一体全体、何だと言うのか。
調子が狂わされっぱなしだ。
自分はこんな風じゃない、そもそも言い寄ってくるような男は初めてじゃないだろう。それなりに容姿に自信はある、褒められるのだって初めてじゃない。
もっとも、特定の個人と深い付き合いをしたことなどない。そんな下らないものに時間を費やすなど嫌だった。
誰も、一枚顔の皮を剥げば見えるのは欲望。そのはずだ。
だから誰も信用するな、誰も助けてくれはしない。一人で生きていける。
誰もこの心を知りはしない。
同様に、誰かの心も知りはしない。
そのまま冷徹に、自分を振るまえ。騙せ、欺け、おのれでさえ気づかないほどに。
知らない、知らない、知らない。
こんな感情は錯覚だ、一時の気の迷いだ。大体この男頭おかしいし、絶対ありえないし。
──だが、人生で初めて助けてもらえた……ような。
人とのつながりは限りなく薄く、細く。会話と仕事が出来れば社会では生きていけるし、何だって買える。
家族はいない。ずっといない。
仕事柄、親しい人は少なければ少ないほどいい。いないならなおよし。なら完璧、無駄がない。
ラテラーノの栄光と繁栄だってさ。そんなことどうでもいい。
だが皮肉にも、自分のようなサンクタが一番貢献しているんじゃないだろうか。
その手段が殺しというのは、神の国にあってこれ以上ないほどの皮肉だとは思うが……ざまあみろ、とも思う。
別にレンジャーって言っても、自分は特に独立気味だった。単独任務が主で、狙撃銃を構えて撃つだけ。
そのスコープの向こう側に、人型の肉袋を捉えて、それが誰かも知らないまま。その罪にも見えないフリをして。
どうでもいい。人の痛みも苦しみも、生きてりゃそりゃ……辛いことの一つや二つ、救えない痛みの十や二十もあるだろう。
それを抱えながら、生きづらい世界を生きていく。それが人生ってものだろう?
──────何のために?
別に、あんたの知ったことじゃない。そんなの何でもいいっしょ。
でも逃げたら負けだ。死んだら負けだ。
この世界に負けたってことだ。
そんなのは絶対に嫌だ。そんなだったら、どうして今まで生きてきたか分からなくなってしまう。
……大丈夫、あたしはまだ理解してる。
他人なんてみんな潜在的には敵だ。いつ裏切るか分かったものではない。
国にあだなす人間、裏切った人間を大勢始末してきた。どんな結末になるか知ってる。
どうしてわざわざ理想に死ぬことがあるだろうか。
別に、耐えていればいいのに。
だから大丈夫、あたしはちゃんと分かってる。惑わされるな。
あたしを裏切らないのは、あのマンションの一室のベッドだけだ。
エクソリアに残ろうなんて考えるな。リスクが大きすぎる、早くラテラーノに帰るべきだ。帰りたい。もっと文明的で発展した、煌びやかな生活に戻りたい。こんな一時の気の迷いでこれまで積み重ねたものを台無しにすることなんてありえない。
よしおっけー。心のセット完了。気の迷いが晴れてくれた。大体あんな一言でこんなに揺れてるなんておかしいし、ありえないし。
「どうしたの、アンブリエル」
反射的に背筋を伸ばしてしまう。
顔に血が集まって熱を持つ。
ああ、もう!
*
難民居住区。
エクソリアから流入してきた難民のために連邦政府が急遽用意したキャンプ。
テスカ連邦は岩の多く混ざった山に囲まれた国で、開拓はそう進んでいるものではない。古くからの生活様式に則った棚田や高地栽培、動物の狩猟が主な食糧生産の手段。
よって、広い場所の確保が難しかった。
あてがわれたのは、街の外れにある瓦礫の地。テスカ連邦成立以前にとある部族が生活していた場所。だがテスカ連邦の統一のための戦争で滅び、手付かずのままほったらかされていた場所。
崩れた木造の街、路傍に倒れた木。腐りかけた家々。それが、難民たちの今の住処。
突貫工事で補強された屋根の一部分がだけがやけに目立っていた。
「……ひどいな。まるでスラムだ」
難民たちの手によって屋根はトタンが貼られ、炉端では髭を伸ばしたままの男が座り込んで、質の悪い酒瓶を片手にぼんやりとこちらを見ている。
ボロボロになった自転車がそこら中に停められている。
ひどい臭いだ。
「エクソリア難民、か」
北部軍による南部ゲリラ一掃作戦、ブラストが全てを失ったあの日。あの辺りからエクソリアを脱出し、周辺諸国へと逃げていく人々が増加していっていた……らしい。特にレオーネが発足し、声明を発表した時がピークだったという。
徴兵や食料不足、戦禍から逃れるために──。バオリアを奪還してからはめっきり難民の流出はなくなったが、それ以前は異なる。
レオーネという訳の分からない組織が、まだ戦争を続けて国を追い込もうとしている。それが国民の大半の考えだった──バオリアを実際に奪還し、食料問題を改善させるまでは。
この難民居住区に住む人々は、そういう人々。
国を逃れれば、よい暮らしが得られると考えた人々。
そして今、国から見捨てられ、程のいい低賃金労働で一日をやり過ごしている。
経営者にとってはこれ以上ない好条件だ。安く使えて、数がある労働者。すぐさま彼らを工場に雇い入れ、労働法で定められた最低賃金を割る賃金で長時間働かせた。明確な経営者側の法律違反であり、犯罪だったが──。
それに文句を言える難民などどこにもいない。
経営者につかみかかった難民の若者が、不満があるならば辞めろと言い放たれてからは、もう同じことをいう人間は現れなかった。
高級スーツを着込んだ男を殴り倒した難民の若者は警察に引き渡されてもう戻ってこなかった。
地元民にとっても都合が悪い。市街でのサービス業などに従事している国民はまだしも、工場などの替えがきくような職種にとっては大打撃だ。
難民たちに、自分たちの仕事を奪われる。
地元民は法に則ったまともな賃金を支払われていた。だがその割に大して働かない──。
だが難民は違う。やれと言われればどんなきつい仕事も文句一つ言わずにやるし、安く雇えるし長時間働く。最高の労働者だ。
金で動く資本家や経営者が、どちらを選んだのかは明白だ。
難民が流入し始めてから、テスカ連邦の失業率は増加していき、その割に企業の挙げる利益は増加していった。
そして国民全体に難民への悪感情が募っていく。
それは難民にとっても同様だ。無理な長時間労働で体を壊すものも続出していたし、行き場のない難民たちは不当な低賃金に対して文句も言えない。
警察は取り合ってくれない。資本家による根回しで、難民たちの苦しみは黙殺されていた。
そこに最悪の一手。昨今の天気が悪く、食糧生産量が大きく落ち込んだ。食料は高騰し、国民でさえ飢えに苦しむものが出てきた。
テスカ連邦は森林や山の占める面積が高く、開拓が進んでいない。そのため、食料自給率は自国民を賄うので精一杯。エールはこの国に慣れていないため気がつかなかったが、露店での食べ物の値段は普段の二倍近くまで跳ね上がっていた。
結果、難民たちに飢餓が襲い掛かる。
エールは辺りを見回した。
人の気配が少ない。
いたとしても……頬がこけ、薄汚い服に身を包み、光のない目をした人々しかいない。
ふと、ずっと沈黙を守ったまま後ろについてくるアンブリエルが気になった。
「どうしたの、アンブリエル」
「──うぇ!? い、いや……な、なんでもないし……。こっち見んなっ」
「……」
さっきから上の空だ。考え事に夢中らしい。
政府の立場は複雑で、難しい。
人道支援の観点から難民たちを救わなければならないが、どこにもそんな金はない。そもそも難民居住区を設立するための資金は国民たちの税金から出されているというのに。
飢えの原因は非常にはっきりしている。食べ物を買うための金がない、あるいはそもそも食べ物がない。
難民含めた国民を食べさせるために十分な食料が不足している。
周辺諸国からの輸入を含めても難しい状況にある。山に囲まれたテスカはそもそも貿易に向かない。輸送コストにより結局高額になってしまう。
「──別に、それほど飢餓が深刻なはずはないんだ」
「え? ごめん聞いてなかった。もっかい言ってー」
「……めちゃくちゃシリアスなんだけどな。この国の現状の話ってヤツさ」
「あー、うん。まー……国民感情ってゆーやつじゃね? そりゃ飢餓で死んでる人もいるけどさー、そんなの五十人も居ないって話だったはずっしょ」
「そうかもしれない。だが……この先どうなる?」
「手詰まりねー。多分、難民が排斥されて終わるんじゃね?」
「……。エクソリアに帰らせることはできないかな?」
「──え、何あんた。まさか助けようとしてんの? 今そんな余裕あんのー?」
エクソリアには、確かに彼らの家がある。
だが遠い。あまりに遠い。車で一日中走り通してやっと到着できる距離。歩けば何日かかるか、その間彼らの体力は持つか。安全は、食料は。
エクソリアからテスカに来る時はまだ可能だった。
「行きはよいよい、帰りは──」
「地獄、よ。帰れないっしょ。何千人居ると思ってんの、難民たち。エクソリアに辿り着く前に死ぬのがオチよー」
意識的に冷徹に徹するアンブリエルと、まだスラムのような難民居住区を見つめるエール。
山越え谷越え、エールたちは車を飛ばすだけだが……。
彼らはそんな移動手段を持っているのだろうか。
エクソリアでは人々はスクーター、あるいはバイクを所有している。そう珍しい話ではない。それで帰ればいいと考えた。
難民居住区を見た。壊れた原付のパーツが転がったまま放置されている。
……そうか、取り残されたのか。
この場所にいるのは、逃げる手段を持たなかった人々だ。エクソリアに帰る手段を持った人々はとっくに帰ってしまったのだろう。
飢餓……ではない。彼らを殺すとしたら、何か別の──……。
そう、もっと別物だ。
言ってはなんだが、彼らを取り巻く状況はあまりいいとは言えないが、究極的に悪いというほどでもない。
「でもいーんじゃない? 食料問題はキツそーだけどさ、みんな死ぬほどじゃないっしょ。せいぜい一割も死なないって、企業としても難民たちに死なれるのは困るしさー。いざとなればなんとかなるって」
そうかもしれない。
今更正義面して、彼らを苦しみから救ってやりたいなどとほざくつもりもない。そんな力はエールという個人が持つ力を逸脱している。
国民の不満も、難民たちの苦しみも、いずれは時間が解決する。法整備が進み、難民たちの賃金が底上げされる時は必ず来る。その時大概の問題は解決されるだろう。
だが今じゃない。
それよりも、一つ大きな分岐点が差し迫っている。
スーロンのトップ、フォンの言葉。
──あんたはどうするつもりだ?
どうする?
どの立場で?
目的を見失うな、僕がやるべきなのはそんなことじゃない。銃が手に入ればどうだっていいはずだ。誰が傷つこうと死のうと知ったことじゃない。僕にはやるべきことがあるはずだ。こんな国の事情など知るか。
だが……足は勝手に動いてしまう。
「ちょ、どこ行くの」
「……ここからは、僕の極めて個人的な事情による行動だ。別に着いてきたければ来ればいい。帰りたかったら車を使っていいよ、構わない」
言い残して難民居住区の先へ進んでいくエール。
残されたアンブリエルは──。
「え、ちょ待って……ああもう、何なのよー……」
慌てて着いて行った。振り回されている自分に気がつき、こんなはずじゃないと必死に言い聞かせながら。
遠巻きに、アンブリエルは眺めている。
珍しく、全くの微笑みを浮かべない無表情で、難民たちと話しているエールを壁に持たれながら眺めている。
「──生活は、辛いですか」
「まあなぁ。だが生きていけねえほどじゃねえさ。腹は減ってるが、死ぬほどじゃねえよ」
「そう、ですか……」
「ん? ああ、あっちで転がってるヤツのことは気にすんなよ。バカなやつさ、女遊びで身を崩しちまったんだ。こんな状況でよぉ」
ちらり、と。視線の先に見えたのは倒れた男。
「だが生活は外から見えるほど悪いもんじゃねえんだ。助け合いながら、なんとか生きてる。なあ!」
「あら何? お客さん〜?」
男の声につられて、家の中から何人も人々が出てくる。
「珍しいわね〜、観光客? 言っとくけど、この場所に見るものなんてないわよ」
「いえ、僕は……」
「この場所を見て周りてえんだとよ。悪いやつじゃねえ」
「あらそうなの? 物好きねえ、わざわざこんな場所まで来て」
「ニイちゃん髪真っ白だなぁ。それじゃ目立つんじゃねえか、ハハハ!」
「騒がしくて悪いな。ま、政府の連中でもねえんだ、できる限り持てなしてやるさ。こっちだ」
黙ってついて行くエールと、珍しい来客に楽しそうな難民たち。
厳つい顔の男が家の中からコーヒーを運んできてくれた。プラスチックのテーブルに置き、エールを木組みのボロい椅子に座らせる。
「……ありがとうございます」
「おう。ま、エクソリアのコーヒーほど旨くはねえがな」
「あんたよく言うわ。前なけなしの給料で、エクソリア産の豆買ったって言ってなかった?」
「あれはいいんだよ、久しぶりに故郷の味が飲みたくなったんだし、お前らにも入れてやったじゃねえかよ」
「それで腹が減ったって泣きついてきたのはどこの誰よ。全く……」
「ハハハ、まあいいじゃねえか。何とか生きてんだからよ!」
コーヒーに口をつける。
「……美味しいですね」
「お、だろ! 味が分かるヤツだな、気に入った!」
「悪いわね、これくらいしか出せるものがなくて。本当なら、もっとちゃんとしたものを出したいんだけどね」
「おお!? スン、お前は俺のコーヒーがちゃんとしてねえって言いたいのかよ?」
「そう聞こえてるってことは、そうなんじゃない?」
「お前な〜!」
いがみ合う男女を放って、髭を伸ばした壮年の男性がエールに話す。
「騒がしいだろう。空腹を誤魔化すために、いつもこうやって騒いでるんだ」
「──……」
「あんた、どっから来たの」
「僕は……エクソリアです」
「おお、こいつは驚いた! 南部か、北部か? ああいや、北部からじゃ国外へは出れねえよな。お前さんもアルゴンってことか」
「はい。……こんな場所があるなんて、知りませんでした」
「え? エクソリアから来たの〜? えー嘘、今どんな感じか教えてくれない?」
「まだあの店は潰れてねえだろうな。俺が働いてたカフェなんだけどよ」
「今は、それなり……だと思います。バオリアを奪還したので、生活の質も、以前よりは向上しているはずです」
「ああ、聞いたぜそのニュース。か〜ッ、こんなことなら俺もエクソリアに残っとくんだったな〜!」
「ちょっと、それ何回目よ。話したって仕方ないじゃない」
ずっと柔らかい対応。思っていたよりも。
もっと恨みを募らせていると思っていた。もっと苦しみを抱えていると思っていた。罵られることもあると考えていたのに──。
「ちょっと俺、他の奴らに知らせてくるわ!」
「え、ちょっと────」
「ハハ、悪い悪い。けどみんな、故郷のことが気になってんだ。話を聞かせてくれやしないか。なんか都合が悪いってんなら────」
ほんの少し開けた口をまた閉じる。
「……いえ。構いません」
「お、そいつはよかった。ところで向こうの方にいるあのピンク髪の子、あんたの連れか?」
「はい。まあ……放っておいてやってください。ちょっと今朝から考え事をしているようで」
「あ、もしかして付き合ってるんでしょ。そうなんでしょ〜?」
「はは、違いますよ」
「じゃあ何よ。友達?」
「まあ、そんなところです。天使の輪っかがあるのがちょっと特殊ですけどね」
「サンクタ族なんて初めて見た、私。あんな風なのね〜」
そうこうしているうちに、エールの周りには人々が集まり出した。テーブルを囲って──。
「君、エクソリアから来たんだって? 仕事は何をしてるの?」
「レオーネって組織がすごい強いんでしょ? 大将グエン・バー・ハンって。まさかあの人がやってるなんて知らなかったけどさー」
「アルゴンも発展してきてるって聞いたわよ。ほら、バオリアも奪い返したからさ」
「あなたって、何だかあの人みたいよね〜、ほら、噂が流れてくるじゃない? 真っ白い髪の若者って」
「あの英雄の話か? すげーよな、北部軍に勝っちまったってことだろ? 何者なんだろうな。確か名前は──」
「エールよ、エール。もしかしたら、北部に勝っちゃうかもしれないわ」
「エクソリアに帰りてえな〜! 早く戦争が終わってくれれば、安心して帰れるしよ」
「帰るってあんたね、だったら早く帰るためのお金貯めなきゃダメでしょ。コーヒーに使ってる場合じゃないでしょ」
もはやエールそっちのけだ。
「白髪の英雄かぁ。兄ちゃんもそうだな。もしかして、本人だったりしてな!」
「まさか、そんなわけないでしょ? こんな場所に来るわけ無いじゃない。ねえ、そうでしょ?」
「──僕ですか?」
「もう、他に誰がいるのよ? そういえばまだ名前聞いてなかったわ。なんて言うの?」
……少し考える。だが何も思いつかなかった。
「
それは、エール自身ですら久しぶりに聞いた言葉。とっさに出てきた名前がそれだったことに、エール自身が一番驚いていた。
「? えっと、なんて?」
「ああ、ごめんなさい。アルカーチスと言います。長いのでアーリヤ、いえ……アリーヤとでも呼んで下さい」
「変わった名前ねぇ」
「何だ、違うのか。ここでエールですっつったら面白かったのにな!」
「はは、違いますよ。僕は……英雄ではありません。ちっぽけな……ただの人間なんですから」
「ほら、そんな訳なかったでしょ。ところでアリーヤさんはどうしてこの場所に来たの?」
「それは……何となく、この場所を知っておくべきだと思ったからです」
「え? それはどうして?」
「……どうしてでしょう。正直、僕もよく分かってはいません。僕があなたたちのために出来ることは本当に少ないです。だから……覚えておくべきだと感じました。あなたたちがここで生きていることを、せめて覚えておかなくてはならないと思ったんです」
机を見つめ、ぽつりと呟いた言葉が難民たちにどんな影響を与えたのかを知るものはいなかったが……。
「……ありがてえことだ。あんたみたいな人がいれば、この世界もちっとはマシになんのかもな」
「何だかよくわからないけど、あなたは悪い人じゃないわねぇ。そうだ、お酒は飲める? 持ってきましょう」
「え、いえ、酒は────」
「まあ飲んでけよ! あんたを歓迎したいんだ、ほら持ってこい!」
そのまま巻き込まれて、数十人に囲まれて酒を注がれて──。
もみくちゃにされながら、白髪の青年は久しぶりに──本当に久しぶりに、楽しそうだった。
潰れたエールに肩を貸して、アンブリエルは車のエンジンをかけた。
「じゃーなアリーヤ! またいつでも来ていいからな!」
真っ赤のまま酔っぱらう男たちが叫んだ。
難民たちの秘蔵していた酒を全て飲み切るほどの宴会に昼間から巻き込まれて、エールはすぐに潰れ、斯くしてアンブリエルは酒臭いエールを助手席に突っ込む羽目になった。
居住区を去り、慣れない運転をするアンブリエルはそのまま借りているホテルへ帰ることにした。
「あんたさー。酒弱いんなら断ればいいのにさー。ずっと待たされてたあたしのことも考えて欲しかったってゆーかさー」
「……。君も、参加すれば……よかったのに」
朦朧とする意識の中でぼんやりとエールは答える。
「無理に決まってんでしょ。あんたみたいな度胸はあたし持ってないし、あんたがおかしいだけでしょ。何で初対面の人大勢巻き込んで宴会になってんのよ」
「……さあ、分からない……」
「てか……アリーヤって。誰? 偽名使ったのは分かるけどさー」
「……偽名じゃない」
飛び出した一言は、アンブリエルをかなり驚かせた。
かなり酔っていたこともあり、エールは判断力を失っていた。
「
「いやたぶんって何? 自分の名前でしょ?」
「……長いこと、使ってなかった」
「てか……なんかウルサスっぽい名前よね」
「……僕はウルサス出身さ。チェルノボーグ……っていう、寒い場所で生まれた」
「マジ? ……ってことは」
じゃあこいつは、実質的に祖国と対立していると言うことになる。北部軍がウルサスの支援を受けていて、その北部軍と戦っていると言うことは──。
「皮肉、ね。あんたがウルサス人だって、レオーネの人たちに知られたらやばいんじゃない?」
「僕はウルサス人じゃない。……ウルサスは、嫌いだ」
「じゃあ、あんた誰よ?」
「……知らない。ただのエールだ。今は」
酔いのせいか、らしくない言葉ばかりが飛び出してくる。
いつもの微笑みを外したところは珍しい。こんな一面があるんだ、とアンブリエルは思った。
「……本当は、彼らがエクソリアを恨んでいてくれた方が、都合がよかった」
「あんた、何言ってんの」
「いや……ごめん。何でもない。忘れてくれると、助かる……」
「そう。あのさ、あんた色々背負いすぎじゃない? 一人にできることなんて所詮知れてるんだしさー」
「……そうだね。そうだったら、よかった」
結局、手元に残ったのは暴力だけだ。
それだけが突き抜けていて、強い手段として残ってしまった。
何も持っていなければ、この世界に絶望して、そのまま死ねていたら。
僕がもっと
「今更、人の優しい部分なんて……見せないで欲しかったな……。酒に毒でも仕込んで、財布でも奪ってくれていれば……楽だった」
最悪の答え。
「これからどうすんの」
まだ答えは出ない。
「……君ならば、どうする。君なら、どうしたらいいと思う」
「え、あたし? いや、別に……。あたし、あんたほど優しくないしー……」
日光が眩しい。
今もこの世界のどこかで、
「んー、あたしにはわかんない。そんなの考えたこともないし、たぶんこれからも考えない。あたしはただぼーっと生きてたいだけ」
「……そう。君らしいね」
車は走る。
まだ死ねない。まだ死なない。まだ知らない。
だが、選択の時が迫っていることだけは確かだった。
・エール(アリーヤ)
本文中ではエールを採用しています。特大フラグの塊すぎへんかおのれェ……
・難民の人たち
エールを歓迎してくれた人たち。少なくとも、エールには優しい人々に見えた。
・チェルノボーグ
あっ……
・難民問題
割とガチ目な問題で草が生えない
・アンブリエル
かわいい(脳死)