「クソがッ!どいつもこいつも糞だ、俺を虚仮にしやがって……そうだ、アイツがやったんだ。アイツが居なきゃ今頃俺は……あの野郎、許せねぇ……それに景気よく雪なんか降りやがって!全部あの野郎のせいだ!」
深夜のロンディニウムの路地裏で、病衣を纏った男は誰に届くでもないつぶやきを発しながら歩いていた。
「ダリルもサッチェもトチッちまいやがって……まぁ俺もだが……兎に角親父だ、親父に連絡しねぇと……」
男は手ごろな公衆電話を見つけると乱雑にコインを入れてボタンを押した。だが回線が繋がる様子はない。
「……流石に親父に直接は繋がらねぇか……分かってた。分かってたさ……」
その後男はいくつかの番号に連絡をしたようだが、どれも繋がる様子はなかった。男の苛立ちは加速するばかりであった。
男は自らの病室から逃走するにあたり、ある書類も共に強奪していた。それは男の今後を左右するものであった。燃やせるのであれば楽だろうが、ライターは持ち合わせていないし、そもそも何で出来ているのかすら分からないこれを、ライターで燃やせるかは分からなかった。
「俺がまだここに居る以上、他の連中は分からないがウチはまだロンディニウムに残ってる筈だ……親父が俺を捨てるわけがねぇ……」
男の顔は蒼白だった。雪が降っているのもその一因となっているだろうが、原因の大半は自分が捨てられたのではという疑念からだった。シラクーザのマフィアは弱肉強食だ。一度崖から落ちてしまえばそれまで。しかし男は彼のボスが、彼を捨てるなどという想像をしたくなかった。
ジリリリリリリrrrrr……
不意に、公衆電話が鳴った。すかさず男はそれを手に取った。藁にもすがる、それが今の男を形容するのに最も適する言葉であるかのようだった。
『よう、ヒッグス。……どうした?俺はまだ何も喋ってねぇってのに、そんなに震える事はねぇじゃねぇか。なぁ?』
「……す、すいません。雪で身体が少しばかり冷えたようでして」
『そうか、なら良い。……さて、俺がなんでわざわざお前に連絡をしたのか、分からんほどお前は馬鹿ではあるまい。ん?』
「は、はいッ!」
『ヒッグス、それはお前の美点と共に大いなるお前の悪い癖だ。要件を何も言っていないのに頷くんじゃねぇ』
失敗した、と男――ヒッグスは思ったが、それに頭を悩ませるほど彼は馬鹿ではなかった。
「失礼しました、ボス……では、俺はいったい何をすれば」
『そうだな……お前は喧嘩を売っちゃぁいけねぇ奴に売っちまった。お前には悪いが、もうウチにお前の居場所はねぇ』
「そんなッ……!?いえ、取り乱してすいません……」
『慌てるなヒッグス。まだ話は終わってねぇ。ウチにお前の居場所はねぇと言ったが、それはあの……白いババヤガーが居なけりゃ問題のない話だ』
「白い、ババヤガー……?」
『お前が喧嘩を売った相手だ。全く、とんでもない奴に喧嘩を売ったもんだ。胆力だけは認めてやらねぇとな。それが例え無知からくるものであっても』
ヒッグスは自らのボスが恐怖している事を、電話越しに感じた。とんでもない事をしでかしてしまったらしい。しかし彼は恐怖することは無かった。恐怖してしまえば終わり、という事を本能で理解していた。
「あの、あの男ですか……」
『そうだヒッグス。あの、男だ。さて、話を戻そう。ロンディニウムにはまだ俺の部下が残ってる。北東の方に行けばアジトも見つかるだろう。お前はそれらを好きにしていい。そいつらのボスはお前だ。おめでとう、これでお前も晴れてシラクーザのマフィアの頭領って訳だ。……だがウチの名前を出すんじゃねぇ。絶対にな』
「ま、待ってくれ!」
電話は切れていた。ヒッグスはこれからどうするかを考えはじめた。あの男を殺すのは確定事項だったが、それ以外の問題もあった。
「結局、これについては何も言われなかったな……」
手元の書類をヒッグスは見やった。そうだ、まだ何とかなる可能性はある。ボスに気づかれていない可能性がある以上、何らかしらの方法でこれを隠す必要があった。
「駅前になら、ロッカーがある……」
雪の降る夜の中、ヒッグスは一歩を踏み出した。
さて、彼には酷な話かもしれないが、ファミリーの首脳部は彼が鉱石病に罹っていたことを知っていた。つまるところ首脳部は、いっそのこと、彼と共にファミリーの癌を失くしてしまおうと考えたのだ。シラクーザという土地柄もあり、ファミリーには頭の弱い者も多い。そしてファミリーのこれからを考えたとき、それらは全くもって不要なものだった。
運よくあの白いババヤガーを殺せたのならファミリーに箔が付き、失敗したならファミリーを浄化できる。それが首脳部の思惑だった。
「よろしかったのですか?」
「何がだ?」
「ヒッグス様のことでございます」
「アイツはもうウチとは関係ない。そうだろ?……まぁ、これを乗り越えられたら本当に後継ぎにしてやっても良いかもしれんが」
電話機から離れ、深々とソファに座った男は側近にそう答えた。
「登竜門、という事でしょうか?」
「おいおい、俺がそんなに優しいヤツに見えるのか?」
「貴方様はいつも寛大ですとも」
切り出した葉巻に火をつけて、深く吸いこむ。それが男の心を落ち着ける所作だった。
「相手はあの白いババヤガーだ。残念ながら、な」
「確かに奴は脅威でしょうが、そこまでおびえる必要があるのでしょうか?」
「お前も分かってねぇのか。奴の恐ろしさを」
「申し訳ありません」
「良いか?確かに相手は男一人だ。だがこの世界にはアーツってもんがある。そして誰も奴のアーツを知らない」
「ひょっとすると、使えないだけではないでしょうか」
「まぁ、もしかするとそうかもしれねぇな。だがよ、アーツが使えないなら、それはそれで異常だ。そうだろ?」
曰く、そんな奴が居るわけがないと奴の住処に襲撃をしかけた馬鹿共が次の日に遺体で全員発見された。曰く、奴の襲撃を受けたアジトがあった場所に向かうと、死骸と残骸が雪の下に隠れるまで破壊されていた。曰く、裏の世界から出ていくために無理難題な依頼を請け負い、それをたった3日で達成した。曰く、曰く、曰く……。
「ウルサスのマフィアがメンツの為にも誇張して表現しただけでしょう。我々までもおびえる必要は……」
「良いかマクゴシアルムス?俺は勘が良い方だ……その勘だけでこの地位に立っているといっても過言ではない……その勘が言ってるのさ。ヒッグスはとんでもねぇ奴に手ェ出しちまったってな」
マクゴシアルムスと呼ばれた側近は否定しようとしたが、自分が仕える主人は非常に運が良いのは確かだった。
「俺は奴から手を引く。例え実の息子を切り捨てようとも。親父から受け継いだこのファミリーを守るのが俺の仕事だ」
それはマフィアのボスとしての決断であった。
「なに、家族を見捨てるのが最低な事だってのは理解してるさ。だが最近のウチはどうにも礼儀のなってないヤツが多い。家長としてのお仕置きって奴さ」
男は自分に言い聞かせるようにそう言うと、マクゴシアルムスにボトルとグラスを取ってくるように伝えた。
「承知いたしました」
マフィアのボスにしては質素な部屋の中で、男は深いため息をついた。
「鉱石病に罹っても、誰につけ狙われようとも、守ってやるのが親の務めだと、そう思っていたが……俺には無理なようだ」
鉱石病に罹っているのであれば後継ぎにしても無意味ではないか!幹部にそう言われた事を思い出し、男は深くため息をついた。
「ヒッグス……馬鹿な息子よ。無理だとは思うが、お前が帰ってくるのを願っている」
葉巻を灰皿に深々と押し付けて、男は目を閉じた。
ウルサスの子供たち……良かったですね……