あなたはまだ覚えているかしら。私たちが
私は覚えているわ。ずっと覚えているの。
──私もあなたも、変わってしまった。
でも、ずっと覚えているわ。
絶対に忘れてはならないことが、この世界にはあるの。
ねえ、アリーヤ。
あなたはまだ、覚えているかしら。
煌びやかで重厚な歴史、そして栄光と繁栄の国。
華麗で芸術的な街並み。
「よしっ、行こうかしら──ってあれ!? ゆ、ユーロジーが……ないっ!?」
この国の人々は誰も紳士的で、親切だと詩人は歌った。
「ぬ、盗まれた────っ!? うそ、うそっ!」
ここはヴィクトリア、ロンディニウム市。
貴族と王が治める、黄金の国。
「ええええええええ──っ!? か、家宝が……ゆ、油断した……!? うそ、うそ──! え、どうして!? ちょっと目を離した隙に──」
オレンジの街、整備された道、この移動都市は鮮やかで伝統的なヴィクトリアの全てを見る事ができる。
ここはロンディニウム。光と闇が蠢く伝統の街。
昔日、狐が二人
「無理だな。諦めな、お嬢ちゃん」
「は、はあ!? どうしてよ、ロンディニウムの警察は誇り高く、人々を守ることが──」
「運が悪いんだ。嬢ちゃんが言ってる場所はローザ通り──ロンディニウムでも屈指の犯罪発生率を叩き出す掃き溜めの道さ。よくあるんだよ、観光客が知らずに近寄っちまって食いもんにされるってのは」
アリゾナは絶句した。全く納得できないどころか、頼りになるはずの警察がこんな有様──。
「それにな、嬢ちゃんはむしろ運が良い部類だよ。攫われなかっただけマシさ」
「ひ、人攫いがいるっていうのかしら!?」
「そうだ」
「そ、そんなことが──」
億劫に対応する警官にとっても、ローザ通りは面倒の塊だった。
「まともな住人はまず近寄ろうともしないさ。なんせグラスゴーを始めとするゴミ共がうじゃうじゃしてる。ヤクも
決して冗談ではない警官の言葉に、多少怖気は湧いてくる。それも当然だ。暴力とは無縁な生活を送ってきたのだから──。
「そんなところを野放しにしてていいのかしら!」
「いい訳ないさ。だがなあ……もう、ロンディニウム全体が揺らいでいるんだ──王宮内が不安定で、その混乱が市全体に広がってる。内側がゴタついてんだ……そうこうしてるうちにギャングがのさばってきて、勢力を伸ばしてる。どうにもならねえよ」
「そんな────」
顔を青くして項垂れるアリゾナを見かねて、警官がいくらか優しい口調で諭す。
「何、まだ若いんだ。命を取られた訳でもなし……そう落ち込みなさんな」
「……あれ、家宝の……お父様に、なんて言えば────」
アリゾナの落ち込みようと焦りようは尋常ではなかった。
焦燥に揺れ動く瞳がぐるぐると回っている。
「と……取り返さないと……いけないわ……」
ボソボソと呟くアリゾナの意識の中にもう警官の存在はなかったが、それを聞いて警官は穏やかな目を開いて叫んだ。
「嬢ちゃん話聞いてたか!? 絶対にやめろ、特に嬢ちゃんみたいに若い女の子は特に危ねえんだぞ、本当に危ないんだ!」
「いえ……ダメなのよ──あれだけは、絶対に────」
「この世界に命より大事なもんはないんだぞ!? どんな大切なものだって……そのために死ぬかもしれないだったら意味なんてねえじゃねえか! 警官の一人として、絶対に止めなきゃいけない──」
「いいえ」
焦りから、一滴の汗を流すアリゾナは、色々な要因によって震える手で、それでも力強く否定した。
「あるのよ。命より大切なものはないかもしれないけど……命より大切にしなければならないものは、確かにあるの……」
とても正気に見えない顔で、アリゾナは身を翻した。開いたガラス戸の外へ出て行こうとする。
「おい、まさか行く気か嬢ちゃん」
「……取り返すわ。取り返さないと……いけないの。絶対に……」
「ほ……本気か?」
「本気よ。ユーロジーは……大切なものだから」
シワの目立つ警官の男は、帽子を押さえて深くため息を吐いた。それから、去っていく少女の背中に向けて一言。
「……待て」
額を押さえて、警官は頑なな意思を理解し、折衷案を出すことにした。
「ここら辺のことをよく知らねえ嬢ちゃん一人で、裏側に行かせるわけには行かねえ……」
「え、じゃあ手伝ってくれるのかしら」
「いや……俺のようなモンが行っても、力にはなれねえ。けど……嬢ちゃんを助けてやれるかもしれねえヤツなら知ってる」
「え?」
「ロクなヤツじゃねえし……もっと酷いことになるかもしれねえ。正直嬢ちゃんみたいな子に会わせるのは、正しいとは言えねえだろう……」
「……それって、どんな人かしら」
「クズ野郎だ。この街の裏側で生きている、クズ……としか言えねえ」
そんな調子で言われれば、アリゾナだって混乱する。不思議そうに聞いた。
「えっと……盗まれた私のユーロジーを取り返せるかもしれない人……ってこと、よね?」
「ああ。ユーロジーってのが盗まれたモンで、それが……裏側に流れているのなら、もしかしたらな。蛇の道は蛇ってことだ。嬢ちゃんがどうしてもそれを取り戻したくて、危険も承知なら……紹介してやってもいい」
「ほ、本当!? ぜひお願いするわ! その人はどこにいるの!?」
「焦りなさんな。ちゃんと教えるさ……だが気を付けろよ。連中は俺たちとは違う。人から奪うのが日常化しているような連中だ。それが悪だという認識もねえ、正真正銘のクズの世界……そん中でも折り紙付きのゴミクズを頼ろうってんだからな」
「構わないわ。教えて──その人の名前は?」
全く怖気付く様子のないアリゾナに、もう一度警官は深くため息を吐いた。それから、忌々しげに口にする、その名前は。
「ヤツの名前は─────」
おっかなびっくり、きょろきょろと辺りを見回しながらアリゾナは足を進める。
先を歩く警官の背中を追いかけながら、荒れた通りを歩く。
崩れた建物、無数の落書き、汚れ、地面の汚さ、嫌な臭い……。
ロンディニウムの表側とは、本当に正反対だ。
公共物である電話ボックスなどは完全に破壊されていたり、街灯も全て壊れている。
そんな場所を先導する警官の背中に、少々の不安を覚えたのは確かだ。信用していない訳ではないが、こんな場所に……?
「あんまり刺激しない方がいい。俺がいるから襲って来るようなこともないだろうが……」
人もいない訳ではない。
ジャンパーの男たちや、道に座り込んだ子供、老人、ホームレス……。
物珍しげにアリゾナを見ていた。それを受けて平常でいられるほど肝も据わっていない。怖くないと言えば嘘だった。
警官はさらに細い道へ入っていく。晴れにもかかわらず、暗い路地裏には水溜りが出来ていて、その表面に何かも分からない汚れが浮いていた。避けて歩く。
狭い路地にある一つの裏口を開けて、警官は入っていく。アリゾナも、続く他になかった。
窓のない空間が広がっていた。いやに蛍光灯が眩しい。
外側の汚さからは想像もつかないほど、それなりに掃除されている場所だった。ソファーや机に、キッチンまでついている。明らかに誰かが生活している場所だった。
だが、誰もいない。
「おい! 居ねえのか!」
大声で呼ぶ声に応えるのは誰も居ない。
「下か? あの野郎……」
ぶつくさ言いながら、警官は部屋の奥へ行き、床の取っ手を引き上げた。
「え、地下……?」
「ああ。多分居るだろう……」
地下へと続く空間は薄暗い。真っ黒な階段の先の裏側にも地下室があるようだ。足音が静かな家の中に響いて、何だか不気味な感じだった。
そして降りていった先に、その男はいた。
カーペットまで敷いた床、鎮座する重厚で大きな机。
その向こう側に、足を机に乗せて椅子に座った誰かがいる。
腕を組みながら目を瞑っている……寝ている。
微かに緑の混ざった黒い髪、ヴァルポ族の耳……穏やかな顔。
正直、アリゾナはイメージしていたような人物との乖離に驚いていた。どんな極悪人が出てくるかと思ったら、自分とそう歳の変わらなさそうな……まるで、少年のような。
パチリ。目を覚ましたらしい。
「邪魔してるぞ」
「……ああ? はぁ……人の家に、警官が勝手に上り込むものじゃないよね」
髪は、乱雑に後ろで纏められている。
思っていたよりもずっとすらりとした顔立ちだった。それに白いし若いし……。
だが、開いた眼はこの場所に相応しかった。そう感じられた……黒く、沈むように黒く、蛍光灯の光が反射していた。
「はっ。そういう言葉はちゃんとこの家を役所に届け出てから言うもんだな、この不法滞在者が」
「はっ。そんな不法滞在者に、お国の犬が何の用があるって?」
「こっちの嬢ちゃんを手伝ってやれ」
「ああ? ……そっちの女?」
とても面倒くさそうに、男はアリゾナを値踏みするように眺めた。身構える。
「あー。依頼ってこと」
「依頼……?」
似つかわしくない単語を聞いて、またもアリゾナは不思議そうに反復した。
「何、聞いてないの? 僕は何でも屋──報酬次第で何でもやる便利屋。報復、暗殺、捜索、ゴミ掃除とかゴミ処理とか……あとは売春の斡旋とかもやってる。でもまあ、身売りしたい様にも見えないね」
「大切なもんを盗まれたらしい。取り返してやってくれ」
「はーん。大切なもんならちゃんと肌身離さず持っとくもんだと思うけどねぇ……」
男の話した内容に、呆気に取られていたが……バカにされたことに気がついて、ムッとした。
「……その人、本当に信用出来のかしら」
「報酬次第だね。そして、依頼人次第でもある」
男は薄い笑みを向けた。自らの底を図ろうとする視線は、正直に表現して不快だった。
「僕はね、金に対しては誠実であろうとはする。そして、誠実で正直な人間には相応の対応をしたいとも思う」
「よく言うぜ。この前の一件、あの男が惨殺されてたの……お前の仕業だろ?」
「憶測でものを言うのは良くないね。ヤツは……まあ、それほど誠実でもなければ、依頼料も正直ではなかったのは確かだけど、別に僕がやったなんて証拠はどこにもない訳だしさ」
「けっ……。見ての通りの男だ、十分に用心しな、嬢ちゃん」
「依頼……と言うことは、お金を払わなければならないのよね……?」
「別に金に限っちゃいないよ? 価値あるもので、役に立てば……例えば武器。中には食料で払っていった人もいる。その依頼と釣り合うだけの依頼料を払って貰えれば、なんだって構いはしない。さて」
机に乗せた足の先で、エールという男はアリゾナを真っ直ぐと射抜いて問う。
「大切なものを盗まれてしまった間抜けなお嬢さんは、それを取り戻すためにどれくらいの対価を支払うことが出来るかな」
「対価……」
「気にすんな。俺に任せておきな、嬢ちゃん。対価は俺が用意している」
「え?」
「お前にゃあそれはもう色々な容疑や嫌疑がかかってる。俺は今まで見逃してきたが、いつしょっぴいてもいいっつー状況だ。お前、上からもマークされてるしな」
「あ? 何言ってんの」
「はっきり言やぁ、俺はいつでもお前をぶっ殺していいっつーことだ」
警官は軽快に言い放つが、それに対しての男の反応は鈍い。つまらなさそうな顔をしている。
「役には立たないのに、こんな時だけ権力面? 機能不全を起こした警察の言葉は脅しとして弱いし、それにあんた如きに僕を殺せるとも思わない」
「ああ。だが俺の様な警察が、一定の割合でお前の様なクズを見逃すことである程度の秩序が維持できているのも事実だ。まあつまり何を言いたいのかっつーと、俺に免じてこの嬢ちゃんを助けてやってくれっつーことだな」
「僕に利益がない」
「あるさ。この嬢ちゃんを助けてやることで、お前はこれまで通り俺たち警察と事を構えなくて済むだろう?」
「お巡りさんってのは偉そうに好き勝手命令出来て気分が良さそうだ。本当に羨ましい」
嫌そうに……あるいは、憎々しげに、男は吐き捨てた。強い負の感情に、アリゾナは事の推移を見守るほかない。
「僕はね、あんたみたいな肩書きだけの人間が嫌いなんだよ。警官は治安秩序に携わる高尚な職業だと謳う割に、この
「それはごく一部の連中だけだ、警察の大半は────」
「黙れよ。どっちがクズだか分かりゃしない」
最初の不気味な雰囲気はどこかへ消え、そこにいたのはただ怒りを露わにするだけの若者だった。
「いいさ。やってやるよ、そこのお嬢様の探し物。バカみたいに尻尾振って、国家権力にへつらってやるさ。スラムのクズは使いやすい道具なんだろ?」
「そんな訳が────」
「あるんだよ。こうして今、使ってる。別にあんた、僕に金を払ってるって訳でもないのにさ」
吐き捨てると、壮年の警官は黙った。男は鼻を鳴らす。
「そこの女のために払う金もないって? 賄賂取らないからそうなるんだろ。中途半端な正義面なんてやめちまえば、あんたの暮らしも多少は楽になるだろうに」
「俺は警官だ。賄賂なんぞ要らん」
「安月給でよくやってられるね。こんな腐った国じゃあ、いいとこ使い捨てられて終わるのがオチでしょ。特にあんたみたいな、中途半端な偽善者は利用されるだけだ。いい加減意地張るのやめた方がいいんじゃないの」
「……余計なお世話だ」
警官はそれだけを言い残して踵を返す。
「とにかく任せたぞ。俺はお前の事をクズだと理解しているが、ある程度の信用を置いている。くれぐれも────」
「はいはい。わっかりまーした」
そして残されたアリゾナは、流石に少々不安そうに辺りを見回していた。
明らかに普通ではなさそうな、怪しい男と二人きり、しかも地下室。
「そんなに不安そうにするなよ。別に取って食おうってんじゃない。襲おうなんて考えちゃいないさ」
その男の声は、本当にどこにでもあるような、若い声だった。高めで、穏やかな印象を受ける。
だが──深い、暗さを抱えている様だった。まるで夜の底にいる様な、冷たくて寂しい声が、皮肉げに自嘲していた。
「それで、あんたの依頼はなんだったっけ?」
「えーっと……ある、杖を盗まれてしまったの」
「杖? 高価なもの?」
「家宝なのよ、私の家の──。絶対に、取り返さないといけないものなの」
「……あんた、貴族か?」
反射的に、体が強張る。当然だ──特に貧しい人間にとっては、貴族などは無条件で憎しみの対象になりやすい。
目の前の男までそうかわからないが──。
「……そう、よ。でも……ロンディニウムじゃなくて……ここよりずっと南にある小さな町の、小さな貴族」
「ああ……なんだ、ここの貴族じゃないのか。じゃあ別に……いいか。それで、どこで盗まれた? 状況を詳しく聞かせてもらおうかな」
「その……いいのかしら」
「何が?」
「さっきまでの話を聞く限り……あなたに直接的な利益がないじゃない」
「はっ。別に……あんたには関係のない話だ。黙って助けられてりゃいい」
「それじゃ納得がいかないわ。何か……私があなたに返せるものがないと、私が納得できないの」
「……? いや、別に……それじゃああんたが余計に損するだけだ。意味ないだろ?」
「いえ、違うわ。意味はあるの……さっき、あなたも言っていた事でしょう? 私にとってあの杖は強い意味を持つものなの。だから、それを取り戻すためなら……それなりの対価は、払うつもりでいるの」
相変わらず酷い姿勢で椅子に体を預けている男は、初めて足を机から地面に下ろし、アリゾナに向き合って言った。
「……あんた、変わってるね。変な貴族だ」
「え、ええ? そうかしら……」
「あんた、名は?」
「あら。人に名前を聞くときは、まず自分が名乗るのが礼儀よ」
「はは、こんなスラムで礼儀、か。やっぱりただのバカなのか?」
「今バカって言ったのかしら」
「ああ。あんたの街にスリは居なかったのか? 大切なものほど、盗まれちゃいけないだろうに」
「……分かってるわよ。それより、先にあなたが名乗るべきよ。特にレディーに対しては、紳士的にあるべきだわ」
「なるほどね。確かに貴族様からは見習うべきだな────僕はエール。ただのエールだ」
「私はアリゾナ家が長女、グレース・アリゾナ。好きなように呼ぶといいわ」
これは邂逅。
この物語は、ずっと昔……記憶も薄れるほど遠い過去から続く、別れの物語。
少年が青年になるまでの、長い長い話。
二人はまだ、お互いを知らない。だが。
確かにこのとき、二人は出会った。
ウィーディー来たので投稿しました。および危機契約の告知
_人人人人人人人人人人人_
> 唐突に始まる過去編 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
・エール
ヴィクトリアに住むスラムの青年。おそらく18歳程度。
何でも屋を営んでいる。
・グレース・アリゾナ
ヴィクトリアの田舎から出てきた貴族の令嬢。
厳しい家の方針に疑問を持ち、なんやかんやあって家出し、諸国を巡って学びを深めようとするが、ロンディニウムで家宝を盗まれてしまった。
かわいい。この時点ではエールと同い年か、少し下くらいを想定している。
・ロンディニウム
不穏な気配が漂っているが正直資料がなさすぎて何がなんだかわからん
この時点で摂生王がヴィクトリアに居たりするのかとか考え始めたら止まらないので私は考えるのをやめた────
この辺りを深掘りする気はあんまりないです
・警官
おっさん
今後登場する可能性が微レ存……?