猫と風   作:にゃんこぱん

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"The Monstar" and others -2

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かつてない苦境に立たされていた。

 

「……黙ったままか? さっさと答えろ」

 

まるで死神の使い、いや死神そのものだ。ステレオタイプな死神の鎌にも似た、滑らかな反りの曲線を描く大剣。そう、まさしく大剣──或いは、それがその死神の鎌だろうか。

 

振り回すどころか、構えるだけでも一苦労のはずだ。材質が何かは知らないが、まさかプラスチックではないだろう。それを軽々と背負い、フラつく様子一つも見せない。細身の体に見合わない、鍛え抜いた肉体。

 

慣れない冷や汗が流れる。

 

だらりと、蒸し暑い室内に垂れ落ちる。

 

「お前たちは、私たちに従うのか。それとも反抗するのか。言え、この一件の首謀者は誰だ?」

 

──どちらがギャングか分からない。

 

一度壊滅寸前にまで追い込まれ、これ以上ないほどの苦痛と絶望を与えられた。その恐怖が抑え切れない。

 

「何が目的だ。金か? 金が足りないんだろう、でなければこんな真似はしない。違うか!?」

「……私はな、面倒ごとが嫌いなんだ」

 

首の千切れた誰かの体が三段ほど重なって山になっていた。座るのにはちょうどいいとばかりにその肉袋の上に腰掛ける女は、不機嫌そうに──これが普通なのかも知れないが──睨んだ。

 

「これ以上私に面倒ごとをさせるな」

「……分かった。約束、する」

 

絞り出した一言が、どれほど屈辱的なのか……女には絶対に分からないだろう。誇りを侮辱され、踏み荒らされ──その上で奴隷になることを受け入れさせる、この屈辱は。

 

「ボス!?」

「……他に、道はない──。用意しろ」

 

側近の驚愕した声さえ自らを責めているようだった。普段なら額に火のついた煙草でも押し付けてやるところだが、今回ばかりは──どうしようもない。

 

「期限は明日までだ。いいか……()()()はバカで甘い。だが()()()に比べれば、私の力など大したものじゃない。譲歩はした──よく覚えておけ。次はない」

 

返り血で汚れた灰色の代理人(スカベンジャー)が、冷たく言い残して去っていった。

 

「……あいつらさえ、居なければ──」

 

溢れた声、疲れた顔。かつてはアルゴンの裏社会を震え上がらせていた男も、今となっては跡形もない。

 

全てはリン家の崩壊から始まった、いや──もっと言うならエールの登場から始まっていたのか。

 

バオリアに居を構えていたリン家は、前々から雲行きが怪しかった。それは客観的に見ればそうだった。だが──ハノルはアルゴンの裏社会にさえ取引を持ちかけてきた。従来続いていたリン家との商売を切り替えて、ハノルの提案する新しい麻薬ビジネスに飛び付いた。いずれハノルがリン家の全てを握るという確信が、勝ち馬に乗ろうとする手っ取り早い勝ち方へと組織を導いた。

 

ハノルが消えるなど、誰が想像出来たのだろうか。あの男はこれまで出会ってきた全ての人間より狡猾で、残忍であり、合理的な男だった。

 

誰に消されたのだろうか? 答えは明確だ。

 

今、リン家がこれまで牛耳ってきた全ての利権は、二大貴族の一つ、ロゥ家と──レオーネ、つまりはエールとグエンが山分けする形になった。

 

暗闇の中で生きるのはお勧めしない。

 

規範や道徳に従って生きている人間は、何らかの保護や正当性を得られるが──自ら望んで暗闇で生きることを選んだ人間は、誰にも助けてもらえないのだ。

 

そう、悪を喰らうのはより強い悪。それが男の信じていた信念。

 

今までは、喰らう側だった。それが突然喰われる側になったとして、なんの不思議があろうか。どこにでもあることだ。

 

「──ボス、知らせておきたいことが!」

 

すっかり気力を失ってしまったボスの元に駆け込んでくる声に、気怠げに視線をやった。

 

「……後にしろ」

「いえ、もしかしたらヤツ(エール)の弱みを握れるかも──」

「なに……?」

 

悪巧み。

 

 

 

 

 

 

 

 

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──夕方になっていた。

 

南部エクソリアは科学技術が発達していない。近隣にある大国、例えばサルゴンなどの影響を受けて、自動車やスクーターは存在していたりするが、高度な技術を要するネットインフラは構築できていない。無線通信が関の山である。

 

携帯電話などが普及していないため、全く知らない人間に連絡をとる手段がない。そんなわけで、売人に言われた場所で待ってたのだ。

 

だが夕方になるまで待っていれば、流石に暇が過ぎていた。

 

どこぞの風俗店とは顔見知りらしく、ベッドだけがある一室に通されて、ここで待っていろ──とか言われても。

 

隣部屋からは嬌声が絶えない。

 

「待たせた」

 

そんな中で、突然に扉が開けば驚いてそっちを見上げる。

 

「……待たせすぎだ! 何時間こんな場所に居させる気なんだ!」

「一発ぐらいヤってなかったのか? 暇つぶしに、と思ったんだが」

 

件の売人で、相変わらず何を考えているか分からないような顔をしている。エクソリアには珍しい、落ち着いた人間なのだろうか。

 

「うっ……」

 

──生まれてこの方、異性と付き合ったことのない青年は、予想しない返答に面食らって吃った。

 

「まあいい。あんたの妹、リィと言ったよな──」

「そうだ、妹は、リィは!?」

「見つからなかった。結論から言えばな」

 

二秒ほど固まって、それからため息と共に青年は項垂れる。

 

それから立ち上がって、ふらふらと扉へ向かった。

 

「帰るよ。ありがとう、妹を探してくれて」

「待て、話には続きがあるんだぞ」

「……それを早く言ってくれ」

「全く……いいか、ドラッグにハマって()()()()に落ちてくる女の末路は二つだ。一つはこういう水商売──ちょうどこの店のように」

「この店、って──」

「借金だったり、家族を養うためだったり──事情のある女が働いている。俺はその方面に顔が効くから、一通り探し回ってきたが、あんたの妹らしき女は居なかった」

 

今もそんな暗闇があることに、半分ほど驚いていた。

 

エールが現れてからも、まだそんな暗闇がこの国に残っていた。暗闇が消えない理由ははっきりしている。それは突き詰めれば、戦争が終わらないことに端を発する。

 

「そしてもう一つ。まあこっちと似たようなものだが……ギャング組織のお抱えになる、って末路だ」

「は、はあ……? なんでだよ」

「一種のステータスみたいなものだ。いい女をたくさん抱えていることは、ギャングの力をそのまま示してる。噂だが、そういうお抱えの女──いわゆる高級娼婦(ハイ・フライヤー)の存在そのものが組織同士の取引に使われたり、トレードされてるらしい」

「訳が分からない! リィがそんなことになってるってのか!?」

「俺の見解を述べるなら、可能性は高い。ギャングに気に入られれば、そいつの意思とは関係なくやがて薬物中毒者(ジャンキー)なってしまう。オレンジはその依存性が特徴のドラックだ」

 

──つらつらと冷静に解説する売人には大した事実ではなかったのだが、青年にとっては違っていた。

 

「……サンクルーランの向こう側」

 

単体では意味の分からない言葉だが、売人の男は感心したように眉を上げた。

 

「詳しいな? サンクルーラン(此岸の境界)、ラリった時の感覚はその向こうを越えていく勢いらしい。常用してれば遠くないうちに本当に渡ってしまうが」

 

サンクルーラン──というのは、エクソリアの大部分の民族に伝わる民族神話の一つで、人と大地を隔てている川のことだ。

 

エクソリアに宗教は存在していない。だが信仰は存在している。

 

人は荒ぶる大地から生まれ、やがて荒ぶる大地に帰っていく。

 

天災に対する信仰と畏怖が根底に存在し、サンクルーランもその一種であり──ある学者の分析に依れば、もうすぐアルゴンに訪れる天災の一種、「大洪水」が原型であるとされる。

 

この川の向こう側には、大地を統べている人がいて──全ての魂は彼の元へ集い、苦難に満ちた魂の全てを大地に帰してくれる。

 

この信仰に熱心な人も、そうでない人も──エクソリアで生まれ育った人々ならば、誰しもが根底にはこの意識を共有している。少なくとも、ラリった時にそんな情景が浮かぶ程度にはその存在を信じていた。

 

「さっきも言ったが、俺の記憶が正しければお前の妹はギャングに連れられていた。いい女だったからな。どこの組織かまでは分からないが」

 

薄い壁の向こう側からは相変わらず誰かの嬌声が聞こえてくる。とても遠く、現実離れした──その実これ以上ないほど現実的な──遠い声がずっと聞こえている。

 

どうにも性を沸き立てる種類の声だが、まるでそんな気分にはなれないまま青年は立ち尽くしていた。

 

「どうする?」

「どうする、って──」

「ギャングに関わるのは危険すぎる。命を落とす可能性も高い上に、確実に見つけられるとは限らん。軍人ならいつまでも暇って訳じゃないだろう?」

 

つまりは、妹をそれでも探しにいくのか? そう訊いているのだろう。

 

「……一つだけ、教えてくれ。オレンジ中毒になった人は、元の生活に戻れるのか?」

 

絶望の混ざった顔で青年は、まるで祈るように呟く。

 

「無理だ──とは言わない。だが……難しいだろうな。オレンジを常用してれば一週間も経たずに鉱石病(オリパシー)に感染する。そうなれば、仮に依存症から脱却出来ても、完全に元の生活に戻るのは難しくなる」

「……」

 

エールの行った受け入れ政策で流入してきた移民は、ほとんどが感染者だ。特にアルゴンは戦線から最も離れた街であるために移民の入り口となっていて、街には感染者が急増している。

 

南部には感染者に対する差別が存在していなかった。そもそも鉱石病が存在していなかったためだ。

 

だが、新しく、異質なものを拒否するのは人間の性である。どんな厳しい仕事でも喜んで引き受ける移民に、元々南部に住んでいた人々が仕事を奪われるケースもある。

 

ウルサスのような強烈な迫害は起こり得ないにしろ、少なくともエクソリアは感染者にとっての楽園には成り得ていない。当のエール自身が感染者であることを公表しているため、明確な排斥や差別に繋がる事態が発生していないのが不幸中の幸いか。

 

ただ、順風満帆でないことだけは確実である。

 

「俺はもう三年以上売人をやっている。オレンジが現れたのはここ半年以内だが、それより以前から──薬物中毒者(ジャンキー)が更生した話は聞いたことがないし、見たこともない」

「妹を助ける方法を──」

「諦めた方がいい。これは親切心からのアドバイスだ。得られるリターンに対し、リスクがあまりにも大きすぎる。お前の妹を助けるということは、裏社会に無数に存在するギャング組織の中からただ一人を探し出し、奪い返し、そしてオレンジから足を洗わせることだ。控えめに表現するが、無理だ」

 

どれを取っても難しい。一介のヒラ兵士である青年は、鍛えた体こそあっても──それがこの問題を解決できるとは到底考えられなかった。

 

「それに、俺も命は惜しい。仕事のこと以外でギャングに関わりたくない。これ以上の協力はできない」

 

逆に、名前も知らない他人に対してここまでの情報を集めてくれただけでも、十分過ぎるほどなのだ。

 

特に今の裏社会は、元々存在していた伝統的なギャングに、新興の半グレ集団、それに加えてシラクーザ系移民を中心としたマフィアまで現れ始めている。混沌の渦には近づかないのが最も賢明な選択なのだ。

 

「……わかった。ありがとう、見ず知らずの俺に、ここまでしてくれて」

「気にするな。戦士には敬意を払うさ」

 

──軍人である青年のことを兵士ではなく戦士と形容するところが、人々のレオーネに対する誤解の一つであった。

 

売人の献身的な行動は、外敵と勇敢に戦う軍人への、人々の幻想を反映していたのかもしれない。

 

恐怖に疲弊した人々の、諦観にも似た信仰──せめて、英雄エールが率いる勇敢な軍人たちは理想の戦士たちであってほしいと願う心。

 

戦場の歯車たる兵士としては、そのギャップに嫌な軋みを覚えていたが──口に出すことはしなかった。

 

訂正したところで、大した意味などないことを知っていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……え? 私がいくのかしら?」

「いつもならわたしが行くんだけど、実はちょっと忙しくて……。患者の症状は安定してるから、異常がないかだけ見てくれれば大丈夫よ」

 

申し訳なさそうな同僚の顔。

 

往診──患者の家にまで出向いて、診療を行う医療方法の一種。

 

「酷い病気なの?」

「いやー、そういう訳じゃないんだけど」

「ならどうして? 今のところ、優先するべきことは他にあると思うけれど……」

 

軍病院──元アルゴン国立病院では、一般兵士たちの治療や、民間人の診療も受け付けているが、ほとんど軍に関連することが仕事の大半だ。

 

それに、緊急の事態でもない限り、民間人は治療を受けることが出来ない。理由はシンプルで、医療代を支払えないからである。現代国家のような保険制度が充実しておらず、命に関わる病気でも治療を受けれない事態が少なくない。

 

軍人以外が診療を受ける場合、大抵はその人物は富裕層である。

 

軍病院の医者たちは、本当に苦しんでいる人々を助けることができないことを知っている。そしてそれを解決する余裕が、今のレオーネにないこともよく分かっているのだ。

 

「それが、患者はギャングの大物でさ」

「え? どういうこと?」

「エールさんの指示なのよ。最低限死なせないようにしておいてくれって」

「……。あの、お馬鹿さんは……何してるのかしら」

 

出身が出身であり慣れているためか、裏社会の重要人物と平然と繋がりを持っている。一体何の目的でそんなことを──。

 

「──っていうか、いい加減不信感とか生まれないのかしら」

「不信感?」

「あなたの話よ。普通、そんなこと言われたら怪しむものでしょ? あのお馬鹿さんが汚い手段を使っているかもしれないし、もしかしたら私利私欲のために何かしているのかもしれないじゃない」

「? そんな訳なくない?」

「いえ、ええ、まあ……確かに、そんなタイプじゃないけれど」

 

──末端の兵士に至るまで、トップに一切の不信がないというのは、組織という生き物に置いて相当に貴重なのだ。

 

「エールさんのことを盲信してる訳じゃないよ。あの人を信じられる人だって、自分で判断して決めたんだから」

 

ある程度怪しいことがあるにしても、それを踏まえてエールのことを信用している。それら全ては、未来に繋がるものであると。

 

「……分かったわ。でも、あんまりあのお馬鹿さんを信じてると、そのうち痛い目を見るわよ」

「それは経験談?」

「そうね。後悔する羽目になるかも」

 

茶目っ気たっぷりに笑うブリーズだが──実際、笑い事ではない。

 

もうあんな目に遭うのはごめんだ。何もできないまま、守られたまま終わるのは──今となっては、もうブリーズしか覚えていない。

 

エールはもう忘れてしまっている。だからせめて、自分だけは覚えていなければならないと、そう決めた。

 

「これ、患者さんの情報ね」

「ありがと、じゃあ行ってくるわね。一つ貸しにして差し上げるわ」

「今度何か奢ってあげる。一緒に飲みにいきましょ」

「いいアイデアね──そんな暇があれば、だけど」

「あはは、違いない」

 

いつもの診療鞄を持ち上げて、ブリーズはふっ、と切り替えるように軽く一息ついた。

 

そしてその一時間後、ブリーズは滑らかに拉致されるのである。またかー……。

 

 




・スカベンジャー
しっかり暗殺者が似合う人になってしまった人。

・売人
シンプルに親切な人

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