本当はこの話こんなに長くなるつもりはなかったんです。本当です(n回目)
9/5 羅刹と大木
『スクラッドの名の下に、我らの繁栄と、幸運ある未来を誓い、ワン・リ・ロゥとグエン・バー・ハンを証人として──アイン・エール、チ・メリィを結ぶ』
──出席者の数をぼんやりと数えようとして、100を超えたあたりで数えるのを諦めた。
『御霊座す英霊に賜る、日来に祈願致す。此の結を奉り……』
あのブツブツ言ってるじいさんは一体何を言っているんだ?
さっぱり理解できなかったし、理解しようという気持ちもない。きっと当事者になったとしても分からないだろう。
エフイーターは腕組みにサングラスを下ろして、不機嫌そうな表情を保ったまま、最後列のその後ろの壁にもたれかかって前を睨みつけていた。
どうでもいい話(あんまりどうでも良くないが)なのだが、ブラストの馬鹿野郎はグエンのじいさんと養子縁組をしたらしい。昨日そういう話をした。婚約に関して、この国では結婚は通常対等な力関係にある家同士で行うものらしく、家族のいない流れ者のエールを貴族と結婚させるにあたってはいろいろあったらしい。
特に必要になったのは家の長同士がその結婚を了承し、縁が繋がっていくということ。それがエクソリアにおける風習であったため、グエンがブラストを息子として迎え入れることでいろいろと辻褄を合わせようという話らしい。苦肉の策だ。
実に心中穏やかではない。率直に表現してキレそうだ。じっとしていられないが、ルインの話も気がかりだし──。
ただ少なくとも、今は黙って式を見続けることしか出来ないわけで。
(同僚の結婚式って、もう少し何か感傷とかあると思ってたんだけどな)
同僚──共に働き、共に戦う仲間。
だが今はどうなんだ?
真実を言えよ。薄々気が付いている──ブラストは、自分から繋がりを断ち切ったんだ。ブラストはロドスを捨てた。どのような事情があったって、事実──ブラストはロドスには帰ってこなかった。そうすることも選べたはずなのに、そうしなかった。
少し違和感が残っていた。ブラストのことだ。
グエンは、ブラストは復讐のためにレオーネを作り上げたと言っていたが、本当にそうなのだろうか。情に厚い──と言うほど、ブラストは他人に感情移入するタイプだったのだろうか。ロドスには優秀で善良な人々がいるが、ブラストはそういう善良さを持ち合わせていたわけでは無かったのだろう。そのぐらいは理解している。
(……本当は、何がしたいんだ。本当に復讐のためだけに戦っているのか? あんな体になってまで、仲間の仇打ちのために?)
ブラストが、そのことの無意味さを理解していないはずがない。
復讐は何も生まない。そんなこと、誰もが知っている。
(そういやあいつ、記憶を失ったままなんだよな。……式とかって、結構覚えることあるんじゃないのか? 大丈夫なのかなー……)
そんな、若干見当違いなことを考えていた。
ごーん、ごーん、ごーん……。体の芯まで震わすような、鐘の音が鳴った。
結婚式というよりかは、一つの儀式を見ているようだった。意味ありげな祈祷をしたりだとか──騒がしい国だと思っていたエクソリアのイメージとは異なった、静かで荘厳な儀式。やはり貴族の式だと違うのだろうか?
『祖、ヴァン・ク・ロゥの加護が在らんことを──我、ステイナーが一人、嘘偽りなく……』
クソ暑い中、分厚い衣装を着込んだお坊さんだか老師だか分からないが、なんかの小道具みたいなのを掲げて呟いていた。奇妙にも、そのぶつぶつ声がエフイーターのところにまで聞こえてくる。
『大木よ。今、誓いを果たそう』
──太陽が雲に隠れて、一気に視界が暗くなる。眩しさに慣れていたから、緩急で視界がブラックアウトした。すぐに慣れるだろう。
『──羅刹よ。契約を果たせ』
それまでつづがなく進行していた式が、その一言から始まって崩壊し始めた。
何かおかしい。エフイーターは顔をあげて警戒を強めた。今の言葉だけ嫌にはっきりと聞こえる。それに見ろ、あの老師の顔は──なんらかの意思に染め上がっている。あれは普通ではない、何かが起こる。
最初の異常は招待客の中から出てくる。
正装で席に座り、静寂の中で式に参列していた中から叫び声が上がった。ほぼ同時に二つ、異なる場所から──血飛沫が散っていたので、何が起こったのかを想像するのはそう難いことではなさそうだ。
緊張した空気が一瞬で変質し、騒々しく狂乱へと変遷していく。
「や、──やめろ、やめてくれ! 兄貴、何をしているんだ!?」
太陽に反射した、錆びついた切先が振り下ろされる──光のない瞳にぼやりと影を映して、参列者の一人が今まさに、その弟の喉元を切り裂かんと──。
して。
「……やぁッ!」
トップスピードに乗ったエフイータの踵が、正気を失った男の真横に突き刺さった。異常事態を傍観できる性格ではなく、幸か不幸かエフイーターには戦闘能力があった。
──それからすぐに、眼を疑う。
乾燥した土を砕くように、蹴り飛ばした男のシャツからボロボロと肉片のようなものが零れ落ちて、べちょりとした湿った音と共に地面に落ちた。
「や、やべ……
横腹の一帯には、礼服越しにも確認できるほどの大穴が空いていた。エフイーターが蹴り飛ばした場所。蹴りの威力を間違えたか、冷たく嫌な汗が額を伝うがすぐに異常なことに気がつく。人間の体は、いくら拳法の達人がまあまあの威力で蹴ったからといって、肉体が崩れることはない。
したがって、事実が示すのは一つ。
黄色く濁った白眼、きちんと視界が機能しているかも怪しい。口からはどうにも寒々しい吐息が溢れているような錯覚。
──正常な人間というよりは、どちらかというとゾンビ系の映画にでも登場するモブ敵に近い。雑魚敵というものだ。
(冗談じゃない。雑魚敵だって?)
これは作り物じゃない。映画のフィルムの向こう側じゃない。作られたストーリーじゃない。
フィルムのこちら側には、いつだって現実の人々が今日も生活をしている。怯え切った後ろの襲われていた男がぶつぶつ呟いている。
「兄貴、まさか……そうだ、そうに違いない……! 俺への罰だ、これは罰なんだな、そうなんだ。そうなんだろ!? これは罰なんだ! はは、ははははは!」
「おい、何か知ってんのか!」
暫定ゾンビと呼称するが、このゾンビは一体だけではないらしい。目の前に一体、会場にはざっと見回して──十何体だ?
古い寺院の中では、もはや先程までの厳粛な式は崩壊して跡形も無くなっていた。
「そうだ、邪魔するなよ! 俺は罰を受けなきゃいけない! 俺たちはみんな罪人なんだ、罰を受けなければならない!」
こっちもこっちで正気を失っていた。半狂乱になりながら、どうやらそれ以上面白いことは言いそうになさそうだ。
「うっさい、黙ってろ!」
イラッとしたので蹴り飛ばした。壁に激突して倒れる。多分しばらくは大人しくなるだろう。
「やめて、正気に戻って! 何をしているの!? 私が誰かわからないの!?」
「やめろ、椅子を下ろせ!
暫定ゾンビに襲われている連中の言動には引っかかるところは多い。無関係ではないだろう──が、一旦置いておく。
相対──確実に、相手を視界に収める。軽く息を吐いて重心を低くして右拳を前に軽く握って構えた。いつもの手甲は装備していないが、さっきの感じなら別に十分だろう。
「──ォ、──ァ、ァァ」
虚ろな元人間が吐息を漏らす。
──死臭が鼻につく。
「苦しませるつもりはないよ。一撃で終わらせてやる」
成り行きに眼を離していなかった周囲の人々の中で、エフイーターの動きを追えたものがどれだけいただろうか。果たして一人もいなかったかもしれない。
一瞬で暫定ゾンビは吹き飛び、並べた椅子に突っ込んでぐちゃぐちゃになった。文字通り、べちゃりと崩れて。
「次、どいつだ──そっちだな!」
今はこの場を収めてしまうのが先決だ。ゾンビは一体ではないのだから、この調子で十数体程度なら簡単に片してしまえるだろう。
次に向き合ったのも、さっきまで座ってた至って普通の人のようだった。さっきと同じ、黄色く濁った目、白い息。意識はあるのだろうか。
踏み込んで軽く一撃。大きく押し出されて姿勢を崩すがすぐに持ち直すだろう。だがその決定的な隙を見逃すわけがない。
トドメ──の前に、真横から飛び込んできた予想外の人物がエフイーターに飛びかかった。
「ダメ! その人を傷つけないで、友人なの!」
青い顔をした女性が、勇気を振り絞ってエフイーターの攻撃を阻止したのだ。流石にエフイーターも驚きを隠すことは出来ない。
そして大方のことを理解した。
「あんた、随分友達の趣味が変わってるぞ。あんなのと一緒にショッピングに行くのか」
据えた臭い、よだれの垂れた口元、ふらふらと不安定な挙動で立ち上がり、パニック映画よろしくこっちを睨んでいた。
友達にはなれそうにない。
「ち、──違う! 何かの間違いよ、こんなのは……何かの呪術よ! 操られているんだわ!」
女性の言葉はどちらかと言えば、エフイーターに向けたものではなく、自分自身に言い聞かせるような種類のものだ。原因の矛先を探して、なんとか自分を納得させようとしていた。歪んだ現実を受け止め切れないなら、認識を歪める他ない。
「……分かっているんだろ? あれは偶然なんかじゃない……あんたの友達は、一度蘇ったことがある。違うか?」
「……! な、なんで……なんで、それを……!」
「やっぱり……ってことは、あいつらは……元々、人じゃない。そう見えていただけなんだ。そう見ていたかった……。どうして受け入れた? 受け入れちゃいけないことだったんだよ。どれだけ辛くとも──死んだ人間は、甦らないんだ。戻ってきても、それを受け入れちゃいけない。それは歪んでるんだ。だからあんな姿になってまで動かなきゃいけない」
ルインの推測通り、あれらは全て生きる屍。永い眠りから叩き起こされて、現世を彷徨う亡霊。
「受け入れなきゃいけないだろ……。どれだけ辛くても、受け入れて、前へ進んでいかなきゃいけないだろ。死者と並んで歩くことは出来ない。境界線を無視して歩けば、あんたまであっち側に引きずり込まれて、リビングデッドの仲間入りだぞ」
「わ、分かってる。分かってる! おかしな事だって! でもどうしてそれが悪いことなの!? 私はもう一度だけ会いたいって思っただけ! たったそれだけのことがどうして認められないの!?」
「美味い話には裏があるんだよ。それとも、過去に引き摺り込まれて、一緒に亡霊の仲間入りでもしたかったのか。ちゃんと見送ってやれよ、それが生きてる者の務めだろ……!」
「……っ!」
事実を受け入れられなかった女性の頬には涙が伝っていた。
分かっていたことだ。分かっていてそっちに流されてしまった。
ふらふらと襲いかかってくる暫定ゾンビ──その、なんとも覇気のない顔。不気味な瞳。
一撃でぶち抜いた。これ以上、その存在を侮辱されないために。
べっちょりとした感触は粘土でも殴りつけたようで、腐った肉体が崩れ落ちる。どうして死んでからもこんな姿にされなきゃいけない。
最も悪辣な点──生き返ってきたその人が、親しい人間を襲うこと。最悪だ。誰が仕組んだのか知らないが、本当に最悪だ。その人との思い出を汚し、泥の中に引き摺り込もうとするその精神。
襲いかかってくるのを反撃すれば、心に傷を負わせる。かといって黙って殺されればそれで終わりだ。死人を利用している以上、本当に蘇ったわけではない。そんなことがあり得るはずがない。
だからこそ、これは悪意に他ならない。他に一切意味のない、純粋な悪意でしか有り得ない。
「……ブラストは?」
ブラストが無関係だと、なぜだか思えない。どうにもこの国じゃ人気者のようだし、何よりもここはブラストの結婚式会場なのだ。何かしらの因果はあるはずだ。
主催者席には誰もいない。ということは寺院の中へと逃げ込んだ可能性が高い。他の道は遮蔽物に遮られている、外へ逃げる道は暫定ゾンビで溢れているのだ。
(目の前のことを解決していくしかない。今はここの元凶を探さないと──そういえば、ルインのやつが妙なことを言ってたっけな、なんだっけ──虚像? えーっと、よく分からなかったから聞き逃してたけど──)
『忘れてはなりませぬ、鏡を割ることです』
(……まさか、本当に?)
考えるよりも体を動かす方が得意だ。寺の中に何かがある、その直感に従ってエフイーターは走った。
ーーー
羅刹。
元は仏教用語。鬼、或いは修羅などと似たような意味かと思われがちだが、実際にはそれらは魔物のことだ。
人を惑わし、或いは食うという化け物。怪力であり、足が早く、また非常に大柄。
また、人への悪意に満ちているとも言われている。
ハンナムは不幸なことに、この化け物に魅入られていたようだ。どうにも巡り合わせが悪いというか、悪い星が頭の上に浮かんでいるというか、運が悪いというか……。
「くそ! 一体何なんだ!? エールさんはわけ分からないことになってるし、会場はめちゃくちゃだ! いったいこれからどうなるって言うんだ!?」
ここ一ヶ月の苦労は全て水の泡に帰した。こんなことになると誰が予想しただろう。動きの読めないエールをなんとかこの場に引っ張り出してきて、メリィを宥めて、ロゥの機嫌を取りつつ各所とのバランスを取って──何とか、本当になんとかここまで持ってきたのだ。本当はそんな難しい仕事ではなかったはずなのに、これも全部エールってやつの仕業に違いない。
走ると床が軋んだ音を撒き散らす。気を抜いていると床を踏み抜いて転びそうだ。だがそこに気をつけている余裕はない。
「ァ、ァァァァァァァアアアア────!」
「そしてなぜ俺が追いかけられているんだ!?」
ハンナムは代々ロゥ家に仕える使用人の家系である。別にロゥ家子飼いの兵隊などではないのだ。マンガでもあるまいし、戦闘訓練など受けていない。人並みのケンカなら出来るが、ゾンビ相手に戦おうとするほどイカれていなかった。
廊下はいくつもの分岐に分かれている。古い寺院の伝統的な木造建築の節々は腐っていた。奥へ逃げる他ない。障子を突き破って出た先には裏庭が広がっていた。炎国から伝わったとされる、風水をテーマにした芸術的な空間。
砂利に足を取られて転倒して、そのまま裏庭の岩に衝突した。視界に火花が散った。
「ァ、ァァア──!」
気がついた時には、二体のゾンビが岩を両手に振り上げていた。思考が白く染まる。落ちてくる岩を見ている──。
「邪魔だ!」
横からめり込んだ何かがゾンビを攫っていった。目が白黒して、何が起こったのかを確認しようとする。ハンナムは少し間抜けな顔で見上げていた。
「どこだブラスト! どこにいる!? ──そこだな、見つけたぞ!」
「は……?」
状況に置いて行かれているハンナムは、そのまま置いてけぼりにされたまま──乱入者の視線の先にハンナムも目をやれば、確かに人がいる。さっきは気がつかなかった。
「……エフイーター?」
「ブラスト!」
エフイーターはそう叫んだ。ブラストと呼ばれた青年の方は首を傾ける。
「ブラスト……? 僕のこと?」
「……! 今は、いや……そっちのじいさんは──」
青年の隣には静かな表情で目を伏せる老人がいた。寺院の主であり、先ほどまで祝言を挙げていた老師である。
嫌な気配を感じた。
「"水には水を、土には土を、血潮には墓標を──報復を"」
短い装飾的なナイフを自らの手首に突き立て、飛び散った血液を大地にばら撒き。
「済まぬな。儂にはどうしても許せんのだ。あやつのことを言えんな」
諦観に染まった自嘲とともに、大地が揺れた。
「ステイナー。お主が終わらせた、呪われた男のことさえ、お主はもはや覚えておらん。我々は愚かだった。運命という自らへの奴隷にむざむざと成り下り……全てを奪われ、全てを失った。なぜ我々が選ばれた? なぜ運命はお主を選んだのだ?」
先ほどエフイーターが吹き飛ばして、人としての原型を失った暫定ゾンビが流動性を獲得してもう一度動き出す。
再生する。補強され、継ぎ接いで人になる。土と混ざり、砂利になり、肉が混ざり、肥大化していく。
顔面の半分は岩で覆われている。口からは腐った木材がはみ出ている。腐って脆くなった肉体を、粘土細工で補強するように泥が覆っている。
腐肉と土と泥と岩をミキサーで混ぜて、無理やりヒトガタを作ったような、悍ましく哀れな化け物が声にならない声で咆哮していた。
「じいさん! 何をした! ……まさか、あのゾンビたちもあんたがやったのか……!?」
「左様。儂があやつの呪いを引き継いだ」
「何のために! あんたは自分が何をやったか分かってんのか!? あんたがやったことが──」
言葉を遮るように、身長三メートル程度のヒトガタの化け物が異形の腕を振り下ろした。
衝撃で大地が揺れる。尋常ではない威力──まともに喰らうのは、絶対に避けなければ。
「ここで散ってはくれんか」
バックステップとともに意識を戦闘用に切り替えた。
ハンナムの方はそれを見ていることしか出来ない。おかしい、どうしてこんなことになっているんだ?
「ブラスト、逃げろ!」
「……?」
ぼやっとしたままのラストは、ブラストという名前が自身を指すと気が付いていないし、ヒトガタの化け物の脅威にすら気がついているかどうか怪しい。
「あーもう、何やってんだ!」
駆け出してブラストを担いだ。
「え……?」
右肩にブラストを抱えて、巨人の攻撃範囲内から離脱。
その時に初めて気が付いた。右肩にかかる体重──軽い。失った右腕の分を含めて考えても、明らかに。エフイーターほどの使い手ならばすぐに気がついた。ブラストは──明らかに、以前よりも弱っている。鉱石病によるものだろう。体力を奪っている。
「危なくないところに居ろ!」
「え、……分かった」
「よし、あいつをぶっ潰す……!」
手甲がない。本領を発揮するにはあの武器が欲しいところだが、悔やんでも仕方がない。
「無駄じゃ。人の身に敵うものではない。其奴は大地の化身──怨念の具現化。地面に対して、一体どのように戦うことが出来る?」
「あたしはエフイーターだ────舐めてんじゃねーぞ!」
ーーー
拳を叩き込む。
「──ッ、痛いなあ、もう!」
岩を殴りつけたことがあるなら分かるだろうが、普通は拳の方が怪我をする。
巨像と戦うのはつまりそういうことだった。
「なら本体を叩く──!」
この巨像を作り上げているのは奥の老師だ。
それを潰せば何とかなるはず、だがそうはさせなかった。
巨像が絶妙なタイミングで邪魔をする。地面を叩かれるとうまく踏ん張れない。
「……おい、そっちの!」
視線は巨像を捉えたまま、エフイーターはハンナムを呼んだ。
「え、俺?」
「そうだ! ……頼みがある、あいつをどうにかする方法だ」
「な……お、俺は戦えないぞ!?」
「そんなこと期待してない! 推測だけど、この寺院のどこかにアーツの起点がある。それが今起こってる全ての異常の元凶のはずだ。それをぶっ壊せ!」
「それ……って言っても、それは何なんだ!?」
『鏡を割ることです』
「……鏡だ! 鏡を探せ! それっぽい鏡を探してぶっ壊せ!」
「………………くそ! やるしかないみたいだな、分かったよ! やれば良いんだろ!?」
駆け出したハンナムを見送って、もう一度エフイーターは前を見た。
やることは一つ、時間稼ぎだ。
「さあ、やってやるよじいさん。うっかり痛い目に遭っても文句言うなよ」
「無駄じゃな。其奴──エールを守りながら、戦えるか?」
「出来るさ、あたしはエフイーターだぞ!」
事態は進行していく。
「くそおおおお、来るんじゃねえよおおおおおおお!」
実際かなりの恐怖だった。人ではない何かが人の形を取りながら迫ってくるのだ。そしてハンナムは逃げ惑ってばかりいられない。もう何が何だか分からないが、とにかく鏡を探さなくてはならない。
障子を蹴破って中に入り、薄暗い室内を見回すが──。
(どれがどれだか分からない! つか暗いなここ!)
酷い腐肉の臭いを撒き散らして背後から迫ってくる連中の手には鋭い武器。最悪なことに、武器を使えばより簡単に人を殺せることを理解しているらしい。
「……次の部屋は、こっちか!」
迫ってくる時間と戦いながらハンナムは次へ。恐怖もあるし混乱だらけだ。
どの部屋も散らかっている上に薄暗くて叶わない。照明を付ける余裕もないので、ざっと見回していかなければならない。
「ァァァァアアアア──」
その声から逃げようとして、ハンナムは盛大に足を引っ掛けた。薄暗くて段差に気がつかなかったのである。
頭からガラクタの山に突っ込む。額を何か固いものにぶつけてめっちゃ痛いのを堪えて体勢を立て直さなければ。
「ぃ、ネ──ェ、アアアア!」
ゾンビ映画でうっかり転んだキャラは、大抵こうやって襲われるので足元には注意が必要だ。
「うぉおおおおおおおッ!?」
壁を背にしているので、ナイフから逃れるには──ハンナムは自らの生存本能に従って咄嗟にナイフを避けた。耳に刃が掠って、白壁に突き刺さった。
「ッ、この──どけ!」
肩を蹴り飛ばして、無我夢中でナイフを奪って突き立てる。いつの間にか馬乗りになって、頭に思いっきり突き立てると、まるで豆腐に箸を刺すが如く簡単に突き刺さった。普通ならば頭蓋骨が邪魔をして、ナイフなどは決して貫通することはないのだが……。
今しがた死闘を制したハンナムにとってはそこまで気が回らず、そしてどうでも良いことだ。
「──ッ、はあ、はあ……死ぬかと思った。って、壁が崩れてる……?」
ナイフが突き刺さった部分から、軽く壁が崩れている。何となくそれを引き抜いて向こう側を覗き見てみる。
その向こうは外に通じてはいない。別の空間が広がっている。そして微かに見えた反射光──鏡が、向こう側にある。
ーーー
「やぁ──ッ!」
発勁始動、其は岩をも打ち砕かん──と謳われた、六合拳。その使い手たるエフイーターは一時期、鉄さえも貫かんとまで言われていた。
ましてや岩など──と、そう簡単にはいかなかった。
「かったいなぁ、あの野郎〜……ブラスト、そこを動くんじゃねーぞ。どうにも周りに妙なゾンビ擬きがウヨウヨしてる。……っていうか、どうしても戦えないのか?」
「ごめん、でも……戦うって言ったって、どうすれば良いのか分からない。それに、ブラストって僕のこと……だよね? 君はやっぱり僕のことを知っているんじゃ──」
「その話は後にしよ。それにあたしの推測が正しくて、さっきのあいつが上手くやってくれれば……」
お前の記憶は、元に戻るかもしれない──と。
そう言うつもりだった。だが本当にそれで良いのだろうか。
「……なあ、記憶を……取り戻したいか?」
「え?」
「お前がそれを望まないなら、あたしは今すぐお前を連れてこの場所を去る。鏡も探さないし、割らせない。あたしはさ、本当にそれが正しいことなのかどうか、未だに分からないんだ──」
巨像に動きあり、図体からは想像できないほど機敏な動きで腕を振るい、適当な岩をぶん投げて──まさに殺そうとしてきている。
「伏せろ!」
頭上を巨岩が通り過ぎて、背後の寺院に激突した。軋む音と揺れる音が合わさってグラついている。裏庭を眺める廊下は半壊していた。
「……こんなことばっかりだよ。戦いが嫌いってわけじゃないが、こうも続くとうんざりしてくる──お前だって、記憶を取り戻せばそうなるよ。戦って、殺し合って……一体お前は、どれだけ続けるつもりだったんだ? 少なくともあたしは殺し合いなんてうんざりだよ。でもお前はそうじゃない」
老師の方も、全てを巨像に任せっぱなしにするわけではないようだ。単純に土を操るアーツという訳ではなさそうだが──歳を重ねて戦場に出てくる人物には気をつけなければならない。なぜなら、その歳まで生き残ってきたということだから。
「──"相剋、虚像来たり。難き刃、砕かれりて、現世に成すは
老師は自らの右手に針を突き立て、貫通させた。
代々ステインの名を襲名する、呪われた奴隷の一族。相伝の術式は鏡面──自らの状態を相手に反映させるアーツ。自らの肉を断てば相手の肉を断ち、自らの骨を砕けば相手の骨を砕く。
この特性はある一つの思想に基づいている。すなわち、道連れ──使い捨ての暗殺道具。暗殺の証拠を残さないために生まれた、呪いの中から生まれたおぞましい
老師は先代のステイン。熟練の暗殺者──。
エフイーターの右の甲に穴が空いた。
「ッ!? 攻撃、どこから!?」
巨像が動き出す。
ステインの暗殺方は単純で、二つの攻撃の組み合わせだ。この呪術による相手への直接攻撃と、もう一つの別の攻撃。もう一人暗殺者を連れて行ったり、あるいは罠を張ったり──片方に対処しようとすれば、もう片方が襲いかかってくる。単純だが故に強力。
巨像とは距離がある。故に巨像が選択したのはまたも投石──、一撃でも掠れば十分。質量と速度を十分に持つというのは、十分過ぎるくらいに強力だ。人の身に当たればミンチには出来るだろう。
エフイーターが投石に目をやって、すぐに避けるために走ろうとした。老師が動く──針を掴み、右足へ突き刺した。ちょうどエフイーターの体重が右足に乗った直前を狙って──。
転倒まではいかなかった。常人ならその激痛にバランスを崩すだろう。ただ、足はもつれた。それで十分な隙だった。
巨石が飛来する。真っ直ぐにエフイーターを目指して、その身を粉々に破壊せんと──。
──ブラストと呼ばれた青年が飛び込んで、エフイーターを突き飛ばした。一緒になって地面を転がる。その一瞬後、さっきまでいた場所を巨石が通り過ぎて、地面に突き刺さって抉った。
「ブラスト!? お前──」
戦えないと思っていた青年が動いてエフイーターを助けた。どうしてか驚いてしまった。
「僕は戦えない、けど……君が傷つくのを黙って見過ごせない。なんとなく分かるよ、これは……きっと、そうだな。
「……ダメだ。戦うな、あたしがやる。お前の戦いの果てには何にも残らない──あたしには、お前のやっていることの意味が分からない……! どうしてこんなことをする必要がある!? こんなことをしたって、あいつらは戻ってこない。どうしてだ、どうしてなんだよブラスト」
「えっと、何の話を──」
激痛を堪えてエフイーターは立ち上がる。
ブラストを庇うように前に出て拳を握る。
老師が針を脇腹に突き刺した。エフイーターの体勢が崩れる。これ以上戦うのは危険だ。
「……あたしが、やる。あたしが……お前を、救ってやる……。絶対だよ、だから……帰ってきてくれよ、ブラスト────」
そんな懇願虚しく青年は前に歩き出した。
「やめろ……。もう戦うな、お前が壊れちまう……。復讐なんてやめろよ、まだ……気が晴れないのか……? お前が本当にやりたいことは、そんなことなのか……?」
流れ出た血が衣服を汚した。傷口が体を貫通しているというのは尋常ではない。処置をしなければ危険だ。エフイーターはもはや動ける状態ではなかった。それは老師も同様──残るは、巨像。
「記憶を失って……分かったことがある。あんまり多くの人と会ってはないけど、分かったんだ。何があったかは分からない。けど──」
行くな。
「僕には、ついてきてくれる仲間がいる」
そっち側には何もない。奈落の底へ向かって歩いている。
「そっち側に……お前の救いは、何にもないんだよ……。お前自身の願いのために生きろよ……。他人のためになんか、生きるな。仲間なんかのために……戦うなよ……」
「それはダメだよ。だって、僕を信じてくれている。僕は彼らに報わなければ」
コツコツと歩いていく。エフイーターは滲む視界でそれを見ていることしか出来ない。
巨像との距離が近づく。
岩と腐肉で出来た腕が振り上げられる。
「ありがとうね、エフイーター。君と過ごした時間、楽しかったよ」
「やめろ──やめろ、ブラスト……。戻ってこい……──」
片腕を開いた。青年は真っ直ぐに巨像を見上げ──。
*
「こいつを割ればいいんだな! ぶっ壊れろや、クソがぁあああああああああ!」
ハンナムは今日までの様々な苦労を込めて、思いっきり鏡に向かって拳を振り下ろした。
──割れる。
呪いが砕ける。
*
巨像が腕を振り下ろして大地が砕けた。青年の姿を完璧に捉えて──潰した。
そのはずだった。
「薄鈍だな。泥人形……所詮はこんなものか」
涼しい顔で巨像の肩に乗っている青年がそう呟いた。
「しっかしまあ、やってくれたなステイン。言葉通りとは、どうやら君のことを舐めていたらしい。こんなアーツがこの大地に存在していたなんてね。僕の想像力ってのも、あまり大したものじゃなかったみたいだ」
風貌は、さっきまでの青年と同一。しかしどうしてか──身に纏う雰囲気が違いすぎたために、エフイーターは最初別人かと見紛ったほどだ。
「が、泥遊びも十分だな。このお祭り騒ぎも結構だが、騒ぎ過ぎるのもよろしくはない。何よりうるさいし……結構グロい見た目してて気持ち悪いし胸糞も悪い」
左手の先に高圧の刃を形成。媒体がないために持続性は極めて低いが、腐肉の混ざった岩程度であればそう問題ではないだろう。
巨像の首元を一閃──。アーツによる干渉で対象を脆弱化。固体への干渉は得意とするところではないため、結合が崩れるのはごく一瞬だけだ。だがその隙間に合わせることで──岩をも断ち切る。
紛れもなく神業だった。
頭部がコアだったのか、巨像は崩れ、形を保てなくなり──岩と泥と腐肉に帰る。
あまりに一瞬で決着がついた。エフイーターでさえ目を疑っている──。
コツコツとエールは歩いて行った。その先には老師が立っている。
「ふ……化け物めが」
ついに、老師は諦めたような言葉を呟く。
「さて、貴方だな。質問は単純なんだが、貴方は誰だ? 何の目的があってこのお祭り騒ぎを起こしたんだ?」
「……あ奴の無念は、誰かが晴らしてやらねば遺恨になろう」
「──無念? 無念ねぇ……。ステイン……ロカ院──そうか、ロカ院はステインの一族の家だったのか。だからこの場所に逃げ込んだ。なるほど、繋がってきたぞ? ロゥがロカ院を選んだのには訳があった。さっきの呪術──応用すれば面白いことが出来そうだ。貴方はロゥを脅して、お祭り会場をこの場所にしたんだな?」
「何もかもお見通し、か? 左様──あやつらが我らの心臓を握っていたのと同様、儂は一つ保険をかけておった。後生使わんであろう罠をな。……こうなることは分かっておった。故に、儂はお主を呪わねばならん」
執念に満ちた瞳がエールを捉える。月日を重ねた暗殺者の瞳が──。
「何言ってんだか。襲ってきたのはあっちだし、貴方が諌めてやればこんなことにはならなかった。……まさか貴方も、自由が怖かったとか言い出したりはしないだろうね」
「お主には分からんよ。運命の恐ろしさを知らん。親の気持ちもな。あやつは愚かで哀れだった。救いなどどこにもなかった。どのみち破綻しておった……。我らは、呪われておるが故。この国は呪われているが故……お主のような人間までが現れる」
「その点に関しては同意だね。で、もう一つの方……あの死んだ人間が蘇るアレ。あれはどっちがやったんだ?」
「彼奴よ。彼奴は、この国を呪いたかったのでな。儂も止めはせんだ……。あれは、彼奴の願望だったのかもしれん。彼奴は試したかった、彼奴の愛するものが蘇るかどうかを──だが、母は戻っては来なかった。それは本気で母を愛していなかったことを証明しただけに過ぎんかった……」
死者蘇生の呪術はどこまで行っても呪いに過ぎない。実際に蘇ることなどありえない以上、生者の記憶を参照して現れる映し鏡でしかない。
材料は泥と腐肉。表面をそれらしいガワで覆って、見せかけの希望を与えるだけの存在でしかなく、またそれ以上の目的はありえなかった。
故に、どこまで行っても呪いに過ぎない。
「傍迷惑な話だ。自殺なら一人で勝手にやってればいいのに、都合よく僕を利用したつもりだったんだろうが……まあそれはいい。この一件の落とし前を付けよう、老師──決めることは一つだけだ。ここで死ぬか、否か」
「……勝手にせよ。どのみち、お主は興味などなかろう」
「そうだね。まあ……貴方はとっくに死にたがってるようにも見える。苦しませる時間は与えない。それを、僕から送るただ一つの救いとしよう。さようなら──」
横一線に首を薙ぎ、首が吹き飛ぶ──はずだった。
「やめろ……。殺すな──」
エフイーターが腕を掴んで、その執行を止めていた。
「……まあ、君にも言いたいことは多少ないでもない、が。それは後だ。今は……とりあえず、邪魔をするな……ってところか」
「じいさん……あたしに分かるように言え。どうしてこんなことをした……」
重傷ながら、エフイーターが発する気迫は凄まじいものがあった。言わなければ殴り飛ばしかねない勢いがあった。
「子を奪われて何も思わん親はおらん。理由など、それだけで十分──」
怒りを堪えようともせずエフイーターは叫んだ。
「だったらッ!」
どうしてこうもこの大地にはバカばかりなのだろうか。エフイーターの本音だ。
「……あんたのするべきだったことは、こんなことじゃなかった……。あんたの子に、墓はあるんだろ」
「我らに墓標などない。我らはその一族であるが故」
「じゃあ作れ。作って──そこを守っていればいい。時々でいい……掃除したり、顔を見せにきたり……供物をしたり、そういうのでいい──。死者のために生きてる人が出来るのは、たったそれだけだ。復讐なんて、本当は自分のためにやりたいだけだ。何が子供のためだ! 本当はあんた自身のために、大勢を巻き込んだだけじゃないかッ! それを復讐なんて言葉で飾るな、正当化なんてするなよ! 卑怯だぞ!」
弾劾──老師は言い返さない。何もかもを分かった上で、それでも耐えきれなかった。それだけの話だ。
「……あの木だ。あのでっかい木を墓にしろ。腐った大木が朽ちて、この大地に帰るか、あんたが死ぬまで──守り続けろ。それがあんたの罰だ」
エフイーターが信じる正義は、本当は何もかもを救うことは出来ない。
だからせめて、自分がそうしなければならないということを言い、そうしなければならないことをする。
その在り方は──あまりに、眩しく。
まるで、目が眩むような心地がする。
「この大地に染み込んだ血と苦しみが薄れて、悲しみを忘れられる日が来るまでずっとだ。逃げることは許さない。あんたは一生どこにも行かず、この場所で生きていけ。忘れることも許さない。あの木を見るたびに、あんたの罪を思い出せ。んで……枯れるように死ねばいいさ。息子と一緒に眠ればいい」
羅刹──復讐という化け物に取り憑かれた化け物。
「その時が来るまで生きてろ。あたしたちは……何があっても、生きていかなきゃいけない。何があってもだ」
羅刹はもはや、どこにも行くことはない。
悠久を生きる大木がやがて羅刹の罪を忘れ、罰が終わり──。
羅刹と大木、共に朽ちて、大地の元へと還るまで。
9/5 羅刹と大木 《了》
「……で、本当の問題はこっちだな。さて、どうしたものか」
ロカ院を出てからの話になる。
昨日の後始末のために色々やらなきゃいけないこともあった。ちょっと久しぶりと感じるアルゴンのレオーネ本部、エールの執務室。
グエンがエフイーターを連れてきていた。
「グエンさん、ちょっと説明してもらってもいいですか。なぜそいつがここに居るのか」
「実は私の家で泊まっていただいておるのです。行く宛もないとのことでしたので──」
「はぁ……。いつこの国に来たんだ。いったいどうなってんだ……」
──おかしい。変だ、その言葉は──。
「おい。まさかとは思うけど……お前、あたしと会った記憶がないのか?」
「……おいおい。冗談は止してくれよ」
「エールさんは昨日と一昨日の二日間の記憶が曖昧になっているようでして……。その記憶の補完のため、エフイーターさんを連れてきたのです」
余計なお世話だった。老人の余計なお世話ほと厄介なものはなかなかない。
「では、私はこれで失礼します」
「ちょっとグエンさん──、ウソだろ……?」
本当に去ってしまった。エフイーターと二人きりである。最悪だった。
「はぁ……まあいいさ。この国に来た理由は置いておく。こっちが重要なんだが、なぜロカ院にいた。なぜ僕を助けた?」
「頼まれたんだよ」
「……頼まれた? 誰に?」
「おせっかいな幽霊にさ。お前を助けろって」
突拍子もないことを言い出した。流石にエールも怪訝な顔をする。
「幽霊? 何の話だ?」
「言っても信じるかなー。信じないよな。まあ言うけど……ルインだよ、ルインが幽霊になって出てきたんだ」
きっとブラストは驚く──というか、どんな反応になるのか気になった。
かなり複雑だろう。幽霊がまだ自分を見守っていたなんて、特にブラストにとっては。
──だが。
帰ってきたのは、想像の遥か上を行く最悪の返事だった。
「……ルイン? 誰だ?」
エフイーターが凍った。それから、信じられないという風に口を開く。
「お前、本気で言ってんのか……!? お前の部下だ、行動隊B2のメンバーの一人だろうが!」
「は……?」
今度はエールが固まる。
「行動隊B2! お前のチームだ!」
「あ、ああ……。知っている。僕が忘れるわけがない──」
エールの顔が恐怖に染まっていく。滅多に見せない表情だ。
「……嘘、だ。僕が……忘れるわけが、ない……。冗談なら、やめてくれ……」
──白く、しろく。
漂白していく。白く──。
「お前、自分の仲間の名前を言ってみろ!」
焦りからエフイーターが叫ぶ。逆効果だった。
「覚えているはずだ、忘れるわけがない、僕が……僕が、あいつらのことを忘れるはず、ない……。嘘だ、そんなはず……」
──思い出せなかった。
もやが掛かっていて顔が見えない。だがいる、居るはずだ。確かに記憶には──彼女がいる。彼女たちがいる。
彼女は軽く手を振って、表情はもう霧がかっていて見てないが、微笑んでいる──。
──漂白していく。記憶を失っていく。これはステインの残した呪い。決して解けない恨みと憎しみ。
「──ああ、誰だ。思い出せない、君は誰だ。僕の記憶に居る──君は、青色の綺麗な髪をしていた。花が好きだった……。君は手間がかかったな、才能が芽吹くまで随分かかったけど……、君は、とても優しい人間だった……。戦いに向いてないと、僕は分かっていたはずだ。君は誰かを傷つけるのには、向いていなかった。知っていたさ、知っていても……君たちに希望を託してみようと、思った……」
ぶつぶつと呟いていた。確かめるように呟いていた。
「君、は──君の、名前は────……」
エールはもはやエフイーターのことが見えてない。記憶の渦に飲み込まれて憔悴すらしている。
「君の名前は、何だった? 僕は、本当に……、忘れて、しまったのか……?」
初めて見せる、ブラストの絶望した顔を見て──エフイーターは、終わりが始まっていることを実感として悟った。
「……ああ、何て──やめろ、忘れるな……──戻ってきてくれ、やめろ──」
それからブラストがか細い声で、囁くように呟いた一言を、きっとエフイーターは一生忘れることが出来ないだろう。
「忘れるな、忘れるな──。思い出せよ、頼む──」
それだけが、エールを支えている。
「僕を、一人にするな────」
陽炎の輪郭はもはや見えなくなっていた。
顔の見えない仲間たちが微笑んで、陽炎の向こうから手を振って、消えて──やがて、見えなくなって行った。
3−1 想起収束_Begin again. 《了》
この話だけで多分八万文字くらい行ってるという事実を前に私は普通に戦慄しました。一体いつになったらブレイズが登場するんだ……。
・エール
ステインの呪いにより仲間の名前を永遠に奪われた。基本的に自業自得定期
・エフイーター
紛れもないメインヒロイン
ヒロインというよりはヒーロー。
・ハンナム
色々大変だった。今回のMVP
・グエン
息子が蘇ったりゾンビになったりしていて色々大変だったが聖人なので大丈夫だった。
・老師
本名不詳。
この話はこの老人の復讐の話でした。多分……
・メリィ
何にも書かれてませんが、裏ではきっと逃げ回っていたはず
・ロゥ
ド戦犯。
さっぱり登場しなかった。
・話のタイトル
最初はなんか語感がいいので適当に決めたんですが、上手い具合にハマってくれてよかった。よかった(安堵)
こんだけ待たせておいてアレですが、また次回の投稿までには時間が空くでしょう(予言)
気長に……
ついでに感想とか評価とかください!
間話挟もうと思っているんですが、どんな話が読みたいですか?
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ここのところ出番なしのアンブリエルの話
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実は裏ではめっちゃ頑張ってるブリーズの話
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ついに来てしまったエフイーターの話
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働いてばっかりのスカベンジャーの話
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オリキャラ勢の話
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一方その頃ロドスでは……
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全部書け
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次回更新をさっさとしろ
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確認用