのか、病原菌みたいに。なんとまぁ、古代の末法思想となんら変わらないじゃないか。人間は病的なまでに堕落を繰り返すね、子孫として恥ずかしい限りだ。

 人類相続の危機……とまでは言わなくても、国家としての存続を危ぶまれたなんてこともあったらしいし。そんな順調にバタバタ死んでくれるなら、地球のエネルギー枯渇も起こらずに済んだろう……エネルギーの奪い合い、互いの生存を賭けて人類同士で第五次世界大戦なんか始めようとは思わなかっただろうさ。

 なんだっけ、『現実はクソゲー』だっけ? それとも『人生はクソゲー』だっけ?」

 

「ある意味、転生という架空の救済が死後の概念として生まれて世界に浸透した結果、結局死んでも何も残らないという無常に直面し、反発するように人類の生存力が強くなり、第五次世界大戦なんてバカげた戦争が引き起こされたのかもしれないな。たかが文学作品、たかが文化の一形態と侮ると()()なるから人間は馬鹿にできない。

 『ペンは剣よりも強し』とは、よく言ったものだよ……ま、科学の発展の過程に生まれた電脳ドラッグのおかげで難しく考える連中は減ったがな。

 ……創作とはいえ一時期転生関連の書籍が本屋の棚を席巻していた時代があったと知ったときは、過去の人間はそこまで与えられたの生を謳歌しようと思わないのかと疑い……軽く、当時の人間に失望した気分だったよ。同時に、カウンセラーはさぞ儲かってたんだろうな、とも思う。風が吹けば桶屋が儲かる、とまで遠くはないが、生に飽きる兆候は精神疾患の一つだからな。私のようなカウンセラーには格好の患者対象だ」

 

 なるほどね。

 女性は、胡乱げな瞳を浮かべる女を眺めて頷いた。そして問を重ねる。

 

「でも、キミが考えていたことはそういうことではないだろう?」

 

 刃物を突き付けられたように、女は喉の奥で小さく呻いた。

 言外に、できれば詳らかに答えたくなかったとも取れる反応だが、先の会話だけでは納得のいく解答には至らなかった。

 なるほど、確かに死後の概念の単一化、神の偶像化はそれなりにショッキングだったことだろう。だがそれはあくまでも過去。遥か昔、半世紀以上前の世界の話だ。

 確かに死後の概念に関する話ではあっただろうが、本筋ではない。本心ではない。核心ですらない。

 

 それが知りたい。

 

 目をきらきら輝かせて興味津々に聞いてくる姿勢に懐かしさを覚えつつ、両手を上げて観念(ホールドアップ)し、口を開いた。

 

「……私が今まで、私の手で延命させてきた患者たちのことさ。

 確かに、すべて私の意思で延命措置を講じてきたわけではない。ちゃんと患者の意思を尊重して手を打った。しかし、延命措置とは時として死ぬ際の激痛を生きながらにして味わっているに等しい」

 

「ああ、なるほど。キミは、神様転生でも異世界転生でもなく、()()死後の概念を知ったことで、葛藤が生まれてしまったのか。今までの行動に。抱いていた信念に。可能であれば患者のどんな要望にも応えてみせて、どれほど生命の維持が難しかろうとも生かし続けることを。

 自分が、医師としての道を誤っていないのかと」

 

 女性は、目の前の女が心理カウンセラーとしての職務を全うしていたが、初対面での自己紹介では医師を名乗っていたことを思い出した。

 今日日、医師を名乗る人間を目にしたことがなかったから酷く鮮明に思い出せる。新鮮で、斬新で、それこそ絶滅危惧種を見つけたときのような気分だった。

 

「……なぜ世界から医師が消えたか、知っているか?」

 

「医療に携わるもののすべてがオートメーション化されたからだろう? 結果、世界に残った医師という『職種』を名乗る人間は世界でも極数名、あとは心理カウンセラー崩れの学者共が唯一食っていけるようになり、かつては安定職とさえ揶揄されていた医療職の関係者のほとんどは路頭に迷うこととなった。21世紀初頭にあった映画のような設備が、26世紀には既に現実になってたわけだからね。確か、『オデッセイ』だったかな?」

 

「『プロメテウス』だ。孕まされたエイリアンの子を子宮から取り出す緊急手術で使った全自動手術装置だな。

 ……『da() Vinci』(ヴィンチ)から始まった手術支援ロボットの歴史は、医療AI搭載型手術装置『GENERAL』(ゼネラル)の完成で帰結し、25世紀には一般家庭にも普及するまでに至った。わざわざ病院に行かなくても診察してナノマシンを注入し、時に手術もできる。まさに医者いらずの平和な世界だ。

 そも、21世紀初頭から医師不要論は提唱されていた。疾病と症例をすべてデータバンク化し、読み取った患者の身体に合わせてミスのない機械の手で施術する……どのみち、大抵の手術は麻酔で患者の意識は落ちるんだ。手術する奴が人間だろうと機械だろうと変わらない……イヤ、むしろ不確定要素を多く孕む人間の方が気が気じゃないだろうな。医療器具を身体の中に残したままなんてしょっちゅうだったし。

 悪いが、医師を名乗る私でも26世紀の常識に犯された身としては人間にメスを持たせるなんて断固拒否しよう。どうせ医療ミスをしても責任の擦り付け合いが関の山だ。人間は二度とメスなんぞ持つな、手術室に入るな。正直言って、邪魔者以外の何者でもない」

 

「キミ、過去の名医に罵倒されるぞ」

 

「過去の人間が吐く罵倒などあるものか。人間五十年、死ねばそれまで。どれほど死者の人権について取り繕うとも、現在の発言権を持つ存在は生者のみ、だろう?」

 

「そうだね。じゃあ私たちにも何ら発言権はないわけだ」

 

「……」

 

 指摘され、言葉に詰まる。

 何か言おうと口を開くが、果たして紡ごうとした言葉が何に対しての反論なのか、何に対しての意見なのかわからなくなってしまったのだ。

 死者であることは間違いではないだろう。

 だが、現実への干渉ができない存在なのかと考えれば、わからないと答える他ない。少々、自分たちは曖昧な存在になりつつあるのだ。

 それこそ半世紀前に流行った転生とは違うが、死後から消滅までの間のモラトリアム期間と捉えられなくもない。

 

「ねぇ、もう諦めないかい? 幸いにも今私たちは死人だ。体もなく魂だけが存在を認識している。精神的ケアという点もなくはないが、キミの役割はもう終わりだろう。生前十分頑張った、もう休んだっていいんじゃないか?」

 

「いいや?」

 

 即答。

 しかし、それは違うと。女は首を振って否定した。

 

「死後の概念があることには驚いた。死後がこんなに安らかであるとは知らなかった。

 で? だから? その程度のことが私の信念を否定することにはならない。確かに延命を望んだ患者は激痛に悶え苦しんだのだろうが、その痛みさえも患者が望んだことだ。そして私は彼らの生きたいという意思を尊重し、手を尽くした。いずれにせよ、医師の本懐を為していることには変わりない。

 人が傷付いたなら、私が診て、私が治す。私にしかそれができないなら、私だけが、人を治せればいい」

 

「………ふふふ、矢張りキミは馬鹿だな。おまけに類を見ない強欲ときた」

 

「強欲であることを否定するつもりはないが、馬鹿とは失礼なことを言う。自分が天才だったらそれ以外は馬鹿と罵倒していいとでも思っているのか? これ、以前もお前に言ったぞ」

 

「く、ふふふふ…ああ、そうだな。イヤ、これは失言だった。キミを馬鹿呼ばわりするには言葉が足りなかったな」

 

「と、言うと」

 

「何、底なしの医者狂いということさ。患者の幸福よりも、自身の医者としての職務を全うすることを生き甲斐とし、生業とし、幸福を感じている。手段と目的が逆転しているのさ。だがまぁ……」

 

 くすりと、悪戯っ子のように屈託なく笑って見せる。

 揶揄う訳でも、小馬鹿にしている訳でも、ましてや呆れている訳でもない。

 人として、1人の友人として、共に生きるに値する人間として。

 心から、拍手を贈る。

 

「実にキミらしいよ。兄もお前の実直なまでのその姿勢は称賛に値すると言っていた」

 

「何を言うかと思えば。医師としてのスタンスが称賛されるだと? 三流もいいところだ。姿勢などどうでもいい。問題は、その医師に罹った患者が幸福であるか否かだ。腕と知識は一定の水準だとしてな」

 

「実に天邪鬼で論理破綻しててストイックなところもキミらしい!」

 

 ああ、こいつはダメだな。小さな呆れも芽生えた。

 ある意味、狂人とはこういう人間のことを指すのだろう。だがあの施設にいた連中は皆そうだったと思い返す。

 

 常人とは、どこか乖離してしまったからこそ秀でた。だから選ばれた。彼女も、医療スタッフとはいえその常人の域を超えた腕と、思考を兼ね備えていた。

 それだけのこと。

 それだけの、こと。

 

「……なぁ、御先

 

「なんだい?」

 

「私を呪ってくれ」

 

 

「……は?」

 

 

「イヤ、私も何を言っているんだろうな…忘れてくれ」

 

「オイオイ、オイオイオイそんなこと言わないでくれよ。今生の別れかもしれないのに、生前のキミは言わなかったようなそんなに意味深な話を切り出しておいてやめるのかい?」

 

「それだよ」

 

「ん?」

 

 首を捻る。

 女性は丸椅子から重い腰を上げるように立ち上がり、椅子を隅に転がした。もう二度と、座ることはない。座る者はいない。

 この場から去るという、一種の宣言も込めた行為。

 

 倒れた丸椅子は転々と無様に転がり、やがて消える。

 代わりに現れたのは、人間1人乗せられる程度の大きさの小さな舟だ。

 

「それだ、今生の別れ。そう、いま私はお前とも、彼らとも別れ、この後先見えない広大な星海に旅立とうとしている。だから……その……なんだ、先立つものが一つくらいあってもいいだろう」

 

「それで、呪いかい?」

 

「ここに来るまではオカルトの類いを信じるつもりはなかった、だが死後の概念が存在する以上、この状況ではもう認めざるを得ない。目の前に広がってるものだし、夢でないことは既に証明されてしまった。

 そこでだ、かつて船乗りはまじないを唱えてロープの結び目を解くという風習があっただろう。航海の安全祈願だ」

 

「ああ、あったね」

 

「海という場所は逸話も多く、それ故に呪詛も濃い。人智の領域ではないからな。ましてや私が漕ぎ出すのは黄泉路の海だ、謂れのない呪いを授かるくらいなら、顔見知りから前もって貰っておいた方が気がせいせいする。既に呪われているなら、海の呪いも諦めてくれるだろうしな」

 

「キミはたまにおかしなことを言うな、呪いを与えられることが前提かい」

 

「それくらい危険な橋を渡ろうとしていることは私でもわかる」

 

 小舟は木造。一応浸水、沈没しないようにしっかりと隙間は埋められている。

 しかし、これから考えられる永い永い航海に耐えられるものかと問われれば、怪しいものだ。

 

 そも。

 この航海が、果たして人類に可能なのかと問われれば誰もが否だと答えるだろう。物は試し、と言いたいが、成功する保障がどこにもない実験に片足突っ込もうなどと酔狂を抜かす人間はいない。

 死後の世界での死は、完全消滅に他ならないからだ。

 ならば危険な橋は渡らず、いつか終わるかもしれない終焉に怯えながら引きこもるしかない。

 

「いや、実は少し浮かれてるのかもしれない。

 ワクワクしている、とでも言うのか。子どもの頃、降り積もった真っ白の新雪に足を踏み入れるときに感じた好奇心と似ている……ああ、私は雪の降る地域で生活したことがなかったな。すまない、冗談だ。

 オケアノスを目指したアレキサンダー大王をはじめ、ディオゴ・カン、バルトロメウ・ディアス、クリストファー・コロンブス、ガスパル・コルテ=レアル、ヴァスコ=ダ=ガマ、ペドロ・アルヴァレス・カブラル、フェルディナント・マゼラン……かつて、ロクに科学の発展がなかった大航海時代に偉業を成し遂げた探検家は、こういう気分だったのかね」

 

「ああ、一部は国王の無茶ぶりにイヤイヤ応えて仕方なく遠征したらしいよ。それこそ予算ギリギリでね」

 

「……ん? 航海してから報奨金を国から貰えるんじゃなかったか、当時は」

 

「援助せずに航海できるものかい。大抵は高名な貴族が探検家を雇って援助するものだ。つまり、私が探検家となるキミに呪いという名の援助をするわけだ。

 しかし、そんな呪いを受けてまで成し遂げたい使命でもあるのかい」

 

「ここでは私の生きる価値は見いだせない。ならば、私が私らしく生きていける最果ての大地を探すべく行動した方が遥かに有益だ。違うか」

 

「……いいや、違わない」

 

 きっと止めても聞かないだろうな、という予感があった。

 同時に、この会話が最後の逢瀬になるだろうという予感もあった。

 仮にもしこの予感が裏切られることがあれば、それは女性にとって望外の喜びであり奇跡に近しいものだろうし、しかしだからこそ決して叶うことはないのだろうという予感がある。

 彼女がここを去る、という事実に心ひとつ動かないと言えば、ウソになる。だが、心の底から彼女の朋友で在り続けるならば友の門出を祝わない訳にはいかないだろう。

 星の内海へ小舟を押す背に手を伸ばしかけて、抑える。

 

「ああ、私の参政権はお前に移譲するよ。お前の考えることはだいたい正しいからな。多分その場にいても私は便乗するだけだろう」

 

「っと、なんだい折角呪いを授けてやろうとしたってのに! タイミング悪いな!」

 

「イヤ、なんだ、大事なことだろう? 多分。今後のここにとっては」

 

「いやまぁそうだけど」

 

 毒気を抜かれた女性はがくりと肩を落とした。

 あまりシチュエーションに興じるのも考え物だな、と思うが、恐らく雰囲気をぶち壊して我を突き進む傑物も、舟に乗り込んでいる女以外は存在しないだろうと思った。

 

「……コホンッ。では、九条 御先の名のもとに、呪いを授けよう。

 

 

 

キミは、永遠に満足しない

 

 

 これが、私が贈る呪いだよ」

 

 ふふんと鼻を鳴らして宣言する。どうだ、ざまぁみろと。いまならやっぱやめたと言ってもいいんだぞと。

 淡い期待を込めたつもりだが、与えられた当の本人は怪訝に眉を顰めるだけだった。

 

「……それ、呪いになるのか?」

 

「え?」

 

「人間が生きている間に満足することなんてそうそうないだろう。そりゃご飯を食べて満腹になるとか、セックスして性欲満たされるとか、そういうのはあるだろうが」

 

「ん、え、じゃあ何かい? キミはいままで満足したって実感は」

 

「ない。人生なんざ不足と不満の連続だ。どれほど手を尽くしたところで自分が満足なんて高尚な領域に辿り着けることはない。延々とああすればよかった、こうすればよかった、こうしたらどうだっただろうかと考え続け、次はああしよう、今度はこうしようと考え、実行する。それでも欠陥は見つかる。だから次はその欠陥が少なくなるように努力する。

 生憎だが、私の人生に満足なんて実感はなかった」

 

「……自分に厳し過ぎでしょ、それ」

 

 そういえば、と。

 研究所で見る彼女の笑顔を、一度たりとも見た覚えはなかった。満たされたと、満足したというような情動を、女から感じたことはなかった。

 どこまでも無機質で、しかし忠実に。

 どこまでも無感動で、だからこそ冷静に。

 研究職員のカウンセラーという職務を、全うしていた。

 

「ん? 他の連中は、簡単に満足できる連中だったのか?」

 

「ああ、私たちみたいな人外は除くとしても、だとしても他の人間はテキトーに妥協点を見つけて満足してるよ」

 

「そうか。…………じゃ、またな」

 

「え、今の流れで行くのかい!?」

 

「なんだ、まだ言い残したことでもあるのか。言っとくが、もう呪いは貰ったつもりだぞ。クーリングオフするつもりはないが、これ以上貰うつもりもない。積載量オーバーだ」

 

「えぇー……」

 

 感動の別れもへったくれもない最後。

 しかし、それこそ私たちらしいと、女は小さく笑った。舟に乗り込み内海へ漕ぎ出す女へ、別れの手を振った。

 

「さようなら、須久那。キミの航海の無事を祈っているよ」

 

「ああ。そっちも大変だろうが、頑張ってくれ。応援してる」

 

「っていっても、大変さでいうならそっちの方だろうね。あっちに辿り着いたところで記憶はないかもしれないよ」

 

「そうなのか」

 

「うん。あぁ。そうそう。聞きたいことがあるんだけど」

 

「……手短にな」

 

「キミは人間が何度も生きて死んで、輪廻転生を繰り返すべきだと思うかい?」

 

「それが世界の法則なら従うしかない。が、個人的な感想としては、生きるも死ぬも1回で十分だな。2回目は色々と面倒が付き纏うから、1回が最善であり最良であり最適だろう。人間という種族は、そこまで生と死に耐えられるほど丈夫ではないし、都合のいい()()()にはなっていない」

 

「そうか。じゃあ、最後にもう一つ。

 輪廻転生による生と死を繰り返すのがイヤなら。永遠に生き続けるとしたら、どう?」

 

 小舟に乗って振り返った女は、つまらなそうに鼻を鳴らして答えた。

 

「決まってる」

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「……ん、え、あれ。朝か」

 

「お兄様?」

 

「ん、ああ。おはようロール。また勝手に潜り込んでたのか。いい加減自分の布団で寝なさい、またヴァリンに叱られるぞ」

 

「んー、だってお兄様の温もりを感じてたいんですもの。いつも厳しいんですから、少しくらい甘えてもいいでしょう?

 それにお兄様、寝苦しそうでしたわ。悪い夢でも見たんですか?」

 

「……夢? ああそうか、眠りが浅かったんだな。レム睡眠状態でまた寝てたのか。夢、夢……うーん、何も思い出せないな……何か、話してたような気がしないでも…」

 

「兄様? おはようございます。起きてますか──って、ドゥラスロール! あなたまたっ、はしたない真似して!」

 

「あらヴァリン(あお)お姉さまおはようございます? 今日もいい目覚めでしたわ。羨ましいでしょう?」

 

「これはドゥネイルに密告して折檻コースですわね…そして兄様! はやく起きて顔洗ってくださいまし! 朝飯冷めてしまいますよ!」

 

「ああごめん、今行くすぐ行く。朝一で予約入ってる患者はいるか?」

 

「いいえ、今日の予約はいません。いつも通りカンタベリー村落の往診です。夕方はアンタルヤの商人からの物資が届く予定です」

 

「わかった。ちなみに今日の朝ご飯は?」

 

「シーザーズサラダとベーコンエッグとオニオンスープです。パンはお好みでどうぞ」

 

「ありがとう──さぁて、朝食は一日の活力の源だ。食べて、今日も頑張ろう」

 

「「はい!」」

 

 

 

 

 

 





 謎時系列
 SFって現実的に想像の幅を広げる面白いジャンルだ、ある程度の根拠と信憑性があってこそ現実感が沸く

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