猫と風   作:にゃんこぱん

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あなたが人間である義務を果たさなかったことで告訴します。
私は、あなたが恋をとり逃がし、
幸福である義務をおざなりにし、
諦めをもってその日暮しに生きたことに対して、
告訴します。

──フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』



"The Monstar" and others -1

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「……私、知ってるわよ?」

「え?」

「いや、その……ブレイズって人のこと」

「…………マジで?」

「マジよ」

 

瞬間的に、エールはそれまで纏っていた外面を崩壊させて、それはもう深い溜息を吐き出して項垂れた。

 

「あの彼女の同期って……つまり、あなただったのね」

「僕のこと──いや、ブラストか。そのことを聞いたのか」

「ちらっとだけよ? あんまり深く踏み込んでいい話題じゃなさそうだったから、詳しいことは分からないわ。でも生きてることを知らせないのは彼女が可哀想よ、死んだことになっていたのよ?」

 

前髪ごと額を掴んで顔を伏せたエールの姿は、かなり違和感があった──むしろ一周回ってこっちが本当なのだろうか。

 

真剣な表情がくっついて笑いもしないエールの顔は、やはり英雄というイメージを保つための方便で──そんな風に項垂れる姿は人間味に溢れている。

 

「3年と、余りを合わせて……四年近くロドスにいて、分かったことがある。僕はあの場所に向いてなかった」

「なら、どうしてそんなに長い期間ロドスに居たの?」

「……さぁ、どうしてだろうね」

 

小川のせせらぎに混ざった本当の言葉は、そのまま川の流れに紛れて流れていくようだった。ブリーズには、その誤魔化しの言葉が文字通りの誤魔化しのようにも思えたし、本音だったようにも感じられる。どちらとも本当で、嘘なのだろう。

 

「僕は一度死んだんだよ。だからこんなことをしている」

 

どういう理由があれば自分から内戦の火種をばら撒こうと思うのか。そして最も厄介なのは本当にそれを成し遂げてしまったこと。

 

その行動を止められる人は、皆死んでしまったのだ。

 

「それは──……あなたの仲間達の、弔いのためなのかしら」

 

蔦が巻きついた剣や杖、砕けた盾。今は羽虫などが柄に停まっていた。それらは全て墓石だ。

 

今もその下で、仲間たちが眠っている。土を掘り起こせば白骨と残った源石結晶が見つかるだろう。残りは全て、生い茂る緑の自然に消えていった。

 

それはつまり、そこの大木には仲間たちが宿っているということなのだろうか。そう思うと、この森の生気に混じって彼らの精神が在るような──錯覚に陥った。それは錯覚なのだろうか? いや、考え過ぎだろう。

 

「君に頼みたいことがある」

 

ブリーズの欲しかった返答は返ってこなかった。

 

「頼みたいこと?」

「そうだ。多分……君にしか、頼めないことだと思う」

 

──……その言い方はズルいだろう。

 

「私にしか頼めないこと……?」

 

いやホント、その言い方は本当にズルい。

 

緩むな頬、本来の目的を見失うな。何流されようとしているんだ。そこの男を説得するという本来の目論みを忘れたのか。

 

「頼めるか」

 

真正面から真剣に──とりあえず話の内容を聞かなければ判断もつかない。話はそこからだろう。

 

そう、とりあえず話を聞くこと。その上で頼まれるべきか、断るべきかを決めよう。

 

「分かったわ、何でも任せてちょうだい!」

 

……ちょっと。閉じて。口閉じて。頼むから嬉しそうにしないで。ダメ男に引っかかる女みたいになってはダメよ、グレース。

 

「……ありがとう、ブリーズ」

 

──だから、どうしてそんな一言でやる気を出しているの。まだ話も聞いてないじゃない。

 

そして最終的に、話も聞かずに了承したことを激しく後悔することになるのだ。バカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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死因だけははっきりしていた。源石性薬物中毒(オーバードーズ)である。

 

「──また”オレンジ”ですか……。こうも多いと気が滅入りますね」

「せめて果物の方なら、私たちも大騒ぎしなくて済むんだけどね」

「高い金払って買うんなら、どうして健康と安全を買おうとしないんですかね……」

 

若い看護師が嘆く通りだ。全くもって完全同意である。

 

「多すぎるんじゃない、最近」

「街を歩けば売人だらけですから……。特にここ最近は酷い──そろそろ大洪水に備えなきゃいけないのに、その準備もせずに一日中ラリってる連中が大量にいるんです。見ませんでしたか? そういう連中」

「あまり外は出歩かないようにしているの」

「賢明な判断ですね」

 

どの部隊も体が資本、レオーネ内の人材はとにかく体が大きくなるし強い。治安のそうよろしくない場所でも多少は安心して出歩けるが、衛生科は例外だ。特に病院付きの、ブリーズのような医者は。

 

全く体力がないのも問題なので、基礎体力訓練程度は衛生兵も積むのだがブリーズはこれがさっぱりで、一キロも走れない。それを補って余りある医療技術があるので、何とか追い出されてはいない。

 

「……それにしたって、自殺ってこともないよね。事故とか?」

「外傷はありませんからね。検出した成分は解析に回しておきましょうか」

「それがいいかもしれないわ。公安省からは何か来てる?」

「えっと──」

 

そこでブリーズが初めて口を挟んだ。

 

「来てるわよ」

 

──窓際に設置された型遅れのパソコンを前に、日焼けして黄色くなったマウスを動かすブリーズの姿がある。

 

ネットインフラは高級品であり、エクソリアで実用しているのは国家組織程度のものだった。レオーネでも導入している。この辺りに関しては知識を持つ人間がごく限られていて、ブリーズもロドスでこの辺りの知識を得ていなかったらきっと使えなかっただろう。

 

コンピュータ自体は存在していても、ネットワークの構築まではしばらく時間がかかる。民間がネットワークを使い始めるには、あと十年ほどは掛かるだろう。

 

「詳しい成分についてと、検死結果の請求ね。あの人たちったら、病院を検死所か何かと勘違いしているんじゃないかしら?」

「それは正直思います。態度もデカいし、そのくせ犯罪率はさっぱり下がってない。今の現状がなかったら、あんな奴ら全員ぶっ飛ばしてやりたいです」

 

公安省はレオーネ設立以前から存在していた組織ということもあり、新興のレオーネとはそう仲がいいとは言えなかったが──かと言って公安省が自力で詳しい検死を行える訳でもない。

 

「犯罪が多いのは、レオーネの責任もあると思うけど。みんな不安なのよ──今のところはうまく行っているけど、一度でも敗北してしまえばそれを支え切れる余力なんてないこと……肌で分かるじゃない。ブリーズは良く来たよね、こんな国に──いえ、感謝しているのよ。本当に」

「こんな国、じゃないわ。みんな親切だし、なんだかんだで陽気なエクソリアの人たち、私は好きよ」

「そう? そうね──そういえば、確かブリーズってエールさんが連れてきたのよね。どういう関係なの?」

 

看護医が興味津々といった様子で聞いていた。ブリーズは散々聞かれてきた質問に、半ばうんざりしながら答えた。

 

「ただの昔馴染みよ」

「付き合ってるって噂、あるわよ?」

「……もう。他人の恋路がそんなに気になるのかしら」

「そりゃあそうよ。ブリーズくらいの子に恋人の一つ、居ないわけないじゃない。それにエールさんもね」

「そう? あの唐変木に?」

 

ここでガールズトークに挟まれて居心地の悪そうだった看護師が口を挟んだ。

 

「唐変木なんかじゃありませんよ! エールさんはずっと気さくな人なんです。よく病院にも来てくれて、いろんな人の話を聞いてくれるんです。俺も聞かれました、仕事のこととか、家族の話とか……」

「そうね、最初は結構厳しい人だと思ってたからびっくりしちゃったね。あんまり笑わないのはイメージ通りだったけど──でもなんか、話していると不思議な感覚になるのよね。あれなんだろう、包容力とは違うけど……」

「器だと思います。俺、バオリア出身で……バオリアが北部軍に占領されていた時に、妹が暴行に遭って、その後自殺したことを話したんです。なんでそんなこと話したのか、今考えても分からないんですが──」

 

いくらエールが軍人たちの精神的な支柱であるとはいえ、簡単に話すには重すぎたことだ。それに一歩間違えれば、それはエールの責任だと遠回しに伝えてしまうことになりかねない。

 

『君の妹は蘇らないが、君の妹が確かに生きていたことを覚えておくことは出来る。話してくれてありがとう』

 

「静かな声でそう言ってくれて──何でか、救われたような気がしたんですよね。何でかは、よく分からないんですけど」

「あー……。なんか、想像できる気がする。何でも受け入れてくれる感じとか──あー……私の彼氏もあんな感じだったらなあ。いっそアタックしちゃおうか」

 

と──不穏な気配を醸し出した女医者に、反射的に口を挟んだ。

 

「絶対やめなさい。ロクなことにはならないわよ」

「……ちょっと? ブリーズさーん? その反応は、取られたくないって解釈してよろしい?」

「そんなんじゃないわよ。あのお馬鹿さん、またそうやって──」

 

勝手に全て知った気になって。覚えておくだと? ふざけるのも大概にして欲しい。出来ないことを約束するのは無責任だ。

 

それで潰れるのは、一体誰なのか分かっているのだろうか。

 

「背負うだけ背負って、一人でどこかに行こうとするのよ」

 

──冷たく突き放すような言葉だった。憂いの帯びた瞳はどこを捉えているのだろうか、そのシーンだけを切り取って絵画にでも出来そうだった。近づくのも憚られる気さえする。

 

そしてしばらく、どうにも形容し難い沈黙が生まれる。ブリーズは気まずくなって、チラリと同僚の顔を見た。同僚は呆けていた。それから口元をニヤリと歪めた。

 

「ブリーズちゃぁあん? 何、何今の。今の──今の何!?」

 

完全に面倒なことになったことを理解した。看護師の方は顔を抑えている。どうした?

 

「乙女の顔だったよね、やっぱり私の予想は当たってたんじゃない!? 医師と軍人のラブコメ、燃えるわ〜!」

「燃えないでちょうだい……。誤解しているようだから言っておくけど、私にそのつもりはないわ」

「またまた──いつ死ぬかも分からない職業じゃない、軍人なんて。後悔してからじゃ遅いのよ」

「いつ死ぬかも分からないからよ。後悔の数になら自信があるし、だいたい私にはそのつもりはないわ。恋人を作るなら、あの人だけはやめておいた方がいいわよ」

 

いつもは少し悪戯げなブリーズだが、こればかりは本気のトーンだ。事実本心である。

 

「浮気性とか? まああの人の色恋沙汰なんてあんまり想像できないけど。愛人の一人や二人、囲っていても全然可笑しくないのに」

「無縁よ。モテないわけじゃないでしょうけど……」

 

書籍を机に広げて作業していた看護師の方が、そこで口を挟む。

 

「え? 俺聞きましたよ──あのロゥ家の一人娘とエールさんが婚約した、とか」

 

実は話したくしてウズウズしていた。こんなビックニュース、話したくて仕方がなかった。

 

「え、それどこ情報?」

「友達からです。結構確かな筋で、話では明後日にでも公式に発表されるとか!」

「うそ! え、いやでも……有り得る、のかな。確か、メリィ財団がレオーネへの支援を発表したのって、つまり……政略結婚ってことじゃない」

「どういうことですか?」

「知らないの? メリィ財団はロゥ家傘下の財団よ。一人娘の名前がこの財団から取られているっていうのは、それなりに有名な話だと思っていたけど」

 

──ふと、黙ったままのブリーズに目をやる。

 

「……あの、馬鹿…………」

 

普段の微笑みはどこへ行ったのか、口元を喜びとは別種類のそれに歪めて、青筋を立てるブリーズを目撃した。

 

ゆらゆらと立ち登る怒気に、地雷を踏み抜いたことを察して同僚たちはそっと逃げる準備を始める。そんなことを他所に──

 

「今度会ったら、覚えてなさいよ…………」

 

そんな無理難題を呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/18 to 8/19 ___”The Monstar”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かがおかしい。

 

最初にそう感じたのは、誰だったろう。

 

それは例えば急増していく貧困層への支援額や、三割り増しで増えていく給料、あるいは高騰する物価と、比例して高まっていく活気か。

 

それとも、未だ消え去らない日陰の暗さが、より色を強めていることか。

 

「おい聞いたかい! 食料品の買い出しが始まったってさ! 何してんだ、さっさと行くよ!」

 

大柄な母親が息子に怒鳴ったように、大洪水に備えて食料品や生活品の買い出しが始まっていた頃だった。

 

そう余裕のある家でもなかったが、息子がレオーネに入ったおかげで家族手当が入った。おかげで食い物に困ることも少なくなった。

 

兵士として戦う代価として、家族への手厚い支援が約束されていた。その約束は本当に果たされることになり、若い人々は家族を養うためにこぞってレオーネへと志願していった。

 

そんな資金がどこから出ているのか──実は一つ裏がある。

 

戦闘ごとの兵士の死傷率は非常に高い。そして頻発する折衝に対応するため、十分な訓練が行われないまま実践を経験することが珍しくないのだ。

 

言い方を選ばなければ、兵士たちは使い捨てと表現されて過不足なかった。死んだ兵士の家族には一括でそれなりの金額が支給されるが、それっきりだ。家族を養い続けるには生き残って給料を貰い続けなければならない。

 

死ねない理由が増えることが、また南部軍の強さの一つに加わることになる。そしてこのシステムをサポートしているのはロゥ家であり、その他の企業群である。

 

最近は特に兵士募集を呼びかけていることから、近々大規模な奪還が計画されているのではないかと噂されている。奪われた鉱石都市「ホークン」の奪還だ。

 

それは、奪われた経済を取り戻すということと同義だった。

 

希望は際限なく高まっていた。膨らみ続けていた苦しみに終止符を打ってくれる英雄の存在は、もはや誰もが渇望して、誰もが盲目だった。

 

「母さん、ちょっと寝かせてくれよ。訓練続きで死にそうだったんだ……」

「何言ってんだ、男手がないと運べないだろう! スクーター直してもらったんだからさっさと行くよ。早くしな!」

「せっかく家に帰ってきたのに、容赦ないなぁ……」

 

若い軍人はボヤきながら、痛む全身に鞭を打って体を起こした。こうなった母には逆らえない。

 

数ヶ月ぶりの実家は、なぜだかとても久しぶりに感じた。毎日死ぬような思いで訓練をしていたからだろう。すっかり兵士としての根性が染み付いていて、疲労や苦痛と関係なく体を動かせるようになっていた。

 

ともあれ、大洪水にも慣れたもので──毎年のようにやってくると、「ああ、今年もこの時期がやってきたか」なんて風に受け流せるようになった。

 

「みんなの分まとめて買い出さなきゃいけないんだ、さっさとしないと夜になるよ!」

「分かったって……」

 

中心部からは少し離れた場所で暮らす一家だが、徴兵で父親を失って以来は随分と貧しい暮らしを余儀なくされていた。周りの人々もそんな感じだったので、助け合いながらなんとか日々を凌いでいた毎日。

 

今ではそれすら懐かしく感じる。

 

「そうだ母さん、リィはどこにいるの?」

 

幼馴染の名前を出して、青年は尋ねる。連絡もとっていなかったし、久しぶりに話がしたかったのである。

 

だが──いつもは豪快な母の顔が、どうにも曇っていた。不機嫌そうにも見える。

 

「あんた、リィのことはもう忘れな」

「え?」

「出てったよ、リィは」

「……え?」

 

全く予想だにしない返答に言葉を失う。

 

「薬にハマったんだよ。やめろっつっても聞きやしなかった。そのうちどっからか変な連中が現れてさ、借金があるから連れて行くつってどっかに連れてって行きやがったのさ」

「リィが……? そんな、どうして」

「バカな娘だよ。アホな男と付き合って、アホな事して。そんなわけだからもう忘れな、時間の無駄だよ」

「そんな言い方ないじゃないか! 俺の妹で、母さんの娘なんだよ!?」

「あいつ、あたしの財布からこっそりお金盗んで行ってたんだよ。あたしらは貧しいなりに誇りを持って生きてんだ。それさえ忘れちまったんなら、そこいらの犬っころと何が違うってんだ」

「そんな……」

 

母親は言わなかった事だが、リィが盗んでいった金の出どころはつまり、レオーネからの支援金だった。青年が兵士として戦う代わりに、家族への支援金が発生する仕組みだ。

 

その金で一人ラリって楽しんで、壊れていったただのバカにかける情けはないとばかりに、母親は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「とにかく、やることをやんなきゃいけないだろう。あんたが家に戻ってきてる間に準備は済ませたいんだ」

「……母さん、俺少し出てくる」

 

どのようなことがあろうと、明日を生きるための準備を怠るわけにはいかない。自然は事情を考慮してくれないからだ。

 

ただ、その全てを受け入れることはできなかった。

 

「何言ってんだ、見つかりっこないよ。バカなことはやめな。それに見つけたってどうしようもないよ。一回中毒者(ジャンキー)になったら戻れやしないさ、知ってるだろう!」

「……やってみなきゃわからない」

 

そう言い残して、青年は実家を飛び出した。

 

青年の二日程度の里帰りは、この一件で完全に消滅することになり、どころか──ある一つの重大な出来事に繋がることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはオレンジと呼ばれている。透明度の高い粉末状の薬剤だ。

 

何より特徴的なのは見た目だ。ガラスを粉々に砕いてオレンジと並べれば、まるで区別が付かない──。

 

性質としてもガラスに似通っていて、大きな破片では指を切ったりすることもある。

 

初めに、手頃な耐熱管にオレンジを入れる。

 

次に専用の水溶性薬物を耐熱管に注ぎ込んで、オレンジと混ぜ合わせる。

 

最後に、それを火で炙る──気化したガスを吸引すると、世界の全てがぐらつくような不安定さと平行して、空の果てにまで辿り着ける。

 

水溶性薬物──起源的にはアルカロイド、つまりはコカインである。オレンジに合わせるために特殊な処理を施して水溶液となっていた。これ単体では見た目がただの水であるために、見分けるのは目視ではほぼ不可能。

 

そしてオレンジ。

 

それは源石薬物(オリジニウム・ドラック)の代表。

 

アルカロイド水溶液にオレンジを溶かすと、化学反応により溶液の色が変化して、それは鮮やかな橙色を見せる。これが名前の由来。今では水溶液までひっくるめてオレンジと呼称されている。

 

自然豊かなエクソリアには、伝統的な麻薬が存在していた。大麻に近似されるそれが変革していった結果がオレンジ──最も、そこに源石(オリジニウム)を持ち込んだのが一体どこの誰なのか。

 

通常の麻薬と異なり、源石薬物には高いリスクが伴っている。一つは鉱石病(オリパシー)だろう。肺臓が感染源となり、常用者は確実にこの病に罹るという。

 

ただし、強力なアーツを扱えるようになるという噂や、エクソリア独自の生死観も合わさり、これを規制する強力な法なり組織なりは現れていない。そもそもオレンジ自体がここ一年以内に現れた新興のドラックである。

 

ただしオレンジは、既存の薬物市場を全て塗り替えてしまった。

 

「──買わねえんなら用はない。商売の邪魔をしないでくれ」

「頼む、妹なんだ! この写真、見覚えないのか!?」

 

フィルムに映る妹の笑顔を興味なさげに一瞥して、髭の伸びた売人はかぶりを振った。

 

「ねえよ。知らない知らない、さっさと諦めるなりしてくれ」

「……くそっ」

 

過ぎていく時間に焦りばかり募った。

 

家族にいい暮らしをさせるためにレオーネに入隊したのに、肝心の妹は消えてしまった。ままならない現実に苛立ちを示したってどうしようもない。分かってはいる。

 

「だからって、諦めろって言うのか……」

 

休暇は二日間だ。それが終わればレオーネに戻り、戦闘訓練や哨戒任務に当たらなければならない。その間に妹を見つけられなければ──おそらく、二度と会うことはないのだろう。

 

「……おい、あんた。さっきの写真、もう一回見せてみろ」

「? なんだよ──」

「いいから」

 

ひったくるように写真を掴んだ売人の顔色が変わっていた。

 

「何か知っていることがあるのか!?」

「確か、この女……一度見たことがある。シラクーザ系の移民だと思うが、そこの下っ端か誰かの取り巻きに、こんな顔のやつが居たような気がする」

「本当か!?」

「結構前の話だぞ? 随分胸とケツのデカい女だったから覚えてる。背が高かったが、いい女だった」

 

──符合する。

 

自慢の妹だった。寄り付いてくる男は跡を断たなかったし、頻繁に恋人は入れ替わっていたが、笑顔が本当に楽しそうで、実は天真爛漫な妹。

 

「……今、どこにいるか分からないか」

「知らないな」

「頼む、俺の妹なんだ!」

「家族のあんたが知らないなら、他人の俺が知っている訳がないだろう? 俺は情報屋じゃなくて、ただの売人だ」

 

往来の中で、傍目も気にせずに頭を下げた結果でもこの有様だ。

 

アルゴンの街には無数にいる売人で、無数にいる薬物服用者の中で──行方知れずになった者の数など、それこそ数え切れるものか。

 

「色々教えてやったんだ、一つくらい買っていけよ」

 

懐から取り出した一セットのオレンジを見せびらかしながら差し出した売人に、軍人の青年は吐き捨てた。

 

「俺は軍人だ! やめてくれ」

「……あんた、軍人なのか?」

「そうだよ! 帰ってきたら妹が居なくなっていたんだ!」

「気が変わった──」

 

またしても不穏な空気を醸し出した売人に対し、青年は思わず身構える。

 

軍人に対して憎しみを抱いている連中もいる。売人もその一人かもしれなかった。

 

「手伝ってやる」

「……え?」

「俺は売人で、エールのような自由主義者(リベラリスト)じゃない。だがあんたら軍人には感謝している。どっか後ろ暗いエールに思うところは多いが、軍人なら誰彼構わず憎い訳じゃない。あんたらのおかげで俺まで戦わずに済んでいる。妹の名前は?」

「……リィだ」

 

火薬臭い改革の吹き荒れる南部の中には、古臭い伝統主義者たちが嵐を耐え忍んでいる。

 

伝統的で保守的な生活を守るために、伝統の破壊者たるエールの手を借りなければならない矛盾。その中に、滴り落ちる汗が映し出す蒸し暑い現実だけが残されていた。

 

今は亡き黄金の時代。或いはまだ訪れていない希望の時代。いつしか救われることを願っている。

 

終わらない苦難に、誰かが終止符を打ってくれる日が来ることを願い続けているのだ。物陰から隠れ潜んで、嵐が過ぎ去るのを待つ動物のように。

 

誰でもいいから戦争を終わらせてくれと、誰かが呟いていた。

 




またシリアスが続くのかって? その通りだよ、ボブ。

・青年とか
特に名前のないモブの人々。このエピソードの視点担当の人

・時系列とか
日付が前後しますが、まあ特に気にする必要はありません。そのうち設定のガバが起きるでしょうが。
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