猫と風   作:にゃんこぱん

49 / 88

「私、あっち──来る、た」
「あはは、”私”ってヘンね! あなた男の子なんだし俺とか僕とかの方がいいわ!」
「?」
「僕──僕がいいわよ、なんかそんな感じだし!」
「それ、なに?」
「えーっと、僕……僕よ! 僕、分かるわよね、僕よ」

アリーヤはアリスの言葉を真似て、一人称を私としていた。知らない言葉を学んでいくのは、他人の真似をするのが早いので仕方なかったのだが、アリスにとってはそれは可笑しなことだったようだ。

「ぼく?」
「そう!」

飲み込みは早かった。

アリーヤと出会って、毎日のようにアリスと遊ぶ。そんな日々が続いていた。

アリーヤは、アリスが何と言っているのか早く分かるようになりたかった。絵本で言葉を勉強したり、アリスに教えてもらったりしながら急速に言葉を学んでいった。

「ぼく、ぼく──僕、は」

アリーヤがどこから来たのかという話の途中で、またその話の続きを始めた。

指差す方角は遥か北。屋敷の塀で見えない向こう側の青い空のずっと向こう。

「あっち、くる、た」
「あっちから来たの?」

拙く、意味の伝わりづらい言葉を何とか理解しようとしながら、会話はなんだかんだ成り立っていたように見えた。子供同士、深いことは考えないものだ。

「……うん」
「どうして?」

簡単な疑問だったが、アリーヤはその言葉に対応できる十分な語彙が備わっていなくて、答えられなかった。

だがもしも言葉が話せたとしても、きっとアリーヤは話さなかっただろう。

両親を殺して逃げてきたなどと知ったら、きっとアリスに嫌われる。絶対に知られたくなかった。初めて出来た友達に嫌われたくなかった。

「アリス、あそぶ?」
「いいわよ、お人形遊びしましょう!」

宝物である猫や狐のぬいぐるみを持ち出してきて、アリスははしゃいだ。

アリスも、同年代の子供たちと触れ合う機会がほとんどなくて、寂しかったのは同じだった。おままごとにもアリーヤは付き合ってくれるし、楽しかった。

運動が苦手なアリスにも、アリーヤは合わせてくれる。少年だったアリーヤに人形遊びなどあくびが出るくらいには退屈だったのだが、だがアリスが喜んでくれるので、アリーヤも嬉しくて。

「アリス」
「え? 何かしら?」
「僕、きみを────まもる、よ」

それはアリスから貸してもらった絵本の中にあったセリフの一つで、何となくのニュアンスで理解していた一節。

スラムでの厳しい生活の中で、ようやく出会えた温もりへの誓い。世界を知らない少年の儚い願い。

「ふふっ、嬉しい! じゃあ私もあなたを守ってあげる! 約束よ、アリーヤ。私があなたを守ってあげる! その代わり──」

どうしてこんな約束をしてしまったのだろう。

何も知らないのに、力もないのに。そんな資格なんて本当はなかったことなど知らなかったのに。

「あなたも私を守ってね!」

こんな約束をしてしまったことを、アリスは後悔することになる。ずっと悔やみ続ける。もう一度やり直したいさえと思う。もう一度やり直せたら、今度はそんな言葉を言わせないように。

──今はまだ、誰も知らないことだが。

もう一度やり直せるならば、今度は嘘になりませんように。

どうか嘘つきになりませんように。












1−0 某日、狐は一人 中

 

 

 

 

 

「随分派手に動き回っているそうだな、エール。探したぞ」

 

よれた警官服と、剃りきれてない髭。腐れ縁の警官だった。

 

カラースプレーの落書きの壁にもたれていたエールに、警官がポケットに手を突っ込みながら歩いてくる。

 

「あの子の依頼は順調か?」

 

顔にシワが目立ち始める年齢の警官は、以前エールに託したアリゾナのことを聞いた。

 

「誰かと思えば役立たずの給料泥棒じゃないか。スラムに何か用?」

「久しぶりにお前の顔でも拝んでやろうと思ったんだ。悪いことしてねえな?」

「冗談だろジジイ。悪いことしてねえか、だと? 鏡に向かって言えよ」

 

エールにしては珍しく、明らかに悪辣な態度だった。大して人に興味のないエールがこんな態度を取るのは珍しい。

 

「誰がジジイだ。んな歳食っちゃいねえよ」

「自分の加齢臭に慣れただけだろ」

「はっ! 相変わらず口が減らねえガキだ」

「もうガキじゃない。いつまで7年前だと思っている。僕は強くなった──あんたの使いっ走りも4年前に卒業した。もう僕とあんたに関係は無いんだよ」

「連れねえガキだな。お前、今年でいくつになる? 18くらいにはなるか」

「19だ」

 

実際には正確に数えたことはないので、大体そのくらいだろうという推測だったが──。

 

「あのガキも立派になったもんだな、ええ?」

「何の用だよ。ゴミ掃除でも頼みにきたのか」

「まあそうだ。表の殺人犯が貧民街(こっち)に逃げ込んだ。とっ捕まえて引き渡してくれや」

「……めんどくさ。始末していいか?」

「ダメだ。ちゃんと生かしとけ」

 

警官の吐いた煙草の煙に嫌そうな顔をするエールに、警官は苦笑いする。

 

「お前まだ煙苦手なのか? ここで暮らしてて何で吸わないんだ、煙草くらい」

「あんたみたいになりたくないんだよ」

「はっ、そうかよ」

 

──少年だったエールを、警官は引き取ったわけではなかった。

 

そもそも7年来の関係であるにも関わらず、今日に至るまでエールは一度も警官の名前を読んだこともなければ、覚えようとしたこともない。7年間もだ。それは普通のことではない。

 

それは意識してそうしたことだ。

 

なぜなら別に、警官はエールを保護したわけではなかったのだから。

 

「前金」

「ほれ」

「1枚で足りるかよ。3枚は寄越せ」

「ちゃんとお仕事したら払ってやるさ。そういや聞きたいことがあった──お前、結構貯め込んでんだろ? どうして貧民街を離れねえ」

「あ?」

「お前くらいのコネと力がありゃあ、表で生きることも出来なくはねえだろ?」

「────」

 

警官は軽い調子で聞いた。

警察でもエールはそれなりに有名だ。時に便利屋としてこういった仕事を引き受ける──その窓口がこの警官。

 

噂では権力者──貴族と繋がっているとかいう話も聞いたことがある。4年前にエールが独立して以来、詳しい活動や足取りは警官の知るところでは無くなっていた。

 

さまざまな黒い事件が起きるが、その裏にはエールの影がちらつくようになった。さまざまな事件に対してのイロハを教えたのは警官だったから、何となく──エールがいるとわかった。

 

それだけの力を持っていて、なぜ貧民街にこだわっているのか──。

 

「俺ぁ本当はお前を刑事(デカ)にでもしてやろうと思ってたんだがな」

「死ぬほど余計なお世話……だいたいそれは、お前の夢だろうが」

「バカ言えや。俺にゃあ無理に決まってんだろ。スラムのクズを一丁育て上げたんだからな」

「僕はお前に育てられた覚えはないな」

「ああ? 誰が世話見てやったと思ってんだか」

「ボケたか? 僕が教わったのはナイフの握り方と、仕事のやり方だけだ」

 

二人の間に、温かさや気遣い、あるいは親愛はなかった。少なくともエールにとってはそうだったし、別にそれでよかった。

 

それは間違っても親子ではなかった。

 

エールは誰にも育てられてはいない。勝手に自分で育った。

 

だが皮肉にも二人の雰囲気はよく似ていた。親と子と表現しても差し支えなかった。

 

「それにあんた、子供居んだろ?」

「何年前の話をしてんだよ。俺のガキは死んじまったっての。もう随分昔──ちょうどお前を拾うすぐ前に、事件に巻き込まれてな。で、その後女房とは離婚、慰謝料でたんまり金持ってかれてちまった」

「はっ。僕はそのガキの代わりだったって訳か?」

「バッカお前、あんま自惚れんじゃねえよ。誰も、誰かの代わりは務まらねえ。それにお前は俺のガキほど可愛くもなかったっての」

「余計なお世話だ」

 

吸い切った煙草を地面に捨てて、革靴の裏で踏み潰しながら警官は脇に抱えていた封筒をエールに渡した。

 

「ホシの情報だ。一週間以内には探しとけ」

「はいはい、分かったわかった」

 

受け取って中身をチラ見すると──。

 

「感染者、ね。ご不幸なことだな」

 

健康診断にて鉱石病が発覚し、それを隠蔽するために医者を殺害し逃亡。逃げる手口がたまたま上手かったことから警察は取り逃し、貧民街へと逃げ込んだ。

 

「どんな気分なのかね。散々見下してきた感染者に自分自身がなっちまうってのは」

「それ、僕に言ってんの?」

 

エールも感染者だ。

 

鉱石病の症状は日々確実に体を蝕んでいる。治療も受けていない。

 

エールの場合は特に背中に感染結晶が集中している。ウルサスの血が混ざりながらも酒に弱いのは、もしかしたら臓器への影響かもしれないと考えたことはあったが──別に、だから何だという話だ。

 

返答はない。

 

「このくらいなら3日もあれば十分だ。さっさと捕まえてきてやる──だが、これがあんたから受ける最後の仕事になるかもね」

「ん? どういうことだ」

「……いや、別に何でもない」

「おいおい、お前何かヤバいヤマに手を出そうとしてんじゃねえだろうな。何度も言ってきたが、絶対に貴族には関わるんじゃねえぞ。絶対に手を出そうなんて考えるな、連中は普通じゃねえ」

「だからあんたは所詮労働者階級(プロレタリア)なんだよ」

「お前は死なすには惜しい。お前はまだ若いんだ、世の中にはどうにもならないことがあるって本当の意味で知らねえ!」

 

拳を握って強い口調で言う警官だが、エールはにべもない。

 

「僕はあんたみたいな無能じゃない。自惚れるなよ他人、いつまで僕の保護者気取りなんだ?」

「待て、おい!」

 

曲がり角の建物に入ったエールを追うが、一回姿を見失うともう見つけられなかった。

 

「クソッ! あの野郎……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数々の依頼をこなしてきた過程で、多くの敵も作った。

 

「──や、やめてくれ! 頼む、もういいだろ!? お願いだ、二度とこんな真似はしない、だから、ッ──」

「5人がかりで掛かれば僕に勝てるとでも思ったのか? 馬鹿だな」

 

靴先に仕込んだ鉄板で頬を蹴り飛ばすと、顎の骨が砕ける感触がする。

 

「舐めやがって!」

 

まだ力の残っていた一人がナイフ片手に飛びかかって来る──少し反応が遅れた。

 

左手の甲を切られる。相手の腕を取って顔面に肘打ち、関節を極めて地面にねじ伏せ、そのまま捻じ切る。

 

「あああああ──ッ! あああああ、い、てめえ、エールッ!」

 

近接格闘はエールの得意分野だった──警察の使う理論立った制圧格闘術。だが制圧のみを目的とした近接格闘術を、エールはアレンジして相手を叩きのめすために使った。必要以上に殴ったり、戦意を喪失した相手の関節をねじ切ったり。

 

もう二度と逆らわないように──とは言いつつも、大抵の場合は憂さ晴らしだった。

 

喚く男の喉を掴んで筋力に任せて持ち上げる。息が出来ずにもがいている。

 

力に任せて壁に叩き付けた──。

 

「馬鹿力が──どうなってんだよ化け物が……ッ! ウルサスかよてめえ!」

「この耳、見えてない? ほら、よく見ろよ──」

 

覗き込んで、目の奥に見えた自らの耳──狐耳。

 

この耳がウルサス族の耳だったら、と考えた自分に苛立ってぶん殴る。

 

ウルサス族のような怪力で殴られ、痛みに倒れ伏した。

 

半分しかウルサスの血が入っていないとはいえ、その種族特性は受け継がれたようだった。何せ実際ウルサスの母から生まれたのは事実なのだ。

 

だが、エールはヴァルポだった。ウルサスではなかった。だから必要とされなかったのかもしれない。

 

そのことと、切られた傷の痛みでイライラした。

 

「誰に言われた?」

「んなもんねえよ!」

「さっさと話せよ。殺すぞ?」

「はッ、やれるもんならやってみろよ!」

 

そうそう殺しなどやらない。殺人は敵を作る。

 

痛めつけられていても強気だった男の顔面を掴み上げてアイアンクローで持ち上げた──これも、ウルサスの混血故の筋力に任せた暴力だった。

 

めきめきと音を立てて頭蓋骨が軋んでいく。

 

倒れ伏す男の仲間達に見せつけるように──。

 

「は? おい、待て、待て待て待て──やめろ、やめろ! おい、頼む、やめ──」

 

そのまま握り潰そうと──して、やっぱりやめた。

 

手を離す──どさりと男は落ちる。

 

「まあ軽いジョークだ。やっぱ暴力は良くないし──で、誰に言われた?」

「い、言うかよ……ッ!」

「まだ分からないのか? 馬鹿の相手は面倒だな」

 

襲ってきた男たちが持ってきていたナイフを拾って、刃先を男の口の中に突っ込む。

 

「がッ──! ──ッ!」

「臭え口だな。さっさと話せっつってんのが聞こえないの?」

「は、はにゃす、はにゃすかあ──」

 

もがもがとした声で、ようやく口を割ることになる。

 

結局は怨恨で、以前の依頼の過程でボコした相手からの恨みだったようだ。

 

「お、覚えとけよ……エール! いつかぶっ殺してやる……ッ!」

 

──こんなことばっかりだな。

 

その度に相手するのも馬鹿らしくなる。やっぱり殺してしまった方がいいんじゃないか?

 

だがどっかの能天気なお嬢様を思い出して、結局やめた。

 

その理由がなんなのかを考えなかったのは、きっと認めたくなかったからなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ。エール、怪我してるわね?」

 

乾いた血を適当に洗って流していると、後ろからアリゾナが顔を出してきた。

 

「こっち。座って?」

「あ?」

「あ? じゃないわよ。それ」

 

指差す先に左手の甲に滲む血液。

 

洗った時に、固まりかけのカサブタも流れてまた滲んできたのだろう。

 

「早く来なさいよ。ほら、立ってないで」

「ほっとけば治る」

「こっち、早く来なさい!」

「いやだから──」

「こっち!」

 

有無を言わせぬアリゾナに押し負けたエールは大人しくアリゾナの隣に座った。

 

「何してきたの、全く」

 

エールは初めて居心地が悪いという言葉の意味を知った。

 

「傷口はちゃんと消毒しなきゃいけないわ。細菌がここから入ってきたら、感染症の危険もあるんだから。少し痛むわ、我慢しなさい」

 

アリゾナが持ってきた救急箱から消毒液とガーゼ、それから包帯。

 

消毒液が傷口に染みて痛かったが、癪だったので顔には出さない。

 

「喧嘩でもしてきたの?」

「子供じゃあるまいし、そんなこと──」

「いえ、あなた以外と子供っぽいわよ?」

「……マジ?」

「マジよ。自分のことを極端に秘密にしたがるの、すっごく子供っぽいわ」

「……」

 

アリゾナの言葉はかなりエールに刺さった。

 

エールにとって子供というのは弱さの象徴だった。自らが弱くて何も出来ない子供だったからこそ、第三者視点で自分が子供っぽく見えるというのは──。

 

まるであの頃と何も変わっていないと言われているようで、かなり刺さる。

 

「はい、処置終わり。エール、もう喧嘩なんてしちゃダメよ」

「僕は子供か……」

「そもそも他人を傷つけるのはいけないことなのよ。あなたに助けてもらっている身でこんなこと言うの、筋じゃないけれど」

 

適当な言葉で言い返そうと思った。

 

だが──今の治療の手つきや、触れた感触や、白い包帯を見て、何も言えなくなった。

 

「……なあ、あんた──なんで家を飛び出してきたんだ。あんたには治療の技術があるし、実家は貴族なんだろう。十分に生きていけたんじゃないのか」

「え? えーっと、そうね──……。実は私、後悔していることがあるの。私は昔……ずーっと小さかった子供の頃に、取り返しのつかない罪を犯したことがあるわ」

「罪?」

「ええ。……私が弱くて、世間知らずで……馬鹿だった。私は今でも後悔しているわ。あんまり詳しいことは話したくないけれど」

 

後悔──後悔か。

 

誰しもが持つものなのだろう。だがアリゾナにもあったとは意外だった。

 

「誰にだって抱えている過去があるわ。私は……強くなりたいのよ。強く在りたい。世の中の理不尽に負けないくらいに強くなって……それから、私の罪を償いに行きたい。そしてそれをするには、家の中は狭かった。それだけよ」

 

小さな決意だったが、硬く強く──影の混じった光のようで、なんだか眩しかった。

 

他人をそう思ったのは初めてだった。

 

「……お前は、強いな」

 

エールは初めてアリゾナの前で自嘲した。

 

あの約束にしがみついて、今だってずっと待っているんだ。

 

女々しいと思いながら、ずっと待つことしか出来なかった。きっとこの想いを抱えたまま、どこかでボロ雑巾のように死んでいくのだと思った。

 

ずっとそうだ。今だって、手段はあるのに行動は出来ない。怖くて──。

 

「僕は、どこにも行けないよ」

 

そんな寂しそうな顔を、アリゾナはふと見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこに行く?」

 

声に振り返れば、ケルシーが立っていた。

 

冷たく、透き通るような瞳がこちらを捉えている。

 

「……なんとなく、会うだろうって思ってたよ」

「最後の勧誘をしに来た」

 

人通りの多く、スラムながらチェーン店も入ってきているエリア。すれ違う人々の流れの中に二つ、向き合いながら。

 

人混みの中で、ケルシーはいやに存在感があった。そしてそれはエールも同じだった。

 

「場所を変えよう。昼飯は摂ったか?」

「ジャンクフード以外お断りだ。それでいいなら付き合う」

「いいだろう」

 

席に座る。

 

鋭い目つきでガラス張りの外をケルシーは観察していた。

 

「私は明日の昼頃、ロンディニウムを発つ。行っていた調査が終わったのでな。君にとっては、最後のチャンスだ」

「……悪いな、先生。どちらにせよ、僕はあんたの役には立てないだろう」

「どういうことだ?」

「僕を取ると、あんたに被害が及ぶかもしれないってことだ」

「……ふむ。何をする気だ?」

「ようやく腹が決まった。きっとこれが、僕の最後の仕事になる」

 

ジャンクフードに齧り付く。これを味わうのも、もう残り少ないだろう。

 

「話してみたらどうだ。他人に話を聞いてもらうのは、自らの考えの整理にも繋がる」

「……あんた、不思議な人だな。僕はあんたのこと、何も知らないのに……別に、話してもいいって思う。なんでだろ」

「ふ──。そうか」

「僕はある依頼を受けていた。スリにあった杖を取り返して欲しい……そういう依頼。調べていくうちに、その杖が最終的にある貴族に流れていたことがわかった」

 

アリゾナの依頼に関してだった。

 

並行して様々な依頼を進めていたが、結局ほとんどのリソースはこの依頼に費やされていた。これまでのコネや関係は全て使った。

 

「以前話していた依頼だな」

「そうだ。あの時僕は、この依頼を理由にあんたの誘いを断った。けど……本当は僕には、貧民街(スラム)を離れられない別の理由があった」

 

アリゾナの言葉が心に響いた──など、柄ではないが。

 

「子供の頃、ある約束をした。僕はまだその約束を果たしていない。そしてそれを果たすためには、きっとこの場所じゃなきゃ果たせないから」

「……とんだロマンチストだな。もしや初恋だったか?」

「多分そうだったんだろうな。初めての友達だったし──まあ、友達でも初恋でも、僕にとっては同じことだったよ。僕は友達のいないガキだったから、彼女だけが全てだったと言ってよかった。だが結局僕は失敗した──約束は守れなかった。彼女は親に連れられてどこかに消えて、それから今日まで二度と会うことはなかった」

 

人に話すのは初めてのことで、本当は誰にも知られたくないことだった。

 

情けなくて仕方がなかった。

 

「僕は彼女との約束を守れなかった。もう一度彼女に会うのが怖くて仕方なかった。それでももう一度僕は彼女と会いたかった。だから僕は待つことにした。彼女と出会った場所で、待ち続けることにした。彼女がどこにいるか分からなかったし、自分から探しにいくのは怖かった」

 

まるで懺悔でもするように、エールは語った。

 

「いつの日か彼女の方から僕に会いにきてくれることを、子供心ながら期待するように言い訳して、結局は何も出来なかった。ただ、いつの日か彼女がこの街に来て、何か困ったことがあった時、いつでも助けに行けるための手段を揃えているのだと、ずっと自分に対し言い訳し続けている」

 

それ以上に、生き抜くのに必死だった。

 

そしてある程度の力を得た頃には、惰性と暴力でこの街を生き抜けるようになっていた。

 

だが、彼女がいなければきっと今も言葉も話せず、とっくの昔にのたれ死んでいただろう。

 

「本当のことを言えば、僕には貧民街に留まる理由はない。どこかの外国にでも飛ぶための資金も力も十分に有った。けど僕は──……今もまだ、彼女が僕に会いにきてくれるんじゃないかって、何かの偶然でもう一度だけ会えないかって思うことをやめられず、僕は未だにこの街に住んでいる。もう8年も経つのにね。笑えるよ」

「……驚いたな。君のことを少し誤解していた」

「そうだろ? だが──それも、もうやめることにした」

 

最後の仕事は、それくらいは──本当の意味で、誰かのために尽くそうと思ったのだ。

 

「この前のジャンク店での話の続きになる。僕がウィンチェストン家のガキを始末したのは、別に私怨や気が狂ったとかじゃなくて、そういう依頼が来ていたんだよ。ウォード総督家から、二つの貴族の間に確執を作るための布石としてね」

「……なるほど、な。だがそれならどうして君は今も生きている?」

「そりゃあ殺すより生かしておいた方が得だからだ。ウォード家にとって都合の悪い連中を秘密裏に始末する専属の掃除屋になることでね。幸い、それを受け入れさせる程度に僕は強かった」

 

そしてその秘密を漏らさないことを条件に、エールはまだ生きている。

 

本気でウォード家がエールを始末しようとしたら、間違いなくエールは生きてはない。何せウォード家の権力は警察にまで及んでいるのだ。一人でどうにかなるものではない。

 

「ウォード家のベスタって野郎が、依頼されていた杖を持っている。その杖を取り返すのが依頼で──ベスタへの交渉をしてきた。杖を返してもらえないかってね。けど交渉は決裂した。ベスタは大層あの杖を気に入ったようで、手放す気はないらしい。盗品の癖にふざけてくれた」

 

ベスタはどうしても手放す気はなかった。一分未満の会話で、エールは速攻部屋から叩き出されることとなった。

 

「なので、僕はベスタを直接脅すことにする。杖を返さなければ、それまでの僕への命令を全てウィンストン家にリークするとか言ってね」

 

それまで黙って聞いていたケルシーが口を開く。

 

「──随分思い切ったな。それは今までの全てを捨てることになる。たかだか依頼一つに、全てを捨てるのか?」

「そうだ。おそらく僕は裏切り者とみなされて命を狙われることになるだろう。少なくとも、もうロンディニウムで生活は出来ない。あんたにも危害が及ぶかもしれないと言ったのはそのためだ。ウォード家から敵視されることになる」

「別にそれならば構わない。今更なことだ」

 

エールは知る由もないが、実際ケルシーにとってはロンディニウムの貴族から睨まれようと別に大したことではなかった。何せテレシスという怪物と対峙している訳だし。

 

「だが、どうしてそんな気になったんだ?」

「……あいつが心置きなく、このロンディニウムを発って、旅に出られるように……そのために出来ることが、僕にあるから」

「それだけか?」

「まあ、人生に一度程度は善行ってヤツをしといてもいいだろ?」

「ふ──。面白いな、君は」

「まあ、明日の昼まで生きてればロドスとやらに行ってもいいな。その時はよろしく頼むよ、ケルシー先生」

 

食い切ったジャンクフードの紙切れをゴミ箱に捨てて、エールの話は終わった。

 

「一つ忠告しておくが、勇気とは何も、死にゆく覚悟を決めることではない。生き残ろうとすることを勇気と言う。間違えるな」

「……分かってるさ」

 

見透かすような一言に、エールは平然を装って言うが──ケルシーには、分かっていたのだろう。

 

きっと分かっていたことだったのだ。

 

だが、それを選んだのだから。

 

せめてそれだけは、嘘にならないように。

 

 

 




長すぎたので上中下になりました。当初の予定では上下だけで済ませる予定でした。長すぎィ!

・エールとアリゾナ
結果的にエールはアリゾナの正体には気が付かないままこのルートへ。アリスがアリーヤに本当の名前を教えていれば結末は違っていたかもしれませんが……。
気付かないうちに約束を果たしたのはことが唯一の救いかもしれぬ
明らかにメインヒロイン枠過ぎる……

・警官のおっさん
実質的な親代わりだった。死亡フラグが見える見える

・ケルシー先生
強キャラ


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。