「ブリーズ」
本名はグレース・アリゾナ。ヴィクトリアのとある田舎の貴族に生まれた一人娘……らしい。おおよそ貴族として似つかわしくない振る舞いと考えを持つ。
臨床医療術に関して、かなりのエキスパートであり、深い知識と技能を併せ持つ優秀な人材である……と評価できるだろう。
彼女のような人間こそ、こんな国ではなく……あの場所に居るべきだと思う。身勝手な考えなのだろうが。
──表題のないノートより抜粋。
────朝、目を覚ます。
窓を開けると、湿った熱気が体を包む。まだ太陽は上っていない。
水を一口分飲み込んで、床に腰を下ろす。睡眠で凝り固まった体を順番に伸ばして、ストレッチをしていく。
右手を失う前から続けている習慣。
朝の時間は貴重だ。これから約一時間半のトレーニングをして、朝食。
本当は、トレーニングの時間は全く足りていない。毎日6時間のトレーニングを積み、いつでも任務に出られるようにしておく。それはエリートオペレーターに課せられた義務であると同時に、習慣だった。だが今はもう違う。
一日の予定は埋まりきっていて、自分のトレーニングの時間は本当に確保できない。
だが皮肉にも、今自分がやらなければならないのは戦闘能力の強化ではない。
向いているかどうかは分からない。正直、殴って解決できるような問題の方が解決しやすくて好みだ。
だが、そんなものを差し引いて……自分にしか出来ないことがあると信じている。
例え、自分がやる必要などどこにもないとしても。
1096年7月16日:盤上を駆けるものたち
「あら、おはよう」
「……君か。お互い早起きだね」
早朝、トレーニングを終えたエールは、街から外れた場所でブリーズに出くわした。
まだ早い時間だ────。
「こんな辺境で何を?」
「お互い様じゃないかしら?」
街と森林の境界線には、草が生い茂っているが、定期的に人の手が入っているのか……それなりに開放感のある場所だった。
近くを流れる小川からは、静かな水の音が聞こえてきている。
早朝の静寂は独特で、昼間の活気からは想像が出来ないほど静かだ。
ブリーズの抱えている籠に、いくつもの植物が入っている。それに、土に汚れた軍手。
「……なんだか意外だな。君は貴族然とした格好をいつもしているものだと思っていた」
「失礼ね……」
昨日の装飾的な格好とは変わって、動きやすそうな格好をしている。とても庶民的だ。
「あんなの動きにくいし、お手入れも洗濯も面倒じゃない」
「という割には、昨日はそういう格好をしていたけど」
「旅をするときは、いつもそうなの。いい格好をしておかないと、貴族としての面目がないでしょう?」
「……今はいいの?」
「今はいいのよ」
「よく分からないな──」
そう言いながら、エールはタオルを小川に浸して濡らした。綺麗な清流が朝の光を反射して煌めく。
「何をしているの?」
「汗を拭く。あ、少し手伝ってもらえないかな。腕が一本だと不便でね」
「……ええ。何をしたらいいのかしら」
「タオルを絞ってくれ」
ブリーズはタオルを受け取った。ひんやりとした水が冷たくて心地いい。
両手でタオルを畳んで捻る────ふと、このタオルの水を絞るというだけの動作は、二本の腕を前提にしていることに気がついた。
右から先の袖は垂れて、何もない。エールがあまりにも平然としているために、一瞬そのことを忘れかけていた。
「ありがと」
白いシャツを脱いで、エールはそのまま上半身の汗を拭いた。
「って。ちょっとアリーヤ。レディーの前で突然脱ぎだすものではないわ」
「これは失礼。習慣なんだ。見逃してもらえると助かるな」
何でもないように、どこか悪戯げに。
かつて知っていたエールの人物像とは、あまりにかけ離れていた。
──体は、傷の跡が至る所に刻み込まれていた。
特に目を引くのは、やはり右腕部──生々しくちぎれ飛んで、そのまま塞がれた傷口。
戦う人間の体だった。締まり切った筋肉と、傷跡。何かが貫通したような跡も、いくつもある。
それに、背中に走る源石結晶の脈。感染状況を表す度合いとして、一目で分かる程度には酷いものだった。
「……その、右腕」
「ああ。綺麗に吹き飛ばされちゃった。彼らも……強い戦士だった」
「殺し……たのよね」
「うん。殺されようとも思ったんだが……やっぱりやらなきゃいけないことがあることを思い出してね。結果、僕は生き残った。暴力に恵まれていると、どうにも死に損なってしまう」
穏やかな調子で語るエールに、ブリーズが抱いた感情は複雑だが……もっとも強かったのは怒り。次に悲しみ。
「……アリーヤ。あなたは……もうこれ以上、殺すべきじゃないわ。例えもう手遅れでも、やってはならないことがあるの」
「そうだね。その通り……人は、人を殺すべきではない。確かに金言だね」
「──私は真面目に言っているのよッ!?」
ブリーズの叫びに、エールは少し驚いた顔をして、それから微笑む。自嘲的な、嘲笑的な笑いだった。
「これ以上あなたは罪を背負うべきじゃないわ」
「いいや……。確かに、これは僕がやるべきではないのかもしれない。いつも考えている……本当は、もっとふさわしい人間がいて、僕よりももっと上手くやれる──……。死者の数とか、問題への対処とか……。今まで革命家気取りでいくらかやってきたが、まともに出来たと思えるようなものなんか一個だってない。必ず誰かを殺したり、傷つけて縛り上げて……戦争という地獄の釜に蹴り落とした。僕の持ちうる力と手段を全て使って……命を懸けたって、出来たのはそのくらいだ。これは誰かがやるべきことだが……誰か、僕より優れた誰かがいるんじゃないかって……いつも思う」
「そういう話をしているんじゃないわ!」
「じゃあ──どういう話かな」
朝の影が辺りを覆った。
エールの薄い反応に、ブリーズはますます声を荒げる。
「この国を救うためなら戦争じゃなくて──別の手段があるはずよ、こんなことは間違っているわ! あなたは人の痛みが分かるはずよ……争いがもたらす結果を知っているはずよ! それとも忘れてしまったの!?」
少なくとも、ブリーズは知っているのだ。
痛みや苦しみを知っている。それが持つ意味を、エールが知っていることを知っている。
それなのに、なぜ。
「どうしてあなたは、他人を傷つけることが出来るの……?」
「誰にだって出来ることさ。簡単なことだし……それに、君は僕のことを買い被りすぎている。それこそ今に始まったことじゃない。いつだか君の依頼を受けたことがあったね──その時だって、僕は他人から散々奪って生きていた」
「ええ。それだって、本当は許されないことよ。でも……生き延びるためにそうする必要があったことくらい、私も理解しているの。罪は罪よ、でもそれを責める気も……その権利も、私にはないわ。もっと根本的に言うなら、私にはあなたに何かを言う資格なんて……きっとどこにもないの」
まるで懺悔でもするような言葉だった。後悔に濡れた瞳には影が混ざっている──その目に見覚えがある。
それは、罪の意識を持つ人間の眼だった。毎朝鏡の向こうで見慣れている。
「……いや、別に……君が何か罪悪感を持つ必要なんてないだろう。正しいことを言っていると思う」
「いいえ……あるのよ。私には……あなたに伝えなければならないことが、たくさんあるのよ、”アリーヤ”」
「その名前で呼ばないで欲しいな。それに、なぜ君がその名前を知っているのか……全く、分からない。知るはずのない名前なんだ」
ヴィクトリアで生活を始めてから──それこそ、ブリーズに出会うずっと前から、エールはエールだった。アリーヤなんて名前の少年は、あのスラムには居なかったのだ。
「……やっぱり、覚えていないのかしら」
「覚えていない?」
「いえ……いつか、必ず話すわ。あなたが忘れていても、私は覚えているから」
「……そう」
着替えのシャツをバックから取り出して着た。
朝食もまだ食べていない。街の方へ足を返すエールに、ブリーズは慌てて付いていく。
「ちょっと、置いていかないで欲しいわ! 一緒に戻りましょう」
「……ああ。ところで、君のカゴの草束はなんだんだ?」
「薬草よ? このあたりで採れるものを調べに来ていたの────」
*
バオリアの騒がしい生活音に紛れるように、フォンは通りを見下ろしていた。
簡素な作りのベランダから見下ろすと、白と小麦色の街並みに人々が行き交う。エクソリアの熱い日差しの元で生活しているエクソリア人の肌は褐色に染まっていた。
だが感染者受け入れ政策によって、さまざまな人種がエクソリアにやって来たため、今は様々な外見的特徴を持つ人間でごった返している。その中では、フォンのような人間もそれほど目立つわけでもなかった。
「何か飲むか、フォン」
「……冷えたものはあるか」
「悪いな、生ぬるいコーヒーくらいだ」
エクソリアの生活は、移動都市のそれと比べるとかなり不便なものがあることは確かだ。
定期的な移住の中では、確立した生活インフラを構築することは難しく、冷蔵庫などの電力消費を必要とするものはごく限られた場所でのみ使われている。
特に、南部には源石技術がそれほど発達しているわけではなく、移動都市のように源石の恩恵を受けているわけではなかった。それは不幸にも幸運なことだった。
すっかり温くなった缶コーヒーを受け取って、プルタブを開く。暑いエクソリアでは食材が腐りやすく、食料や飲料の長期保存技術が発達している。缶詰などはそれなりに普及していた。
「それで例の件だが……」
「ああ。何か分かったか」
「……悪い。何も分からねえわ。やっぱ直前までのセイの行動を誰も知らねえのが痛い。手がかりが無さすぎるぜ、やっぱり」
「やはり、そうか」
ほとんどわかって居たことだ。理性的な部分では、何も得られないことなどは分かっていた。かといって自分が調べれば何か分かるという訳でもなかった。
「ただ分かることは、セイを
首を横に振って、元スーロンの男は強面を顰めていた。多少申し訳なさが混ざっている。
外からは、まるで泥のような湿気が流れ込んでいた。纏わりつく暑さは、室内で多少はマシだが、エクソリアにエアコンなんてものは存在しない。
結局、汗が流れるだけだった。
「……セイが死んでから、もう二週間ほどか」
「何つーか……実感が湧かねえよ。あいつが死ぬとこなんて、想像が出来なかった……。いつだかアジトに爆弾放り込まれた時だって、あいつはたまたま物陰にしゃがんでいて助かったってのに」
その喪失の穴をはっきりと認識することは難しい。それは心に空いた穴だ。目に見えるものではなく、その輪郭をなぞる事もできない。
ドーナツの穴を取り出すことは出来ない。
その穴の輪郭は、ドーナツが存在して初めて認識できる。どこかそれに似ている。
セイが死んで出来た穴がどんなものなのか、それを見ることは出来ない。ただそれが確かに存在することだけを理解して、痛む。
「誰に殺されたのか、なんで殺されたのか……。なあ、俺達は何にも知らねえな。ずっと仲間だったのによ」
「……あるいは、オレ達は解散しない方が良かったのかもしれん」
「そうかもしれねえ。だが俺達はみんな納得したんだ。ギャング組織として生きる必要はもうなくなったんだって……。兵士としてだが、迫害のない場所で生きられるんだって……。だが、俺達は今もやってる掃討戦に参加しちゃいねえ。そりゃどうしてだ?」
「エールの指示だ」
「ああ知ってるさ。だがそれが何のためか、俺たちは知らされてねえじゃねえか。なあフォン、エールは何か企んでんじゃねえのか」
「オレ達は
「それも分かってる。問題は、その有事ってのは何だ。何が起きることを想定してんだ。セイだけじゃねえ……。何人か、連絡の付かなくなったヤツがいる────荒事に異議はねえよ。承知でこの国に来たんだ。だが……何の説明もないまま、俺たち元スーロンは何か────そう、何かにぶち当たってる。だっつーのにエールからの連絡は何もねえ。なあフォン、ヤツと連絡は取ってねえのか」
「……スーロンに関しては全て、オレに任せる、と。そう言われている」
相変わらず、フォンの顔に表情や感情の色はない。淡々と答えるが、内側までは測れない。
実際、フォンは迷いの中にあった。
「なあ。ヤツを本当に信用していいのか。お前はヤツを信用してんのか、フォン」
「……一つだけ分かることがある。オレと──ヤツは、同じだ」
「はっ! 都合よく使い捨てられねえといいな。俺たちスーロンも散々騙したり、いろんな連中を使い捨てて来たんだ」
「ヤツを信用出来なくとも、オレたちの取れる選択肢はそう多いものではない」
「分かってる! けどよ……」
「
言い放った言葉に、元スーロンの男は驚きから口を閉じた。
「結局のところ、オレたちを狙う勢力などそう多くない。国内勢力で、なおかつ……レオーネに敵対的、あるいはその吸収を目論む勢力。つまり貴族だろう。だが解せんのは、セイがなぜ殺されなければならなかったのか……オレはこの街の、もっと奥に潜るつもりだ」
「……ダメだ。そういうことなら俺が行く」
「なぜだ?」
「危険だ……。ここはテスカみたいに、俺たちの縄張りってわけじゃねえんだ。もうスーロンは解散してる、エールの手前人数集めて行動は出来ねえ。いいかフォン、俺が信用してんのはエールじゃねえ、お前だ。元スーロンの連中のためにも、お前を死なせるわけにはいかねえんだよ」
男はそうフォンを説得しようとした。
スーロンがこれまで生き延びてこれたのは、フォンの功績による部分がほとんどだ。強いリーダー性と行動力、そして生存の道を選び取る目。それによって生き延びてこれた。
それ以上に、自分たちのリーダーを死なせるわけにはいかなかった。
「いいか、もう一度言うぞ。これは俺だけが同じ意見なわけじゃねえ。多分ほとんど同じ意見だ……俺たちは確かにレオーネ──エールの元に下っちゃいる。それはヤツが確かな力を持っているからだ。感染者の受け入れ政策は確かに実行された……感染者を受け入れる国ってのにそう間違いはないのかもしれねえ……」
確かに、表立っての感染者に関する問題は起きていない。
労働力の不足しているエクソリアの人々は、労働者として感染者を歓迎した。大きな変革だった。それが成功だったのか失敗だったのかはまだ分からない。
とにかく事実として、大幅な労働力の増加によって一定のバブルが齎されていたことは事実だった。
「だが迫害から解放されたと思えば抗争だ。確かに俺達は今更争いから逃れようなんて考えちゃいねえよ。けど生き残るための努力はするべきだ。状況次第じゃ、レオーネから抜けることだってある。……もしかしたら今がその時なのかもしれねえ」
「……オレ達は以前とは違う。レオーネの庇護無くしてこの地で生活することは難しい。特に、オレ達のように暴力しか能がないのなら尚更──」
「……とにかくフォン、お前は大人しくしてろ」
「何か当てがあるのか?」
返答は沈黙。否定も肯定もしない──何か隠していることがあるのは明確だった。だがそこに疑心を抱くほどの信頼関係がないわけでもない。
結局、以前からそうだったように、危険な任務はフォンではなく仲間が行くことになるのだろう。
高い空を、鮮やかな色の鳥が飛んでいた。
だが、どこを目指しているのだろうか。
*
「──いやあ、しっかし驚いたなぁ。まさかあのエールさんを乗せることになるなんて」
そう機嫌よく喋りながら、運転手は笑った。
交通網の中は今日も騒音が飛び交っていて、大声を出さないと人の声は聞こえない。エクソリアでは四輪の自動車は普及率が低く、二輪が好まれる傾向がある。その中で市民が好んで使う移動手段は、リキシャと呼ばれる三輪の小型タクシーだ。
「ツェーラの方まで行けば良いんですね?」
「ええ。安全運転で」
「任せてくださいよ!」
ドアがなく、非常に解放的な作りとなっている。安価であり、地元の人々にも親しまれている乗り物だ。
自転車すら乗れないようになったエールは、ごく普通に人々が使うような移動手段を用いている。それこそ専用のタクシーを使ってもいい立場であるにも関わらず、こうしてわざわざ安価な乗り物を使う。
「で、気になったんですがそっちのお嬢様はもしかして──エールさんの恋人ってヤツなんですかね!?」
水を向けられたのはブリーズ。
今朝からずっと着いてきている。着いて来るなと言っても聞かないので、仕方なく同伴している形だが……。
「いえ、違います」「そうよ」
重なりあった声は、タクシーの速度にかき消されて聞こえなくなった。
「え、どっちなんですか?」
「……。恋人よ!」
「いえ──。ブリーズ、少し大人しくしていてくれないか」
「ねえ運転手さん! 市民の目から見たエールって、どんなイメージなのかしら」
聞く耳を持たない。若くおしゃべりな運転手は荒っぽい運転をしながら、本人を目の前にした興奮と気後れの混ざったような声で答えた。
「そりゃあ──やっぱ英雄ですよ! それとも解放者ってヤツですかね、この街はちょっと前までは北部軍に占領されてたでしょう! そん時は酷かったな──もうお終いだって本気で感じましたねぇ」
そんな運転手の話にブリーズは興味津々といった様子だ。
「財産は全部軍に没収されて、怪しい動きしようものならすぐ軍に連れてかれて……。バオリアが誇る農業畑もぜーんぶ好き勝手に奪われて……飯も満足に食わせても貰えないってんでもう……本当にお終いだって思ってたんですよ。逃げようにも道は全部封鎖されてて──」
思い出すように語る運転手の語り方には、当時の苦難が表れていた。
「もう南部軍なんて頼りにならないことは、その時にはとっくに分かってたんで」
「負け続けてきたものね」
「ええ、ええ! それまではずっと前線で小競り合いが拮抗してたってのに、どうして急にボロ負けし出したのか本当に不思議なんですよ──何人もの知り合いが徴兵で連れて行かれて、まだ帰ってきてません。もう帰ってくるこたぁないでしょう」
「それは──気の毒ね、悪いこと話してもらったかしら」
「いえ、良いんですよ! 仕方のねぇことです、どうしようもないんで……悲しんだってどの道、前向いて働くことしか俺に出来る事はねえんで」
明るく話す運転手に、ブリーズもふっと微笑んでエールの方を見た。
相変わらず、今朝からずっと真剣な表情のままでにこりともしない。口を開く様子もない。
──こうして働くことしかできる事はない、と彼は言った。
もし、他にできる事があったとするならば、この陽気な運転手はそれをするのだろうか。普通の人間ならそうするのが正常なのだろうか。
「らしいわよ、エール? 見習ったらどうかしら」
にっこりと意地の悪い笑顔をブリーズは作った。嫌でも視界に入るように。
運転手は話を続けた。
「だから、バオリアを解放してくれたレオーネ──エールさんには本当に感謝してるんですよ!
女の方のヴァルポはその言葉に複雑そうな表情を浮かべた。過去の人物像と大幅に食い違うギャップが、第三者の言葉を通じて明らかになったためだ。
男の方のヴァルポはピクリともしない。
「こんだけやってやれば貴族の面目だって丸潰れじゃないですか!? なんせあのいけすかない金持ちどもを救ってやったんですから! 自分たちが好き勝手南部軍を動かした結果ボロ負けして、その上貴族とも関係ないレオーネに家や財産を返してもらったんでしょう? バオリアの貴族は、エールさんに頭が上がらないんじゃないですか、やっぱり?」
ヴィクトリア貴族の一人娘は、そんな貴族の言われように微妙そうな顔をした。各国での貴族の立ち位置は異なるが、この国の貴族はやはり良く思われてはいなさそうだ。
「その辺とか、実際どうなんですか? エールさん」
「…………。………………。いや……、それほどでも、ない……かな」
沈黙の後、呟くようにエールは答えた。
明らかにさっきまでとは違う種類の表情で、眉を顰めて訝しがっていた。一方運転手はそんなことには気が付かず、陽気の中に憤りを混ぜて喋り続ける。
「はー! 少しは感謝したらどうなんですかね、連中はいっつもそんな調子ですよ。権力者ってのはどうしてこう……──」
そうしてしばらくすると、目的とする場所に到着する。
「到着です、料金200ギルで」
「え、ちょっと……最初100ギルって言ってなかったかしら」
ブリーズは慌ててそういうが、運転手の男はにやりと笑って言う。
「一人100ギルですよ。二人で200ギル」
「聞いてないわよ。100ギルしか払わないわ」
「いやいや、エールさん達だからってそうはいきませんよ。きっちり払ってもらいますよ?」
「もう! ちょっとエール────」
こういうところで小賢しい発展途上国の人々に腹を立てて、ブリーズはエールに話を振ろうとしたが、エールはあっさりと100ギル紙幣を2枚出した。
「ちょっと! 英雄さんが舐められて良いのかしら!」
「構わない。情報料だ」
「? 情報料ってなんのことです──」
「いや、なんでもない。とにかく君、ありがとう。ブリーズ、行くよ」
「まいど──色々頑張ってください、エールさん!」
「ああ。それじゃ」
軽く手を振って、置いてけぼり気味なブリーズを置いてエールは歩き出した。
「ちょっと、置いてかないでって──!」
ああもう、いつでもそうだ。ずっと置いていかれているような気分になる。ブリーズは慌ててついていく。二度と見失わないで済むように。