9/4 羅刹と大木
その後、エフイーターは行動方針を失った──が。
「……ちょっと、どうしてついてくるのよ」
ブリーズの不満がやっと口から出てきた。
ぴったり3メートルを維持して、絶妙な距離感で後を付けてきたエフイーターに、ブリーズは若干の苛立ちを感じていたのかもしれない。
ラスト──あの青年は、灰色の髪をした目つきの悪い女が迎えに来て、そのままどこかへ連れて行った。それを止める理由がなかったために、エフイーターは指を咥えて見ていることしか出来なかった、が。
転んでもただで起きてやるものか。
「話があるんだよ。ツラ貸せ」
──ヤンキーのセリフである。
普段から温和で協調性の高いエフイーターとブリーズだったが、今はピリついている。いつになく緊張した雰囲気だが、二人ともそれに呑まれるどころか──
「嫌よ。私は忙しいの、あなたと遊んでいる暇はないの。特に今は」
「おまえ、あいつとどういう関係だ」
直球勝負──エフイーターはいつもそうだ。物事はシンプルに。
「……これから人と会うことになっているのよ。だから、あなたと話している時間はないの」
──ブリーズの背後には、厳重な柵で覆われたレオーネ本部。併設してあるバオリア基地のため、広大な面積を持っている。入り口にはセキュリティーの人員が立っている。
それを言い訳にしてブリーズは逃げているとも取れる言葉だったが、事実ブリーズは忙しかったし、重要な立場にもあった。
それは軍医としての立場というよりは、より個人的で、より大きい──。
足を進めてセキュリティーへ向かう。警備が顔と、肩の階級バッチを見て、ビシッとした敬礼をした。軽くブリーズも軍隊式のそれを返す。
ブリーズはその厳重な門の向こう側へ歩いた後、こちら側にいるエフイーターに振り返った。
「あなたが誰であろうと、どんな動機があっても……あなたは部外者に過ぎないの。それを忘れないで頂戴」
──ブリーズとエフイーターを隔てるレオーネの柵は、文字通りの壁だった。
エフイーターがこの国に居なかった時間を、あの時から進んでいない時間を象徴するような──そんな、破り難い時間の壁。
いつもならば、そんなものはぶち破ってきた。だが……ブリーズの重圧がそうさせない。エフイーターが動こうとするのを縫い付けるように、冷たく見据えていた。
ぎり──歯軋りの音が聞こえた。自分が生み出していたものだった。本人は気が付いていないが、エフイーターはかなりの眼光で柵の向こうのブリーズを睨みつけている。警備に当たっていた一般兵でさえ、そのただ事ではない様子にどうするか迷っていたところ──後ろからやってきた人物を視界に捉えて、ほっと一息ついた。
「──どうかされましたかな」
カラカラと車輪の回る音、砂利を踏む音──それと、落ち着いた老人の声。
まるで健康のために運動をする中高年のような気軽な様子で、グエン・バー・ハンがただならない雰囲気の場所に踏み込んだ。
「おや、ブリーズさんも。そんなに睨み合うこともありますまい」
「グエンさん! 丁度よかったわ、例の件の報告をしに来たの」
「ええ、聞きますよ。……それで、こちらの方は?」
──乗ってきていた自転車から地面に足を付けて、グエンが穏やかな様子で問いかけた。
「……あたしは、エフイーター。人を……探してる」
それにしたって、グエンほどの人物が自転車で移動するというのもかなり奇妙な話だが、こういった庶民的な部分がグエンの人気につながっているのかもしれなかった。初めてそんな光景を見た警備の軍人は目を剥いて驚いている。元帥が自転車か、と。
「人ですか? 力になれるやもしれません、何という方でしょう」
「ブラスト……そいつを探しに、この国に来たんだ」
グエンは穏やかな瞳を細めた。驚いた時の癖である。
「もしやあなたは──ロドスから、いらっしゃったのですかな?」
「! し、知ってんのか!?」
「ええ。……そうですな、立ち話で済ませるほどの話ではありません。外では暑いですから、中へ行きましょう」
自転車を引いて向かう先はレオーネ本部。グエンが警備に穏やかな瞳を向けると、ビシッとした敬礼が返ってきた。
あいも変わらず暑い外気の中で、汗が滴った。
ーーー
「何から話したものでしょう──ブリーズさん、あなたも聞くつもりですかな」
「実は無関係じゃないのよ。一応知ってはいるけど、復習のつもりで」
「いいでしょう。……そうですね、もう半年ほどになりますか。全く恐ろしいことです、あの夜からまだ半年も経っていない──……俄には信じ難いことです。ですがこれは現実であり、彼が成し遂げてきたことでもあります」
「彼って、その──」
涼しい一室、クーラーの効いた部屋は貴重である。グエンも歳なので、心配されていつの間にかグエンの部屋にだけ冷房が設置されていた。
シワになった顔は知的で、穏やかで──後悔と希望の入り混じった複雑な印象を受けた。
「今はエールと名乗っています」
「じゃあ、やっぱり──」
「ええ。ブラスト、その名前を忘れることはないでしょう。残念です、今となってはこの国で、私だけがその名前を覚えているのですから」
「話してもらうぞ、じいさん──5ヶ月前、何があった。どうしてあいつは、あんなことになってるんだ……ッ!?」
「話しますとも。私が、アルゴンのゲリラ部隊を率いていた時のことです。バオリアを取られ、残るはアルゴンのみになり──もはや、南部の命は風前の灯でした。すでに全ては終わっていた、そこに彼、いや……彼らがやってきたのです」
──彼ら。
「私はこの地に根付く者として、最後の抵抗をしなければなりませんでした。それが無駄に終わるとしても、私はやらないわけには行かず、彼らを巻き込まないわけにはいきませんでした。少しでも多くの可能性を生み出さなければなりませんでした。故に私は、敵軍の駐屯地への夜襲作戦に、彼らを巻き込みました」
「……何でだ。ロドスは、あいつは……戦争をするためにこの国に来たってのか……ッ! なんでッ!」
「この年にもなると、少しは人を見る目が育つものです。彼は迷っていました。迷うということは、行動の選択肢の中で揺れていることです。私はそれを利用し……彼はそれを選び、私はそれを選んだ。話を続けましょう、あの夜──我々は敵の罠に嵌り、厳しい状況にありました」
回顧──歳を取るほどに、昔を思い出すことが増えていった。
思い出して、後悔することばかりが増えた。過去のことばかりを話すようになったと自分で気がついた時、グエンは初めて自分が歳を取ったことに気が付いた。
「彼らは予備隊でした。もしもの時のための備え──位置付けとしては、その程度だったのです。だから私は、まさか彼らがあれほどの戦いを見せることになるとは思いませんでした。今思い出しても、見事な戦いで──私が今も生きているのは、彼らが囮となって私を逃してくれたからです。彼らが居なければ、私はとっくに殺され、そしてエクソリアは──今のような形で存在することは、決してあり得なかった。私は全てのことを知っているわけではありません。最後にどうなったのか、詳細を目撃する前に脱出したためです」
──静かに。
静かに、エフイーターは顔を伏せた。
ここまで言われれば、誰だって想像が付くだろう。何があったのか、本当は最初からわかっていた。クロージャの言う通りだ。
『真実の箱って、大抵の場合は残酷だよ。知らない方がいい。開けない方がいい。ブラストは戻ってこなかったんだ。バッドエンドが決まってるストーリーなんて──』
誰が知りたいなんて言うの?
「……続きを聞かせて」
それでも、それを知らなければ──前へ、進めない。
「ええ、勿論。私は全てを話さねばなりませんから」
あるいは、グエンも話したかったのかもしれない。この事実をずっと抱えていてもよかったのだが、出来れば重荷は下ろしたかったのかもしれない。些細なことだが。
「あの日は月明かりのない夜でした。振り返って見えたものはほとんどありません。ですが……やけに強風が吹き荒れていました。あの日は風の穏やかな日だったはずで、実際にその時までは事実そうだったのです。普通ではない何かが起こっている予感がしていました。あの夜──深夜2時を回り、生存者の退却が完了し──囮として残った彼らの救出隊を結成し、私もそれに加わり──あの場所、駐屯地へ向かいました。数時間前の死闘が嘘のような静けさで……あの時に見た光景を、私は一生忘れることはないでしょう」
それは。
これまでの常識を打ち砕くのは十分だった。グエンほど歳を重ねていれば、常識はとっくに固定化されていたはずなのだが、それを粉々にして余りある──。
「崩れ落ちた建物の火はいまだ消えておらず、しかし人の気配は全くありませんでした。慎重に偵察を重ね、一斉に敷地内へと侵入し……無数に積み重なった死体の山を目撃しました。仲間の顔も混ざっていましたが、それ以上におかしかったのは、その山の中に敵兵がかなりの割合で混ざっていたことです。後で分かったことですが、敵の主力は北部軍の中でも精鋭を集めた特殊部隊であり、屈強を極めていました。我々が勝てるはずの相手ではなく、また数も圧倒的で──正直、彼らが生きている可能性は限りなく低いだろうと、そう判断していました」
味方損害数、死者202名。敵死者数は89名。どう見ても敗北、だが──この数字は、ゲリラ側の成果ではない。正規の訓練を積んだ軍人の中で、戦闘能力で言えば上位5〜10%の持ち主が集まった特殊部隊、それを相手に正面から戦ってゲリラが勝てるはずはない。
故にこれは、たった一人の成果。
「──血溜まりの中に沈む彼を見つけた時、私は彼の生存を喜ぶよりも先に、なぜまだ生きているのか疑問に思いました。初めてあんな状態に直面しました──彼に一切の外傷はなかったと言うのに、それでも死にかけていました。体の内側にでも爆弾を入れて、爆発させたような自壊とでも言いましょうか、あれを表す適切な表現がなんなのか、私にはいまだに分かりません。ですがまだ彼は生きていましたから、すぐに病院に運び……処置をしました。正直、何から手を付けていいのか私には分かりませんでした。粉々に砕けた建物を直すようなもの、とでも言いましょうか」
柱が腐っているのなら換えればいい。屋根が壊れたのなら継接げばいい。だが倒壊したのなら、もはや元通りにすることは不可能で、あの時、あの青年はそういう状態だった。
「……ですか、結局彼は生き延びました。私の腕は不思議なほどに冴えていましたし、彼も彼で意識不明の中、必死に生きようとしていましたが、私には……本当に不思議な感覚なのですが、何者か……運命のような強い力が、彼を生かそうとしているのだと分かりました。彼はここで死ぬべき人間ではないのだと、私はその時初めて気がつきました。運命は残酷です、あの状態でなお死ねないなど、一体何の罰なのだろうと」
──破裂した血管のために、本来はとっくに失血死しているはずだった。だがそうならなかったのは、新生源石が膜を張って失血を防いでいたからだと後で分かった。そんな信じがたい現象がいくつも重なっていた。
「その、他の奴らは──」
エフイーターが口を挟む。分かってはいたが、確かめずにはいられなかった。
「あの場所で生存していたのは彼一人です。後の現場検証で、彼の仲間の死亡した状況や傷跡、そして矢を避けようとした痕跡がなかったことから……彼らは、ボウガンの雨から彼を守ったのかもしれません」
「……ッ、それって──」
エフイーターの瞳が揺れる。ブリーズの方も、本人から聞いたとはいえ穏やかではいられない。
「彼が目覚めたのは、入院した一週間後でした。意識が戻ったことですら驚きでしたが……その後の彼の行動を思えば、それは些細なことでしたが。あの夜の、敵の死体の数は確認できただけで78体。戦地に死体が残っていることは、それを回収する余裕すら無くなっていたことを意味します。実際はもう少し多くても不思議ではありません。この意味が分かりますか」
「……ウソだ。あいつは……確かに、そりゃ強かったけど、けど……任務で戦闘になったって、相手を殺したことなんて、一回もなかった……。あいつが、そんなことをする訳がない……」
「仲間を奪われた人間が考えることは一つだけです。特に、大切であればあるほど──そしてもう一つ、それを実行するほどの力が、彼に与えられていたこと。これが果たして幸運なことであったのか、その判断を下せる人間は居ませんが──少なくとも、私には、私たちにとってはこの上ない幸運でした」
嫌な言い方だ。だが同時に事実。
「──そして目覚めた後、彼はアルゴンにいた全ての主要人物を集めるよう私に頼んできました。私はそれを了承し、ほとんどの重要人物を集め──……一つの命令の元に、彼らを動かしました」
「う、動かしたって──どうやって」
「最初に、まず元アルゴン市長ハン・リ・チーを殺しました。次に防衛長官だったシ・リ・ロゥを」
──最もこれに関しては、報いを受けるに値する連中だったことは確かである。あの青年のやったことが正しいと呼べるかは分からないが、ただ殺すことに意味はあった。
「……今、思い返しても私は不思議でなりません。ゲリラと旧南部軍を統合し、出来る限りの兵士を集め、出来る限りの資金と武器を集め、出来る限りの手段を持って──バオリアを奪い返しました。あれは──到底、正気の沙汰ではなかった。彼は象徴でした、私たちのこれまでの苦難の歴史に対抗するカウンターとして……時代が生んだ、一つの化け物。そして私たちは、あまりも多くの希望を彼に抱いた。抱かざるを得なかった──あの瞳は、あまりにも危うく、恐ろしく、あまりに強く──とても、同じ人間だとは思えませんでした」
グエンとて尋常の人物ではない。人徳に厚く、医術に優れ、政治にも対応できる──南部統領に相応しい人物は、グエンを置いて他にいないとまで言われている。
「手段を選ばないという言葉の、本当の意味が分かりますか?」
「どういうことだよ……」
「ある目的のためには、何を犠牲にしてもいいと言う人がいます。ですがそれは正しいことではありません。現実とは何かを犠牲にした程度で変わるものではないからです」
「……それは、分かる。けど、じゃあ……あいつは、何をしたっていうんだ。あいつは今、何のために戦ってんだ。どうしてあんなことになってんだ……!」
「レオーネの目指すところは戦争の終結であり、エクソリア全土……最悪、南部領だけでもウルサスの影響下から独立することです。領土の奪還はそのための手段に過ぎません。彼自身の話で言うなら、少なくとも手段としてはレオーネの目的に一致しています」
そのために国全体が動いている。たった数ヶ月で、エールとグエンから始まったその意思が国を動かして戦っている。グエンもエールも、関連する全ての人々は同じ場所を目指している。少なくとも手段は同一である。
「ですが、彼はこの国の生まれではありません。この国のために戦う理由などどこにもないのです。彼の目的は──はっきりと話してくれたことはありませんが、おそらくは復讐でしょう」
「……え、けど……彼の仲間達を殺した特殊部隊は、もう彼が壊滅させたじゃない。リン家の壊滅はそれの副次的なものだって、彼自身がそう言っていたわ」
「ええ、そうでしょう。ですがそれだけでは収まらなかった──我々は何にでも理由を求める生き物です。どうしてこんなことになったのか──辿って行けば、いずれ答えには辿り着くでしょう。それは我々が生まれてきたからであり、あらゆる苦難は我々が生きていることの証です。ですが、それでは納得することが出来なかったのかもしれません。更なる復讐を望むのであれば、標的は一つだけです。ウルサス帝国……全ての元凶に対する手段として、戦争を選んだ。元々の目的がそうだったのであれば、何も不思議なことはありません」
一つ一つ、エフイーターが知りたかったことを説明するような口調で語るグエンに……筋違いだとは分かっていても、胸を焦がすような怒りが込み上げてきた。
「……なんで」
どうしようもないことに直面した時、理由ばかりを求めてしまうのは弱さであり、その性質ゆえに人は進化してきた。
「なんで、誰も止めてやらなかった」
「彼を止めることは、おそらく誰にも出来ないでしょう。大地には日照りも雨も嵐も風もあるように、それを止めることは出来ません。彼はこの国を利用することを選び、また私も彼を利用することを選びました。私たちの選択はすでに終わっています。後は、待ち受ける結末に向かって歩き続けるだけです。……ですから、これは厳密にはこの国や、彼自身の問題ではないのです。これは本当は、
グエンはすでに選択を終えている。この国に住む人々は皆そうだ。ブリーズも少し前に選択を決めた。そのためにやるべきことをやる、たとえ何が起ころうとも。
「我々は皆、運命の奴隷です。その中で、何かを選ぼうというのは、選ばれなかった未来を切り捨て、進むべき未来を定めるのは──正しさや善悪で区別できるものではありません。誰かの目から見てそれが間違っていようと、それは意味のある言葉ではないのです。……そうですね、確かに……あなたはこの国の人ではなく、この国のことは知らないでしょう。ですが、だからこそ出せる答えも存在します」
エフイーターはポツリと、らしくもなく呟く。
「……誰かを助けたいと思うことが、間違ってるってのか」
「ええ。時として、それは間違いになることがあります。この大地において、優しさは絶対的な正義にはなり得ないからです。ただ一つだけ正しいことがあるとするなら、それは自らの意思に基づいて、自らの望む未来に向かって歩き続けることだけです」
「……なんで、あいつは記憶を無くしてる」
「不明です。彼は頻繁に消息を絶っていましたが、最後に連絡があったのは三日前です。複雑な状況にはありましたが、少なくとも……今記憶を全て失っているのは不自然、ですよね。ブリーズさん」
「ええ。早すぎるわ。あと最低でも3ヶ月、長ければ半年ほどは保ってもいいはずよ。何かの要因、外傷か、それとも薬の類い、もしくは精神に働きかけるアーツ、或いはその全部か」
明らかにおかしかったのは、彼の記憶が全て無くなっている事への二人の態度だ。記憶を無くすことは前提で、問題はそれまでの時間である──と、それはまるで。
「おまえたち、もしかして知ってたのか……ッ!」
こうなってくるともう言葉だけでは済ませられないかもしれない。事実、エフイーターは今にでも飛び掛かりそうだった。グエンが老人であり、戦えなさそうな風貌をしていなければとっくに胸ぐらは掴み上げていただろう。
「ええ。そしてそうなることを選んだのは彼自信です」
「ふざけんな、ふざけんな……ッ! なんでだ、なんで!」
「
「……なんのためにだ……」
「私は戦いそのものに関しては明るくありませんが、彼の場合……アーツの使用に血中源石が共鳴しているとでも言えばいいのか、とにかく詳しい原理は不明ですが、一時的に血中濃度を高めることでアーツ出力を高められるようです。いえ、高めるというものではありませんね、あれは……あの姿は、──いえ、直接関係のないことです。とにかく、そうせざるを得ない場面があった」
「源石血中濃度を高めるって、訳のわかんないことじゃなくて──言えよ。はっきり言え、あたしの耳が、まだ話を聞いて、理解しようとしている間にさ。それがどういうことか、説明しろ」
そこでブリーズが口を挟んだ。冷たい口調だった。
「源石の直接的な摂取よ」
「おまえ、あたしの話を聞いてなかったのか? 分かるように話せ。何だって?」
「だから、源石を直接歯で噛み砕いで飲み込むのよ。破片が体内に刺さることも気にせずに、がりがり食べちゃったのよ」
ここまで来るといっそギャグだった。
「ふざけてんのか……?」
誰一人、くすりとも笑わなかったが。
「そうする必要があった──そうしなければ、そこで死んでいた。彼の言い分よ」
「何のためだ。そうまでして、あいつは復讐がしたいってのか……ッ!? そんなに大切なことか、それがそんなに大切なことなのか!?」
冷静な部分が、これは八つ当たりだと言っている。
「そんなことを私に言われても困るわ。あなたは何のためにこの国に来たの? もしも彼をロドスに連れ帰る、なんてことを言うつもりなら……少なくとも、歓迎は出来ないわね」
──それは何故?
それはエフイーターが知りたいことだ。何のためだったのか。仲間を失っても、ロドスに帰って来れば……何も、あんなふうになることは無かったはずだ。だがそうしなかった。あいつはそうしなかった。余計苦しい方を選んで、早死にする方向へ歩いていった。それは何のためだ?
そして、自分は何のためにここに来たのか。改めてそれを他人から問われることで、エフイーターは言葉に詰まった。
それから、迷いの中で呟いた。
「あたしは──知りたかった。本当にあいつが死んだのか、それを自分の目で確かめたかった……」
「そう。知りたかったことは知れたかしら?」
「……あいつが記憶を失っているの、想定外だって言ってたか。何があった」
「私たちがそれ以上のことを話さなければならない理由はあるの?」
「話したくない理由でもあるのかよ……いいから話せ、さっさとしろ……!」
「あなたにそれを話すことで、状況は何か改善するのかしら。あなたは見るからに暴走しそうよ、これ以上は私たちの手に余るわ」
いつになく冷たいブリーズの態度は、それだけ状況が切迫していることを示していた。ブリーズにはもう余裕が無かった。出来る限り善人であろうとするブリーズが、そうまでしている。それは裏返すと、ブリーズは冷たく硬い意志のために柔らかさを犠牲にしているという事だ。そうまでしなければならないほど追い詰められている。
「いえ。全てお話ししましょう」
「っ、グエンさん!?」
「私の義務です。……彼の仲間だったのでしょう。でしたら知る権利があります」
「そんな、でも──」
「でも、も何もありませんよ。ブリーズさん、余裕を取り戻しなさい。あなたは今、視界があまりに狭すぎます。目的以外に何も見えていない──……あなたは自分が誰なのか、思い出すべきです」
そう諭され、ブリーズは黙った。自覚はしていたがどうしようもなかったのだが、グエンに言われるとなかなか堪えるものがある。
「お答えしましょう、エフイーターさん。彼の記憶が完全になくなっているのかどうか……詳しい検査が済んでいないため、これは可能性の話であり、推測が混じります。ひょっとすると何かの拍子で簡単に記憶を取り戻すこともあり得ますが、おそらくその可能性は低いでしょう」
「何でだ」
「それが作為的なものである可能性が非常に高いためです。特に今、彼が直面していたものを考えると、おそらくそれでしょう」
「……それって、なんだ。誰のことだ。誰が──」
「そこまでは分かりません。彼と私は独立しているため、彼が何をしていたかまでは分からないのです。ただ一つだけ……非常に厄介なものと戦っていたのでしょう。結論としては、彼が記憶を失っている理由は不明です」
身も蓋もない話だ。グエンは続ける。
「ただ本題はそこではありません。彼の部下からの報告で、
「どうやってやるつもりなんだ」
「それも分かりません。私も、彼の状態を聞いたのはついさっきです。一刻も早く、彼を取り戻さなければなりません。この国にはまだ時間が残されています。それは、彼がまだ生きている時間と同等の時間です。
グエンも丁寧な話し方だが、顔色は言葉ほど丁寧ではない。焦っているのだろう。一日の遅れが国の未来に関わる。グエンや、あの青年はそのラインの瀬戸際を駆け抜けているのだ。彼なしで、いずれ訪れる危機に対応することはもはや考えられない。
エフイーターは一つの違和感を持っていた。すぐにそれを口に出す。
「……なあ。あいつの記憶……本当に戻した方がいいのか?」
「どういう意味ですか?」
「……おまえたちはさ、ブラストのことを知らないんだよな。記憶を無くしたあいつが、どんな風に笑うか知らないんだよ」
「今すぐその話を止めるか、出来ないならこの部屋から出て行くかのどちらかにして頂戴。もういいのよ、これ以上はもう結構よ。わざわざ言葉に出さないで」
「黙らない。おまえは見て見ぬふりをしてんだ。ブリーズって言ったな。あいつが記憶を取り戻したらそれでいいのか。それで全部解決か。ふざけんなよ……あいつは放っておくとどこまでも歩いてく。どこまでも歩いて行くんだよ。もう止めてやれる人間はいないみたいだからな、その先に何があっても歩いて行こうとするんだぞ……!」
何にぶつければいいか分からない怒りだったが、とりあえずは方向性を得た。
そこのふざけた金髪の女だ。
「その先に何があるか知ってるか。あいつが歩いて行く先に何があるのか知ってんのか!? あたしは知ってるぞ、いや……あたしでさえ知ってるぞ! 誰だって想像が付くだろ、分からないのか!? あいつの歩いて行く先にはな、──
──エフイーターは激昂した。
いつもは柔らかく、それでいて茶目っ気に溢れたエフイーターは、もうそんなことはどうでもいいのだろう、ブリーズが目を逸らしてきた全てのことを糾弾する。
「そりゃいいだろうさ、あいつが付いてるならおまえらは救われるだろうさ、戦争だって終わるかも知れない、あいつは強いからどうにかなるかも知れない、この国の大変な状況だってどうにかなるかも知れない、それは否定しない、けどな、けどなあ!」
既にエフイーターは接客用の椅子から立ち上がり、その行動力のために座ったままのブリーズに詰め寄っていた。放っておくと胸ぐらを掴み上げて殴り飛ばしかねない。
他人のためにそこまで怒れるのは、エフイーターの優しさ故だ。それが故に、ブリーズは黙って唇を噛み、耐えている。
「あいつはどうなる!? おまえらのために戦って、あいつはその後どうなる!? それであいつは救われるのか!? 長生きできるのか!? おまえらのハッピーエンドは、あいつにとってのバッドエンドじゃないのか!? 違うなら言え、違うって否定しろ!」
至近距離からその弾劾をブリーズは受け続けていたが、ついに我慢ならなくなり顔を上げてエフイーターを睨み上げた。
「……あなたは何も知らないのよ。何も知らないから、そういうことが言えるのよ──あなたは知らないの、もう彼も私もこの国の状況も、みんな後戻りは出来ないことも……どれほどの人が苦しみ、どれほどの人が犠牲になってきたのかを知らないのよ。だからそうやって無責任なことが言える……! 蚊帳の外なら何を言ってもいいと思っているのでしょう。外から見て正論ばかり言うのは、さぞ気持ちがいいでしょうね……!」
「何だと!?」
「正しい言葉が何かの役に立ったことが一度だってあるの? 少なくとも私の経験ではないわ、言葉なんて何の意味もないの。誰かを助けることなんて出来ないのよ。いつだって世界を変えるのは行動よ。明日を今日よりも少しでもいい日にしようとする人々の努力だけが明日を作るの──だからこれ以上私たちを侮辱するのをやめなさい。これ以上私たちの努力を、無意味の一言で片付けるのをやめなさい……ッ!」
「何が努力だ! おまえは正義だとかって謳ってあいつ一人を犠牲にしようとしてんじゃねーのか、どうしてあいつを助けてやらない!? 記憶を取り戻させて、戦わせようとしてるんだろ!? あの髪色は何だ、なんで右腕を無くしてる、──あんな顔で笑ってるのを見て、おまえは何も思わなかったのか!? 何も感じなかったのか!? もしもそれを感じた上であいつを放っていたのなら──おまえはあいつのことなんてどうでもいいんだろう!?」
最後の一言でブリーズの、切れないように押さえつけていた理性の糸とも表現するべき何かが完全に切れた。
「ふざけないでッ!!」
ついに、ブリーズが立ち上がった。身長ではあまり変わらない二人なので、必然的に真っ正面から直近で睨み合う形になる。
グエンだけが、それを痛ましい表情で見守っていた。
「何も思わない!? 何も感じない!? 彼一人を犠牲にしようとしている!? ふざけないで頂戴、その逆よ──彼が救われるのなら、何が犠牲になったって構わないわよ!」
想像していたものとは全く違うブリーズの叫びに、今度はエフイーターが圧倒される番だった。
「いくつも試したわ、私にできることは全て試してきたわ! 色々なアプローチを試して、過去の例から治療法をいくつも探って、それでもダメだったからせめて彼が戦わなくていいようにって──でも無理よッ!
──嘘だ。
あの青年を助けるためならば、何を犠牲にしてもいいと言ったのは、嘘だ。ブリーズはそこまで非情になれない。あの青年は何を犠牲にでもするだろう。その結果として、多くの人々を──数え切れない人々を救ってきた。それが事実だからこそ──。
「……私が迷っている間に、彼は進んでいった。見失わないように必死についていっても……いつの間にか、姿を消していた。もう何を言っても無駄なのよ、お馬鹿さんだから話を聞かないし、何より私は彼に会うのが遅すぎたのよ。何よりも大切な仲間を目の前で失って以来、彼の時間はずっと止まったまま──秒針の止まったまま、未来に進もうとしているの。こんなおかしいことはないわ。……だから、私はせめて、私が出来ることをやると決めているのよ」
──国の現状と、青年の現状。ブリーズはその二つを十分に理解していて、何よりもずっと優しかった。ブリーズは板挟みになっていた。自分の願いと、苦しんでいる人々を放って置けない気持ちの中で板挟みになっていた。
「……おまえに出来ることって、何だ」
「彼の向かおうとしている未来に向かって彼が辿り着けるように……出来る限り手助けすること」
苦しみと怒りと、それと諦観の混ざった表情で、そうブリーズは言った。
そしてエフイーターは、ようやくブリーズを理解した。
「おまえ──諦めたな?」
たった一言だけ、情報としては欠けた言葉がブリーズに突き刺さって、その言葉通りにブリーズは諦めたような乾いた微笑みを浮かべた。あまりに優しく、あまりに寂しい微笑み。
「……仕方ないじゃない。だって、頼まれちゃったのよ。任せた、って……──」
その表情に、エフイーターが何を感じたのかは定かではない。
「……あたしは少なくとも、おまえと同じ風には考えられない」
少なくとも、エフイーターにはこれ以上この場所にいる理由は無くなった。そのため、背を向けて部屋を後にしようとして、ドアの前で足を止めた。
「いろいろ言って、悪かったな」
「いいのよ。……そうだったわ、もう一つ伝えておくことがあるの。さっきの様子だと、あなたは多分知らないでしょうけど──」
? この後に及んでまだ何かあるのか?
エフイーターはもう何が来ても驚かない気持ちでいた、が。
「あのお馬鹿さん、結婚するのよ」
「…………………………。いつ?」
「明日よ」
「……………………………………………………誰と?」
「メリィ、という貴族の一人娘よ」
ともすれば、エフイーターは今日一日の中で最も怖い顔でもう一度ブリーズに詰め寄った。
「聞かせろ。……詳しく、どうしてそうなったのか。それは誰が決めたことなのか、全部。……言え」
グエンは生きた心地がしなかったと言う。
修羅場ァ!
・実はブリーズの方がエフイーターよりも身長が高い
2cmだけブリーズの方が高いです。wikiに書いてあった
・ブリーズ
時系列が前後しているため、精神状況が色々と変化しています。
・エフイーター
新星のごとく登場したヒロイン。かわいい
・グエン
聖人枠。