7/21
「や」
本当はまだ包帯も取れないはずのエールが、どこにでもいるような格好をして軽く手を振った。
「……来たか。しかし……どうして死んでいない? 本当にあの傷でそのまま指揮を取っていたのか?」
「まあNHIの連中も手強かったが、僕の本命は
「……代償がそれか。疑問だが、お前は左腕を肩から先、まるまる失った。──怖くないのか?」
「ないよ」
即答。
全くの嘘も動揺もなく、まさしく本心のように。
「傷つくことは別にいいさ。それよりも怖いことがある」
涼しげな音がグラスから響く。蒸留酒のロック──感染者である二人は、アルゴンでもかなりの高級バーに居た。
フォンはグラスを傾ける。
「何か頼むか?」
「水でいいよ。病院を抜け出してきてるんだ、あまりやんちゃ出来ないし、何より僕は酒が苦手でね」
「……意外だ。お前のような獰猛さを持つ戦士は、大抵酒を好むものだと思っていた」
「どうも僕は酔っ払いすぎる。ここまでくると逆に酔えない、すぐに意識が飛んでしまう」
「そんなにか?」
「そんなにだよ。このせいで苦労したこともある。それに一つ訂正するが、僕は戦士じゃない」
エールは常に微笑を浮かべていたが、少しだけ苦笑いが混ざった。
「少なくとも、戦士じゃない。僕は他人のために戦ってる訳じゃないからね」
「そういうものか?」
「どうだろ。自分が何者なのかなんて、大した問題じゃないと思ってる」
「……それもどうなんだ? 自分が何者なのか、何のために生きているのか。それは重要なことだ。オレは常に、自分が誰なのかどうかを考えている」
「……そういうもの?」
「さあな、分からん」
どうにも対照的な二人だったが、だからこそどこか似通っていた。
「本題に入ろう。君たちはレオーネの傘下に入る。それで納得しているんだね?」
「……助けられた身だ。文句は言わん、多少はマシな雇い主が見つかっただけ幸運と言えるだろう。それと……一つだけ言っておくが、オレはまだオレの理想を諦めてなどいないし、オレたちはオレたちの理想を諦めてなどいない」
「いいさ、好きにするといい。……そうだな、ところで君たちは傭兵としての位置付けに近くなるだろう。それも、僕の私兵としての位置付けにより近い」
「構わん。オレたちもこの国に帰属意識など持っていない。その辺りが妥当だろう。で、仕事はなんだ?」
「まだ決めてないけど……いずれ、この国の二代貴族のうちの一つと戦う時が来る。君たちはその時に、キーの一つになるかもしれない」
フォンも荒事に慣れた身ではあるが、エールほどの器量を持った人間にはなかなか出会わない。広すぎる視界を持った人間は、時たまホラ吹きと見分けが付かないのだ。フォンはエールがどちら側なのか、未だに判断しかねている。
貴族と争うことを前提にしている人物は、いったいその視界に何を捉えているのだろうか? そんなことを考えるのはラリったジャンキーか、酔っ払いか──それとも、本当の気狂いか。
「……お前ほどの人物が、一体何を目的にしている? お前はエクソリア人じゃない、ヴァルポ族などこの国には居ない。一体どこの出身だ。ヴィクトリアか? イェラグか?」
「まあ、君には言っても構わないかな。ウルサスだよ」
「……バカな」
フォンの驚きに満ちた顔が、十分に事態を物語っている。
「育ちはヴィクトリアと言って差し支えないけどね。……僕はこの戦争の先に
があると思っている」
「……何か? それは何だ」
「それはまだ分からない。だが、十分な価値を持つ何かだ」
「訳が分からんな。分かるのは、お前がイカれているということだけだ」
「心外だな。僕の目から見れば、君だってそう変わらないよ。感染者の国──冗談だと思ったよ。それを国とは呼ばないんじゃないかな」
「……そうだったな。ふ」
噛み殺すような笑い声がフォンから漏れた。
エールもつい可笑しくなった。
「数々の人と出会ってきたけど、君のようなヤツは初めてだ。ははっ──どうやら似ているらしいね?」
「同感だ。ッくくく……面白いヤツだな、お前は。──オレの仲間にならないか? お前が居るなら、オレの理想は現実となるかもしれん」
「それはこっちのセリフだよ。スーロン、ただのチンピラ集団かと思ったら……なかなかどうして、よく統制された戦士たちだ。あれほどの組織を作り上げる手腕と、その戦場指揮能力、先見の眼は……どうしたって、欲しい」
「ふっ……過大評価だな。オレはただのチンピラに過ぎん」
「まさか。ただのチンピラが数千人を纏め上げる組織を作れない。あれ、二年間で一国の中で最も大きなギャングになったんだんだってね」
末端構成員まで含めるとスーロンは二千人ほどいた。中核となるメンバーはたった50名ほどの感染者たちではあったのだが。
「感染者になる前は何をしていたんだ?」
「ただの運送業者だった」
「……冗談でしょ?」
「本当だ。で、お前はどうなんだ」
「そうだな、ただのチンピラ崩れ……かな」
「……冗談だろう?」
「本当だよ」
"エール"はそうだ。嘘ではない。エールにとっては本当のことだ。
「色々あったことは、認めるけどね」
「興味深いな。なぜ今の地位にまで成り上がった? お前の目的は、この内戦の果てに何かを探すことか」
「平たく言えばそうなる。……そうだね、でも……違う目的も入っている」
自分でもよく分からない何かを無理矢理に言葉にして、エールは言う。
「たぶん、復讐だと思う」
「復讐だと? 何のだ」
「……何だろうね。特的の物事とか、個人とか、国とか……そういうものに対してじゃない。もっと漠然とした……この大地ってものへの復讐、だと思う」
「益々……おかしなヤツだな。お前が何かを憎んでいるところなど、なぜだか想像も出来ないが」
「この話を誰かにするのは、これが初めてだ。だから……この感覚を上手く言葉にすることが出来ない。ただ、この大地に生まれてきたことを……僕はとても恨んでいる」
エールは煙草を取り出して火を着けた。
「仲間を奪われたんだ。あるいは、これが僕の運命なのかもしれない。ただもしもそうだとしたら、僕の運命に仲間を付き合わせてしまったことになる。それだけが、申し訳ない」
君も吸うか?
一本貰おう。
「オレも多くの仲間たちを失ってきた。あの戦闘ほど、訓練を受けた部隊というものの恐ろしさを実感したことはなかった。仲間が消え、新しく出来て、また消えていく──感染者となり、荒野に放り出され、そこで野垂れ死ぬことが出来なくとも、アテのない放浪の旅を強いられる」
煙草臭い煙を吐き出して、フォンもそう語った。今更そんな過去に特別な感情など抱いてはいない。
「だからオレは、この長い長い旅の果てに、オレたちの楽園を作り上げたい。仲間と共にな」
「君にとって、仲間とは何だ?」
「友だ。見ている方向は違っていても、同じ道を歩いている。オレは──何度、彼らの存在に救われたかどうか分からん。特にセイは、オレが感染者になった時からの仲間だ。ヤツはバカだが、オレにはない体力があった……何度ヤツに助けられたことか」
フォンはエールを観察するように見据えた。
片腕を失い、所々に結晶の浮き出た、人の形をした化け物を──。
「仲間を失えば、オレもお前のようになるのかもしれんな」
「どうだろ。みんながみんな、復讐を考える訳じゃない。むしろ少数派だよ、積極的な復讐を起こすのは。誰かに対して復讐を起こすってことは、それ以外の全てを捨てるってことだろう。それまでの生活や信条、一切合切を捨てて……ただ自らだけのために。それは未来ある生き方じゃなくて、死人の生き方だ。もう死んでいるのとなんら違いはない」
「自分のことを言っているのか?」
「多少は。ただ最近は少し違うことを考えるようになった。僕はこの復讐を始めてから、誰かのために何かをしようなんて一度たりとも考えたことはなかった。けどおかしな事に、いつの間にか英雄だとか救世主だとか呼ばれるようになっていて、戸惑ったよ。僕にそんなつもりはなかったし、今だってこの国を救うために戦ってる訳じゃない。縁のない国を、僕個人が助けようとする理由なんてない。だけど……もしかしたら、僕にも未来があるのかも知れないって、そう思うようになった。ついて来てくれる仲間たちがいるんだ。可笑しいと思う?」
行動原理の破綻した個人に、なぜだかついてくる仲間たち。誰にしたって正気ではないが──。
ただ、フォンはそれが理解できた。
「……オレと同じだな」
灰皿に燃え滓を落とす。
「オレも、自分一人が生き延びられればいいと思っていた。徒党を組んだのは、その生存確率を上げるためだけだったんだがな。その中核となって組織を動かしていれば、中心の方は多少安全だとたかを括って──そしていつの間にか、道具としか見ていなかった連中の表情を、なぜだか気にかけるようになっていた。連中を仲間だと思うようになっていた」
「君の理想は、何が原点にあるんだ?」
「ただの願望だ。この大地のどこかに、オレたちが満たされる場所があるはずだとな」
「クルビアには行ったことが?」
クルビアは感染者にも寛容な国だ。ある程度の資金を元手に自活して生きていくことが出来る。感染者になった人間が目指すのは、クルビアか炎国だ。そこまで辿り着く前に、大抵は死ぬが。
「あるが、その後滞在拒否されて追い出された」
「あれ。何やったの? 感染者ってだけなら追放なんてされないでしょ」
「L.G.Lインダストリの化学プラントを爆破した……いや、待て。連中が面倒なものを製造していると分かったからだ。証拠も全て当局には提出したし、最善の行動をしたと証明はされている。その後L.G.Lは凍結が決まった。オレの計画では、それでオレたちはクルビアでの市民権を獲得できるはずだった」
「……マジで言ってる?」
「そういう取引を持ち掛けて、了解は得ていた。だが……何が気に入らなかったのか……やはり爆破はやり過ぎだったのか。とにかく見通しが甘かったようで、結局テスカまで逃れてきたという訳だ」
「呆れるよ。今度は連邦捜査局に目をつけられた訳だけど……どんどん敵ばっかり増やしてない?」
「そうでもない。十分な経験と力を蓄えることが出来たし、結果的には上手くいっている。感染した時は思わずこの世を呪ったが、オレの運もそう悲観するほど悪くなかった。今もこうして酒が飲めている。オレは確実に理想に近づいている」
表情の変化に乏しいフォンだが、理想という言葉を口にするときだけ、その口元を緩めた。
理想──この大地においては、最も現実とかけ離れた言葉だ。
それを最も理解する立場にありながら、フォンはまるで世間知らずの空想家のようだった。エールの方も似たようなものではあったのだが。
「理想……ね。だがエクソリアに期待はしない方がいい。少なくとも終戦までは、考えるべきはどう生き残るかだけだと思うよ」
「その言葉はそっくりそのまま返す。お前の方こそ、まるでこの戦争が終わることが分かっているようだ」
「そりゃあ終わるよ。どのような形であれ、必ず終わりは来る」
「違うな。お前は勝ちを確信している──いや、少し違う。お前は、お前が望む結末が必ず来ると確信しているのか? ──オレとて、お前の実績は知っている。だが北部の背後には帝国がある。その理由までは検討が付かんが、奴らが本腰を入れればすぐにカタが付くぞ」
「その通りだね。だが、本当にそうなれば、の話だ。そしてそうはならない。君なら分かるだろ? もう百年前じゃない。今は黄金の90年代──イェラグとクルビアを結ぶ山脈、そしてカジミエーシュ。今どき征服も侵略も流行らないさ」
いつも通りの、指導者としては軽すぎる口調で話すが、フォンは軽く笑って言い返す。
「それは連中を甘く身過ぎている。敵の敵は味方という言葉があるが、戯言だ。敵の敵は敵に過ぎん。そして、それはわざわざ敵と呼ぶほどのものでない場合、ただの路傍の石のように蹴り飛ばせば済む話だ。今のクルビアは火薬庫であり、そしてエクソリアには火の雨が降っている。忠告するぞ。クルビアには関わるな。そしてサルゴンも役には立たんし、テスカ連邦などエクソリアに劣らない田舎の弱国だ。今必要なのは陰謀ではなく、もっと根本的な部分だろう」
「興味深いな。では、何をするべきだと?」
「オレならば──そうだな。国境を緩める。感染者の受け入れを行い、工業を発展させ、ギル紙幣の価値を高める」
「……なるほど? 面白い考えだ、だがそうするには時間が足りないんじゃないか?」
「どの道を辿ろうとも変わらん。今打てる奇策などせいぜいクラッカー代わりにしかならんだろう。所詮戦争など物量の問題だ。どちらの山の方が大きいか──何をするにしても、だ」
「なるほど。確かに、先日の一件で君が末端構成員を動かしていれば話は大幅に変わっていたな」
「連中が一手上手だった。もう一年後に来てくれていれば、盛大に歓迎してやれたんだがな。多くの仲間が散った」
蒸留酒を傾けながらフォンは何かに思いを馳せているようだった。
「だからこそ、オレたちは笑って歩いていかなくてはならない。どのような苦難が横たわって居ようと、この道の果てに笑うのはオレたちだ。そしてそこで笑うのがオレでなくとも構わん。意思を継いだ仲間たちであれば、例えオレがそのために犠牲になろうとも何も問題はない」
「……本心で言っているんなら敬服するよ。だがそのために犠牲になるのは他者だ。君が目指しているのは共生か? それとも勝利か?」
「
あっさりと言い放った言葉は奔放で、野心に溢れていた。そしてその言葉に似つかわしい、静かにぎらつく両眼の輝きを持っていた。
「……──。そんなことを口にする男が居るとはね。それを嘘にしてほしくはないな。僕はそうなった景色を見てみたい気もする──失望したくはないよ」
「言われずとも。それで、お前は? お前は復讐を果たすのか?」
「いいや。君なら分かるだろう、僕は……まだ、探している。この大地のどこかにいるはずの誰かをずっと探しているんだよ。待っているんだ、会いに来てくれるのを」
「……正気であれば……恐ろしいほどのロマンチスト、だな」
「ただの願望だよ。一種の夢──それを待ち望んでいるけど、来たら来たで寂しい」
「本当に来ると思っているのか?」
「分からない。だけど、待っている」
フォンも半分ほど呆れて、残ったもう半分で面白がった。
「女か?」
「……まあ、そういうことになる」
「ははっ、恐ろしいほどのロマンチストだ! まるでリターニアの御伽噺のようだぞ! はっはっは──」
「む……秘密にしといてよ。笑われるとは思ってたけど、いざそうなると結構恥ずかしいものがある」
「分かった、お前の名誉のためだ。だがお前が将来、詩や唄になったとき、こういうエピソードがあれば盛り上がりは十分だろう。お前が死んだ後になら、言いふらしても構わんだろう?」
「勝手にしたらいい。だが古今東西の英雄詩の一つになるなんてゾッとしないな。不吉だ」
歴史上活躍した英雄たちの中でハッピーエンドを迎えたものは、片手で数えられるほど少ない。偉業を成し遂げようとも、めでたしめでたしとはならないのである。そのジンクスに則ると、英雄というものの末路はあまり明るくなさそうだ。
「それにそんな器じゃない。グエンさんがいるから好き勝手やれてるだけで、そうじゃなかったらとっくに追い出されてるさ」
「……グエン・バー・ハンはそれほどか?」
「器というならね。僕から見れば、まるでエクソリア統一のために生まれてきたような人だよ。背景、動機、それと能力──全て一級品の英傑だよ」
「さてな。案外ヤツがあの歳まで生き延びてきたのは、お前のような英雄を自分の代わりに仕立て上げてきたからかもしれんぞ?」
英雄というのはとにかく長生きができない。少なくともそう呼ばれるようになった後は。
その逆は必ずしも成立するわけではないが、まるで運命に生贄を捧げるようにしてそれらの呪いから逃れてきたかもしれない──と、フォンはエールを揶揄った。
「簡単に調べたが、ヤツの息子や古い友人は皆命を落としている。最近のものもあれば、二十年ほど前のものもあるが、やはりヤツだけは矢面に立ちながらも絶妙に生き残っている」
「大したことじゃない。利害は一致してるんだし、そう簡単に死なないのはむしろ安心する材料だよ」
「お前のように、自分の死を害とも思わんバカにとってはそうなのだろうが、少なくともオレなら近寄らん。平和への捨て駒など、数ある結末の中でも特に最悪の部類だ。今からでも気は変わらんのか? 四龍に来い、歓迎するぞ」
「……半年ほど前に、君と出会ってみたかった」
「……残念だ。本当に」
──フィルターだけの残ったタバコには、火はもう残っていない。
エールはもはや道を決めている。もしも仲間を失ったあのとき、グエンではなくフォンに出会っていたのならば、或いは──。
どのみちそれはもしもの話に過ぎず、栓なき話である。
「ところでさっきの──君がもしも、この国を動かす立場に立ったなら、何をするって話だけど」
「そんな話だったか?」
「僕はそのつもりだったよ。とにかく、興味深いことを話していたよね。もう少し詳しく聞いてみたい」
「所詮素人考えでいいのならな。だが交換条件で、お前がどのようにそこまでの強さを手に入れたのかを話せ」
「そんなことでいいのなら、どれだけでも」
自分にとってはそれほどでもないことが、他人にとっては大きな価値を持つ。特にこの二人の場合は──。
「さて、この国を動かす立場に立ったなら、か……。オレなら、徹底的に時間を稼ぐ」
「だが、それが出来ない事情がある」
「ふむ……それならば、時間を奪う」
「……?」
「すでにそれを持っている連中が、それを差し出すようにする。そうだな、相手にもタイムリミットをつければいい。幸いなことに北部の連中は、その体の内側に一つ爆弾を抱えている。捨てたくとも捨てれない爆弾──シャンバには、独立した少数民族がいる。オレの記憶が正しければ、ヤツらはかなり北部政府と仲が悪かったな?」
「……シャンバラ族! まさか、交渉するの? 少数民族というのは非常に厄介なんだろ?」
「交渉などせずとも動かせる。武器を売りつけてやればいい、それも大量で、簡単に扱えるものであればなおいい。故に考えるべきは、どのようにしてシャンバまでの道のりを確保するか、だ」
テロリズムの誘発。それは高圧状態に置かれたガスにマッチを放り込むようなもの。
敵も味方も全てを吹き飛ばす爆弾、その思考は手段だけを追い求めていた。目的のために他者に武器を与え、動かし──それで殺し合いが起ころうとも、何も関係ないというように。
「行うべきは、いかにして北部を干すのか。その一点──内側を爆破するなら、外側を囲って逃げ道を塞ぐ必要があるが、エクソリアに限ってはそのジャングルが邪魔をするはずだ。オレはこの国に関してはあまり情報を持たんが、ホークンは必ずしも取る必要はないだろうな。最も戦略的な地点はシャンバ──あの場所だ。擬似的な要塞と言っていい。あの場所を取り返すことが出来ればどうにでもなるだろうな。逆になぜあの地を奪われたのか不思議なほどだ。八百長でもしているんじゃないか?」
「流石にそんなことはないと思う。だから僕もずっと不思議に思っているんだ。どうしてこうも、過去の南部軍はあっさりと負け続けたのか」
──実際に、フォンが冗談のように口にした八百長、そちらの方が事実だった。エールはまだこの事実は知らないが。
「やはり貴族が怪しいだろうな。こういう妙な事態が発生している時、大抵は別の何者かが絡んでいる。それもいないのであれば、敵は内側だ。そしてもしも本当に内側に癌があるなら、適切なタイミングで取り除く必要がある」
「……君は、一体どこまで見えているんだ? どこからか情報を得ているのか?」
「優秀な仲間がいるだけだ。オレも情報を手に入れるためならばそれなりの代価は払ってきたし、今もそうしている。"知っている"ということは重要なことだ」
フォンにとって重要なことは、知っておくということ。それが正しい情報であれ誤ったものであれ、まずは知ること。そしてそれが正しいかどうかを知ること。そうすれば、次に起こることが予測できる。
例えば、ある一人の男がいるとしよう。その男は恨みを買っていて、殺してやりたいと大勢の人間が思っている──ことを知っているならば、ここに行動の余地が生まれる。そのための手段を与えて、男を殺させることも出来るし、逆に男を助け出すことも出来る。利益を生むことも可能だ。
重要なのは、その事実を知っておくことだ。それを知らなければ何も出来ない。何かが起こったことすら分からない。
この世の全てを知っているということは、この世の全てを操れるということと同義──フォンの力の価値はその部分にある。
「最も、知らなかったせいでテスカでは無様を晒したがな」
「だね──だけど、まさかラテラーノが出張ってくるなんて予想は、流石に立てられなかっただろう?」
「ああ。手に入る情報には限りがある。そして一つの取るに足らない要因でも、それが予想もしない結果に結びつくこともある。お前が銃器を求めていたことなど知らなかったし、サンクタの連中があそこまで銃器というものに執着していたことも知らなかった。つくづく人生には何が起こるか分からない」
──全くもって同意だ。
ぐうの音も出ないほど同感するしかない。あまりにも分かりみが深すぎてため息が出た。
「しかし、面白いことを考えつくな……。少数民族を使う、ね」
「簡単にしか見ていないが、レオーネは北部と戦うには小さすぎる。だからこそ強引にでも組織拡大を急いでいるのは分かるが……本当に手段を選ばないのなら、外側の勢力に働きかける方法もある」
まるで授業でもするような調子でフォンはそう言い出した。
「面白そうだ。教えてくれる?」
「そうだな、オレもさまざまな場所を巡ってきたが、強い力を持つ勢力というのは、金と武力を持っている連中のことだ。いつの時代も、どの場所でもそうだ。特にエクソリアのような、十分に文化の発達していない国では、アウトローの自警団から始まったギャングスタが根強い。特に流れ者ではない地元の連中の場合は警戒が必要だ。そういう場合、大抵は地域との太い繋がりを持っているから、潰すにしても繋がりを得るにしても慎重さが欠かせない──お前は、とっくに知っているだろうが」
「いいや、参考になるよ」
「そうか? まあ続けるが──どこの時代、どこの場所にいても必ずそういう連中はいる。こんな大地だからな。自分のところに十分な兵と金がないなら、そういう連中を上手く使う必要がある。敵とも味方とも取れん駒の使い方は、関わらないように遠ざけておくか、うまく敵にぶつけるように動かすか……この二つだけだ。何をするにしても、足元は掃除しなければな」
「けど、君なら感染者の受け入れを行うんだろう? その場合、移民がそんな勢力に加わりかねない」
「それは移民の受け皿が用意されていない場合に限った話だ。国営企業でも公共事業でもなんでもいいが、とにかく労働者を確保しなければな」
「……地道だね」
「オレなら、少なくともやる気はしないな。下らん話だが、この類の話には幸運という言葉が付き纏う。どれほど謀を弄したところで、天災一つでも降ってきたらそれで全てお釈迦というものだ。時勢と運──これを持っているならバカでも勝てる。だが運が無いヤツはどれほど頭が回ろうが強かろうが負ける」
「身も蓋もない……」
「お前とて、幸運というものを感じたことがない訳ではないだろう。ここに至るまで、何か運命じみたものを一つでも感じなかったか?」
「そりゃあるよ。当たり前だ──」
エールにとってのそれは、グエン・バー・ハンという人物に出会えたことであり、アンブリエルというサンクタからもたらされた情報であり、フェイズというサルカズのエンジニアがレオーネに転がり込んできたことだ。これらだけではない、数えようと思ったら両手両足の指の数全てを使わなければならない。
そして、それら一つが欠けていればそこで終わっていたかもしれないのだ。
「オレは、やはりそれが運命であるように感じる」
「僕はその言葉が嫌いだよ。そりゃ、運もあるだろうけど……やるべきことはやらなければならない」
「ならばお前はやはり、いずれクルビアに関わるかどうかを決断しなければならないだろうな」
「……どうしてクルビアなんだ?」
「決まっている。金で動くからだ」
「それはそんなに重要な要素なの?」
「ああ。積んだだけの働きが期待できる。
「なら、どうしてさっきクルビアに関わるなと言ったんだ?」
「リスクが存在するからだ。それも特大のリスクがな──国外事業に関する重大な案件は、必ず一つの政府機関を通さなければならない。全委員の過半数による承認が必要だ。そしてこれは民間に業務委託されている。LSC──Lotus Strategic coordinator。国営から分離した半政府組織であり、持ち株の一割は現レイジアン役員が保有している」
「……なんかややこしくなってきた?」
「ああ。その辺りの事情は複雑で、正直全て語るのも面倒だ。知っておかなくてはならないことは、クルビアへの干渉は逆説的にこのLSCを通さなければならないということだけだな」
「聞いたことがない。LSC? なぜ君がそんなことまで知っている?」
「LGLとやり合った時に少しな。そしてこのLSCというものが非常に厄介だ。クルビアは常に技術発展を推進している。外交に関してもそうだ──つまり、より成果を挙げた企業が、単なる企業に止まらない権力を手にする可能性が出てくる。一言に産業と括って、医療や軍事、科学技術などさまざまなジャンルが存在しているにも関わらず、それらを競争させ、更なる経済発展をもたらすためにな。故に、条件さえ整えば干渉は容易い。そしてそれ故に危険でもある。例えばライン生命統括課は、その単体で従業員2万人を従えるライン生命グループの中でもトップクラスの子会社だが、その最奥を知る者はとっくにその身を従えているか、喋る舌を失っているかのどちらかだ」
「穏やかじゃないな……」
「戦争でも科学でもそうだが、有能すぎるものほど危険だ。そして、クルビアに関わる上でこれらは決して避けては通れん──というよりも、お前の目的がクルビアの軍事力にある以上、このLSCが同時に目的でもある」
「……クルビアってのは、そんな国だったのか」
「ウルサスを例に取るとその特徴ははっきりする。あのクソ熊どもにとって、侵略は手段であり、戦争は目的だが、クルビアにとっては両方とも手段だ。利益のみがあの国を動かす力であり、利益のみがあの国を動かす方法となる。問題は二つ──クルビアを一枚噛ませるとなると、莫大な金、或いはそれだけの利益を差し出す必要がある。それが一つ目だ。そしてもう一つ、連中に全てを食い荒らされるかもしれないリスクに対してどのように対処するのか、これが二つ目だ。これはとびっきりの
フォンはすでにそれらの片鱗を経験している。企業体というものの生態を──企業という人格の
「負けるとどうなる?」
「全てを奪われる」
「じゃあ勝てば?」
「自由を得る。そうなることでお前が何を得られるかは知らんが」
どのみちエクソリアという国は吹けば飛ぶような弱国である。クルビアという怪物を利用するには相応のリスクが付き纏うのは当然であり、時期と方法を間違えれば未来はない。
「よく考えて決めることだな。クルビアに関わる道はどちらかと言えば邪道だ。真正面から地道にやっていくのが後腐れない」
結局のところは他人事であるフォンが気楽そうに言った。エールを見て楽しんでいるようにも見えた。
「それと、あまり鵜呑みにはするな。何かを決めるときは、徹底的に周囲を調べなければならん──いや。お前には、無用の言葉か」
「買い被り過ぎだよ。僕は戦う以外に能はない」
「……そう、それだ。お前の突出して高い戦闘能力──訓練され、武装した集団に対して、個人で勝てるなど馬鹿げた話だが、実際にお前はやってのけた。もしも連中を二分していなければ、あのときオレたちに生存の目はなかっただろう。あの時、お前にはロクな武装もなかった。噂に聞く教皇騎士、或いはそれ以上の──」
「生き残ったのは地形と運、それ以上のことはない──工場っていう遮蔽物の多い場所で、各個撃破がしやすかった。もしもだだっ広い荒野で真正面から戦ったらまず勝ち目はなかった。実際死にかけたし。結構大変だったんだよ?」
「十分に化け物だな。以前から興味があった。化け物というのは、なぜ化け物なのか。それは生まれつきなのか、それとも才能があれば誰でも至るものなのか」
それは単なる興味ではなく、長い間ずっと考えてきたものだ。フォンは戦術や戦略、情報によって困難を乗り越えてきた。それはフォンにはエールのような個人で全てを解決できるような戦闘力がなかったから。
それでいいと、フォンは思っている。誰しも自分の武器があり、よく研いだナイフは一本あればそれでいい。
だが、興味があるのだ。
「オレはそういうものと戦ってみたい」
もしも同じだけの才能があり、力量であったのなら、勝敗を分けるのは相性と状況だ。つまり公平な状態である。
「興味がある。オレとそいつが、全てを賭けて戦ったのならどちらが勝つのか」
男は誰しも、一度は考える。もしも戦ったら、どちらが勝つのか? それは生存のための思考ではなく、より下賤で俗物的な思考だ。だが心を動かすのには十分とはいかないまでも、さざ波は立つ。
「つまり、僕と戦いたいってこと?」
「まあそうなる。戦ってみたい、だな」
「つまり……んー、殺し合いってことだよね」
「まあ、そうなるな」
殺意ではなく、純粋な興味による殺し合い。実現したのなら二人とも狂人だろう。
「遠慮願おう。今は味方なんだ」
「オレも本気で言っているわけではない。ただ……いずれそうなった時は、遠慮はするな。お前と殺し合ってみるのは、少し面白そうだ」
「ま、否定はしないけど──」
フォンは、エールも程度の差はあれど同じことを考えていることが分かった。戦ってみたい。全力を尽くして、別に憎み合う理由などなくとも戦ってみたい。それは格下に抱く感情ではない。格上と相対したならばそんなことは考えず、ただ生存を目指すだろう。だから──きっと、自分と似たような相手だから、試してみたいのだ。
「運が悪ければ、いや、良ければ機会が巡ってくる。約束しよう。もしもその時が来たのなら、存分に殺し合おうか」
「お前の目的は別にいいのか?」
「僕と君が殺し合うとするなら、きっと僕の目的はその先にある。君がもしも、君を殺さなければ僕は僕の目的を達成できないという風に仕込めば、案外あっさりその機会は回ってくるだろうね」
「積極的にそういう状況を作る気はない。だが、この大地は何が起こるかわからん──オレも約束をしよう。もしもそうなった時には、オレも全てを賭けてお前を殺そう」
別に、どちらが強いのかはっきりさせたいだけなら他にも手段はあるだろう。何も殺し合う必要などどこにもない。損しかない──が、それを分かっていながらフォンはそう宣言した。
あるいは、この時からその予感を感じ取っていたのかもしれない。
一つ、フォンは思いついた。
「関係のない話だが、一つ賭けをしないか? コインを投げて、どちらの面が出るのか──シンプルな賭けだ。表が出たらオレ、裏が出たらお前の勝ち。どうだ?」
「賭けは苦手なんだよ。運勝負はよく負ける」
「賭けを最も楽しむコツは、よく準備をすることだ。偶然の要素をできる限り排除し、イカサマでも仕込みでもなんでもやり、そしてその上で拭いきれない不確定要素が残る。ちょうどこのコインのように」
「どっちが投げるかで変わってこない? 技術があれば結果を操作できるかも」
「では第三者に投げさせよう。バーテンを呼ぶ」
「店員にも何か仕込んでるんじゃない?」
「では店を出て、適当なヤツを捕まえて頼むのはどうだ? そこまで行けば、オレの仕込みという線は薄くなる」
「そのぐらいなら、確かに純粋な運になりそうだ。それで、本当にやるの?」
「ああ。オレのジンクスでな──この勝負でオレが勝てば、その後大抵碌でもないことが起きる。その確認だ」
「……何かのアーツ?」
「ジンクスだ。オレが気がついていないだけで、アーツかもしれんがな。さて、お前は乗るか?」
「まー……いいよ。別に誰かにコインを投げてもらいたいわけじゃない、こんなのはただの何もない賭けでしょ?」
「ああ。オレとお前の、どちらの方が運がいいか……そんな下らない有意義なゲームだ」
「そう。ちなみに君が負けた場合は、何が起こるの?」
「より碌でもないことが起きる」
「……やらない方がいいんじゃない?」
「いいや、やる。一つの儀式だ」
「なら、表にしよう」
「ではオレは裏だな。さて」
フォンは親指で5ギル硬貨を弾いた。甲高い音を立てて回るコインを掴むと、少しニヤリと笑って問う。
「さあ、どっちだ?」
開いた手のひらのコインは──。
12/10 奴隷たちのハレルヤ
「はい、はい、……はい。全て指示通りに。はい……フォン、全部の準備が整いました。予定通り、本日午後二時をもってLLLを開始します。問題ありませんね」
「ああ。始めろ」
──無数の紙束には、びっしりと文字が押し込まれている。それらは全てフォンの思考の残骸であり、何百というパターンを想定する過程で生み出された副産物だった。
「……源石鉱脈、呪われた金の山──運命というのは皮肉なものだな。要らないと突き返した呪いの宝を、これでもかと押し付けてくる。ホークンに火の雨が降る。お前は必ず来るだろう。そしてその先へ進む。お前は進まなければならない」
粉塵が舞っている。鉱石都市ホークン、その奴隷たちの街を見下ろす。
「……さあ、始めよう。エール、お前はどっちに賭ける?」
不敵に呟いた言葉は誰に聞かれることもない。
遠景は天災の足跡をなぞっている。この大地に降り注ぐ苦難の雨、それらが風化するまでには途方もない時間がかかる。
フォンは笑った。
「いつかの約束を果たそう。お前の答えを教えてくれ」
戦争が始まる。
運命が訪れる。
その運命を背負った者たちが、まるで祈るようにして笑っていた。
間章 酔っ払いたちの賛美歌《了》
・フォン
オリキャラ。
もしかして:類は友を呼ぶ
・クルビア
やばそうな国
もう何も分からへん……(作者の偽りない本心)
オペレーションオリジニウムダストによって無事本作の設定がいくつか死にました。特に銃器の設定周りが終わりました。火薬とか存在せんのかい!
全然関係ないんですけど、タチャンカって名前の響きがすごくかわいい気がします。
次から新章です……の前になんかここまでのまとめとか投稿します……